2018年4月30日月曜日

2018.04.30 森 博嗣 『つぼみ茸ムース』

書名 つぼみ茸ムース
著者 森 博嗣
発行所 講談社文庫
発行年月日 2016.12.15
価格(税別) 530円

● 感想も何もない。圧倒される。
 すると,転載する分量がやたらに増える。恥ずかしいったらありゃしない。

● 以下に多すぎる転載。
 今時は,「食べやすい」「読みやすい」という軟食,軟読が好まれるようだけれど,内容まで「同意しやすい」ものを選んでいると,太鼓持ちに囲まれた殿様みたいに馬鹿になっていくだろう。(p3)
 「取返しがつかない」といった事態は,人生においてほとんどない。大部分のことはいつでも常に取り返せる。(p22)
 自分の気持ちを知ることって,そんなに簡単ではない,と僕は認識していて,少なくとも,僕は僕の気持ちをよくわからないまま生きているのだ。(p28)
 研究や開発に携わる職種は,いらいらしない人は向いていない。(p30)
 「教えてもらう」ことでは,その指導者を超えられない場合がほとんどである。(中略)一流になった人の多くは,教えてもらうことで一流にのし上がったのではない,という事実である。(中略)自分で考えるからこそ学べるし,そうしたプロセスだけが,一流を育てるのである。(p39)
 「強い意思」とは,揺らぎのない論理性のことだ。「意思」なんて言葉を使うからわかりにくくなってしまう。(p41)
 他者になにかを依頼する場合,金を取ってくれるプロにお願いする方が,善意だけでやってくれる人に頼むよりも信頼できる。(p48)
 小説の価値を理解している人が少ない。仕事としては,沢山売れればそれで良い。しかし,価値を認めてもらうには,わかる人に読んでもらいたい,と僕でさえ思うのである。(p53)
 人間は,本能的に,自分に歳が近いものに傾倒する。親よりも友達の影響を受けやすい。(p57)
 自分の夢に他者を巻き込むな,ということである。家族であっても,自分ではない,他者である。(p59)
 情報の選別は,関心があるものに向ければ良いけれど,しかし,得られた情報が好ましいか好ましくないかは,素直に受け止めるしかない。好ましくないからといって突っ返しては,自分にとって損失となる。情報の価値とは,そういうものなのだ。(p62)
 万人がネットに自分の言葉を流す時代になった。(中略)けれども,その大部分は,その人の言葉ではない。(中略)どんどん衰退するだろう。その原因は明らかで,オリジナリティがない,ということに尽きる。(p64)
 良い建築とは何かを一言で表現すると,それは価格の高いものだ。(中略)安くても工夫をすれば,というのは綺麗事であって,多くの条件は,良いものほど高い。(p67)
 カロリィのない食べものを食べるというのは,腹は膨れるがエネルギィは摂取できない,という不自然な行為を肉体に強いていることになるけれど,問題はないのだろうか。どこかで弊害が出そうに思われる。(p97)
 自分から遠い才能に触れることが,芸術の醍醐味である。自分に近いものだけにしか心を動かさないのは鈍感のやり方だ。(p105)
 ユーモアというのは,一言でいうと「発想の妙」なのである。この種のものに向いているのは,知識量ではない。知識も必要だが,なにかギャップがあるところへジャンプする発想力が不可欠な思考である。したがって,数学が得意な人が適している。(p116)
 感想を書いているつもりの人でも,(中略)なにも考えていないことがまるわかりの文章が大多数だ。なにも考えていないというのは,つまり「馬鹿」だという意味で,これは「感想」ではなく「馬鹿の反応」である。(p127)
 初期のインターネットは,宣伝がないのに無料だったのだ。だから画期的だった。誰も商売をしていない世界は素晴らしく清らかで自由だった。今は見る影もない。(p129)
 (神は細部に宿るの)「細部」というのは,構造的な細部であって,骨組みの接合部がすっきりと収まっているか,窓と壁の取付けが滑らかになっているのか,といったデザインであって,日本語で言うならば,「整合性」という表現が,僕は適当だと感じている。(p143)
 大多数の読者は,ネタばれを歓迎しているのだ。(中略)結果がわかっている方が,興味を引かれ,それを見る。(中略)確かめるために行くのだ。驚きたいのではない。(p145)
 卒業式や結婚式で女子や新婦が涙を零すのは,幼さだと解釈すれば赦せるだろう。でも,父親が泣くのは馬鹿だと思う。(p165)
 多くの商売は,言葉によって搾取するのが機能だ(p169)
 何故,もの凄く贅沢で自由な生活をしている人と,なにもできず苦しみや悲しみの毎日を送っている人がいるのだろうか,と考えると,自然というものの残酷さがわかる。放っておけば,自然になる。(p172)
 現在の子供べったりの親というのが,歴史的になかった特殊な状況といえる。(p175)
 僕はほとんど出かけないし,毎日同じことをしているので,これといって変化がない。でも,ブログは,そのまま変化のないことが書けてしまう。(中略)ブログが簡単なのは,ここに原因がある。同じことが書けるのだ。(p178)
 ユーチューバだって,今から目指すものではない。もうなっていないと駄目だ。その仕事に名称がつく以前に,それになっていることが,一番正しい「なり方」である。(p179)
 執筆中も,リアルタイムで文字数を表示させておいて,あとどれくらい書くか,そろそろこの章は終わりか,などと考えながら書く。文字数が出ていないと書けない,と思う。(p187)
 客と店員が和気藹々と話をしている店は,僕には「居心地が悪い空間」となる。(p194)
 先駆とは,自分と同じことをやっている他者がいない状態であるから,この楽しみを分かち合うことは無理だ。そういった孤独の楽しみこそ,僕は本当の幸せだと感じている。(p196)
 楽しいことを探している人は,楽しいことを見つけるし,つまらないことばかり見つけてしまう人は,つまらないことを探しているのである。(中略)苦しいことだって,大部分は自分で探しているのではないだろうか。(p204)
 残された時間は,未来にしかない。だから,もしやるなら,今日である。(中略)そして,一つだけ絶対的な法則がある。それは,「し始めなければ,できない」ということだ。(p207)
 僕は,自分の近くで亡くなった人の名も,そのうち忘れようと思っている。それは,あくまでも僕の問題であって,死者の問題ではない。僕が決めることである。(p215)
 科学というのは,分野というよりも,大勢で真理を追求していく枠組みのようなものだ。(中略)科学のせいで失われるものはない。科学が排除したのは,非科学的な迷信の類だけである。(p217)

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