著者 松岡正剛
発行所 春秋社
発行年月日 1995.07.15
価格(税別) 2,000円
● 初版は1984年。著者に増補を付けさせたのは,オウム真理教のサリン事件であるらしい。
● しかし。この呆れるほどのパースペクティブの広さは何ごとであるか。一個人がここまで広い空間把握と時代把握ができるものなのか。
そうするための要諦(の一部)は本書でも披瀝されるのであるけれども,こちらとすれば唖然とするしかない。
● 内田樹さんに対して「知の巨人」という言い方がされることがあるけれども,この称号は松岡さんにこそ相応しいのではないか。
知といっても,無から有を生むわけではない。知を生産するとは,つまるところ,既存の知を編集することだとすれば,それは松岡さんの得意とするところかと思われる。
● 無類に面白い本であることはわかる。のだが,こちらの頭脳ではスイスイと読み進めることができない。日数をかけてしまった。こういう読み方では読んだことにならないのかもしれない。
● 以下に,多すぎる転載。
いちばんつまらない議論もはびこっている。オウム事件は日本の社会的矛盾を反映した病理の露呈であるという、いわゆる社会病理説というものだ。この手の評論はその趣旨をどのように粉飾し,何を例証にもってこようと,つまらない。歴史上,病理のない社会などあったためしがないからだ。(pⅵ)
そもそも仏教が,なぜ「意識の制御」(マインド・コントロール)を必要としたかということが,問題の大前提になっていなければならないだろう。密教というも空海というも,もともとはこの「意識の制御」を発端させた初期の思索や活動の様式に起源をもっているからだ。意識の制御をしたくなったということは,ほうっておけば辛くなるような意識の傾向が芽生えたということである。(中略)そこには,ヒンドゥー教や仏教が生まれた(中略)インドの気候風土が関与する。ともかく話はそこからだ。(pⅶ)
言葉などというものは,たとえば「心を鎮めて欲を断ち」などという一フレーズの意味ですら,どんな解釈も可能であるのだから,ここに解釈の立場をめぐる論争と対立が次々におきていく。ヒンドゥー教から仏教が分かれ,その仏教が大乗と小乗に分かれていったのは,そこである。(pxⅰ)
だいたい宗教的動向に変更が加わるときは,こうしたグローバリゼーションとローカリゼーションの正当性が正面からぶつかっている。(pxⅱ)
そもそも宗教には二つの宿命があって,ひとつは限定した言語体系をつくってしまうこと,もうひとつは禅によくその特徴があらわれているのだが,本質的なことは言葉では言いあらわせない(不立文字)とすることだ。このふたつの宿命は大半の宗教のどこかに忍びこんでいるものだが,空海という人はこのあたりを自在に横断してみせた。(pxⅴ)
もともと中国への文化文物の流入は,シルクロード型と南海型と北方ステップロードによる草原型の三種のコースによっていた。これをシルクロード型の一本にみてしまうのは,やがてそれが朝鮮半島を経て日本に入ってきたことに照らし合わせても,たいへんに日本文化とアジア文化の橋梁を狭いものにしかねない。(p9)
社会にいて「我」をとりのぞくのはなかなか困難なことだった。「我」は生物界から離脱した人間が牙と毛皮のかわりにみがきあげた武器である。その武器を放棄するのは社会的生活の失敗を意味していた。(p23)
仏教史とは,つねに生命と意識の対立をどのように解消するかという一点をめぐる世界最大の思想劇である。(p24)
直立二足歩行がひきおこしたもうひとつの事態は,世の女性を震撼させる。子宮が陥没し出入口が狭くなったため,これによって出産が容易ならざることになったのである。出産率は低下し,種族によっては絶滅の危機にさえさらされた。のみならず,子宮陥没は胎児の時間をひきのばしてしまうことになった。俗に十月十日といわれるヒトの胎児状態は,あらゆる生物の中で一番に長い。それはメスの受胎能力の限界に近かった。わが女性たちの狩猟能力が一挙に衰えたのはこのためである。それまではメスこそが力強いハンターとして森林を疾駆していたものだった。(p29)
大脳がほかの動物より大きくなってしまったのも,実は子宮の出入口が狭くなったためだった。生クリームをボール紙をまるめた口からしぼり出すように,われわれは“狭き門”を通過したがゆえに肥大した大脳にありついたのである。(p30)
言語記憶の再生は大脳の皮質の上ではノン・ローカルでありながら,その再生のためにはあえてローカルな場所を設定したほうが有効だったということになる。つまり言語記憶とその再生にはつねに「場面」が必要だったのである。(p34)
古代言語観念の世界においては,「お前は誰か」と問われて自身の名を言ってしまうことがそのまま服属を意味していた(p39)
この国は,コトアゲ(言挙)せぬことをもって言語習俗としていたふしがある。いたずらに言葉をつかわないことがむしろ言葉の力を生かしているのだと考えられてきた。コトダマが信仰されたのはそのためである。(p41)
空海にはそういうとことがあった。AとA',あるいはAとA''をも同定するところがあった。だからこそ,インド,中国,日本にまたがる思想の潮にも対応できた。(p49)
それ(『大日経』)は言われるところの“事相テクスト・ブック”というよりも,むしろ魔法の羅列のような奇怪な印象だったのである。空海ならばただちに秘密の芳香を感得して,その独占のために入唐を決断しかねまいとおもわれた。(p69)
空海の道教批判を一点にしぼれば,そこには自他救済の慈悲が説かれていないということだろう。つまり逆に言えば,それ以外の面では,空海はひそかにタオイズムに憧れていたということになる。(p72)
空海の声は深かったと思う。ただ大きいのではなく,深く遠く響いたであろう。高くはなかったはずである。(p81)
この少年(空海)は友人をつくる器量に欠けていた。寡黙であったせいばかりでない。周囲の者もなにかしら近づこうとはしなかった。少年の方もその壁をすこしずつでもくだこうとはしない。壁はしだいに高くなっていた。これを打破するには,よほどの飛躍を必要とするようになっていた。(p82)
青年(空海)は,五経の奥に四書五経をあやつる一人の大指揮者の指揮棒があることを見ていた。大指揮者とは鄭玄である。(中略)それまで彼方の経学としかおもえなかった古典の世界に,鄭玄という具体的な人物がこれをあでやかに指揮するのを知って,いささか大唐という国に関心をもちはじめたのもこのころであったろう。(p83)
ここでひとつの激突があれば,佐伯真魚は沙門空海とはならなかった。いまもなお高校や大学で日々くりかえされている自我の真空放電でおわったことだろう。それでも彼は一人の有能な官吏や卓越した文人になったかもしれない。彼はかれらとの論争に勝ってしまっただろうからだ。しかし,彼はきっと黙ってしまったのだ。そのあまりにもみずみずしい感受性が連中のニヒリズムにもペシミズムにも感応してしまったのである。宗教家の資質のある感受性とはそういうものである。いつかその内奥にたまるエネルギーが爆発することはあったとしても,ふだんはたいていの議論を呑みこむものだ。(p86)
そうした山中では,四書五経が役に立つはずもなく,虚空蔵求聞持法のようなダラニのもつコトダマの力だけが空海を守ったにちがいない。そして,ただひとつの「求聞持法」のみに頼った空海は,修行の日々のうちにさらに強烈な呪法を渇望したにちがいない。その渇望こそが空海に密教をもたらすことになる。(p93)
『三教指帰』を読んで驚かされるのは,その老成した主張の結構もさることながら,やはり厖大な漢籍を縦横無尽に駆使している「博学の技術」というものである。目がくらむとはこのことだ。(p97)
空海が他の追随を許さないほどの「集めて一つに大成する綜合力」(福光光司)に長けていたことは,空海研究者の誰しもが認めている。私の言葉でいえば,これはエディトリアル・オーケストレーションの妙,すなわち編集構成力というものだ。(p99)
エディトリアルの出発はAに見出したきらめきを別のBにも見出したいと願うことにある。そこが学問とは異なっている。Aをそのまま突っこんではしまわない。きらめきを多様の中に求めようとする。(p102)
エディトリアルとは結集ではない。どちらかといえば結縁というものである。そこには一種の禅機がなければならず,また過剰な探求があってはならない。つねに眼を光らせていながらも,その質量の下に横たえて下敷になるようであってはならない。そういう意味では諸学に対するに遊撃性をもってあたらなければならなかった。それは思想の方位という相対性に向きあって,たえず自在な選択力をもつということでもある。(p106)
善無畏がナーランダー寺院で学んだ師の達摩掬多から「中国を開教しなさい」と言われて,西域から天山北路を通って長安に入ったのはもう八十歳になんなんとする時だった。(p109)
特筆すべきは新羅の恵日・悟真,ジャワの弁弘,日本の空海らの異邦僧にも好んで伝法していることである。門人一千人の中にはさらに多くの異邦僧がいたことだろう。私はこの点をいささか誇大に重視したいとおもう。そこに史料にあらわれぬ恵果の秘められたインターナショナリティを看取したいと思う。(p115)
般若三蔵については,彼が日本に渡ろうとしていたという話もある。老齢の般若がこれを果たせなかったのはやむをえないところであろうが,その熱情がおそらくは空海を動かした。(中略)空海はぜいぜい日本語と唐語を知っていたにすぎなかったが,このカシミール出身の老僧は三ヶ国語,いやおそらくは西域諸国や南海諸国の言葉を加えた数ヶ国語に通暁していたと思われる。それが,いままた東海の波を越えて日本語にも関心を示している。空海はサンスクリットを学びつつ,この醴泉寺にたたずむ老僧の世界言語観念ともいうべきもののすさまじさに大いに共感したのではなかったか。(P124)
空海が必ずしも時流に乗る人ではなかったことは強調してよいかもしれない。四十歳をこえてたしかにその勢いは天下に聞こえたが,それはむしろ晩成というにふさわしい。(p129)
ちょっと意外かもしれないが,あるものの状態を構造として整えこれを維持しやすいようにしておくには多少ゆさぶっておくことが必要である。(p141)
空海の密教構想が矛盾をもっているということは,同時代の得一や円珍も批判的に感じていたことだし,その後も今日にいたるまで指摘されつづけている。(中略)しかし,「宗教に矛盾がない」とはまたどういうことなのであろう。どの宗教に矛盾がないと言えるだろうか。宗教はもともと矛盾をエネルギー源として出発しているはずである。(p151)
空海だけがとびぬけていた。そして,あまりにとびぬけているその構想は,平安王朝のみならず,ごく最近にいたるまでそれが日本思想に根をおろすものであるとはおもわれなかった。(p151)
最澄がともすれば内なる憤懣を泰範や徳一などの-さすがに空海には正面切らなかったが-個人にむけて一挙に吐露せざるをえなかったのにくらべると,これはやはり空海の強靱であり,また,個人的発言ではなくつねに類的発言に徹する空海の普遍でもあった。(p165)
よく「字面にとらわれる」と言うが,空海はその字面にこそ本意がはためいているとみえた。そういう“文字の人”だった。(p169)
「書は散なり」とは,空海の書のみならず,その思想を知るうえでもすこぶる重要な指摘である。書を散らして書きなさいというのではない。書する心の方をあれこれ景色にあてがいなさいと言うのだ。景色とはまた気色であるが,ようするに対象に陥入してidentifyすることである。(p175)
しばしば文字を見れば人がわかると言われる。そうだろうか。文字を見れば人がわかるとは,その人が自分にこだわっているさまがよくわかるという意味であろう。エゴイズムが見えてくるということにすぎない。空海の書は入唐後,そのエゴイズムをこそ脱しようとした。(p175)
益田池碑銘は一字ずつ書体を変えている。単に篆隷真行草を変えているのではなく,その一字の背後に棲む景物気色に応じて,それぞれ恰好の象形を選んでいる。(中略)小野道風が空海の書は邪道だと批難するのもむりはない。これはとても道風の書美の知識ではわからない次元での天工開物である。空海はここにタオ・カリグラフィの生命力をこそもちこんでいたのであった。(p177)
われわれはどうしても小さな写真図版でマンダラを見てしまいがちである。それでは全体の構成が先に眼に入ってきて,細部が見えにくい。ところが実物大の複製マンダラを眺めてみるとまったく印象がちがってくることを知る。(p195)
われわれがいつかは考えなければならないもっとも怖るべき問題のひとつは,「生命は生命を食べて生きている」ということにある。この怖るべき事実から唯一のがれられるのはわずかに緑色植物の一群だけである。(p225)
実は,そこにこそ最初にして最大の「生命の矛盾」が顕現するのであるが,藍藻の冒険は次の静物たちがこれと同じ方法で生きる可能性を奪ってしまったのである。つまり対応の紫外線エネルギーで自給自足のできる生命体をつくることは,もう次に生まれてくる生物にはできなくなっていたのであった。(p238)
一般に発音や発語の問題-すなわちボーカリゼーションの問題は文化史では過小評価されているようだ。これはわれわれがあまりに放縦な発音世界や聴音世界にいるために,「音」と「義」と「字」をバラバラに切り離してしまっているからである。(p249)
発話時には一分あたりの呼吸数が激減し,吸息作用はすこし増すものの呼息作用はいちじるしくゆるやかになり,全体としての呼吸は深くなる。(中略)十全な発語活動をしているときに呼吸が深くなるということは,声を出していても瞑想しうるという可能性を立証する。これがマントラやダラニの高次元性を支えるひとつの条件になる。(p256)
むしろ全身に号令のかからない声などありえないと言ったほうが正確なほどである。したがって「声の文」とはいえ,そこには全身体的特徴が検出されるはずなのである。空海はその特徴をこそ「文の字」と言った。「六塵ことごとく文字なり」とはそういう意味だった。(p258)
だいたいインターバルのあまりに長い呼吸はそれこそ筋肉内のATPをフルにつかうためよほど自覚的でなければできないことで,そうした強引な呼吸法と瞑想性は合致しない。(p261)
しょせん空海には「国家」など仕掛けの多すぎる悲しき玩具であった。(p288)
コンピュータがホロニックではなく,われわれの脳がホロニックである最大の差がここにある。たった一個の入力情報によって,その部分=全体系を組み替えることができること,それはまた生命だけがもつ神秘でもあったのである。(p334)
それは「一個の有機体はそれが存在するためには全宇宙を必要とする」(ホワイトヘッド)という目のくらむような考え方である。われわれはたとえ一個の石塊すら全宇宙から放逐することが不可能であることをふだん忘れているものだが,そのわれわれ自身が存在するためにも全宇宙がいっさいを準備しているのだということをもっと忘れていたようにおもう。(p336)
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