2020年6月29日月曜日

2020.06.29 百田尚樹 『日本国紀』

書名 日本国紀
著者 百田尚樹
発行所 幻冬舎
発行年月日 2018.11.10
価格(税別) 1,800円

● 60万部を売ったベストセラー。ウィキペディアからコピペしてるとか,色々騒がれた。ウィキペディアなんてコピペされるためにあるようなものだろうけどね。
 今はブログやSNSに文字が溢れかえっている。ネット以前に確立している著作権の運用をそのまま維持しようというのは,詮ないことというか,そもそものところで無理があるのではないか。

● 新たな史料の発見や新解釈はない(と思う)。索引がないのだから学術書ではない。史料の発見などなくていいのだ。
 では本書は何かと問われれば,読み物だとしか答えようがない。日本史が素材なのだから,黙っていてもメリハリの利いたストーリーになる。高校の教科書だって面白いのだから。

● 西郷隆盛や幣原喜重郎への低評価には親近感を覚えた。朝日新聞批判も痛快。国民を長く騙し続けることはできない。“朝日新聞=捏造王”だと多くの人が知るところとなったのではないか。
 ま,朝日新聞など,団塊の世代が死に絶えれば自然になくなるだろう。それまでもたないかもしれないが。朝日に代表されるジャーナリズムっていうのは,エリートになるだけの能力を欠いた人間が,別の登山口からエリート山に登ろうとして失敗した図,に見える。

● しかし,史実の評価や解釈については,複数のパースペクティブを持っていた方がいい。たとえば,出口治明『0から学ぶ「日本史」講義』(文藝春秋)を併せ読むといいと思う(単行本は「中世篇」まで刊行)。

● 以下に転載。
 日本の歴史を語る際に避けて通れないのが,朝鮮半島との関係である。日本は二世紀から三世紀にかけて,たびたび朝鮮半島に兵を送っていることが,朝鮮の記録に残っている。(中略)四世紀半ばにも,日本はかなり積極的に朝鮮半島に兵を送っている。この派兵については『日本書紀』などにも記述がある。(中略)当時,海を越えて遠征するのは容易なことではない。戦争のリスク以前に渡航に大きなリスクがある。兵の食料の問題もある。にもかかわらず,日本(大和朝廷とは限らない)は,幾度も朝鮮半島に兵を送っている。つまり日本の国力が相当大きかったと考えられ,当時の日本にとって朝鮮半島の一部が非常に重要な地域であったとも考えられる。(p22)
 これに関しては,当時の日本は輸出するものがなかったので,人を輸出していたのではないかとする見解がある。つまり,これは国として派兵していたのではなくて,傭兵として朝鮮半島に輸出していたのではないかとする見解だ。
 女性天皇が皇室のY染色体を持っていない男性と結婚した場合,皇室のY染色体はそこで途切れる。(p34)
 これは時々耳にすることだけどね。Y染色体というのが何なのか,何をしているのか,そもそも何でこんなものがあるのか,よくわかっていない。男性の染色体はX・Yというとき,XとYが半々とイメージしやすいが,そうではなくて,大半がX染色体で,Y染色体はちょびっとらしい。Y染色体が遺伝形質の器になっているかどうかにはかなり疑問がある。
 先住民は虐殺され,生き残った者は過酷な奴隷労働を強いられ,一時は民族滅亡の危機に陥った。この虐殺と奴隷労働の凄まじさを物語るデータを一つ挙げると,インカの人びとは,百年の間に千六百万の人口をさずか百万まで減らされている。(p154)
 虐殺や過酷な奴隷労働もそのとおりだろうけれども,これだけ劇的に原住民の人口が減った第一原因は,スペイン人が持ち込んだ病原菌にある。著者がそれを知らないわけがないと思うんだよねぇ。どっちにしても,原住民には災厄だったわけだが。
 日本人は昔から言葉に霊が宿ると考えていた。(中略)言葉には霊力があって,祝福を述べれば幸福が舞い降り,呪詛を述べれば不幸が襲いかかるという信仰である。とくに後者について,「あってはならないこと」や「起こってほしくないこと」は,口にしたり議論したりしてはならないという無意識の心理に縛られているのである。そうしたことを口にするのは「縁起が悪い!」と忌み嫌われるのは日常生活においてだけでなく,政治の世界においても,同様なのである。(中略)このように,「起こってほしくないこと」は「起こらない」と考えようとする「言霊主義」は,我が国においては二十一世紀の現代にも根強く残っている。(p226)
 日本はせっかく奪った油田から,多くの石油を国内に輸送することができなかったのだ。(中略)インドネシアからの石油団度の物資を運ぶ輸送船が,アメリカの潜水艦によって次々と沈められるという事態となる。それでも,海軍は輸送船の護衛など一顧だにせず,聯合艦隊の誇る優秀な駆逐艦が護衛に付くことは一切なかった。(中略)戦争が輸送や生産も含めた総力戦であるという概念が完全に欠如していたのだ。(p389)
 海軍と陸軍の対立もひどいものがあった。一例を挙げると,銃や弾丸の規格と仕様が違っていた。世界の軍隊でこんな例はない。似た話では,インドネシアの石油施設を多く取ったのは陸軍だったが,実は陸軍は海軍ほど石油を使わない。それなのに現地で余った石油を海軍には回さなかった。(中略)そもそも石油を確保するために始めた戦争であったにもかかわらず,完全にその目的を見失っていた。(p396)
 日本の独立は,ソ連にとっては非常に都合の悪いものだった。(中略)そこでスターリンは日本のコミンテルンに「講和条約を阻止せよ」という司令を下したといわれている。これを受けて野党第一党の日本社会党と日本共産党は,講話条約に真っ向から反対した。(中略)当時,日本の講話に反対していたのは,ソ連とその衛星国家チェコスロバキアとポーランドの三国のみであった。日本と戦ったアメリカやイギリスやフランスなど世界の四十八ヵ国という圧倒的多数の国との講話を「単独講話」と言い換えるのは悪質なイメージ操作である。(p450)
 多くの先進国では新聞社がテレビ局を持つこと(クロスオーナーシップという)は原則禁止されているが,当時,メディア問題に鈍感であった日本政府は禁止しなかった。それにより後に多くの弊害が生じたが,それらは改善されることなく現在に至っている。(p461)
 冷戦終結後,「ベ平連」にはソ連のKGBから資金提供があったことが判明する。つまり「平和運動」という隠れ蓑を着たソ連の活動団体だったのだ。(p478)
 中韓の教科書は近隣諸国に配慮するどころか,全編,反日思想に凝り固まったもので,歴史的事実を無視した記述が多く,歴史というよりもフィクションに近いものである。(p482)
 バブル崩壊で失われた日本の資産は,土地・株だけで約一千四百兆円といわれている。(p489)
 二十世紀で最も人を殺したのは,戦争ではなく共産主義国家による人民粛清だった。(p491)

2020.06.29 櫻井秀勲 『昭和から平成,そして令和へ 皇后三代 その努力と献身の軌跡』

書名 昭和から平成,そして令和へ 皇后三代 その努力と献身の軌跡
著者 櫻井秀勲
発行所 きずな出版
発行年月日 2019.10.01
価格(税別) 1,600円

● 皇位は皇統に属する男系の男子がつないでいく。のだが,ぼくら庶民も同じだけれど,その家の文化は母から子につながれる。
 それも含めて,皇后とは絶大な苦労の別名かというのが読後感。男子を生まなければというプレッシャーだけでも尋常じゃない。

● 天皇は国政に関する権能を有しない。だったら,政府がしっかりしてれば,天皇なんて誰でもいいか。
 そんなわけがない。誰でもそう思うだろうが,そうである所以を平明に説いている。

● 著者も雅子妃に否定的で,雅子妃をたしなめることのできない皇太子(現天皇)にも苦言を呈していたと記憶する。そのあたりを踏まえてくれるともっと深味がでるんじゃないかと思いながら読んでいったのだが,最後にそのあたりのことがサラッと書かれている。
 現時点ではサラッとしか書けないし,サラッと書けば充分ということなのだろう。雅子妃に対する著者の見方が変わったということもある。雅子妃御自身も皇后になって変わられたということもあるのかもしれない。


● 以下に転載。
 皇太子のお妃になられる女性は皇后学を学ぶことになります。私は正田美智子さまが皇后学を学ぶために宮内庁分室に通い始めた頃から,ずっと「皇后学」の様子を見つづけていましたが,この勉強が相当きついものであったことを知っています。(p19)
 美智子さまが初の男子となる浩宮さま(現・天皇陛下)を抱いて,宮内庁病院から東宮仮御所にお帰りになるとき,車の窓を下ろして,記者団に写真を撮りやすくしたことがあります。これが後に,学習院派と呼ばれる常磐会の人たちからいじめを受ける原因になったのです。彼らは「天皇陛下にお世継ぎの皇太子のお顔を見せる前に,庶民に見せるとは何事か!」と,問題視したのです。(p20)
 日本の歴代の皇后には「男子を出産する」という任務がありました。(中略)これは皇后になる女性にとって,非常にきびしいもので,出産だけは,本人の自由にならないことでもあるからです。(p25)
 天皇家といえども,現在の一二六代までに来るには,さまざまな事件や戦いがあったからです。いい換えれば「男子」を得るための女御合戦,という側面もあったのです。これは戦国時代の大名たちも同じでした。織田家も豊臣家も徳川家も,優秀な世継ぎを得ることに力を注ぎました。それに勝ったのが徳川家であり,だからこそ,約三〇〇年もの長い幕府時代が続いたのです。どの家系も,正夫人だけでは家系がなかなかつづきませんでした。それは天皇家といえども同様です。(p27)
 昭和二〇年までの日本は,神国日本であり,天皇は現人神と呼ばれていました。(中略)なぜそうなったかについては,むずかしい議論もありますが,米英と戦うとき,一神教であるキリスト教徒と戦うには,こちらも一神教にしないと,戦争に対する概念が,バラバラになりかねなかったからです。(p45)
 (昭和)天皇の心の中には「全責任は自分」という覚悟があったので「自分の家族を幸せにする」ことは考えていなかった,といえば嘘になるでしょうが,全国民の幸せを優先していることは,誰が観ても明らかでした。(p51)
 常磐会とは学習院女子中・高等科卒業生の同窓会です。戦後新設された学習院女子短大(現・学習院女子大)や学習院大学だけの卒業生の入会は認められていません。(p57)
 恐らく近代の皇后の中で,香淳皇后ほど歴代皇后の事跡を学んだ方はいらっしゃらないのではないか,と思うのです。その辺の家のおばさんとは,天と地ほど隔絶した天皇家であり,皇后なのです。香淳皇后が「あの人嫌い!」というわけがありません。千数百年にわたって,連綿と継承されてきた皇后というものの地位を,自分が穢してはいけない。この一心だったのではないでしょうか?(p62)
 華族であれば,血筋はすぐ判明します。ところが庶民になると,まったくわかりません。実際,東宮御教育常時参与として皇太子明仁親王の教育責任者だった小泉信三博士(元・慶應義塾大学塾長)は,それこそ正田家の家系を三〇〇年,さかのぼって調査したといっています。それが天皇家というものの存在価値なのかもしれません。(p63)
 皇后は(昭和)天皇を「お上」と呼び,天皇は「良宮」と呼んでいたと言われます。これで見ると,ご夫妻でありながら,常に公的なものが感じられます。これは一般市民に似たものがあり,男たちは家に帰ってきても,仕事を忘れない一面があるものです。(p70)
 昭和天皇は社会の変化に先行して,知人や考え方を切り換えていったのですが,皇后は長年,つき合っている友人や仲間を,変えられるわけではありません。いや,宮中に新しい女性の友人など,入れるわけがありませんでした。ここに天皇と皇后の,皇居内でのルールがあります。(p71)
 これは私のまったくの推測ですが,昭和天皇は神から人間に戻らえたことにより,皇室のあり方を新しく開かれたものにしたい,とお考えになっていたように思います。(中略)しかし,それは自分の代にはできません。そこで皇太子に任せようとしたのではないでしょうか?(p72)
 皇室が明るくなれば,日本の社会全体も明るくなります。それに,美智子さまのすばらしい点は,単に一人の女性のロマンスだけで終わらせなかったところです。(中略)その後,ファッションでもミッチーブームを起こしましたし,「ナルちゃん憲法」によって育児の分野でもブームを起こしています。(p74)
 諸外国の王室を見回してみても,美智子皇后に匹敵するような国王のお妃はいないでしょう。私たちはもっと,美智子皇后の事跡を高く評価していいのではないでしょうか。(p76)
 彼のいうところを要約すると,ハワイの日本人はまだ一世が残っており,彼らはもともと皇室への尊崇の念が強く,そこに美智子妃ブームが日本と同じように起こっているというのです。(中略)それまで毎週毎週,皇太子ご一家の動静を報じるのに,やや,じくじたるものがあったのですが,この夜で私の考えは大きく変わったのです。(p82)
 このとき,美智子さまを強烈に排除しようとした,松平信子という華族で,学習院常磐会々長の女性が,礼儀作法を教えています。松平はのちに,「だから一般の方では困るのよ。宮中の礼儀をお知りにならないのだから」と,いかにも一般人は困ったものだ,というふうに,大勢のマスコミの前で語ったことがありましたが,ともかく学習院出身でないことが,とことん許せなかったのでしょう。(p85)
 私はたった一回だけ,美智子妃殿下時代に,妃殿下の母上の正田富美子さんと会っています。(中略)また私にはなぜ富美子さんが「会いたい」といってきたか,ほぼわかっていました。それというのも,一年ほど前から,美智子妃がノイローゼ状態になっていたからでした。(中略)話の内容は私の考え通り,流産とその以後のいじめについてでしたが,ここでは書けないほど生々しいもので,まさに元皇族,華族夫人たちの総攻撃という有りさまでした。(p88)
 皇后時代の美智子さまは,本当に苦労された,といえるでしょう。古い魔物は自分から滅んでいかないかぎり,退治することは不可能でした。なぜならこちらは美智子さまお一人に対し,常磐会のメンバーだけでも,約八〇〇人いたのです。(中略)とはいえ,古い世代は時間と共に,少なくなっていきます。世の中というのは,時間と共に新しくなっていくものです。そしてここが大事ですが,皇后が活躍するためには,天皇が聡明でなければなりません。日本国にとって幸いだったのは,平成,令和時代を治める二人の天皇が,非常に聡明であり,その上に進取,革新的な性格をもっていることです。(p92)
 菊栄親睦会とは,元皇族たちの団体です。(中略)親睦会の会員は旧皇室への憧れが強く,全員が旧宮家のメンバーだったのです。そのため,庶民階級から皇室に入った美智子妃へのいやがらせは,ピークに達していました。庶民に皇室の伝統を汚されていはいけないと,浩宮がまだ美智子さまのお腹にいた頃,廊下に油をまいて滑りやすくした事件もあったと聞いています。私はこの話を常磐会の幹部から聞いているので,そちらでも驚いたということでしょう。(p98)
 皇室には二〇〇〇年に及ぶ歴史があります。大企業が「わが社の伝統」といっても,たかだか何百年というと,つい最近の話になってしまいます。(中略)「伝統なんて古いことをいうな!」という人もいるかもしれません。だた,これだけ長くつづくと,それを断ち切ることがいかに難しいか,わかるでしょう。その長い伝統の中でも不要なものを見つけつつ,新しい皇室に脱皮させた美智子皇后は,やはり尋常な女性ではないのです。(p100)
 どんな問題でも攻める側と守る側に分かれるのは当たり前で,守旧派は意地悪く見えるものです。その理由はどんな問題のときもそうですが,守る側は「経験と立場,地位」を大事にします。美智子さまにはその三つともありません。(p102)
 私はたまたま加賀百万石の大々名の一族,前田利家の直径の子孫,前田利為侯爵の長女の酒井美意子さんと懇意になりました。彼女は先祖が何万石か何十万石か,あるいは百万石なのかで,身分も日常生活も大きく変わると話していました。一般市民である私たちが実感する機械はなかなかないのですが,つい先頃まで,この身分制度は私たちの周りに残っていたのです。(p105)
 昭和三四年四月の正田美智子さんと皇太子のご成婚は,当時の日本社会を大きく転換させました。どういうことかというと,世の多くの女性たちが,四年制大学に注目しはじめたのです。(中略)当時,女子が四年制大学に進学する率は二パーセント台でした。(p116)
 日本人はこれまで,天皇家の「結婚と出産」を目標にしてきた,という話があります。「何歳で結婚されたか,子どもの人数は何人か」を真似るというのです。(p122)
 日本の皇室や世界の王室で,もっとも大事な点は,国民から愛され,慕われる,という点でしょう。明治,大正,昭和とつづいた皇室は,天皇の魅力によって形づくられてきました。この三代の皇后はどちらかといえば,表には出ず,陰にあって天皇を助ける立場であることが多いものでした。ところが平成,令和の時代は,世界も日本も,比較的平和ということもあって,皇后の魅力が重要になってきました。(p134)
 古今東西,嫁と姑の考えが一致するなど,ありえません。姑はすでに古い考えになってしまっているのです。(p144)
 美智子さまのときは,常磐会の女性たちから追い詰められたのですが,雅子さまは宮内庁長官から追い詰められたのです。(中略)精神的な衰弱が激しいと発表しておきながら,宮内庁長官は,それをさらに強めるような発言をしたのです。つまり「もう,あなたには男子出産は期待していません。秋篠宮さまにお願いしますよ」という通告をしたも同然だったのです。(p144)
 いつの間にか日本は,多民族国家になりつつあります。(中略)そこで大切なことは,どんな民族,どんな言語を扱う人々にとっても,理解できる存在でなければなりません。(中略)つまり非言語コミュニケーションのマスターでなければならないのです。(中略)雅子皇后を見ていると,若い頃から諸外国に住んでいたためか,微笑,手の動作,身体の位置など,言葉以外での意思の伝え方が非常にお上手です。(p150)
 どの家庭でもそうですが,長男の嫁と次男以下の嫁のあり方は違います。長男の嫁にはきびしく,またそのお嫁さんが生んだ子には,一家揃って育てようとするものです。(p160)
 雅子さまは特に外務省のキャリアだっただけに,通訳を通さず,ほとんどの外国要人と話が通じます。(中略)これは余人をもって,代えがたいものがあります。首相夫人でも,各国の王族とフランクにしゃべるわけにはいかないからです。(p177)
 皇太子は次の天皇の位に就く立場にあるため,むしろ周囲に遠慮がちになります。そしてそれが国民の好感を呼んだのです。ところが秋篠宮さまは,ご自分のお子たちの教育を,宮内庁や周囲の人々に相談し,その意見を聴いたとは思えません。(p188)

2020年6月27日土曜日

2020.06.27 岸見一郎・古賀史健 『幸せになる勇気』

書名 幸せになる勇気
著者 岸見一郎
   古賀史健
発行所 ダイヤモンド社
発行年月日 2016.02.25
価格(税別) 1,500円

● 自立とは自己中心性からの脱却であり,自己中心性とは子供時代の生存戦略である“いかにすれば愛されるか”をベースにしたライフスタイルのこと。その自己中心性から脱却できるのは,愛する誰かができたとき。まず自分から愛せるようになること。
 そのあたりが本書の結論かと。一読すべし。

● 以下に多すぎる転載。
 親が子どもを尊敬し,上司が部下を尊敬する。役割として「教える側」に立っている人間が,「教えられる側」に立つ人間のことを敬う。尊敬なきところに良好な対人関係は生まれず,良好な関係なくして言葉を届けることはできません。(中略)なにかの条件を付けるのではなく,「ありのままのその人」を認める。これに勝る尊敬はありません。そしてもし,誰かから「ありのままの自分」を認められたなら,その人は大きな勇気を得るでしょう。尊敬とは,いわば「勇気づけ」の原点でもあるのです。(p41)
 その具体的な第一歩がどこにあるか,おわかりになりますか?(中略)じれはきわめて論理的な帰結です。「他者の関心事」に関心を寄せるのです。(中略)あなたの目から見て,どんなに低俗な遊びであろうと,まずはそれがどんなものなのか理解しようとする。(p51)
 まったく勉強しようとしない生徒がいる。ここで「なぜ勉強しないんだ」と問いただすのは,いっさいの尊敬を欠いた態度です。そうではなく,まずは「もしも自分が彼と同じ心を持ち,同じ人生を持っていたら」と考える。(中略)これこそが「共感」なのです。(p54)
 距離をおいて眺めているだけではいけない、自分が飛び込まなければならない。飛び込むことをしないあなたは,高いところに立って「それは無理だ」「これだけの壁がある」と批評しているだけです。そこに尊敬はなく,共感もありえません。(p55)
 「いまの自分」を積極的に肯定しようとするとき,その人の過去はどのようなトーンで彩られると思いますか?(中略)答えはひとつ。すなわち,自分の過去について「いろいろあったけど,これでよかったのだ」と総括するようになる。(p63)
 理想には程遠い「いまの自分」を正当化するために,自身の過去を灰色に塗りつぶしておられる。(中略)そして「もしも理想的な学校で,理想的な教師に出会っていたら,自分だってこんなふうじゃなかったのに」と,可能性のなかに生きようとしている。(p64)
 過去とは,取り戻すことのできないものではなく,純粋に「存在していない」のです。そこまで踏み込まない限り,目的論の本質には迫れません。(p65)
 歴史とは,時代の権力者によって改竄され続ける,巨大な物語です。(中略)個人も同じです。人間は誰もが「わたし」という物語の編纂者であり,その過去は「いまのわたし」の正統性を証明すべく,自由自在に書き換えられていくのです。(中略)過去が「いま」を決めるのではありません。あなたの「いま」が,過去を決めているのです。(p66)
 これは過去に縛られているのではありません。その不幸に彩られた過去を,自らが必要としているのです。あえて厳しい言い方をするなら,悲劇という安酒に酔い,不遇なる「いま」のつらさを忘れようとしているのです。(p69)
 カウンセリングにやってくる方々は,ほどんどがこのいずれかの話に終始します。自身に降りかかった不幸を涙ながらに訴える。あるいは,自分を責める他者,また自分を取り巻く社会への憎悪を語る。(中略)でも,われわれが語り合うべきことは,ここにはないのです。(中略)われわれが語り合うべきは,まさにこの一点,「これからどうするか」なのです。(p71)
 彼個人が心に肺炎を患っているのではあく,すでに学級全体が重篤な肺炎を患っていた。その一症状として,彼の問題行動が表れた。それがアドラー心理学の発想です。(p140)
 誰とも競争することなく,勝ちも負けも存在しない。他者とのあいだに知識や経験,また能力の違いがあってもかまわない。学業の成績,仕事の成果に関係なく,すべての人は対等であり,他者と協力することにこそ共同体をつくる意味がある。(p141)
 協力したかったのではありません。もっと切実に,単独では生きていけないほど弱かったのです。人間は,その「弱さ」ゆえに集団を形成し,社会を構築した。(p147)
 「わたし」の価値を,他者に決めてもらうこと。それは依存です。一方,「わたし」の価値を,自らが決定すること。これを「自立」と呼びます。(p152)
 「人と違うこと」に価値を置くのではなく,「わたしであること」に価値を置くのです。(中略)あなたの個性とは,相対的なものではなく,絶対的なものなのですから。(p153)
 他者を救うことによって,自らが救われようとする。みずからの一種の救世主に仕立てることによって,自らの価値を実感しようとする。これは劣等感を払拭できない人が,しばしばおちいる優越コンプレックスの一形態であり,一般に「メサイヤ・コンプレックス」と呼ばれています。(p162)
 すべての悩みが対人関係であるのなら,その他者との関係を断ち切ってしまえばいいのか? 他者を遠ざけ,自室に引きこもっていればいいのか? それは違います。まったく違います。なぜなら,人間の喜びもまた,対人関係から生まれるのです。「宇宙にひとり」で生きる人は,悩みがない代わりに喜びもない,扁平な一生を送ることになるでしょう。(p177)
 分業とは,人類がその身体的劣等性を克服するために獲得した,類い稀なる生存戦略なのだ。・・・・・・アドラーの最終的な結論です。(中略)むしろ,分業するために社会を形成したと言ってもかまわない。(p186)
 人間はひとりでは生きていけないのです。孤独に耐えられないとか,話し相手がほしいとかいう以前に,生存のレベルで生きていけない。そして他者と「分業する」ためには,その人のことを信じなければならない。疑っている相手とは,協力することができない。(p188)
 ここで大切なのは「誰ひとりとして自分を犠牲にしていない」ということです。つまり,純粋な利己心の組み合わせが,分業を成立させている。(中略)分業社会においては,「利己」を極めると,結果としての「利他」につながっていく。(p191)
 分業という観点に立って考えるなら,職業に貴賤はないのです。(中略)すべての仕事は「共同体の誰かがやらねばならないこと」であり,われわれはそれを分担しているだけなのです。(中略)人間の価値は,「どんな仕事に従事するか」によって決まるのではない。その仕事に「どのような態度で取り組むか」によって決まる(p192)
 分業をはじめてからの人物評価,また関係のあり方については,能力だけで判断されるものではない。むしろ「この人と一緒に働きたいか?」が大切になってくる。(p193)
 われわれの共同体は,「ありとあらゆる仕事」がそこに揃い,それぞれの仕事に従事する人がいることが大切なのです。その多様性こそが,豊かさなのです。(p193)
 なにより危険なのは,なにかが善で,なにかが悪であると,中途半端な「正義」を掲げることです。正義に酔いしれた人は,自分以外の価値観を認めることができず,果てには「正義の介入」へと踏み出します。そうした介入の先に待っているのは,自由の奪われた,画一的な社会でしょう。(p194)
 わたしは,「わたし」を信じてほしいと思っている。(中略)ゆえにわたしは,先にあなたのことを信じるのです。たとえあなたが信じようとしなくても。(中略)われわれは「自分のことを信じてくれる人」の言葉しか信じようとしません。「意見の正しさ」で相手を判断するのではないのです。(p206)
 (ルカによる福音書では)ただ隣人を愛するだけではなく,自分自身を愛するのと同じように愛せよ,と言っているのです。自分を愛することができなければ,他者を愛することもできない。自分を信じることができなければ,他者を信じることもできない。そこまで含んだ言葉だと考えてください。(p209)
 仕事によって認められるのは,あなたの「機能」であって,「あなた」ではない。より優れた「機能」の持ち主が現れれば,周囲はそちらになびいていきます。(中略)他者に「信頼」を寄せて,交友の関係に踏み出すこと。それしかありません。われわれは仕事に身を捧げるだけでは幸福を得られないのです。(中略)「わかりえぬ存在」としての他者を信じること。それが信頼です。(p210)
 変わるかもしれないし,変わらないかもしれない。でも,結果がどうなるかなど,いま考えることではない。あなたにできることは,いちばん身近な人々に信頼を寄せること,それだけです。(p216)
 他者に無条件の信頼を寄せること。尊敬を寄せていくこと。これは「与える」行為です。(中略)そしていま,あなたはなにも与えようとせず,「与えてもらうこと」ばかりを求めている。さながら物乞いのように。金銭的に困窮しているのではなく,心が困窮しているのです。(中略)与えるからこそ,与えられる。「与えてもらうこと」を待っていてはならない。心の物乞いになってはならない。(p218)
 われわれはみな,「わたしは誰かの役に立っている」と思えたときにだけ,みずからの価値を実感することができる(中略)。しかし一方,われわれは自分のおこないがほんとうに役立っているのかについて,知る術を持ってません。(中略)そこで浮かび上がるのが,貢献感という言葉です。「わたしは誰かの役に立っている」という主観的な感覚があれば,それでいい。それ以上の根拠を求める必要はない。貢献感の中に,幸せを見出そう。(p237)
 この世に生を享けた当初,われわれは「世界の中心」に君臨しています。周囲の誰もが「わたし」を気にかけ,昼夜を問わずあやし,食事を与え,排泄の世話さえしてくれます。(中略)この独裁者にも似た圧倒的な力。その力の源泉はどこにあるのか? アドラーはそれを「弱さ」だと断言します。(中略)「弱さ」とは,対人関係において恐ろしく強力な武器になる。(p241)
 彼ら(新生児)は甘えやわがままで泣いているのではない。生きるためには,「世界の中心」に君臨せざるをえないのです。(p243)
 自立とは,「自己中心性」からの脱却なのです。(中略)「世界の中心」であることをやめなければならない。甘やかされた子ども時代のライフスタイルから,脱却しなければならないのです。(中略)そして愛は,「わたし」だった人生の主語を,「わたしたち」に変えます。われわれは愛によって「わたし」から解放され,自立を果たし,ほんとうの意味で世界を受け入れるのです。(p244)
 われわれが自らのライフスタイルを選択するとき,その目標は「いかにすれば愛されるか」にならざるをえないのです。われわれはみな,命に直結した生存戦略として「愛されるためのライフスタイル」を選択するのです。(p248)
 与えられる愛の支配から抜け出すには,自らの愛を持つ以外にありません。愛すること。愛されるのを待つのではなく,運命を待つのでもなく,自らの意思で誰かを愛すること。それしかないのです。(p256)
 あなたはまだ,自分のことを愛せていない。自分のことが尊敬できていないし,信頼できていない。だから愛の関係においても「傷つくに違いない」「みじめな思いをするに違いない」と決めつけてしまう。(中略)だから誰とも愛の関係をきずくことができない。担保のない愛には踏み出せない。・・・・・・これは典型的な劣等コンプレックスの発想です。自らの劣等感を,課題を解決しない言い訳に使っているのですから。(p259)
 あなたのように「出会いがない」と嘆く人も,じつは毎日のように誰かと出会っているのです。(中略)しかし,そのささやかな「出会い」を,なにかしらの関係に発展させるには,一定の勇気が必要です。(中略)そこで「関係」に踏み出す勇気をくじかれた人は,どうするか? 「運命の人」という幻想にすがりつくのです。(中略)過大な,ありもしない理想を持ち出すことによって,生きた人間と関わり合いになることを回避する。それが「出会いがない」と嘆く人の正体だと考えてください。(p263)
 結婚とは,「対象」を選ぶことではありません。自らの生き方を選ぶことです。(中略)もちろん,誰かとの出会いに「運命」を感じ,その直感に従って結婚を決意した,という人は多いでしょう。しかしそれは,あらかじめ定められた運命だったのではなく,「運命だと信じること」を決意しただけなのです。(p265)
 パートナーと一緒に歩んできた長い年月を振り返ったとき,そこに「運命的ななにか」を感じることはあるでしょう。その場合の運命とは,あらかじめ定められていたものではない。偶然に降ってきたものでもない。ふたりの努力で築き上げてきたものであるはずです。(p266)
 あなたの願いは「幸せになりたい」ではなく,もっと安直な「楽になりたい」だったのではありませんか? (中略)あなたは,愛する者が背負うべき責任を回避していた。恋愛の果実だけをむさぼり,花に水をやることも,種を植えることもしなかった。(中略)あなたはわずかな勇気しか持っていなかった。だから,わずかに愛することしかできなかった。(p270)
 しばしば人は,「最初の一歩」が大切だと言います。そこさえ乗り越えれば大丈夫だと。もちろん最大のターニングポイントは,「最初の一歩」でしょう。しかし,実際の人生は,なんでもない日々という試練は,「最初の一歩」を踏み出したあとからはじまります。ほんとうに試されるのは,歩み続けることの勇気なのです。(p275)
 われわれに与えられた時間は有限なものです。そして時間が有限である以上,すべての対人関係は「別れ」を前提に成り立っています。(中略)現実としてわれわれは,別れるために出会うのです。(p277)
 ある人から「人間が変わるのに,タイムリミットはあるか?」と質問を受けたアドラーは,「たしかにタイムリミットはある」と答えました。そしていたずらっぽく微笑んで,こう付け加えたのです。「寿命を迎える,その前日までだ」。(p278)

2020年6月26日金曜日

2020.06.26 和田秀樹 『自分が高齢になるということ』

書名 自分が高齢になるということ
著者 和田秀樹
発行所 新講社
発行年月日 2018.06.27
価格(税別) 900円

● 認知症は癌と同じ。長生きすれば罹患するものと考えておかなければならない。親がボケたらどう接すればいいかという問題もある。本書はそれに答えるもの。
 それ以前に,認知症なるものを正しく認識するために,読んでおくとお得な本。

● 老いたら,ノルマや義務からは解放されるのだから,子どもに帰ったつもりになって楽しいことを追いかけろ,という。
 なるほどと思うわけだ。では,その楽しいことを抱えている老人はさて,どのくらいいるだろうか。本書の論調は,老人になってからでもそれは見つかるということなのだけども,そう上手くいくかどうか。
 可能であれば,老人になる前に見つけておけるといい。何でもいいと思うのだが,それを見つけておければ,退職金が1,000万円増えることよりも価値があるだろう。

● 以下に転載。
 高齢者は,正常値にこだわりすぎて血圧や血糖値を下げますが,下げすぎないほうが調子がいい(p5)
 認知症になったりした場合,頭や体を趣味や生きがいなどに積極的につかていると衰えが遅くなる(p5)
 ボケないにこしたことはありませんが,確率が2分の1ならそうなる前提で生きるしかありません。(p29)
 わたしは晩年が幸せならその人は幸せな人生だったと考えています。(中略)若いときにどんなに成功しても,あるいは大勢の人に取り囲まれ持ち上げられていても,老いて誰も寄りつかず,家族からも避けられて孤独になってしまう老人の人生を幸せとは思えません。(p29)
 いくら頭がしっかりしていても,何の刺激も楽しみもない日々を過ごすくらいなら,ボケてもいいから屈託のない笑い声を上げる生活のほうがはるかに幸せな日々だと思います。(p39)
 過去の嫌な思い出,毎日の決まりきった約束事,そういうものからすべて解き放たれて,楽しい思い出に浸ってのんびりと過ごすことができるのなら,それは幸せな時間ということもできます。ボケることでそういう時間を取り戻せるとしたら,認知症はわたしたちの人生の最後に用意されているプレゼントと受け止めることだってできます。(P44)
 認知症は,つらい記憶でも自分の都合のいいように書き換えてしまう力があるからです。(中略)もし,自分の親が認知症になったとしても,本人の記憶を「それは違うよ」とか,「あのときはこうだった」と打ち消すのは意味がないと言うべきでしょう。その人の中に生きている物語をそのまま受け入れたほうが,本人はもちろん,見守る家族も楽になるからです。(p46)
 よく問題にされてしまう「徘徊」にしても,実際にはぼく一部の人の症状にすぎず,大部分の人は地域や家族に見守られながら穏やかに暮らしているという現実こそ,もっと注目されてもいいはずです。(p49)
 ボケを蔑視したり,無用な恐れを持ってしまうと,自分が認知症とわかったときに「できなくなること」だけを思い浮かべてしまいます。(中略)すると,できることがあるのにそれもやらないで,閉じこもってしまうようになりかねません。これではせっかく残っている能力(残存能力)も活用されなくなりますから,脳の老化がさらに進んでしまいます。(p62)
 この「周りに迷惑をかける」という気持ちが,認知症への拒否反応をどうしても引き起こしてしまいます。(中略)極端な言い方をすれば,高齢になっても人生を楽しもうとする限り,周りに迷惑をかけることは避けられないのです。(p65)
 認知症の進行を早める生活スタイルの一つとして,「人と会わない」「出かけない」というパターンが有るということです。出かければ迷惑をかけるという考え方のほうが,どんどん認知症を進めてしまい,結局は迷惑をかけることになってしまうのです。(p70)
 認知症を進めてしまう生活スタイルがもう一つあります。「あきらめ」です。(中略)いまできることまであきらめてしまうようになると,認知症はその進み方も早くなってしまいます。(p71)
 認知症患者と接してきて感じるのは,あまりプライドが高いといいボケ方をしないなということです。(中略)いいボケ方をする老人は,その点で屈託がないというか,洒脱なところがあります。(p75)
 少しぐらい不自由を感じても,まだまだ人生を楽しむことはできます。むしろいちばんみっともないのは,つまらなそうに生きている高齢者です。何の楽しみもなく,ただしょぼくれている高齢者です。(中略)いくつになっても溌剌さを失わず,楽しそうに生きている高齢者を目指すべきです。(p80)
 うつ病は改善するけれど認知症は治らない・・・・・・。そのことだけを聞けば,「やっぱり認知症にはなりたくないな」と思うかもしれませんが,わたしに言わせれば逆です。(p86)
 そもそも高齢になるということは,いろいろなノルマや責任から解放されてくるということですから,わざわざ窮屈なルールで自分を縛る必要はないはずです。そのかわり,やりたいこと,好きなことはボケても遠慮なく愉しめばいいのです。(p96)
 出かけるのは嫌いで本を読むのが好き,映画を観ているときがいちばん楽しいというのでしたら,それでちっとも構いません。「閉じこもってばかりいると早くボケる」という人もいますが,要はその人にとって楽しいこと,幸せな時間を大切にすればいいのです。もちろん人と会って話すことは脳にも刺激を与えます。でもそれは,本人が会話を楽しんでいるときです。(p98)
 うつにならないためには,この楽な気持ちで生きるというのが大切な習慣になってきます。同時に機嫌のいいボケになることができます。妄想や徘徊はほとんどの場合,不満や怒りといった悪感情がきっかけとなって起こりますから,感情が安定すれば収まります。すると周囲の人たちとも笑顔でつき合うことができます。(p100)
 もしあなたの家族のだれかがボケたとしても,その人にはあなたと同じ感情があり,あなたと同じように楽しく暮らしたという気持ちがあります。不機嫌に暮らしたいと望む人なんかいないのです。(p107)
 「おばあちゃん,今日は何日だっけ?」とか「何曜日高わかる?」といった質問調の問いかけはやめましょう。(中略)記憶力のトレーニングとか,思い出すトレーニングのつもりだとしても,認知症の高齢者にとっては無用なストレスを与えることになりかねないからです。(p112)
 ところが気がついてみると,取引先の担当者も同業者も,みんな自分より年下になっています。「そうなるとちょっと,居心地悪いね。自分より若い人がすごく熱心で意欲的だし,頼もしくさえ見えるのに,わたしはこの30年,何をやってきたんだろうと考えてしまう」この感覚に納得する人は多いと思います。(p129)
 ボケてもいないのにプライドにこだわって他人に教えてもらうのを嫌がる人なんか,「小さい,小さい」ですね。本人は誇り高い人間のつもりかもしれませんが,たぶん,元気なボケ老人から笑われてしまうでしょう。(p135)
 もしかするとあなたの中にはまだ,役に立つこと,ためになることを優先させなくちゃという気持ちが残っているかもしれません。それもかなり強くです。(中略)でも,楽しいことを優先させ,それで機嫌よく暮らすことができれば,周りの人にとっても好人物です。いつ会っても楽しそうにしている人を見ると,こちらまで楽しい気持ちになってきます。(中略)だれかの役に立ちたいという気持ちはもちろん大切ですが,自分が楽しくなければだんだん意欲も薄れます。(p162)
 60代になって突然に夢中になれる世界に出合えば,「ああ,若いときから始めていればなあ」と時間を巻き戻したい気持ちになるでしょう。でも,30年前に出合ったとしても何の興味も持たなかったかもしれないのです。(p168)
 分別とか威厳とか,そういうしかめっ面も捨てましょう。簡単にいえば,自分の子ども時代に返る気持ちになってみましょう。ボケればどうせ,子どもに返ります。すぐ忘れる,すぐ頼る,嫌なことがあってもケロッとしている,楽しいことだけ追いかける,そういったことは全部,子どもだから許されることですが,老いの特権でもあるのです。(p171)
 ボケればどうせ,自分の歳なんかわからなくなります。というより,どうでもよくなります。好きなことに熱中して暮らしても同じです。いま何歳なのかも忘れてしまいます。(p173)
 愛されるボケには,周りの人を幸せにする力があります。つまりどんなにボケても,できることがあるのです。そのことにぜひ,気がついてください。(p183)

2020.06.26 堀江貴文 『考えたら負け』

書名 考えたら負け
著者 堀江貴文
発行所 宝島社新書
発行年月日 2018.12.14
価格(税別) 833円

● 堀江さんの箴言集。ひとつ紹介すると,「斜に構えた段階で,その人はもう『負け』」(p269)。
 斜に構えるというのは,事態から一歩退いて,当事者であることをやめるってことだもんね。ぼくは斜に構えがちなタイプなので,したがって「負け」を重ねてきた。

● 箴言集から抜書きするってのもナンなんだけど,いくつか転載。
 AIや広義のロボットが既存労働を肩代わりし,生活に必要な富を生み出すようになると,人々は時間を持て余すので,他のことに目を向ける。そこに新しい産業が誕生する。(p3)
 折れないで,前へ行く。誰の批判にも振り回されず,好きなことだけを続ける。結果的に,そうしていた方がうまくいった。(p13)
 人間は自分で思う以上に合理的な鼓動を取る生き物だと思っている。つまり,「変えたいけどできない」というのは,本当は「変えたくない」のだ。(p15)
 考えるべきは今日という日のことだけ。明日のことや遠い未来のことなんて考えない。今日という日に絶対達成すると自分で決めたことを,着実に実行していくのだ。(p23)
 突き抜けられる人と,そうでない人の違いは,次の一点に尽きる。物事を“できない理由”から考えるのか,それとも“できる理由”から考えるのか。それだけだ。突き抜けられるかどうかは能力の差ではなく,意識の差なのである。(p41)
 失敗を減らすために事前に情報収集したいという気持ちはわからなくもないが「100%失敗しない方法」なんて,ない。むしろ,そうやって迷うことで,時間を無駄にしてしまっているケースが多い。(p45)
 世の中にはおもしろいことがあふれている。「嫌なら辞める」ができるようになるだけで人生は一気に動き出す。(p47)
 人の数倍の努力を積み重ねて大きく成長した人物は世の中に山ほどいる。しかし,彼らを目にしたとき,多くの人は「あの人には才能がある」と言ってしまうのである。(p53)
 変化というものは突然ではなく,徐々に起きるものです。そして一瞬では終わりません。そこで「生き残れる人」がいるとすれば,それは状況に合わせて判断や行動ができる人です。(p81)
 常に時価を見ること。時価の高いところに,投資をかける。たったそれだけのことだ。(p93)
 インターネットが社会を刷新し,誰もがスマートフォンを持つ時代は,何を意味しているのだろうか? 世界が急速に小さくなり,これからは“日本のあなた”ではなく,“世界のあなた”として生きていかなければならないのである。周りの顔色を見て自分を演じているようでは,当然「価値のない人間」になってしまう。(p95)
 質問すればするほど,頭の中がアップデートされていくはずだ。質問しなくなったとき,あなたの成長は止まる。(p105)
 限られた時間しかない人生。いつも多動でいるために一番大事なこと。それは1日24時間の中から「ワクワクしない時間」を減らしていくことだ。(p115)
 多くの人は,自分の枠を勝手に決めてしまっているのだ。会食は1日1組,ライブは1日1回,デートは1日1人・・・・・・などなど。そんな常識は誰かが勝手に決めただけで,何の根拠もない。猛烈に何かを極めたければそんなストッパーなんか外して,極端なまでに詰めこまないといけない。(p125)
 同じ時間だけ稼働しているのに,「忙しくて大変」と感じる人と「そこまで忙しくない」と感じてしまう人。その差はどこにあるのだろうか? 答えは簡単。前者は「他人の時間」を生きる苦しい忙しさで,後者は「自分の時間」を生きる楽しい忙しささからだ。(p129)
 僕が尊敬している人たちはみな惜しみなく与える人ばかりで,そういう人たちのもとには人がどんどん集まっていく。人を惹きつける力がものすごく強いから,新しいアイデアも集まってくるわけだ。(p131)
 僕は「社会にとって役に立たないこと」を,どんどんやった方がいいと思う。社会にとって役立つことは,機械に置き換えられるからだ。(p139)
 発想力を鍛えて,自分の価値を上げていこうと思ったら,意図的に仕事を減らし,「オフ」を増やして遊んで暮らすべきなのだ。長い目で見ると,そのほうがペイすることが多い。(p151)
 日本はツイッターやブログの利用率が世界一高いというが,それは忖度カルチャーによる「言えないストレス」の反動なんじゃないかと僕は見ている。(p171)
 人よりも何杯も情報収集ができれば,必ず未来が見えてくる。未来が見えるようになれば必ず勝てる。情報は,ものすごく大事なのだ。(p181)
 会いたい欲をかきたてられるような優秀な人はたいてい,著書やらSNSなどで情報を発信している。彼らは伝え方がうまい。思考やビジネスメソッドを,シンプルにまとめて,誰でもよめるようにしてくれている。だから別に会いに行かなくても,それらを読めば事足りる。(p195)
 自分が絶対的な正義だという前提では議論は成立しない。(中略)話が噛み合わないと思ったら,スルーするしかないだろう。(p213)
 嫌われるよりも怖いことがある。それは,無視されることだ。(p245)
 今は,人と同じことをやっていたら損するだけだ。(p277)
 仕事は「作るもの」へと,主流が移りつつある。「引き受ける」仕事は,激減している。というより絶滅への道をたどっているのではないか。(p297)
 いろんなお笑い芸人さんを知っていますけど,大して面白くないじゃないですか。(中略)一般人とそんなに差がある訳でもない。要は,なんか1つでも面白いネタを思い付いてポンと伸びたら,一流になれる可能性は全然あると思うんです。(p303)

2020年6月25日木曜日

2020.06.25 櫻井秀勲 『女性が50代を後悔しない51のリスト』

書名 女性が50代を後悔しない51のリスト
著者 櫻井秀勲
発行所 PHP
発行年月日 2012.02.09
価格(税別) 1,300円

● 相方が50代だから読んでみたというわけではない。章立ては次のとおり。
 1 夢 好きなことをあきらめない
 2 仕事 自分の才能を開花させる
 3 人生 自分のために行きていくことを選ぶ
 4 結婚 続けること,やめることを見極める
 5 家族 絆と縁を大切にする
 6 恋愛 いつまでも,ときめいて生きる
 7 美と健康 すべての女性は美しくある権利がある

● ん?と思ったのが次の記述。
 「これからは,若い人たちも仕事にあぶれていく時代です。雇用者からすれば,働き手はいくらでもいるわけです」(p154)
 2012年の発行なのだが,少子化による構造的な労働力不足はすでに予想されていたのではなかったか。

● 以下に転載。
 確かに,いまさら人生は,そう大きくは変わらないかもしれません。でも,ずっとやりたいと思っていたことに「チャレンジできた自分」は残ります。チャレンジしたことで,また別の夢が生まれるかもしれません。夢というのは,そんな「引き寄せ力」をもっているものです。(p14)
 これらの雑誌を編集しているうちに,女性誌ならではのことを,一つ発見しました。それは読者のハガキの中に,19歳,29歳,39歳と,9の年齢の読者がいつも,とても多いことでした。これは男性誌には見られない現象です。(中略)(年齢の大台に乗るのがイヤなのは)けっして悪いことではありません。むしろ,女性の若々しさの原動力ともいえるもので,男たちはその気持がないので,老けるのが早い,とも考えられます。(p16)
 「自分の時間がもてない」というときに,一番のネックになるのが,じつは,実際に「時間がない」ということではなく,「自分のしたいことがない」ということです。(中略)それでは,これからの人生も,ただなんとなく通り過ぎてしまいます。(p26)
 私は,夢をかなえる人というのは,あきらめないこと,愚直なまでに,自分の夢に向かって歩み続ける人だと思っています。(p30)
 夢は,心に描いているだけではダメです。自分の夢が見つかったら,そのことを親しい人に,はっきり伝えましょう。それは約束であり,契約です。すると,どうしても実現しなければならなくなる。夢をかなえた人は,ほとんどが,このかたちで成功しています。(p32)
 就職だけは,個人の力量というより,その年の経済状況に負うところが大きいものです。それこそ短大を二年で卒えて,一流企業に入った人と,四年制の大学に進んだために,不況の年にぶつかってしまい,二流企業の派遣社員にしかなれない人もいるはずです。(p38)
 むやみに仕事を替えるのは考えものです。替える基本は「自分の能力を伸ばすチャンス」でなければなりません。けっして「収入が高くなるから」という理由で,転職しないことです。(p39)
 男と女の時代は,十年毎に入れ替わるという考え方があります。これは,自動車と女性ファッションの流行から割り出した研究ですが,西暦奇数十年代(中略)には女性らしさ,偶数十年代(中略)には男性らしさが流行する,と考えられています。(p62)
 まだまだ元気で,イキイキとした毎日を送る大切な習慣として,「いまの自分を幸せに思う」ことが必要になってきます。「忙しい」とか「疲れた」「バカバカしい」「面倒くさい」といった言葉は,マイナス言葉であって,まず自分のためにはなりません。「自分は不幸だ」といっているようなものです。(中略)自分で自分の人生を生きていく,と決心したからには,どんなに苦しくても,楽しそうにしていいましょう。それが実りの多い後半生につながるのですから。(p68)
 アメリカの男性から聞いた話ですが,「家が狭いと結婚したくなる」というのです。これはなかなか鋭い見方です。いつも同じ一部屋にいたら,することがないので,相手を求めるというのです。(中略)このことは,とても重要です。本当に必要でないのに,相手を求めてしまう危険性があるからです。(p86)
 人間は新しいスタート台に立つと,少なくとも数年間は,夢中でがんばるものです。私も昼夜なく働きましたが,このときは私は,がんばれば,いくらでもがんばれるものなのだ,とむしろ驚いたものです。(p90)
 人生は,私はふつうの道を歩くべきだと思います。「自分だけは違う」と,特別に考えないほうが,失敗は少ないものです。欲望も似ています。ある人がいっていましたが,「金欲はふつうの人並みが正しい」という言葉は,まさに金言だと思います。(p90)
 女性がなんでもしてくれる,と思うと,男はそれだけで,からだや頭を動かさなくなります。これが老いの決定的原因になるのです。(p111)
 友人にいわせると「選ぶ」ことは,若さを保つための最高の方法だといいます。そこでわざと,豪華なぜいたく雑貨やファッション雑誌を見るといいます。(p129)
 ときどき,人に助けてもらうことを,よしとしない人がいます。せっかく相手から手を差しのべられているのに,それを拒絶してしまうケースです。(中略)私は,それは「もったいない」と思います。助けられることは,恥ずかしいことではありません。ありがたいことです。そう思って,素直に受ける人が,じつは運命を切り開いていける人です。(p135)
 運は親から子に引き継がれると,私は思っています。「運が悪い」といっている親の子どもは,親の口ぐせの通りに,悪い運を引き継ぎます。何をしても,どこか遠慮がちで,前に出ていかれないのです。(p147)
 高校や大学時代の友だちはとても大切ですが,長い友情だけに頼っていると,早く老けるといわれます。(p157)
 新しい友だちのいない人は基本的に出不精で,自分の家や部屋から離れたがりません。(中略)はっきりいえば,このタイプの女性は60歳くらいになると,ひとりぼっちになる危険性があります。(p157)
 女性にはもともと「みんな」という意識があります。(中略)「自分だけでなく,クラスの全員がそうなのだ」という理屈で,母親を説得したはずです。これは女性の生来の性格で,一人でも自分より前を進んでいる同性がいれば,その人をモデルにして,自分もそうなれるのです。(p165)
 ほかの男性とつき合えない女性の多くは,「浮気はしてはいけないこと」という道徳観をもっているわけではなく,バレたら困ることになる,という生活問題に過ぎません。(p166)
 50代の恋愛は欲深です。もう二度とないかもしれないと思ったら誰でも貪欲になります。(p169)
 私が50代の女性から聞いた話では,お相手が70代の男性だったといいます。この弾性はもうセックスができないほどで,だから抱きしめてもらうだけでしたが,それだけでも,若いときの一〇倍の満足感だったというのです。それというのも,この妻にとって,夫はただ挿入するだけで,「抱きしめる」という行為をしてくれたことがなかったといいます。女性の気持ちをまったく理解しない男のようですが,恐らく世の男たちのほとんどは,このタイプではないでしょうか?(p169)
 なにかの本で読んだ言葉に「人間のからだで無用なものはなにひとつない。全部死ぬまで使うことだ」というのがありました。私はこの言葉にとても感動し,以後現在に至るまで,どの部位も使い続けています。(中略)セックスがなぜ必要かといえば,愛の歓びを得るというより,性器を衰えさせないためです。(p172)
 年下の彼にプレゼントをする,という行ないは,おばあちゃんの負け目からするものではありません。年下の彼がかわいいからするのです。ここがとても重要です。かりに彼がかわいくない行動や言葉をいうようであれば,即,出入り禁止にしなければなりません。(p181)
 年上の彼には,女性が積極的に愛を打ち明けるべきですが,年下の彼には,女性側から愛の言葉を,絶対いってはいけないのです。これこそ50代の恋愛ルール,といっていいでしょう。絶対,愛を乞うてはなりません。一度でも愛を乞うたら,その瞬間から「恋の奴隷」になってしまい,身の破滅につながります。(中略)その理由は「おばあちゃん」感覚です。この意識だけは,いくつになっても捨てなければなりません。(p182)
 メキシコ先住民の言い伝えでは「人は正気を保つため,一日三回のハグが必要だ」とのことです。はるか昔から,抱きしめる重要性を知っていたのでしょう。(中略)そんな人がいないというときは,樹木を抱きしめるだけでも,効果が高いといわれています。(p184)
 年相応である必要はないのです。いまどきは,年相応といったら,実年齢よりも老けて見えると考えましょう。年相応でいいと思うのは,もう,「女」をあきらめた人たちです。(p196)
 五十年間,女性専門で書きつづけていると,メイクで一箇所強調するだけで,生き方が変化することの不思議さを,知っています。(p198)
 口紅の色は,若いうちはピンクですが,次第に濃い赤系に変わっていきます。これは色彩事典通りの変化で,反対に考えれば,濃い色をつける人は,性的に不満をもっているのです。(p199)
 美しくありたい,健康でありたいと思うならば,それは女として愛されたい,ということではありませんか? そう思い当たれば,もう一度,新しいメイクの方法を勉強したほうがいいと思います。(p200)
 心が臍下丹田にあるならば,この加温療法は心も温めることになり,二重のプラスになりそうです。腹巻きはイヤ,という人であれば,座禅でもヨガでもいいですから,下腹部筋を鍛えることです。(p203)
 しわ一本にしても,出る前から気をつけるのと,出てしまってから取るのとでは,時間だけでも大幅に違います。(p209)
 彼女たち(女優やタレント)は,歯に特別に気をつけています。(p220)
 私の知っているある女優は,香水を二種類まぜ合わせることで,自分だけの香りをつくっています。彼女にいわせると,香水だけでなく,化粧水から口紅まで,なんでも自分に合うように調合できるといいます。そして,これほど安くつく美の色と匂いはない,と断言しています。(p222)

2020年6月24日水曜日

2020.06.24 櫻井秀勲 『80歳からの人生の楽しみ方』

書名 80歳からの人生の楽しみ方
著者 櫻井秀勲
発行所 きずな出版
発行年月日 2020.03.04
価格(税別) 1,500円

● タイトルが凄い。80歳なんだからそろそろ準備しよう,じゃないんですよ。80歳になってなお不楽是如何ということね。
 著者は89歳にして文字どおりの生涯現役を遂行中の人。努力や心がけでなれるものなのか,もって生まれたDNAによるのか。

● 以下に転載。
 「80歳」になったときには,もう人生で驚くようなことはないだろうと思っていました。それまでに,たいていのことは経験していたつもりでしたから,よくも悪くも,こうして人生は静かに終わっていくのだろうと思っていたのです。(中略)けれども,「そんなことはなかった」というのが,いまの私の結論です。(p3)
 何もしなくても時間は過ぎていきます。逆にいえば,何もしても時間は過ぎていきます。どうせ時間が過ぎていくのだとしたら,何かをしたほうがトクじゃないですか? 少なくとも,何もしないより,はるかに面白そうです。(p12)
 まずは,「おじいちゃん」「おばあちゃん」になることをやめましょう。(中略)年をとると,勝手に「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼ばれることがありますが,それには返事をしないことです。(p25)
 80歳になったからといって,80歳らしくすることはないのです。何歳になっても,自分らしくあることが一番です。(p26)
 80歳になったら,文明の利器には頼るべきです。(中略)私の補聴器や白内障の手術も,やはり今の時代だからこそ,こんなに簡単に享受できたのだと思うのです。(p29)
 自分が「年をとったな」と思ってしまうと,どうしても若い人に対して遠慮する気落ちが芽生えます。(中略)何より,相手と真剣につき合うことです。(中略)80歳になったら,誰にも遠慮はいりません。自分を出すことと,自分を通すことは,また別の話です。自分をただ引っ込めてしまうのは,つまらないと私は思うのです。(p37)
 私は,たとえ相手が自分より地位も年齢も下の人であっても,言葉を換えないことが大事だと思っています。私は女性に対して,自分のことを「俺」「オレ」という男性は信用しません。(p39)
 私にとって「働くこと」は,生きることそのものです。たぶん,死ぬ直前まで働いていると思いますし,死の床となるベッドでも原稿を書けなければ,生きていても仕方がないとさえ思うほどです。(p41)
 ケチになるのはソンです。仲間から爪はじきされる危険性があるからです。(p50)
 仕事が少なくなっても,手帳を持つことです。この手帳を毎日見ているだけでも,その一年は鈍くならないと思います。これも毎年,繰り返すことです。(p50)
 年老いていくというのは,力を失っていくことだと,私は思っています。ここでいう「力」とは,生命力と経済力です。(中略)これらの力を失っていくことが老いるということであるなら,この生命力と経済力さえあれば,老いとは無縁の生活が送れるということではないでしょうか。(中略)必要最小限のお金は,いざとなったら自分で稼ぐことができる,という自信を持てるかどうかが大事だと思います。(p53)
 いま注意するべきことがあるとしたら,詐欺に遭わないことです。たいていの人が,「自分は絶対にだまされたりしない」と思っているのです。そして実際にだまされてしまった人も,「自分だけはこんな詐欺には引っかからない」と思っていたのです。(p59)
 人生100年とすれば,あと20年は残っている計算になりますが,10年後も同じくらい健康とは限りません。(中略)いまできることは,先延ばしにしないことです。(p62)
 健康を維持するには,自分の「適量」を知り,それを超えないことです。(p64)
 自慢にはなりませんが,私は何年も定期的な健康診断を受けてもいなければ,人間ドッグにも入っていません。(p67)
 私は特に,健康のための運動というのは,若いときからしていません。(中略)体相学では,人の人生を若年,中年,老年の三つに分けて,それぞれの年代で,鍛えるべき(大事な)場所を示しています。若年とは最近では30代までの時代ですが,そのあいだは「頭」を鍛えるのです。(中略)60歳までの中年においては「内臓」を鍛えることが肝心です。(中略)そして60歳以降の老年は,どこを鍛えるかといえば,「腰」と「脚」なのです。(p71)
 嫌いなものを食べる必要はありません。ここまで生きてきて,いまさら好き嫌いを克服する必要はないわけです。(p74)
 松本清張という作家は,超天才でありながら,努力することを死ぬまでやめなかった人だといえるでしょう。いや天才とは努力家なのです。(p83)
 エネルギーというのは「情熱」です。(中略)年齢がいけばいくほど,情熱を持つことが大事になっていくと思うのです。(p83)
 80代は1000万人以上いるのです。ところが現実には,ほとんど街や仕事場で見かけません。つまりは,家に閉じこもってしまっています。そこで外に出た場合には,自分以外の,そこにいる人たちはすべて,年下の若い友人となるわけです。(中略)そんな人たちとの話は,聞いているだけで楽しくなり,若返ります。そういう人たちと,どこい行けば出会えるのかといえば,まずは表に飛び出すことです。(p88)
 人間というのは,じつはそれほど大きな違いがあるわけではありません。だからレベルの高い人と会っても,オドオドする必要もないのです。(p90)
 私は相手のことを聞くより,むしろ自分自身のことを話したほうが,若い人は関心を示すように思います。それに,じつはそれこそが,年長者が若い人たちにしてあげられることです。(中略)成功談ばかり話す大人からは,若い人たちは去っていく気がします。それよりも,笑われるくらいの失敗談を話すほうが喜ばれるし,ついてくるような気がします。(p97)
 人と向き合うときには,姿勢はまっすぐに正す,ということを心がけましょう。そのほうが,若々しく,堂々と見えます。(p98)
 叱るときは本気で叱る。本気ですることは,相手の心にも響き,伝わるものだと私は思っています。(p103)
 チャンスとは「好機」です。「それをするのに,最高のタイミング」ということですが,年をとると,何をするにしても「遅すぎる」と考えてしまいます。でも,それこそチャンスを逃しています。(中略)やるとなったら,いまです。それがチャンスをつかむということです。(p104)
 若い人たちは「未来に起こることは過去にも起こっている」と考えています。それを知っているのは,私たち高齢者です。彼らはその経験と知識を欲しがっているのです。(p110)
 80歳近くになると,「この先のこと」というのを考えられなくなります。いや,考えたくないのです。(中略)けれども,そう思ってしまうから,何もないということがあります。(p112)
 これは櫻井流の生き方ですが,「7年先まで元気でいる」と信じてしまうのです。(中略)7年先の自分から,いまの自分を見るわけです。「そんなことではダメだ」といいたくなるようであれば,今日からでも,すぐに改善しなければなりません。(p117)
 私自身でいえば,82歳できずな出版を起ち上げましたが,それをしたことによって,「まだまだ死ねない」と強く思うわけです。(中略)自分に責任を課したことで,寿命が伸びているように思うのです。(p119)
 いまは誰もがステージに上がれる時代であり,それを積極的にしている人が成功する,としています。(中略)生きていて,一番つまらないのは,傍観者になることです。(中略)いまからでも遅くありません。自分が主役になるのです。(p122)
 日常では,外の景色を眺めるよりも,自分自身が,その外の景色の中に立つほうがいいのです。つまり主役になれるからです。(p124)
 原稿は速く書くよりも,締切を守ることが肝心です。(中略)プロとアマの差は,締切を守れるかどうかだ,という人もいるくらいです。(中略)若いときには,一気呵成にがんばることも可能ですが,80代になると,そういうことは難しくなります。というより,そういう無理はしないことです。私は,自分が健康なのは,毎日のリズムを崩さないからではないか,と思っています。(中略)何事も,張り切りすぎては,あとが続きません。(p126)
 何かしたいことがあるなら,それを口に出してみることです。これは長年の私の習慣ですが,不思議なことに実現性が非常に高くなります。(p132)
 ここで気づかなくてはならないのは,あなたにはまだ他人に喜ばれる能力がある,ということです。(中略)ぜひ,積極的に身体を動かしていきましょう。(p139)
 時間の使い方を見直したいときには,「相手に合わせすぎない」ということが大切です。(p141)
 私は,相手を待たせないことが大事だと思っています。(中略)そういう注意を毎日,重ねることが大事です。(p152)
 人生は,まだまだ,これからです。死んでるヒマはない,というのが,80歳を過ぎた人間の正しい生き方だと,私は思っています。(p156)
 どんなことでも,「学ぶ」というのは,若さを保つ一番の特効薬です。(p159)
 不思議なことに,60代,70代の人たちよりも,80代,90代の人のほうが元気なような気がします。言葉はおかしいですが,病の峠を越えて,健康の平野に立つことができたからでしょうか?(p165)
 80代,90代でも元気な人は,これからの時代の手本となる人です。(中略)「年をとったら,あの人のようになりたい」若い人たちが,そんなふうに思える人が多ければ多いほど,若い人たちも元気になります。(p165)
 人間というのは,その立場になってみると,案外できてしまう,ということがあります。(中略)80歳だからといって,心配することはありません。やりたいことがあるなら,それをやるだけのエネルギーは,あるはずです。そのエネルギーがあるからこそ,それをやってみたいと思うわけです。(p184)
 ただ寿命を全うするだけでは,私は申し訳ないような気がするのです。せめて,寿命プラス1割増しの分を生きて,その1割増し分で,社会やお世話になった人たちに恩返しをしたいと思っているのです。つまり,80歳からの人生というのは,すべて恩返しです。(p195)

2020年6月21日日曜日

2020.06.21 堀江貴文 『我が闘争』

書名 我が闘争
著者 堀江貴文
発行所 幻冬舎
発行年月日 2015.01.15
価格(税別) 1,400円

● 堀江貴文さんの自叙伝。ライブドア事件で収監されるまでの半生記。『ゼロ』をはじめ,堀江さんが過去を語ったものはいくつかあるが,これは出所してだいぶ落ち着いてからのもの。
 彼の人生観とか生き方論の元になっているのは,もって生まれた性格ではないのかと思った。親からもらった性格。

● 以下に多すぎる転載。
 受刑者にもそれなりにやることは用意されていたけれど,1分1秒を惜しんで働いていた頃とは比べるべくもない。入所してしばらくは,暇という時間に戸惑い,苦しんだ。いや気が狂いそうになったという方が近いかもしれない。(p8)
 僕は重い百科事典を戸棚から引っ張り出してきて,頁を開く。これが情報ジャンキーへの第一歩となった。(中略)感じなんて習っていなかったはずだが,不思議と書かれていることの意味は分かった。ん? これは面白いぞ! 紙の上に踊っている情報が,僕の頭の中にするすると流れ込んでくるような感じが心地よかった。(p33)
 それはなんの前触れもなく,突然訪れた。小1の秋,肌寒い日だったと記憶している。小学校からの帰り道。一人であれこれと考え事をしていた時に,ふと浮かんできたのだ。「棒はいつか死ぬんだ」 猛烈な恐ろしさがやってきて,道路にうずくまる。(p35)
 ではどうしたら死への恐怖から逃れられるのか。僕がこの答えを見つけたのはずっと後,もう大人になり,会社を立ち上げて磯アシク働いていたときだ。ふと,2年ぐらいあのパニックが起こっていないと気が付いた。ああ,そういうことか。忙しくしていればいいのか。(p37)
 僕は中学の入学祝いとして両親にパソコンを買ってもらった。日立のMSXパソコン「日立H2」。値段は約7万円である。(中略)勉強のためという名目で(パソコンを)買ってもらったけれど,勉強なんかに使うわけがない。学校が終わってまっすぐ帰宅してすぐにパソコンを立ち上げる。深夜まで熱中していたのはゲームのプログラミングだった。(中略)単なる英数字の羅列が,やがて音となり,グラフィックとなる。画面の中に自力で世界を立ち上げたようなあの興奮は今でも忘れることができない。(p56)
 この経験から僕は一つのことを学ぶ。借金をすることは決して悪いことではない。むしろいい借金は進んでするべきだという考えを得たのだ。お金を借りることができれば,明日にでも新しいパソコンが手に入る。「PC-88FR」を必要としているのは今の僕だ。1年かけて自分のお金が貯まるのを待つよりも,すぐに買える方法があるのであれば,そっちを選んだ方が合理的。1年早くパソコンを使えることになる。どちらにせよ新聞配達はしなくてはならないのだし。(p64)
 お金以外にもこの仕事から得るものは大きかった。自作ゲームを作るのは難しいが,業務用ソフトを仕様通りに作るのは簡単であると分かった。そしてサービスで付加価値を付けると喜んでもらえることも理解する。(p67)
 中学3年から高校1,2年の記憶があまりない。なにをしていたのかと問われれば,ただぶらぶらと遊んでいました,となる。でも今となれば,その時間もまったく無駄だとは思わない。(中略)辛い時期があったから今があるというストーリーは趣味ではないけれど,エネルギーを溜め込んでいた時期だったとは考えられる。(p71)
 法律家になりたいから文系,科学者になりたいから理系というのならまだ分かる。数学が苦手だから文系かな,みたいな単純な苦手意識で将来を決めようとしている馬鹿が多すぎることに愕然とした。県下一の進学校である「フセツ」には,こういう真面目な勉強課タイプが本当に多かった。友達と呼べる奴は何人かいたものの,ほとんどとは話が合わない。彼らは見ていること,考えていることが,小さくて,つまらないのだ。(p74)
 僕は中学入学以来ほとんど勉強をしていなかった。入学時は上位だった成績も,1年1学期の中間試験からガタ落ち。以来,200人中170番から180番あたりを低空飛行していた。(中略)僕は勉強する必要をまったく感じていなかったのだ。まず高校の勉強は大学受験のためのものと完全に割り切って考えていた。そして受験勉強は集中して半年もやれば充分だと予想がついていた。(中略)確かに今は170番から180番かもしれないが,同級生たちを見渡して,僕のポテンシャルが劣っているとは思えない。(中略)半年あれば充分。誰に教わったわけでもないが,これは自分の中で,シンプルな結論として揺らぐことがなかった。(p75)
 苦労という言葉が大好きな日本人は,きっと血の滲むような猛勉強をしたのだろうと想像する。しかし僕にとっての受験勉強は面白いゲームのようなものだった。ゲームにハマっているうちにに,成績はどんどん上がっていく。そして僕は東大に合格した。(p79)
 入学式直後のクラスコンパの段階から,東大にも面白い奴はいないということが分かってしまった。久留米の「フセツ」がそうであったように,多いのは真面目な勉強家タイプ。積極的に話しかけて友達になりたいなんて奴は見当たらない。(p87)
 駒場寮で同室だった高見さんはその麻雀の強さからもただ者ではないことは分かるのだが,当時最先端のナノテクノロジーの研究者としても相当に優秀な人らしかった。しかし彼はよく「研究費が足りなくて満足な研究ができない」とこぼしていた。(中略)僕は早々に研究者への道を諦めていた。そうなるといよいよ本当に勉強する理由が見つからない。(p96)
 ヒッチハイクは知っていたけれど,それが自分にできるとは考えたこともなかった。(中略)僕のような愛想がなくてお世辞も言えないような大学生とは無縁の世界だろう。しかし僕の同類であるはずの中谷君は,高校時代からヒッチハイクで全国を旅してきたのだという。「あんなのコツさえ分かれば誰にでもできるんだよ」中谷君がそう言うなら,僕にもできるのかもしれない。(中略)「断られてもいちいち落ち込まないこと」これも中谷君からのアドバイスの一つだ。(p98)
 僕はお金はあったらいいし,なかったらなかったでなんとかなるという考え方なのだ。(p104)
 先輩の中には何年も留年し,大学を卒業または退学してもまだ塾講師を続けている人が何人もいた。中には40歳を過ぎた学生崩れの世捨て人のようなおじさんや,東大の大学院まで行ったのにそのまま塾に就職してしまった人もいた。(p107)
 大切だと思っているのは二つだけ。力を抜いて流れに身を任せること。そして目の前のことにひたすら熱中すること。そうしていれば人は,いつの間にか,自分が在るべき場所に辿り着くことになる。(p114)
 どこまでが仕事で,どこからが遊びやプライベートなのか。世の中の多くの人はそこにしっかりと線を引いたり,バランスを取ることを意識したりするらしいけれど,僕にはまったくその感覚が欠如している。ただ楽しく働ければいい。そして仕事より楽しいことは特にない。その時の僕は単純にそう考えていたのだ。(p127)
 光通信キャピタルの,というかそれはベンチャーキャピタルのということなのだろうが,冷酷さ,調子の良さには腹が立った。上場前にはあんなに持ち上げてきたくせに,初日にすべて手放すとは。実のところオン・ザ・エッジの将来になんてまったく興味もなく,とにかく売却益が出ればそれでよかったのだろう。僕は自分の甘さを痛感する。(p206)
 いい加減落ち込むことにも飽き始めていたある日,僕は決心した。「『オン・ザ・エッジ』を世界一大きい会社にしよう」それを目標に経営を続けていこう。上場すればすべてが上手く行くと思っていたわけでは決してないけれど,ネットバブルの崩壊は思った以上に会社に打撃を与えた。個人的にも億単位の借金を抱えている。しかし,ここで立ち止まることは許されない。立ち止まることは流れの速いビジネスの世界では即ち敗北を意味する。(p209)
 ビジネスにとって最も重要なこと,それはスピード。新しい事業を起こそうとした時,時間がかかってしまえばどんどん競争相手は増え,コストは嵩み,失敗のリスクは雪だるま式に増えていく。(p223)
 彼らのような古い大手企業はなにをするにしても図体がでかい分,お金がかかる。投資に対するパーセンテージは低くならざるを得ない。その点,僕らは身軽であり,インターネットという新しいインフラに特化しているので,シナジー効果は高い。蟻と像ほどの違いがあれども勝てない勝負ではないと考えて,ここニューヨークにやってきた。(p227)
 「マジで! やられたー」つまり僕らは株価をつり上げるための体のよい「当て馬」にされたようなもの。彼女たちは僕らに売るよりも高い値段で株式を市場で売り,キャピタルゲインを得たのである。華僑たちの図太さというか,利益のためなら米国の市場でも日本企業でも,なんでも利用してやるという執念を感じた瞬間である。シンガポールというのは,このようなことを国家ぐるみで行っているのだ。(p232)
 なんと,こんなところにも日本政府のバカな規制が存在していたのだ。ある一定の学歴か実務経験を有さないとワーホリは認められないというではないか。(中略)僕はこの一件で,本気で政治というものを考え始めた。ちなみに今や我々がワーホリで求めていたような人材は世界中にいっぱいいる。そしてネット上のアウトソーシングサイトを使えば,彼らに簡単に仕事を外注できる。(中略)たったの10年あまりで理想の世の中になったのである。政府のクソ規制などまったく役立たず。技術は世界を変えるのだ!(p236)
 知名度の低さはビジネスの様々な場面でマイナス要因となる。インターネット事業において,ユーザーや法人顧客の獲得に知名度は欠かせない。知らない会社のサービスは,信用できないサービスと思われることも多い。有名な方が安心という人間の心理はどうすることもできない。株価にしてもそうだ。知名度の低い会社の株価は上がりにくい。なぜなら知らない会社の株を買ってくれるという人はなかなかいないからだ。(p238)
 僕は人からどう思われようと構わない性格だ。つまり嫌われても気にならないということ。僕を嫌いかどうかは,僕ではなく相手の問題である。(中略)そんな意味のないことに気持ちや時間を取られるくらいならば,眼の前の自分のやるべきことに集中した方がいいに決まっている。人生は短い。(中略)しかしおそらく僕は,このフジテレビ買収騒動以降の強烈な逆風,膨大なバッシングに晒される中で,なんとか自分を見失わないための自衛手段の一つとして,この思考方法を確立していったのだと思う。(p261)
 選挙って面白いのだ。お祭りの神輿にたとえるのが分かりやすい。神輿に乗る者,神輿を担ぐ者,神輿を見ている者の3者のうち,もちろん一番面白いのは神輿に乗る者だ。だが担ぐのも,場合によっては乗るのと同じくらい面白いものなのだということが,スタッフの様子から伝わってくる。(p295)
 イライラしっぱなしの取り調べだったが,拘置所にいる僕にとっていつの間にかその時間が唯一の楽しみに変わっていた。なぜなら取調室には人がいるのである。それがたとえ鬼だったとしても。(p321)
 思考はどんどん底の方に向かっていく、しまいにはどこを見ても暗闇の中を歩いているような,自分がなにを考えていたのかすら判然としないような状態になってくる。「これは頭がおかしくなるぞ」なるべく自分に意識を集中させないように心がける。(p322)
 女友達も僕の様子を心配して何度か訪ねてきてくれていた。やっぱり女性という存在は男にとって偉大である。(p337)
 公判は驚きの連続だった。どう考えても嘘だろう! そんな証言をする人が何人もいた。検察側証人が嘘の証言をしたところで,偽証罪で捕まることもない。そんなデタラメな証言が裁判で採用されるはずなんてないと思っていたが,信じられないようなことがまかり通ってしまうのもまた裁判なのだと知る。(p343)
 僕の経営者としての意識は,そんな日本の一般的な人生のスピード感とはまったく違うものだった。30代のうちに世界一の会社にしなければならない。20代の半ばから,僕はずっと焦っていたのだ。未来のビジョンを誰よりも先に形にすること,それこそがビジネスの成功だと思っていた。(p346)
 ここで言いたいのは,世の中の人は驚くほど,あるきっかけで変わったという話が好きだということだ。多くの人は人生がしっかりした1本の線であるべきだと考えているのだろう。(中略)でも人なんてもっといい加減な,相対的なものじゃないだろうか。なにか一つのことがきっかけで変わったりするのではなくて,そもそも一瞬一瞬が別の,新しい自分なのではないか。(p351)
 先日,とある呑み会で初めて会った女性から「堀江さん,血液型は何型ですか?」と聞かれた。(中略)たぶん僕はずっと,この「何型ですか?」が象徴するようなものに抵抗し続けてきたのだと思う。(p354)

2020年6月10日水曜日

2020.06.10 出口治明 『ライフネット生命社長の常識破りの思考法』

書名 ライフネット生命社長の常識破りの思考法
著者 出口治明
発行所 日本能率協会マネジメントセンター
発行年月日 2010.12.30
価格(税別) 1,500円

● 本書のPART2で,これだけは読んでおけという著者お勧めの本が紹介(書評仕立て)されている。コロナ給付金は全額を本代に充てようと思ってる。粛々と進行中なのだが,残額でこのお勧め本を買ってみようかと思う。

● 以下の本が推薦されている。今から10年前であることを頭に留めておく必要はあると思うが,ほとんどすべての本が今でも古さをまったく感じさせないままに通用すると思う。

 ユルスナール(多田智満子訳)『ハドリアヌスの回想』(白水社)
 長谷川町子『いじわるばあさん』(朝日新聞社)
 半藤一利『昭和史』(平凡社)

 野口悠紀雄『一九四〇年体制』(東洋経済新報社)
 ジョン・タワー『敗北を抱きしめて』(岩波書店)
 子熊英二『民主と愛国』(新曜社)

 若桑みどり『クアトロ・ラガッツィ』(集英社文庫)
 池尾和人『現代の金融入門』(ちくま新書)
 木田元『反哲学入門』(新潮社)

 滝田洋一『通貨を読む』(日本経済新聞社)
 藻谷浩介『デフレの正体』(角川書店)
 池谷裕二『単純な脳,複雑な「私」』(朝日出版社)

 吉田直紀『宇宙一三七億年解読』(東京大学出版会)
 小坂井敏晶『責任という虚構』(東京大学出版会)
 ローレンツ『ソロモンの指輪』(早川書房)

● 以下に多すぎる転載。
 世界中でこれだけ多くの日本人がカツヤクしているのに,国内の状況はいまだに鎖国中ではないかと思うほどです。その大きな理由は,他人の意見をうのみにしやすいこと,自分の頭で考えないことではないかと私は考えています。日本ほど「社会常識」が幅を利かしている国も少ないでしょう。多くの数字や事実から論理的に積み上げた考えではなく,「みんなの常識的にはこうだ」という発想です。(p8)
 社会常識も業界常識も,所詮は誰かが言いだしたことで,現実をありのままに写しているとはかぎりません。(中略)それは一種の気分のようなものです。(p29)
 ちなみに,私は品格のない人とは「品格」という言葉を平気で使う人だと思っています。(p32)
 私がもっとも無意味に思うのは,個人的な好みや嗜好がいつの間にか判断基準になっている場合です。好みは人それぞれですから,いくら議論しても平行線になります。(p32)
 もしトップが個人的な好みを押しつけたら,スタッフはそのうちに自分の頭で考えることをやめてしまうでしょう。常にトップの顔色をうかがっていれば高い評価が得られます。そのほうが,市場の反応を検討するより楽チンです。こうして仕事は歪んでいきます。(p33)
 判断力はインプットの量で決まるのです。反対にこれがなければ,「社会常識」に流されます。(p37)
 当時,海外のトップか日本のトップか,どちらかになれと言われたら,私は迷わず日本のトップのほうを選んだと思います。報酬はたとえ十分の一でもはるかに楽だと思うからです。(p52)
 まったく泳げない人でも,海に放り込めば必死になっていつかは泳ぎを覚えるでしょう。しかしそのやり方は,日本の悪しき精神論です。(中略)「習うより慣れろ」も間違いではありませんが,時間に余裕のある場合にかぎられます。日本が得意の精神論は結局のところ,必要なコストをかけない方法で,効率が悪くトータルで見れば無駄が多いのです。(p66)
 私が知っているヨーロッパの人びとは,仕事の打ち合わせは効率的にやって,そのあとはランチや会話を楽しもう,という態度が徹底していました。ちなみに,海外ではわが国のようにディナーで宴席がセットされることはほとんどありません。夜の食事は家族や恋人などプライベートが優先されるという文化がごく自然なものとして受け入れられているのです。とてもうらやましい気がしました。(p79)
 彼ら(イタリア人)はおよそ「こうあるべきだ」といった幻想をはなから抱かないところがあります。底抜けに明るくていい加減なのに,ありえない夢は追わない。みんな現実をしっかり見据えているという気がします。ハッとさせられるような独特のリアリズムがあります。(中略)ルールや法律の捉え方,自己責任の考え方が日本とはどこか違います。社会ルールはあっても,最終的に自分の身は自分で守るという意識が強いのです。(p82)
 (日本人は)「一所懸命」という言葉に象徴されるように,同じ場所で頑張り続けるのが尊いとついつい思ってしまうのです。反対に周囲から逸脱した人,過去に失敗した人には落伍者のレッテルを貼りたがります。つまり,逸脱や失敗が人間を大きく成長させることに気づいていないのです。(p88)
 「最近の学生は,勉強する意欲が足りない」と意識の問題に還元するのはさらに大きな誤りで,それは根性がない,死ぬ気でやれといった不毛な精神論と同じレベルです。人間は本来怠け者で,すぐに楽をしたいと考える動物です。一般には自分で勉強に意義を見出し,努力していくほど賢くはないのです。(中略)給料が高く安定した企業に就職したくてみんなが大学へ進むのなら,その対象となっている一流企業が「勉強していない学生は採用しません」と明言すれば,ほとんどの大学生は必死に勉強するはずです。これがインセンティブであり,しくみです。(p93)
 よく日本では「経済一流,政治二流」と言われてきましたが,私は日本の経済が一流だと思ったことは一度もありません。政治家もひどいかも知れませんが,経済界はもっとひどい。私は一貫して,日本で一番駄目なのは経済界のリーダーだと言い続けてきました。(p97)
 キッシンジャー博士が次のように言われたのです。 「世界にはいろんな人がいる。すべての人が生まれた土地と先祖のことを誇りに思っている。そういった人たちを理解するためには彼らの土地と先祖のことを知る必要がある。(中略)そこで私は若い人たちに言いたい。暇があれば歴史(彼らの先祖のこと)と地理(彼らの生まれた土地のこと)を勉強しなさい。それからできるだけ自分の足で世界を歩いてみなさい」(p100)
 私がカルチャーショックをあまり受けないのは,ほとんど先入観がないからだと思います。(中略)目の前にある現実に向かって「あり得ない」「間違っている」と思っても所詮は無意味です。(p105)
 旅行に限れば,語学はそれほど必要ではありません。日本国内の旅行を考えてみれば,それはすぐにわかります。(中略)東京駅の窓口で「私は京都に行きたいと思っています。往復切符を一枚売ってください」と日本語でしゃべる人はほどんどいないでしょう。「京都往復一枚」で十分なのです。(p106)
 正確に言えば世界語(リンガフランカ)は英語ではなく「プアーイングリッシュ」(下手な英語)だと思います。(p108)
 本はできるだけ多く読みたいと思いますが,急いで読むということはしません。(中略)通常の単行本なら一冊読むのに二~三時間といったところです。六十歳を過ぎても本を読むスピードは衰えていません。(p141)
 私にとって読書は(中略)「昔の賢人との対話」です。もっと言えば「著者との対決」であり,真剣勝負だと思っています。仕事でも遊びでも,一所懸命にやらないと身につきませんし,第一面白くありません。やるからには徹底してやる。中途半端にやっても意味がないという気持ちがあります。All or nothing です。(p144)
 自分でビジネス書を書いているのに,こんなことを言うのはまことに僭越ですが,私はいわゆるビジネス書の類はほとんど読みません。(p146)
 本気でビジネスを成功させたいなら,人間を理解することに尽きる,と私は考えています。マーケティング手法や財務分析を勉強するのは,人間を知ったあとの話です。(中略)その意味では,歴史書や自叙伝,小説などを読むほうがはるかにビジネスに役立つと思うのです。(p147)
 私が社会主義が嫌いな一番の理由ですが,計画経済や産業政策といった類のものは,すべて人間は将来をある程度見通すことができるという暗黙の前提に立っているからです。人間はそこまで賢い動物だとまるで錯覚しています。それは傲慢であり無知だと言ってよいと思います。(p154)
 私は相手の年齢というものを意識したことがありません。ですから(中略)世代感覚も皆無です。(中略)私のなかにあるカテゴリー分けは,会っていて楽しい人か,そうでない人か,の二種類だけです。(p159)
 ビジネスもプライベートも「楽しくて面白い」が一番の基準です。自分が元気になること,明るくなること,楽しくなること,面白いことをひたすらやればいいのです。もし何も楽しいことが見つからないときは,寝ていればいいのだと思います。(p162)
 日本の経営者は現場主義という言葉が好きです。多くの経営者は「自分は現場主義で経営している」と称しています。(中略)しかしトップの頭にある経験的なファクトは,二十年も三十年も前のものがベースになっているのではないでしょうか。数十年前の実体験という土台に,最新の情報が載っている状態です。(中略)現場の社員は,経営者の妄想と,日々変化する市場状況とのあいだで板挟みになってしまいます。(p167)
 映像は現地で体感することの数%にすぎません。(p169)
 日本でリーダー論と言えば,人間力がどうだ,教養がどうだ,はたまた強くなくてはいけないとか,禅問答のようなことを言って煙に巻きます。そうではなく,人間は将来のことがわからないから,みんなを引っ張っていく必要がある,とシンプルに考えればいいのです。(中略)リーダーは人を引っ張っていくのが仕事だから,まず自分にやりたいことがないといけません。あそこへ行きたい,こんなことがしたい,何が食べたいという明確なビジョンがないとリーダーではありません。これが最優先です。(p172)
 ローマ市内には古代遺跡や美術館もたくさんありますが,何よりもキリスト教の総本山,バチカン市国があります。ラクシーの乗客が騙されたとわかっても,韓国客がいなくなることはありません。(中略)つまり,需要と供給の関係が著しくアンバランスなのです。(中略)有名観光地はこんなものだと割り切ってしまえば,嫌な思い出も財産になります。旅に慣れるとは,そういうことです。(p178)
 異質な文化に数多く触れると,カルチャーショックはあまり受けなくなります。(p190)
 歴史はある意味結果論ですから,特にリーダーについては実績がすべてだと思います。どんな人物だったかを見極めるよりも,実際は何をしたかのほうがはるかに大切です。とくに近現代史はその点を冷静に見る必要があります。(p213)
 池尾(和人)さんの明晰さは,金融の限界をはっきりと捉えているところにも見てとれます。金融にかぎらず,この世におよそ万能なものはありませんから,人間はごまかしごまかしやっていくしかないのです。限界がわからなければ,人は何でもできると錯覚してしまいます。(p222)
 私がもっとも興味深かったのは,DNAが脳の構造を決定しているのではないということです。DNAはあくまで基礎配線にすぎなくて,脳はゆらぎの連続によってつくられていると説明されています。つまり,偶然によってつくられている。これは,人間とは何かを解く重要な鍵だと思えてなりません。(p226)

2020年6月9日火曜日

2020.06.09 出口治明 『人生の教養が身につく名言集』

書名 人生の教養が身につく名言集
著者 出口治明
発行所 三笠書房
発行年月日 2016.07.25
価格(税別) 1,400円

● そもそもの釈迦の教えというのは,宗教というよりも,いかに生きるべきかを説いたものだと聞いたことがある。処世訓のようなもの。薄っぺらなハウツーではなかったろうけど。
 本書もそれに近い。上手に生きるにはどうすればいいかを説いている。古くなる類のものではない。若い人が読むべきだと思う。

● 以下に多すぎる転載。
 人の人生が80年として,その中で経験できることなど,たかが知れています。自分の人生から学ぶには限界があるのです。だからこそ,プロイセンの名宰相・ビスマルクは「愚者は経験に学び,賢者は歴史に学ぶ」と喝破したのです。(p4)
 「この名言によって,私の人生は大きく変わった!」などと,びっくりするような出会いを期待しないこと。(p5)
 傍目には,同じように不運と思われる状況に置かれていても,毎日を充実した気持ちで暮らしている人もいれば,「なんとつらい人生なんだ」とわが身の不運を嘆きながら暮らす人もいます。つまり「捉え方」-人生観と言ってもいいでしょう-次第で,人生はいかようにも変わるのです。では,こうした捉え方の違いは,どうして生まれてくるのでしょうか。(中略)大きな影響を与えるのは,「知識あるいは教養」だと私は考えています。(中略)理解している範囲が広く,かつ深くなるほど,自分の勝手な思い込みを捨てて,物事をよりクリアな目で見られるようになっていきます。(p22)
 面白いことに,今も残る古典作品の多くは,その作者が左遷されているときに書かれていたりするのです。(中略)というのも,左遷されて時間があったからこそ,優秀な彼らが十分な時間をとって,後世に残るすばらしい作品が書けたのです。(p24)
 この世の「リアル」とはまさにそういうものではないでしょうか。人間や,、その人間がつくった社会への甘い期待は捨てたほうがいい。(p27)
 歴史を知れば知るほど,偶然こそが「この世のリアルだ」と確信します。(中略)「運がいい」というのは,フィンレイソンが指摘しているように,「適切なときに適切な場所にいる」ことなのです。この世は偶然の産物だということに,あらためて気づかされます。(p29)
 「人生を楽しむ」という姿勢は,すべての人にとっての「いい人生」に共通しているのではないでしょうか。(中略)今の自分が幸せか不幸かなどは,極論すればどうでもいいのです。そのようなことをいちいち考えずに,毎日毎日を楽しむ。私自身,いつやってくるかわからない「死」というゴールに向かって,そうやって時を重ねていきたいと考えています。(p39)
 歴史を見ても,人々は「笑い」の持つ,とてつもないパワーを認め続けてきたと言えるでしょう。そして,ときにそのパワーに脅威を感じ,それを封じ込めようとしてきました。宗教がいい例です。(中略)笑うとスッキリするはずです。スッキリしたら宗教にすがる必要もなくなります。だから,宗教指導者たちは「笑い」を封じ込めようとするのです。(P44)
 とくに仕事や公式の場では,ひたすら「真面目」が尊ばれ,「笑い」や「おふざけ」や「いたずら心」などの遊び心はタブー視される傾向があります。しかし,あらゆるイノベーションの生まれる素地は,じつはこうした遊び心からなのです。(p46)
 仕事でもプライベートでも,深刻にならないほうがいい。(中略)真面目に考えすぎるのは不幸の元なのです。(p47)
 『オセロー』の中にも,こういうセリフがあります。 『過ぎてかえらぬ不幸を悔やむのは,さらに不幸を招く近道だ』(p56)
 可能性がいっぱいあると,人は夢見がちになります。(p58)
 愚痴もぐっと飲み込んでしまって,振り返らないのが一番です。(p60)
 人間は,そのときどきの関係性によって,いい人にも悪い人にもなるのです。そうした人間の有り様を,私は「接線思考」と名づけています。円に引いた接線は,円をちょっと回転させただけでも大きくその角度を変えます。(中略)目先の状況や関係性次第で人間は白にも黒にも瞬時に変われる。この傾向は,集団になるとおもっとひどくなります。(p67)
 人間関係においてけっして忘れてはいけないのが,基本的に人と人とを結びつけているものは「利害」だということ。人はお互いなんらかのメリットがあるから,相手とつながっているのです。(p69)
 人間関係はつねに入れ替わっていく。「一生を通じた友情」など,基本的にはあり得ない。もし,そういう関係を築けたら,自分は本当にラッキーだと考えたほうがいい。こうした考え方に立つ私にとって,人間関係の基本は,「去る者は追わず 来る者は拒まず」だと考えています。(p72)
 人間関係は,ときにこじれることがあります。その原因を探ってみると,どちらかに悪意があった場合より,どちらかがついうっかりしてコミュニケーションを怠けてしまったがゆえに起こってしまった場合のほうが,はるかに多いのではないでしょうか。(p85)
 他人が自分のことを真剣に見てくれる機会は,それほど多くはないのではないでしょうか。(中略)なので,「良く見られたい」とか,「ほめられたい」と願っても,なかなか叶うものではありません。極論すれば期待するだけムダです(中略)そうであれば,いつ気づいてくれるかもわからない「他人」は,はなからあてにはしない。それよりも,天と地と自分が「知っている」ということに満足する。「この3つがあれば,十分じゃないか」と考える。(p97)
 解決方法は簡単です。今やっていることを面白くするのです。人からよく見られたい,ほめてもらいたいというのは,結局のところ,自分が今取り組んでいることに熱中できていないからです。(p99)
 考えるとは,何が「枝葉」で,何が「幹」かを見極めることだと言ってもいいでしょう。「この件でもっとも大事なことはなんだろうか」という質問を自分に向けて発し,思考し続ける。「そういうことか」と腹落ちするまで考える。(p119)
 なかなか意思決定ができないという人は,岩盤まで掘り下げていない段階で答えを出そうとしているのです。だから,「もっと別の方法があるかも」などと迷ってしまう。(p130)
 「勉強する」あるいは「学ぶ」という人間の営為は,インプットとアウトプットがセットになっているのです。(中略)アウトプットとは何か。その基本は,母語による「言語化」です。しかも,インプットしたままの他人のことばではなくて,それを自分の頭で咀嚼して,自分の言葉に引き直して言語化する。(p136)
 ただ呼んで満足しているだけの状態は,「この店から過去に何回も5億円の宝くじが出ました」と言われて,そこでひたすら買い続けるような営為です。言葉をそのまま鵜呑みにして,まったく自分の頭で考えていない。これでは,一生宝くじを買い続けても,当たらないまま死んでいく確率のほうが高いと思います。ドラッカーに限らず,インプットした知識は,あくまでも自分の人生の参考にすぎません。それを材料にして,自分の頭で考える。そこではじめて,獲得した知識が自分の血となり,肉となる。(p139)
 この法顕という僧侶。記録によると,変えは399年に長安を旅立ちます。そのとき,なんと60歳すぎ。(中略)この時代の60代は今の70代,80代くらいをイメージしたほうがいいと思います。そのような高齢になっても,法顕は「自分は仏教の基本がわかっていない」と,本場のインドに勉強に向かうわけです。(中略)なんと足かけ14年もの長旅です。法顕は70代半ばになっていたと考えられます。しかも,この旅は最初は,何人かのお伴を連れていたのですが,最後まで生き残ったのは高齢の法顕ただ1人。ほかの人たちは旅の途中で命を落としています。この明暗を分けたものは何かと言えば,目標が遭ったか否かだと私は思います。「これを成し遂げたい」という強い思いがあると,人間はなかなか死なないものなのです。さらに,法顕の偉業は続きます。帰国後,人生最後の大仕事として,自らの旅を『仏国記』として記す。やりたいことがある人は本当に強い。枯れることのない,すさまじいまでの学びへの情熱です。(p147)
 わからないときは,何事であれグチャグチャとしていて複雑です。ところが,わかることでグチャグチャしていたものがほどけて,シンプルになっていきます。これが「わかる」ということ。学ぶとは,この世界をよりシンプルにみるための手段なのです。(p150)
 その人が書いたものを読むことは,その人の考えを知ることです。それは,その人に「直接会って話を聞く」こととほぼ同じです。しかも,なかなか直接会うことが叶わない有名な人とも,本を通じてであれば,簡単に会うことができます。(中略)たとえば,リンカーンと会おうと思ったら,岩波文庫の『リンカーン演説集』を買って読めばいい。しかも,金額にして700円ちょっと。これほど安い金額で,誰にも邪魔されずにリンカーンをひとり占めにして,その考えを聞くことができるのです。本はすごいと思いませんか。(p153)
 ゼロからすべてを自分で考えることは,とてつもなく大変なことだし,そもそも不可能です。ところが,ありがたいことに,私たちには先人が残してくれた知見が膨大に残っています。その力を借りれば,より広くより深くこの世界を見ることができるのです。アインシュタインは,ニュートンの肩の上に乗って相対性理論を発見したのです。(p159)
 「速読をする」という営為は,目の前の相手に,丁寧に長々と話していただかなくて結構です。要点だけ,かいつまんで述べてください」と話すようなものです。一所懸命話している最中に,相手にそう言われたら,あなたはどう感じますか? いい気持ちはしませんね。怒りさえ感じるかもしれません。自分がされて嫌なことは,相手にもしないほうがいい。これは,本の著者に対するときも同じです。(p164)
 木田(元)先生は「古典を一行一句丁寧に読み込んで,その人の思考のプロセスを追体験することによってしか,人間の思考力は鍛えることができない」と常々おっしゃっていました。この考え方は圧倒的に正しいと思います。丁寧に読むことは,まさに思考力を鍛える訓練になるのです。(中略)著者から教えてもらうという姿勢で,一行一句丁寧に読み込んでいく。わからないところがあったら,もう一度数ページ戻って,くり返し読んでみる。そうやって自分の中でしっかり腹落ちするまで読み込むことを,私は非常に大切にしています。(p165)
 高齢者が若い人の意見を聞かず,自分たちの時代のやり方のままつき進んでしまうと,その社会はとんでもない方向に行きかねません。そのような失敗例は歴史上,いくらでもあります。(p170)
 ビジネスにおいて,その成否を決める大きな要因は何でしょうか? それは,最初の段階の「計画(プラン)」が,しっかりと練られているか,どうかにかかっていると思います。(中略)講演などの場で「PDCAサイクルの「C(評価)」と「A(改善)」がうまくいかない」という相談をよく受けることがありますが,それは極論すれば,そもそもの「P(計画」がなっていないからです。(中略)ところが,人間はどうもせっかちなのか,多くの人は,頭では「計画」の重要性を理解していても,ついつい先に急ごうとしてしまいがちです。(p200)
 人間は相手の「言葉」ではなく,その「行動」を見るのです。人間は自分のためにどれくらい時間を使い,行動してくれているかで,その相手の本気度を見極めます。(p208)
 そもそも,人間は本気であれば簡単に行動に移せます。(中略)「これが大切だ」とか「こうしたい」といった思いが本当に腹落ちしていたら,自然と体がその方向に動くものです。(p208)
 人間が100%働くと思っていること自体が間違っている。だいたい仕事は退屈なものだ。ほとんどの人は2割か3割程度の力しか出していない。100%で働くなんてことはあり得ない。「100%の力を発揮してほしい」なんて言ったら従業員にそっぽを向かれるだけだよ。2~3割を大前提にして,30%のところを33%で働いてもらえるようにするのがチップの仕事だ。(p214)
 私自身,長年生きてきてつくづく感じるのが,どんな事柄であれ怒ったら負けだということです。なぜなら,怒りの感情に心が支配されてしまうと,ものの見事に判断力が鈍ってしまうからです。(p219)
 ベンチャーを経営するようになって気がつきましたが,気ままに怒れるのは,大きな組織で時間的な余裕が十分あるからなのです。(p221)
 個人も組織も,多様性のあるものほど強い。私はそう考えています。(中略)個人で言えば,多様性とは,引き出しの多さと言えるでしょう。(中略)偏見なく,「いい」と自分で思ったら,どのようなものでも貪欲に受け入れていく。そうした姿勢で生きている人は,その懐の深さゆえに,自ずと物事にも幅広く精通していくし,経験も豊富になります。つき合っている人たちを見ても,多種多様です。(中略)こういう人たちは,非常に魅力的だし,人間としても非常に強いと思います。彼らのように,自分の周囲に多様性を持ち続けるために大切なことは,自分の世界に閉じ込もってしまわないことではないでしょうか。とりわけ,年を重ねるにしたがって,このことは強く意識する必要があると感じています。(p224)
 こうして,ダレイオス1世は撤退を決断します。これはすばらしい能力だと思います。圧倒的な大軍を持っていならが,引く決断ができる。(p232)
 人間の人生は,回転木馬のようにつねにまわっています。(中略)だから,誰にだってチャンスはあるのです。もし,あなたが,「そうは言うが,俺の人生はちあがいツイていない」と思っているとしたら,それは,ツキが来ないのではなくツキのタイミングを見逃してしまっているからなのです。(p234)
 これまで生きてきてつくづく感じるのは,「人生はタイミング」だということです。何かを感じたとき,「また,明日にしよう」と,決断や行動を先延ばしにしてしまえば,あっという間にチャンスは逃げていってしまいます。(p235)
 では,どうすれば,そうした流れをいち早く察知し,タイミングよくその流れをつかむことができるでしょうか。残念ながら,上手い方法はないと思います。唯一,やっておくべきは,つねに「I'm ready」の状態にしておくことではないでしょうか。(中略)そのために必要なのは,「勉強」と「自己管理」です。(p237)
 私自身は,規模の大小を問わず,起業する上で大事なことは2つしかないと考えています。それは「強い思い」と,「算数」です。(中略)「算数」とは,収支計算です。(p240)
 恋をしている相手にはとてつもなく忍耐強く,そして,寛容になれます。(中略)それだけ「恋」は,すべての人間にとって「がんばりどき」だということでしょう。(p251)
 私は,「恋」の時期を過ぎたカップルを結びつけるものは,何よりも一緒にいることの「面白さ」だと考えています。(中略)その際,圧倒的に重要になってくるのが「会話」の力です。(p254)
 老後対策の最たるものは,お金を貯めることではなく健康であることであって,健康でありさえすれば,これからの日本では日々の糧を稼ぐことはけっして難しいことではないのです。(p265)
 モノは,使わないとどんどん錆びていきます。ボロボロになります。(中略)これは,人間の体と頭も同じです。(p280)

2020年6月7日日曜日

2020.06.07 インク・インコーポレーション編 『クラシックホテルさんぽ』

書名 クラシックホテルさんぽ
編者 インク・インコーポレーション
発行所 グラフィック社
発行年月日 2013.06.25
価格(税別) 1,600円

● この本を読む(見る)のは,これが3回目。本文に目を通したのは初めてかも。写真を見て想像力を遊ばせるのがいいと思う。つまり,文章は読まなくていい。

● 39のホテルが紹介されているが,そのうち泊まったことがあるのは4つ。
 東京ステーションホテル
 グランドプリンスホテル高輪
 ホテルニューオータニ
 札幌グランドホテル

● そのニューオータニや帝国も紹介されているけれど,ニューオータニはどこからどう見てもクラシックホテルには当たらないでしょうよ。まるでひとつの街みたいな,雑踏を作り出しているホテルだ。
 そういうホテルがほかにもけっこうある。ま,別にいいんだけどね。

2020年6月5日金曜日

2020.06.05 下川裕治 『10万円でシルクロード10日間』

書名 10万円でシルクロード10日間
著者 下川裕治
発行所 KADOKAWA
発行年月日 2019.09.02
価格(税別) 1,700円


● ガイドブック的要素を加えた紀行文。下川さん,『ディープすぎるシルクロード中央アジアの旅』や『シニアひとり旅 インド,ネパールからシルクロードへ』でも中央アジアへの思いを語っている。
 だいぶ気に入ってるらしい。タイに次いで,中央アジアが彼の第3の故郷になったのかと思うほどだ。ビザが不要になって旅しやすくなったこともあるようなんだけど,気候風土,食べ物,市場,人といったところに魅せられているようだ。

● 以下にいくつか転載。
 そのなかで気をひそめるようにクラスウイグル人だが,笑顔は失っていなかった。(中略)つらい時代でも,笑顔を忘れないという遺伝子。シルクロードは,時代の権力にいつも晒されてきた。そのなかを生き抜いてきた彼らの処世術こそ,シルクロードそのものにも思えるのだ。(p45)
 ウイグル人に囲まれる旅は楽しい。彼らは歌が大好きだ。10人にひとりぐらいはギターをもち込んでいて,それに合わせて,仲間や車内で居合わせた客が声を合わせる。(p48)
 陸路で国境を越えると,風景や風習,そして人の顔がグラデーションのように変わっていく。おそらくシルクロードの時代もそうだったろう。しかし近代に入り,この国境は緊張が続いた。(p56)
 旅を彩るものは想像力だと思っている。僕のように,あまり人が行かないエリアを歩くタイプは,想像力に頼る部分が大きくなる。(中略)僕は困り,路上に落ちていた石を拾い,バッグに入れた。その石をじっと眺める。(中略)その小石に,どれだけ想像力を込められるかということなのだ。(p98)
 僕はどちらかというと,ホテルの予約は避けたタイプだ。それによって,旅の日程が決められてしまうと旅がつまらなくなってしまうのだ。気に入った街に出会ったらそこに泊まってみる・・・・・・。そんな自由を失いたくない。(p134)
 インターネットの発達で,以前に比べれば,はるかに多くの情報を手に入れることが可能になったが,情報というものは,すべて見知らぬ人が得たものにすぎない。自分がその街の土を踏んだときの印象とは違う。旅とは自分でするものだから,僕は五感に届いた感覚を大切にしようと思っている。(p134)
 海外への旅を前に,「言葉が・・・・・・」と不安を募らせる人は少なくない。しかし僕はそれほど不自由さを感じることなく,シルクロードの旅を続けてきた。(中略)旅をスムーズに進ませるもの--それは言語ではないと思っている。表情や目の力,体からにじみ出るエーテルのようなもの・・・・・・。そんな言葉にならないものでコミュニケーションは成立していく。(p137)
 運賃を提示しないことである。なにもしない。英語を口にすることもしない。これが僕流の根切り術である。しかしこれはそれなりの精神力が必要になる。ただ黙っているというのは,意外なほどにつらい。(中略)僕の心境は穏やかではない。なにしろ相場を知らないのだ。(p139)
 食通でもないのに,有名料理を避けようとし,それでいながら店になかなか入ることができない小心者。それが海外を歩く僕の姿である。そういう面倒くさい旅行者の編みだしたワザ・・・・・・。それが同じ店に何回も通うということだった。(p141)
 はじめて店に入るときは勇気がいる。エイッ,と自分を奮いたたせて,1軒の店に入る。心のなかでは,店の主人や店員が,言葉もわからないひとりの外国人を邪険にしないことを願っている。優しさにすがるわけだ。だから混みあっている店は避ける。(p141)
 僕はときどき台北に行く。小籠包で有名な鼎泰豊に行くことがある。しばしば,シニアの男性が,ポツンと座っていることがある。この店はあまりに有名だから一度は・・・・・・といったところなのだろうが,どこか寂しげにも映る。(中略)どこか情報に振りまわされている気がしないでもない。その時間があったら,泊まっているホテルの近くの店に通い詰める。そのほうがはるかに,その街の料理が見えてくる。そんなことを思ってしまうのだ。(p142)

2020.06.05 野口悠紀雄 『AI時代の「超」発想法』

書名 AI時代の「超」発想法
著者 野口悠紀雄
発行所 徳間書店
発行年月日 2019.10.02
価格(税別) 890円

● ご用とお急ぎの方は,「はじめに」「序章」と最終章の第8章だけを読めばいいだろう。が,どうも本書の白眉は第7章,つまりKJ法のダメさ加減を完膚なきまでに指摘しているところにある(と思う)。
 ぼくも若い頃にKJ法の研修を受けたことがあるが,まったく盛りあがらなかった。自分の受講態度に問題があるのかと思ったのだが,そうではなかった。そのときに,薄々感じていたことではあるのだが,KJ法じたいがダメだったのだ。

● 以下に多すぎる転載。
 ものを作ったり,植物を育てたりする場合には,確かに一定の手続きを,指定されているとおりに実行すれば,必ず一定の成果が得られます。これまで提案されてきた発想法の多くは,そのような考えを延長して,「発想においても,一定の手続きにしたがえば,よいアイディアが得られる」という考えのもとになされてきたのです。ところが,発想は,このような定型的な作業によってなされるものではありません。(p3)
 発想は必ず模倣から出発するものであり,(中略)真に独創的な考えとは,模倣から出発しながら,模倣にとどまらずにそこから脱却したもののことです。(p4)
 とにかく仕事を開始し,継続するのが重要であることも強調します。仕事を続けていれば,何らかのことがきっかけになって,新しいアイディアが生まれるでしょう。(p5)
 科学の基本的な方法は,過去に成功したモデルを新しい問題に応用するという「独創的剽窃行為」です。アイディアの発想でも,この方法が最も強力です。「モデル」は,多くの学問分野で基本的な働きをしています。これは,現実を抽象化したものです。(p7)
 アイディアは,組み合わせから生じます。そして,組み合わせは頭の中で行われます。あるいは,頭の中でやるほうが効率的です。(p34)
 人間の脳は,無意味な組み合わせを排除する能力を持っている。あらゆる知的活動の中で最も重要なのは,「無用なものを試みないで捨てる」という直観力。(p39)
 重大な発見がなぜ偶然のきっかけで得られたかについて,ニュートンが明確に答えています。彼は,「どのようにして万有引力の法則を発見できたのか?」と尋ねられて,「いつもそのことを考えていたから」と答えたのです。(中略)重要なのは,きっかけではなく,彼らが「考え続けていたこと」なのです。(p53)
 多くの人が,「〈発想法〉という特別の方法があり,発想力を高めるにはそれを学ぶ必要がある」と考えています。しかし,この考えは間違っています。(中略)具体的な対象と独立した「汎用的発想法」というものは,考えにくいのです。「どの問題にどの方法を適用すべきか」といった判断は,実際の問題に即して訓練するほかはありません。(p76)
 発想のための方法も,(中略)癖になって無意識のうちに使えるのでなければ,駄目なのです。これは,人間の能力が限られているため,複数のことに同時に注意を集中できないからでしょう。方法論に気を取られていると,肝心の対象からは注意が離れてしまうのです。(p78)
 数学の成績を上げるための最も確実な方法は,「数学は独創」という思いこみをやめることです。そして,「数学は定型的パターンの当てはめ」「その意味で,暗記」と割り切ってしまうことです。このような発想の転換ができれば,数学の成績は間違いなく向上します。逆にいうと,「自分が編み出した方法で解かねばならない」とこだわっている限り,数学の成績はよくなりません。(中略)発想一般に関しても,数学の場合と同じように,過去に成功したパターンに当てはめるのが,最も強力な方法です。しかし,数学の場合と同じように,こうした方法を批判する人が多くいます。「パターンに当てはめるだけでは,定型的な思考しかできない。自由に発想しないと創造はできない」というのです。しかし(中略)発想とは,無から有を生み出すことではありません。既存のアイディアを組み替えることなのです。(中略)「模倣なくして創造はない」のです。(p80)
 物理学の方法論も,基本的に同じものです。つまり,「古いアイディアを再利用する」のです。例えば,水素原子の古典的なモデルは,陽子の周りを電子が回るというものです。これは,地球の周りを月が回るモデルを借りてきたものです。(p81)
 ガリレオの成功は,「本筋に関係ないことは全部切り捨てる」という方法によってもたらされました。これこそが,「モデルを作る」ということの本質的な意味です。そして,このことが,近代科学の基本的な方法論なのです。しかし,切り捨てるのは難しいことです。「たとえ不要な情報でも捨てたくない」というのは,人間の自然な欲求だからです。この欲求に打ち勝つことこそ,物理学で最も重要な態度であると,クラウスは述べています。(p95)
 一般に,「理解」のためには,具体的な説明のほうがよいと考えられています。しかし,「発想」のためには,抽象的な形で表現されているほうがよい場合があります。それによって,新しい結びつきが可能になるのです。(p98)
 多くの科学において,観測は,仮設を検定するために行います。少なくとも,解明したい問題や主張したい命題がまずあり,それらに関連したデータを集めて分析するのです。最初から闇雲にデータを集めても,「理論なき計測」になってしまいます。(p104)
 「遊び」ができるのは,高等動物に限られます。長時間遊びに熱中できるのは,人間だけです。(中略)重要なのは,好奇心が持続するという点です。進化の頂点にある生物にこのような能力が与えられているのは,決して偶然のことではないでしょう。遊びには,きっと深い理由があるに違いありません。(中略)実際,科学者は強い好奇心だけに導かれて研究に没頭します。その意味では,遊びと同じことをやっているのです。(p113)
 発想の必要条件は,「考え続けること」です。考えていないときに発見や発想が天から降ってくることはありえません。(中略)考え続けるためには,その前提として,仕事に関して現役である必要があります。(中略)潜在意識で発想が進むためには,関連情報が頭に残っている必要があります。(p122)
 PCの最大の特徴は,編集が著しく容易なことです。(中略)清書という余計な労力なしに,つねに最新版の文章が読みやすい形で得られます。そこで,紙の場合とは異なる書き方になります。(中略)紙の場合のように一方向的に順を追って書くのではなく,「行きつ戻りつ」という書き方になります。(中略)このため,きわめて大量の書き直しを行うことになります。(p126)
 「仕事を始めること」は,絶大な効果をもたらします。なぜなら,その仕事について考えるようになるからです。(中略)これは,大変重要な意味を持ちます。なぜなら,新しい発想は「考え続けることによって生まれる」からです。(中略)構えてしまって仕事に取り掛かれないでいると,この段階には入れません。(p130)
 書いた文書は,あたかも他人が書いた文書のように批判的に読むことができる。これによって,自分自身との会話ができる。(p133)
 頭に材料を一杯に詰め込んでから散歩すると,「材料が頭の中で撹拌されて」,発想ができるような気がします。(中略)少なくとも,体を動かすことは,発想にプラスの影響を与えるようです。「歩く」ことは,アイディアを得るための,最も手軽で最も確実な技術です。(p137)
 こま切れの仕事に時間を取られ,多くの人と会う生活に明け暮れていては,「発想」はできません。手帳を予定で埋め尽くしている人は,発想とは無縁でしょう。(p141)
 ホワイトボードにマーカーで書くことには,どうしてもなじめません。単なる懐古趣味かもしれませんが,黒板からホワイトボードへの変更は,大学の知的レベルの低下を象徴しているように思えます。(p155)
 カジュアルな接触や簡単な意見交換を行なうための溜まり場が研究者には不可欠でるにもかかわらず,日本の大学や研究所には,なかなか見当たりません。(中略)大学院生も,研究室は要求するにもかかわらず,集会室は要求しません。これは,日本の研究スタイルが,「研究室閉じこもりスタイル」であることを如実に示しています。(p167)
 読書は,うまく行えば,著者とのディスカッションとなります。対話の相手として読むことができるのです。したがって,本は,理想的なインキュベーターの代替物となります。(中略)しかも,相手は,現在生きている人に限られません。歴史上の最高の頭脳と対話することもできるわけです。考えてみれば,素晴らしいことです。(p174)
 本を読むとき,多くの人は,学ぶ姿勢で読みます。(中略)しかし,ここで述べている読書は,受動的に読むのではなく,能動的・積極的に読むのです。対話するつもりで,本に語り掛ける。大袈裟にいえば,本と格闘するのです。このためには,こちらで問題意識を持っていることが必要です。読み手の頭が空では駄目です。(p176)
 私の観察では,官僚病患者は,中央官庁より地方や関連組織に多く見られます。そして,幹部職員よりは下級職員に多く見られます。また,日本の大企業の多くは,官庁より官僚的です。こうした組織が,創造的な日本人の潜在力をなんと無駄にしていることか。これらのエネルギーが解放されたら,日本は大きく変わるでしょう。問題は,個人の能力でなく,それを殺してしまう社会制度なのです。(p231)
 官僚組織とは,小さな失敗を認めないために,知らぬうちに大きな失敗を犯す組織なのです。(p234)
 私は,(KJ法に代表される)マニュアル的発想法に頼ろうと思ったことはありません。その理由は非常に簡単です。これらを使って優れた発想が生まれたという実例を,知らないからです。(p244)
 「定型的なルールを覚え,それにしたがわなければならないのだとすると,発想とは何と面倒で退屈な作業だろう」と,私は感じます。(中略)自由であるべき発想を,定型的な方法に閉じ込め,一定の手続きで行われなければならないというのは,本質的なところで誤っています。(p248)
 思考は,最終的には文章,図,数式などの形で顕現化されます。ですから,どこかの段階で,形のあるものとして外部化されなければならないのは事実です。問題は,「どの段階で外部化するか」なのです。KJ法は,これを素材の段階(あるいはそれに近い段階)で行っています。つまり,まとまりのない四国の断片を書き出し,それらの関連付けを物理的な作業として行なおうとしています。そのことを川喜田氏は,「データをして語らしめる」と述べています。しかし,まさにこの点こどが問題なのです。(中略)コンピュータにたとえれば,KJ法は,いちいち外部メモリと情報交換するようなものです。したがって,スピードが著しく遅くなります。発想のためのデータはワーキング・メモリーになければならないのです。そして,高速の情報処理をやらないと駄目なのです。このように,「普通の人は頭の中でやっている作業を,なぜわざわざカードに書く必要があるか?」という点が,KJ法に対する最大の疑問です。(p256)
 より本質的な問題は,「日常的な観察,見かえ上の関係,あるいは表面上の類似性などに囚われては,真の関係は見ぬけない」ということです。(中略)もし人類がKJ法的な方法にこだわっており,「データをして語らしめる」という方法論から抜け出せなかったら,近代科学は生まれなかったでしょう。(p261)
 関連付けを考えたり,マトリックスで考えたりという方法は,部分的には,あるいは無意識的には,われわれが日常的に行なっていることなのです。問題は,それを定式化し,ルール化することです。そして,ルール化された手続きに固執することであり,「そのルールにしたがえば自動的に発想できる」と依存してしまうことです。(p262)
 他人の研究を読まないことによってのみ独創的である人もいるが,これはしばしば見せかけの独創性であり,シュンペーターが〈主観的独創性〉と皮肉って呼んでいたところのものである。(サミュエルソン p277)
 積極的に求め,挑戦しなければ,何事も起こりません。しかも,時間さえかければ結果が生まれるというわけでもありません。真剣にならなければ,決して成果は生まれません。そして,必要性がなければ人間は真剣になりません。ですから,どうしても何かを生み出したいという,強いインセンティブとモチベーションがなければなりません。そうでなければ,寝食を忘れて仕事に没頭する状態にはならないでしょう。(p280)
 創造的活動を行なうのに,高い知的能力は必要でしょうか? これに関して,つぎのような話があります。ある出版社の社長が,創造性がない社員が多いことを心配して,心理学者に調査を依頼しました。1年間社員を綿密に調査した結果,創造性のある人々とない人々の間には,たった1つの差異しかないことが発見されました。それは,「創造的な人々は自分が創造的だと思っており,創造的でない人々は自分が創造的でないと思っている」ということでした。(中略)これは,歴史上の大学社や文学者などを見ても裏付けられます。発想や創造に知能指数はあまり関係がないのです。(p290)

2020年6月4日木曜日

2020.06.04 『ウォルト・ディズニーの言葉』

書名 ウォルト・ディズニーの言葉
発行所 ぴあ
発行年月日 2012.03.14
価格(税別) 1,200円

● ディズニーはコロナの影響を正面から受けている起業のひとつだろう。もちろん,持ちこたえるに違いないが。
 舞浜のTDRにはバッタリ行かなくなって,10年近くになるか。その間,香港には何度か行ったけれども,今後はそれも難しくなりそうだ。行かなくても命に別状はないわけだけどね。

● 以下にいくつか転載。
 今,我々は夢がかなえられる世界に生きている。(p8)
 とにかく中に入り込むんだ。選ぶのではなく,中に入る。まずは一部となって,そこから上を目指してみるんだ。(p23)
 誰にでも締め切りが必要だ。締め切りがなければ気持ちが緩んでしまう。(p58)
 ビジネスマンって連中は,話を聞かないんだ。だから何か一目で分かるような物を見せなきゃならない。(p60)
 前衛的なものはやめといたほうがいい。商業主義でいくんだ。アートとはそもそも何か。要するに大衆が好むものだ。だから彼らがほしいと思っているものを与える。商業主義に徹して悪いことは何もない。(p67)
 ほかの連中は知性に訴えようとするが,僕たちは感性に訴えている。知性に訴えようとしたら,ほんの一握りの人たちにしか届かない。(p69)
 私は6歳の子どもであれ,60歳の大人であれ,すべての人が心の中に持っている“子ども心”に響く映画を作る。(p75)
 仕事をうまくこなすためには,やってあげたいと思う誰かがいることが大切である。人生の素晴らしい瞬間というのは,自分ひとりのためよりも,愛する者たちのために行ったことに結びついている。(p81)
 ディズニーランドには終わりがなく,常に発展させ,プラスアルファを加え続けられる,つまりは生きものだ。生きて呼吸しているから常に変化が必要なんだ。(p93)
 ゲストに対しては,いつも少しでも付加価値を与えてあげるんだ。投資の価値はあるよ。もし人が来なくなってしまったら,また来てもらうには十倍の費用がかかってしまうのだから。(p102)
 お金は,それがないとアイデアを実行できないので,私を悩ますからもしれないが,夢中にはさせない。私を夢中にさせるのはアイデアだ。(p109)