著者 外山滋比古
発行所 幻冬舎
発行年月日 2014.07.25
価格(税別) 1,000円
● 今月になってから外山さんの著書を読むようになった。これが4冊目。外山さんでなければ書けない。少なくとも,今までには読んだことがない類のエッセイ集。滋養があるというか,じんわりと染みてくるというか。
90年も現実に生きてきて,現在も生きているというその事実が,後の盾になっている。
● 自分の今までの価値観に,やんわりと,しかし完膚なきまでに,訂正を迫る。が,その訂正作業は苦行ではなくて,そうなのか,そう考えてもよかったのか,と荷を減らしてくれるようでもある。
● 以下にいくつか転載。
忙しい仕事をもつ人は,めったに約束の時間におくれたりしない。これといった仕事もしていない人が,おくれる。ヒマだからおくれるのである。ヒマな人はなにごとも,時間をかける。(p28)
人と人は近いほどよいなどということはない。近いものは,近いものに,よい影響を及ぼすことができない。(p33)
若いうちに人生を占うことはできない。しかし,トップより後続の方が,チャンスは大きいのははっきりしている。(p61)
人間も仕事をするキカイのようなものだが,キカイは同じ調子で動いているのがよろしい。止めたり,動かしたりをすると故障になりやすい。リズムを刻んで順調に作動しているものを不用意に停止させるのはいけないことである。休みなど,すくないほどいいということになる。(p64)
幼い子が一生でいちばん,かわいい,美しい顔をしているのは,わが子を充分やさしくかわいがらない親のいることを前提にしているのである。(p74)
人を育てるにはホメるに限る。ということは,あまり広く知られていない。教師でも,教育とは叱ることなりと考える人が多い。(p96)
慢心を生ずると,つい威張りたくなるのが人情である。威張ると,本人は気がつかないがたいへんなエネルギーを失う。それだけ弱くなるから,次の試合には負けることになる。(p134)
難しい試験に合格すれば,得意になるのが当たり前,単純な人間は威張るかもしれない。試験はそうそうあるわけではないから,次に失敗することができない。何十年も威張って生きていく人がたくさん生まれる。停年でやめることになると,かつて試験に落ち,労苦の多い人生を歩んできた人よりも虚ろな人間になっていることがザラである。(p136)
「道を歩かぬ人,歩いたあとが道になる人」 これはすぐれた日本の芸術家のことばである。名前はあえて伏せる。 無人島ならともかく,道を歩かないのは危険である。すくなくともハタ迷惑になることを考えないのは幼稚である。芸術は一般社会とはちがうから,道を歩かぬのが美徳につながるのかもしれないが,やたら歩きまわられては迷惑である。それを顧みないのは,悪しきエリート意識である。気取っては見苦しい。(p143)
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