書名 ツンドラモンスーン
著者 森 博嗣
発行所 講談社文庫
発行年月日 2015.12.15
価格(税別) 530円
● 森博嗣さんの本を読むと,全部転載したくなる。そう感じていまうのは,たぶん何も読めていないからなんだと思う。
読めていないんだから感想も何もあったものではない。そういう読み方をしてはいけない。もっと真面目にやれ,と神様に叱られても仕方がない。
● で,以下に多すぎる転載。
自分から遠い方が「気づき」は大きいし,価値がある。それを受け入れる柔軟性をいつまでも持っていることが,「気づき」のコツなのである。(p23)
観察を妨げるものは,「知ったつもり」である。「自分は知らない」と思い続けることが,「知る」ことの原動力になる。これが好奇心というものだ。(p25)
感謝というのは,一時的に相手を持ち上げる気持ちだ。水が高いところから低いところへ流れるように,自分を低く位置づけると,あらゆるものが自分の方へ流れてくる。(p39)
家族に見送られて死ぬのも,どこかで一人突然死ぬのも,どちらが良い死に方というわけでもない。ただ,切りが良いか悪いかだけの違いである。惨めな死に方というものはない,と僕は考えている。(p43)
そういう人は,出来上がったものを展示することはあっても,工作の過程は見せない。そこで僕は気づいたのだ,「過程を見せることは恥ずかしい行為なのだ」と。(p53)
金額と人間が感じる価値は,線形に比例していない。(中略)金は多くなるほどコストパフォーマンスが悪くなる。使った金額に見合った見返りがなくなるように社会ができている,といえる。自然に発生した累進課税みたいなものだ。(p54)
たとえば,知識とか,人生の楽しみ方といったものは,それを持っている人と持たない人の差が著しい。(中略)貧乏でも知識人は多いし,また貧乏でも楽しく生きている人も多い。知識や楽しさのことを,多くの場合,「教養」というのだろう。僕がみた範囲では,収入の格差よりも,この教養の格差の方がずっと大きく,また,こちらこそ社会問題だと思う。(p55)
歳を取って体力が衰え,いろいろな不自由がやってくる。そんな不安に怯えていてもしかたがない。それよりも,どんどん新しいものにチャレンジし続ける方が,きっと健康的だと思う。健康というのは,そういう意味なのではないだろうか。(p65)
情報は無料だが,発想は有料,ということなのだ。(中略)あらゆる創作は,本来は有料である。無料にする場合があっても,それは特別なことであって,サービスだったり,宣伝だったり,なんらかの理由がある。(p90)
物書きを仕事にする場合の基本は,相手が興味を示すものを出力する,ということである。自分自身を売り込むことではない。自分をどう見せようか,という点はどうでも良い。(p92)
自分の夢,自分の人生のためには,ある程度の計画が必要で,明日や明後日のために今日は我慢をする,ということがなければ実現は覚束ない。毎日その日限りの楽しさに溺れていたら,ほとんど廃人になる。(中略)遊ぶのだって,だらだらと流されていたら,楽しくは遊べないということである。(p100)
工事現場で働く職人さんたちは,けっして走ったりしない。ゆっくりと歩いている。慌てないし,一所懸命にはならない。たびたび休憩をする。そのペースが,結果的には最大の効果を上げるということなのである。(p103)
人に見せることが楽しみだと勘違いしている場合は大変多い。自分だけで楽しさを独り占めできると,それに気づく。外に出さなくても良い。(p133)
ローンを組むのは,金持ちではない。ローンを組ませる方が金持ちだ。だから,さらに格差が広がる。(p146)
やる気のほとんどは「体調」だと思っている。したがって,体調を整えることに注意をしている。(p150)
ものを制作する立場の人は,それを受け取る側の人に比べると,革新的でなければならない。新しいものを作る,今までにないものを目指す,といった気持ちが,ものを作ることの原点だからだ。(p158)
(人に褒められることは)自分が自分を褒めることに比べたら,無視できるほど小さい喜びになる。自己満足の大きさというのは,そんなものではない。桁が違う。小さいときに一人遊びをしていない人の多くは,人に褒められる嬉しさに目を向けすぎていて,自分に褒められる嬉しさを見逃している。(p161)
成功には努力か才能のいずれかが必要だ,とも思っていない。以前に,研究者に最も必要な素質は何か,という問いに,「何時間もコンピュータの前に座っていられること」と答えた。つまり,これがすべてだ。(p166)
物事がどう変化するかを予測したいときには,とにかく観察をすることが第一なのだが,その観察は,知りたい場所だけでは充分ではない。ここを多くの人が認識していないみたいだ。(p172)
一般に,天才と呼ばれる人は自由だ。しかし,そんな天才でも,なにか一つくらいは,なんとなく,意味もなく,ほんの縁起担ぎで採用しているものがあったりする。(中略)そういう部分に,素人は目を向けて,そこに天才の真髄を見たつもりになってしまい,「拘り」として語ったりする。(p180)
動物もそうだし,自動車などもそうだが,サイドからみたシルエットが,最もフォルムを的確に表している場合が多い。(p183)
犬は,大人にならない。巣立っていかない。ずっと子供だ。何匹か育てたが,どんなに厳しく躾けても,飼い主を信頼している。それは,食べものを与えるし,世話をしているからだ。褒めたり,煽てたりしているからではない。(p185)
重さはまだだいたい誰にとっても重いものは重い。これが「面白さ」になると,人の意見などまったく参考にさえならなくなる。(p190)
始めたときには難しかったものが,いつの間にか簡単になる。何故簡単になったのかといえば,「始めた」からなのだ。(p191)
没個性というのは,個性的な人間にとっては簡単な切換えなのだ。(中略)一方,没個性の人が個性的に振る舞うことはほぼ不可能である。(p193)
日本の組織では,配置換えが頻繁だ。(中略)すぐに交替することがわかっているから,仕事を最適化しない。(p194)
配置換えは,長く続ければ仕事や環境に慣れるという人間の長所を台無しにしている。だんだん力を発揮するタイプには向かないシステムともいえる。(p195)
小説を書く前に,関連するテーマのものを読むということは,僕の場合はない。取材をしたこともないし,資料を当たって調べることもない。だから,知っている範囲で想像して書く。創作なのだから,現実と違っていてもかまわない。自分の世界を描くのである。(p196)
表に出さない文章は,洗練されたものになりにくい。(中略)この意味では,受け手の多い少ないはともかく,他者へ向けての発信は有意義だ。(中略)しかし,あまり簡単に出しすぎないことも,重要だと考える。(中略)すぐに外に出すと,自分に問う時間が短くなるし,あるときは,外部から回答を知らされる。同じ解決であっても,自分から出る解決の方が,自分の将来には有利に働く。ここが簡単に片づけられない部分なのだ。(p198)
違う視点,違う立場,違う表現による情報を拾うことで,そこに述べられていることが,どうやら「今のところは正しそうだ」と判断される。この違う視点,違う立場,というのが重要なのだが,多くの場合,反対派の意見を集めようとしないから,結局,自分側も揺らいだままになる。(p205)
感情に流され,「嫌だ」で決めてしまうと,結果的に大きな損失が待っていて,もっと嫌な目に遭うことになる。(p209)
本を読む理由なんて,だいたい軽いものだし,ほとんどは「興味本位」なのではないだろうか。(p211)
シンプルなものに憧れる指向も,結局はこの複雑さに対する反動だろう。単純なものは美しく,またあるときには力強い。数学であれば,それは正しい。しかし,現実の人間社会においては,そういった美しさ,力強さ,正しさを主張すれば,人と人が争い,戦争になり,命を奪い合うことにもつながる。そうならないようにするには,複雑なバランスを取るしかない。(p213)
ものを考えるときにも,常に自ら反論することで,思考は深まる。(p213)