著者 樋口裕一
発行所 幻冬舎
発行年月日 2018.08.05
価格(税別) 1,100円
● 目新しいことが書かれているわけでもない。やむにやまれぬ体験からどうしてもこれは伝えておきたい,言っておきたい,書いて残しておきたい,という切迫感が伝わってくるわけでもない。淡々と知的に老年期をいかに生きたらよいかを書いている。
● 以下にいくつか転載。
これまでの人生で得た価値観をそのまま高齢者になっても持ち続けて,意味のない我慢をしたり,無理をしたり,気をつかったりもしています。もうそのようなことをしなくていい立場になっているのに,自分でしなければならないような気がして,あれこれと仕事を増やし,気苦労を増やしています。そうして,むしろ人に迷惑をかけたり,自分でストレスを作り出したりしているのです。(p3)
何かをしたとしても,無駄なものを手に入れるだけなのです。(p27)
思春期のころに,尊大になったり落ち込んだりの起伏が激しいのですが,それは自己愛が強く,自分を絶対視してしまうからでしょう。(中略)生きていくのがつらくなった時,それは自分が肥大化している時だと私は思います。(p42)
高齢になってもきっとほめてほしいし,少々大袈裟にほめてもらえるとなおさら,うれしいものでしょう。ですから,今のうちから他者をほめることを心がけたいとおもてします。ほめられれば,礼儀として相手はほめ返してくれるものです。つまり,ほめ合う関係ができます。(p59)
文学作品の多くは社会に対する愚痴ではないかと,個人的には思います。個を通したいが社会の抑圧のためにそれができない,その愚痴を昇華したのが文学だと思うのです。(p60)
私の人生も楽しいものばかりではありませんでした。つらい時期がありました。思い出したくない出来事もたくさんあります。しかし,(中略)悪い思い出も自分の成長の物語としてとらえられるようになりました。(p72)
高齢になったら,時間を節約する必要はありません。頑張ってしまうと,翌日にすることがなくなってしまいます。(p80)
私は時に,「世の中全部冗談だ」と言ってのけるファルスタッフの楽天的な視点を持ちたいと思うのです。(p85)
「取り返しがつかない」と考えるから,焦ってしまいます。(中略)しかし,命さえ保っていれば,ほとんどのことがなんとかなります。心の底で「なんとかなる」と思っていれば,余裕が生まれます。(p86)
気をつかうのは,日本人の美徳です。(中略)しかし,日本では気をつかいすぎる人が多すぎはしないでしょうか。(中略)気をつかう人は,自分を苦しめているのです、(p102)
ちょっと流行遅れで古びていることを気にしなければ,新たに購入しなくても,一生着るのに困らないぐらいの服を,多くの人がすでに持っているでしょう。若いころは贅沢できたが今は貧しいなどと思う必要はありません。生産と消費の活発な産業中心社会から卒業して,お金にこだわらないで済む生活を手に入れることができるのです。(p135)
孤独の中で楽しめることに,後期高齢者になる前に慣れておくのが,楽しく生きるコツといえるでしょう。そのために私が勧めるのはライフワークを持つことです。何かの作品を作る,何かを勉強する,何かを読んだり見たりするといった生涯続けられるような作業をすることです。(p140)
コンサートを聴いただけですと,その時の印象はそのうちに消えてしまいます。どんなコンサートに行ったのかさえも忘れてしまいますし,そもそも印象そのものがはっきりしません。家に帰って,パソコンに向かい,音楽を聴いた時の自分の気持ちを思い出し,その日の演奏を思い出すうちに,感想がはっきりしたものになります。(p142)
鑑賞するだけでも立派なライフワークになります。自分で実際に作業をする必要はありません。上手下手もありません。ただ音楽を聴いたり,絵画を見たりするだけです。(p152)
現代のオーディオ機器の発達には目を見張るものがあります。それほど高価でなくても,心の底から感動をもたらすような音質で音楽を聴くことができます。(p154)
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