2018年4月22日日曜日

2018.04.22 森 博嗣 『つぼねのカトリーヌ』

書名 つぼねのカトリーヌ
著者 森 博嗣
発行所 講談社文庫
発行年月日 2014.12.12
価格(税別) 500円

● 著者は短文エッセイの名手でもある。諸々のトピックを捉えて,スラッと差しだす。著者の言うところを信ずれば(信じない理由はない),文章に苦吟することもない。
 短文エッセイだけではなく,ひとつのテーマについて1冊書くのも,好きかどうかは知らないけれども,得意。すでに何冊も出ている。
 ぼくは著者の小説は1冊も読んだことがないのだが,エッセイ(昔の作家は雑文と言っていた)はあらかた読んでいる。

● 気になるのはタイトル。言葉で考えないらしいのだが,どうしてこういうタイトルが出てくるのか。どういうタイトルにするかを,著者はかなり重視しているらしいのだが。
 ここで連想するのは,ゲッツ板谷さんの同じくエッセイ集のタイトルだ。「直感サバンナ」とか「情熱チャンジャリータ」とか「戦力外ポーク」とか「妄想シャーマンタンク」とか。

● 以下に多すぎる転載。
 人間の思考には,矛盾はつきものだし,矛盾なんて,そもそも小事だと考えている(p3)
 成長したあとは,もう成長戦略など基本的にありえない(p26)
 皇室の人はけっして人前では泣かない。それが,子供ではない大人の普通の嗜みだったのだ。(p28)
 何歳になっても「悩み多き年頃」であり続けることが,精神の成長を止めない唯一の方法ではないか。(p31)
 精確に作るというのは,器用な手の技術ではなく,修正すべき点を見つける目の精度が大半だといえる。(p33)
 ものを買うときは,出した金の価値が,買ったものの価値になる。安く買えば,安い価値と交換しただけのことだ。(中略)安くなるまで待てるということが,それほど欲しくない心理の表れである。だから,手に入れたときに満足できないのは当然だろう。(p34)
 そういう「そこそこの人生」というのは,もちろん悪くはない。悪くはないが,少なくとも「お得」ではない。(p35)
 どんな習慣も,絶対にやめられないというものは僕はないと思う。意志というものは,それくらいの力はある(薬物などは,この意志自体を破壊するものだ)。(p45)
 本当に大切なことは,「努力」にこそ価値があるという点であって,これは才能があってもなくても,まったく平等に授かることができる。(中略)最後はこの「人の評価」というものの差になるのである。そんなものは大した価値ではない,と思えるだけのしっかりとした自分がいれば,努力は楽しいものになる。それが信じられない人には,努力は虚しいものになる。(p50)
 嫌われる覚悟とは,他者に嫌われることの「普通さ」を知ることにほかならない。(中略)そんなことよりも,ずっとずっと大事なことは,自分に嫌われないことだ。自分の考えに対して誠実に行動すること,これは別の言葉にすると「自由」だ。(p60)
 自分の状態を知るには,なんらかの出力をするしかない。一番簡単なのは,なにかを作ってみることだ。(p69)
 僕は天才を何人も実際に知っている。(中略)どの天才も例外なく上品で,人当たりが優しく,とても良い人,常識人に見える。(中略)これに似たものに,「金持ち」がある。金持ちも,ドラマなどでは少し困った人間に描かれるが,実際にはまったくその逆である場合がほとんどだ。金持ちほど,相手に気を遣い,礼儀正しいし,偉そうな態度を絶対に見せない。(中略)つまり,天才は非常にバランスが取れているのである。人に突飛に見られる必要がそもそもない。(p78)
 高校生にもなって親が入学式に出席するなんて,僕には馬鹿げた行動としか思えない。行っても良いが,恥ずかしさを感じてほしい。(p80)
 僕は,自慢じゃないけれど,奇跡を信じたことは一度もない。そんな一か八かのことを真面目に信じるほどお人好しではない。確率が低いものは,起こりにくいのである。(中略)奇跡を信じるまえに,奇跡に縋らなければならない状況に陥らないことが大事だ。当たり前の道理である。(p92)
 自分ばかりにトラブルが降り掛かるのか,と嘆いている人が多いが,トラブルは誰にも常に降り掛かっている。ただ,それを想定しているかどうか,の違いにすぎない。(p97)
 死をたいそうなものに扱いすぎているのが現代の日本だと思う。(中略)子供は親が死んだら泣くだろう。それが「子供」だということである。大人になれば,自分の親を冷静に看取ることができるはずだし,それは薄情なのではなく,むしろ大人としての品格だと思う。(p103)
 こういうときに泣きたい人がいるみたいだが,それは泣くことが苦にならないからできるのだろう。泣くことは苦しいから,できない人もいる。苦しいと感じる人の方が,僕の定義では「優しい」ということだ。(p113)
 犯罪でもそうだし,戦争でもそうだ。しかたなくやっているように見えても,当事者はその瞬間は前向きだし,かなり楽しんでやっている。楽しまなければできないことなのかもしれない,と想像する。(p114)
 馬鹿なことをする人間は,馬鹿なのだからしかたがない。(中略)大きな馬鹿は警戒し,小さい馬鹿は許せば良い。(p115)
 レトロなものの形は,その当時の技術に支えられた最先端であって,現在の最新鋭の技術で作るべき形ではないからだ。したがって,自動車などでレトロなデザインのものは眉を顰めたくなる。偽物感が大いに漂っていて鼻につく。(p116)
 英語を話す人の多くは英語が書けない。スペルは,日本の漢字みたいに難しいものなのだ。(p131)
 若者たちは,自慢を素直に受け取り,こちらを注目してくれる。逆に,自虐的な謙遜をすると,素直に軽蔑されて,話を聞いてくれなくなるのだ。(中略)この傾向に気づいてから,自分がなした仕事については,きっちりと自慢をすることにした。(p135)
 頭が良いなと感じるのはどんなときか,というと,それは,なんらかのトラブルが起きたときの対処で一番わかる。(中略)広い発想を持つことは,やはり知識量ではない。これができる人間は,いつも人よりも多くの発想をする。これが,頭が良いな,と僕が思う能力である。いかに短時間に多くのもの,まったく道筋が違う可能性を思いつくか,という力である。(p138)
 勉強も仕事も,いうなればすべてが反応だ。問題や人間に対して,どう対応するか,である。それは,つまり自分が受け手であって,投げられたボールを受け,それを返す,という作業だ。しかし,重要なことは,誰がボールを投げるのか,である。反応ばかりしている人間は,自分からボールを投げられない。(中略)本を読んでそれについて書く,と決めている人は,反応しているだけだ。なにもないところから,今日あったことでもなく,今日聞いた話でもなく,なんとなく,こんなことを書いてみよう,と「思いつける」だろうか。それが,自分からボールを投げる,という意味だ。(p140)
 ところが,実際にはみんなが時間を大いに無駄にしている。混んでいるところへ出かけていって,わざわざ列に並んで待っていたりする。いつもより少し安いから,という理由だったりするのだ。(p144)
 ドイツを知りたかったら,ドイツに行くに限る,というわけではない。ドイツに一度も行かなくても,ドイツの通になれる。むしろ書物を精力的に調べる方が効率が良い。現地へ行くことは,ほんの一部を瞬間的に捉えるだけで,かえって誤解を生みやすい。(中略)現地を歩き回ってもわからなかったのに,地図を見ていて気づくことも多い。スケールによって見えるものと見えないものがある。(p151)
 景色を見て「綺麗だ」と感じるのは,その人の心であり,景色の特性ではない(p160)
 時間ぎりぎりで出来上がって,慌てて品物を届けにいく,といった仕事をしていると,いつまで経っても腕は上達しないだろう。(p176)
 揺るぎないものを構築するためには,過去へ遡って掘り返す作業がまず必要になる。その過程で,思いもしない歴史が現れたりする。(p189)
 のび太君は,ドラえもんに,「素晴らしいのび太を出して」と何故言わないのか。それは,素晴らしいものを望んでいるのではなく,駄目な自分のまま,素晴らしい体験だけを望んでいるからだ。これは,詐欺に引っ掛かる人の状況そのものである。(p203)
 僕のような素人が歴史を振り返って思うのは,宗教というものの原形は,「戦い」にあったのではないか,という点だ。生活を支える狩猟も一種の戦いだ。他部族との争いを繰り返し,そこで流れた血が神に捧げられるものだった。(p205)
 人間はそれ(意思)を自分が持っていることの違和感を処理するために,ほかにももっと大きな意思がある,と考えざるを得なかった。そうでないと,意思のやり場がなくなる。(p207)
 たぶん,僕は,「執着」していたのだ。そして,この執着があったから,僕は発する側の人間になれた,ということだと思う。(p213)
 一つわかっていることは,人間は誰も生き残れない,という事実である。人間が作った会社も社会も,いつまでも存続はできない。生まれ変わって,子孫に受け継がれても,受け継ぐものがいずれ薄まって,別のものになる。その子孫も,いつの日か,全滅するだろう。自然は,人工物よりもごちゃごちゃだ。人が頭で考えているような「理屈」のとおにには絶対にならない。それが,宇宙の法則だからである。(p215)
 会話というのは,相手の人間性を観察するには適しているが,意見交換やプロジェクトを進めるときなどには不向きだ。一番の問題は,テーマから外れた情報が多すぎること,話しているうちにテーマを見失うこと,人間性の観察をしていると,良い悪いではなく好き嫌いが判断に混ざること,そして,意見交換ではなく,敵か味方かといった立場の見極めに陥ること,などである。(p216)
 幸せというのは,死に近づいた者にしかわからない。最後の素晴らしい交換会で,幸せと死を取り替えっこするのだ。誰でも死を持っているから,この交換ができる。(p221)

0 件のコメント:

コメントを投稿