2018年11月28日水曜日

2018.11.28 新谷 学 『「週刊文春」編集長の仕事術』

書名 「週刊文春」編集長の仕事術
著者 新谷 学
発行所 ダイヤモンド社
発行年月日 2017.03.09
価格(税別) 1,400円

● 熱い思いが語られている。一気に読んだ。
 それはそれとして。紙の週刊誌がいつまで存続できるか。最大部数を誇る週刊文春も60万部を割り込みそうだ。単純計算だと日本人の0.5%しか読んでいない。対象読者のセグメントはしていないと語っているが,読者層の高齢化はおそらく紛れもないだろう。
 電車の中でも乗客のほぼ全員がスマホを見ている。新聞や週刊誌を広げている人を見かけることは非常に稀だ。

● そうしたことは,当事者(著者)は言われるまでもなくわかっている。したがって,次々と手を打ってもいる。
 しかし,電車の中でスマホを見ている人の中に,文春のコンテンツを読んでいる人がどれほどいるだろうか。ほとんどいないと思う。

● 理由は2つある。ひとつは,ネットから取る情報はタダというのが定着してしまっていること。心ある人は,有料コンテンツも見ているのだと思うが,そうした心ある人が週刊文春の読者の中にいるかどうか。
 もうひとつは,ブログとSNSの普及だ。特にSNSだ。多くの人が発信者になった。もちろん,大したものは発信していないし,できるわけもない。が,ともかく発信者が大きく増えた。発信者というのは自分が発信したものを他のどれよりも高頻度で見るものだ。ま,自分がそうだから,他の人も同じなのだろうと思っているだけなのだが。

● 週刊誌は日がな1日図書館にいる年寄りが,自分では買わないで読むものになっている。ネタは外部依存。が,SMAP解散のような国民的関心を呼ぶ出来事はそうそう起きない。難しい世の中だ。

● 以下に多すぎる転載。
 スキルやノウハウといったものとは全く無縁の編集者人生を送ってきた。(中略)世の中で起こっている様々な出来事,あるいは話題の人々。それらを「おもしろがる」気持ちがスキルやノウハウよりも大切だ。世の中の空気を肌で感じ,あらゆるモノゴトに敏感になること。それが,全ての原点である。(p5)
 やはり人間はおもしろい。愚かだし醜いけど,かわいらしいし美しくもある。立川談志さんは「落語とは人間の業の肯定である」という名言を遺したが,週刊文春も全く同じ。(p16)
 あらゆる仕事の原点は「人間と人間の付き合いだ」ということを忘れてはいけない。相手をネタや情報源として見たら,スクープは獲れない。(p16)
 情報は全て「人」から「人」にもたらされる。「人」が寄ってくれば,「情報」が集まってくる。(中略)そして人が集まってくるような場を作るには,「一緒にいるとおもしろいことができそう」と思ってもらえることが大切なのだ。(p19)
 私はSNSのたぐいは一切やらない。(中略)本当の信頼関係はSNSでは築けないというのが大きな理由だ。SNSが普及したことで,人間関係も「ストック」ではなくて「フロー」になっているように思う。多くの人とつながっているように見えるが,個々の人間関係はものすごく浅い。(p20)
 こういったときに大切なのは図々しさだ。相手のやはり忙しい。本業をやりながらなので,私の相手なんかできないのもわかる。それでも臆せずに接触することだ。(p25)
 基本的に「情報はギブアンドテイク」だ。特にその濃密な情報コミュニティに入るにあたっては「教えてください」だけではダメ。(p26)
 人に会う前に我々はどんな準備をしているのか。まず,これから会う人に著書があれば読んでおき,相手がどういう人かを予め把握しておくことは大前提だ。ネットを使った情報収集も必要だろう。一方で,予備知識に縛られてはいけない。(p35)
 どの世界でも何かを成し遂げた人には独特の雰囲気がある。会えば,それはすぐにわかる。編集者,記者にとって,そういう人の謦咳に接することはかけがえのない財産だ。我々は会った人によって鍛えられる。(p37)
 私は苦手な人は少ない方だと思う。ちょっと癖がある人であっても,最初から腰を引くようなことはしない。そして,誰が相手でも,偉い人であってもなるべき直球でものを言うように心がけている。(p38)
 苦手な人と立て続けに会っていると,自分のテンションも落ちてくる。疲れてしまう。やはり,会って元気が出る人と会いたいものだ。(p39)
 編集者や記者は多くの人と長期的な信頼関係を築くことが大切だ。そのためには日常的な「マメさ」が求められる。(p43)
 人間なら誰でも,自分の国が良くなったほうがいいと思っているはずだ。そのために,それぞれの持ち場,それぞれの立場で汗をかいているわけだ。よって,わかり合えるところは必ずある。(p44)
 日々いろいろな世界のキーマンとお会いするが,そういったすごい人には共通点がある。普通の人は「今度飯行きましょう」とか「また改めて」というセリフを社交辞令として言いがちだ。しかし,私が尊敬するすごい人たちは,社交辞令で終わらせない。「やりましょう」と言ったら,すぐ「じゃあ,いつやろうか?」と日程調整に入るのだ。(中略)このスピード感には感動した。大組織のトップになってもアクセスは速く,フットワークは軽い。(p46)
 もうひとつすごい人に共通するのが「肩書きで人と付き合わない」ということだ。(中略)振り返ってみると,付き合いが長く続く相手に共通するのは,お互い立場は違うが,「何のために働くのか」について共感できるという点だ。(p48)
 事件はたいてい表と裏の狭間で起きる。(p51)
 この仕事は正直に言って,真面目な人,オーソドックスな感性の人はあまり向いていない。誰もが考えつくようなことを言っても「それはそうだよね」で終わってしまう。お金を払ってもらえるようなコンテンツはなかなか作れない。(p56)
 企画の発端は,こうした雑談から始まることも多い。そこで大切なのは「おもしろい」と思ったら,すぐに一歩を踏み出してみることだ。そのままにしておかない。「実現できたら,おもしろいな」と思ったら,まずやってみることが大切だ。(p59)
 私は,人がやったことのないようなことをやるのが好きだ。見たこともないようなものを作るのが大好きだ。そこに大きな喜びがある。(中略)予定調和はつまらない。最初から見本や感性予想図があって「そのとおりにできてよかったね」ということの何がおもしろいのか。(p68)
 企画を考える上で大切なのは,常に「ベストの選択」をすることだ。「この人を落としたらすごいぞ」「このネタが形になったら世の中ひっくり返るぞ」と思ったら,そのベストの選択肢から絶対に逃げないことだ。(p71)
 組織というのは大きくなるほど「結果が読めない」ものに対して臆病になるのが普通だろう。売上げが立つのかどうかわからないものに投資することを嫌う。しかし,「読めない」からこそおもしろいのだ。(p72)
 すごいマーケティングだなと思うのは,光文社の「VERY」だ。あれは究極のマーケティング雑誌と言えるだろう。ほぼ読者と一体化している。読者に根ほり葉ほり聞くだけ聞いて,実在の女性が浮かんでくるような誌面作りをしている。あのリアリズムはすごい。そして,今の時代にうまく合っている。(p76)
 では週刊文春も同じように,いろんな人に「どういう記事を読みたいですか?」と聞いて回ればいいかと言えば,それにはほとんど意味がない。それをしても,今までに見たおもしろかったものをベースに語られるだけで新しいものは生まれないからだ。我々が求めているのは「見たこともないもの」であり「誰も予想がつかないもの」だ。(p76)
 週刊文春については性別や年齢層などはあまり考えない。そうではなくて「文春的な切り口,文春的なテイストが好きな人たち」がお客様だ。(中略)従来の「マーケティング」のようにカテゴリー分けしすぎると雑誌はつまらなくなる。(p77)
 雑誌作りにしても何にしても,最初にガチッと設計図を固めてしまうと,「それを守ること」が仕事になってしまう。そのとおりに作ることが,ある種のノルマや義務になってしまう。だからつまらなくなってしまうのだ。設計図がないからおもしろい。何が起こるかわからないから,やる気が出る。まっさらな新雪を踏みしめるようなワクワク感が大切なのだ。(p78)
 辛い時期こそ,フルスイングする勇気を忘れないことだ。本当に辛くなってくると,過去の成功体験に縛られてしまう。(p80)
 おもしろいか,おもしろくないか。当たるか,当たらないか。最後は自分の中の「驚き」が重要な判断基準である。(p82)
 常に「本音」で「本当のこと」を伝えることが信頼につながる。(中略)芸能界は最たるものだが「強い事務所はやらない,弱い事務所ならやる」というのが当たり前になっている。今,ネットをよく見る人であれば,「本当のこと」に気がついてしまっている。(p83)
 ユニクロの企画のように「独自の戦い」が軌道に乗ると強い。なぜなら,週刊文春からしか基本的に情報は出ないからだ。週刊誌に限らず,あらゆるビジネスにおいて「自分でリングを設定し,主導権を握ったところ」が勝つ。(中略)ビジネスがうまくいっていないときほど,他人のリングで戦おうとしてしまう。それではどんどん縮小していくだけだ。(p84)
 まず先に考えるべきは,圧倒的に「おもしろいかどうか」だ。「売れる」ことは目指すが,順番はまず「おもしろいかどうか」が先。(p86)
 企画の良し悪しを見極めるひとつの大きなポイントは「見出しが付くか付かないか」だ。(p90)
 その人の核心,本質,しかもあまり触れられたくない部分を,ビシッと突く。そして,そこをいかに広げていけるか。(p91)
 その考え方の全ての源にあるのは「どうなるのだろう?」という不安ではなく「どうするのか」という意志である。前向きに考えること。そして,攻めの姿勢である。(p94)
 どんなプロジェクトでもそうだが,熱がないものはうまくいかない。現場にひとりでも「これを成功させたい」と強く思っている人がいないとダメだ。(p101)
 実現したいことがあったら,難しそうでもまず頼んでみることが大切だ。最初から可能性の幅を狭くしてはいけない。(p104)
 告発者は途中で必ず揺れる。一度決断しても不安になって前言を翻すことがままある。相手が強大な権力を持っている場合はなおさらだ。そんなとき記者にできることは,何時間でも告発者に寄り添い,話を聞き,共感を示すことだ。(p111)
 「何のために働いているのか」を示すのは,リーダーの仕事でもある。菅義偉さんが官房長官としてあれだけの高い評価を受けているのはなぜか。菅さんのもとで働いている人たちに話を聞くと,共通して返ってくる答えがある。「菅さんの指示にはゴールがある」と言うのだ。(p114)
 私は,誰かに会うときは常に「一期一会」だと思っている。「次に会うときに聞けばいいや」というのではダメ。聞くべきだと思ったことは,その場で聞かなければならない。(p117)
 言いにくいことは聞きにくいことほど,率直に伝えるべきだ。(中略)そして,相手にとってマイナスな情報ほど「早く」伝えたほうがいい。なぜなら,その分早く状況を修復できるからだ。(中略)ただし,誠意を持って,相手のプライドが傷つかないように工夫をすることが大切だ。(p118)
 政治とは人間がやるものだ。よって,政治を書くということは人間を書くということだ。その政治家を一人の人間として知り尽くしていなければ,本当の政治は書けない。そういう意味で,彼(山口敬之)が書いた『総理』という本には,切れば血が出るリアルは政治が描かれている。よく,総理を会食する記者を「御用記者だ」と批判する人間がいるが,私からすると全くナンセンスである。(p124)
 職人肌の編集長,デスクほど,「美しい雑誌」を作りたがる。だが,週刊誌は美しさより鮮度。突貫工事でもイキのいいネタを突っ込むべきなのだ。(p133)
 自らの決断に縛られてもいけない。目の前の「現場」は生き物であり,刻々と複雑に変化を続けている。リーダーはブレることを恐れてはならないのだ。(p152)
 社員と特派で違う点があるとすれば,社員は「何でもできる」のが基本だ。(中略)特派に関してはなるべく専門性を持たせる。(中略)うちの特派は「50歳」を定年としているが,彼らが定年になったときに,政治ジャーナリスト,芸能ジャーナリスト,医療ジャーナリストとして筆一本で稼げるように専門性をしっかりと身に付けてもらっている。(p158)
 この指揮命令系統は絶対だ。編集長がデスクを飛び越えて現場の人間に指示することはない。デスクがカキを飛ばしてアシに指示するのもNGだ。重要な指示ほどそれは徹底される。(p159)
 編集長はとにかく「明るい」ことが重要である。(p165)
 花田(紀凱)編集長は「超楽観主義者」だ。明るく前向きで,雑誌が本当に好きなことが伝わってくる。(中略)「出してから考えよう」と言われたときに「これか」と思った。まさに花田イズム。出してから考える。揉めたら,そのときは何とかする。このノリがイケイケの花田流の原点にあるのだ。(p166)
 花田さんは身内ではつるまない人だった。デスクや現場の人間と飲みに行くこともほとんどなかった。彼の世界は外に向かって開けていたのだ。いろんな分野の人と,毎晩つき合っていた。(p168)
 チームでする仕事では,常に現場の最前線の記者たちに最もダイレクトに負荷がかかる。編集長はその状態をきめ細かく把握しておかなければならない。(p169)
 デスクたちが私の企画に対する違和感を口にしやすい,異を唱えやすい雰囲気を作ることが大事だ。よって,私は,そういう耳障りなことを言われても真摯に耳を傾けるように心がけている。(p172)
 大切なのは現場を責めないことだ。そこで責めたら次のトライをしなくなってしまう。(p174)
 結果がダメであっても,客観的な事実はそのまま受け止める。自分が見たい現実ばかり追い求めていたら,必ず失敗する。(p174)
 もうひとつリーダーが厳に慎むべきは,部下からの報告に「そんなことは知っている。俺のほうが詳しい」と張り合うことである。こういう上司はどの世界でも意外に多い。(p174)
 リーダーシップの根源は何だろうか。私は「信頼」であると思う。(中略)部下に信じてもらわなければならないし,自分も部下を信じなければならない。スクープとは,そもそも「信じて待つ」ことから生まれるものだ。(p179)
 リーダーの首は差し出すためにある(p184)
 舛添さんの会見で「どうすれば舛添さんは辞めてくれるんですか?」と聞いたテレビ局の人間がいたが,あれは傲慢そのものだ。(p192)
 政権に問題があればファクトで武装して戦うべきなのだ。メディアの武器は,論よりファクト。それこそが報道機関による権力との戦い方である。(p193)
 我々は「たかが週刊誌」だ。一週刊誌が「大臣の首をとってやる」なんて,そんな傲慢な姿勢で雑誌を作ったら,世間はそっぽを向くだろう。(p193)
 SNSが発達してくると,有名人も自分で発信をするようになる。有名人自身がメディアになると,自分にとって都合のいいことばかりが発信される。(p195)
 最近,メディアでも敵味方で世の中を分けすぎているように感じる。応援団は応援し続けて,批判する側は批判し続ける。いずれも「自分たちが見たい現実」を見ようとするから,彼らから発信されるニュースにはバイアスがかかる。(p197)
 報じられた側の気持ちがわからなくなったら,おしまいだ。そこに創造が及ばなくなったら,この仕事をやる資格はない。(p199)
 学級委員が作るような雑誌になると,週刊誌は途端につまらなくなる。学級委員が正論を吐いても,誰も読まない。(中略)新聞社系の週刊誌が陥りがちなのはそこだ。(p201)
 そもそもゴシップを楽しむというのは古今東西見ても,ひとつの文化だと思う。偉そうな人,気取っている人をおちょくって,世の中のガスを抜き,憂さを晴らす。それも週刊誌にとって大切な役割であることを私は否定しない。(p206)
 昨今のメディアに関する議論を見ていてまず言いたいのは,「外見についての議論が多すぎる」ということだ。「4Kか8Kか」「デジタルか紙か」といった議論は,外見の話だ。大切なのはあくまで中身。(p228)
 組む相手を選ぶ際,重要な条件が二つある。ひとつは相手が「熱」を持っていることだ。熱がある同士でぶつからないと,おもしろい化学反応は生まれない。(中略)もうひとつの条件が自分たちと対極にある相手を選ぶことだ。そのほうが相互補完的な関係が作れるし,メリットは大きい。(p236)
 川上(量生)さんは感覚が編集者っぽい。常に逆張りを意識している。みんなが「右」というときにあえて「左」を見ようとするのは編集者にとってすごく大切なセンスだ。(p237)
 これまでは情報の発信者であるテレビ局が視聴者に対して圧倒的優位に立っていた。「この番組を見たいなら,何曜日何時に何チャンネルに合わせろ」と。ところが今では,見たいときに見られなければ,「もういいや」となりかねない時代なのだ。(p239)
 紙と心中するなどという後ろ向きの発想は,週刊文春をどんな形であれ読みたい,と心待ちにしてくれている読者に対して無責任だと考える。(p239)
 出版界全体では雑誌は苦戦しており,5年,10年と長い目で見たときに現在の規模で存続するのは非常に厳しいだろう。紙の体力があるうちに新たなビジネスモデルを確立しなければならない。(p242)
 なんでもPV数でランキング化しえしまう「ネット民主主義」には,悪化が良貨を駆逐するリスクが常にともなう。(p247)
 大切なのは,なにごとも全力でやりきることである。読者のなかには,意に沿わない職場で悶々としている人もいるかもしれないが,それでもその場で「フルスイング」していれば,かならず仕事はおもしろくなり,突破口が開けるはずだ。やるからには徹底的にやることだ。受け身でなく,前のめりで攻めるべきなのだ。(p255)

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