2018年11月28日水曜日

2018.11.28 新谷 学 『「週刊文春」編集長の仕事術』

書名 「週刊文春」編集長の仕事術
著者 新谷 学
発行所 ダイヤモンド社
発行年月日 2017.03.09
価格(税別) 1,400円

● 熱い思いが語られている。一気に読んだ。
 それはそれとして。紙の週刊誌がいつまで存続できるか。最大部数を誇る週刊文春も60万部を割り込みそうだ。単純計算だと日本人の0.5%しか読んでいない。対象読者のセグメントはしていないと語っているが,読者層の高齢化はおそらく紛れもないだろう。
 電車の中でも乗客のほぼ全員がスマホを見ている。新聞や週刊誌を広げている人を見かけることは非常に稀だ。

● そうしたことは,当事者(著者)は言われるまでもなくわかっている。したがって,次々と手を打ってもいる。
 しかし,電車の中でスマホを見ている人の中に,文春のコンテンツを読んでいる人がどれほどいるだろうか。ほとんどいないと思う。

● 理由は2つある。ひとつは,ネットから取る情報はタダというのが定着してしまっていること。心ある人は,有料コンテンツも見ているのだと思うが,そうした心ある人が週刊文春の読者の中にいるかどうか。
 もうひとつは,ブログとSNSの普及だ。特にSNSだ。多くの人が発信者になった。もちろん,大したものは発信していないし,できるわけもない。が,ともかく発信者が大きく増えた。発信者というのは自分が発信したものを他のどれよりも高頻度で見るものだ。ま,自分がそうだから,他の人も同じなのだろうと思っているだけなのだが。

● 週刊誌は日がな1日図書館にいる年寄りが,自分では買わないで読むものになっている。ネタは外部依存。が,SMAP解散のような国民的関心を呼ぶ出来事はそうそう起きない。難しい世の中だ。

● 以下に多すぎる転載。
 スキルやノウハウといったものとは全く無縁の編集者人生を送ってきた。(中略)世の中で起こっている様々な出来事,あるいは話題の人々。それらを「おもしろがる」気持ちがスキルやノウハウよりも大切だ。世の中の空気を肌で感じ,あらゆるモノゴトに敏感になること。それが,全ての原点である。(p5)
 やはり人間はおもしろい。愚かだし醜いけど,かわいらしいし美しくもある。立川談志さんは「落語とは人間の業の肯定である」という名言を遺したが,週刊文春も全く同じ。(p16)
 あらゆる仕事の原点は「人間と人間の付き合いだ」ということを忘れてはいけない。相手をネタや情報源として見たら,スクープは獲れない。(p16)
 情報は全て「人」から「人」にもたらされる。「人」が寄ってくれば,「情報」が集まってくる。(中略)そして人が集まってくるような場を作るには,「一緒にいるとおもしろいことができそう」と思ってもらえることが大切なのだ。(p19)
 私はSNSのたぐいは一切やらない。(中略)本当の信頼関係はSNSでは築けないというのが大きな理由だ。SNSが普及したことで,人間関係も「ストック」ではなくて「フロー」になっているように思う。多くの人とつながっているように見えるが,個々の人間関係はものすごく浅い。(p20)
 こういったときに大切なのは図々しさだ。相手のやはり忙しい。本業をやりながらなので,私の相手なんかできないのもわかる。それでも臆せずに接触することだ。(p25)
 基本的に「情報はギブアンドテイク」だ。特にその濃密な情報コミュニティに入るにあたっては「教えてください」だけではダメ。(p26)
 人に会う前に我々はどんな準備をしているのか。まず,これから会う人に著書があれば読んでおき,相手がどういう人かを予め把握しておくことは大前提だ。ネットを使った情報収集も必要だろう。一方で,予備知識に縛られてはいけない。(p35)
 どの世界でも何かを成し遂げた人には独特の雰囲気がある。会えば,それはすぐにわかる。編集者,記者にとって,そういう人の謦咳に接することはかけがえのない財産だ。我々は会った人によって鍛えられる。(p37)
 私は苦手な人は少ない方だと思う。ちょっと癖がある人であっても,最初から腰を引くようなことはしない。そして,誰が相手でも,偉い人であってもなるべき直球でものを言うように心がけている。(p38)
 苦手な人と立て続けに会っていると,自分のテンションも落ちてくる。疲れてしまう。やはり,会って元気が出る人と会いたいものだ。(p39)
 編集者や記者は多くの人と長期的な信頼関係を築くことが大切だ。そのためには日常的な「マメさ」が求められる。(p43)
 人間なら誰でも,自分の国が良くなったほうがいいと思っているはずだ。そのために,それぞれの持ち場,それぞれの立場で汗をかいているわけだ。よって,わかり合えるところは必ずある。(p44)
 日々いろいろな世界のキーマンとお会いするが,そういったすごい人には共通点がある。普通の人は「今度飯行きましょう」とか「また改めて」というセリフを社交辞令として言いがちだ。しかし,私が尊敬するすごい人たちは,社交辞令で終わらせない。「やりましょう」と言ったら,すぐ「じゃあ,いつやろうか?」と日程調整に入るのだ。(中略)このスピード感には感動した。大組織のトップになってもアクセスは速く,フットワークは軽い。(p46)
 もうひとつすごい人に共通するのが「肩書きで人と付き合わない」ということだ。(中略)振り返ってみると,付き合いが長く続く相手に共通するのは,お互い立場は違うが,「何のために働くのか」について共感できるという点だ。(p48)
 事件はたいてい表と裏の狭間で起きる。(p51)
 この仕事は正直に言って,真面目な人,オーソドックスな感性の人はあまり向いていない。誰もが考えつくようなことを言っても「それはそうだよね」で終わってしまう。お金を払ってもらえるようなコンテンツはなかなか作れない。(p56)
 企画の発端は,こうした雑談から始まることも多い。そこで大切なのは「おもしろい」と思ったら,すぐに一歩を踏み出してみることだ。そのままにしておかない。「実現できたら,おもしろいな」と思ったら,まずやってみることが大切だ。(p59)
 私は,人がやったことのないようなことをやるのが好きだ。見たこともないようなものを作るのが大好きだ。そこに大きな喜びがある。(中略)予定調和はつまらない。最初から見本や感性予想図があって「そのとおりにできてよかったね」ということの何がおもしろいのか。(p68)
 企画を考える上で大切なのは,常に「ベストの選択」をすることだ。「この人を落としたらすごいぞ」「このネタが形になったら世の中ひっくり返るぞ」と思ったら,そのベストの選択肢から絶対に逃げないことだ。(p71)
 組織というのは大きくなるほど「結果が読めない」ものに対して臆病になるのが普通だろう。売上げが立つのかどうかわからないものに投資することを嫌う。しかし,「読めない」からこそおもしろいのだ。(p72)
 すごいマーケティングだなと思うのは,光文社の「VERY」だ。あれは究極のマーケティング雑誌と言えるだろう。ほぼ読者と一体化している。読者に根ほり葉ほり聞くだけ聞いて,実在の女性が浮かんでくるような誌面作りをしている。あのリアリズムはすごい。そして,今の時代にうまく合っている。(p76)
 では週刊文春も同じように,いろんな人に「どういう記事を読みたいですか?」と聞いて回ればいいかと言えば,それにはほとんど意味がない。それをしても,今までに見たおもしろかったものをベースに語られるだけで新しいものは生まれないからだ。我々が求めているのは「見たこともないもの」であり「誰も予想がつかないもの」だ。(p76)
 週刊文春については性別や年齢層などはあまり考えない。そうではなくて「文春的な切り口,文春的なテイストが好きな人たち」がお客様だ。(中略)従来の「マーケティング」のようにカテゴリー分けしすぎると雑誌はつまらなくなる。(p77)
 雑誌作りにしても何にしても,最初にガチッと設計図を固めてしまうと,「それを守ること」が仕事になってしまう。そのとおりに作ることが,ある種のノルマや義務になってしまう。だからつまらなくなってしまうのだ。設計図がないからおもしろい。何が起こるかわからないから,やる気が出る。まっさらな新雪を踏みしめるようなワクワク感が大切なのだ。(p78)
 辛い時期こそ,フルスイングする勇気を忘れないことだ。本当に辛くなってくると,過去の成功体験に縛られてしまう。(p80)
 おもしろいか,おもしろくないか。当たるか,当たらないか。最後は自分の中の「驚き」が重要な判断基準である。(p82)
 常に「本音」で「本当のこと」を伝えることが信頼につながる。(中略)芸能界は最たるものだが「強い事務所はやらない,弱い事務所ならやる」というのが当たり前になっている。今,ネットをよく見る人であれば,「本当のこと」に気がついてしまっている。(p83)
 ユニクロの企画のように「独自の戦い」が軌道に乗ると強い。なぜなら,週刊文春からしか基本的に情報は出ないからだ。週刊誌に限らず,あらゆるビジネスにおいて「自分でリングを設定し,主導権を握ったところ」が勝つ。(中略)ビジネスがうまくいっていないときほど,他人のリングで戦おうとしてしまう。それではどんどん縮小していくだけだ。(p84)
 まず先に考えるべきは,圧倒的に「おもしろいかどうか」だ。「売れる」ことは目指すが,順番はまず「おもしろいかどうか」が先。(p86)
 企画の良し悪しを見極めるひとつの大きなポイントは「見出しが付くか付かないか」だ。(p90)
 その人の核心,本質,しかもあまり触れられたくない部分を,ビシッと突く。そして,そこをいかに広げていけるか。(p91)
 その考え方の全ての源にあるのは「どうなるのだろう?」という不安ではなく「どうするのか」という意志である。前向きに考えること。そして,攻めの姿勢である。(p94)
 どんなプロジェクトでもそうだが,熱がないものはうまくいかない。現場にひとりでも「これを成功させたい」と強く思っている人がいないとダメだ。(p101)
 実現したいことがあったら,難しそうでもまず頼んでみることが大切だ。最初から可能性の幅を狭くしてはいけない。(p104)
 告発者は途中で必ず揺れる。一度決断しても不安になって前言を翻すことがままある。相手が強大な権力を持っている場合はなおさらだ。そんなとき記者にできることは,何時間でも告発者に寄り添い,話を聞き,共感を示すことだ。(p111)
 「何のために働いているのか」を示すのは,リーダーの仕事でもある。菅義偉さんが官房長官としてあれだけの高い評価を受けているのはなぜか。菅さんのもとで働いている人たちに話を聞くと,共通して返ってくる答えがある。「菅さんの指示にはゴールがある」と言うのだ。(p114)
 私は,誰かに会うときは常に「一期一会」だと思っている。「次に会うときに聞けばいいや」というのではダメ。聞くべきだと思ったことは,その場で聞かなければならない。(p117)
 言いにくいことは聞きにくいことほど,率直に伝えるべきだ。(中略)そして,相手にとってマイナスな情報ほど「早く」伝えたほうがいい。なぜなら,その分早く状況を修復できるからだ。(中略)ただし,誠意を持って,相手のプライドが傷つかないように工夫をすることが大切だ。(p118)
 政治とは人間がやるものだ。よって,政治を書くということは人間を書くということだ。その政治家を一人の人間として知り尽くしていなければ,本当の政治は書けない。そういう意味で,彼(山口敬之)が書いた『総理』という本には,切れば血が出るリアルは政治が描かれている。よく,総理を会食する記者を「御用記者だ」と批判する人間がいるが,私からすると全くナンセンスである。(p124)
 職人肌の編集長,デスクほど,「美しい雑誌」を作りたがる。だが,週刊誌は美しさより鮮度。突貫工事でもイキのいいネタを突っ込むべきなのだ。(p133)
 自らの決断に縛られてもいけない。目の前の「現場」は生き物であり,刻々と複雑に変化を続けている。リーダーはブレることを恐れてはならないのだ。(p152)
 社員と特派で違う点があるとすれば,社員は「何でもできる」のが基本だ。(中略)特派に関してはなるべく専門性を持たせる。(中略)うちの特派は「50歳」を定年としているが,彼らが定年になったときに,政治ジャーナリスト,芸能ジャーナリスト,医療ジャーナリストとして筆一本で稼げるように専門性をしっかりと身に付けてもらっている。(p158)
 この指揮命令系統は絶対だ。編集長がデスクを飛び越えて現場の人間に指示することはない。デスクがカキを飛ばしてアシに指示するのもNGだ。重要な指示ほどそれは徹底される。(p159)
 編集長はとにかく「明るい」ことが重要である。(p165)
 花田(紀凱)編集長は「超楽観主義者」だ。明るく前向きで,雑誌が本当に好きなことが伝わってくる。(中略)「出してから考えよう」と言われたときに「これか」と思った。まさに花田イズム。出してから考える。揉めたら,そのときは何とかする。このノリがイケイケの花田流の原点にあるのだ。(p166)
 花田さんは身内ではつるまない人だった。デスクや現場の人間と飲みに行くこともほとんどなかった。彼の世界は外に向かって開けていたのだ。いろんな分野の人と,毎晩つき合っていた。(p168)
 チームでする仕事では,常に現場の最前線の記者たちに最もダイレクトに負荷がかかる。編集長はその状態をきめ細かく把握しておかなければならない。(p169)
 デスクたちが私の企画に対する違和感を口にしやすい,異を唱えやすい雰囲気を作ることが大事だ。よって,私は,そういう耳障りなことを言われても真摯に耳を傾けるように心がけている。(p172)
 大切なのは現場を責めないことだ。そこで責めたら次のトライをしなくなってしまう。(p174)
 結果がダメであっても,客観的な事実はそのまま受け止める。自分が見たい現実ばかり追い求めていたら,必ず失敗する。(p174)
 もうひとつリーダーが厳に慎むべきは,部下からの報告に「そんなことは知っている。俺のほうが詳しい」と張り合うことである。こういう上司はどの世界でも意外に多い。(p174)
 リーダーシップの根源は何だろうか。私は「信頼」であると思う。(中略)部下に信じてもらわなければならないし,自分も部下を信じなければならない。スクープとは,そもそも「信じて待つ」ことから生まれるものだ。(p179)
 リーダーの首は差し出すためにある(p184)
 舛添さんの会見で「どうすれば舛添さんは辞めてくれるんですか?」と聞いたテレビ局の人間がいたが,あれは傲慢そのものだ。(p192)
 政権に問題があればファクトで武装して戦うべきなのだ。メディアの武器は,論よりファクト。それこそが報道機関による権力との戦い方である。(p193)
 我々は「たかが週刊誌」だ。一週刊誌が「大臣の首をとってやる」なんて,そんな傲慢な姿勢で雑誌を作ったら,世間はそっぽを向くだろう。(p193)
 SNSが発達してくると,有名人も自分で発信をするようになる。有名人自身がメディアになると,自分にとって都合のいいことばかりが発信される。(p195)
 最近,メディアでも敵味方で世の中を分けすぎているように感じる。応援団は応援し続けて,批判する側は批判し続ける。いずれも「自分たちが見たい現実」を見ようとするから,彼らから発信されるニュースにはバイアスがかかる。(p197)
 報じられた側の気持ちがわからなくなったら,おしまいだ。そこに創造が及ばなくなったら,この仕事をやる資格はない。(p199)
 学級委員が作るような雑誌になると,週刊誌は途端につまらなくなる。学級委員が正論を吐いても,誰も読まない。(中略)新聞社系の週刊誌が陥りがちなのはそこだ。(p201)
 そもそもゴシップを楽しむというのは古今東西見ても,ひとつの文化だと思う。偉そうな人,気取っている人をおちょくって,世の中のガスを抜き,憂さを晴らす。それも週刊誌にとって大切な役割であることを私は否定しない。(p206)
 昨今のメディアに関する議論を見ていてまず言いたいのは,「外見についての議論が多すぎる」ということだ。「4Kか8Kか」「デジタルか紙か」といった議論は,外見の話だ。大切なのはあくまで中身。(p228)
 組む相手を選ぶ際,重要な条件が二つある。ひとつは相手が「熱」を持っていることだ。熱がある同士でぶつからないと,おもしろい化学反応は生まれない。(中略)もうひとつの条件が自分たちと対極にある相手を選ぶことだ。そのほうが相互補完的な関係が作れるし,メリットは大きい。(p236)
 川上(量生)さんは感覚が編集者っぽい。常に逆張りを意識している。みんなが「右」というときにあえて「左」を見ようとするのは編集者にとってすごく大切なセンスだ。(p237)
 これまでは情報の発信者であるテレビ局が視聴者に対して圧倒的優位に立っていた。「この番組を見たいなら,何曜日何時に何チャンネルに合わせろ」と。ところが今では,見たいときに見られなければ,「もういいや」となりかねない時代なのだ。(p239)
 紙と心中するなどという後ろ向きの発想は,週刊文春をどんな形であれ読みたい,と心待ちにしてくれている読者に対して無責任だと考える。(p239)
 出版界全体では雑誌は苦戦しており,5年,10年と長い目で見たときに現在の規模で存続するのは非常に厳しいだろう。紙の体力があるうちに新たなビジネスモデルを確立しなければならない。(p242)
 なんでもPV数でランキング化しえしまう「ネット民主主義」には,悪化が良貨を駆逐するリスクが常にともなう。(p247)
 大切なのは,なにごとも全力でやりきることである。読者のなかには,意に沿わない職場で悶々としている人もいるかもしれないが,それでもその場で「フルスイング」していれば,かならず仕事はおもしろくなり,突破口が開けるはずだ。やるからには徹底的にやることだ。受け身でなく,前のめりで攻めるべきなのだ。(p255)

2018年11月25日日曜日

2018.11.25 潮凪洋介 『人生は「書くだけ」で動きだす』

書名 人生は「書くだけ」で動きだす
著者 潮凪洋介
発行所 飛鳥新社
発行年月日 2014.11.29
価格(税別) 1,204円

● また,こういうものを読んでしまった。書くだけでは人生は動き出さないと思う。著者が告白している。
 なぜ社会人クラブをつくったかというと,「生きることを楽しむためのオフタイムの提供」こそが私の生きる心情だったからです。これは「書く作業」をする以前からの一貫した生き方の「柱」でした。(p65)
● 他にも転載。
 未来を想像して文字にしようにも「こんな暮らしがしたい」「こんな人生を送りたい」「こんなところに住みたい」といった希望もあいまいで,明確に書き出すことなど難しすぎてできませんでした。けれど,今にして思えば,自分の心の声など,最初は「その程度のもの」なのです。(p36)
 「書くこと」で人生を変える! これを実現するために大切なことがひとつあります。それは文字に自分の「感情」をのせるということです。心から感情をすくい上げ,それを文字に込めて書くのです。(p42)
 少し慣れてきた人は,次にブログやSNSなどで自分の気持を書きつづってみてください。「自分の思いを伝えたい!」という「ワクワク」「パッション」だけを素直に書きます。技法なんかどうでもいいのです。(中略)文字そのものが,自分の心のエネルギーの塊だと思って,絞り出すように,そして紙やキーボードにエネルギーの塊をぶつけるように書き出してください。(p43)
 悩みの正体を具体化せずにモヤモヤと悩み続けるのは,時間のムダです。(中略)私も「あ,モヤモヤしてきたな」と思ったときは,そのモヤモヤの正体をはっきりと文字にするように心がけています。しかもなるべく早いうちにそれを行います。「文字にするほどでもないな」そう思っているうちに,悩みはどんどん大きくなってしまいます。(p80)
 自分が目標にする人を思い出しながら,「あの人ならどうやって解決するだろう?」と,その人になりきって想像することで,問題が解決することがあります。(中略)自分ではいつもと違う観点から考えているつもりでも,やはりどこかいつも似通った考え方をしています。このパターン化により,なかなか問題が解決できないことも多いのです。(p83)
 悩みや苦しみを書く頻度は10回に1回程度にしましょう。ネガティブな書き込みは,あなた自身を「ネガティブ」でるかのように印象づけてしまいます。(中略)言葉ならまだしも,文字でネガティブな表現をすると,そのマイナスパワーは会話の何倍にも増強されて他人に伝わってしまうのです。こうなれば,幸運とは逆のものを引き寄せてしまいます。(p92)
 心が躍動した瞬間こそが「書き時」です。そのときを見逃さずに,実況中継をするような「瞬間日記」を発信してみてください。(p95)
 誰かの不便を解決する方法を発信するだけで,私は人々の役に立ち,そして彼らからの信頼を勝ち取ることができるのです。(p98)
 ここで大切なポイントがあります。それは「小学校6年生に説明するつもりで書く」ということです。あなたはその道の専門家です。あなたが当たり前に思っていることでも専門外の人には難しく感じてしまいます。(p99)
 「共感を得られる文章」と「得られない文章」とでは何が違うのでしょう。答えはとてもシンプルです。それは「体験に根ざしたものであるかどうか」に尽きます。(中略)どんな文章でも,人の心を打つ文章はその文章の中に「書き手の体験」そして「息遣い」が必ず存在しています。(p101)
 人生を充実させるためには自分が主役になれるステージを持つことが先決です。ブログ発信をすることで,こっそりと,水面下から「ゆるいリーダーシップ」あるいは「ファンコミュニティ」を創造してみましょう。(p128)
 さらなる高みを目指すのであれば,あえて「自分の書いた文章を人目に晒してみる」ことです。ブログで発言した瞬間,あなたはプロの書き手ではなくとも,そこで自動的に「公の人」になります。(p129)
 常に「読者のメリットになることを書く」ということです。「知って得したな」「読んで問題が解決したな」「なんか心のモヤモヤが消えたな」など,「読者にメリットを与え続ける」ということです。(p131)
 今の景色の外側に出ることです。それだけで,書きたいことがとめどなく湧き上がってくるはずです。(p138)
 この快楽の感情は文字に「言霊」としてのり,読者の視覚に飛び込み,その人の脳の中までその波動を伝えます。(p140)
 自分の気持ちが酔えない,書いていてもワクワクしないテーマはどんどん切り捨ててほしいのです。(p142)
 コンプレックスや挫折と向き合い,乗り越えた話は,自分の人生経験を体系化してマニュアル化する知的財産の整理作業であり,さらには読者を勇気づける「宝の山」なのです。(p149)
 「眼の前に好きな人」がいることを想像し,その人に話しかけるつもりで書く(p162)

2018年11月24日土曜日

2018.11.24 松浦弥太郎 『明日,何を作ろう』

書名 明日,何を作ろう
著者 松浦弥太郎
発行所 KADOKAWA
発行年月日 2017.04.21
価格(税別) 1,400円

● パスタ料理がいくつか出てくる。ぼくは市販の乾麺を茹でて,これまた市販のレトルトのミートソースを温めてかければ,充分以上に旨いと思っている。だから,そうしている。
 さすがに麺から作るわけではないけれども,ソースを手作りする著者と,レトルトですませるぼく。基本の姿勢が違うということ。

● 以下にいくつか転載。
 おいしいものほどレシピはシンプルなのだ。(p47)
 「どうして毎日こんなに熱心にディスプレイをしているのですか」と聞くと,おじさんは「働くことを自分がこんなに楽しんでいるってことを,お客さんに伝えたいんだよ。新鮮な食材を売るだけではつまらない。とにかく,人というのは,楽しんでいる人のところに集まるものだと祖父に教わったんだ。(中略)」と答えた。(p120)
 朝,手作りのジャムがテーブルにいくつも並んでいる光景をぼんやり見て,ああ,なんてささやかな,しあわせなのだろうと思う。そして,たったそれだけのことだけれど,そのジャムが手作りであるという贅沢を思い知る。(p155)
 料理のおいしさとは,口に入れた時は,それが何味なのかわからないくらいの淡さがよくて,鼻や舌や喉の感覚を使って,自分のちからで味を探して,それを見つけた時が「おいしい」ということであると聞いたことがある。(p157)
 それは料理する人の心持ちで変わるように思う。食べている時においしいものを作ろうとするか,食べ終わってからの後味がよいものを作ろうとするかの違いである。または,空腹を満たすだけのものか,心を満たすものにするかとの違いである。(p158)

2018.11.24 『iPhone10週年完全図鑑』

書名 iPhone10週年完全図鑑
編者 村上琢太
発行所 枻出版社
発行年月日 2018.03.30
価格(税別) 1,200円

● iPhoneが存在していなかった時代に,どうやって暮らしていたかわからないという人も多いのではないだろうか? という文章が出てくる。本当にそうだと言う人は多いだろう。
 ぼくはAndroidユーザーなのだけど,そこまでじゃない。スマホよりパソコン依存度が高い。スマホを使いこなしているとは言えない。

● 「あなたが書いた一文を,数分後には何十万人という人が見ているかもしれない,というある意味とてつもなく民主的な情報社会がやってきた」(p14)というのもよく言われることで,それはそのとおりなのかもしれないのだが,そういうマスメディア的なことが起こるのは,発信者がすでに有名になっている人の場合に限られる。内容よりも誰が言ったかが情報の流通力を決める。
 ちなみに,情報発信ということならば,FBよりツイッターの方がいいと思う。言いたいことを言える。

2018.11.24 堀江貴文 『刑務所わず。』

書名 刑務所わず。
著者 堀江貴文
発行所 文藝春秋
発行年月日 2014.01.10
価格(税別) 1,200円

● 刑務所は普通の世間なのだな。本書に登場する,ミスター不機嫌や傭兵さんやガチマジ先輩や親切さんはうちの会社にもいるよ,と。
 さしもの堀江さんも刑務所ではパンピーで,そのパンピーぶりも本書の面白さの大きな部分。時に大笑いしながら愉しめる読みもの。

● 以下に転載。
 結局,いちばん大変なのは人間関係なのだ。刑務所は完全な体育会系タテ社会。刑務官(いわゆる看守です)や,受刑者の先輩との関係は,かなり面倒であった。受刑者のなかには,人間関係に疲れ果て「独房や禁錮刑の方が楽」と思っている人すらいるくらいなのである。(p30)
 私も,収監前はトイレ掃除も自分ではしなくていい生活だったけど,老人のうんこを素手でつかめるようになった! これってすごい経験値だ。(p32)
 私が刑務所内で精神的に病まなかったのは,人と会話ができたから(p40)
 刑務所の中でもいじめは存在する。みんな懲罰が怖くていじめられっ子をかばったりできないので,シャバよりもっと陰湿かもしれない。(p55)
 つまり刑務所ってのは,かなり属人的な運用がされているってこと。その人次第,という部分も大きいのだ。(p60)
 刑務所に入ったら,とにかく本を読むぞ! と決めていた。結果として漫画も含めれば,1年9か月で1000冊以上読むことができた。(p98)
 刑務所にいる人たちの多くは,別に極悪非道でも奇人変人でもなくて,普通の人たちだった。1年9か月しかいなかったけれど,それはすごく思った。本当に普通の人だな,と。(p110)
 だから政府補助ってダメなんだよ! 向上心を持ってリスクを取って自分の安定した暮らしとか捨てている奴にしか補助を出しちゃダメ! と思ったりするが,そういう人たちって元から政府の補助とかアテにしないの。(p130)
 新聞を読んでいたら来年の手帳の売れ行きが好調らしい。手で字を書くのってキーボードやスマホのフリック入力より時間がかかるから,私はイライラしてしまうんだけど,多くの人は手書きの方が早いのかな?(中略)実際,ムショのなかで手書きしか許されてなくて,超イライラしているもん。書くスピードが考えるスピードに追いつかないからね。(p131)
 最近は,カラーコンタクトレンズをブログで芸能人に紹介させて売るのが儲かっているらしい。(中略)「オタクが作って,ヤンキーが売る」の法則。(p149)
 「食料自給率の向上」原理主義者は自給率向上がよいことだと信じ切っているから始末に負えない。農業生産は適材適所,供給地の多様性確保も大事だと思うし,ほどほどでよいの。ムダ金を使ってまで推進すべきことではない。自給自足じゃあ効率悪いし,何よりこの世界人口は養っていけないし,自給率100%を超えている地域の農産物は,どこかの国,地域が消費しないとそれこそ無駄だらけ。(p163)
 笹子トンネルの天井板崩落事故は,また弁護団が刑事告発しようとしているらしい。真相解明や再発防止には,関係者を面積扱いにして,洗いざらい調査委員会に語らせること。でないと,刑事処分を恐れて肝心な所を関係者は話さなし,当局は勝手なストーリーをでっち上げる癖があるから。(p169)
 AKB48峯岸みなみの坊主頭。あの情けない顔は笑いのツボだ。秋元さんは話題作りが上手い。アイドルの邪道プロデュース術。『週刊文春』が手玉に取られている。(p176)
 会社を辞めて唯一よかったと思うことはゴルフを覚えたことだな。食わず嫌いはよくないね。一生楽しめるスポーツを持つってこと,一緒に楽しめる仲間がたくさんいるってことがいかに大事か。(p195)
 年寄りの世話をしていて思うのは,体の不自由な人とか盲目の人は,むしろ自分の体の限界を潔く理解して,介護に身を任せてくれるので比較的手がかからないってこと。厄介なのは耳が遠い人だ。ほとんど聞こえないのに,わかったフリをして実は全然判ってないから始末に負えない。(p197)
 パイロット免許の為に気象の勉強をしていると「気象予報士になれば?」なんて言う人が多いんだけど,何故? なんというか,日本人の「資格信仰」を感じるよね~。飛行機だって必要ないなら免許を取得しないし,何でも「資格」が必要だって思われている現状は,天下り官僚や利権屋の思うツボだってのがわかんないかな~。(中略)不要な資格はできるだけ廃止して自己責任を徹底すべきだ。(p205)
 最近の警察・検察は自らの存続の為に犯罪者を“作り出している”としか思えない。(中略)やっぱ,リストラすべきなんじゃないかね。マスコミも(特に社会部)ネタが欲しいから「治安が悪化」してるかのようなデマを流しているし。殺人事件も交通事故も年々減少傾向にあるのに。(p207)
 アベノミクス効果で好景気だそうだ。でも,景気ってのは完全に気持ちの問題。日本の株式市場が好調なのは,円安の進行で他国通過ベースで割安になったせいであって,外国人の資金が流入してきているからだ。(p221)
 バブルは必ず起こるし,もう今の日本はバブル化が始まっている。雑誌・ウェブメディアはわかりやすい。どの会社の株が上がるか,という下らない記事ばかりだからだ。こんなものを読んで上手くいくのは博打で儲かるのと同じぐらいの確率だ。バカめ。(p221)
 正直刑務所のスカスカのスケジュールで毎日嘘みたいに長い睡眠時間を取っているし,十分のんびりしているから出所したらフル回転で働きたいんですけど・・・・・・。わかってもらえないのよねぇ・・・・・・。(p228)
 Appleストアで新しいMacも買おうかとおもったけどやめた。どーせテキストファイルしか俺は扱わないし。(p239)
 そんな刑務所生活であるが,あの1年9か月の事を私はすでに忘れつつある。仮釈放されたからの生活の密度の濃さと比べて一日がゆっくり流れていたということもあるだろう。(p255)

2018年11月22日木曜日

2018.11.22 岸見一郎 『三木清『人生論ノート』を読む』

書名 三木清『人生論ノート』を読む
著者 岸見一郎
発行所 白澤社
発行年月日 2016.06.30
価格(税別) 1,800円

● 所々,難解。『人生論ノート』も高1のときの担任の先生が熱烈推薦してた。
 当時読んでも???だったと思うのだが,高校の現代文の教科書には,今思うと,かなり高度な文章が並んでいたな。柳田國男『清光館哀史』とか。
 自分の読書歴の質的ピークは高校の教科書だったかもしれない。

● 以下に転載。
 親しい人が鬼籍に入ると死というものは怖いものではなくなる,そういう気持ちになるというのは事実あることです。(p31)
 我々は我々の愛する者に対して,自分が幸福であることよりなお以上の善いことを為し得るであろうか。(三木 p58)
 愛するもののために死んだ故に彼等は幸福であったのでなく,反対に,彼等は幸福であったが故に愛するもののために死ぬる力を有したのである。(三木 p60)
 子どもの進学に自分を賭けているという母親は多いようです。しかし,子どもとはいえ,他人です。他人に自分を賭けてどうするのでしょうか。結局,わが子が有名な学校に進学したことを誇りたいということであれば,それは三木のいうとおり「有閑の婦人の虚栄心」だということになるでしょう。(p78)
 自分の考えがあっても,人に合わせてしまう人が多くいます。ある状況でどうするかを自分では決められないので,そこで,他の人の出方を見て追随する。その人たちはその場の,あるいは社会の,時代の空気を読んで行動しているつもりでしょうが,これはまさに三木のいう「虚栄心から模倣し,流行に見を委せる」ことになってしまいます。(p94)
 私が,私が,といっている自分本位の人は,実は個人ではないのです。アドラーの考え方では,関心が自分の方にではなく外に向いていないといけないのです。(p96)
 怒りは人と人を引き離す感情です。(中略)これは子育ての場面で大人がよくおかしてしまう間違いで,叱ることで関係を遠くしておいてから子どもを支援しようとしてもほとんど不可能です。(p128)
 怒りを始めとする感情的な手段に訴えなくても,それについて言葉で説明すればよいのです。そうしないのは,感情は人を支配し,言葉の力が及ばないと考えているからであり,自分が感情に支配されると考える人は,他の人も感情によって支配いうると考えているからです。(p131)
 生理学のない倫理学は,肉体をもたぬ人間と同様,抽象的である。その生理学は一つの技術として体操でなければならない。体操は身体の運動に対する正しい判断の支配であり,それによって精神の無秩序も整えられることができる。(三木 p137)
 すべて小さいことによって生ずるものは小さいことによって生じないようにすることができる。しかし極めて小さいことによってにせよ一旦生じたものは極めて大きな禍を惹き起こすことが可能である。(三木 p138)
 誠実ということを私なりに説明するなら,自分をその状況に参与させること,となるでしょう。混沌から秩序が形成されていくのを離れたところからながめているのではなくて,自らも混沌に秩序をもたらそうと努力することです。(p151)
 孤独は山になく,街にある。一人の人間にあるのでなく,大勢の人間の「間」にあるのである。(三木 p167)
 誰かとお付き合いを始めた時に,相手がどれほど熱烈な愛情を捧げても,ほんとうは愛されていないのではないかと不安に感じるということがあります。相手の愛の言葉を無条件に信頼することができない。それは自分に自信がないからです。(中略)個性的な人とは,自分で自分の価値を見出だせる人です。自分のよさ,価値について,他の誰かからそれを認めてもらう必要がない。(p189)
 過去を思い出している現在がある。現在の関心に照らして思い出されている過去は,過去そのもの,絶対的な過去ではない。今の自分にとって必要な過去,現在の自分にとって都合よく意味づけられた過去でしかない。いま,世間でいわれている「伝統」とはそういうものでしょう。(p204)
 カウンセリングに来られる人たちが過去を持ち出す理由は,現在の自分の正当化です。今の私がこんなにたいへんな思いをしているのは過去のあれやこれやの出来事があったからなんだというのですが,それにこだわっていても問題が解決しない。(p206)

2018年11月18日日曜日

2018.11.18 岸見一郎 『プラトン ソクラテスの弁明』

書名 プラトン ソクラテスの弁明
著者 岸見一郎
発行所 角川選書
発行年月日 2018.08.27
価格(税別) 1,500円

● 高1のときの担任の先生が『弁明』を読めと熱心に勧めていた(数学の先生だった)。で,岩波文庫を買ったんだけど,読まないまま老境に至り,やっと岸見一郎さんの訳と解説で読むことができた。
 ソクラテスが語っているのは,無知の知と,自分の付属物(財産,地位)を自分より優先することの怯懦。

● 70歳で死刑が決まったとき,ソクラテスには3人の子どもがいた。うち2人は幼児。ということは,ソクラテスは精力絶倫の人であったかと思われる。
 彼の哲学を考えるときには,こういうフィジカルな部分を等閑に付すべきではないと思う。

● 以下にいくつか転載。
 ソクラテスは自分が語ることが正しいか,そうではないか,そのことだけに注意を向け,よく考えることを要求しています。ソクラテスにとって重要なことは,話に説得力があるかどうかではなく,「真実」が語られているかどうかです。(p32)
 結論ありきで始まる討論は,そこに至る議論がどれほど論理的でも,議論の全体は結論を導き出すためのものでしかなく,まさに論じるべきことにはいささかも手をつけられていないのです。(中略)結論の正当性が揺らぐとそこに至る議論も瓦解することになります。(p49)
 ソクラテスは「知を愛し求める人」であって,「知者」ではないのです。(p75)
 長く話すソフィストのプロタゴラスとは違って,ソクラテスは問答による対話をしたのです。(中略)この方法で対話を進めていけば,互いに相容れない立場であっても相違点は実際にはあまり多くはなく,多くの点では考えが一致していることがわかってきます。(中略)他の人と話す時だけでなく,思考する時も,心の中で語り手が同時に聞き手として対話をするのです。(p90)
 死を恐れるということは,諸君,知恵がないのにあると思っていることだからだ。つまり,知らないことを知っていると思うことである。なぜなら,誰も死を知らないからだ。死はひょっとしたら人間にとってすべての善きものの中で最大のものかもしれないのだ。それなのに,悪いものの中で最大のものであると知っているように恐れているのだ。とはいえ,どう見ても,これがかのもっとも不面目な無知でないことがあろうか。(ソクラテス p112)
 ここでいわれる「善」は「ためになる」「有益なもの」という意味です。「悪」は,その反対で,「ためにならない」「無益なもの」という意味です。(p119)
 裁判を膨張していたプラトンは,ソクラテスが死刑判決を受けるのを見て,アテナイの民主制に対していよいよ批判的になっていったでしょう。(p171)
 やがて大学院を終え,渡しは奈良女子大学でギリシア語の講義をすることになりました。四月にα,β,γから学び始める学生が秋には『ソクラテスの弁明』を読めるようになりました。受講生は毎年,二,三人しかいませんでしたが,古典の購読に毎回膨大な時間をかけて臨む学生を誇りに思っていました。(p206)

2018年11月15日木曜日

2018.11.15 成毛 眞 『日本人の9割に英語はいらない』

書名 日本人の9割に英語はいらない
著者 成毛 眞
発行所 祥伝社
発行年月日 2011.09.06
価格(税別) 1,400円

● 7年前の出版。楽天とユニクロが社内公用語を英語にすると言い出したことに対して,小気味よく一刀両断。言語を明け渡すことは,文化や思想を乗っ取られることであって,わざわざアメリカの植民地になってどうするのか。
 社内言語の英語化って,その後どうなったんだろうね。なし崩しにチャラにした?

● 以下に多すぎるかもしれない転載。
 英語は普通の科目ではいい成績を取れない人のための救済科目になっている可能性がある。得意科目を聞かれて「英語」と答える人は,自分は物覚えがいいだけのバカだと公言しているのだと自覚したほうがいいかもしれない。(p19)
 必要だから覚える。それが自然であり,必要でないのに覚える人は自分のしていることの無意味さに気づいていないのだろう。(p22)
 追いつけ追い越せで先進国を追いかけている途上国は英語が重要だが,日本は追われる立場なのである。日本はこれから成熟を目指すべきであり,どこかの国をまねて追いかける必要などない。(p32)
 外資系企業とつきあいのある私ですら,この1年で外国籍の人と交流したのは数えるほどである。外国人はおろか,九州の人ともさほど交流などしていない。(中略)同じ国民同士ですら交流をもたないのに,なぜグローバル化が進むと,アメリカ人やイギリス人と交流するという発想になるのか不思議でならない。(p38)
 語学に関しては“泥縄”でいいのではないかと思う。(中略)英語はペットボトルの水とは違い,備えにはならない。(中略)英語はいつか話すであろうときのために習っておいても,ずっと覚えてはおけない。普段使わない語学は,使わないとあっという間に忘れてしまうのである。(p41)
 そもそも中国の非識字率は今でも増え続け,2000年から2005年の間に3000万人増え,2005年末時点で1億1600万人に達し,世界の非識字率の11.3%を占めている。英語ができる・できない以前に大きな問題を抱えている国なのである。(p45)
 英語を母国語としない人が,自国にいながら易々と他国の言語を受け入れるのは,想像以上に危険な行為である。言語を受け入れたら,文化も受け入れることになる。(p46)
 日本に何十年も住みながら,日本語を一切使わないのをプライドのようにしているアメリカ人もいる。(p47)
 英会話スクールは日常英会話を教えるのがきわめて下手である。英会話スクールの講師は,日常会話で使われる単語やセンテンスを覚えさせず,英語で会話をしているフリをさせているだけである。(p51)
 母国語がしっかりできていれば,何歳で学んでも外国語は習得できる。20歳を過ぎてからの語学は,いつスタートしても同じだろう。(p58)
 ツイッターでは楽天社員だと思われる人が,「『重要なことなので日本語で失礼します』という言葉が流行ってきた」とつぶやき,ネットではちょっとした騒ぎになっていた。これが本当のことなら,最高のギャグだと思う。(p67)
 幹部社員はともかく,一般社員にまで社内で英語を使わせることに,何の意味があるのだろう。おそらく,海外赴任を経験しないまま会社人生を終える社員が大半である。なぜそんな社員まで社内で英語を使わなければならないのか,まるで拷問のような企画である。年に1回しか乗らないのに,マイカーを買うのと同じぐらいムダな行為である。(p68)
 それでももし語学を学びたいなら,マイナーな言語を覚えるほうがまだ付加価値になる。(中略)誰もやらないことにこそ,成功の芽が隠れているのである。(p77)
 まじめに話そうとするから英語が出てこなくなるのである。(中略)「まだサムライはいるのか?」と聞かれたら,「ああ,この間日光で会ったよ」とさらりと答えればいい。(中略)気楽に構えているほうが,海外でも人と打ち解けられる。そのために人とコミュニケーションをとるのではないだろうか。(p80)
 外資系企業のトップの3%はネイティブと同じレベルの英語力を求められるが,それも体当たりで学んでいくしかない。実際,デリケートな交渉などは事前に学んだ英語で乗り切れるものではなく,コミュニケーション力を駆使して解決するしかない。英語はコミュニケーションを補完するものであり,TOEICのスコアなどほとんど当てにならないのである。(p83)
 どこに国内の本社で自国の若者より他国の若者を多く採用する国があるのだろう。ほかの大企業もこれに追随したら,間違いなく日本国内は荒廃する。(中略)日本の若者を見捨てている企業は,こちらから見捨てるぐらいでいいと思う。(p86)
 森本(正治)シェフは,客は30%しか味が分からない,残りの70%は予約の電話から始まって店員の対応や店の雰囲気によって評価されると言い切っていた。(中略)森本シェフはまさにグローバルな視点を持っている。(中略)商機をつかむ才能に長けているのではないか。結局,どこの世界でもそういう人が勝ち残る。(p93)
 学問とは学び問うこと。ただ暗記するだけの授業は学問ではないし,テストで1番をとるための授業も学問ではない。日本の学校は学問をするために通う場所ではなく,学問の楽しみを奪うためにあるような場所である。だから大人になった今,学問に目覚めよう。(中略)六十の手習いということわざもあるように,学ぶのに遅すぎることはない。(p99)
 英語は単なる道具であり,身につけても生きる力までは養えない。学び問えない勉強なのである。(p100)
 学校教育にすっかり洗脳された日本人は,通って学ばないと身につかないと想いこんでいる。だが,歴史の研究家の講釈を聞くより,書物を読むほうが自分なりの歴史観を養える。基本的に,スポーツ以外は人から習わなくても自分自分の力で学べるものである。学び問うのは教師に問うのではなく,内なる自分に問いかけるのである。(p100)
 私は洋書をほとんど読まない。(中略)理由は単純明快であり,日本の翻訳文化が優れているからである。海外の面白い本はほとんどが翻訳されているし,翻訳されるまでのタイムラグも驚くほと短くなってきている。(p127)
 雑誌に関しては『ロンドン・エコノミスト』『モデル・エンジニア・マガジン』など,英語雑誌を月に4~5冊取り寄せて読んでいる。(中略)『モデル・エンジニア・マガジン』というのは,イギリスで出版されているミニチュア模型の雑誌だ。(中略)不思議なもので,自分の趣味に関するものとなると,たとえ単語がわからなくても,どんなことが書かれているのかが完全に理解できる。(p129)
 現地の言葉を早く習得したとしても,その時点での日本語の理解度に合ったレベルでしか習得できないのである。(p138)
 幼いころから多言語と接しているために,どの言語もまともに話せない,理解できないようになる状態を「セミリンガル」,最近では「ダブルリミテッド」ともいう。(p138)
 受験英語の弊害は,テストに関係ないことには見向きもしなくなるという点である。(p143)
 学生時代に何も考えずに暗記するという習慣が身につくと,自分の頭で考えようとしなくなる。考えるより,暗記の方が数倍も数十倍も楽だからである。受験勉強はいかに効率よく覚えて処理するかをトレーニングする勉強である。物事を味わい楽しむ余裕はなくなり,すべてがタスク(仕事)になる。(p144)
 インターナショナルスクール出身の人で,日本で成功した人の話などほとんど聞かない。(p154)
 英文が読めたり,書けたり,会話ができるだけで役に立つものではない。何を読むのか,何を話すのかというところで価値が生まれる。(p157)
 もし自分の世界観を広げたいのなら,本を広げればいい。世界中を旅して回るより,短時間で未知の世界に触れられる。(p160)
 直訳英語ではネイティブをカチンとさせてしまうのである。(p163)
 グーグルもいつかは陳腐な大企業になり,それについれて被害者であるメディア業界や広告業界も気を取り直して反撃に転じ,創業期のメンバーが退職し,やがて若い会社と新しいビジネスモデルの出現に呆然と佇むであろうことを確信した。それはまさにマイクロソフトが辿った道なのだ。(中略)マイクロソフトに比べ,グーグルは成長も早かったが,老化も早いのかもしれない。(p171)
 日常会話をマスターするなら,日常的によく使われるフレーズを覚えるのが効率的である。単語をひとつひとつ覚えるより,フレーズで覚えてしまうのである。(p198)
 英語の字幕付きまたは字幕なしの映画は,ヒアリング力を鍛えるのに使える。海外のテレビドラマもいいテキストである。(p201)
 語学の場合,実際に使ってみて恥をかくことで上達するような部分がある。現地でなら,自分は外国人なのだと開き直って話してみよう。(中略)コミュニケーションとは互いにわかり合うところから始めるのではなく,分かり合えないからコミュニケーションをとるのである。(p202)
 まったく知らないことはいくら説明されても分からない。(p203)
 未知の世界に踏み込んだとき,自然と人は能動的に情報を得て取り入れようとする機能が働くのである。(p204)
 日本人から見ると,傍若無人で何にでも積極的に首を突っ込む人のほうが,喜んで受け入れられる。郷に入らば郷に従えということわざのように,海外では,オーバーアクションで意思表示をハッキリとし,傍若無人キャラに切り替えてみる。(p206)
 多くの物事は多数派に有利になっていく。だから,英語のルールも通じればOKという実用主義になり,難しい語彙やネイティブ独特の言い回しを使ったりしないシンプルな「グローバル英語」が台頭してきている。英語が母国語であるネイティブより,非ネイティブに主導権が移っているという面白い構図である。(p210)
 仕事で英語を使うのは,そのほうが便利だというだけで,本当はドイツ人もイタリア人も母国語のほうがやりやすい。仕事で使うだけなので,彼らは正しい英語や完璧な英語を目指すつもりは全然ない。そのようなことを気にするのは日本人くらいだろう。(p212)
 アメリカ人は偉い人の前では徹底的にへりくだり,意向を聞く場合は「Yes」ではなく「No」と言わせるように質問をする。それがビジネス界の鉄則であり,出世には欠かせない技術なのである。(p215)
 語学は女性より男性のほうが上達するのは遅い。それは単純に話す量が違うからだろう。一般的に男性同士はそれほどおしゃべりをしない。アフター5に居酒屋で愚痴を言い合っているビジネスマンもいるが,それは酒の力を借りておしゃべりになっているのである。女性はしらふであっても,他愛のない会話を何時間でもできるので,圧倒的に話す量が違う。(p233)
 恋愛やケンカで言葉が上達するのは,感情が裏側にくっついているからである。相手にぶつけたい感情がたくさんあり,それを言葉で表現しようと懸命になるから,言葉を覚えるし,言い回しも工夫する。それはコミュニケーションの基本である。(p234)

2018年11月12日月曜日

2018.11.12 村松友視 『黄昏のダンディズム』

書名 黄昏のダンディズム
著者 村松友視
発行所 佼成出版社
発行年月日 2002.10.30
価格(税別) 1,600円

● 12人(うち,女性2人)の作家,俳優,歌舞伎役者を取りあげ,彼らが備えていた“ダンディズム”の淵源に迫ろうという試み。
 日本の大人の男性がすっかり「ガキっぽくなって」きたことへの反発が動機のようにも読める。いい年寄りが,昔に比べれば今の60歳は若いなどと喜んでいるのだから,たしかにガキ化が進んでいる。

● その12人は次のとおり。
 藤原義江,市川猿翁,山本嘉次郎,植草甚一,古波蔵保好,幸田文,森雅之,佐治敬三,武田百合子,今東光,嵐寛寿郎,吉行淳之介。

● 以下にいくつか転載。
 “自由”と“安物”が大好きで,年をとるにしたがって“新しいもの”が好きになってゆく。この境地こそ,まさに“黄昏のダンディズム”の真髄と言ってよいのではなかろうか。(p82)
 これは平成五年『婦人公論』四月号,すなわち古波蔵さんが八十三歳の折の文章だが,もはや“黄昏”までも武器にしはじめたようなセンスにあふれている。(p99)
 私は,東宝のプロデューサーの貝山さんから「狙撃」に森雅之を起用すると訊いたとき,なぜ快哉を叫んだのだろう・・・・・・そのこところを辿り直してゆくと,日本の大人の男性から森雅之がそなえているような魅力が,すっかり失せてきたという実感が根拠だったのではなかろうかと思った。日本の大人の男性が,あの頃からすっかりガキっぽくなってきていたにちがいない。(p131)
 なにかを求めて,いつもなにかを追いつづけていた彼(森雅之)の気持ち,その気持を舞台では出しきれずに,だから彼は芸談となるとそれからそれへと際限がなかった。しかし芸談はついに芸談である。それは実りのない花のようなものである。(小沢栄太郎 p134)
 百合子さんの文章は何しろ新鮮だった。“文章道”にとらわれていないばかりでなく,文章の内面から確固とした才能が滲み出てくる,不思議なテイストだった。私は,オリジナルな才能とはこういうことを言うのではないか,と思った。(p167)
 今東光の生涯を辿り直せば,そこに卒業笑魚や免状と無縁の学究精神が,鬼気迫るほどにあふれていることに気づくのである。(p190)
 間近で会った吉行さんは,“いい男”というよりも“立派な顔”として私の目に映った。若い頃のように色気が表面に滲み出ることなく,穏やかさがただよっているせいかもしれなかった。(p216)
 吉行さんの席の下はタバコの灰だらけになったものだった。話に乗ってくると,吉行さんは喫っていたハイライトの先の灰を,せせこましく落としつつける。(p221)
 “タクシーの運転手恐怖症”“スピーチが超苦手”“タバコの灰”“野太い声”それに“せっかち”というのは吉行像の死角だ。(p222)
 井原西鶴『好色一代男』の現代語訳の連載中,私は何度か吉行さんのセンスの芯に触れたという思いを味わった。吉行さんは古典の現代語訳をするさい,想像以上に資料を調べ緻密な仕事をするタイプだった。それは“病的”に近い執着力を感じさせ,読解力にも鋭いものがあったが,ある瞬間,調べぬいた事柄をポンと切り捨てる度胸もあった。対談にさいしても,馴染みの相手だからと無手勝流でいこうなどとはいっさい思わない。その日のテーマをきっちり絞り,相手を調べぬいて出向くのだが,現場ではそれにこだわることなく,話の流れに沿って遊んだものだ。(p224)

2018年11月11日日曜日

2018.11.11 安野モヨコ 『働きマン 明日ををつくる言葉』

書名 働きマン 明日ををつくる言葉
著者 安野モヨコ
発行所 講談社
発行年月日 2007.08.23
価格(税別) 952円

● 「はじめに」の隣(左)ページに写っている営業職っぽい女性の写真がカッコいい。凛として颯爽としていて。そのくせ,少し陰があって。私生活を知りたくなる。
 ただね,仕事がその人に何を残すか。よほど特殊な仕事以外は,たぶん何も残さない。だからテキトーにやっていいと腹を括れるかどうか。万難を排して括るべきだと思うが,括れるほどの人なら出世しちゃうよね。

2018年11月5日月曜日

2018.11.05 伊集院 静 『いねむり先生』

書名 いねむり先生
著者 伊集院 静
発行所 集英社
発行年月日 2011.04.10
価格(税別) 1,600円

● 色川武大(阿佐田哲也)の作品は若い頃にあらかた読んだ。それで作った色川像と本書で描かれている「先生」はだいぶ違う。作者と作品は別なのだから,それがあたりまえ。が,読み方の問題もあるか。
 松山の“懐かしい建物”が出てくる。映画館の小屋。「銀映」のことだろうか。もちろん,今はない。

● 以下に上手いなと思ったところを転載。
「ボクはやめました。今の小説を読んであらためてよくわかりました。才能がまるっきりありません」「才能なんて必要なのかな」 Iさんは言って首をかしげた。「一番大事なところじゃないんですかね」「そうかな・・・・・・ボクはそうは思わないな。必要なのは腕力やクソ力じゃないのかな」(p289)
 街は用もないのに屯ろしている者の数の多さで,懐の深さがわかる。(p294)
 十五分,三十分先に起こることを推測し,それを絵図に描き,描いた絵に惜しげもなく金を放り込む。遊びと言ってしまえばそれまでだが,普段人が為している行為もこれと大差はないような気もする。(p350)

2018年11月2日金曜日

2018.11.02 堀江貴文 『堀江貴文のカンタン! 儲かる会社のつくり方』

書名 堀江貴文のカンタン! 儲かる会社のつくり方
著者 堀江貴文
発行所 ソフトバンクパブリッシング
発行年月日 2004.09.07
価格(税別) 1,500円

● ライブドアが昇竜の勢いだった頃の著書。働くとは,会社とは,を熱く語る。会社設立,上場の手引書ではない。
 今の堀江さんは,すでに会社を作って何かをやるような時代じゃないと,どこかで語っていたと記憶している。やりたいことがあるということ自体,稀有なこと。全体の3%しかいないのでは。

● 以下にいくつか転載。
 ラーメン屋やコンビニエンスストアなど,初期投資が大きくリスクも大きいビジネスは,手を出してはいけない業種の典型である。(p23)
 インターネットビジネスには,もう1つの重要な特徴があった。それはこのビジネスには当時,日本国内に先駆者がほとんどいなかったのである。これは起業するビジネスを選ぶにあたっては,とても重要なファクターだ。(p25)
 私は,市場も何もできていない状態だからこそ,逆に市場は無限にあると考えた。(p26)
 会社を興すにあたっては,実はガーンと気合を入れるのがいちばん大事なのだ。必死で気合を入れなければ,会社を軌道に乗せることはできない。(p31)
 銀行やベンチャーキャピタル,公的機関などから融資や出資を受けようなどという考えは,最初から持たない方がいい。(p42)
 創業時に集めるスタッフとは,できる限りドライでビジネスライクな関係を保っておいた方がいい。冷たく聞こえるかもしれないが,それが冷徹な事実だ。(中略)創業メンバーとはあとでどうせ別れるものだと割り切って,カネをかけずに知り合い関係から簡単に集めておくのがいいと思う。(p45)
 営業を一生懸命やっておけば,仮にそれ以外の部分がかなりボロボロになってしまったとしても,何とかなる。(p56)
 もし最悪,どうにも太刀打ちできない局面まで追いつめられ,納品ができそうもないということになったとしても,実は何とかなる。その仕事に限っては,技術力を持っている別の会社にアウトソースしてしまえばいいのである。とにかく,仕事を取ってくることが重要なのだ。(p57)
 営業のメリットは,物を売って売り上げを上げるというだけではない。顧客と直接接点を持つことができるため,顧客やユーザーが自社製品に対してどんな感想を持ち,どの部分に不満を感じているんかといった反応がダイレクトに返ってくる。このメリットは非常に大きい。(p58)
 従業員というのは放っておくと,みんなどんどん楽な方向に走っていってしまう。それをどう押しとどめ,仕事をさせる方向に持っていくのかが経営者の腕の見せどころといってもいいだろう。(p74)
 われわれは営利事業として株式会社をやっているのであって,営利という目的にそぐわない人材に対しては,バッサリと切っていくのは当然だと思う。(p77)
 「本当にそんなにしつこく値切って大丈夫なのか?」と思うかもしれない。でも,絶対に大丈夫だ。相手も商売なのだから,どんなに値切られたとしても,利益のでない金額を提示してくるわけがない。その金額で手を打てたということは,利益はちゃんと出ているということなのである。そこまで読みきれずに,「相手がこんなに泣きを入れているんだから,もう無理かも」と屈してしまう方が甘いのである。(p94)
 単発で月刊誌に1ページの広告を打っても,ブランドイメージには何の効果もない。短期的な広告には意味がないと思った方がいい。(p97)
 社長にとっては,小さなままで会社を経営していくというのは,大変なプレッシャーなのである。会社を大きくするのは確かに大変だが,実はそれよりも,小さいままのプレッシャーに耐えいていく方がずっと難しく,つらい。(p115)
 大手証券会社の社員は顧客のことを考えているふりをしながら,実のところ自分のことしか考えていない者が多い。そういう体質なのだ。(p135)
 わざわざ人と人のつながりを会社の中だけに求める必要があるのだろうか。(中略)会社で得た収入を使って,自分の本来の居場所は別のところに作ればいい。(p202)
 ライブドアの社内は「サークル活動的」という雰囲気にはほど遠い。確かにカジュアルな服装をした若者ばかりだが,どの社員も必死で目の前の仕事に取り組み,ビジネスに邁進している。楽しそうな雰囲気を期待して見学に来た人は,びっくりするかもしれない。しかし何度も繰り返すが,会社は別に楽しい場所である必要はないのだ。(p203)
 伝統的な大企業のように稟議や決裁などの手続きは,キャッシュアウトの処理以外ではほとんど必要ない。必要なのは「ノリ」なのである。(p205)