2018年8月26日日曜日

2018.08.26 竹内 薫・丸山篤史 『99.996%はスルー』

書名 99.996%はスルー
著者 竹内 薫
   丸山篤史
発行所 講談社ブルーバックス
発行年月日 2015.02.20
価格(税別) 860円

● 著者の一人は「調子が良ければ,新書を1時間かからず読んでしまえるから,僕は見開き30~40秒で読んでいることになる」と言うんだけど,ぼくはこの新書を読むのに3時間かかった。
 ぼくの黙読は音読より遅いのだ。何か文句ある?

● 以下に転載。
 商品の売り上げランキングでも,爆発的に売れるのは「1番だけ」と相場が決まっている。ランキングの2番以下は,1番を目立たせて,さらに売れるようにするための応援団。(中略)恋愛にせよ新発売の商品にせよ,スルーされたらそれでおしまい。そして,スルーされないためには勝者,すなわち「1番」にならなければいけない。(p4)
 すごく確率の低い「何か」が起きることこそ,重要で貴重な情報なのだ。(p67)
 「エントロピーは増える一方で,宇宙は『秩序から無秩序へ』という方向に進む」というのが巷間に広がった「エントロピー増大則」だろう。しかし,このようなイメージでエントロピーを理解していると,とても情報量との関係など思い浮かばない。(p87)
 科学リテラシーを持つことで情報評価の精度を高めることができるだろう(個人的には,中学校から高校くらいまでの数学・理科の知識で充分だと思う)。(中略)信じようが,疑おうが,事実は揺るがないはずだ。揺らぐのは,常に,人の解釈なのである。(p114)
 実際,僕らは,割と機械的に,環境からの影響を受けて,感情を動かされることが,実験で示されている。例えば,温かい飲み物を持ちながら会話すると,僕らは優しい気持ちで対応してしまう。(p129)
 初期のサブリミナル刺激に関する研究結果は,捏造されたものである(研究者が,自ら白状した)。だから,都市伝説が一人歩きしている部分もある。(p130)
 僕らに知覚される情報は,知らない間に(知る前に?)検閲されていて,「無意識のスルー」によって意識されないだけではなく,「意識されないまま」意識に影響していたりもするようなのだ。(p135)
 入力される感覚の情報量は,毎秒千数百万ビットであり,意識が処理している情報量は,なんと,毎秒たった数十ビットなのである。(中略)意識は,99.9999%の感覚情報をスルーしているのだ!(p136)
 もしかしたら,そもそも意識が生まれるためには,意識の100万倍の情報量が,背後に控えている必要があるのかもしれない。(p138)
 意識は,情報量で評価されるべきではないのかもしれない。意識は,外から観測される対象としては,情報量が極端に少ないのだ。(中略)おそらく意識の評価に重要なのは,スポットライトの「当て方」なのだ。(p139)
 僕らは,流通している情報量の約2.7万分の1しか消費できず,消費したといっても,その1000分の1しか知覚できていない。その上,知覚した情報の100万分の1しか意識していないのだ。(中略)ようすうるに,意識で全ての情報を処理しきるのは,事実上,無理だ。諦めて,無意識に頼るしかない。その無意識でも消費している情報の99%をスルーしているのだ。(p140)
 僕らの無意識は,文字や単語に注目して文を眺めると,意識の中に,文の意味を浮かべてしまうのである。(中略)僕らの持つ,こうした能力に,物理化学者にして科学哲学者のマイケル・ポランニーは「暗黙知」と命名した。(p149)
 僕ら人間を含めた生物の,進化を含む生命のメカニズムの中には,そもそも情報を大量に蓄積しつつ,情報の処理にはスルーが基本,という流れがあるように思うのだ。(p156)
 遺伝情報は,生物にとって,ある種の初期条件と考えるべきなのかもしれない。(中略)生物は,生き続ける限り,次から次へと自分自身の情報量を増やし続け,限りなくネゲントロピーを増大させていくのだ。DNAを読み取るだけでは,生命のことは分からない。(p159)
 ハイギョやシーラカンスは,姿かたりが化石と変わらないから,一見,進化していないと思われていたけど,実はゲノムの大きくして(遺伝情報を増やして)環境の変化に対応するような進化を選んだのかもしれない。(p165)
 どうやら,僕らは,身体的な痛みと同じ神経回路で,社会的なコミュニケーションのストレスを処理している可能性がありそうだ。だからこそ「無視されること」のダメージが大きいのかもしれない。これが本当だとすると,イジメで「誰かを無視すること」は,暴力で身体を傷つけることに匹敵するくらい,罪深いものだろう。(p186)
 少なくとも,ブロックされないようにしたいなら,他人をコントロールしようと思ってはいけないのだ。情報に接したときの不快感の源泉は,おそらく,「コントロールされること」や「不自由さを感じさせること」の漠然とした予感にあると思う。(p190)
 文字に意味を託することは,文字にできない何かをスルーすることでもある。ソクラテスは,そのスルーされてしまう「何か」にこそ,考えを深めるヒントがあると考えていたのかもしれない。(p191)
 仏教・禅宗の教えは「不立文字(言葉にできない)」という。(中略)しかし,そうはいいつつ,数多くの禅籍があるのはなぜだろうか。ようするに,言葉で語れないものは,言葉で語り尽くした果に残るものだから,ではないだろうか。(p191)
 たとえば,アイデアが行き詰まったとき,「それ,めっちゃすごいアイデアやんか! このアイデアやったら,問題解決やで!」と,アイデアが出ないまま,先に喜んでしまうのだ。(中略)おもむろに休憩に入る。(中略)わざと思考を中途半端に打ち切って,気分転換するのだ。行き詰まっていたことなど忘れてしまうくらい,リラックスしよう。(p203)

2018年8月24日金曜日

2018.08.24 小山薫堂・佐藤可士和 『SWITCH INTERVIEW 達人達 小山薫堂×佐藤可士和』

書名 SWITCH INTERVIEW 達人達 小山薫堂×佐藤可士和
著者 小山薫堂
   佐藤可士和
発行所 ぴあ
発行年月日 2014.03.15
価格(税別) 800円

● NHKの番組で放送された内容を文字に起こしたもの。読みやすい。二人の仕事観,デザイン観,企画観のエッセンスがわかりやすく語られている。
 もちろん,だからといって,明日から彼らと同じ仕事ができるようになるわけではまったくないが。

● 以下に転載。
 「そもそも観光ってなんだろう?」と考えたときに,僕は,無理に人に来てもらわなくてもいいんじゃないかなと思ったんですよ。それよりも,実際にそこに暮らしている人たちが,まず幸せになるということのほうが先ではないだろうかと。だから,逆に現状で熊本を訪れている観光客の目で現地を見てもらうことによって,実際に住んでいる自分たちでは,もう当たり前すぎてわからないことを,まずは発掘してもらおうと考えました。(小山 p17)
 まずは自分たちが持っているものの素晴らしさを再認識して,それから外に向けて発信することが大事だと思ったんです。(小山 p18)
 目立っているところだけに拍手をするのではなくて,「そこまで気づいてくれたんだ」というところに拍手を送らないと,なかなか組織全体にはメッセージが伝わらないだろうなと思います。(小山 p24)
 企画者ひとりがいくら頑張っても,物事を動かすことなんてできないんですよね。やっぱり,現場にいる一人ひとりがそれぞれ頑張ろうと思わなければ,何も変わらないと思うんです。(小山 p34)
 僕の根底にあるものは,やっぱり「慮る(おもんぱかる)」ことですね。そうです。「慮る」-つまり「思いを量る」ということですね。自分ではない,いろんな人のことを思い量るということが,すべての原点だと思っています。(小山 p37)
 人に生まれ持った使命があるように,「もの」にも,あるいは「場所」にも使命がある。それぞれ何らかの使命があるにもかかわらず,それを100%まっとうしないまま,消えていってしまうのはもったいない,と思うんですよね。(小山 p43)
 「ブランド」とは「感情移入」だと思っています。つまり,自分のものになるというか,自分の身内になるという感覚が大事だと。(小山 p49)
 人が喜ぶことをしてあげて,自分が不幸になる人っていないじゃないですか。やっぱり誰かが喜んでいる姿を見るのはうれしいし,それはなぜかと考えると,自分が存在する意味を見つけた証なんじゃないかと思うんですよね。(小山 p43)
 やっぱり信者こそが最高の宣伝マンなわけじゃないですか。自分で「俺,いいでしょ? 俺の企画,よくない?」って言っても誰も聞いてくれないけれど,「あの人,いいよ。あの人の企画,いいよ」って他の人にほめてもらうことによって,そう思ってくれる人が増えていくっていう。そこがポイントなのかと思いますね。(小山 p55)
 プロジェクトにとっては,まずは「結果」を出すことがもっとも大切だと思います。(中略)プロジェクトの成否にかかわるところで生計を立てている人がいる以上,まずは結果に対して責任を取らなければいけないでしょう。(小山 p59)
 よっぽどじゃないと,メモをとらないですね。メモをとっても,あとで見返した覚えがないので。(佐藤 p73)
 僕はメモはとらないけど,妄想するのは好きなわけですよ。だから,アイデア帳というか,ネタ帳みたいなものはつけていますね。(中略)何かをやろうとするとき,僕はまずノートを買うんですよ。形から入るタイプなので。(小山 p73)
 こういうノートを用意すると,それを埋めなきゃっていうふうになっていきませんか? で,だんだん内容が薄くなっていく・・・・・・。(中略)僕も何度かそういうことをやってみて・・・・・・なんかそのプロセスみたいなものが,素敵な感じで残るんじゃないかと思うじゃないですか? で,残った試しがない。(佐藤 p75)
 空間の整理というのは,そのまま情報の整理とつながってくる話なので。(中略)多くの仕事を抱えていても,こうやっていつも仕事場をシンプルな状態に保っておくことで,頭がこちゃごちゃにならない。頭のなかをスッキリとした状態に保つには,まずは空間から整備するほうがいいと思うんです。(佐藤 p80)
 基本的には決定権のある人-それは必ずしも社長とか会長じゃなくてもいいんですけど,そのプロジェクトのジャッジをできる人と仕事をする,ということを基本方針にしています。(中略)「そもそも誰のために何をしているか」ということがわからなくなっちゃうじゃないですか。(中略)SAMURAIは少数精鋭でやっている事務所だから,そういう調整に追われてしまうと,まったくクリエイティブな仕事ができなくなっちゃうんですよね。(佐藤 p87)
 例えばティッシュなんかは,一般的なナショナルブランドの商品だと,ロゴが大きく目立つデザインになっていますよね。(中略)しかしそうすると,パッケージがどんどん広告化していく。でも,家の中に入ったら,そういうものは必要ないんじゃないかと。(佐藤 p91)
 答えは最初から,相手のなかにあると思っているんです。(中略)その本質をつかんで,バシッと取り出す。それがブランドをよりよくするアイデアにつながると考えているんです。(佐藤 p104)
 「答えは相手のなかにある」というのは,すごくうまい言い方ですね。「あなたのなかに答えがあるんです」っていうのは,経営者にとっても印象のいい言葉だし,実際に刺さるだろうなって思います。(小山 p105)
 経営者の方々って,みなさんすごく面白いことを考えているんですよね。一般的な人の見方ではなく,ずば抜けておもしろいっていうか,ちょっと独特な視点をみなさん持っているんです。(佐藤 p106)
 答えは相手のなかにあると思っているから,アイデアがでてこないんじゃないか,という不安は全然ないんです。(佐藤 p106)
 日本の強みというものを考えると,すごくデリケートな感性というのが挙げられると思います。言い方を換えると日本人は「感性の解像度」が,すごく高い。例えば,料理の味ひとつとってもそうでしょう。(佐藤 p121)
 アイデアというのは,つまり化学反応だと思うんです。(中略)すでにある知識と知識を掛け合わせることで,きちんと新しいものが生まれるんです。(小山 p123)

2018.08.24 瀧澤信秋 『最強のホテル100』

書名 最強のホテル100
著者 瀧澤信秋
発行所 イースト・プレス
発行年月日 2018.03.118
価格(税別) 1,300円

● ホテル業界もどんどん変わっているのだろう。新しい経営者が登場したり,個別ホテルの業態が変わったり。
 ので,自分の頭の中にある情報もバージョンアップしておいた方がいい。ま,自分が泊まるホテルは限られているので,バージョンアップの効果はいたって限定的なんだけど。

● この本で気になったホテルは2つ。「パセラの森 横浜関内」と「ホテル&スパアンダリゾート伊豆高原」。いずれもオールインクルーシブ。根が貧乏性なものだから,こういうものに惹かれるのだ。
 でも,オールインクルーシブ的なものは地元に「サンバレー那須」があるし,あとはもっぱら東京のホテルにしか泊まらないと思うから(都内のシティホテルは競争にさらされる度合いが高い分,サービスも洗練されていると感じる),気になるだけで実際にこの2つに泊まることはない。

● 以下にいくつか転載。
 ホテル業界で問題視されているのが,直前になるほど安売りする傾向。閑散期により多くみられる傾向であるが,繁忙期でも当日安くなっているのを時々みかける。(p104)
 繁忙期のホテル予約時,いつ確認しても満室続きという中で,直前に空室が見つけられることがある。経験則でいうと宿泊希望日の4日前というタイミングだ。3日前からキャンセル料が発生する規約のホテルは多く,直前の4日前にキャンセルする人がいるということだろう。また,当日の昼から午後3時あたりもポイントだ。(p104)
 レジャーホテルとは一般に「ラブホテル」と呼ばれてきた業態だ。(中略)基本的にパブリックスペースという概念がなく,客室で過ごす時間の充実度がポイントになる。(中略)客室で快適に過ごすためのあらゆる工夫が詰まっている。(中略)ある外資系ホテルで1泊100万円を超えるスイートルームを取材した時のこと。担当者が「こちらのスイートルームには浴室になんとサウナがあります!」と自慢げに話していたが,客室にサウナがあるといえばレジャーホテルでは定番。(p133)

2018年8月23日木曜日

2018.08.23 見城 徹 『読書という荒野』

書名 読書という荒野
著者 見城 徹
発行所 幻冬舎
発行年月日 2018.06.05
価格(税別) 1,400円

● 『編集者という病い』以来の,ぼくは読者。本書は読書を切り口にした自叙伝だが,その要諦は第3章のタイトルでもある「極端になれ! ミドルは何も生み出さない」にある。
 努力は圧倒的であって初めて努力になる。つまり,強烈なアジテーションに満ちている。

● 著者はまた過剰なほどの感情家だ。飛行機の中で本を読んで号泣したことがあるというのだ。
 どの分野であれ,第一人者になるほどの人は,喜怒哀楽が激しいものだと思っている。感情家であることは,その道で名を成すための必要条件ではないか。冷静で淡々としているのでは,その他大勢になるしかない。

● 以下に転載。
 読書で学べることに比べたら,一人の人間が一生で経験することなどたかが知れている。(p4)
 本を読めば,自分の人生が生ぬるく感じるほど,過酷な環境で戦う登場人物に出会える。そのなかで我が身を振り返り,きちんと自己検証,自己嫌悪,自己否定を繰り返すことができる。読書を通じ,情けない自分と向き合ってこそ,現実世界で戦う自己を確立できるのだ。(p6)
 僕は編集者という仕事をしている。編集者の武器はただ一つ,「言葉」だけだ。言葉によって作家を口説き,心を揺さぶり,圧倒的な熱量の作品を引き出す。(p7)
 読書体験を重ねた人は,必然的に一度は左翼思想に傾倒すると僕は考える。人間や社会に対する思想が純化され,現実が汚れて見えて仕方がなくなるからだ。(p9)
 教養とは,単なる情報の羅列ではない。人生や社会に対する深い洞察,言い換えれば「思考する言葉」にほかならない。(p14)
 アート作品も,作品にまつわる情報をあれこれ取得するのではなく(もちろん,そうすることでさらに深く味わうこともできるのだが),アートを目にしたときの心の動きを知覚するほうが重要だ。(中略)アートは自分自身が「価値がある」と思えば,どのような作品であれ価値が発生するのだ。(p15)
 この詩(吉本隆明『転位のための十篇』)から学んだのは,戦いとは常に孤独であるということ。誰にも理解されないことが前提だということだ。それを飲み込み,絶望した上で,戦いを貫徹しなければならない。(p60)
 僕はかねがね,人生を生き切るには「善い人」でなければ駄目だと考えている。たとえ共同幻想の所産であっても良心がなければ,自分を突き詰め,追い込むことはできない。他者と本物の関係を作ることはできない。人生や仕事において,したたかさやずる賢さも時には必要だろう。しかし,それで一時的にはうまくいったとしても,そういう人間はどこかで必ず落ちる。(p66)
 誰だって全盛期があれば,衰退期も必ず訪れる。しかしピークを過ぎたあとでも,過去の栄光に浸るのではなく,暗闇でジャンプする。圧倒的努力と覚悟を持てば,どんな逆境からでも巻き返せる。(p75)
 ヘミングウェイに触発され,僕は27歳から37歳までの時期にウエイト・トレーニングに傾倒した。「身体が締まっていなければ,意志もたるんでしまう」と考えたからだ。(中略)僕はヘミングウェイの没年である61歳をはるかに超えてしまった。しかし依然として,身体がだらしなくたるんでいる状態では,仕事という戦場で戦えないと思い,苦しいトレーニングに励んでいる。(p77)
 今思えば,公文式にはベストセラーになる条件が揃っていた。まず,オリジナリティーがあること。(中略)オリジナリティーがあるということは,極端だ。そして極端なものは明解である。(p85)
 作家をパートナーとする編集者が本を作ろうとすれば,自分が魅力的な人間であることによってしか仕事は進行しない。つまり,どれほど相手に突き刺さる刺激的な言葉を放ち,相手の奥底から本当に面白いものを引き出すか。ただそれだけなのである。これは,テクニックでなんとかなるものではない。問われているのは,今までの自分の生き方そのものだ。生きてきた人生のなかで培った言葉が,相手の胸を打つかどうかだ。(p85)
 出版とは虚業である。(中略)人の精神という目に見えないものを,商品に変えて流通させ,それを何億もの金に変える商売だ。こんな商売はいかがわしいとしか言いようがない。それを誠実な営みとして成立させるには,編集者の生き様が厳しく問われる。編集者の仕事とはそういうものである。(p87)
 すでに作家として活躍している彼らと一緒にいると,自分には才能もないし,彼らのような「書かずには救われない」という強烈な情念がないことを思い知らされた。(p87)
 よく僕は「圧倒的努力をしろ」と言う。「圧倒的努力ってどういうことですか」と聞かれるけれど,(中略)人が寝ているときに眠らないこと。人が休んでいるときに休まないこと。どこから始めていいかわからない,手がつけられないくらい膨大な仕事を一つひとつ片付けて全部やりきること。それが圧倒的努力だ。努力は圧倒的になって初めて意味がある。(p90)
 リスクとは,絶対に不可能なレベルに挑戦することをいう。そうでなければリスクとは呼べない。また,それくらい無理なことをしなければ,鮮やかな結果など出ない。(中略)そして鮮やかに結果を出していれば,それまで無名であってもブランドになる。ブランドになりさえすれば,あとからビジネスも金もついてくる。(p92)
 五木寛之は社会に横たわる差別構造を鮮やかに描き出す作家だ。(中略)差別こそが感動の根源であることをこれほど理解している作家はいない。(p99)
 「野生時代」に配属された僕が自分に課したルールは,とにかく,人ができないことをやろうということだった。上司や同僚ができることをやっても,僕がいる意味はない。他の人ができないこととはつまり,角川書店とは仕事をしない作家たちの原稿を取ってくることだ。(p101)
 僕は常々言っているのだが,感想こそは人間関係の最初の一歩である。結局,相手と関係を切り結ぼうと思ったら,その人のやっている仕事に対して,感想を言わなければ駄目なのだ。(中略)その感想が,仕事をしている本人も気づいていないことを気づかせたり,次の仕事の示唆となるような刺激を与えたりしなければいけない。(p102)
 僕は43年の文芸編集者生活を通じて,会社の看板や肩書きで商売をしないということを徹底して心がけてきた。すべて見城徹という個人として仕事をしてきたつもりだ。だからのちに幻冬舎をつくったときも,まったく無名の幻冬舎に錚々たる作家が書いてくれたのだ。(p103)
 文芸作品は想像力が現実を凌駕しなければ意味がない。リアリティのある「極端」が必要なのだ。それは生き方においても同じである。極端に貧しいか,極端に豊かなものからしか,人の心を揺さぶる表現は出てこない。(p108)
 仕事をする上で譲れない美意識を持っているということは大切だ。見栄や利害損得で行動する人は大きなことを達成することはできない。(p112)
 作品というのは,その人がいちばん書きたくないものを書かせたときにいちばんいいものができるし,売れるのである。(p123)
 作家だけでなくスポーツ選手もミュージシャンも俳優も,表現者である。僕は常に150人ぐらいの表現者と付き合っている。その一人一人に僕は「これを書いてください」というキラーカードをいつも3枚ずつ持っていようと努力している。(p124)
 表現とは結局自己救済なのだから,自己救済の必要がない中途半端に生きている人の元には優れた表現は生まれない。ミドルは何も生み出さない。(p127)
 僕が編集者として心がけていたのは,「3人の大物と,きらめく新人3人をつかむ」ことだ。(中略)そうやって大物作家と若い世代を押さえると,中間にいる作家たちは向こうから声をかけてきてくれる。(中略)3人のスーパースターと3人のきらめく新人をつかむこと。プロヂューサーや編集者ならそこに全力を尽くすべきである。(p130)
 人間は「極」をどれだけ経験したかで,度量が決まる。真ん中を歩いている人からは何も生まれてこない。極端を経験してこそ,豊饒な言葉を発することができるのだ。(p132)
 どんな社会も差別構造を持っているが,その差別はどこから来るかといえば,僕の考えでは「自然=時間=季節」から来る。季節があるから行事が生まれ,役割が決まり,それが差別を作り,物語を生むという構造だ。(p139)
 林真理子の原動力となっているのは,「美人ではない」というハンディキャップだ。その点では僕と通底する。その上で,劣等感が自意識を育み,その裏返しとして放蕩の限りを尽くしていた。文学は,このような過剰か欠落を抱えた人間からしか生まれない。(p143)
 小説家はマジシャンと似ている。両者はいずれも,「タネはこうだ」と指摘されたら不愉快に感じるのだ。それが合っていたとしても,間違っていたとしても,だ。(p146)
 残念ながら,村上春樹と仕事をする機会はほとんどなかった。彼の心をつかもうとして,多分,不愉快にさせてしまったことを悔いる気持ちもある。しかし,人間関係において小手先の技は通用しない。正面から本音を言って,それでうまくいかない関係があっても,それはそれでいいのだと思う。(p146)
 彼女(草間彌生)のアート作品の特徴でもある細かいドットは,性器のシンボルである。おそらく彼女には,性に対する強烈な原体験がある。そう考えた僕は,性の情念を小説にぶつけるよう助言をした。(p155)
 尾崎豊は「猜疑心」「嫉妬心」「独占心」など負の情念の塊だった。彼は「愛」とか「信頼」「絆」や「友情」「献身」などをまったく信じていなかった。信じていなかったからこそあれだけの歌詞とメロディで,感動的な歌を歌えたのだと思っている。(p163)
 テクニックで書いてもその人に切実な表現したいものがない限り何も伝わらない。(p165)
 本書(沢木耕太郎『深夜特急』)に魅せられて,多くの若者が旅に出た。しかしほとんどの旅は浅薄なものだ。それは旅の持つ本質に気づいていないからだ。旅の本質とは「自分の貨幣と言語が通用しない場所に行く」という点にある。貨幣と言語は,これまでの自分が築き上げてきたものにほかならない。(p172)
 五木さんは僕に「これで買い物をしていらっしゃい」とポンと100万円をくれた。その当時の僕にとってとんでもない大金だ。ジャケットから鞄,靴まで,欲しいものを片っ端から買いまくった。一種の恍惚状態になったとも言えるだろう。あれほど買い物が官能的だと思ったことはない。(中略)あれは僕にとって唯一無二の体験で,「物事は徹底的にやり切らなければ見えない世界がある」と感じる出来事だった。(p177)
 読書し尽くす,飲み尽くす,お金を使い尽くす。動き方が極端であればあるほど,官能が生まれ,文学的なメッセージを帯びる。狂ってこそ初めてわかることがある。(p184)
 恋愛の理不尽さに比べれば,仕事のそれなど甘いものだ。(p185)
 困難に陥ったときには,人は藁にもすがろうとする。そのときに心のよすがをどこから得るかといえば,やはり読書しかない。困難を突破する答えは,スマートフォンで検索すると出てくるように錯覚しがちだ。しかしそうして出てきた答えが,自分の人生を前に進めることはない。(p192)
 出版界の未来とか,電子書籍がどうなるとか,そんなことはどうでもいい。僕はエゴイストだから,目下の関心事は「どうやって微笑しながら死ぬか」。それだけだ。そもそも僕がなぜここまで仕事に没頭するかといえば,死の虚しさから逃れるためだ。(p196)
 死の瞬間を迎えるとき,僕は何もかも失っているかもしれない。信じていた人に裏切られているかもしれない。しかしどんなに貧乏で,どんなに孤独だったとしても,僕が○だと思えば○だ。人が決めることではない。(p198)
 社会の中で何も実践していないときは,人間は「天使」だ。しかしいざ,現実の生を生きようとしたときに,さまざまな困難や危険にさらされる。葛藤し苦悩し,血を流さずにはいられなくなる。つまり「天使」ではいられなくなるのだ。(p220)
 しかし世の中には,認識者にすらなれない人間が多い。「認識者」という土台なくして,良き実践者になることは絶対に不可能だ。(中略)そして認識者になるためには,読書体験を重ねることが不可欠だ。(p220)
 人生は短く,一瞬で消える夢のようなものだ。だから真面目くさって生きるのではなく,ただ狂って色濃く生きればいい。(中略)人生なんて一夜の夢にすぎない。だったら極端をやり切ったほうが面白い。(p222)
 ただ,団鬼六は,16歳でオペラ歌手になると決意したことを皮切りに大学時代は演劇に熱中,劇作家としてデビューし,翻訳の仕事をしながら小説も発表,中学の英語教師を始め,テレビや映画の仕事も猛烈にこなしている。生涯,小説を書き続け200以上の本を出版している。ものすごい量の仕事をやり遂げた上で,「一期は夢よ,ただ狂え」と言っているのである。(p223)
 彼らの作品は,民主主義国家にとっては都合が悪い。なぜか。それは民主主義国家の支配を揺るがす三つの要素を含んでいるためだ。その三つとは,変態性癖,非定住者,暴力である。(p224)
 縛りや制約と格闘すればするほど,その葛藤と懊悩の深さは,黄金の果実を実らせるはずです。(p233)
 正確な言葉がなければ,深い思考はできない。深い思考がなければ,人生は動かない。(中略)読書はそのための最も有効な武器だ。(p236)

2018年8月22日水曜日

2018.08.22 pha 『ひきこもらない』

書名 ひきこもらない
著者 pha
発行所 幻冬舎
発行年月日 2017.06.20
価格(税別) 1,200円

● いつもやっていることを別の場所でやるのがいいのだから,旅に出たからといって,そこでしかできないことをやろうとしなくていい。ビジネスホテルはどこも画一的なのがいい。など,自分の感性との共通点を感じた。
 決定的に違うのは,ぼくは毎日のルーティンを我慢できること。著者はそうではない。

● 以下に転載。
 僕は昔から一般的な家や家族という概念に対して閉塞感を覚えてしまって苦手なところがある。メンバーが少数で固定している「家」よりも流動的にいろんな人が出入りしている「場」のほうが好きだ。家なんて自分の寝る場所だけあればいい。(p16)
 今の家に引っ越してきて一番初めに調べたことは近くの店で半額シールが貼られ始める時間帯だった。これは貧乏人が都会で生きていくための基礎知識だと思う。(p20)
 僕は人間の様子を一方的に見ているのは好きだけど,人間と会話をするのはあまり好きじゃない。(p21)
 コミュニケーションでも文字によるもの(チャットやメールなど)ならまだ比較的負担が少ないのだけど,音声による会話は消耗が激しい。(中略)人間はなんでこんな伝達手段を生み出したのだろうか。(p22)
 店に行くときはチェーン店がいい。チェーン店の店員はマニュアル以外の余計なことを話さない。(p23)
 僕は回転寿司でレーンに流れていないものを直接注文することはほとんどしない。発声するのがしんどいのもあるし,そもそも何を食べたいかを考えるのが面倒だというのもある。(中略)回転寿司だと,なんの選択も決定もしないままで,とりあえず席に座ってしまえば自動的に食事が始まるのがよいのだ。(p25)
 食事のときくらいは人とのコミュニケーションから解放されたい。(p27)
 この「場所にアイデア・エナジーがたまる」という考え方が好きなので真似をしているところがある。人間は周りの環境の影響をとても受けやすい生き物だから,自分がいる環境によって考えることが変わってくる。一つの場所にずっといると考え方が固まって視野が狭くなるし,別の場所に移動するだけで違う発想が生まれてきたりする。(p31)
 漫画喫茶は僕にとって,心のMP(マジックポイント)を回復してくれる魔法のほこらだ。現実の人生のややこしさを忘れて漫画の世界に浸ると心が安らぐ。大量の絵と物語を目から流し込んで脳をじゃぶじゃぶ洗濯するようなイメージだ。(p37)
 一度読んだ漫画をもう一度読むのも頭にあまり負荷がかからないのでよい。年を取ると昔よんだものをどんどん忘れていくので便利だ。(p38)
 旅行中の宿として漫画喫茶に泊まるのも好きだ。2000年前後くらいからだったと思うけど,漫画喫茶(ネットカフェも大体同じ)が宿泊場所として使えるようになったときは衝撃的だった。(中略)数万冊の漫画が所蔵された静かな閉じられた空間。ここで朝まで9時間滞在できて2000円なんて天国だと思う。(p38)
 僕はコーヒーとチョコレートが大好きだったのだけど,一切摂るのをやめた。ちょっとつらいがしかたない。(中略)一番初めに気づいた効果は,心がなんだか穏やかになっているということだ。(中略)カフェインを抜いたら昼寝がスッとできるようになったのにも感動した。(中略)それまでたまに吸っていたタバコも,カフェインを抜いたら全く吸いたくなくなった。(p44)
 カフェや喫茶店が本当に売っているのは時間と空間なのに,それがコーヒーやお茶などの飲み物の提供と結びついているのはよく考えると不思議なことだ。その結びつきには特に必然性がない気がする。(p48)
 旅というのは非日常,計画の外を求めてするものなのに,その旅をきちんと計画を立ててするというのは,ちょっと衝動を社会に飼いならされすぎじゃないか? そんなに自分をうまく管理できるならそもそも旅になんか出なくていいのでは?(p64)
 旅先でも一切特別なことはしない。観光名所なんか一人で行ってもつまらない。景色なんて見ても2分で飽きる。食事も一人のときはできるだけ短時間ですませたい性格なので,土地の名物などは食べず,旅先でも普通に吉野家の牛丼とかを食べている。(p65)
 いる場所を変えるだけで考えることは変わる。特に家からの距離が重要で,同じように見える街でも家から1時間の場所と3時間の場所と6時間の場所にいるのでは気分が違ってくる。物理的に遠くに離れれば離れるほど,普段自分が属している世界を客観視しやすくなるのだ。(p66)
 地方では大体なんでも,値段は東京と同じか少し安いくらいで,部屋や敷地は2倍くらい広くて,お客さんの数は2分の1くらいだったりする。結果として,東京より地方のほうが同じ値段での快適度が3倍から4倍くらいある。(p93)
 僕は旅の中で移動中が一番楽しいというか,目的地に早く着いちゃうともったいないような感じがあって,移動が長いのはあまり苦にならない。(p117)
 普段都会に住んでいると意識しないけど,日本は本当に山と海と田んぼばっかりの国だ。(p119)
 宿を探すにはある程度大きな街に行く必要がある。安く一夜を過ごせるネットカフェやサウナやカプセルホテルは,ある程度以上の繁華街にしかない。(p120)
 ホテルというのは日によって値段が変わるものだけど,日曜が一番安いことが多い。平日は出張の人が泊まるし,週末は休日に出かける人が泊まる。そのどちらも来なくて空いているのが日曜の夜だからだ。(p121)
 ビジネスホテルのあの,とりあえず生活に必要なものは一通り揃っているけれど,全部高級ではなく安っぽくて,部屋も狭くて,でもそれなりに清潔感だけはある,という最低限かつ機能的な感じが好きだ。(p122)
 ビジネスホテルはどこに泊まっても画一的で同じような部屋なのもいい。(p122)
 見てるものは同じはずなのにいつもと違う場所で見るインターネットはなんであんなに楽しいんだろうか。(p123)
 「ずっとひきこもっていたい」と「ずっと家にいると飽きる」という矛盾した欲求を両方満たすのが,「一人でビジネスホテルにひきこもって普段と変わらない生活をする」なのだと思う。(p124)
 ビジネスホテルに泊まるのは好きだけど,同じ部屋に続けて2泊したいとはあまり思わない。せっかく日常から逃れて新しい場所に来たのに,2泊目に突入するともう部屋の新鮮さが腐り始めて,空間が日常に侵されていく気がするからだ。(p124)
 歩くことには何か考えを促進するものがあるのだろう。体が止まった状態で考えるよりも体を動かして意識に流れを作ってやったほうがポッとよい発想が湧いてくる。(p145)
 外をふらふら歩くことが生活の中心としてあるので,思うように歩けないときは不調になる。(中略)普段立ち止まらない場所で立ち止まってみたり,普段上を見ないところで上を見てみたりするだけで新しい世界が見えてくるので楽しい。(p146)
 知らない街の駅前の商業ビルを見て,知っているチェーン店ばかりがあるとほっとする。その街ならではの特色などはないほうがいい。(中略)どこにでもあるような街で(中略)その土地の人間の行動パターンを推測するのが好きなのだ。(p156)
 僕がどこにでもあるような街を見るのが好きな理由は,多分確認して安心したいのだ。どこにも特別な場所なんてないということを。日常というのは平凡で退屈で閉塞感だらけのつまらないものだけど,つまらないのは自分だけじゃない。(p158)
 寝る場所があってパソコンがあってインターネットさえつながっていればそこが家だ,それくらいでいいんじゃないだろうか。思えば自分のそれまでの暮らしはいらない物に取り囲まれすぎていた。(p166)
 不動産というのは自ら放棄することができない。つまり,誰かが買い取ってくれなければ,死ぬまでずっと維持費を毎月数万払い続けなければいけないということだ。要は激安物件というのは,他人に維持費を払う義務を押し付合おうとする「ババ抜き」みたいなものなのだ。(p188)
 人間は,単純にサイコロを振るだけといった確率だけのゲームでも楽しむことができる。その理由は,人は全く意味のない偶然にも意味を見出してしまう生き物だからだ。(中略)人は無意味に何かが起こることには耐えられない。なぜならば,無意味を無意味としてそのまま受け止める心の強さがないからだ。(p196)
 昔,パチンコというのは1玉4円で遊べた。1000円で250発だ。だけど最近では1玉1円で遊べる1パチというのが増えているし,もっと安い0.25パチというのもある。これらのパチンコは安く遊べる分,当たりがで出た場合の勝ち分も少ない。なぜそういう安いパチンコが増えているかろいうと,儲けようと思ってパチンコを打つ人が減っているからだ。(p198)
 京都より東京のほうが大きい都市だけど,京都にいた頃のほうが都市全体を広々と活用できていた気がする。京都が一つの都市だとすると,東京はたくさんの都市の集合体という感じがある。(p211)
 結局自分たちみたいな真っ当に生きられない人間が真っ当に生きられない人間のままで暮らせる場所は東京しかないのかもしれない,ということを最近よく考えている。その理由は主に二つで,「人口が多いので自分と同じようなマイノリティの仲間を探しやすい」というのと,「人口が多いのでどこかでトラブルを起こしても他のコミュニティに逃げやすい」ということだ。(p220)

2018年8月6日月曜日

2018.08.06 永江 朗 『おじさんの哲学』

書名 おじさんの哲学
著者 永江 朗
発行所 原書房
発行年月日 2014.04.02
価格(税別) 1,800円

● 『批評の事情』に連なる1冊。誰を取りあげるかの切り口が「おじさん」。「おじさん」の意味はアマゾンのレビューででも確認を。
 吉本隆明に対してけっこう辛口。田中小実昌,山口瞳,伊丹十三など評論家じゃない人も取りあげられている。若い頃に読んだ“コミさん”の小説を読み返してみようかと思った。

● 以下に転載。
 森高さんも,この歌(「私がオバさんになっても」)を作ったときは,二一世紀に空前の熟女ブームが来て,女性たちが四十代になっても「女子」とか自分たちを呼んじゃって,膝小僧を堂々と出す時代になるとは思っていなかったでしょう。(p7)
 ぼくが自分を成熟した大人ではないなと判断することのひとつが,こうして文章を書いていても,つい括弧で言葉を補いたくなってしまう癖です。ひとことでいい切ることができない。いい切る勇気がない。だからつい括弧で補ってしまう。補うのはたんに補足だけではありません。自分に対する批判や冷笑を先回りして述べるようなところがある。(中略)防御のためにあらかじめ自分でツッコんでおく。(p13)
 ぼくは人にものを教わるのが嫌いです。先生に教えてもらうくらいなら,本を読んで独学したほうがいいと思っています。実際,和服の着方は本を見て覚えました。しかも,教わるのだけじゃなくて,教えるのも苦手なんですね。他人から「教えてください」といわれると,「そんなことは自分で考えてよ」と追い払いたくなる。(p25)
 大学で教えてほしいという依頼を引き受けたのは,「そうだ,自分が知りたいことを教えればいいんだ」と思いついたからです。(中略)自分で知りたいと思っていることを,学生に調べて発表してもらったり,たまには自分でも調べて話せばいいや,と。(中略)これは当たりでしたね。(p26)
 先生と呼べる存在が身近にある,ということで人は何かを学ぼうとする。ときには(というか,たいていの場合は),実体としての先生以上のものを,生徒は先生に見る。そして学ぶわけです。(p32)
 人間,ジェラシーとプライドとコンプレックスから自由になれたら,どんなに幸福かと思います。ブッダのいう「悟り」って,そういうことでしょう?(p33)
 アドリブにもお約束はあります。ジャズだと,大まかなリズムとコード進行は無視しない。(p34)
 ブログというのは,そんなにじっくり考えて書くものじゃない。(中略)なんというか,勢いみたいなものがそがれてしまう。(p35)
 「叔父さんは勢いでものをいう」といいかえてもいいかもしれない。目の前にあることに対して,まずは発言してみる。発言したあとで,その発言の整合性を考えて,いろいろ理屈をこねる。内田樹のブログ文のおもしろさはそういうところにあると思います。(p35)
 物を買うために働き,ときにはローンで物を買い,ローンを返すためにまた働く。人びとは自分が持っている時間をどんどんお金に替えて,他人に売り渡してきました。バブルが崩壊すると,この魔法が効かなくなります。ニンジンをぶら下げられても欲しくなくなっちゃった。というか,ニンジンがニンジンじゃないと気がついた。(p57)
 彼ら(革共同両派など)の武力は国家権力に対してではなく,対立党派や自分たちの内部の異端分子に向けられました。これは思想的退廃です。(中略)ぼくはこれを「自分の右隣にいるヤツを殴る思想」と呼びます。右端にいるヤツじゃなくて右隣。右端を殴る勇気がないから,簡単なほうに逃げている。で,こういう風潮を広めたのは,吉本隆明なんじゃないかと思うわけです。(中略)吉本の攻撃スタイルって,右隣にいる人に「おまえは右に座っているじゃないか」と罵るものだったわけで。(p69)
 吉本のキーワードのひとつは「自立」です。考えてみると,同調圧力が強いといわれる日本人にとって,「自立」ほど魅力的な言葉はないのではないでしょうか。茨木のり子がブームになったのだって「倚りかからず」という言葉がかっこよかったからでしょう。(p72)
 とくにインターネットのツイッターやフェイスブックの世界では,目の前の事象に対して脊髄反射的に何かをいったり書いたりするようになっています。じっくり考えているとツイッターの速い流れについていけません。議論を深めることはできない。(p97)
 全共闘運動は大人たちがつくったシステムや価値観に「NO!」という,いわば駄々っ子みたいな運動だったわけですが,そのシステムや価値観のなかには旧来の「お勉強」が入っていました。(中略)勉強することが,当時の若者言葉でいうなら「ブルジョア的」だった。いま振り返ると滑稽ですが,中国の文化大革命やその矮小版であるカンボジアのポルポトがやったことなど,グロテスクで愚かなことが現実に行われたのですから,笑っている場合ではありません。(p95)
 でも,新しいことというのは,常に周縁から起きるんですね。ぼくの専門分野は出版産業,それも書店業についてですが,出版の新しい風は常に業界外から吹いてきました。(p99)
 とくにお年寄りの作家になると自分の文学観からはみ出るものに対しては理解より拒絶のほうが先立つみたいで。(中略)「中心」だけが選んでいたのでは文学賞も滅びます。(p100)
 鷹峯のお宅で(生田耕作から)うかがった言葉の中で,もっとも印象的だったのは「多数派はいつも間違える」というものでした。歴史を振り返ると確かにそうなんですね。日中戦争から太平洋戦争の泥沼に入っていく過程を見ても,日本人の多数は戦争歓迎でしょう。(中略)民主主義なんていうけど,軽佻浮薄な民衆に政治なんかまかせていたら間違ってばかりです。(p105)
 ぼくはツイッターに三日で飽きた男ですし,ミクシーもフェイスブックもやりませんが,ときどきネットの掲示板的なところを覗きます。五分ぐらいでどんよりした気持ちになりますね。みんな心のなかのどす黒い部分をネットで吐き出している。(p115)
 ネットからぼくが感じるのは「みんな聴いてほしいんだ」ということです。黒い書き込みは匿名だから,たんに吐き出すだけだけれども,やっぱり聴いてほしいわけでしょう。聴いてほしいけれどもだれも聴いてくれないからエスカレートしていく。(p116)
 ある週刊誌の元編集長がこんなことをいっていました。「間違ってもいい。一週間たてば次の号が出る」 旅の恥はかき捨てならぬ,報道の恥は書き捨て。マスメディアというものは本質的に刹那的なものだと思います。(p120)
 「善人がファシストになること,それがファシズムというものだ」と森毅はいいます。ぼくが『不良のための読書術』を書いたいちばん大きな動機はこれでした。人はほうっておくと善人になるし,善人はファシストになる。だから不良になるよう心がけよう。本を読んで不良になろう,というのがぼくの読書術です。(p130)
 「一丸となって」というのは多様性を失うことですから,失敗したときのリスクも大きくなります。(p132)
 「あんなにがんばって,たいへんだったろうな」と思います。勝つころで得られるのがおカネであれ地位であれ,あるいは賞賛や名誉であれ,そんなもののためにたいへんな努力をするなんて,と。(p134)
 植草甚一は変な叔父さん,変なおじいさんでした。その特徴は,徹底的な愚行です。分別のある大人ならやらないようなことをする。いや,大人だけじゃなくて,若者だってやらないようなことをする。(p156)
 なーんだ,一日四時間くらいなら,ぼくだって聴いていることがあるよ,と思ったけれども,植草甚一のほかの文章を読むと,ほかのことをしながらの「ながら聴き」ではないようなんですね。ガチで聴いている。もしかしたらノートなんかも取っているかもしれません。これはちょっとできないな。(p157)
 三年間二千冊という数字に,森本哲郎は「それはすごい。で,発見がありましたか?」という。すると植草甚一は「ないです」とひと言。すごいひと言です。一〇冊,二〇冊を読んでの「ないです」ではありません。(中略)たぶん二千冊も買い込まなくても,十冊,二十冊ほど読んだあたりで,発見は「ない」とわかっていたはずです。感の鋭い人ですからね。でも三年間,二千冊,律儀に買い込んじゃうわけです。(p160)
 ぼくの考えでは,スタンダードは簡単で難しい。(中略)スタンダードは奥が深い。うるさい人は襟幅やウエストの絞り方にミリ単位でいろいろいうわけです。(中略)それに比べれば,いわゆるモード系のほうがルールはゆるい。モード系のルールは流行からはずれていないかどうかだけですから。(p171)
 デパートに勤めているとき,ぼくが発見したことのひとつは,「お金持ちは値段を訊く」ということです。「値段を訊くのは恥ずかしい」なんて考えるのは貧乏人ですね。貧乏人ほど見栄っ張りです。(p186)
 コミさん(田中小実昌)がヨレヨレにもかかわらずかっこよく見えたのは,まず,働いているようすがなかったからです。ふらふらと東映本社の前を歩いていたりする。そのときコミさんの表情は弛緩しています。(中略)でもいま考えると,コミさんが働いていないわけがない。エッセイや小説の執筆でけっこう忙しかったに違いありません。(中略)この,忙しくても忙しいことを周囲に感じさせない,それどころか暇を持て余しているように見える,というところもコミさんの尊敬すべき点です。(中略)忙しいときに「忙しい」と自分でいうのは野暮です。(p195)
 行き先も確かめずに衝動的にバスに乗り,鞄からとり出した哲学書を読んでぼんやり考えるコミさんから,そんなふうにぼくは考えます。考えることを愛好する,智を愛するというのは,コミさんのような生活から生まれるんじゃないだろうか。案外,ソクラテスってコミさんみたいな人だったのかもしれない。(p199)
 非常に精緻にけなされても,それは何か自分の或る一面を衝かれているにすぎないと思うくせに,ほめられると,それがただの一言であっても,自分の全作品全生涯をほめられたように感ずるのである。(谷川俊太郎 p233)
 ぼくがツイッターやフェイスブックに近づかないのも,打たれ弱いからということがあります。(p234)
 以前,谷川さんにインタビューしたとき,ぼくは少し意地悪な気持ちで,斎藤孝の『声に出して読みたい日本語』のブームについてどう思うかと訪ねたことがあります。それは批判的な言葉を期待してのものでした。でも谷川さんはぼくのその意図を察したのでしょう,少しぼくの目を見てから「あれはいいと思うよ」といいました。その目は,他人の口を借りてそこにいない誰かの悪口をいってはいけないと諭しているようで,その瞬間,ぼくは恥ずかしくなりました。(p234)
 英雄や偉人はいるだろう。でも英雄や偉人だって,二四時間いつも英雄であり偉人であるわけではないだろう,というのが小田実の「チョボチョボ論」です。(p244)
 世の中を不幸にするのはまじめな人たちです。ふざけていたずら半分で戦争を起こそうという人はいません。まじめな人が戦争を始める。(中略)ふまじめな人がする迷惑の範囲はたかがしれています。ところがまじめな人による迷惑はスケールがでかい。(p245)
 オウム真理教の信者たちは,邪悪でふざけた人だったわけではない。むしろ世間的な尺度でいえばまじめないい人たちでしょう。まじめないい人たちが,ばかげた宗教にだまされて殺人者になっちゃった・・・・・・のではなくて,まじめないい人たちだから,ばかげた宗教を信じて邪悪な殺人者になったんです。(中略)そして,普通の人は,たいていまじめです。放っておくと,どんどんまじめになります。(p246)
 取り調べが続くあいだ,彼(鶴見俊輔)は拘置所に入れられました。そこでは元ボクサーの殺人犯もいたそうです。ぼくが当時のことを彼に聞いたとき,「そりゃあ,いい人間だったよ」と彼は笑っていいました。「なにしろ人を殺しちゃうぐらいだもの,いい人間なんだよ」と。(p248)
 勝っている社会って,じつい居心地の悪い,いやなものです。バブル時代の日本がそうでした。(中略)だからバブルがはじけた時はほっとした。バブルで浮かれている時よりも,バブルがはじけて仕事が減って,「苦しいね。しんどいね」といっている時のほうが,気持ちとしては楽でした。(p250)
 敗戦当夜,食事をする気力もなくなった男は多くいた。しかし,夕食をととのえない女性がいただろうか。他の日とおなじく,女性は,食事をととのえた。この無言の姿勢の中に,平和運動の根がある(鶴見俊輔 p253)
 もちろん彼らも派手に論争しましたし,とくに吉本隆明は『試行』などで罵詈雑言を浴びせたわけだけれども,それはひとつの芸みないなものであって,罵詈雑言を浴びせられる方も芸だとわかっていて,つきあったりつきあわなかったりしたわけです。それに対してぼくらの世代,一九六〇年前後に生まれた世代は,批判されるといまひとつ冷静ではいられませんね。線が細いのかもしれない。もちろんあらゆることを世代に還元してしまうのは良くないけれど。(p257)
 だいたい合ってりゃいいんですよ。いや,合ってなくても,おもしろけりゃいいじゃん。(中略)正しくてつまんないことより,間違ってておもしろいほうがいい,とぼくなんかは思うんですけど。(中略)もうソースやエビデンスはいいので,ぼくはおもしろい叔父さんのアドバイスというかぼやきが聞きたい。(p258)

2018年8月4日土曜日

2018.08.04 伊藤まさこ 『おいしい時間をあの人と』

書名 おいしい時間をあの人と
著者 伊藤まさこ
発行所 朝日新聞出版
発行年月日 2017.05.30
価格(税別) 1,500円

● 20人との対談。会って,話をしてもらうには,こいつなら会ってもいいかと思ってもらえなければ。類は友を呼ぶの範疇。ぼくら読者はそのおすそ分けをいただく,と。
 有次18代目の寺久保進一朗さんの話が,特に背筋を伸ばしてくれた。問題はそれが持続しないこと。こちら側の問題。

● 以下に転載。
 一事が万事そうなんです。自分が思っていること,考えていること,そのままをテーブルの上に並べるだけ。それ以上に見せる必要はないんです。(矢野顕子 p14)
 私の場合,「歌う」は,もともとは「体から音を発する」ことでしょうか。なんかね,しょっちゅうフンフンフンフン言ってるらしいの。(矢野顕子 p17)
 私は,所有欲なり食欲なりを満タンにすることにはあまり興味がないんです。いちばん大事なのはその欲を満足させることではないということはわりと早くから思いました。だから,極めない。極めるのは音楽だけ。ひとつあればいいじゃんって。(矢野顕子 p20)
 ニューヨークは特別なところです。街に駆り立てられる。ものをつくる人間にとってはすごくいいんです。(矢野顕子 p20)
 「あなたと私は違うのよ」ということを前提にする人生のほうが,私は心地がいいわけですね。(矢野顕子 p22)
 私は基本,火山のように,ここに(と胸に手を置く)マグマがあって,音楽が勝手に出てくる。そういう生き物なんです。音楽をつくる生き物。だから,どんな方が登山に来てもいいし,ごはんを食べに来てもいいの。(矢野顕子 p23)
 「正しく使う」と,余分なもん,持たんでええねん。必要なものだけ,大事に使う。器でも割れたらついだらええ。塗りも,欠けたら塗り直したらええ。何も大変なこと違う。(寺久保進一朗 p41)
 道具を正しく使うということは,腰が入ってへんと,使われへんよね。つまり「姿」を正しくするということ。そうすると無駄な動きがなくなる。1時間に10秒ずつでも無駄な動きを省くならば,1日にしたら何分間か,貴重な時間を節約できる。(寺久保進一朗 p45)
 料理屋さんはたくさんの道具を使うけど,置くとこがちゃんと決まってる。(中略)それは手が自然にそうなるんや。ねえ。ものを大事にするというのはそういうもの。(寺久保進一朗 p46)
 北欧はすごくよかったですね。あんなに豊かな生活があるということに驚きました。家具や日常に使うものがすごくよくて。(中略)本当に消費が少ない文化なので。(田根剛 p77)
 やっぱり舞台ですね。ゲーム感がいちばんあるんですよね。運動神経というか,スポーツ感。(片桐はいり p88)
 依頼を受けたときは,まずその人が何を着ているかを見るんです。どういうものが好きか,この先どういうふうになっていきたいかということも聞く。着るもので人生が変わる可能性だって,あるわけだから。(椎名直子 p99)
 台詞を言うためにお芝居をするのではなくて,生活の動作の中に台詞をまぶしていこうという意識があるんです。(是枝裕和 p106)
 役者さんは,大事な台詞であるほど台詞に意識が集中してしまいます。でも普通,人はそんなふうにしゃべらないから,意識をそらさせるのが大事で。(是枝裕和 p106)
 ちゃんとそこにいられるというのが,役者さんの一番の能力だと僕は思います。今までここで生活してきて,これからもここで生活していくんだろうな,ということを,ちょっとした動きで感じさせる。(是枝裕和 p108)
 学んで身につくものもあるし,学校で教えられないものもあるし。ただね,少なくとも,学ぶシステム自体はあったほうがいいだろうと思います。(是枝裕和 p112)
 普通の若い子たちがダサいと思っているところのほうが実はかっこいい,というのは感じましたね。(臼井悠 p143)
 カウンターが似合わない女はいないです。(臼井悠 p147)
 夜中のみそ汁とかも冷たいまま食べちゃうな。熱々とはまた別のおいしさなんですよね。(種村弘 p151)
 ある時代のロールモデルになる人は,吹っ切れ方が違う気がします。(種村弘 p158)
 みんなインプットはするじゃないですか。本を読んだり,映画を見たり。それがどこまでいったらアウトプットの側に化学変化を起こすんだろう。(種村弘 p151)
 状況や環境で人は違うし,関係も変わる。でもつい,自分のスケールにのせてその人を判断しようとするのね。(阿川佐和子 p169)
 オートバイは運転しているときのひとつひとつの行為がおもしろいんです。そのぶん集中していないと危ないですが,その魅力はあると思う。(杉本哲太 p189)
 お菓子屋さんを参考にするということはほとんどありません。どうしても真似になってしまいますから。うちはとにかく,真似はしたくない。素材などのヒントはジャンルの違うところからもらうことが多いです。(依田龍一 p197)
 構えているとかえってダメですから,何かの拍子にピピッとくるときが,いいアイデアが出るようですね。(依田龍一 p198)
 うちも先代のころから,「ものをつくるときにはコストのことは考えるな」と。はじめから「これは千円にしよう」などと考え出すととくなものはできません。(依田龍一 p202)
 自分の好みを明快にしておくということではないでしょうか。(中略)結局,人の好みで出しても,わけがわからなくなっちゃうんですね。何が良いものなのか。(依田龍一 p203)
 アートディレクターやデザイナーはなんとなく感性でデザインしてくと思われているかもしれませんが,僕の知っている優れたアートディレクターは,言葉の力も持っています。(水口克夫 p208)
 一回どつぼにはまると自分でも何がオーケーかわからなくなってしまって。でも,なんだろう,ここが違うんだよなということに執着しているとダメなんじゃないかと思います。次のセリフでフォローできたり,他の人との関係で成立したりすることもあるので。(沖田修一 p223)
 劇場って,あるときから客席を暗くして,舞台の上の芸術を邪魔しないように静かに鑑賞するようになった。それもあっていいけど,そればかりでは何か違うんじゃないかなと思って,劇場のあり方を考えるようになった。客席も演劇なんだから,客席の賑わいとか,お客さん同士が見合えるとか,そういうこと大事だから。(串田和美 p242)
 自分を納得させるのは時計だったりカレンダーだったりするでしょ。それって「どっちが主役?」って感じがするな。人間は自分らでつくったシステムをだいたい過信する。お金もそうだし(串田和美 p246)
 コミュニケーションは休憩時間や就業後で十分。現地の言葉でも何を言っているかはだいたいわかるようになる。相手の質問に答えるのは難しいけど,適度に笑って適度に怒っていれば,なんとかなる。ヘラヘラしてるとダメだけど。(内田鋼一 p264)
 海外に行くときでも手ぶらで行く。使い慣れた道具とか一切持っていかない。不自由でも,そこにあるものでやってみたい。(内田鋼一 p270)
 お客様への応対は,その人の人間性というのかな,人生観が出るのではないかと思っているのです。これまで何が好きだったか,どんな美しいものを見てきたか。そういうことがすべて出る。(黒川光博 p274)
 虎屋が考える和菓子の定義は,植物性の原材料でつくられているということです。(中略)あんことクリームを混ぜたりするとおいしいんですよね。でもやらない。それに何の意味があるかと言われると,意味はないかもしれない。おいしいんだからいいじゃないかというほうがよほど説得力がある。だけどそれをしないででこまでできるか。(黒川光博 p277)

2018年8月3日金曜日

2018.08.03 弘兼憲史 『古希に乾杯! ヨレヨレ人生も,また楽し』

書名 古希に乾杯! ヨレヨレ人生も,また楽し
著者 弘兼憲史
発行所 海竜社
発行年月日 2017.07.28
価格(税別) 1,000円

● 御用とお急ぎの方は「まえがき」の4頁だけ読めば,本書を読んだことになる。1時間もあれば本文も読めるだろうけど。
 早く完全引退して,好きなこと,やりたいことをして過ごしたいと思っていたのだけど,それは間違いだったかも。全き自由を得てしまうと,“やりたい”や“好き”は死んでしまうのかも。

● ぼくには“やりたい”も“好き”もあって,できる範囲でやってきた。引退すれば思いっきりそれらに時間を注げると思ってたんだけどね。どうもことはそう単純ではないのかもなぁ。
 働ける間は働くのがいいのかも。定年後に働く場を見つけられるかどうかの問題はあるけれど。
 どうもわからなくなってきた。で,そういうわからない状態にいるのが,じつはボケないためには一番いいのかもしれないね。

● 以下にいくつか転載。
 老後を豊かに暮らすことが本当に楽しいのか。ひとりで老後を過ごすことは不幸なのか。人間にプライドは必要なのか。家族団欒はいいことなのか。頭のいい人が幸せになれるのか。個人の権利が優先される社会っていいことなのか。世界のトップレベルの長寿国ということは喜んでいいことなのか。(p4)
 楽しく生きるには,ひと言で言うなら「好かれる人(老人)」になることです。(p5)
 病院のベッドは,そこで治療して社会に復帰していく人のためにあるもので,高齢者の棺ではありません。(p14)
 「汚い」「お金がかかる」「役に立たない」。残酷な表現ですが,これがかつての老人の三大要素と一般的に言われてきました。(中略)「小奇麗な老人」で,「お金を稼ぐ老人」で,「役に立つ老人」でいたほうが社会のためになるでしょうし,自分でも楽しいと思うのです。(p18)
 まず60歳,70歳になったら,暮らしのレベルを下げていくのは必要なことだと思います。でもそれは無理に努力しなくても,年齢に従って自然に落ちていくものなのです。(p30)
 いいじゃないですか,下流で。下流のどこが悪いのでしょうか。(p32)
 楽しいことも辛いことも,嬉しいことも悲しいことも適度に混ざっているほうが人生は面白いのです。(p36)
 偉そうな老人,話が面白くない老人,自慢話が多い老人は嫌われます。自分の話ならまだしも,親戚が東京大学出身だとか偉い官僚だとか,誰もそんな話は聞きたくありません。(p44)
 「さからわず,いつもにこにこ,従わず」,いい言葉ですね。この姿勢を貫き,毎日の生活を愉しむべきです。そうすれば,少なくとも嫌われずにすみます。(p45)
 ケチな老人は嫌われますが,貯め込んだ貯蓄を使えずにいる人たちがまだまだいます。その理由は,自分があとどれだけ生きるかわからないからです。(中略)いつ死ぬかわらかないからこそ,少し楽観的な気持ちになって「この人生を楽しもう」と考えてみませんか。(p49)
 もともと男性には,自分の価値観にこだわって人間関係を軽視しがちな傾向がありますから,周りの目を気にしなくなると,孤立して内向するのです。こういう老人が好かれるはずはありません。(p60)
 後ろに軍事力があって,初めて対等な交渉が出来るというのが世界の常識ですから,軍備を持たない国は小規模な島国を除いてほとんどないのです。(p65)
 老齢になってまで,あえて大勢の人間とわかり合う必要も,ぶつかる必要もないと思います。(中略)自分と考え方の違う人たちがいるという事実を認めてさえいれば,それでいいのではないでしょうか。その事実を認めない人がいるから紛争が起きるのです。(p66)
 人生は出会いと別れを繰り返すものですから,自然に関係が希薄になっていったのなら,無理して親友でいようとする必要はないと思います。(p75)
 「無常」とは仏教用語で,この世に常なるものはないという意味です。この世のすべてのものは日々刻々と変わっていて,人間だって例外ではありません。「永遠の愛」でるとか,「変わらぬ友情」などというものは,人間の錯覚にすぎません。この真理を忘れないようにしたほうがいいでしょう。(p77)
 よほどの信頼関係があっても,「俺が金を出すからみんな協力してくれ」という経営は難しいのです。(中略)最終的に信用できるのは自分ひとりだと思っておいたほうがいいでしょう。寂しいけれど,これが現実です。(p79)
 とくに異性に対しては,自分の価値観や考えを話すことはあったとしても,わかり合いたいとか,多くを共有したいなどと思わないほうがいいでしょう。もし,相手にそんなことを伝えてしまったら,暑苦しいオヤジだと思われて,敬遠されるだけです。人は人,自分は自分なのです。(p84)
 やはり夫婦というものはどこまでいっても2本の平行線のような関係にあるのが,理想的なのではないかということです。2本の線はいったん交われば,あとは離れていく一方です。同じ距離感を保ってお互いの領域には踏み込まないことが,夫婦関係を長く続ける秘訣だと思います。(p86)
 女性は友人をおしゃべりして情報を共有することが最高のストレス解消になるのです。(中略)男性が1日に発する単語数は平均7000語。一方,女性は2万語。(中略)女性が6000語以下しか話せないと脳はストレスを感じやすくなるそうです。(p88)
 男が仕事を離れて家庭に軸足を置くということは,妻が自分の人生の中で築いてきた社会に夫が割り込んでくるということなのです。(中略)妻もずっと我慢をしながら家庭を支えてきたのですから,ここでさらに我慢を重ねるようなことになれば,「私の世界から出ていってほしい」と思います。(p91)
 親でも兄弟でもなく,他人と共同生活をしているのですから,食事を作ったもらったら「ありがとう」というのが当然です。共同生活の相手がなんらかの理由で食事を作れないときは,作ってあげるというのが普通の関係です。(p92)
 雑用とされているような仕事でも工夫しだいで楽しみ方を見いだせます。(中略)楽しもうとするかしないかで同じ時間が活きるんですね。「究極のプラス思考」の根本原理は,とても簡単なひとつのことだけなんです。同じ時間を過ごすのなら,楽しまなければ損。それだけです。(p128)
 私の高校の恩師が,いよいよ亡くなるという時に,家族に話した言葉があります。私は,その言葉に感銘を受けました。それは,「これから一生に一度しかない死ぬということを体験できるので,ワクワクしている」という言葉です。(p129)
 人間というのは,よくできたもので,戦争や大地震などのあまりにも強烈な被害を受けたら,トラウマにはならないそうです。(p132)
 いつか観た映画のなかに,「運命は従うものを潮に乗せ,拒むものを曳いてゆく」というセリフがありましたが,私も基本的には流れには逆らわず生きてきました。(p134)
 こだわりや決めつけは生きる幅を狭くしてしまい,柔軟性のない堅い人間を作り出します。(p134)

2018年8月1日水曜日

2018.08.01 ジャン・セロワ 『世界の最も美しい大学』

書名 世界の最も美しい大学
著者 ジャン・セロワ
   ギヨーム・ド・ロビエ(写真)
訳者 藤村奈緒美
発行所 エクスナレッジ
発行年月日 2016.02.27
価格(税別) 3,800円

● 23の大学が紹介されている。主には欧州。あとは北アメリカ。それ以外は中東から2つ。もともと,大学とか学問はイスラム世界のもので,欧州は後進地帯であったらしいのだが。
 主には建築として語られているので,ぼくには理解できない箇所もかなりある。例えば,ネオゴシックと言われてもわからない。

● 大学とは,教会や王権の子供というか,権威の象徴だったらしい。学生も貴族の子弟に限られたのだろう。
 天井にフレスコ画が描かれているような図書館で勉強などできたのか,と思うのだけど,それは,インターネットによって大学自体が無用の長物になりつつある,現代からの視点だろうね。

● 日本の多くの国立大学は中層ビルの集合体だ。味もそっけもない。しかも,敷地が狭い。大学などというものは,それでいいのだと思う。いや,その方がいいのだ。
 こういう本を見て,昔の大学は良かったなどと思う人はよもやいないと思うのだが,現代は大学を特別視する必要はなくなった。素晴らしい時代にぼくらは生きているのだ。

2018.08.01 pha 『人生にゆとりを生み出す 知の整理術』

書名 人生にゆとりを生み出す 知の整理術
著者 pha
発行所 大和書房
発行年月日 2017.12.25
価格(税別) 1,300円

● 最も印象に残ったフレーズは「すべての人間は,執行猶予付きの死刑囚だ」。疑いようもなくそのとおりだ。
 類書にはない新たな知見が披露されているわけではないと思えるのだが,同じ内容でもphaさんの文章で読みたいと思う人は多いだろう。ぼくもそうだ。

● ものの見方がひねくれていない。少し油断するとひねくれてしまうものだが。
 自分も図書館の恩恵を受けていながら,図書館は無料の貸本屋だなどと貶めてみたくなったりするのだが(ぼくのことだ),そういうお粗末とは当然ながら無縁。

● 扉に次の一文が書かれている。
 この本で伝えたいことはただ一つ。“一生懸命,必死でがんばっているやつよりも,なんとなく楽しみながらやっているやつのほうが強い”ということだ。
 本文はその各論,具体論ということか。しかし,ここでは各論まで目を通しておいた方がいいと思う。上の総論だけでは,どうしたらそうなれるのか,少々戸惑うだろうからだ。

● 以下に転載。
 知識があれば避けられる不幸が,人生には結構ある。だけど,たまたま知らないばかりに苦労し続けてしまっている人は世の中に多い。(p3)
 勉強でも仕事でも何でも,どれだけ根性を出してがんばるかということよりも,習慣や環境の力を利用して,無理なくなんとなく続けることが重要だ。できる人ほど,力を入れずにいろいろなことが回っていく習慣や環境を形作っている。(p7)
 勉強はゲームだし,仕事もゲームだ。試験の点数や順位や給与や売上高はゲームのスコアだ。もちろん人生だってゲームだ。人生は世界最大規模でやろうと思えば何でもできる自由度MAXの超オープンワールドゲームだから,プレイできる限り,思う存分楽しまないと損だ。(p15)
 ゲームとして楽しむときに必要なものは2つ,「余裕」と「達成感」だ。何かを楽しめないときはこの2つを持てていないことが多い。(p16)
 なかなか余裕を持ちにくいときには,僕は自分が宇宙人か未来人だと想像するようにしている。(中略)ヒマ潰しにバーチャルリアリティの世界で21世紀の地球人の人生を仮想体験しているだけ,みたいに考えるのだ。(p17)
 基本的に勉強というのは,自分が楽しいと思うことだけやればいい。これは勉強に限らず,すべてのことに言えるかもしれない。(中略)人間の体は,自分に必要なものはおいしく楽しく感じるようにできているのだ。(p21)
 僕は何か思いついたことや考えたことは,何でもすぐにツイッターやブログに書くようにしている。それは,考えていることを言葉にすると,考えが前に進むからだ。(中略)「言語化する」というのは,人間の持っている最も偉大な問題解決能力だ。(p44)
 言語化するというのは,「アナログで連続的な世界を言葉でデジタル化する」と言い換えることもできる。(p46)
 「何が問題か言葉にできたら,もう半分は解決したようなものだ」とよく言われる。対象を言語化するということは,それくらい大事なことなのだ。(p48)
 僕は,過去の自分のブログやツイッターを読み返すのが好きだ。(中略)書いたものを読むと,過去や未来の自分とやり取りできるので,一人でいながら誰かと相談するような効果が得られるのだ。(p48)
 授業中に余談をしてくれる先生はいい先生だ。(中略)人間の脳は物語や感情と結び付いたことを強く記憶するようになっているから,余談と一緒に覚えるのは効率のいいやり方なのだ。(p52)
 本に載っている無味乾燥の情報に,自分なりの思い入れや思い出や思想などを絡ませながら,自分の中の血肉としていく。無色透明の情報に自分なりの色を付けていく。(中略)情報を自分のものにするというのはそういうことなのだ。(p55)
 僕が文章をわりと書けるようになったのも,しゃべるのが昔から苦手だったせいだ。口でスラスラと思っていることをすべて表現できる人間だったなら,今頃文章なんて書いていなかっただろう。(中略)だから,自分の欠落は不幸ではなく,むしろ自分のやりたいことを決めてくれる個性だと考えるのがいい。(p58)
 想像力や創造性というのは,限られたリソースの中で何とかやりくりしようとするときに生まれる。(p60)
 僕はまったく知らないジャンルについて勉強するときは,本を最低3冊読むようにしている。そうすると,知識がちょうどいい感じに曖昧になるからだ。(p70)
 勉強のノートというのは,書いただけでは意味がない。ノートは何回も読み返すためにとるものだ。(p75)
 今の時代はもう,テレビも新聞もブログもツイッターも全部,情報源の一つとして並列している。これは歴史上初めてのとても特殊な時代だ。僕はそんな状況が楽しくてたまらない。ただ,誰でも情報を発信できるようになったことの弊害もあって,それは(中略)「誰でも気軽に発信できる」ということは,「内容がどんなにデタラメでも発信できる」ということでもあるので,ネット上の情報には嘘や間違いも多く玉石混交だ。見る価値のないようなゴミ情報も非常に多い。そこで必要となるのが,「キュレーター」と呼ばれる人の役割だ。(p87)
 ぼくがヒマ潰しにネットで見る場所は,ツイッター,はてなブックマーク,タンブラーなどなのだけど,それら全部に共通しているのは,自分の好きな人をフォローして自分だけのタイムラインを作れるというところだ。(p89)
 情報を実際に役に立てるには,単にその情報だけを知っているだけではダメで,その情報をどう位置付けるかという「文脈」や「思想」といったメタ情報が必要なのだ。(中略)本というのはそれを与えてくれるものなのだ。(p94)
 本の中に一つでも「へー」とか「よい」とか思う箇所があったらそれで十分に価値のある読書だ。もし,1冊の中に3つくらいいいフレーズを発見できたら,「大量だ!」というふうに考えよう。(p100)
 本を書く側の立場から言うと,(中略)その本で本当に伝えたいエッセンスのような内容は,どんな本でも20ページもあれば収まるものだと思っている。(p101)
 本を読んだらできるだけ読書メモをとるようにしよう。その理由は2つある。一つは,「読み返して情報を頭に定着させるため」だ。(中略)もう一つの理由は,「書くことで覚える」からだ。(p103)
 本というのは,自分自身を映す鏡のようなものでもある。だから,自分とまったくかけ離れている本を,人はおもしろいと思うことができない。(p107)
 人間の心理として,身銭を切ったものは身につきやすい。(中略)ただ,人間というのはすぐに刺激に慣れる生き物だ。お金を払うことに慣れすぎると,身銭を切る痛さがだんだん薄れてくる。(p112)
 知識というのは生きることにおいて大きな武器で,知識が多いほど有利に生きていくことができる。もし図書館がなかったとしたら,本を読むにはお金を払わないといけないので,たくさん本を読めるのはお金持ちだけになってしまう。(中略)そうすると貧富の差が固定されてしまう。(p123)
 僕がブログや本でこんなふうに文章を書いている最大のモチベーションは,「自分がもっといろんなことをわかりたいから」だ。「誰かに読んでほしい」とか「収入につながる」という理由は,なくはないけどオマケのような感じだ。普段なんとなくぼんやりと考えていることは,誰でもあるだろう。でも,それを文章にしようとすると,あやふやな理解ではうまく説明できないことに気づく。(中略)そうしたあやふやな思いつきを,ちゃんと調べてちゃんと考えて,「これはこうです」と発表できるところまで持っていくという作業を,本を書くたびに毎回やっている。(p134)
 「軽いアウトプット」のコツは,とにかく気軽にやることだ。それが良いか悪いか考えない。失敗しても気にしない,というか,むしろ失敗を積み重ねるためにやる。(中略)そして「軽いアウトプット」のツールとしてとても向いているのが,インターネット,つまりブログやツイッターだ。(p137)
 物事は何でも,「自分のため」「自分が好きだからやっている」という点がないと長く続かないものだ。自分自身のために何かをやって,あくまでおすそ分け的に他人の役にも立ったらいいな,というくらいがいいスタンスだと思う。(p140)
 大体みんな,人の話を聞くよりも自分の話を聞いてもらいたいと思っているので,この世界ではいつも話の聞き役が不足している。誰かに何かを話したいとき,一対一で聞く人を捕まえて話すのではなくネット上にかいたものをなんとなく置いておくという感じにしておくと,特定の聴手を拘束しないで済むので便利だ。(p146)
 何かを調べて文章にまとめてブログに書くと,「うわー勉強になります」というい自分より知識のない人と,「ここは正確にはちょっと違いますよ」という自分より知識のある人が,両方いる。そのどちらもが大事な読者だ。(中略)「自分には発表するだけの知識がないから」と遠慮することはない。無知な状態でもどんどん書いたほうがいい。(p147)
 作家の坂口恭平は,ツイッターにひたすら文章を書き続けて,それをあとからまとめるという形で出版していたことがある。僕もツイッターに書いたことを,そのままブログに載せるというのをよくやる。とりあえずツイッターに文章を連投して,それをあとからまとめて長い文章にするというやり方はなかなかいい方法だ。(p150)
 何かを書いたり作ったりするとき,とりあえず雑にたくさんアイデアを出してみて,それをあとから厳選したり整理してまとめ直したりするという手法がよく使われる。その最初のアイデア出しに,ツイッターはすごく向いているのだ。(p152)
 実名はなるべくネットでは使わないようにしている。それは,リアルの世界とネットの世界は分けておきたいからだ。(中略)表に出せないような一面を出したり,言えないような意見を言えるからネットはおもしろい。なので,ネットをヘビーに使うなら,ハンドルネームか匿名にすることをおすすめする。(p157)
 「ハンマーを持つとみんな釘に見える」という言葉がある。これは,手にしている道具によって思考や行動が影響を受けるという意味だ。(中略)小さい紙を前にしているとそれに収まるくらいの少しのアイデアしか出てこないし,大きい紙に書いていると自分でも思っていなかったような発想がどんどん広がっていったりする。(p164)
 アイデアを出すときの紙は横向きに使うのがよい。(中略)縦長の紙より横長の紙のほうが,アイデアに広がりや幅が出やすいからだ。人間の空間認識は,上下方向と左右方向に違う味付けをしている。上下は順番や階層といった概念などと結び付きやすいし,左右は並列や多様性といった概念と相性がいい。(中略)いろんなアイデアを出したいという場合,多様性を重視したいので,左右方向を優先したい。(p165)
 文章というのは,最初と最後がそれっぽい感じになっていれば,中間部分は適当に雑な内容を並べていても意外とバレないものだ。(p169)
 大事なポイントは,「最初から完成度を上げすぎないこと」だ。とりあえず,50%~70%くらいの完成度で,最初から最後まで作り切ってしまうのがいい。(p170)
 ある程度完成度が上がったと思ったら,そこで切り上げるのも大事だ。100%の完成度というのはありえないものなので目指さないほうがいい。(p173)
 僕は本を書くとき,大体いつも「今度は誰をパクろうかな」ということを初めに考えている。パクリは別に悪いことじゃない。(中略)誰も「無」から何かを作り出すことはできなくて,すべてのものはそれ以前からの集合体だ。そう考えると,人の作品をコピーするのは悪いことではなく当然のことでもある。(中略)パクリ問題が生じてしまうのは,一つのものからだけパクったときだ。(中略)それから,パクっても陳腐にならないための心がけとしては,「形をマネるのではなく,気持ちをマネる」というのが大事だ。(p175)
 僕はノートを最後まで使い切ったことはほとんどない。同じノートをずっと使い続けることにうんざりしてきてしまうからだ。(p186)
 「このノートはこういうふうに使おう」と決めていても,使っているうちにだんだん最初の意図や用途とはズレてきて,余計なものが積み重なってきてよくわからなくなってくるものだ。そういうときは,必要な情報だけを別の場所に書き写して,ノートを捨ててしまうとスッキリする。作業環境は定期的にリセットするのがいい。(p186)
 いいアイデアというのは,一生懸命何かをやっているときではなく,いったん考えるのをやめて休んでいるときに,フッと出てくるものだ。体力がある人は,なまじがんばれてしまうので,つい休まずに何時間もずっとダラダラと働き続けてしまう。(p187)
 勉強した内容は,勉強してすぐよりもちょっと時間が経ってからのほうが理解が深まる,ということが脳科学でも言われている。(中略)だから,いったん忘れてしまって,次の日また別人のような気持ちで見直しをする,というのが大事だ。いったん思いついたアイデアも,すぐに発表するのではなく,一晩か二晩寝かせて見直してみると,さらに改良できる場所を見つけられたりする。(p188)
 行き詰まったらダラダラと悩み続けるのではなく,こまめにリセットして休むようにしよう。(p190)
 大事なのは,細かい知識自体を知っていることよりも,どういうふうに調べれば必要な情報が出てくるかという,「情報についての情報(メタ情報)」をつかんでいることだ。(p194)
 文章を書いているとよく思うのは,「文章というのは,自分の中である程度終っているものや,ある程度一段落しているものについてしか書けない」ということだ。なぜなら,本当に何かの真っ最中にいるときは,何がなんだかわからなくて文章を書くどころじゃないからだ。(p195)
 「書くこと」,つまり他人に伝わるように言語化して説明するということは,ぼんやりしたものに形を与えるという効果や,終わりかけているものをハッキリと終わらせるという効果がある。(p195)
 僕は,やる気がしないときは,ツイッターに「だるい」「やる気がしない」「今日はあかん」などと書くようにしている。「だるい」とか「できない」という気持ちを文字にすることで,自分の中のだるさややる気のなさが書いた文字にいくらか移動して,少しだけ体が楽になるような感覚があるのだ。(p200)
 すべての人間は,執行猶予付きの死刑囚だ。僕は,山田風太郎の『人間臨終図鑑』という,人の死ぬところだけを享年順に並べた本をときどき読んで,定期的に死を思い出すようにしている。自分の今の年齢で死んだ人の死にざまを見ると,「せっかく生きているんだから何かやろうか」という気分になってくる。(p207)
 精神や肉体が健康な状態なら,本当にやるべきことは自然にやりたいと思って体が動き始めるはずだ。どうしてもやる気がしないのは,自分は本当は「それをやらなくていい」と思っているからではないだろうか。(p208)
 「考えてみてもどこから手を付けていいのかまったく見当がつかない・・・・・・もうだめだ」というときは,視野が狭くなってしまっているので,ちょっと一息入れよう。(中略)基本的に,まったくどうにもならない問題というのはこの世に存在しない。だけど,敵との距離が近すぎるとうまく敵の全体像が把握できなくて,相手が攻略不可能の巨大な壁に見えたりする。(p213)
 なぜ,細かくスケジュールを区切るのがいいのか。それは,細かくスケジュールとタスクを分けることで,その段階で気にしなくていいことを全部忘れることができて,目の前の作業への集中力を上げることができるからだ。(中略)人間の脳内のメモリには限界があるので,気にしなくていいことはとりあえず忘れてしまったほうが,作業がはかどる。(中略)メモやノートや予定表というのは,とりあえず必要じゃないことを忘れて頭の中をラクにするためにある。(p220)
 特に問題なく予定通りに進んでいるときでも,週に一度は新しく作り直したほうがいい。古いメモやスケジュールというのはだんだんと鮮度が落ちて腐ってきて,そうするとやる気も下がってくるものだ。(p222)
 気分次第でやることを変えていけるのが人間の楽しさだし,僕らはいつだって,今やっていることと何か別のことをやりたいと思っているのだ。(p223)
 無制限にだらだらと何かをするよりも,時間が制限されていたほうが人間の生産性は上がる。時間というのは区切れば区切るほど増えるものだからだ。たとえば,「3時間仕事をして30分休む」よりも,「1時間仕事をして10分休むを3回繰り返す」というほうが,2倍くらい仕事ははかどる。(p224)
 散歩をしながら音楽を聴くというのが,僕の最強の気分転換術だ。勉強中や作業中は歌詞のない音楽や歌詞の聴き取れない洋楽を聴いて,休憩中は歌詞のある歌を聴くようにしている。(p228)

2018.08.01 松浦弥太郎 『泣きたくなったあなたへ』

書名 泣きたくなったあなたへ
著者 松浦弥太郎
発行所 PHP
発行年月日 2017.05.02
価格(税別) 1,300円

● 娑婆で生活を全面展開しながら,ここまでの高みを目指すのは,出家して修行の環境を整えたうえで悟りに至るのより,はるかに困難かつ価値あるものと思われ。

● 以下にいくつか転載。
 ほんとうは何もかも放り出したいけれど,くちびるを噛んで・・・・・・つぶやく。自分にはできると。(p15)
 今だから言えますが,その頃僕は心療内科に通っていました(治療のために,今に至るマラソンをはじめたのです)。僕はこんな質問をしました。「仕事をつづけるために必要なことはなんですか?」するとその方はこう答えました。「プライドを捨てること。それと,とにかく忍耐です」と。(p30)
 人からしてもらって嬉しいこと。人からされて嫌なこと。僕はこのふたつの感受性を人一倍高めたいと思っています。(中略)正直,自分がとてもつらくなるのはわかっているけれど,仕事というか社会生活,家族との関係にしても,がんばるってこういうことじゃないかなと思う。感謝のありがとうをあらわすって,こういうことじゃないかなと思う。(p35)
 そう,照れないというのは大事なんだ。たまに思うけれど,照れない人には勝てないなぁと。(中略)そう思うならそう思い,そうしたいならそうする。その気持ちを貫くこと。「照れない」というのは,ひとつの「勇気」であり「覚悟」,「ごまかさない」こと。(中略)恥じらいも大事だけど,大事な時は照れない自分でいたい。(p48)
 お金さんを仲よくなるには,お金さんが喜ぶ使い方をすること。お金さんについて学ぶべきことは,稼ぎ方でもため方でもなく使い方です。(中略)人を喜ばせるお金さんの使い方をしなければなりません。みんなが幸せになる「とりかえっこ」を考えねばなりません。(p70)
 人生とは,欲望をちからにして,一本の道を作っていくんだよね。道は細く長いかもしれないけれど,その先はきっとぱあっと広いんだ。(p119)
 怒ってもいいことはひとつも起きない。(中略)怒ってすっきりするとか言うけれど,僕はそのすっきりは,もういらないかな。(中略)でも,意見は言う。服従はしないし支配もされない。迎合もしない。意思決定は自分でする。何もかも自分で選ぶ。きちんと話す。それが僕の答え。怒りを答えにしないだけです。(p123)
 怒らないと,自分の「何か」が変わる。これだけはほんとうです。「何か」って,自分がこうなれば嬉しいなということです。これだけはほんとう。いいことがたくさん起きます(すごい秘密ですこれ)。信じていいです。(p126)
 許して,学んで,前に進むことによって成長できる。だからすべてを許しましょう。そう考えると許しとは,相手のためではなく自分のためのものです。(p129)
 人はどうしても物事を白黒はっきりさせたがるというか,イエスかノー,もしくは良い悪いに分けたくなるけれど,心持ちとして,表と裏をいつも大切にする,もしくは共存させるバランス感覚って必要なんじゃないかな。(p150)
 いいこと,悪いこと,楽しいこと,悲しいこと,正しいこと,間違ったこと,すべての源は「自分」です。自分が体験したいと思っているからいろいろな出来事に出会います。(p153)
 冷めていくのが普通なんです。(中略)だからこそ,冷めたことに,あきらめたり,悔やむのではなくて,冷めたことに気がついたら,すぐに,少しでも温め直そうと思うのが大事で,そういう心持ちを忘れてはいけないと思うのです。(p155)
 しあわせってあたたかさだと思う。(中略)時間がかかっても温め直すって大切なんだ(p157)