著者 村松友視
発行所 佼成出版社
発行年月日 2002.10.30
価格(税別) 1,600円
● 12人(うち,女性2人)の作家,俳優,歌舞伎役者を取りあげ,彼らが備えていた“ダンディズム”の淵源に迫ろうという試み。
日本の大人の男性がすっかり「ガキっぽくなって」きたことへの反発が動機のようにも読める。いい年寄りが,昔に比べれば今の60歳は若いなどと喜んでいるのだから,たしかにガキ化が進んでいる。
● その12人は次のとおり。
藤原義江,市川猿翁,山本嘉次郎,植草甚一,古波蔵保好,幸田文,森雅之,佐治敬三,武田百合子,今東光,嵐寛寿郎,吉行淳之介。
● 以下にいくつか転載。
“自由”と“安物”が大好きで,年をとるにしたがって“新しいもの”が好きになってゆく。この境地こそ,まさに“黄昏のダンディズム”の真髄と言ってよいのではなかろうか。(p82)
これは平成五年『婦人公論』四月号,すなわち古波蔵さんが八十三歳の折の文章だが,もはや“黄昏”までも武器にしはじめたようなセンスにあふれている。(p99)
私は,東宝のプロデューサーの貝山さんから「狙撃」に森雅之を起用すると訊いたとき,なぜ快哉を叫んだのだろう・・・・・・そのこところを辿り直してゆくと,日本の大人の男性から森雅之がそなえているような魅力が,すっかり失せてきたという実感が根拠だったのではなかろうかと思った。日本の大人の男性が,あの頃からすっかりガキっぽくなってきていたにちがいない。(p131)
なにかを求めて,いつもなにかを追いつづけていた彼(森雅之)の気持ち,その気持を舞台では出しきれずに,だから彼は芸談となるとそれからそれへと際限がなかった。しかし芸談はついに芸談である。それは実りのない花のようなものである。(小沢栄太郎 p134)
百合子さんの文章は何しろ新鮮だった。“文章道”にとらわれていないばかりでなく,文章の内面から確固とした才能が滲み出てくる,不思議なテイストだった。私は,オリジナルな才能とはこういうことを言うのではないか,と思った。(p167)
今東光の生涯を辿り直せば,そこに卒業笑魚や免状と無縁の学究精神が,鬼気迫るほどにあふれていることに気づくのである。(p190)
間近で会った吉行さんは,“いい男”というよりも“立派な顔”として私の目に映った。若い頃のように色気が表面に滲み出ることなく,穏やかさがただよっているせいかもしれなかった。(p216)
吉行さんの席の下はタバコの灰だらけになったものだった。話に乗ってくると,吉行さんは喫っていたハイライトの先の灰を,せせこましく落としつつける。(p221)
“タクシーの運転手恐怖症”“スピーチが超苦手”“タバコの灰”“野太い声”それに“せっかち”というのは吉行像の死角だ。(p222)
井原西鶴『好色一代男』の現代語訳の連載中,私は何度か吉行さんのセンスの芯に触れたという思いを味わった。吉行さんは古典の現代語訳をするさい,想像以上に資料を調べ緻密な仕事をするタイプだった。それは“病的”に近い執着力を感じさせ,読解力にも鋭いものがあったが,ある瞬間,調べぬいた事柄をポンと切り捨てる度胸もあった。対談にさいしても,馴染みの相手だからと無手勝流でいこうなどとはいっさい思わない。その日のテーマをきっちり絞り,相手を調べぬいて出向くのだが,現場ではそれにこだわることなく,話の流れに沿って遊んだものだ。(p224)
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