2020年7月23日木曜日

2020.07.23 和田秀樹 『精神科医が教える すごい勉強法』

書名 精神科医が教える すごい勉強法
著者 和田秀樹
発行所 総合法令出版
発行年月日 2018.04.24
価格(税別) 1,300円

● 受験生の頃,合格体験記を読むのが好きだった。そういう癖って,爺になっても持続するものなのだな。勉強法の本を読むのもいいけれど,もっと大事なのは勉強じたいをすることだよね。

● 以下に転載。
 頭がいいとか悪いということは,多分に「思い込み」だと私は思っています。(中略)学歴の高い人であれ低い人であれ,言葉が使えて計算もできる時点で,知能の差などほとんどないと言っていいでしょう。(p16)
 その社長は,「うちの会社なら,逆上がりができない子に,できるように教えられなかった指導者はクビですね」と言っていました。つまり,どんな子でも逆上がりができる「やり方」はある。(中略)できるかできないかは,子どもの運動能力ではなく,そのやり方を自分で見出すか,あるいは人に教わる機会があるかどうかの問題だというのです。人が「できない」と思っていることの9割ぐらいは,コツややり方を教わればできるようになるものだと思います。(p20)
 子ども個人に合わせた勉強をさせるべきなのに,塾の勉強のほうに子どもを合わせようとして,結果的に子どもを潰してしまうケースはよく見られます。(p24)
 ビジネス雑誌を読んでいるのは,ビジネスパーソンのおよそ「30人に1人」に過ぎません。言い換えれば,ビジネス雑誌を読むだけで,「30人に1人」になれるということです。つまり,ビジネスパーソンの「上位3%」に入ろうと思えば,何の特別な努力もなしに入れてしまうのです。(p26)
 どんなに頭がいいと言われる人でも,勉強のやり方を習っている人にはまず勝てないはずです。それなのに多くの人がやり方を求めようとしないのは,やり方を学ぶことによって成功者になるという経験をしていないからです。(中略)やり方を学ぶことによって成功したという経験をすることで,何かに行きづまったときにやり方を求めるという人生観を持つことができます。これが勉強法を学ぶ最大のメリットなのです。(p27)
 意識したいのは,時間あたりの効率を上げることです。(p34)
 大人の勉強における最大の敵は,復習をしないことです。(p47)
 うつ病の患者さんが病気を治すためには休養が必要です。しかし,寝ていれば治るというわけではありません。スポーツでも趣味でも,好きなことを楽しんでやる時間を持つことが必要なのです。(p57)
 ひとつのことに対して,いろいろな考え方ができる人こそが,「頭のいい人」だと私は思っています。その「頭のよさ」を磨くために私がしているのは,いろいろな人の考え方に触れることです。(p76)
 異性にモテるために勉強するというのは,一見くだらない動機のようにも思えますが,実際にウンチクで異性にモテようと思うなら,相当なレベルの知識が必要になります。(p81)
 英語力やITリテラシーは勉強するための道具にすぎません。それらがあれば,確かに勉強しやすくなるのですが,道具を磨くための勉強にひたすら熱中した挙句,その道具をどこにも使えない,というのは最悪のパターンです。(p83)
 目的は何でもいいのですが,「とにかくバカになりたくない」という危機感を持つということは,重要なポイントだと思います。(中略)人間に生まれた以上は,賢くなりたいと思うのは大事なことだと思います。(p83)
 頭のよさは,一度獲得したらずっと続くものではなく,それを維持,発展させる努力をしなければ失われていくものです。(p85)
 「いまの自分にはまだまだ知らないことがある」という,「知的謙虚」な思考が勉強の原動力になります。(中略)昨日よりも今日の自分のほうが賢いと言える人,学歴などに関係なく「昔の自分はバカだった」と思える人が,真に「頭のいい人」だと言えます。(p87)
 私が何より残念だと思うのは,勉強法の本を読んでも,それを実際に試す人がきわめて少ないということです。(p89)
 日本の金持ちの多くが,この世でもっとも金のかかる趣味に熱中しています。(中略)その趣味とは「貯金」です。この趣味を持つと,ありとあらゆることにケチになります。(p102)
 この国において唯一のチャンスとも言えるポイントは,「金持ちの子どもが勉強しない」ことだと私は思っています。(中略)世界の先進国の中で,その国の代表的な名門大学に小学校からエスカレーターで行ける国は日本だけです。そして,金持ちほど嬉々としてそういう学校に子どもを入れています。(中略)勉強して「頭のいい人間」になれば,頭の悪い「金持ちのボンボン」をだます側に回ることもできます。少なくとも,だまされて搾取される側にはならずに済むと言えるでしょう。(p105)
 手術を執刀する医師や病院にとって,もっともプレッシャーのかかる患者は,多額のお礼を積んできた患者などではなく,いろいろ調べていて,失敗したら確実に訴えそうな患者です。(p109)
 イギリスでは1980年代に,これからは誰もが計算機を使う時代になるからと,学校で計算を教えずに応用問題ばかりを解かせる教育に転換しました。すると,深刻な学力低下が起こり,応用問題がますますできなくなったということがありました。(p113)
 あたりまえじゃないかと思うのだが,現在進行形の渦中にいると,そうしたあたりまえのことが見えなくなるものなのだろうね。
 今後は,(AIによって)ありとあらゆる職業において,「できる人」と「できない人」の差が大きくなるはずです。(p115)
 いまは生産に対して消費が足りない時代です。そんな「豊作貧乏」のような状況にあって必要性が高いのは,生産性を上げる能力よりも,消費者目線で「こういうものがあったらいいな」と考えつく能力です。(中略)そこで重要なことは,勉強している人としていない人では,「これが欲しい」と要求するもののレベルが違うということです。(p123)
 外国に逃れても勝ち残れる能力とは,語学力のことではありません。(中略)AIによる完全な自動翻訳機の実用化も間近になったいま,英会話を必死に習うよりは,別のことを勉強するほうが,有用性は高いと言えます。(中略)誰でも情報を手軽に得られるこの時代,与えられた情報や知識そのものは,あまり価値を持たなくなっています。価値があるのは,その情報をもとに推論を立てる能力です。(p127)
 「誰でも情報を手軽に得られるこの時代」のわりに,情報を持っている人はそんなにいないし,情報と情報を組み合わせるとか,関連づけるとか,そういうことをする人が増えたようにも思えない。スマホはゲームとSNSにしか使わない。何がどう変わろうと,バカはバカのまんまで,ひたすらボーッとしている。何か,そういう感じ。
 「極論に耳を貸さない」という姿勢は必ずしも合理的なものではなく,極論を踏まえることで,推論を立てやすくなることもあります。(p129)
 インターネットで調べればすぐにわかるような情報でも,アウトプットのしかたしだいでは価値のある知識になります。それができるのが「頭のいい人」です。(中略)その単純にインプットしたものを出すのではなく,それをどう組み合わせるかを考えることが重要なのです。(p134)
 年間30冊ほども本を書くという生活をしていると,「これは本のネタに使えるだろうか」とつねに考えながら情報に接することになります。(中略)そういう意識がないと,ただ受け身の姿勢で情報を得るだけになってしまい,せっかくインプットした情報がうまくつながらず,つかえないまま消えていくことになるのだと思います。アウトプットを意識しながらインプットできるかどうかが,情報の「加工力」をつけるためのポイントです。(p136)
 好きなことを趣味で追求する人は昔からいましたが,昔といまの一番大きな違いは,それを外に発信して評価が得られる可能性があるということです。(中略)熱心に本を読んで知識を増やすことだけが勉強ではなく,アウトプットすることも勉強です。むしろ現代ではその方が大切なくらいです。(p143)
 知識を得るための本に関しては,大事なところや,自分にとって必要な情報だけを抽出して読めばいいのです。(中略)本はほとんどが1000円前後,高いものでも数千円で手に入るものです。1冊のうち数ページでも自分にとって使える部分があれば,それで十分に元はとれます。むしろ,全部読み切ろうとする時間的なコストのほうがバカになりません。(p164)
 一定以上の情報量を記憶すると,覚えたことがつながって飛躍的に理解が進む,記憶の「臨界点」のようなものがあるのではないかと思っています。(中略)単なる「物知り」からエキスパートのレベルに達する臨界点があって,そこまで蓄積されると記憶が活きてくるのです。だとすれば,自分には理解力がないと思っている人は,もしかしたら記憶の量が足りないだけかもしれません。(p165)
 事前にミス対策をしておかないために,知識量は足りているのに合格できないということが起こります。ミス対策として,どんなことができるかを考えられるのが賢い受験者であり,他人から指示された通りに勉強していれば合格できると思っているのは,残念ながら「バカな受験者」です。たとえそれで合格できたとしても,ミス対策を考えていない人は,その後の人生でもミスを犯す可能性が高いと言えるでしょう。(p185)

2020年7月18日土曜日

2020.07.18 若宮正子 『独学のススメ』

書名 独学のススメ
著者 若宮正子
発行所 中公新書ラクレ
発行年月日 2019.05.10
価格(税別) 820円

● 独“学”のススメといっても,ここでいう学はかなり広範囲。勉強とか読書とか,そういったものよりだいぶ広い。“高齢者版 何でもやってみよう”だね。
 若宮さんは,昔の言葉でいえばEQがかなり高い人で,周囲に対して壁を造らない。まずこれがあってこそ,独“学”も成りたつ。

● 以下に転載。
 言葉がわからなくても,必死でなにかを訴えれば伝わるということ,交通手段がないからといって諦めずに,他の方法をよく探せば見つかるということを覚え,そしてなんといっても,この旅では度胸が身につきました。(中略)こんなふうに,新しいところに身一つで飛び込んでも,意外となんとかなるということを知ってほしい。(p33)
 「言葉が通じなくて気まずい思いをするくらいなら,朝食抜きでもいいか」なんて,諦めないで。(p62)
 海外に何度もいっていると,日本人は英語に対する独特のメンタリティーがあると感じます。なにしろ,そばに日本人がいるだけで,とたんに英語がしゃべれなくなってしまうのだから。眼の前の相手よりも,まわりの日本人がどう思うかが気になってしまうのですね。(p63)
 大阪のひとは外国のひとから見ると,他の地域の日本人よりも,比較的声が大きく,身振り手振りがはげしく,人なつこいと感じられるようです。この性質ってすごく英語を話すのに向いていますよね。(p65)
 無理矢理自分を追い込まなければやらないようなことは,そもそもあなたがやるべきことではないのかもしれません。(p68)
 どんな選手にも一律できつい基礎トレーニングを課すというのは,なにも考えていない証拠。(p69)
 無駄な努力を尊ぶのは,やめましょう。それは結局,「竹槍精神」を引きずっているのです。竹槍では近代兵器に勝てません。精神力だけで突破できるという考えは,危険だと思います。(p70)
 そんなに激しく変化していると,「先憂」しても「後楽」がくるかわかりません。(p107)
 会話はキャッチボールだから楽しいんです。ボールを受けてばかりではつまらない。(p135)
 教えられたり,教えたり。そういう関係があることは,人生のセーフティーネットになります。だからあんまり,差し伸べられた手を突っぱねないほうがいい。(p149)
 独居でも,にぎやかに暮らす。(p151)
 じつは,高齢者が介護をするのは,介護される側にとっても嬉しいこと。(p167)
 ネイティブのひとは,正しい文法だのスペルだのって,そんなに気にしていません。つまり,英語なんてその程度でいいんですよ。(中略)「英語なんてその程度でいい」と思うひとが増えれば,日本は大きく変わります。(茂木健一郎 p182)
 20代以降になると,100歳を超えようが,脳の働きはほぼ変わらない。逆に「歳だから」「シニアはシニアらしく」と枠にはめることで,そのひとの可能性を抑圧してしまう。(茂木 p193)
 人間の脳は,「今ここ」を楽しむことによって最も活性化されます。(茂木 p194)
 先日亡くなったスティーブン・ホーキング博士も,常に宇宙のことを考えて幸福に生きていた。ケンブリッジで何回かお見かけしたけれど,いつもご機嫌で電動車椅子をぶんぶん走らせていましたよ。(茂木 p195)
 AI(人工知能)が進化すると,事務的な作業は機械がやってくれるようになります。そうなった時,人間が担うのは,コミュニケーションや創造的なこと。つまり「遊び」に近くなってくるでしょう。好奇心や冒険心といった,「子ども心」を忘れないひとが社会で求められるようになる。(茂木 p196)
 アメリカの,特にシリコンバレーのカルチャーは,性別といった属性と関係なく,そのひと自身を評価する。つまり「らしさ」の壁が,イノベーションの「敵」になることをわかっているからでしょう。(茂木 p201)
 他人のためになにかしている時の脳活動は,自分が嬉しい時と同じなんです。逆に,人間の脳にとって最大の危機は「自分が必要な人間とは思えなくなる」こと。(茂木 p202)

2020.07.18 外山滋比古 『忘れる力 思考への知の条件』

書名 忘れる力 思考への知の条件
著者 外山滋比古
発行所 さくら舎
発行年月日 2015.11.13
価格(税別) 1,400円

● 忘れることの重要性を説く。学校秀才が大成しないのも,忘れることが下手だからだよ,と。
 ところで,この本,前にも読んだことがあるかもしれない。読了してなお,はっきりとは思いだせない。ということで,ぼくの忘却力に問題はない。

● 以下に転載。
 まず覚えて,そのあと忘れる,という順であるように思われているが,本当は逆なのではないかと考える。(中略)たとえていえば,ものを食べるようなものである。一般に,まず食べて,それから消化,そして排泄すると思われているが,実際は,まず消化によって胃の中を空っぽにしておく必要がある。(中略)「忘却先行」が正常なのである。それを知らずに記憶をどんどん増やせば,頭は記憶過多になる。知的メタボリック・シンドロームである。(p8)
 新しい知識はおとなしくしていないで暴れることがある。いったん鎮めるのが賢明である。(p16)
 忘れようとしなくても,自動的に忘れるようになっているのは,それだけ重大な作用だからである。呼吸とか心臓の脈拍も自動的だが,これは生命にかかわる最重要な作用だからである。(p19)
 一心不乱に勉強すれば,優等生にはなれても,人間としての力をもっていない。(p26)
 よく学ぶには,よく遊ばなくてはいけない。学びをよくするには,よく遊ぶ必要があるという含みがある。(p29)
 記憶だけではよい記憶にならない。遊んでいるあいだの忘却によって,記憶の一部が欠落する。つまり忘れるのである。この忘却を経由した知識が,その人間にとって,力をもった知識となる。(p31)
 知識の漁が少ないあいだは,知識は多ければ多いほどよろしいと考えられる。ところが,知識情報が多くなりすぎる情報化社会になると,(中略)ゴミのような知識を排出することが,重要な精神活動になるのである。(p38)
 すべてのニュースは,時がたつにつれて新しさが消えて,変質する。さらに,十年,二十年もすると,ほとんどのニューーすは消えて,わずかなもののみが,歴史となる。歴史になった出来事は,しばしば,信じられないように変容しているはずである。(中略)歴史は,風化による創造である。(p47)
 思い出は,記憶の力によってできるのではない。忘却が記憶を食い荒らしてつくるものである。(p64)
 さっき歩いてきたところの題材を,そそくさとまとめて句にしたようなものが,おもしろいわけがない。あまりにも新鮮すぎる。(中略)生のものはそのままでは詩になりにくく,回想されたものが心を動かす表現になる。(p70)
 忘却を嫌い,おそれるのは,時の流れを否定するようなもので,自然の大理に反することである。(p76)
 忘れ方が下手になると,忙しくもないのに多忙なように勘違いして,小さなことにこだわるのを知的であるように誤解する。(中略)うまく忘れることができるようになるためには,生活が多忙でないといけない。毎日が日曜日といった生活では,忘れることができないから,ボケという“悪玉忘却”があらわれる。(p86)
 いくら細かいことを書きならべてみても,日記では人生は変わらない。(p97)
 日本人はユニークであったといってよい。耳より目を大切にする。談話より文章の記録をありがたがる傾向が強いのは,漢字という視覚中心の文字に生きてきた長い歴史が深くかかわっている。(p116)
 散歩は体のためによいだけではなく,精神的効果もある,ということに気づくのには時間がかかるようで,いまだに周知とはなっていないように思われる。(p133)
 ひとりで学問をするのでは,談論風発もないから小さく固まってしまうが,いろいろな人と付き合っている学者には飛躍がある。勉強はひとりでするもの。そう思って若い人は,本ばかり読む。その努力は立派であるが,そのわりには伸びない。(p146)
 われを忘れることによって,新しい自己があらわれる。そうとわかっていても,ひとりでは,自己忘却は不可能に近い。(p147)
 浪人はおもしろくないが,その経験のある人は,秀才で,受ける試験にすべて合格したというような人にはない人間力をもっていることが多い。(p157)

2020年7月13日月曜日

2020.07.13 勢古浩爾 『60歳からの「しばられない」生き方』

書名 60歳からの「しばられない」生き方
著者 勢古浩爾
発行所 KKベストセラーズ
発行年月日 2017.11.30
価格(税別) 1,400円

● 勢古さんの著書を読むのは,これが初めて。“定年”を素材にしているが,定年そのものについて語るのではなく(それも語っているのだが),定年を話材にして自らの人生論を開陳している。メディア論であったり世相巷談であったりするわけだ。

● 以下に転載。
 「こうすれば,こうなりますよ」というほど,人間関係も生活も人生も単純なものではない。こうすれば,お金の不安はなくなる,健康になる,人生はうまくいく,という識者がいるが,みなインチキである。(p5)
 定年を間近に控えた人が考えることは,「会社を辞めたら,オレなにをするかなあ」だろう。「なにもしなくいいんだ」という選択肢は最初からないようである。(中略)どうやら,人はなにかを「しなければ」不安になるらしい。(p8)
 「おれだって,定年後はなにもしたくないよ,腐るほど金があればそうするよ」という人がいるかもしれない。それはだめな自由である。お金がないのに,自由に生きるのがいいのである。(p11)
 もしわたしに有り余る金があったとしても,欲しいものがほとんどない。金持ちはよくまあ二千万円の腕時計を買ったり,家にプールを作ったり,車を何台も持ったりするねぇ。金持ちのワンパターンである。(p34)
 買ったモノは買ったとたんに,色褪せる。欲求がそこで消滅するからだ。手に入れたものは欲求の残骸である。だからまた,次のモノが欲しくなる。きりがない。(p37)
 こういう欲の少ない人は,世間から「つまらない男」といわれかねない。(中略)だが,わたしたちは,つまらない人間たちから,おもしろい人といわれるために生きているのではない。(p43)
 たかだか健康維持のためにわざわざお金を使うことはない。お金を使ってフィットネスクラブやヨガ教室に通わないとやった気にならない,というのはひ弱な精神である。逆にいうと,お金を払ってどこかに通えばやった気になる(英会話なども同じ)というのは,自分を騙す自己満足である。(p51)
 世間は一々「老後,老後」とやかましすぎる。(中略)ほんとうは「老後」なんて大雑把なものはないのである。あるのは,今日という一日だけである。(p69)
 常識にしばられない,ということの反対側に,自分で自分をしばらない,ということがある。(中略)歳など関係なく,やろうと思えばだれでも大抵のことはできるのである。男でも,料理は当然できる。そして,やはり自分でできたほうが,なんでもおもしろい。(p72)
 六十も過ぎれば,どんな人間も大差ないな,と思うようになる。エライとされてきたものも大したことないな,専門家といえど,ピンは少なく,大半はキリばかりではないか,とわかり,そんな世間の価値観がどうでもよくなるのである。(p77)
 これを若いときから察知している人もいるかと思う。それでも周りにはシニカルになっているところは微塵も感じさせずに,淡々と仕事をしている人がいるのじゃないか。
 ここでそれを外側に出してしまうと,せっかくの正しい洞察が自分の足元を掘り崩すことになる。それも,言われるまでもなくわかっているかと思うが。
 すべては相対的である。ひとりの贅沢な時間があるのも,残余の膨大な猥雑な時間があるからである。世間があるから,ひとりもあるのだ。(p81)
 世間体を気にする人は,世間の価値観を内在化しているのである。(中略)世間体を気にするとは,実体のない世間を相手に独り相撲をとっているのである。(中略)世間の目を恐れて行動が萎縮剃るのも,その逆に過度なアピールになるのも,自分自身の自由のなかで生きているのではなく,世間の目のなかで生きていることはおなじである。(p84)
 人生に「こうすればこうなる」なんてことはない。それはインチキビジネス書や成功本の幼稚な手口である。だから,こうすれば金儲けができる,成功する,雑談力があがる,老後は豊かになる,人生は充実する,輝く,なんてことはないのだ。(中略)すべての甘言は疑似餌である。食えたものじゃないのである。「輝く」なんてバカな言葉を使っている時点で,すでにアウトである。(p113)
 どうも「楽しい」という言葉は薄っぺらいのである。「人生は一度限りなんだから」という言い方もさもしいが,だから「楽しまなければ損だ」というふうになると,さもしさの二乗という気がして,黙って勝手に楽しんでいろよ,といいたくなる。(p117)
 後悔など,人間である以上,して当然である。「存分に生き切る」とか「悔いのない人生」という。そんなものあるのか。もう,言葉がやかましいのである。おまけに,あつかましい。(p122)
 深味とは,我慢の数である。広がりとは,濁を呑み込んだ数である。(中略)悔いて,反省したことがない人間はいつまでたっても浅いままだ,ということだけはわかる。「悔いのある人生」が正しいのだ。(p123)
 ほとんどの仕事はなくてもいい仕事ばかりである。(中略)もう,売り上げが一兆円を超えたとか,世界何位,業界何位とか,東大出身で大手商社勤務だとか,豪邸だの六本木ヒルズだのが,まったくどうでもよくなる。(p132)
 どう生きていけばいいのか,もへったくれもない。すでに人生の大半を生きてしまったのだから。(p137)
 お笑い番組などで,こういう場面をたまに見る。ある芸人がまじめなことをいうと,先輩芸人が「あほか。これはテレビ,てれび!」というのである。これがテレビの本質である。(p142)
 不安を煽るような話やうまそうな話,おもしろすぎる話は,ほんとかウソかと考えるのがめんどうだから,わたしはすべてウソと見做す。(p144)
 自由を持て余して途方にくれ,なんらかのしばりを欲するようになると本末転倒である。(中略)「豊かさ」や「充実」などにとらわれることなく,自分ができることやしたいことをするだけである。(p163)
 二万円,三万円の食べ物など,その価格に値するほどうまいはずがない。めくるめく快感などないように,至高の味なんかあるわけがないのだ。(p175)
 自然権とか天賦とかいっても,人間がそう考えただけである。だから当然,不備なものである。(中略)基本的人権は,他人の権利を尊重する者にしかないと思う。(p177)
 いまの世の中を見ていると(どの時代でもおなじかもしれないが),おれが正しい,おれが引っ張る,夢を持て,楽しい人生を送らなければ損だぞ,と前衛に出たがっている人間だけが幅を利かせ,マスコミもそれに喝采する。むろん,それは悪いことではない。(中略)ただ,それだけではまずい。聞き飽きたわ,という気もする。(p197)

2020.07.13 加藤 仁 『定年からの旅行術』

書名 定年からの旅行術
著者 加藤 仁
発行所 講談社現代新書
発行年月日 2009.09.20
価格(税別) 720円

● “術”といっても,万人に妥当する方程式のような術があるわけでは,もちろんない。著者が取材した多くの人たちの,いうならエピソード集だ。
 章立ては次のとおり。
 1 地域発見!日帰りの旅
 2 夫婦で行く旅
 3 男も女もひとり旅
 4 私家版「街道をゆく」
 5 ライフワークとしての「大旅行」

● 以下にいくつか転載。
 夫婦の旅を描いた古今東西の感動的な名著はないかとさがしてみた。ところが名著どころか,体験的な夫婦の旅の本がごくわずかしかないと知った。(p48)
 杉原善之さん(取材時八十四歳)は,田山花袋の言上を体現するかのように,七十歳から旅に生きた人である。「それ以前の,七十年の人生については,克明に憶えていないのですよ」(p81)
 ガイドブックには安宿は危険であると書かれていたりするが,藤本さんからすると,逆である。ロビーに雑多な人たちが入ってくる大きなホテルほど旅行者は狙われやすいということになる。(p95)
 旅先では「単語を並べるだけのワン・ワード・イングリッシュ」であると言う。相手も英語が達者でないばあい,そのほうが通じやすい。(p95)
 首都圏に住まいのある藤本さんはこくつづける。「東京の町歩きは,もっととしをとってからでいいよな,と妻には言っています」(p98)
 カソリックの国は,中心街にある教会の周辺に好ましいホテルがいくつかある。ただし教会に近いほどホテルの宿泊料は高いので,そこから一,二本通を入り,こぢんまりとした宿に泊まるのがいいと,茅野さんは言う。(p101)
 「ことばにはおカネをかけないの」 茅野さんのフランス語もイタリア語も,スペイン語も英語もNHKのテレビとラジオの講座から仕込んだ。とりわけ交渉ごとができる最低限の言葉だけはしっかりと憶え,相手につけ込まれないようにして旅立つ。「最初にナメられると,ろくなことはありませんからね」(p103)
 あらかじめ宿を決めてしまうと,日本を発つ前からその旅が見えてしまい,こころが踊らない。宿が気に入れば長逗留をし,心豊かな時間の流れに酔いしれる。三ヵ月の旅であってもにもつは一泊旅行の鞄しか持たない。そうすると旅人から土地のひとになれるような気がするという。(p104)
 私のばあい年金はわずか,カミさんもパートで働いています。金銭的な欲を言いだせばきりがないけれど,十万円を得たならば,それを“時間”で補って二十万,三十万の価値を生みだすようにつかう。そうしなければ“苦しい”“貧しい”と私らは嘆いてばかりいることになりますからね(p144)

2020年7月10日金曜日

2020.07.10 若宮正子 『明日のために,心にたくさん木を育てましょう』

書名 明日のために,心にたくさん木を育てましょう
著者 若宮正子
発行所 ぴあ
発行年月日 2017.12.10
価格(税別) 1,100円

● 著者は「ICTやデジタル機器にそっぽを向いているシニアが多いんです」(p133)と残念がっているのだが,これからシニアになる人たちは,仕事でパソコンやインターネットを使っている。スマホも使っている。いずれ,老いも若きもネット族になる。そういう前提で,今後の社会を考えないとね。著者のような柔軟性を維持した年寄りが増えるであろうことも。
 現在の延長線上に未来があるわけがない。10年後,20年後を想定できる人なんていないだろう。だから,どんな未来になるのか,楽しみとするに足る。

● 以下に転載。
 私は自分本位主義ですから,人の目を気にせず,頭の周りの網を外して,やりたいことを自由にやってきていますし,これからもずっと,この流儀でいきたいと思っています。(p16)
 少しでも前に進めば,それは挫折ではなくて成功。やればやっただけプラスになると思います。(中略)挫折なんていうものは,そもそもないと私は思うんです。(p20)
 自分の英語が通じるか通じないかと気にする前にしゃべってみて,それで通じれば「めっけもん」って思うんです。(p27)
 私はいま82歳ですけど,まだ前に進めるんだったら,進んでみたいと思っているんです。若い人に比べたら理解度は遅いし,進歩も遅いけれど,やらないよりはやったほうがいい。(p46)
 私は日常のいろんなことに関して,「これは,こういうものである」,「これは,こうやって使うものである」みたいな意識があまりないんです。(p49)
 「アイデアが出てこなくて悩んでいる」という人は,もっと周りをよく見て,観察して,ときには巻き込まれてみるといいんじゃないかしら。(p55)
 お料理教室やクックパッドのレシピ通りに作るのも良いけれど,自己流にアレンジしてみる。それこそが「人間にしかできない」クリエイティブなことなんです。(p58)
 私,「日々の生活のなかで,これだけは譲れない!」とかっていうことがないんです。(中りゃう)こだわりもとくにないし,1日の決まったスケジュールだってない。(p108)
 アメリカでは(中略)「アンチエイジング」なんて言葉が流行っていましたが,最近では「エンジョイエイジング」のほうにシフトしているようです。沈む夕日を追っかけたって,追いこせっこない。それだったら,沈む夕日を一緒に楽しんだらいいと思うんです。(p121)
 なにをしたらいいのかわからない人にオススメなのが,古典的なものや,伝統的なもの。なぜなら,それらは古くならないから。(p127)
 いま「私,輝いていないなあ」って思っている人がいたら,私は「人生は“風待ち”みたいなものだから,そんなに焦らないで」って言いたいです。(p153)

2020年7月9日木曜日

2020.07.09 若宮正子 『60歳を過ぎると,人生はどんどんおもしろくなります。』

書名 60歳を過ぎると,人生はどんどんおもしろくなります。
著者 若宮正子
発行所 新潮社
発行年月日 2017.11.25
価格(税別) 1,200円

● ひょっとすると,日本で最も有名な85歳のレディはこの人。が,年を取ってから凄くなったり賢くなったり溌剌となったわけではない(と思う)。若い頃からそうだったのだ。
 どんな老後になるかは,老いる前に決まっているのかも。が,仕事を辞めてステージが変わると,生活ぶりも変わる。諦めない方がいい。

● 以下に転載。
 人間だれでも歳を取ります。歳のせいで起きていることは,気にしたってしょうがない。検診結果に一喜一憂するよりも,ごきげんに楽しく過ごすのが何よりではないでしょうか。「自分がごきげんかどうか」。それが,私にとっての健康のバロメーターです。(p27)
 私は普段,無理して寝ないし,無理して起きることもありません。体の声に素直に生きています。(p29)
 若いときはいつまでもくよくよ悩むこともありました。でも今は,大体自分の都合の悪いことはすぐに忘れてしまいます。うまくいったことは自分のおかげで,うまくいかなかったことは自分以外のせい。(中略)長年生きてきて,そのくらいに思っていた方が気楽だと気づいたからです。(p38)
 若い頃に日本舞踊を習っていた時期があります。あまり上達はしませんでしたから,うちの母に言わせれば「ものにならないで無駄遣いした」となるわけですが,私は習ってよかったと感じています。(中略)そのおかげで,歌舞伎座に行っても,少なくとも清元と長唄と常磐津の区別がつく。それって,人生にとって絶対にプラスなんです。長い人生で見たら,元は十分に取れている。(p40)
 われながら,すべて「グーグル翻訳」頼りというのもいい度胸とは思うのですが,直すほどの知識がないから仕方がありません。(中略)完璧を求めずにダメ元でいい,と思っていれば,私のようにどうにかなるものです。(p45)
 でもあるとき,比較ってつまらないということに気がついたんです。だって,どんな人でも,どんなものでも,上には上が存在するんですから。(p51)
 そもそも独学のきっかけは,小学校で理科を学んでこなかったことが関係しているのかもしれません。(中略)解決するためには独学しかありませんから,自然と調べるクセがついていったのでしょう。(p56)
 今まで料理をやったこともない人が,包丁の研ぎ方や野菜の切り方などから学び初めてしまうと,続けるのが難しいのではないかと思います。(p65)
 今のような情報過多の時代においてこそ,まず手を動かすことが大切だと思います。(中略)森巧尚先生もこうおっしゃっていました。「とりあえずひとつ作ってしまってから,プログラミングの勉強をするのがいい」。何も作ったことがない人が最初からプログラミングの基礎をやってもおもしろくないということです。(p67)
 世間ではダイバーシティ(多様性)が大事だと言われていますが,フェイスブックから広がる世界はまだにダイバーシティそのものだと思います。(中略)喜びや悲しみすべてを共有しようとせずに,共感できないところは理解した上で,共感できる部分でお付き合いすればよいのではないでしょうか。(p82)
 人生がずっと順調に行くことはありません。それよりも,何回か転んで起き上がり方を覚えることが必要だと思います。(p112)
 最近思うんです。世の中,上手く回るときは回っちゃうものだと。(中略)流れを待ってみてもいいと思います。そうして流れが巡ってきたときには,えい!と身を任せるのもとっても大事。そして必ず,流れは人が持ってきてくれるもの。だからこそ,人とのご縁は大事にしていきたいと思っています。(p124)
 今は超高齢化社会です。「六十の手習い」なんて昔の話。これからは「八十の手習い」も珍しくなくなります。(p129)
 私もここぞという大事な場面では,赤を着るようにしています。(p129)
 私が,人様よりもあんまり悩まない性格なのだとしたら,それは,「長いものさし」を使っているから。「時間が解決するさ」と思うと,深く考え込むことはなくなりますよ。(p152)
 テレビやネットかrなお情報だけではなく,人間とどれだけ接したかが問われると思います。所詮,人間は人間の中でしか人間力を養うことができません。(p154)
 「ヤクザな女」というのは,友人が昔使っていた言葉で,とても気に入ってしまい,それから自分も使うようになりました。(p156)
 自分なりの解釈で行動することが,自立するということだと思うのです。(p162)
 自分の頭で考える未来なんて,所詮限界があります。想定外の世界に連れて行ってくれるのが,人とのご縁や,社会とのつながりだと実感しています。だからこそ,そのつながりを生み出す「今」という瞬間を大事にしたいと思います。(中略)今ワクワクすることをもっと大事にしたい。(p170)
 たとえ笑われたって,一緒に笑ってしまいえばいいだけですから!(p172)

2020年7月6日月曜日

2020.07.06 森 博嗣 『アンチ整理術』

書名 アンチ整理術
著者 森 博嗣
発行所 日本実業出版社
発行年月日 2019.11.10
価格(税別) 1,400円

● 哲学というとやや違うかもしれないけれども,認識論の範疇に属するものだと思った。整理術を肴にして認識論を語っている。スラスラとは読めなかった。何回かページを前に戻すことがあった。
 なので,読むのにけっこう時間を要した。もともと,ぼくは読むのは遅い方なんだけど。

● 以下に多すぎる転載。
 「仕事術」というものを,僕は事実上持っていない。なんの拘りもなく,方針もなく,これまで仕事をしてきた。拘りがなかったから,研究者なのに,小説を書いたのだ。(p6)
 日本人の半分くらいは,本など読まないし,活字を読んでも意味を頭に展開できない。だから,文字を読めるという基本的な能力に加えて,自分の人生を工場させたいという意欲を持っているだけで,なにごとにも積極的になれるはずだ。これが,成功を導く要素となる。(p8)
 世の中も自然も,不公平にできている。だからこそ,「公平」というルールを作って,人間社会を改善しようとしているのである。(p9)
 能力が低い場合には,その分時間をかけて人よりも余計に努力をしないと,同じ目的に到達できない。だが,これを「損」だと考えるかどうかは,人によって異なる。他者と比較をする競争のような場合は,時間が短い方が有利であるけれど,自分の好きなことにうちこんでいる場合ならば,目的になかなか到達しなければ,それだけ楽しい時間が増えるのだから有利である。(p9)
 僕の断捨離に対する考えは一つだ。不要だと断言できるものは捨てれば良い。そうでないものは持っているしかない。これだけである。(p11)
 最近よく話題に上るのは,「終活」なるもの,つまり,死ぬときの準備のことだ。身の周りを整理しておこう,ということらしい。これも・僕にはまったく無駄に思える。そんなことをして楽しいか?と首を傾げてしまう。(p12)
 断捨離するなら,持ちものなど,どうだって良い。そのまえに,自分の気持ちを断捨離しておこう。終活も同じだ。どちらも,まずは死ぬ覚悟をしておくことである。その次には,人間関係を断捨離しておくこと。(中略)借金があったり,人から援助してもらっていたり,といった関係を処理しておくこと。親戚関係で,子供たちになにかいってきそうな人がいたら,縁を切っておくこと。そういうものが,本当の断捨離である。(p14)
 動物というもの,あるいは生命というものが,不均質な状態なのである。つまり,生命というのは,宇宙の平均的な状況からすると,極めて奇跡的なバランスを保っている特殊な状態であり,ある意味で,綺麗に整理・整頓されたものといえなくもない。(中略)ということは,人間が整理・整頓に憧れるのは,それが生命を感じさせるものだからではないか,というのが僕の思いつきである。(p22)
 一人で作業をする現場というのは,僕が知る限りでは,だいたい散らかっている。(中略)逆にいえば,その状態が自分にとっては「効率的」なのである。(p25)
 片づけることでは,新しさは生まれないのだ。せいぜい,思い描いたとおりの綺麗さが表れるだけのことで,想像もしなかった展開にはならない。ここが,片づけることのつまらなさである。(p35)
 綺麗に片づいた職場というのは,必要なものと不要なものが,きっちりと区別できる作業を行なっているため実現するものであり,いわば決まった作業を繰り返すルーチンワークをしている場所なのである。(中略)創造的な仕事をしている場合ほど,片づけられない。逆に,片づけられるのは,創造的な仕事をしていないから,といえるだろう。(p35)
 やる気がないときは,部屋とか机とか,できる範囲で良いから,ちょっと片づけてみる。すると,なんとなく気持ちの整理がつくものである。(中略)なにか一つをすることで,次にできるものがわかってくる。上手くすると,やる気も出てくるかもしれない。(p39)
 何をすれば良いかわからない状態とは,なんでも良いからした方が良い状態である(p39)
 「嫌だな」と思っている,その状態のままやる。それが正解である。嫌な気持ちを「やりたい」気持ちに切り換えるのは,かなり難しい。(中略)嫌だけれど,やった方が得だとわかっているから,得と我慢の交換として,やっていることである。(p40)
 世間で良いといわれている方法が,必ずしも個人の役に立つわけではない。(中略)どんな方法が自分に効くのかは,実際に試してみるしかない。(中略)これは,時間をかけて試行錯誤を重ねて見つけるもの,築くものなのであり,時間がかかる。(中略)自分に適した方法を早く見つけるコツというのは,できるだけ多くの意見や事例を参考にすることだが,そのときに,好き嫌いで評価をしないこと。嫌な奴がいっていたから,あいつの意見は聞きたくない,ということは,自分にとっては明らかな損である。(p42)
 それくらいものは増える。どうして増えるのか,といえば,どんどん新しいことを始めるからであり,それだけ面白いこと,やりたいことが多いからなのだ。活気に溢れている場所というのは,必然的にものが増える。自然に減っていく,などということは滅多にない。(p54)
 この人間に求められた「集中力」とは,結局は「機械のように働け」という意味であるから,僕は「機械力」と名づけるのが相応しいと考えている。(中略)では人間に要求される能力とは何か? それは,新しい問題を見つけること,これまでになかったアイデアを発想することである。(中略)こういった問題発見や新発想に必要なものは,一つの対象に集中する思考ではなく,沢山のことに目を配り,また無関係なものからヒントを得るような「連想」である。「連想」とは,思いもしないところから「思いつく」行為だ。これらには,集中力とは正反対の姿勢が有利となる。(p62)
 量子力学における「不確定性原理」という言葉を聞いたことがあるだろう。(中略)「なにごとも,突き詰めていけば,その核となる大元に行き着くわけではない」くらいの意味なら,そのとおりかもしれない。(p87)
 学習は,栄養補給であるから,学習するほど頭が太る。だから,適度に計算や発想でアウトプットしないと,頭の肥満になりやすい。頭が肥満すると,頭の動きが鈍くなる。頭を使うことが億劫になる。面倒なことを考えたくない頭になる。(p92)
 (発想するのに)リラックスが必要なのは,重要なポイントであるけれど,リラックスするためには,緊張した時間がなければならない。(p95)
 発想をするためには,無関係なデータも必要である。必要なデータだけ学んでいれば,スペシャリストにはなれるかもしれないが,斬新な発想は生まれないといっても良いだろう。(中略)教養というのは,「役に立たないものなど一つもない」という精神が育むものだろう。(p96)
 多くの場合,忘れてしまうようなものは,それだけ印象が薄いわけで,結局は大したアイデアではないか,熟成されていないかのいずれかだろう。そういう場合は,一旦忘れてしまうのがよろしい。熟成した頃に,ふと思い出すことになるからだ。(p97)
 大事なことは,むしろすぐに答えを出さない姿勢だ,と僕は考えている。もしできるならば,しべて保留にすれば良い。(p98)
 たとえ自分が決断して実行したことであっても,いつも半信半疑で良い。(p98)
 頭脳は,考えることで沢山のエネルギィを消費するから,できるだけ考えないようにしたい。頭が疲れないようにしたい。そういう本能があるから,てきぱきと判断して,自分の立場を早く確立しようとする。これが,判断を急ぐ理由である。いわば,考えることからの逃避なのだ。(p99)
 判断する段階では,失敗を恐れないのは危険な指向といえるだろう。こうした楽観が,どれだけ大きな不幸を招いたことか。(p100)
 頭を整理・整頓するよりも,頭を使うことの方が効果がある。いつも頭を動かしていれば,回転数が歳とともに低下する傾向があるにしても,止まるようなことはない。その意味でも,判断をいつもするように気をつけること。すなわち,自分の立場はこちらだと決めつけないで,常に周囲の条件などを評価し,新しい判断をする姿勢が,頭を使い続けることになる。(p103)
 つい最近になって,インターネットが突然現れ,人々がそこに吸い込まれた。せっかく古い柵を切り,都会に出てきた人たちが,あっという間にネット社会の「村」に取り込まれた。(中略)フェイク情報に影響されたり,赤の他人に腹を立てて炎上させたり,といった現象は,かなり古いタイプの人間関係に酷似している。近代社会は,そういうものを排除したはずだが,何故復活したのだろうか?(p121)
 自然は不確定なものであり,災害をもたらす危険がある。だから,徹底的に自然を遠ざけて,すべて人工的なもので人間が活動する場所を作ってしまおう,と考えた。その結果が都市である。集中し,密集することで高効率を得る。これは,集積回路と同じ理屈である。お互いのアクセス経路が短いことが,効率を高めるからだ。構造は多層化し,平面から立体へシフトする。(p123)
 インターネットのストラクチャは,これまでの集中系ではなかった。(中略)完全な分散系であり,社会の構造とも異なっている。ただ,人間の頭の構造には分散系が近いかもしれない。人間の頭脳は,図書館の分類のように整理はされていない。(p127)
 インターネットが一般に普及し始めたのは九〇年代初めであるが,このとき僕が感じたことは,「社会の秩序が乱れるだろうな」というものだった。個人どうしが勝手につながることは,社会に存在するあらゆる枠組みを破壊する可能性がある。(中略)それまでは,ある枠組みに属すれば,他の枠組みには属せない,という暗黙の了解があった。これは「集中系」のストラクチャの基本だ。(中略)ネットでは,このような二重登録が簡単に実現する。個人が複数のアカウントを持つことができ,複数の人格を装える。そこには,個人の可能性を広げる自由がある。むしろ,現実でそれが不可能なことが,いずれ不自然となりそうである。(p128)
 昔は,大勢が均一な生活をするようにデザインされた社会だったが,今はそうではない。ランダムになるような方向であり,これが分散系のネットの仕組みにも類似している。個人の人間関係は,今後も限りなく多様化,多層化するはずである。その限界は,個人の頭がついていけるところだ,と思われる。認識できるうちは,自由に複雑化するはずである。(中略)この状況自体を,僕は「悪くない」と感じている。このようなランダムで複雑なストラクチャは,人工的ではなく,むしろ自然に似ている。自然の生態系は,人間の理解を超えるほど複雑で,あらゆるものがリンクし,しかもどこにもグループらしきものを形成しない。一つのものが一箇所で増えることを,自然は嫌っているようにさえ見える。(p132)
 人間は長生きするが,時代の変化は速くなっている。個人が何度もリセットしなければ追いつけない時代になった,といえるかもしれない。(p134)
 その理想の中には,自身だけではなく他者にまで,どう考えるべきだ,どう行動すべきだ,と要求するようなものまである。それはまるで,人を操る殿様か催眠術師のような能力を想像させる。そんな範囲にまで自分の理想を持つこと自体に問題があるのだが,残念ながら,それに気づく人は非常に少ない。(p136)
 問題は,通常一つの要因で発生した結果ではない。一つの要因であれば,大きな問題にはならないだろうし,気づいた人がすぐに手を打てたはずだ。そうではなく,複数の要因が絡んでいるから,どんな手を打てば良いのかがわかりにくい。(中略)その要因というのは,探して見つかるようなものではない。なんらかの手を打って,その結果を見ることで,そこではないか,そちらだったか,と把握する。つまり,試してみないとわからない場合がほとんどだ。(p140)
 仮想の他者,仮想の社会を,自分の中に作ってしまうことを,ときには「自意識」と呼ぶことがある。(中略)ネットの普及によって,この自意識が平均的に活性化していることは,おそらく誰もが感じるところだと思われる。ネットは,仮想の「他者」や「社会」を個人の意識の中に構築するのを促す機能を有している。(p145)
 自分を考えるとは,自分と社会との関係を考えるということと,ほとんど同じである。自分が何者であり,どのような可能性を持っているのか,と考えることだ。(中略)自分のことを考えるというのは,自分のことだけを考えるのではない。なんでも良いから,とことん考えているうちに,だんだん自分というものがわかってくる,という知見である。(p148)
 具体的な手法など役に立たない。そういう手法がもしあるなら,その手法が実践できる人に,仕事として頼めば良いだけである。自分がしたいことに活用するためには,手法がもっと抽象化されていなければならない。もっとぼんやりとして,方向性を示すくらいまで概念的になっていなければ,個々の対象に活かせない。(p152)
 運に任せるという楽観では,ほぼ成功はありえない。幸運で成功した人は,運を見逃さなかったし,それ以前に努力や試行錯誤があったから,運が訪れたことに気づけたのである。ぼんやりと,ただ待っているだけの人には,運がどのようにやてくるかも想像できないはずである。つまり,そういう人には見えないものだと思ってもらえば良い。(p154)
 ほとんどの場合,本質や真の目的から目を逸してしまう原因は,「感情」にある。感情というのは,問題を見誤らせる。(中略)客観的に見れば,さほど大きな問題ではないにもかかわらず,感情がそれを増幅して見せることが多い。(中略)もっと問題なのは,その障害のために,先が見えにくくなることである。(p157)
 人間の精神は,自分を庇うようにできている。基本的に自分贔屓だ。(中略)しかし,相手も同じ感情で判断をしているから,当然ながら争いになる。(中略)感情とは,一度湧き起こると,自分で自分を煽るから,どんどんエスカレートする。(p158)
 信頼を得て,他者に使ってもらえる人間は,人間として片づいている必要がある。少なくとも,そう見えるようでなければならない。(中略)そのためには,感情を抑制することが第一条件である。(中略)社会の人間関係は,人格の本質でぶつかり合うほど深いものではない。見かけだけのレベルなのだから,ちょっと装うだけで,ずいぶん社会で生きやすくなるだろう。これが,社会性とか協調性などと呼ばれるものである。(p160)
 研究とは,すべて世界初でなければならない。他者に追従するものではないし,他者の成功をトレースするものでもない。同じことをしている人はいないのだから,研究者のあり方のようなものは存在しない。それぞれが,自分のやり方で前進しているはずだ。(p166)
 考えることです。もう必死になって考える。ずっと考え続けます。僕たちの分野では,それ以外に成果を出す方法はありません。誰も教えてくれないし,誰も知らないことだからです。(p169)
 方法ではない,ということがまず第一だと思いますよ。方法なんて,そのうちできてくるものです。とにかく,結果を出す,必死になって前進します。すると,振り返ったときに道ができている。それが『方法』というものです。方法というのは,同じことをもう一度するときには役立ちますが,最初にするときには,方法はありません。(p170)
 (論理的思考は,どのようにすると身につきますか)論理を出力することです。(p177)
 力を出し切らないで仕事をした方が健全だと思います。そんなに一所懸命になる必要はないし,それくらい力を抜いた状態こそが,その人の性能だと思います。機械は,みんなそうですよ。最大出力で使ったりしません(p180)
 勉強法を確立できるのは,試験対策としてだけです。どんな試験かだいたい決まっているからできたことです。一般の場面では,勉強法なんて確立できないと思いますよ。(p183)
 事前に学ぶことはないと思います。いつでも学べるのです。問題が起こってから,仕事で直面したこと,必要なことを学べば良いのではないでしょうか。(p187)
 情報過多といっているわりに,みんな薄っぺらい情報しか見ていないし,深く追求もしません。情報と情報の関連性も考えません。それも,やはりインプットだけではなく,アウトプットすることが大切です。つまり,情報について考えること。情報というのは死んだデータです。もう変化しないものです。考えなかったら,情報は死んだままですが,考えることで,初めて情報が生きます。(p191)
 何を学べば良いのか,と考えることが,スペシャリストへの第一歩です。(中略)教材があり学習法があったのは,十代までのこと,共通する基礎的な事項,つまりジェネラリストを育てる段階だったからです。(p197)
 貴女は考えることが苦手なのでしょうね。だから,効率の良い方法を求めてしまう。計算はするから,数字と式を教えてほしい,とおっしゃっているのです。でも,社会にある問題は,すべて応用問題です。計算をしなさい,という問題はありません。(p200)
 研究者の素質としても,コンピュータの前に十時間くらい毎日座っていられることは条件といえます。続けることで,自分の能力を増幅できるわけですから,こんなに簡単な方法はほかにありませんよ。(中略)こつこつと続けることで,ほとんどのことは実現します。(p202)
 皆さんにいえることは,人にきくまえに,自分で考えましょう,だと思います。(p203)
 効率的に学ぶと,効率的に忘れていくかもしれませんよ。(中略)効率なんてものは,その程度のものだということです。(p206)
 部屋は,なんにでも使えるスペースだったのだ。(中略)そして,それらの行為が終わったら片づけて,なにもない場所に戻す。この精神は,「みそぎ」的なものといえる。つまり,あらゆるものが「けがれ」を持っているから,常に綺麗にリセットすることで,正しさを保つのである。(中略)散らかっている状態は「乱れ」だと捉えれれる。(中略)常日頃から乱れることがないように,クリーンな社会を目指そう,といった精神が共有されてきた。(p209)
 人間は,創作的な作業を担い,それ以外は機械が生産する,という世の中になるだろう。これは客観的に見れば,「乱れ」がまっとうな仕事になったようなものだ。人が面白がるもの,興味を示すものは,「秩序」ではないからだ。(p211)
 僕は,デビューしたときからずっと,創作ノートというものを持ったことがない。小説のプロットは書かない。予めストーリィを決めておくようなこともしない。テーマなんか考えないし,誰が登場するか,どんな結果になるかも,まったく白紙のまま執筆を始める。事前に考えるのは,作品のタイトルである。これは半年ほどかけて考える。(p213)
 頼まれたわけでもない,褒められたいわけでもない,自分がやりたいからやっている。この自発性というか,自己完結的な部分が,人園としてとても魅力的に見える(p233)
 言葉で説明しても,全部は伝わらない。わかってもらえることなど,ほんの少しだ。大部分は誤解される,と考えて良いだろう。文章を書くことが仕事の僕でさえ,そう理解している。(中略)誰にもわかってもらえなくても,自分はわかっている。自分が知っている自分が,一番本物だし,その評価を自分ですれば,それで良い。これがつまり,気持ちの整理・整頓というものだろう。(p235)
 自分には内と外があるが,内とは,主に自分の頭の中だ。環境は,自分の外側に存在する。自分の肉体を,内と見るか外と見るかは,人によって異なるだろう。僕は自分の躰は外だと認識している。(中略)環境の一部だろう,と僕は考えている。(p236)
 人間は,本当に自由なのだ。疑っている人は,一度試してみると良い。明日,自分の好きなところに出かけて,好きなものを食べてみると良い。それを,誰かに逐一報告したりしない。誰にも自慢したりしない。ただ,自分でにっこりすれば,それで良い。自由にできることが,どれくらい価値があることか,少しわかるだろう。(p243)

2020年7月5日日曜日

2020.07.05 櫻井秀勲 『誰も見ていない書斎の松本清張』

書名 誰も見ていない書斎の松本清張
著者 櫻井秀勲
発行所 きずな出版
発行年月日 2020.01.01
価格(税別) 1,500円

● デビュー当時から松本清張を担当していた編集者の記憶をまとめたもの。松本清張を振り返ることは,そのまま昭和後期文学史を書くことになる。文学史というか文壇夜話というか。
 ぼくは松本清張の読者ではないのだが,これは読まずばなるまい。そう思わせるだけの面白さがあった。

● 以下に転載。
 和服で原稿を書く文豪にしては,椅子に腰かける形式の机を使うのは珍しい。(中略)和服だと畳に座って書くのがふつうだし,特に時代ものを書くとなると,畳でないと,文章にも雰囲気が出ないものなのだ。ここが成長文学のポイントになるのだが,清張さんの文章は,現代ものと時代もので,それほどの差異がない。時代小説を読んでみるとわかるのだが,現代文なのだ。(p4)
 書斎の机の脇にベッドを置いている作家は,ホテルで書いている人々に多い。書き疲れたら,二,三時間仮眠してはまた起きて,書きつづけるタイプである。初期の清張さんはそうだった。(中略)あまり健康的ではないが,私の知る範囲でいうと,おかしな表現だが,健康を気にするタイプほど,早く衰えるようだ。(p5)
 これは誰の場合でも同じことだが,「話す」より「聴く」ことのほうが大事だ。(中略)私はまず今日の先生は,どんなことに興味をもつのか,どんなことに同意してほしいのかを探る。(p28)
 私は間違いなく,清張さんは超天才だと思う。それは四百字詰め三十枚から五十枚くらいなら,ほとんど話したものと書いたものと,内容が違わないのだ。(中略)清張さんは,大作でも口述筆記が可能だったのだ。(p34)
 松本清張が国民的作家と呼ばれるようになった理由は,ここにあると私は思っている。若い同僚が耳で聞いて面白い,といってくれた-という箇所は重要だ。(中略)書くだけでは,人はなかなか読んでくれない。むしろ朗読して,面白がってくれるかどうかを調べたほうが,成功する率は高いと思うのだ。(p37)
 外語大というところは実に奇妙な学校で,その言語学科があろうがなかろうが,たちどころにしゃべれる学生が集まるのである。一種の天才集団だった。(p87)
 清張さんが二十二歳も年下の私を可愛がってくれたについては,一つだけ,性格が酷似していたことによる。二人とも,大の負けず嫌いだったのである。それは将棋を指していて,互いにわかったことだった。(p89)
 清張さんが他の作家と根本的に違った点は,過去の作品をほめても,ちっともうれしそうな顔をしないことだった。(中略)松本清張の真骨頂は,次に何を書くか,自分にはどんな才能が眠っているかの二点についてだけ,生き生きとした関心を示す点にあった。(p90)
 「作家は絶えず旅をすべきである」というサマセット・モームの言葉を戒めとしていた松本清張は,旅だけでなく現場取材も丹念だったし,電話取材も巧みだった。これらの取材力を駆使して,短い一篇を書く場合でも,惜しみなく時間,労力,史料を注ぎ込んだのである。(p94)
 松本清張には,作家の資質は才能ではなく,「原稿用紙を置いた机の前に,どれくらい長く座っていられるかという忍耐強さ」という特異な考え方があった。後年,私が独立して作家になろうと決意したとき,清張さんは「一日十六時間,机の前に座れ」と私に指示している。私はそれを十三時間に値切るという珍問答を交わしたほどだった。(p94)
 新人時代からつき合っていた各出版社のすぐれた編集者たちが,ほとんど全員役職者になってしまい,各社とも若手編集者に交代したからなのだ。そうなると“清張さん”ではなくなり“清張先生”として巨大な作家を目の前にするので,編集者も畏れ多くて,くだらないおしゃべりができなくなってしまったのだ。これはなにも松本清張に限らず,ほとんどの作家の作品が,初期から中期に傑作が揃っていることと無縁ではない。(p98)
 清張さんの歩き方は,後年の文豪然としたゆったりした様子からは想像できないほど,せかせかしたものだった。私はこの歩き方を見て,じっくり考えるタイプではないと判断した。(p115)
 文壇には序列などないように見えて,実は厳然としてある。同じ用に新聞社や出版社にも格式があり,(中略)チンピラ作家には「書かせてやる」式の言葉遣いを平気でするのだ。(p120)
 清張さんの作品鑑定は,実にはっきりしている。「面白いかね?」 この一点に尽きる。その意味では松本清張は文芸評論家にはなれない。評論家はさまざまな点から作品を論じるが,「面白い」という言葉だけは使わない。(p123)
 作家が批評,批判をいやがるようになったら,必ず売れなくなる。非難には必ずその原因が潜んでいるもので,夫が妻から「あなたこの頃,帰りが遅くなったわね」といわれるようになったのと似ている。(中略)批評家とは妻のようなもので,小さい話のうちに気づかせてくれる。そういうありがたい存在なのだ。(p124)
 短編小説だけで作家が食っていくのは,容易いことではない。一つには注文が来なければ収入がなくなるからだ。(p139)
 私は編集者として,単純に雑誌には常にエロチックな作品が必要であり,「小説新潮」は実に巧みに,舟橋聖一という大物作家にそれを描かせているな,という感想を持っていた。(p146)
 評論家は自分のために評論しているんだ,というのが,清張さんの考えだった。ところが編集者は違う。売れるかどうかを考えて,一作一作読んでいる。売れるには,面白くなければならないが,それを大切にするのは,すぐれた編集者だ,というのが編集者観だったのではあるまいか。編集者にとっては,最高にうれしい作家だった。(p149)
 長年にわたるつき合いの中で,私には頑固な一面を,一回も見せたことはなかった。自分の考えと違っていれば,悔しそうに睨み返すのが常だった。(p150)
 清張さんが小学校しか出ていないという話は,広く知られている。(中略)ところが,清張さんは,私などは足元にも及ばない知識と解釈の持ち主だった。(p166)
 清張さんには,私を見下せる,ある実力があったのだ。(中略)やはり私たちは,まったく同等の知識をもつ同士では,本当の仲よしにはなれないもの。自分のほうが確実に相手より上だ,という分野を持っていないと,いばれないものなのだ。私が驚いたのは,清張さんは英会話が堪能なことだった。(中略)清張さんは発音が日本式で「アイ シー,アイ シー」と,うなずくのだが,驚くほど雄弁なのだ。(p167)
 これでわかるように,清張さんは何事にも勉強熱心だった。(中略)私は何十回,いや何百回,清張さん宅に通ったかわからないが,清張さんが華族部屋から玄関に出てきたのは,数回あるかないかで,ほとんどは書斎から降りてくる。ということは,原稿を書いているか,書斎に誰か客がいるか電話中か,ということであり,つまりは勉強や取材をしている,ということなのだ。(中略)極論するならば,二六時中(十二時間)ではなく,四六時中(二十四時間)勉強しているということなのだ。(p168)
 この清張さんから教えられた知識のふやし方で,私が便利に,いまでも使っている秘密の方法を書いておこう。「一度に三つ覚えなさい」というものだ。これはどういうことかというと,一例として「始祖」の字を国語辞典で引くとしたら,その前の「自然淘汰」と,その後ろの「紫蘇」の字も覚えてしまえ,というのだ。(中略)天才といわれる人でも,こういう工夫をしているのだと,私はひどく感動した思い出がある。(p169)
 「櫻井君,互いに新人なのだから,四十年間この道で働いていこう」 清張さんは,私にそういったのだった。いま思うと,清張さんは,自分自身を励ます意味でいい出したような気もする。(中略)人間というのは誰でもそうだが,若いうち,あるいは経験不足の頃は,自信より不安のほうが大きい。大作家,松本清張といえども,その例外ではなかったということだ。(p171)
 店側が釣り銭を間違えて多く客に渡した場合,○○メートル離れたら,店側のものではなく,客のものになる-といった記事を載せたことがあった。ところが名古屋でこの記事を悪用した女性がいたというので,あちらの警察から,編集長の私に問い合わせがあったのだ。こんなことは極秘なので,誰も知らないと思っていたら,なんと! 清張さんから電話があり,「これは面白い! いい記事だ!」「くわしく聞かせなさい」と催促があったのだ。このときほど清張さんの取材力に驚いたことはない。愛知県警かどこかの署に,ネタ元がいる,ということだからだ。(p176)
 先生の人物間は,角度と立場によって大きく異なる。まず働き者でなければ優遇しないし,評価も低い、(中略)何を(中略)私に共鳴を求めているかというと「遊びへの嫌悪」だった。(p186)
 私と非常にうまが合ったのは,長編ではなく,短編こそ小説である,と思っていた点だった。それはいかにも芥川賞作家らしかった。直木賞は基本的に「物語性と長編」が中心であり,芥川賞は「短編と芸術性」が重要だった。(p188)

2020年7月1日水曜日

2020.07.01 成毛 眞 『amazon』

書名 amazon
著者 成毛 眞
発行所 ダイヤモンド社
発行年月日 2018.08.08
価格(税別) 1,700円

● 陳腐すぎる言い方だが,壮大な叙事詩を読んだような気分。読後に爽快感が残る。いやいや,amazonという企業は途方もない。
 もっとも,本書の刊行後に,著者の成毛さんはヨドバシドットコムにフランチャイズを移したと書いていたのを読んだ記憶がある。

● ぼくもamazonプライム会員だ。昨年の1月22日からだから周回遅れもいいところの会員だけど,amazonで買物をするのは年に数回しかない。金額も大したことはない。もっぱらプライムビデオのために会員になった。プライムビデオには筆舌に尽くし難いほどお世話になっている。
 それあればこそ,隠居暮らしができていると言ってもいいくらいだ。年会費は4,900円。たとえば月額千円のTSUTAYAプレミアムに比べれば,格段に安い。
 著者も指摘しているが,会費はいずれ1万円程度に値上げされるだろう。それでも,プライム会員をやめることはできない。

● amazonがユーザーの購買履歴をはじめ,多分野にわたる業務のそれぞれにおいて膨大なビッグデータを集積している。それがまたamazonの大いなる強みであるわけだが,地球上の人間の1人としてamazonに向き合うときには,そんなのはどうでもいいことに属する。
 SNSやブログを使っているということは,自分のプライバシーを自らが不特定多数に公開しているということだ。ぼくにしても同じだ。ぼくのTwitterから,ぼくの好み,趣味,居住している場所,年齢,性格,家族構成,収入額,職業,ライフスタイル,人生観を正確に把握することは容易なはずだ。資産や頭の良さ(悪さ)まで,見る人が見れば丸わかりだろう。

● その状況で,amazonに購買履歴やプライムビデオの視聴履歴を握られることを問題視する意味はない。どうぞご自由にお使いくださいということだ。
 amazonから受けるベネフィットの方が大きい以上,amazonとは付き合い続けるほかはない。

● 以下に転載。
 ママゾンは,酷悪の望みを叶えるために,テクノロジーでインフラを整えてきた。いまや,AI,自動運転,顔認証や翻訳システムにまで投資している。アマゾンの投資先を知れば,この先の世界がわかるといってもいい。(p11)
 企業経営者が人格すべてをさらけ出す必要もないし,有能な経営者の多くは外向きの人格を備えている。(p29)
 アマゾンは自社に有利な情報ですら沈黙を続けるのだ。その理由も推測するしかないが,顧客の利益を掲げるアマゾンにしてみれば,そもそも報道機関などの第三者と接触するのが,時間の無駄であると考えているのかもしれない。簡単に言えば,多くの事業を手がけすぎて,本業に集中したいあまり関わるのが「面倒くさい」のだろう。(p30)
 マーケットプレイスに参加する企業の中には,事業規模を拡大できたことで,アマゾンの提供する情報システムであるAWSを利用しはじめる企業も出てくる。さらに仕入れのための資金が必要になり,これまたアマゾンが行なっている融資サービスを使う企業もあるかもしれない。企業がアマゾンを一度利用し始めると,便利すぎて他のサービスも横展開で利用する可能性は大きい。(p32)
 アマゾンの大きな特徴は,新しい事業を立ち上げるときに,赤字覚悟で投資をいとわないことだ。これは,明確なアマゾン全社での戦略である。(p33)
 アマゾンの場合,完全に独立しているように見える。事業部門のひとつひとつの責任者は,おそらくアマゾン全体のことまで考えていない。(中略)そして,特筆すべきは,ベゾスもそれぞれの事業をコントロールする気がないところである。これこそが,アマゾンが新たな事業をどんどん横展開しやすい理由であり,これがアマゾンが何の会社かをわかりにくくしている最大の理由かもしれない。(p56)
 驚くべきは,その圧倒的なスピードだ。そこに需要さえあれば,それは購買需要であれ,サービス需要であれ,企業からの需要であれ,敏感に感じ取り,まさに光速で実現していくのだ。(中略)アマゾンからすると地球上のすべての存在が顧客に見えているのかもしれない。(p69)
 たとえば,ある出店企業がマーケットプレイスを利用して,アマゾンが自ら取り扱っていない商品を売り,それがヒットしたとしよう。当然,支払いを管理しているアマゾンにはそれが筒抜けなので,アマゾンは売れ筋商品と判断する。アマゾンはその商品を仕入れ,直販で取り扱いを始めるだろう。(中略)マーケットプレイスは便利な一方,気づけばアマゾンに情報を吸い取られ,身動きできない状況に追い込まれる危険もあるのだ。実際,アマゾンに自社の売れ筋商品を知らせたくないという判断でマーケットプレイスを敬遠する企業も存在する。(p78)
 それでは,もうアマゾンには絶対に勝てないのだろうか。そんなことはない。奮闘している企業もある。共通するのは,アマゾンの逆張りだ。たとえば,書店である。(中略)成長を続けるのがツタヤチェーンを持つカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)だ。(中略)躍進の象徴が「蔦屋書店」である。書店をカフェや家電と融合させ,居心地の良い空間を創る。(中略)こうした空間,体験の提供はオンラインでは展開しにくい。(p108)
 CCCとは仕入れた商品を販売し,何日間で現金化されるかを示したものである。(中略)アマゾンの場合,このCCCがマイナス28.5日。約30日前後で推移しているのだ。極論すれば,物流倉庫にある商品が販売される30日前にすでに現金になっているということになる。CCCのマイナスが大きいことこそ,アマゾンが巨額の投資や新たな事業を次々と展開できる源泉なのである。大量のキャッシュが動いていれば決算書の赤字など,どうでも良いことだ。(p128)
 普通,10兆円規模の企業になれば成長が鈍りそうなものだが,そんなことはお構いなしに年間20%以上の成長を保っているのだ。(p139)
 アマゾンは,1997年の上場から20年間の累積利益が約50億ドルほどだ。(中略)これほど少ない利益でこの規模に達した企業は歴史上,他にない。(中略)この決算上の利益の小ささこどがアマゾンの強みなのである。(p142)
 現在,アマゾンの株価は当初の1252倍だ。もしも100万円アマゾンの株を買っていれば,現在12億5000万円ほどになっていた計算になる。しかし,きっと20年間アマゾン株を持ち続けた投資家はいないだろう。ダウ・ジョーンズの報道によると,アマゾンは上場後の20年のうち,16年の間で年間20%超株価が下落した。(中略)ウォーレン・バフェットですら,2017年に自身が経営する投資会社の年次株主総会でベゾスについて「すばらしさを過小評価していた」とし,同氏が成功するかどうかは「まったくはっきりしなかった」と述べたほどだ。(p144)
 各社はCCCを縮めようと必死だが,忘れてはいけないのは,モノを仕入れてから売るまでの機関を短くすることが最も重要であることだ。そのためには当然,物流への投資が必要だ。アマゾンは物流センターやトレーラー,航空機を保有するまで,きめこまかい兵站線を構築している。ベゾスは事業を伸ばすというより,兵站線の充実に力を注ぐことで巨大な経済圏を構築してきたのだ。(p146)
 この2000年がアマゾンの窮地だった。(中略)アマゾンも危機を囁かれ,アマゾン・ドット・ボム(爆弾)と揶揄されるようになる。いつ破裂するかわからない存在だったのだ。(中略)ここで驚くべきなのは,当時アマゾンは利益を生み出していないのにもかかわらず,1999年からの1年間で倉庫を2ヵ所から8ヵ所に急拡大していることだ。(中略)赤字を垂れ流しても,事業拡張に投資を続けるという現在のアマゾンの原型はすでにできあがっていたのだが,(中略)外部からの評価が低い中でも,当時からベゾスの姿勢はまったくぶれていない。(p149)
 そんな時代の2000年,ベゾスはずっと「投資が必要だから」を強調していた。(中略)私も,どう肯定的に捉えても,苦し紛れの発言だったという印象がぬぐえない。(中略)窮地を強気な「言い訳」で乗り切った後のAWSの大成功が,ベゾスのそれまでの発言を正当化させたといえよう(p153)
 現在ではアマゾンにAWSを利用する申し込みをしてから15分程度で数千台のサーバーを利用する体制が整うという。自前のサーバーを大金をはたき,何年もかけて用意するのが馬鹿らしくなってくる。システムも,ジャンルを問わず豊富な種類で用意されている。(中略)アマゾンは小売りのノウハウもすごいから,AWSがモテ要るシステムの方が,自社で開発するよりも便利だったりもする。(中略)こういったクラウドサービスいおいて,もはや,この分野でアマゾンに対抗できるのはマイクロソフトだけだといい切ってもいい。(中略)価格競争力も高い。サービス開始からの約10年でなんと60回以上値下げしている。(中略)このジャンルでも,アマゾンお得意の規模のメリットを最大限に発揮し,顧客への還元を続ける。これでは,競合他社に勝ち目はない。(p161)
 AWSの死角をあげるとすれば,アマゾンがあらゆる産業で大きくなりすぎたことかもしれない。小売りや物流で強大な存在になったために,それらの分野で競合する企業が,クラウドを使うときはアマゾンの利用を避ける動きが出てきている。(P180)
 今や,コンピューター業界に人びとは気づいている。アマゾンの本当の敵は出版社や書店ではない。我々コンピューター業界だと。書店は文化施設として生き残るかもしれない。しかし,下手をすると,機能と価格だけで勝負するコンピューターの世界ではアマゾンしか生き残らない可能性すらある。(p185)
 小売業にとっては顧客との継続的な関係性こそ資産であり,生命線である。この会員制サービス(プライム会員)は顧客のロイヤルティ獲得だけでなく,金銭的にも大きな意味を持つ。年会費は前払いだ。アマゾンには,1年前にお金が入ってくる。キャッシュフロー経営を掲げるベゾスにとってはこの金脈を見逃すわけがない。(p195)
 アマゾンの日本市場への期待は,プライム会員の年会費に如実に表れている。米国が119ドル(約1万2000円),イギリスが79ポンド(約1万4000円)。ドイツがちょっと下がって49ユーロ(約6500円)で,日本はさらに安い3900円だ。世界的に見ると破格の値段設定だ。(p199)
 米国のスタートも39ドルだった。会員数の増加に伴い,2014年に99ドル,2018年に119ドルに引き上げたように,日本でも段階的に価格を引き上げるだろう。おそらく3900円から最終的には1万円前後に上げる可能性が高い。すでにアメリカでは年会費を引き上げても会員は減るどころか増えているので,あとから年会費を上げても会員が減少することは少ないことが予想できる。(p199)
 一度入会させてしまえば,プライムは,便利すぎるが故に脱会するきっかけを奪う機能を多く持ち合わせている。(中略)会員をやめる影響は,通販の使い勝手が悪くなるなどにとどまらない。プライム・サービスは,すでにリア不スタイルの一部となってしまっているのだ。(中略)会員拡大のいちばん魅力的なものは,日本では2015年9月に始まった「プライムビデオ」だろう。(中略)豊富なコンテンツを考えると,動画サービスだけ使ったとしてもすごい。(p200)
 しかし,アマゾンの強みは,オリジナルコンテンツの充実ぶりだ。(中略)ここまでくると,すでに映像制作会社だと言っていいだろう。視聴者のテレビ離れという潮流にものっている。(中略)これまでテレビや映画のコンテンツを流していたアマゾンが,自らのコンテンツをテレビ向けに逆に売る可能性も大きい。(p201)
 アマゾンの成功を見ているとシェアを重視することが本当に「悪」なのかと思えてくる。アマゾンのシェア重視は採算性を完全に度外視しているといっても言い過ぎではない。(中略)自分が撤退するか相手が撤退するかの極端な勝負に出る。(p224)
 アマゾンは現在はNVOCCとして海上輸送を手がけるが,輸送量が増え,自前で船を持つ方が合理的と判断すれば,船を保有するだろう。(中略)顧客に安く商品を届けるには手段を選ばない。それがアマゾンなのだ。(p233)
 物流では,このラストワンマイルの費用が最も大きく,ここのコスト削減ができるかどうかが鍵を握っている。(p235)
 ヤマト運輸がアマゾンに自前化の引き金を引かせている。(中略)アマゾンは日本でのサービスを開始した時点で,米国での事例を参考に,将来はヤマトを使わない状況をおそらく見越しているだろう。(中略)実際,ヤマトから当日配送の撤退検討を受けても,アマゾンは冷静だった。(p248)
 アマゾンは新しいサービスへの参入が早く,また撤退も早い(p259)
 日本の出版物は,卸である「取次会社」を通して書店に流通されるのが伝統である。しかし,アマゾンは取次会社を介さずに本を出版社から仕入れる「直接取引」を拡大する方針に舵を切っている。(中略)アマゾンと直取引すると,出版社にもメリットがある。取次を通す時間がなくなる分,アマゾンの在庫がなくなった場合の時間が短くでき,機会損失を防ぐことができるからだ。(中略)出版業界でアマゾンが黒船扱いされてきたのは,見たこともない手口を使って業界に殴り込みしているように見えるからだろうが,じつはこの「卸の中抜き」は,小売り業者にとっては当たり前のことだ。(中略)アマゾンは,小売業として新しくもない当たり前のことをやっているだけだ。(p262)
 万引きの問題も見過ごせない。(中略)書店の万引きロス率は1.41%である。一方,大手取次の日販によれば2017年の書店の営業利益率は0.11%だ。つまり万引きさえなければ書店の利益は10倍以上になることになる。(p264)
 購入時の総量はゾゾタウンが一律200円であるのに対し,アマゾンは2000円以上で無料になる。(中略)巨大なキャッシュと物流網を持つアマゾンとの体力勝負になれば,ゾゾタウンもユニクロも勝ち目はない。(p287)
 銀行は,融資を決めるときは一般的に決算書で判断する。しかし,アマゾンは決算書など見ない。自分で持っているデータの方が確かだからだ。マーケットプレイスを通して得た,種品している商品や日々の売上など膨大なデータを分析して融資する。(中略)あとは融資の判断のための基準を決めれば,融資は全自動で行える。(p291)
 アマゾンから,融資の提案がきた時点で,審査はすでに終わっている。借りたい出品企業はオンラインで金額と返済期間を選択するだけで,最短で翌日に手元にお金が入る。通常んお金融機関での融資は1カ月以上の期間を要することを考えれば,その短さは常識を塗り替える。このスピードは小規模な事業者がビジネスチャンスを逃さないためには,大変ありがたい仕組みだ。(p294)
 金利は年率6~17%とも言われており,銀行融資より高い。(中略)しかし,零細や小規模業者の中にはアマゾンレンディングでしか借りない業者もいるという。面倒な書類手続きからも解放されるため,商品企画や仕入れに専念できるからだ。(p295)
 クレジットカードが儲かるのは,リボ払いやカードローンなどだ。クレジットカードの利用者のうちの1%が10万円のカードローンを利用すれば,すごい数字になる。(p298)
 アマゾンゴーの真の脅威とは,万引きがゼロになることだ。(中略)リアル店舗が増えれば,おそらく店頭でのプライム会員向けの特典なども提供される。(中略)店員を少なくすることで小型店舗を多数展開し,売れ筋だけを最安値で販売する。これが実現したときの,既存コンビニへのダメージは計り知れない。(p314)
 アマゾンゴーのすごさは,店舗自体の売上ではなさそうだ。おそらくアマゾンも,売上には大して期待していない可能性が高い。アマゾンゴーの本当の意味は,そのテクノロジーだ。(中略)アマゾンがこのシステムを作り上げることこそ,プラットフォーマーとしては重要なのだ。このシステムは,他の店にも使える。(中略)「作ったシステムを売る」というのは,プラットフォーマーにとっては必要条件だ。(p316)
 すでにアマゾンは2015年9月に「アマゾンフレックス」を始めている。これは,配送の専門業者ではなく「個人」が荷物を配達する仕組みだ。こうすることで,注文からお届けまでの時間を30分以内に短縮しようとしている。(中略)アマゾンゴーが街中に普及すれば,自転車や徒歩で気軽に個人が配送代行を手がける日は遠くないのかもしれない。(p320)
 ECサイトでのアパレル各社も,顧客の販売履歴を持っている。いつ誰が何を買ったかは把握できるのだが,アマゾンはエコールックを通じて,この情報に,「買った服がどの程度着られているか」,「どのような組み合わせで着られているか」を把握することも可能になったのだ。(p333)
 ベゾスが求めるのは,協調などするよりは個のアイデアが優先される組織である。つまり,権力が分散され,さらにいえば組織としてまとありがない企業が理想だという。たとえば,AWSを開発している部署はアマゾンゴーには興味がない。それがいいというのだ。(p356)
 ベゾスは,理系のトップらしいところが出ているように思う。たとえば,経営数値にあまりとらわれないところだ。(中略)当然のことながら,AIなどテクノロジーへの感性も理系の方がある。たとえば,理系には実験がつきものだ。実験したら失敗することがよくあることを,経験的に知っている。(p357)
 企画会議では,6頁にまとめられたプレスリリースを模した史料を用意するらしい。それを,出席者が最初の20分をかけて読むことから始まる。パワーポイントなどは使わないらしい。(p358)
 アマゾンはKPI(重要業績指標)至上主義とも言われる。(中略)恐ろしいのは,このKPIの目標管理を0.01%単位(通常は0.1%単位)でしていることだ。(中略)日本では楽天がこれを真似たが3カ月くらいで自然消滅したとか。(p359)
 ベゾスは英単語で「情け容赦ない」を意味する「Relentless」という単語を非常に好んでいたからだ。ちょっと恐い。しかし,ベゾスは本当にこの言葉が好きなようだ。(p362)