著者 開高 健
写真 高橋 昇
発行所 朝日文庫
発行年月日 2008.10.30
価格(税別) 1,000円
● この旅は1986年と87年に行われた。本書の元になった単行本も読んでいる。
今読んでも古さは感じない。それが褒め言葉になるのかどうかはわからないが,古さは全く感じない。美味しい読み物だと思う。
● 巻頭にある司馬遼太郎との対談からいくつか転載。
遊牧は絶えず移動するので持ち物を少なくしなければいけない。持ち物を少なくするということについては,生活財のセットがある。(中略)フェルト製のゲルから,ビタミンをとるための馬乳酒に至るまですべてセットになっている。(司馬 p10)
山羊を羊群にまぜるというのは重要なことで,文明時代のギリシャ人はひょっとするとそれを知らなかったためにギリシャは荒蕪の地になったのかもしれない。(司馬 p11)
ゲルというのは,人間が住むための構築物であることは間違いないんだけれども,文明人には不可欠なものが三つ欠けている。バス,トイレ,キチンがない。(開高 p13)
何日も一カ所にゲルを張っていても,一晩のうちにどこかへ行っちゃう。立ち去った後を調べてみると,徹底的に無である。何もない。昨夜までここで何十人かが暮らしていたという痕跡は全然見つからない。(中略)遺跡というものが全然ないんですね。(開高 p15)
北京はいま野菜不足で,近郊のヒンターランドに野菜がほとんどできない。慢性的な野菜不足。それは北方の内モンゴルを耕したからなんです。(司馬 p19)
いったん草原の土をめくると,もう回復できない。中国は,というより世界は巨大な損失をした。自然はさわるなというのは,ほんとにそのとおりやね。(司馬 p20)
われわれ農業地帯の人間は,文明とか都会とか,より便利な,よりかっこいい生活をあこがれるけれども,どうも牧畜がベースの社会では,あまりそういうことはないように思う。(司馬 p21)
こんだけ単純なシンプルな生活,バス,トイレ,キチンが家の中にないという生活をしなければこの高原は守れない。(開高 p24)本文からも1つ。
手つかずの自然なら他にもある。しかし,そこは,人里離れている。ここには,人間や動物と共存しながらなお,手つかずの自然がある。

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