2018年11月18日日曜日

2018.11.18 岸見一郎 『プラトン ソクラテスの弁明』

書名 プラトン ソクラテスの弁明
著者 岸見一郎
発行所 角川選書
発行年月日 2018.08.27
価格(税別) 1,500円

● 高1のときの担任の先生が『弁明』を読めと熱心に勧めていた(数学の先生だった)。で,岩波文庫を買ったんだけど,読まないまま老境に至り,やっと岸見一郎さんの訳と解説で読むことができた。
 ソクラテスが語っているのは,無知の知と,自分の付属物(財産,地位)を自分より優先することの怯懦。

● 70歳で死刑が決まったとき,ソクラテスには3人の子どもがいた。うち2人は幼児。ということは,ソクラテスは精力絶倫の人であったかと思われる。
 彼の哲学を考えるときには,こういうフィジカルな部分を等閑に付すべきではないと思う。

● 以下にいくつか転載。
 ソクラテスは自分が語ることが正しいか,そうではないか,そのことだけに注意を向け,よく考えることを要求しています。ソクラテスにとって重要なことは,話に説得力があるかどうかではなく,「真実」が語られているかどうかです。(p32)
 結論ありきで始まる討論は,そこに至る議論がどれほど論理的でも,議論の全体は結論を導き出すためのものでしかなく,まさに論じるべきことにはいささかも手をつけられていないのです。(中略)結論の正当性が揺らぐとそこに至る議論も瓦解することになります。(p49)
 ソクラテスは「知を愛し求める人」であって,「知者」ではないのです。(p75)
 長く話すソフィストのプロタゴラスとは違って,ソクラテスは問答による対話をしたのです。(中略)この方法で対話を進めていけば,互いに相容れない立場であっても相違点は実際にはあまり多くはなく,多くの点では考えが一致していることがわかってきます。(中略)他の人と話す時だけでなく,思考する時も,心の中で語り手が同時に聞き手として対話をするのです。(p90)
 死を恐れるということは,諸君,知恵がないのにあると思っていることだからだ。つまり,知らないことを知っていると思うことである。なぜなら,誰も死を知らないからだ。死はひょっとしたら人間にとってすべての善きものの中で最大のものかもしれないのだ。それなのに,悪いものの中で最大のものであると知っているように恐れているのだ。とはいえ,どう見ても,これがかのもっとも不面目な無知でないことがあろうか。(ソクラテス p112)
 ここでいわれる「善」は「ためになる」「有益なもの」という意味です。「悪」は,その反対で,「ためにならない」「無益なもの」という意味です。(p119)
 裁判を膨張していたプラトンは,ソクラテスが死刑判決を受けるのを見て,アテナイの民主制に対していよいよ批判的になっていったでしょう。(p171)
 やがて大学院を終え,渡しは奈良女子大学でギリシア語の講義をすることになりました。四月にα,β,γから学び始める学生が秋には『ソクラテスの弁明』を読めるようになりました。受講生は毎年,二,三人しかいませんでしたが,古典の購読に毎回膨大な時間をかけて臨む学生を誇りに思っていました。(p206)

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