2023年12月17日日曜日

2023.12.17 田辺聖子 『老いてこそ上機嫌』

書名 老いてこそ上機嫌
著者 田辺聖子
発行所 文春文庫
発行年月日 2017.05.10(単行本:2010.01)
価格(税別) 680円

● 大きい活字でゆったりと組んである。年寄りにはありがたい。
 世にあまたある老人本を読んでいる暇があったら,本書を繰り返し読み返す方がよほどいいなと思った。

● 名言集というか箴言集なので,そういうものから転載するのも何だかなぁと思うが,以下にいくつか転載。
 私は,人間の最上の徳は,人に対して上機嫌で接することと思っている。しかしこれは中々にむつかしい。(p3)
 幼なごころにも,殊に好きだったのは,幼な子の初節句などの寄合いで,赤子をかこむ家族たちの,輝くような笑顔だった。いま,年を重ねた私は,歳月を経て,人生を重ねた人々の面輪に,深い共感と,愛を感じずにはいられない。(p4)
 時間を自由に使えるというのは,これは,無為に生きている人間には拷問であるが,人生が充実している人には,すばらしいおくりものである。(p27)
 私がはかない物あつめをするのは,「驚かされたい」という気分があるからだ。(p30)
 女の幸福は,男のひとに対して,好奇心むらむら,という状態でいられるときであるように思われる。(p32)
 「熟年は和して同ぜず,若輩は同じて和せず」である。老婦人は貴婦人でもあらねばならぬ。群れること無用(p34)
 若さ・美貌・才気などというものも,一生持ちつづけて終点へ到着できると,いちばんいいのだが,こういうのは,わりに早く乗り換えの駅がくる。(p42)
 何よりも気概がないから人を招べないのではあるまいか。「自分の領土に,客を迎える領主」の気概である。(p49)
 〈コンマ以下は切り捨て〉というのである。コンマ以下とはなんぞ。人の世の,もろもろの下らぬことである。(p54)
 士はおのれを知るもののために死に,女はおのれを喜ぶもののために化粧をするそうだが,こういう人がいなくちゃ,私も長生きしている甲斐がない。(p57)
 シンプル対ゴテゴテ,これは各人の好みであろうけれど,人間の世の面白み,という点からいえば,「コトバのゴテゴテ」がなるべくあるほうがいい。(p78)
 仕事を一生けんめいして,丈夫で「よく笑う」女の子は,抛っておいても美人になってくることを発見した。そうしてその美人性は伝染する。(p92)
 私は,自我定期券説である。定期券を改札口で出してみせるように,出すべき処だけ,自我を出せばいいのであって,いつもいつも出して見せびらかすものではない。(p99)
 元気の光源になれるような人は,どんなに年をとっていても,少女であり,少年である。(p112)
 思いこみがあっては,べつな考え方なんてできないのだ。(中略)思いこみがあると,センスも技術も退歩してゆく。(p155)
 私は,若い女性は絶対に正直であってほしいと思う。(中略)若い女性らしい感性的な正直さで,「なんや,気色わるいやないの」という,肌になじまないものはいやだ,というふうな正直さを身につけてほしいと思う。(p179)
 司会の釣瓶サンが,「女の子は僕からみると,みんなかわいらしいのに。ブスなんか一人もおらへんよ」といっていた。私も全く同感である。(p195)
 誰や,女はかよわいもの,なんていう奴。たくましいでェ。すばやいでェ。しかもたのもしいでェ。(p200)
 失われたものを取り返そうと思うと,これは「しんどい」ことである。(中略)それよりも,あとへ残されたもので勝負する,日々少なくなるカードを切り直し切り直し,手持ちのカードだけでなんとかやりくりするほうがよい。(p206)
 老成というが,あれはウソである。(中略)あるときから鍍金は剥げはじめるのではないかと私は疑っている。蓄積した知識は錆びつき,共用はストンとずり落ち,洞察力は偏見と独断で曇るのではないか。(p210)
 自分では若さを失いつつあることを,よく知っている。しかし「若さ」から「いさぎよく引退」したくはない,また,人にもそう思われなくない,その矛盾に不安をおぼえつつ,去勢を張らずにいられない,そのへんのマゴマゴぶりに私は何ともいえぬ人間の旨味を見出す。男も女も,そのへんに色気があるといってもよい。(p211)
 お心にまかせて,先のとりこし苦労をせず,昔のことは忘れて,今を元気にたのしく,というのが私の方針である。(p216)
 年をとれば,自分で自分を敬わなければいけない。自分がへりくだってつつしむのはほんとに好きな人,尊敬できる人の前だけである。(p220)
 人生の最後まで,たのしめて,「おもしろかったネー」「じゃまた。バイバイ」と,たがいにそれぞれの棺へ入り,フタをしめることのできる,そんなうれしい相棒は,男なのだ。子供ではないのだ。(p222)

2023年10月11日水曜日

2023.10.11 鹿島 茂・井上章一 『京都,パリ この美しくもイケズな街』

書名 京都,パリ この美しくもイケズな街
著者 鹿島 茂
   井上章一
発行所 プレジデント社
発行年月日 2018.09.28
価格(税別) 1,200円

● 面白い。ティプスというのか,細かい知識がずいぶん増えた。欧州の聖職者たちの生々しい部分や,娼館が情報活動の拠点になっていたとか,地方の武士が京に赴くのを嫌がらなかったのは京女と遊べる楽しみがあったからだとか,そういう話。
 京都の洛中に住む人の品性の下劣さも。洛中人に限らず,人はこうなるものだけどね。差別やいじめを産む元になる心ばえというのは,人の本性の部分に鎮座ましましているんでしょうね。爬虫類脳にあるんじゃなかろうかね。

● 以下に転載。
 パリ生まれ自慢という人はあまりいない。(中略)フランスのパリ盆地では,親子が別居で,兄弟が平等の「平等主義核家族」が普通です。これだと,家族や家計よりも個人が最優先され,家族や家系というものはあまり意識に入ってこない。(鹿島 p18)
 たかが茶の,しかも飲み方の作法だけを伝える家が千家何代当主とか,器を扱う家の由緒がどうとかね。(中略)一般市民に毛が生えたようなのが,何百年続いているということを誇らしげに語るというのは,やっぱり,なんかどうなんでしょうね。(井上 p21)
 フランスには「売官制度」というのがあって,(中略)金ができるとブルジョワは,息子に高等法院の官職を買ってやり,法服貴族にする。息子が貴族になったら,親は出自を隠すために廃業する。これの繰り返しだったから,創業何年というのを誇りにする伝統というのは,生まれなかったのですね。(鹿島 p23)
 創業数百年の名家になるとね,しきたり,親戚の陰口,もう大変なんですって。(井上 p26)
 鹿島 城ってね,船を持ってるのと同じで,買う値段より維持費のほうが高い。だから1億円でシャトーを買ったら,年間の維持費も1億円かかると思わなきゃならない。(中略)
 井上 じゃあ,シャトーの持ち主はある意味で,文化庁に代わってフランス文化の保存係をボランティアで担っているということに。(p29)
 フランスのブルジョワというのは,元はといえば基本的にどケチで,かなり節約タイプの人が多い。(鹿島 p37)
 鹿島 大手町の首塚ね。(中略)あの将門の首塚は一等地にありますが,祟りを恐れて絶対動かしませんよね。
 井上 僕はね,不思議やと思うんですよ。周辺の企業,三井物産かな。机と椅子が全部,将門公へお尻が向かないように設置されている。それは,要するに皇居へ尻を向けるのは構わないということですよね。
 鹿島 不敬よりも,怨霊のほうが怖い。(p44)
 キリスト教というのは,基本的に「この世は地獄で,あの世は天国だ」という考え方ですからね。キリスト教圏で幼児死亡率がなかなか抑制されないで,人工が増えなかったのは,「子どもが死んでも,天国にすぐ行けるからいいんだ」という考え方で,幼児ケアが改善されなかったからなんです。(鹿島 p46)
 井上 フィレンツェにも,世界最古の赤ちゃんポストみたいなのがあると聞いたことがあります。(中略)結局,それは修道士がしでかした不始末の処理場やったんじゃないかなという気がするんですよ。
 鹿島 不始末の処理場ということだったら,女子修道院がそうですね。(中略)女子修道院というのは,18世紀ころまでは,不慮の形で妊娠してしまった女性が子どもを産む場所ではあったんですよ。(中略)秘密の産院の機能を果たしていたことは確かですね。(p46)
 井上 ジャン・ジャック・ルソーなんて,みんな里子に出して。
 鹿島 はい。子どもの大切さを説きながら,自分の子どもは片っ端から棄児院に入れていた。(p47)
 アメリカにおける,ただし東海岸におけるフランス・コンプレックスは,かなりものがあります。(鹿島 p52)
 中世,たとえば百年戦争以前の段階においては,禁欲主義というものは,地に落ちていたんですね。(中略)ヨーロッパ中に女子修道院は,売春宿にほとんど等しかったようです。坊さんのスケベさ,悪辣さというものが,極まっていたことは確かなんですね。(鹿島 p56)
 滋賀の三井寺の坊さんに聞いた話ですけど,ご当人が銀座のクラブで僧服のままで入って行った。すると,周りの目が凍っていたと。(中略)「ああ,しもた。ここは京都とちごたんや(中略)」と。そう,堂々とおっしゃっておられました。(井上 p58)
 井上 京都の守護警備に,関東武士たちが唯々諾々と仕えました。何年か働くと,「何とかの守」にしてもらえる。(中略)だけど,私はそれだけじゃないだろうと思う。やっぱり,簾の向こうに垣間見えるお姉さんの姿も,彼らをつき動かしたんじゃあないか。(中略)京都の無力ならぬ美人力が政治的にも大きく働いたのではないかと思うんです。(中略)
 鹿島 フランス史でも,明らかにありますね。それは,なぜドイツ軍はパリを目指すかという話で。(中略)パリの女に対する,ドイツ人の幻想は大きいんです。しかも,ヒトラーのパリ占領でも繰り返されたんです。(p73)
 平安文学を読んでいると,朝廷の貴族たちは,一日中色恋に明け暮れているように思えてしまいますが,彼らは結構働いているんですよ。(中略)ただ,平安文学は主に女の人が書いているので,女の人は彼らの働いている姿を見てないんですよね。(井上 p103)
 井上 紫式部自身が,ということではないですけれども,彼女のいた世界はやっぱり,男にとっての「銀座」だったんだと思います。
 鹿島 そういうことですね。男はいろいろなことを自慢したいがために,そこにやってくるわけだからね。(p103)
 私はラ・ロシュフコーを初めて読んだとき,(中略)京都のおばはんが口にすることと,よう似てるなあとも思いました。(井上 p106)
 痴漢の出現率が,他国より高いのも,普段接触を禁じている日本文化のせいなんですよね。(中略)痴漢は,ハグができない日本文化のひどい副産物なんですよ。(井上 p113)
 脚が隠されていたのに対して長い間,上半身の露出には,ヨーロッパは非常に寛容でした。(中略)胸元の乳首のところだけを辛うじて隠して,肩は完全に露出する。つまりデコルテが夜会・舞踏会文化における公式の礼服となった。(中略)何人といえどもこれには逆らえない。日本の皇妃様だって,デコルテにせざるを得ない。(鹿島 p115)
 江戸時代の日本では,京都でも江戸でも,ファッションリーダーになったのは,歌舞伎の女形なんですよね。(中略)女装の男がファッションリーダーになったわけですよ。だから,胸がふくらんでいるなんていうのは下品。寸胴ぐらいのほうが美しいとされた。(井上 p118)
 鹿島 そのパリジェンヌ幻想の頂点であるパリのムーラン・ルージュやリド,あるいはクレイジー・ホースで踊っているフランス人は減っている。背が高く,スタイルが良く,美人で,肉付きもいいという,全部の条件を備えた女性となると,ロシアやバルト三国,あるいはウクライナなどの出身になる。(中略)
 井上 京都の祇園の芸妓さんも,京都出身の女の子はほとんどいないですから。(p125)
 それこそ世界中の外交使節が,パリで恥ずかしいことをしはるわけじゃないですか。そして,彼らの女遊びは,しばしば外交機密を娼館側にもたらします。だから,フランス政府も国益を考えれば,彼らに女遊びをさせたい。そのため,取り締まりはほどほどにしてしまう。(鹿島 p128)
 文化の魅力って,多くのおっさんにとっては,女道楽のテイストを請け合ってくれることだったと思います。(井上 p129)
 上海でね,そういう娼館を通した秘密情報が一番飛び交ったのは,フランス租界なんですよ。ドイツは第二次世界大戦でフランスを占領したので,フランス租界の管理人にもなりました。でも,娼館には手をつけなかった。そこで入手できる情報は,やはり大事だと思ったんでしょうね。(井上 p129)
 パリジャンにとって,処刑というのは最大の娯楽,見世物だから,中心を離れるわけにはいかない。(鹿島 p142)
 上流階級は邸宅から馬車で出て,チュイルリー公園などに直接散歩に行く。つまり,街中は歩かなかったんですね。(中略)だから,街中がいくら汚くても,そこを歩かない上流階級には関係ない。(鹿島 p144)
 墓地って,だいたい中心部から見て,西の外れにあるでしょ。日の沈むほうに。これは洋の東西を問わない。(鹿島 p145)
 パリを歩くと,日本人にとってはどこも古い街並みのように見えるけれど,実は大半が1867年ごろ,日本でいえば明治維新のころに建てられたにすぎないんです。(鹿島 p160)
 京都ではね,応仁の乱が終わった後,上京と下京の中間地帯は焼け野原になって,何もなくなるんですよ。(中略)秀吉の時代になって,(中略)近江とか伊勢から入ってくるんですよ。この新参者を「中京衆」と呼んでいたんですね。(中略)中京衆は,島原の遊郭では遊ばなかったんです。いや,遊べなかったのかもしれない。(中略)そんな新参者に見出された遊興地が祇園なんですよ。(井上 p160)
 ルーマニア人って,ラテン気質なんです。(中略)男は飲んだくれの道楽者で,稼ぐのは女というタイプの国だそうです。日本でいったら,土佐みないなもんです。(鹿島 p170)
 商人たちが付き合う権力の館は,御所じゃあなく,二条城やったと思うんですよ。幕府の出先である所司代,京都所司代だと。(中略)この近辺の,とりわけ政商たちは,天皇が東京へ移ったこと以上に,幕府がついえ去ったことを残念がったような気がするんですよ。(井上 p172)
 京都は,もう江戸時代から,江戸=東京をパトロンに持つ街として生き延びる方向を選んでいたんではないでしょうか。「江戸=東京何するものぞ」とは,あまり思わなかったんじゃないかな。(井上 p174)
 幕府の統制から離れて,日本の建築は,「表現の自由」を獲得したんですよ。ヨーロッパの都市では,いまだにあり得ない「自由」を。(井上 p178)
 京都観光のガイドブックが充実してくるのは,江戸時代の中ごろからなんですよ。そのころから,京都の経済力は落ちていて,京都の商人たちは,本店機能を大阪に移し始めるんですね。(井上 p194)
 伊勢は応仁の乱以降,収入が途絶えるので,遷宮を一切しなくなるんですよ。100年ぐらい経って,もう昔の伊勢神宮がどんな形をしているのかわからなくなって。今のは,その後で新しく造り出したものなんですよ。(井上 p199)
 文化立国というのは,要するに文化で人をたぶらかして来させるということですからね。(鹿島 p200)
 鹿島 パリがコンプレックスを抱いたことのある都市って,ローマだけなんですよ。
 (中略)
 井上 それは,西洋世界全部そうじゃないでしょうか。ワシントンなんて,ローマ帝国に憧れているとしか思えないような作りですから。(p231)
 鹿島 パリでおいしいレストランを探すのは意外に大変です。フランス料理って,基本的に時間をかける料理なんです。ソースが重要だから。時間をかけないで素材を活かした料理となると,イタリアンに絶対負けるんです。
 (中略)
 井上 安い食い物に関しては,京都より大阪のほうが絶対おいしいです。(中略)値のはる店だと,京都も水準は高そうですけれども。(p236)
 もともと農村から締め出された余剰人員が,暴力化したのが騎士だから,都市民のブルジョワジーとは相いれない。(鹿島 p240)
 商人には痩せ我慢の精神がない。商人は,おいしいものを愛でる。グルメの先駆けでした。そして,大阪は商人の街だったんです。(井上 p243)
 「考えるとは比較することだ」というものです。言い換えると,観察すべき対象が二つ以上なければ比較することは不可能なので,考えることもまた不可能だということになります。(鹿島 p266)

2023年10月9日月曜日

2023.10.09 和田秀樹 『六十代と七十代 心と体の整え方』

書名 六十代と七十代 心と体の整え方
著者 和田秀樹
発行所 バジリコ
発行年月日 2020.06.25
価格(税別) 1,200円

● 著者の既刊本と内容は重複するところがある。大事なことだから何度も書く,一度では通じないから繰り返し訴える,ということもあろうし,読者側も読むと元気が出る(ような気がする)から何度も読みたい,ということかもしれない。
 同じ本を何度も読むよりは,多少とも違ってる方が読んだ気がするからと,新著を求める。同じ人たちが読んでいるのだと考えないと,ベストセラー現象の説明がつかないからね。

● とはいえ,著者のベストセラー群の中で本書が最も読み応えがあるというか,お堅いというか。ですます調の軟らかい文章にはなっているんだけれども,内容は盛りだくさん。

● 以下に転載。
 大方のサラリーマンにとって,定年は本人が自覚する以上に心身に大きな影響を与えます。とりわけメンタル面における打撃が大きく,(中略)鬱症状を引き起こすことも珍しくありません。(p12)
 よく言われることだ。ぼくも退職するときに,先輩から言われたことでもある。しかし,ぼくにはこうしたことは1ミリも起きなかった。仕事や職場に体重をかけたことがなく,半分退職してるような気分のまま務めていたからだ。退職によって失ったものがない。やっと自由になれた歓びでいっぱいだった。
 あと,辞めたのが2020年の3月だったこと。コロナで世界が一変するその始まりに辞めたので,退職して云々はコロナに吸収された感があった。
 特に所属願望の強い日本人にとって,会社という「場」の喪失によりアイデンティティの揺らぎを引き起こすことが多々あります。(p14)
 これもぼくにはなかった。所属願望なんてなかったから。自分の勤務先が自分にフィットしているとはとても思えなかった。もちろん,適応しようとはしたし,それなりに適応できていたと思うんだけど,それとここに所属していたいと思うかどうかは別の話でね。退職時にはサイズが合わない服を脱ぎ捨てられたような爽快感があったけどねぇ。
 コロナだったから送別会だのがすべて中止になり,妙な儀式につきあわされずにすんだのも有り難かった。コロナ様々。
 以上に関しては,ぼくが少数派ということでもないような気がする。つまり,退職によるアンデンティティの揺らぎなんてものは,すでにだいぶ少なくなっているんじゃなかろうか。
 「老害」なんてものはありません。確かに高年世代の中に周りに迷惑をかける,つまり「害」をなす人間はいるでしょう。けれども(中略)害をなす人間はどの世代にもいます。(p22)
 本当にディメリットを与えるような人間であれば,高年だろうと若年だろうと友情は組織から排除されるはずです。その人物が居座っているのは,その組織にとって何らかの意味があるからに他なりません。一方で,判断力のない若い政治家や経営者は世の中にいくらでもいます。(p22)
 すべての人間は自分が世界の中心だと潜在的に意識しています。自分が在って世界が在る,人間の自意識とはそういうものであり,人間が人間であるための実存的真理です。(p24)
 高年者をはじめとする社会的弱者を差別し攻撃する連中に共通しているのが,表現は異なっても,まさにこの「生産性」の高低を論拠にしている点だからです。彼らに決定的に欠落しているのは,一言で申せば「明日は我が身」という想像力です。一寸先は闇,明日何が起きるかなんて誰にもわかるはずがありません。(中略)彼らは,そんなことさえ想像できない。要するに馬鹿なのです。(p28)
 私は,彼らが尊厳死などと言えるのは本人がまだ元気だからだと思っています。(p35)
 そもそも,生きたいという医師は人間に備わった本能です。したがって,たとえ家族といえども本人の意志とは無関係に,かわいそうだと勝手に決めつけて治療を中止するのは,やはり高年患者に対するある種の差別ではないでしょうか。(p36)
 私は「競争」を有益だと考えるものです。競争には,個々の人間を鍛え,結果的に全体のレベルを向上させるという原理が在るからです。(中略)競争のない環境下では人間に備わった諸々の潜在能力は向上しない(p39)
 個人が努力と創意工夫によって富を得ることは,何ら悪いことではないと私は考えています。ただ,その富は市場という名の「一般大衆」という存在があってこそ獲得できるわけです。したがって,成功者が自ら得た富の一部を,税金というかたちで大衆に還元するのは当然のことではないでしょうか。(p45)
 細胞にとって活性酸素はガンと並ぶ天敵とも言うべき存在です。(p59)
 大部分の人は高年になると病気になり,また介護など支援を必要とするのが現実です。(中略)迷惑をかけられたり,かけたりするのが人の人生であり,まったく気に悩むことはないのです。(p81)
 生きているからこそ病気になる。そして病気になるということも私たちの人生の一部であり,そこには何らかの意味が介在するはずです。(p82)
 すぐに動くということは大切です。動けば何らかの変化が生じます。行動するということは,不安を緩和する効果があるのです。(p88)
 雨風をしのぎ安心して眠れるという「家」に求められる本質的機能は,立派な家でも質素な家でも変わりありません。(中略)実のところ,我々の生活の中で本当に必要な人や物はとても少ないはずです。(p89)
 裕福だからできることもあるでしょうが,裕福だからこそ手に入らない幸せもあるのです。目を凝らして周りを見渡せば,「幸せ」はそこかしこに点在しています。そして,意識的に行動すれば金をかけなくても幸福感は得られるのです。(p90)
 老いるのも,病気になるのも,死ぬのも,この根本原因は生きているからです。そして,なぜ生きているのかと言うと生まれたからです。こんなに思い通りにならない人生であるのなら,いっそこの世に生まれてこなければよかったと考えても,もちろん思い通りにはなりません。(p102)
 常識のない人間や無神経な言動をとる人間というのは,どこにでもいるものです。そんな連中に腹を立てるのは正当な感情であり,否定する必要はまったくありません。けれども,そうした感情をひきずるのはよくありません。そんな感情はほっておけばいいのです。つまり,気にしなければいいのです。(p106)
 私たちはそれぞれ唯一無二,オンリーワンの存在として生まれてきました。考えてみれば不思議な縁であり,奇跡のようなことではりませんか。だからこそ,人生は誰にとっても貴重であり,高年になっても生きている間は生きることに懸命になるべきなのではないでしょうか。(p110)
 一つの食品に執着し他の食品の接種がおろそかになることは,とても悪いことだとも思っています。(中略)理想的な食生活とは,肉も魚も野菜も,要するに何でもバランスよく食べるということに尽きます。(p118)
 加齢に伴う食の嗜好の変化,すなわち少食になり脂肪を含む食品を忌避するようになることを放置したままでいると,自然の摂理に従ってそのまま徐々に老け込んでいきます。(中略)それでいいのだ,と達観されているのであれば,私から申し上げることはありません。(p122)
 臓器の活動時間ではない時間に食事をすると臓器に大きな負担をかけるので,不規則な食事は避けるようにしてください。(中略)臓器の活動時間からすると,朝食は七時~九時,昼食は十二~十四時,夕食は十九~二十一時が食事をとるのに望ましい時間です。(p125)
 ただでさえ,食事がおろそかになりやすい高年者にとって,食事を抜くなど自殺行為に等しいのです。(p125)
 一般に夕食には肉類など重い食事をとりがちですが間違っています。(中略)軽めの食事にしてください。(中略)夜は体に蓄積された老廃物を処理する腎臓の機能が高まっているので,なるべく水分をとるようにしてください。(p127)
 「散歩は旅だ」と誰かが言っていましたが,確かに「小さな旅」と言えなくもありません。(p144)
 煙草の成分には血管を収縮させる物質が必ず入っています。血管が収縮すると体内に酸素が行き渡らなくなるため様々な悪影響が生じます。体内の酸素は少な過ぎても多過ぎても老化を促進する原因となります。(p149)
 六十五歳以上の方にとって,禁煙するかしないかは微妙なところではあります。というのも,二十代から六十歳を過ぎるまで吸い続けてきた場合,禁煙による体の改善効果はあまり期待できないからです。有体に言えば,手遅れだということです。(p149)
 喫煙は恒常的に毒を飲んでいるようなものだし,今後確実に値上がりが続くであろう煙草にかけるコスト,そして禁煙によって間違いなく食べ物がおいしく感じられ食欲が増進することなどを考え合わせると,やはり止めるにこしたことはないでしょう。(中略)本書を読まれたことを機に禁煙にチャレンジされてはいかがでしょうか。(p149)
 著者がここまで明確に煙草を否定しているのは,本書が最初で最後かもしれない。
 心と体の大敵はストレスです。そして,往々にしてストレスは「がまんする」ことから生じます。(中略)「がまん」はすべてよろしくありません。(p152)
 基本的には「自分は自分,人は人」というスタンスで生きていくのが高年世代の心得としては正解です。(中略)「大きなお世話だ」と胸を張って我が道を行けばいいのです。何せ,一回こっきりの人生なんですから。(p153)
 人間はメンタルにおいてもフィジカルにおいても複雑系の存在です。今度は「ストレスのない生活」自体がストレスに転化するのです。(p154)
 高年世代の理想的生活の在り方は「心はノンビリと,脳と体は活発に」ということになりましょうか。(p154)
 活動的なのはいいことですが,毎日の時間割を作成するといった細かいスケジュールは立てない方がいいでしょう。なぜなら,スケジュールに押しつぶされるからです。(中略)せっかく自由な時間があるのだから,予定は大雑把でいいのです。(中略)出たとこ勝負,その日の気分の赴くままに活動すればいいのです。(p155)
 使わないまま死んでしまえば儲蓄も意味はありません。(中略)使える金は自分や妻(夫)のためにどんどん使うべきです。(中略)それも,できれば「モノ」よりも「コト」,すなわち体験に使うべきでしょう。というのも,「モノ」はアンチエイジングに影響を与えませんが,「コト」は確実に心身を活性化します。(p158)
 歳をとったからといって枯れる必要は全然ないと私は思っています。生きている間は懸命に生きようとする在り方,すなわち生命力自体に真の「美しさ」が宿ると考えているからです。そして,生命力の源は「欲望」です。したがって,人間の欲望を抑圧することは,生命に対する冒涜ではないかと私は考えています。(p159)
 要するに,太守は誰かを罰したいのです。他者の不正義を糾弾してスカッとしたいわけです。そして,マスコミはそうした大衆の暗い情念をすくい取り,迎合した記事を流します。(中略)こうしたマスコミと大衆の関係,その他罰感情は卑しく不健康であると言う他ありません。(p160)
 性欲を抱くことが不道徳だと言うのであれば,私は躊躇なく不道徳であることをおすすめします。(p162)
 バイアグラの効能はED治療にとどまらず,血管内皮機能を高め動脈硬化によって血流が悪くなった血管を改善することが最近になってわかってきました。要するに,血管を若返らせる機能です。血管が若返ると,体の様々な機能も改善します。(p162)
 「不良上等,余計なお世話だほっときな,私は私で生きていく」と開き直ってみてはどうでしょうか。(p163)
 人間,恰好をつけなくなったら終わりです。(p170)
 高年世代の方々に私がおすすめしたいのは,自ら情報を発信することです。(中略)脳のアンチエイジングにとても効果的だからです。(中略)文章を書くという行為は脳を刺激し活性化します。私的なメモや定型的な企業文書などと異なり,公開を前提とした文章を書くためには頭をフルに使うことになります。(p173)
 あらゆる事象は立体的であり,正面から見るだけでなく斜めから見たり,裏側にまわって見たりしなければ,その輪郭の総体を正確に捉えることはできません。(p176)
 私が臨床の現場で学んだ最も大きなことは,とてもシンプルなことでした。それは,人間はすべてオリジナルな存在であり,それぞれの人生に優劣などないという当然過ぎる真理でした。(中略)よく「平凡な人生」という言い方をしますが,実のところ平凡な人生などありません。人それぞれ固有の喜怒哀楽を経てきて,固有のドラマを有しています。だからこそ,個々の「生」には意味があるのです。(p201)
 そもそも八十歳以上になれば認知症を発症している人と,これから発症する人という二種類の人しかいないと言ってもいいでしょう。(p204)
 人間が生物である以上死も平等にやってきます。要するに必然であるわけです。必然的にやってくることをあれこれ悩むのは無意味であり,精神の無駄使いです。なるようになる,それが人生だと思い定めれば,心はずいぶんと軽くなるのではないでしょうか。(p205)
 医者の不養生という言葉がありますが,一般に医者は自分の体に無頓着であり,薬や定期健診を好みません。おそらく,数多の治療にたずさわる中で寿命なるものが運命であること,そして健康という概念の本質を直感的に感じ取っているからでしょう。(p205)

2023年10月5日木曜日

2023.10.05 若宮正子 『88歳,しあわせデジタル生活』

書名 88歳,しあわせデジタル生活
著者 若宮正子
発行所 中央公論新社
発行年月日 2023.07.10
価格(税別) 1,350円

● 副題は「もっと仲良くなるヒント,教えます」。
 内容はさすがに著者の既刊本と重複している。本書で新たに説かれている部分はほぼない。しかし,出せば一定の購入層がいるということだろう。
 老人本は堅いということですかねぇ。老人には本を読む人が多いのかもしれないね。

● 以下にいくつか転載。
 失うものばかりと思っていた老いの日々に,新しい可能性,学ぶことの楽しさ,生き生きとした毎日を連れてきてくれます。そう,シニアとデジタルは,とっても相性が良いのです。(p5)
 彼らと自分の考えはもしかしたら合わないかもしれないけれど,相手を「理解しようとする」ことは,これからの社会ではとても大切な姿勢ですから,インターネットがその助けになってくれると思うのです。(p39)
 「先生の教えるとおりにしない生徒ほど上達が早い」というのもデジタルの面白いところ。(p123)
 スマートフォンには,利用するすべての人ができるだけ便利に扱えるように,視覚・聴覚にハンディキャップのある人や高齢者に向けての機能が備わってします。(p137)
 人生100年時代には,いつまでも学び続ける気持ちが人生を豊かにしてくれます。(中略)その時々に必要な学びを積み重ねていくことが大切でしょう。私が特におすすめしたいのが,理科系の学び。(中略)理系老人「リケロウ」を増やしていくことが,マーチャンのこれからの大事な使命だと考えているのです。(p178)

2023年9月30日土曜日

2023.09.30 和田秀樹 『70代で死ぬ人,80代でも元気な人』

書名 70代で死ぬ人,80代でも元気な人
著者 和田秀樹
発行所 マガジンハウス新書
発行年月日 2022.03.31
価格(税別) 1,000円

● 出す老人本が片っ端からベストセラーになっている感のある和田秀樹さんの1冊。本書で何が説かれているかというと,「元気なうちはなんでもやって生活の自由を楽しむ。そういう人のほうが老化を予防でき,脳を刺激して認知症の進行も遅らせることができます。「何事も用心するに越したことはない」と受け止めていろいろな制限や制約を生活の中に持ち込んでしまうと,それだけ老いを加速させることになりかねないのです」という,174ページにある文章に集約できそうだ。

● 和田さんの本がベストセラーを連発するほどに読まれているとすると,定期健診を受診する人は減っているんだろうか。健診なんて意味がないという意見だからね。むしろ,薬を強制することになって害を為すとも読めるくらいだ。
 現役組は強制的に受けさせられることになるが,引退組はどうしているんだろう。受けたければ現役のときと同じくらいの自己負担で受けられるようだ。しかし,ぼくは受けたことはない。これからもないと思う。

● ちなみに,現役最後の年に受けた健診で糖尿病だと指摘された。食事だの運動だのに気をつけるというレベルを超えてはっきり治療が必要だ,と。
 やむを得ず近くの医院に行ったんだけど,そのうちにコロナになってね,病院通いは止めた。現在に至る。結果的に和田説に従ったことになる。

● 以下に転載。
 70代はむしろ,奔放なくらい自由に生きたほうがいいと思っています。(中略)70代を自由奔放に過ごした人なら,80代になっても知的好奇心を失うことなく,多彩な人間関係を保つことができます。刺激的な毎日を過ごせるのです。(p5)
 若いときなら少しぐらい血圧や血糖値が高くても薬は飲まなかったのに,自分でも「用心するに越したことはない」と受け入れるのも老いのはじまりなのかという気がします。(p35)
 でもそのとき,「だからアクティブにならなくちゃ」と考える人はどれくらいいるでしょうか?(中略)健康を気づかった節制生活は,みずから「老い」を早めることになるかもしれません。「健康でいたい」「長生きしたい」と願う気持ちが逆にその人を老け込ませてしまうとしたら,何だか皮肉な話です。(p38)
 90歳過ぎても元気な人は,用心深く生きてきたから元気なのではなく,あるいはとくに身体を鍛えたわけでもなく,自分がやりたいことをやって毎日を楽しんで暮らしてきた人が多いのです。(p44)
 心がけていただきたいのは,とにかく年齢を十把一絡げにしないことです。(中略)老いには個人差があるのですから,自分の好奇心ややってみたいことにブレーキをかけなくていいのです。(p46)
 体力が半分に落ちたのなら,倍の時間をかければできる計算です。そこで「やってられないな」と考えるのではなく,「面白いな」と考えてみてはいかがでしょう。実際,面白いのです。(中略)のろのろやってみると「そうか,こういう仕組みだったのか」とか「この作業がポイントだったのか」と気がつくことが出てきます。(p50)
 70代になると,一人が似合ってくるのです。べつに寂しそうでもないし,拗ねているようでもないし,かといって気負いも緊張している様子もありません。ごく自然体です。一人でいることが様になっています。(p56)
 老いてはじめて似合ってくる世界や様になる世界もあります。そのことに気がつけば,格好いい70代でありたいという気持ちも生まれてくるはずです。(p57)
 老化のなかには自分で呼び込んでいるものや,進めているものがたしかに含まれているような気がします。「老いは気持ちから」というのはやはり否定できないのです。(p88)
 70代であっても颯爽としていなければいけません。(中略)贅沢が絵になりますし,フォーマルなファッションもカジュアルなファッションも似合う年代なのです。(中略)おしゃれは他人に気がついてもらってこそ気分がいいのですから,行動的で人付き合いにも積極的になったほうが張り合いがあります。(p95)
 70代くらいになるとたいていの人が自覚することですが,わりと気楽に他人に声をかけることができるようになります。(中略)人見知りしなくなるのです。(p97)
 妻は夫が考えるほど妻の役割にはとらわれていません。むしろそこから抜け出せたことをずっと楽しんでいました。(中略)したがって,男性はとにかく閉じこもらないで外に出る,人付き合いでも旅行でも,自分が楽しめる世界を見つけることです。70代ならまだまだそれができる年齢なのです。(p108)
 高齢になると細胞も老化してきますから,代謝が悪くなってしまうのは仕方ありません。そこで気がついていただきたいのは,「だからこそ,食べ物でエネルギーを補充しなければいけない」ということです。(p133)
 高齢になっても自分が親しんできた世界,やり続けたいと思っていることは何でもできる。レベルを下げる,楽な方法を考える,器具やグッズの力を借りる,ときには誰かの手を借りる・・・・・・どんな方法でもいいので,とにかく諦めないことです。(p149)
 唯一絶対の正解がない限り,自分の考えや答えも一つの見方として言葉にしていいはずです。(中略)私は,そのことに10年くらい前に気がつきました。それまでは,勉強するのは「答えを出すため」だと思っていました。(中略)勉強するのは答えを求めることだと思っていました。ところがだんだん,「どんなものにも答えはない」と考えるようになりました。(中略)そうだとすれば,勉強するというのは,さまざまな可能性を求めることになってきます。(中略)いろいろな可能性を探っていくのが勉強と考えれば,終わりはなくなります。(p154)
 90歳を過ぎたお婆ちゃん同士が,昔話で盛り上がっています。何が楽しいのか,笑ってばかりいます。(中略)老いの極意がもしあるとすれば,ああいう無邪気さや,屈託のなさかもしれないとときどき思うことがあるのです。(p170)
 早期発見や早期治療は高齢者にとってはかならずしも幸せな晩年を約束しない(p190)
 朗らかに暮らせるだけで免疫細胞が元気になりますから,それがそのままガン予防にも繋がってくるのです。(p195)
 いま私は60代ですが,10年後,20年後と考えていくと,わりと単純な答えしか出てきません。まず,「楽に生きたい」ということです。たとえ,ガンや認知症になったとしても同じです。(中略)つらい闘病生活をするくらいなら寿命と諦めて生活の質を落とさないで暮らしていけばいい(p205)
 高齢になってくると,少し動いただけでつらくなってきます。そこで頑張る必要があるでしょうか。(中略)義務感や,自分を追い込む考え方からは解放されていいのが高齢になるということだと思います。(p207)
 人生のピークをどこに持っていくかというのは案外,大事なテーマのような気がします、若いころは,どうしてもそのピークを早い時期に迎えたいと考えてしまいます。(中略)ピークが遅ければ遅いほど,下り坂はありません。死ぬ直前まで幸せな人生なら,輝いたままでピークを終えることができるのです。(p211)

2023年7月21日金曜日

2023.07.21 栃木の法則研究委員会編 『栃木の法則』

編者 栃木の法則
著者 栃木の法則研究委員会
発行所 泰文堂
発行年月日 2015.02.01
価格(税別) 950円

● 3冊目はこちら。後発ゆえか,けっこう無理をしている。新味を出そうとして,ないものをでっちあげたところがあるような気がするね。
 第一は「足利市の言葉は標準語に近い」(p15)というところ。足利市の方言はズーズー弁の栃木弁とは明らかに違うものだが,標準語とはもっと違う。

● 「JR宇都宮線に乗っていて,個性的なファッションや存在感を出す人がいたら,だいたい栃木駅まで乗っている」というのは,どういうことだ? 宇都宮線に栃木駅なんてない。
 小山駅の間違いだろうか。だとしても,これは成立していないでしょうよ。

● 「温泉で有名な鬼怒川には,鬼怒商業学校や鬼怒中学校など土地名の付く学校がある」(p80)となると,ちゃんと調べろよと言いたくなるぞ。鬼怒中学校は宇都宮市にあるが(茨城県常総市にもある),鬼怒商業学校などどこにもない。
 そんな名前の商業学校がアニメでにも出てきたのかね。鬼怒商業高等学校というのは茨城県の結城市にあるんだが。もうちょっと調べろよ。

● 方言の具体例として,「おれがち=私の家(俺の家)」というのが上がっているのだが(p108),“おれがち” なんて栃木県民は言わない。“おれげ” または “おらげ”だ。君の家は “おめげ” になる。茨城県にも同じ言い方があるのではないか。
 もっとも,これも今ではほぼ死語になっていて,若い人はまず使わない。

2023年7月19日水曜日

2023.07.19 栃木県地位向上委員会編 『栃木のおきて』

書名 栃木のおきて
編者 栃木県地位向上委員会
発行所 アース・スターエンターテインメント
発行年月日 2014.02.25
価格(税別) 952円

● 構成は斎藤充博さん。地元の塩谷町出身の人。

● 「小学校も卒業式には中学校の制服を着て出席」という項目がある(p48)のだが,これは昔からそうだったんだろうか。ぼくが小学校を卒業したのは半世紀以上も前のことで,はっきり記憶にないのだが,そうしたんだったかな。
 男体山の「近くに丸っこい形の女峰山があるものだから」,男体山が「とっても雄々しい形に感じてしまう」(p145)とあるのだが,これは嘘だろう。女峰山はゴツゴツした形で,どうしてこれを女峰山などと付けたのだろうと,女峰山を見るたびに疑問に思うことになるんだよね。

● 「それぞれに地元・・・・・・たとえば宇都宮,日光,那須,小山,など個別の地域には愛着があるが,栃木県そのものに対する帰属意識は低い」(p171)とある。そのとおりなのだが,これはすべての都道府県がすべてそうなのではないかと思う。愛知県では尾張と三河は交わらないと言われるし,青森県でも弘前と八戸ではまるで違うような気がする。
 そうじゃないところがあるのか。そもそも都道府県の圏域なんてどうでもいいというのが,ほとんどの人たちにとっての共通了解事項ではあるまいか。

2023年7月18日火曜日

2023.07.18 阿久津あかを・伊武八郎 『栃木あるある』

書名 栃木あるある
著者 阿久津たかを
画 伊武八郎
発行所 TOブックス
発行年月日 2014.10.31
価格(税別) 980円

● 昨日に続いて今日も宇都宮市明保野公園に来た。申しわけないほど暇なのよ。
 言っとくけどね,暇って最高だよ。人生の究極の目標は暇になることだよ。死んだら暇になるって? 死んじゃったら暇を認識できる自己も消えるんだから,それじゃ意味がない。生きてこその暇なのよね。生涯現役なんてアホが考えることやで。
 と,芯から怠惰なぼくは思うんでした。

● で,噴水から噴き上がる水音を聞きながら『栃木あるある』を読んじまった。栃木をネタにクスリと笑える軽い読みものね。
 各県版が出ているでしょ。東京も北海道も笑いのネタに満ちているはず。

● 
かつて「ケンミンショー」という日本テレビのバラエティー番組があった。現在も「秘密のケンミンSHOW極」と名を変えて継続しているらしいけど。
 各県の県民性や方言や食べ物などをいじるのが流行った時期があった。

● 著者は地元のさくら市出身。表紙は大島優子。懐かしい。ついこの間だけれども,そういう時代があったよね,と。

2023年6月17日土曜日

2023.06.17 増田俊雄 『とちぎ「里・山」歩きⅡ』

書名 とちぎ「里・山」歩きⅡ
著者 増田俊雄
発行所 随想舎
発行年月日 2018.03.31
価格(税別) 1,500円

● 福祉系団体の機関誌に連載したものを1冊にした。ゆえに(と繋いでいいと思うのだが),年寄りでも歩けるコースが選ばれている。男体山だの女峰山だのは出て来ない(ただし,白根山や茶臼岳は出てくる)。
 自然の中を歩きたい人や高山植物が好きな人(特に年寄り)には親切なガイドブックになっている。この分野にまったく疎いぼくが言うのも何だけれども,豊富な実地の経験から選び出されたものだと思える。

● ぼくも今年になって日光を訪れるようになり,外山,銭沢不動尊,鳴虫山には登ったので,少し山歩きというものに興味が出てきている。
 といって,年齢が年齢だから,本格的な格好をして登るのは御免被りたいと思っている。気軽にヒョイヒョイと行けるところがいい。遭難の危険があるとか,おっかなびっくり登らなきゃいけない箇所があるところとか,そういうのはそういうことが好きなヤツに任せておけばいい。

● というわけで,とりあえず行ってみようかと思ったのは,日光の「稲荷川砂防堰堤群」と「神橋から憾満ヶ淵」の2つ。憾満ヶ淵には二度行っているのだけど,憾満ヶ淵までしか行かずに戻っている。憾満ヶ淵の先に大日堂跡があるらしい。それを見てみようかな,と。

● 本書には著者が撮った写真が多く掲載されており(むしろ写真がメイン),文章は全部飛ばして写真だけを見ていった。文章を読むのは,実際に出かける前でいいと思ってね。

2023年6月12日月曜日

2023.06.12 松浦弥太郎 『松浦弥太郎の「いつも」』

書名 松浦弥太郎の「いつも」
著者 松浦弥太郎
発行所 CCCメディアハウス
発行年月日 2023.02.07
価格(税別) 1,400円

● 副題は「安心をつくる55の習慣」。
 著者に,生き方,暮らし方,仕事の仕方を説いた著書は多いが,本書もその系譜に連なるもの。こうした “論” が説得力を持つか否かは,書き手が実際に歩んできた人生行路や世に出してきた仕事の実績によって,自ずと左右されるものだろう。その点で言うと,高校を中退して単身アメリカに渡って,世情を裏から眺める(眺めざるを得ない)ところから出発して,現在に至っている著者は,説得力のある “論” を展開できる書き手のひとりとなるだろう。
 「松浦弥太郎か,おまえは」という揶揄の言い方もあるらしいが,そこまでの認知を獲得するのは生半なことではない。

● ぼく一個は『本業失格』や『くちぶえサンドイッチ』『最低で最高の本屋』といった,若い頃の体験を綴った作品に今でも惹かれるけれども,著者の “論” を読むのも嫌いじゃなくて,全部ではないけれど,かなり読んでいる。
 それで自分が変われると思うほど読書の効用を高く見積もってはいけないが,活字の文章の没頭できる数時間を得ることは,幸せのひとつに数えていいと思っている。

● 以下に多すぎる転載。
 僕らが人生を使って追い求めているのは,決して,成功とか勝負で勝つとか,成果が出るとか,他人から認められるとかではないんです。そろそろ,その無限ループから抜け出しましょう。ここから抜け出さない限り,うかめるものもつかめないと思うのです。(p3)
 僕らに必要なのはしあわせではなくて安心なんです。(中略)安心とは,日々,喜びを見つけ,どんなことにも感謝をすること。夜になればぐっすりと眠れて,明日もきっと大丈夫と思える気分のことです。(p3)
 「つまらない。めんどうくさい」「意味がない。関係ない」と思ってしまうのはよくわかります。日々というのはそんなことだらけです。けれども,それを避けたり,適当に向き合ったりしていたら,日々がとても残念なものになっていきます。とにかくつまらなくなります。(p14)
 どんなことでも楽しむとは,楽しくないことが起きても,楽しむということです。かんたんなことではありません。(中略)どうであっても,すべてラッキーと思えばいいのです。(中略)楽しむことに条件をもうけないで,どんなことでも楽しもうと決めてしまいましょう。(p14)
 自分のすることすべてが否定されるような出来事が,人生にはたびたび起こります。しかし,それですら学びととらえれば,その後の自分の成長を思い,感謝して受け入れることができます。(中略)いつも感謝する。全肯定で,どんな物事もすべて受け止める。力を振り絞らなくてもそうするだけで,自然とぐんぐん前に進めます。(p16)
 予定を詰め込んで,それをこなすことが優れているのではありません。計画は,慌てたくないから立てるのです。(p24)
 喉が乾いていればいるほど一気に飲みたくなります。ゴクリ,ゴクリと飲むのは気持ちがいい。だけど喉の乾きはそれほど癒やされません。喉を通るのが一瞬だからです。(中略)ゆっくり飲んだほうがからだにもいいし,喉の乾きもやわらぐのです。(p28)
 いかに自分が毎日新しくいられるか。(p30)
 リラックスするためにもっともかんたんで有効な方法は,深呼吸することです。(中略)緊張している時は深呼吸。悲しくなった時も興奮した時も深呼吸。(p32)
 何かを成し遂げた人間に共通する点をひとつ挙げるとしたら,それは限りなく素直であることではないでしょうか。(中略)アドバイスをするとすぐにメモをして,「ありがとうございます」「やってみます」と反応する人には,誰もがサポートしたくなります。(p39)
 素直さの鍵になるのは,自分との向き合い方です。プライドや経験に足を引っ張られてしまうと,何かいわれてもすぐに「そうなんですか?」「いえ,私はこう思いますけど・・・・・・」と悪気なく反応します。何事も一度は受け止めて,自分の考えや意識よりそちらが正しいのではないかと信じてみることが必要なのです。(p40)
 歳をとっても素直な人に共通しているのは,謙虚だということ。どんなに年齢や立場が上であっても,あるいはどんなに財産があったとしても,人より自分が長けているとは思っていません。(中略)環境に恵まれたり,運や巡り合わせがよかったりしたからなど,自分以外の力があったからだと考えています。(p41)
 いつも笑顔でいれば,一日一日必ず前進します。僕は毎日そう思っています。(中略)笑顔のもとはあなたと関われてうれしいという感謝です。(p42)
 気をつけたいのは,あいさつは,できるだけ相手より先にするということです。(中略)僕自身は,人よりも先にあいさつをしようと心がけています。どんなに年下の人であっても,「あなたのことを認めています」「あなたのことを必要としています」と伝えたいからです。(p49)
 僕たちは評論家ではないので,一つひとつに同意したり反論したりしなくていい。世の中で起きていることを,ユニークは人間劇としてとらえると見え方が違ってきます。(中略)とにかくおもしろがること。(p52)
 僕は,この世界は人々だけでなく,自然も含めたすべての助け合いで成り立っていると思っています。(中略)昔も今も,私たちはあらゆる活動を通じて,互いが助け合うためにはどうすればいいのかを学んでいます。ある意味,人生はそのためにあると言ってもいいでしょう。(p53)
 もし誰も自分を助けてくれないとしたら,まだ向き合う力が弱いということです。自分によからぬ野心があったり,どこかで力を出し惜しんでいたりしているかもしれません。(p55)
 人づきあいの中で一番価値あることが信用です。信用とはどうやってつくるのか。それはつまり約束を果たすこと,果たし続けることです。(p63)
 だけど何があっても許す。何をされても許す。そうしないと前に進めないのです。(p67)
 「許す」というのは,相手の態度にこだわることではありません。むしろ相手に執着しないということ。自分の中でその経験をくるくると丸めてゴミ箱にポイと捨ててしまえばいいのです。(p69)
 最初から,どうやって裏切ってやろうかと考えている人なんてほとんどいないのです。(中略)だから裏切ったのではなく,そこに至るストーリーがあったということ。「よほどの理由」があったのです。(p70)
 人は矛盾していて当たり前ですので。(p83)
 (豊かさとは)お金で買えないものをどれだけ持っているかということですね。(p88)
 欲望は持てば持つほど膨らんでいくのです。(p88)
 豊かさとは持たないこと。僕はそんなふうに思います。(中略)この世にあるものはすべて,決して自分のものにはならないという考えを持つのはいかがでしょう。(中略)あらゆるものは世の中からの預かりものだと考えるのです。ですので,責任を伴います。世の中から一時的に預かっているのだから,大切に扱わなければいけないのです。(中略)僕は身の回りにあるものを大切に扱うことは,とても豊かなことだと思うのです。そこに活き方が現れるからです。(p90)
 本当の豊かさとはものに執着せずに,自分の心が自由であることだと思います。本当の資産家の多くは,どなたも服装も持ち物もとても質素です。物質的な豊かさを求めていないから。(中略)おそらく,所有することには意味がないと知っているのです。(p92)
 手に入れたものは存分に味わうことがものに対する礼儀です。(p95)
 ものが増えると選ぶという行為が生じます。(中略)実はそれもストレスなのです。少しの使えるものをずっと使う。それでいいのです。(p99)
 世の中は「買い物は楽しい」という訴求にあふれています。(中略)私たちはその欲望と戦うことになります。(p99)
 喜びも,楽しみも,悲しみも,苦しみも誰かと分かち合うことで,お互いの心に安心を与えます。(p102)
 学歴や職業,年齢,勤務先などよりも,その人がどんなライフスタイルを持っているのかが重要になってくると思っています。(中略)「どんな人なのか」を判断するのにもう肩書きは役に立ちません。(p106)
 お腹が空いていることは,つらいとは思いません。(中略)実は快適なのです。(p110)
 僕はいつ頃からか服装で主張しなくてもいいと思うようになりました。主役は服装ではなく自分なのです。(p111)
 僕が目指すのは,清潔感があり,印象に残らない装いです。(p113)
 もっとも心がけているのは,玄関と水回りをきれいにしておくこと。(p114)
 遊びは,あらゆることの原点です。太古から人は遊ぶことで学んできました。(p117)
 床屋へは一〇日に一回通い,髪を切っています。歯は三ヶ月に一度のクリーニング,整体には月に二回ほど行ってからだを整えています。(中略)この習慣は何があろうと守っています。なぜなら,これが僕にとっての精一杯の身だしなみの基本だから。(中略)健やかさは,もっとも信用と信頼を感じさせるものだと思います。(中略)気を抜くとすぐに乱れます。そのことに先に気がつくのは,自分ではなく他人なのです。(p118)
 自分が自分であるためには守るべきものがあります。それは自分です。自分を大切にすることが,安心につながります。自分のアイデンティティを守れるかどうかは,優秀であるかや,世の中の役に立つかではなく,最後まで自分を信じ切れるかどうかにかかっています。(p140)
 まずは信じることです。何事も疑ってかかるとなかなか軌道に乗りません。(p145)
 おそらく相手は気がついています。感謝していないわけではないのです。十分わかっている。感謝しているし,うれしいと感じています。それでも態度に示したり,言葉にできたりする人が少ないのです。(p148)
 何が起きてもそこで感情的になったり,あるいは落ち込んだりせずに,とにかく状況を把握する。そうすれば,不安で何も手につかないということはなくなります。(p150)
 私たちは,知らず知らずのうちに日常が答え合わせのようになっています。こうすればこうなるという,おおよそ結果がわかっていることを繰り返すのです。(中略)しかし,そこに学びはあるでしょうか。(p146)
 急いで学ぶことで,時間を無駄にします。じっくり学んだほうが,効率がいい。(中略)投資でも同じです。急ぎすぎると稼ぐことはむつかしい。(p158)
 疑うことと信じることは共存しています。疑うと同時に信じることで人は強い意思を持つことができます。(p165)
 仕事や暮らしにおいて,どうしてこんなに自分はダメなんだろうと思ってしまうことは,誰にとっても茶飯事です。けれども,何があろうと,最後の最後まで,自分を信じることです。皆が皆,もはやこれまで,と思ったとしても,自分は絶対大丈夫だと思うことです。(p168)
 仕事の成り立ちは,困っている人を助けるための行動です。それを覚えておくと,仕事の目的を見失わずにすみます。「何のために」と思い悩むことがあったら,助かる人の顔を思い浮かべてください。(p174)
 これはおそらく僕だけではなく,動画配信やインスタライブなど突発的にやっているように見えるものでも,多くの人が入念に準備して臨んでいるはずです。期待値を超えるようなクオリティの高いものは,しっかりと準備に時間をかけているのです。仕事で問われるのは成果ですから。(p178)
 手ぶらでは会わない。これは僕の信条です。相手が喜ぶ何かを準備する。(p179)
 原稿を執筆する時も,実際に描いている時間はどんなに長くても二時間くらい。けれども,その三,四倍の時間は何を書くかを考えています。(p181)
 人の心を動かすのは,企画内容よりも情熱だということです。(p187)
 みんなが見ているのは,その人のその場における当事者意識と態度です。つまり仕事への情熱があるかどうかなのです。(p190)
 ではどうすれば,情熱を持てるのか。自分を鼓舞できるのか。もとになるのは,物事すべてに対する好奇心,そしてお客様に対するサービス精神ではないでしょうか。(p192)
 成長する,成長したい,そのためには楽しむこと。仕事でも暮らしにおいても,意識的に楽しむことです。(p196)
 僕にも成長するための心がけがあります。逃げない。避けない。否定しない。この三つです。つまり,どんな無理難題にも逃げないで対処して,どんなに苦手なことでも避けないで受け止める。そして起きたことを否定しない。(p197)
 仕事で疲れるのは,自分のコミットメントが浅いからではないか(中略)どこか冷めた気持ちでその仕事に向き合っているから,疲れを感じるのではないかなと。すなわち,楽しめていないから疲れる。(p199)
 「世の中のどこかには,自分が夢中になれる仕事があるはずだ。いつかきっと出会える」と思っているのではないでしょうか。それは幻想です。厳しい言い方になりますが,そう考えるあなたはすでに思考停止しています。仕事の楽しさやおもしろさは,誰かに与えられるものではないのです。自分で工夫し,自分でつくり出すものです。(中略)覚悟を決めてコミットメントして,自分事にしてしまえばいい。そうすれば,夢中になれるはず。ちなみに「夢中」はラッキーを呼び込むための最高の魔法です。(p200)
 約束とは与えられると,苦しくなりやすいのです。約束は常に先手を打つ。(p206)
 自分から手を挙げることです。(中略)多少の見切り発車でもいいでしょう。経験を待っていたら,いつまでたってもやりたい仕事には就けません。(p208)
 いつか誰かが自分を認めてくれる,ということはありません。(中略)受け身の姿勢でいる間は,チャンスは巡ってこないし,なりたいものにはなれないのです。(p209)
 両手に持てるものは限られています。ものだけではなく,情報や知識,そして人間関係もそうです。(中略)いろいろなものを持ちすぎていませんか?(p217)
 時には思い出すら,足かせになることがあります。(中略)忘れてもいい思い出もあるはずです。(p218)
 自分に必要な物量を見極める。余計なものを持ち続けない。「いつか使う」「いつか使えるかも」とは考えない。捨てることが失敗とか損だと思わない。(p220)
 僕のポリシーはシンプルです。お金も時間も,感動することに使う。ここで大事なのは,欲しいものではなく,感動すると思えることに使うこと。たったこれだけです。(p222)
 心もからだも,人間関係もキャリアも,植物に水をやるように,すべて自分で育てるものです。(中略)自分のことは自分でしか育てることはできないのです。(p223)
 自分だけでなく,他人や社会にも同じように,「育てる」という意識を持つと,物事の見方が変わり,不思議と心が寛容になるのがわかります。(p224)
 言葉を探します。(中略)誰かが行った言葉ではなく,本に書いてあった言葉でもなく,自分の内面から湧き上がってきた言葉でないと心は動きません。(p230)

2023年6月10日土曜日

2023.06.10 小林紀晴 『まばゆい残像 そこに金子光晴がいた』

書名 まばゆい残像 そこに金子光晴がいた
著者 小林紀晴
発行所 産業情報センター
発行年月日 2019.11.27
価格(税別) 1,000円

● 金子光晴の旅の跡を追いながら,自分の越し方を振り返る。著者もその折々の旅や出会った人のことを綴った紀行文をいくつも出している。
 その多くを,ぼくは購入していた。たぶん,写真に惹かれて買ったのだと思うが,読んだのはその中の一部に過ぎない。書棚を探して,未読のものを引っ張り出して読んでみよう。

● 金子光晴の作品も中公文庫になっているのは全部持っていたはずだ。それらも読まなくちゃな。
 本書では金子の詩のいくつかが引用されている。巻末に参考文献がまとめられているが,それによると岩波文庫と集英社文のから詩集が出ているようだ。それも書店で探してみよう。

● 以下に転載。
 金子はすでに存在せず,新たな創作物はない。だというのに,常に新鮮に感じてきた。おそらくこの先においても変わらないだろう。自分が常に変わってゆくからだ。(p5)
 刺激的なもの,旅先に好奇心を抱かせてくれるものを求めていたのだ。それでいて実際の私の旅はおどおどしたものだった。尻込みしながら,仕方なく前に進んでいたという感じだった。地味で静かなものだった。(p19)
 私は長いあいだ甲板に出て海を見ていた。帰国するための数人の中国人も同じように甲板に出て遠くを見ていた。彼らの多くは双眼鏡を持っていて,じっと遠くを見つめていた。真剣に見続けるものなど,どこにも存在しないはずなのに。(p30)
 それまでの旅はいってみれば出会い頭や刺激を求めていた。目的など必要なかった。初めての場所,初めて口にするもの,初めての風景に触れることで起きる摩擦熱のようなものだけで十分だった。しかしそれらを求める過程をすでに通過していた。(p47)
 旅とは常に心もとなく,寄る辺ないものである。そこに先人の痕跡などが見えると,急に頼もしくなる。ただし,二〇代の頃の私はそれをたいして求めていなかった。(p75)
 旅人は異質な存在だ。昨日までその地におらず,なんの関わりもなく,またふらりと明日いなくなる。責任というものがほとんど介在しない。同じ場所で少しずつ関係を構築したり深めていくこともたいしてない。(中略)私はあるときから,それにある種の寂しさや物足りなさを感じるようになった。(p86)
 金子の詩に限らず,詩にはそんなところがある。ある年齢,ある状況,ある環境になったとき急に自分に響いてくることが。それは写真に似ていると感じる。観る側の力に委ねる部分が大きいからだ。(p109)
 私もかつての旅のことを時々考える。正確にはふとした瞬間に脈絡もなく,ある情景が甦るといった方が正しい。(中略)そんなふうに頭に浮かんでくる情景は,不安だったり心細かったりする場面ばかりだと気がつく。(中略)そんなふうに頭に浮かんでくることの多くは,写真に撮ることができなかったことに気がつく。たとえ撮れたとしても面白みにかけるということにも。(p112)
 最後に残るものは記憶だ。それもかなり偏ったそれだ。それを反芻することが新たな旅,あるいは旅の成熟といえるのではないか。(p113)

2023年5月22日月曜日

2023.05.22 鈴木進介 『ノイズに振り回されない情報活用力』

書名 ノイズに振り回されない情報活用力
著者 鈴木進介
発行所 明日香出版社
発行年月日 2022.01.20
価格(税別) 1,500円

● 全5章で構成されている。ぼくが読んだのは2章まで。そこから先はパラパラっとページを繰った程度。

● 以下にいくつか転載。
 現代人が1日に受け取る情報量は,平安時代の一生分であり江戸時代の1年分である(中略)しかも,デジタル情報の90%は直近の2年間で生まれ,また入れ替わっていく(p14)
 スマホが誕生してからというもの,私たちは “常時接続” の状態になり,大量にインプットすることが可能になりました。(中略)ところが,(中略)スマホは,「効率の良さ」(手軽にたくさんの情報にアクセスできる)と「非効率さ」(ムダな情報が多く,欲しい情報が探しにくい)が同居しているため,「飛び道具」にもなるし「ノイズ」にもなります。(p17)
 「いつか使うかも・・・・・・」と考えてストックを続けた情報は,全部使いましたか?(中略)少なくとも私は「いつか使うかも・・・・・・」でなんとなく集めた情報は使った記憶がありません。(p22)
 「もっと」という衝動をおさえ,「本当に重要な少数の情報にフォーカスできるか?」。これが私たちに問われています。(p36)
 出入口とは表現しても,「入出口」とは言わないですよね? “出る” が先,“入る” が後というわけです。インプットをする前にアウトプット先を明確にしてみてください。(p55)
 そもそも,インプットは何のために行うのでしょうか? アウトプットとして成果につなげるためです。にもかかわらず,はじめにインプットありきのスタンスは,自ら成果を放棄するようなものです。(p57)
 疑問点を解消するだけの “調べもの” を除いて,情報の中には答えはありません。自分の頭の中で仮の答えをつくり(仮説),情報を集め検証していく中で答えが見えてくるもの。これが仕事の本質です。(p58)
 インプットした後で整理しようとするからうまく整理できないのです。私の方法は逆です。インプットしてから整理するのではなく,整理する保存先をつくってからインプットするのです。(中略)それ以外の情報はインプットしないことでノイズを減らすように心がけているのです。(p68)

2023.05.22 和田秀樹 『70歳の正解』

書名 70歳の正解
著者 和田秀樹
発行所 幻冬舎新書
発行年月日 2022.07.25
価格(税別) 900円

● 老人本でベストセラーを連発している和田秀樹さんの本だが,本書は2020年8月に刊行された『老後は要領』(幻冬舎)のリライト版。

● 本書が説く諸々の中で最も重要なのは164ページにある。「金融機関のすすめてくる金融商品」にだけは,投資しない,というところだ。

● 以下に転載。
 私には,わが国の高齢者には,「正解」からはほど遠い「損な生き方」をしている人が非常に多いように思えます。たとえば,
・間違った健康常識を信じ込んで,不必要な我慢や節制をしている人
・「定年=引退」と思い込んで,人生の可能性を閉ざしている人
・簡単に開窯できるストレスを抱え込んで,暗い人生を送っている人(p5)
 脳が活発に働いている状態とは,「神経伝達物質の量が多くなり,シナプス間を活発に行き来している状態」といっていいのですが,大豆は,その神経伝達物質の重要な原料「レシチン」をたっぷり含んでいるのです。(中略)中でも,納豆は,大豆の栄養をほぼそのままの形で接種できる優秀な食材なのです。(p21)
 「コレステロールは,体に悪い」というのは,フェイクニュース,間違った思い込みです。(中略)コレステロールは,人間を含めた動物の体を形づくる脂質の一種。性ホルモンや細胞膜の材料になるなど,生命体に欠かせないものなのです。加えて,コレステロールは,脳内で「セロトニンを運ぶ」という大役を果たしています。(p22)
 脳や血管の酸化は,認知症全体の約7割を占めるアルツハイマー型認知症の原因のひとつとされているのですが,ビタミンCには,それを防ぐ力があるのです。(中略)酸化を防ぎ,脳細胞や血管を守るのです。(p25)
 毎日のように大酒を呑んでいると,前頭葉が確実に萎縮していきます。実際,アルコール依存症患者の脳を調べると,前頭葉と海馬が萎縮しているケースがひじょうに多いのです。(p27)
 タバコも,やめるに越したことはありません。(中略)ニコチンは血管を縮めるため,体内の血のめぐりが悪くなるうえ,脳に流入する血液量が減っていきます。すると,脳はたえず酸素不足の状態に陥り,うまく機能しなくなってしまうのです。(p27)
 ガムを噛んでいるときの,脳の状態を調べると,血流量が増えていることがわかりました。(中略)逆にいうと,歯が悪いことは,認知症の原因になります。(p29)
 私の臨床経験からいっても,70代で耳が遠くなった人には,認知症を発症する人が多いように思います。(中略)迷わずに補聴器を使うことです。(p37)
 老後,心がけたいことを「あかさたなはまやらわ」で始まる10個の動詞にまとめて,患者さんらに伝えています。(中略)ご紹介しましょう。
 あ 歩く
 か 噛む
 さ サボる
 た 食べる
 な 和む
 は 話す
 ま 学ぶ
 や 役立つ
 ら 楽観する
 わ 笑う(p46)
 前頭葉は「想定外の出来事」が大好きですので,「結果がわからない」「失敗するかもしれない」というチャレンジも,前頭葉を刺激します。(中略)人生,安全策ばかりでは,前頭葉がどんどん衰えていきます。(p73)
 深呼吸で取り込まれる酸素量は,通常の呼吸の約7倍にものぼります。新鮮な空気が大量に入ってくると,血液の循環がよくなり,脳の酸素不足が解消されます。また,意識的にゆっくりと呼吸をすることで心拍数が減ることも,リラックス効果を高めます。(p85)
 太陽の光には,心身を活性化させる力があります。逆にいうと,日の光を浴びないことは,人間にとって最大級のストレスになるのです。(p89)
 75歳以上の場合,2週間動かないと,動いているときの7年分も,筋肉量が落ちるというデータがあるくらいです。(p99)
 むしろ,私は「動機は不純でなければ,動機ではない」とまで思っています。(p168)

2023年4月9日日曜日

2023.04.09 下川裕治・中田浩資 『沖縄の離島 路線バスの旅』

書名 沖縄の離島 路線バスの旅
著者 下川裕治
   中田浩資(写真)
発行所 双葉社
発行年月日 2022.09.18
価格(税別) 1,750円

● コロナ禍で打撃を受けた業界というと,飲食,宿泊,旅行業界というのが定番になるが,旅行作家も仕事ができなくなったはず。あるいは,仕事がなくなってしまったはず。
 半世紀前なら本を出して,その中から文庫本になるのが10冊あれば,どうにか印税で喰えると言われていたらしいのだが,今はそんなわけにいかない。文庫も絶版になるし,賞味期限が短くなった。それ以前に文庫が売れなくなった。

● だから,新刊を出し続けなければいけない。コロナで身動きが取れなければ,新刊の出しようもない。けっこう以上に辛い状況だったのではなかろうか。
 現在,日本を代表する旅行作家といえば,沢木耕太郎さんのような大御所もいるけれども,下川さんが代表格ということになるのではなかろうか。その下川さんにしても,お座敷はだいぶ減ったのではなかろうか。

● “お家時間” が増えた分,本を読む人が増えたとは思えない。読む人は状況のいかんに関わらず読むし,読まない人は読まないからだ。
 コロナ禍は事実上過ぎ去ったといえる状況になったが,従来の延長線上に仕事があるのかどうか。何を書けばいいのか,どう書けばいいのか,を模索しなければいけなくなっているのではないか。今までだって模索はあったに決まっているのだが,深刻さの度合いが深まっているだろう。
 と,勝手な想像を巡らせている。大きなお世話だろうな。

● 以下に転載。
 僕は長く沖縄とつきあってきた。その間に目にしてきたことは,猛烈な早さで進む本土化だった。沖縄らしさが次々に失われ,日本の一地方に変貌しつつある。(中略)しかし沖縄の離島の路線バスに乗って,なにかが吹っ切れた。沖縄の路線バスは,とことん沖縄だったのだ。(p3)

 沖縄の本土化を促進した最大要因はいわゆるIT革命でしょうね。常なるパンクチュアリティーを,ITが人間に要求する。これはもう地域の特性だの何だのお構いなしで,あらゆる地域,あらゆる業種を忙しくした。

 「このくらいなら歩けよ」という気分になる。沖縄の人たちは歩くことを嫌うが,ゆっくり歩いても二分なのだ。(p15)

 沖縄ではヨモギをよく食べる。本土でもヨモギは食べるが,(中略)火を通す。しかし沖縄では生でそばに載せてしまう。この食べ方を目にしたとき,日とナムのフォーとつながった。ベトナムでも麺に生のハーブを載せる。(中略)沖縄料理は生のハーブを通してアジアにつながっていた。(p20)
 沖縄生まれの若い女性の,「沖縄そばはおじさんの食べ物というイメージ」という声を聞いたときは,僕自身,少々うろたえた。(p34)
 沖縄の人は皆,泡盛ばかり飲んでいた。(中略)沖縄はそいういう土地だと思っていた。それがブームというものの怖さだと知ったのは後のことである。(中略)いま沖縄の人たちは,沖縄そばから離れ,ハイボールのグラスを手にする。それは無理などせず,好きなものを口にするようになっただけのことではないのだろうか。(p35)
 宮古島の路線バスは,始発と終点を単純往復するのではなく,途中からぐるりと一周する周回路線が多かった。(中略)つまり,終点という発想ではなく,目的地によっては,かなり遠回りをして到着するという乗車法になる。(p39)
 宮古島のバスの乗りつぶしを面倒にさせている理由のひとつが,バスターミナルがないことだった。ターミナルがあれば,そこを軸にして乗り尽くしていく順を組み立てていくことができる。しかしそんな拠りどころがないと,どんな組み合わせもできるようで,いざ実際のルートを考えるとすぐに行き詰まってしまう。(p40)
 端数もちゃんとあるから,「まあ,九百円ぐらいにしておくか」といった金額ではない。沖縄の人は,こういう面では本土以上に律儀な面がある。いい加減に映るのは,元の構造が杜撰ということが多い。(p70)
 どうしてそういうことを考えるわけ? 宮古の人は誰もそんなことは考えんよー。運転手が口にした運賃が運賃さ。(p72)
 カレー粉と合成酢。これは昔ながらの食堂であることを示すアイテムだと思う。(中略)料理人はこの味変を素直に受け入れられるのだろうか。(中略)料理人は完成品としてひとつの料理を出すはずだ。麺料理なら,麺とスープの微妙なバランスが味を左右する。それを客が勝手に変えてしまうというのは,料理人には失礼な行為に映ってしまう。(中略)ところが沖縄では,味変はあたりまえのように行われていた。(p74)
 これは本土でもあたりまえのように行われていたし,今も行われているのでは。高級レストランは別にして,B級グルメ的な食堂では最後の味はお客が作るのが普通だ。沖縄に限ったことではない。
 さすがに本土ではカレー粉と合成酢ではないだろうけど,味変を許さない食堂はないのでは。
 沖縄のウィルスへの怖がり方というか警戒の温度は,日本のほかの地方とは違っていた。沖縄本島と離島の間にも温度差があった。動きが遅い沖縄本島に比べ,離島の人たちは敏感だった。(p77)
 島の外から入ってくるものへの警戒心。それと同時に,外来文化を積極的にとり込んでいく顔。沖縄は常に,そのバランスの中で生きてきた。(p79)
 長崎に代表される出島という発想は,江戸時代の鎖国体制を下敷きにして語られることが多い。しかしウイルスや細菌が引き起こす感染という視点を当てると,ある種の水際対策という解釈もなりたってくる。(p80)
 深く考えないこと・・・・・・。これは沖縄ではよくあることだった。彼らには悪気はまったくない。むしろその逆で,利用者へのサービスとしてはじめたのだろうが,その先の詰めが甘いから,矛盾が生まれてしまう。いや,そう思うのは本土からやってきた人たちだけで,島では,そよそよと暖かい風が吹いているだけなのだが。(p93)
 こういう生き物(イリオモテヤマネコ)がいる島の人たちは愚痴っぽくなる。(中略)「この島じゃ,人間より,イリオモテヤマネコのほうが大事さ!」
 泡盛の酔いがまわると,そんな冗談をよく耳にする。(p114)
 本土では,アメリカ軍の基地や施設に忍び込み,食料や薬などの物資を盗みだしたという話はあまり聞かない。しかし,沖縄では,アメリカ軍基地から物資を盗むという状況が起きる。それは危険な行為だったが,彼らはそうやってアメリカと戦ったのである。(p136)
 大変なことを先にすませるか,簡単なものから攻めていって最後にあたふたするか・・・・・・。僕はやはり後者なのだろう。こういう性格だから旅をつづけてきた気もする。旅というものは計画通りにはいかない。しっかり計画を立て,それをこなしていくことに快感を得るようなタイプはストレスが溜まる。厄介なことは先送り・・・・・・その精神だと思う。(p144)
 石垣島は沖縄本島や宮古島などから移住した人が多い。沖縄のなかの合衆国のような島である。その気風は沖縄本島に通じるところがある。石垣市はミニ那覇の雰囲気すらある。(p145)
 沖縄の人たちにとっておでん屋は,完全に飲み屋である。(中略)が,最近,少し様子が違う。若い女性ふたりの観光客やカップルを,かなりの確率で目にするのだ。(中略)常連客は,「俺たちの世界にずけずけ入ってくるなよ」といいたい空気を背中で発信している。しかし若い女性やカップルは,そういう雰囲気に無頓着だから,ガイドブックに書かれていた「絶品おでん」といった見出しを頼りに,繁華街の路地に分け入ってくるわけだ。(中略)流れはもう止められないことも知っている。(p178)
 沖縄本島と離島の距離感を,本土にあてはめたら,隣の県への距離以上あるんです。(中略)それが離島の距離感なんです。新型コロナウイルスへの対応を考えたら,本土の各県が独自の宣言を出すのと同じなんです(p180)
 台風が去った沖縄の海は穏やかだった。沖縄の海はたまに,海の神様が休養をとっているのではと思うほど静かになることがある。(p183)
 沖縄でのんびりしたいといっても,日程をたてるのは自宅である。その時点では本土の空気や仕事といったものの時間間隔に支配されているから,伊平屋島まで,バスとフェリーで片道四時間半と耳にすると,どうしても敬遠してしまう。(p206)
 この離島度がコロナ禍では,渡航規制に影響する。渡航規制は主に観光客に向けて出されるものだから,離島度が高い島ほど,規制の解除が遅れることになる。観光客の渡航を止めても,島の経済にそれほど影響はない。それよりも島民の感染を防ぐことにシフトしていく。(p207)
 本土からやってきた人は,アジアの屋台文化が沖縄にもあるようなイメージをもつ傾向がある。そのなかで生まれたスペースが『国際通り屋台村』という気がする。そう,本土の発想で演出された沖縄・・・・・・。沖縄の人たちは,冷房のない野外での飲み会があまり好きではない。(p265)
 沖縄料理のひとつの特徴。それは揚げることだと思う。(中略)焼くという料理法が省略されてしまっている気がする。(p267)

2023年4月8日土曜日

2023.04.08 ひろゆき 『なまけもの時間術』

書名 なまけもの時間術
著者 ひろゆき
発行所 学研プラス
発行年月日 2020.04.21
価格(税別) 1,300円

● 副題は「管理社会を生き抜く無敵のセオリー23」。生き方のコツを説く。
 頭の中で捏ねくって作ったものではなく,実践の積み重ねがあるのだと思う。それゆえ,こちらに抵抗なく入ってくる。

● いや,著者はそういうふうにしか生きられない性格の人だったのだろうと思える。だから,著者の説くところを実行できるかどうかは,意思よりもその人の性格によるかもしれない。
 ぼくは,著者がそれではダメだという生き方をしてきてしまったと思う。それではダメだということがわからなかったわけではないが,わかっているように気持ちを動かすことができなかったのだ。

● 以下に多すぎる転載。
 以前,友人が「舌を肥やすな,飯がマズくなるぞ」なんて言っていて,そのとおりだなと思いました。たしかに,おいしいものを食べれば食べるほど,普通のものを食べたときに,特に「おいしい」と感じなくなります。(中略)僕は極限までお腹が空いてから食べるので,たいていのものはおいしく食べられます。小さなことですが,そういうところでも,僕は幸せを感じる時間が多いんじゃないかと思います。(p23)
 人間の脳は,頭を使わない単純作業をしているときのほうが,思考しやすいようにできています。だから,わざわざ考えるための時間を確保しなくても,歩いているときや電車に乗っているとき,(中略)いろいろ考えることはできるのです。(p28)
 「もう起きていられない」というギリギリまで起きていて,ガッと深く寝たほうが,あまり眠くならない状態で眠りに入るより,僕の性にあっているみたいです。(中略)1日の終わり,せっかく自分だけのために使える時間を,「値落ちするまで好きなことをして過ごす」っていうのも,案外いい方法なんじゃないかと思います。(p34)
 世の中で快適に生きていきたいなら,「自分だけの価値を生み出すこと」や「優先順位を意識して動くこと」をよく考えたほうがいいんじゃないかと思います。(中略)前もって決めた予定どおりに,ただ仕事をこなすだけというのは,むしろ,何も考えていない人がやることなんじゃないでしょうか。(p42)
 僕が思う「頭を使う」というのは,「どれくらい集中力を切らさないでやるか」ということです。(中略)そう考えると,ある意味仕事ってぬるいですよね。究極のことを言えば,仕事は頭を使わなくてもできるものだし,頭を使ってするべきものでもない,という気がするのです。(p44)
 僕自身の経験としては,過度な思い入れを持たず淡々と作業をこなすほうが,仕事としてのクオリティはかえって高くなる傾向にあるように思います。(p49)
 たとえば機械などでも,多機能で複雑なものと,ボタンひとつで最低限の操作ができるものがあれば,機械いじりに頭を使いたい人は多機能型を選ぶかもしれない。でも,しょせんそれは少数派で,多くの人は操作に頭なんて使いたくないから,ボタンひとつですむほうを選ぶはずです。ここで機械好きが,機械好きの頭のままモノを作ると,往々にして自分と同じ少数派にしか受け入れられない製品を作ってしまいがちです。機械に限らず,モノやサービス作りの失敗の多くは,そこが一大原因だったりします。(p51)
 もしも仕事に行き詰まったら,いっそ遊びに頭脳のほとんどを使って,その余力で仕事をするくらいに考えたほうが,じつは,ちょうどいいのではないでしょうか。(p52)
 収入が多い仕事のほうが面白みも大きいものです。(中略)収入が高い仕事ほど,じつはそれが嫌いでやっている人などはいなくて,それがすきでやっている人だらけなのです。(p54)
 こうして趣味が仕事につながっている理由を考えてみると,人よりかなり多くの時間を「好きなこと」に費やしているから,とは言えるかもしれません。世の中の大半の人が映画に時間を割かないのだとすれば,それは僕にとってのチャンスです。(中略)僕の場合,ゲームや映画,マンガに関しては,ちょっと他人には真似できないくらいの時間を費やしていて,それだけの情報を持っているという自負があります。(中略)とにかく僕の基本は,毎日,やりたいことをやっているだけなのです。そこで,特に付加価値をつけようとは意識していない。ただ,やりたいことをやっているがゆえに,他の人が費やせないくらい長時間やり続けることができて,それだけ情報も蓄積されるという点が,自然と価値につながっているみたいです。(p56)
 今あるものに乗っかるっていうのは,自分じゃなくてもできることです。そういう誰にでもできる仕事を続けて,人生の時間を切り売りしている限り,何も手に入らない。お金を稼げないことはもちろん,自分だけの技術とかセンスも磨かれません。(中略)人の手の平の上で動くのではなく,自分で一から作り上げるということです。同じ人生の時間を使うんだったら,そのほうがお金もたくさん稼げるし,何より自分自身が楽しいですよ。(p64)
 トルコのことわざに,「明日できることは,今日やるな」というものがあります。(中略)本当は1時間で終わるはずの仕事でも,締め切りのずっと前に始めると,ダラダラと3日くらいかけてしまったりします。(中略)1時間間に着手し最大馬力で完成させれば,そんなムダな時間が丸ごと浮くわけです。(p70)
 失敗の記憶は色濃く残るものです。だから,自分の能力値と予測の精度を上げるためには,「この手のことは1時間でできる」と見込んでいたところ3時間かかってしまって怒られた,といった失敗の経験も大事だと思います。(p74)
 人間心理として,やるべきことがあったときに,自分の好きなことをやっていると罪悪感が出てきます。だから,自分を甘やかすと「さすがに,そろそろ取り掛からないとな・・・・・・」という罪悪感が湧いてきて着手できるのです。さらに,「着手すること」にはストレスを感じがちですが,「いったん始めた行動を継続すること」は,比較的ストレスなくできるという心理作用も働きます。(中略)「継続したほうがトクだ」という心理が働くわけですね。(p77)
 意外に思われそうですが,僕は,メールなどの返信は早いほうなのです。なぜなら,即レスのほうがひと言ですむから。(p80)
 後回しにすると,いったん読んで理解したことでも,「もう一度思い返す」という二度手間が発生する。これも面倒だし,時間のムダですよね。(p82)
 現代の技術の効率性をもってすれば,昔と同じ仕事量をわずかな時間でこなせるはずです。それなのに,なぜか人類は,1世紀以上前と変わらず1日8時間働いているのです。(中略)多くの人が必要ないものを買ったり,お金がかかることに楽しみを見出したりするようになったため,「もっとお金を稼がなくてはいけない」というループにはまっているのだと思います。(p88)
 僕自身は,あまりタクシーには乗りません。むしろ電車移動のほうが自分に合っていると思います。電車の中には,不特定多数の人が発する情報が,絶えず飛び交っているからです。(中略)電車ほどバリエーション豊かに他人の雑談を聞ける場所は,他にないかもしれません。居酒屋だと酔った大人しかいないし,ファミレスだとママ友くらいでしょうか。(p91)
 しょせん時間には限りがあるわけだからその中で得られる成果には限界があります。本当は,できるだけ時間をかけずに,より多くの成果を上げたほうがいいわけで,時間と成果を比例関係で捉えていること自体が間違っているんじゃないか。(p94)
 人を雇うコストを補って余りある利益が見込めるのなら,人を雇ってでもやるし,その程度の利益も見込めないのなら,自分ひとりでもやらない。(p98)
 とにかくがむしゃらに頑張るとか,無理をどうにか遠そうというのは,そもそも「負け」が確定している中での努力なので,そこは早々に諦めて,さっさと別の勝利条件をそろえたほうがいいんじゃないでしょうか。僕はそう考えるほうなのですが,自分の能力に自信がある人ほど,とっくに詰んでいる盤面をひっくり返せると思いがちです。(p100)
 努力属性の人は,たぶん頑張ること自体を楽しめるのだと思います。(中略)スポーツ的な楽しみが,きっとあるのでしょう。僕からしたら,時間も体力も使うので「嫌だなあ」としか思いません。(p102)
 自分の能力に自信のある人ほど,自分の頭でなんとかしようとするものです。でも,じつは,自分の頭でなんとかしようとしないほうが,むしろ時間的にも内容的にも,うまくいくことが多い気がします。(中略)同様に,自分自身のセンスや経験値に頼りすぎるのも危険だと思います。(p103)
 物事って,努力よりも環境や条件の影響が大きいってことです。(中略)重要なのは個人が優秀かどうか,どれだけ努力できるかどうかではなくて,いかに勝てる波に乗れるかどうかだと思います。(中略)主人公キャラとしての自分の能力は見切ったらどうでしょうか。「自分の努力スキル」には頼らないようにしたほうが,だいぶラクに生きられるようになりますよ。(p105)
 「若いときの苦労は買ってでもしろ」という言葉がありますが,(中略)何の約にも立たなければ,苦しみ損ではないかと思います。(中略)自分が好きで「楽しい」と感じられることをやっていくのが正しいという場合が,本質的には多い気がします。(p118)
 「好きなこと」と「仕事として向いていること」「仕事として成り立つこと」は,両立しない場合も多い気がするのです。(p123)
 現場が自分たちで判断基準を持って決めたほうが,即座に最適解が出る場合が多いのです。(中略)もし僕だったら「断る」と判断するところを,現場の担当者が「長期的に見て利益があるから引き受ける」と判断したなら,そお判断に乗って任せてみたほうがいい。(p130)
 その理不尽なルールに縛られて,ウソひとつつけない人も,ヤバいとまでは言わないけれど,マジメすぎて生きづらいだろうなと思ったのです。(中略)でも,自分の当然の権利を講師するためのウソだったら,それは「手段」として完全にアリなんじゃないでしょうか。(p137)
 ゴルフは打ちっ放しに行って,これは向いてないなと思ったきり,コースに誘われても「いや,できないっす」と断り続けています。(中略)早い時点で見切りをつけて本当にトクしたなと思っています。(p145)
 ありもしない不安に駆られて,大して興味もない資格を取るくらいなら,自分の好きなことでどうにかする方向を探るほうが,楽しいんじゃないですかね。(p152)
 まずは「自分の自由な時間」を作らない限り,他にはない自分だけの価値なんてものをつくり出すことはできないだろうと思います。何より,好きなことがあるのなら,それをする時間が長いほうが生きていて楽しいですよね。(p152)
 日本では美徳とされがちな「自己鍛錬」とかも,僕は時間のムダなんじゃないかと思います。鍛錬を目標にして,やみくもに努力するのって,どんな意味があるんですかね。(中略)コツコツと鍛錬を積むよりも,最初に体験してみたほうがもの覚えはよくなるし,続きやすいというのが人間の習性です。(p166)
 「試行錯誤」もやっぱりムダだと思います。(中略)それよりも,できる人に頼んでしまうのが,一番ムダがなくていいんじゃないでしょうか。(p170)
 迷う必要がないところで迷わない(中略)だから,特にこだわりがなければ,僕は,ひとまず一番安いのを選びます。(中略)最適解を探す必要がないものや,最適解でなくても別に困らないものは,一番安いものでいいと思います。(中略)しかも世の中,意外とそれですんでしまうことが,ほとんどなんじゃないかと思うのです。(p173)
 映画を観るときなんかも,僕は迷いません。そもそも「観たい映画を選んで観る:ことがほとんどないから,迷いようがないのです。(中略)事前情報がないまま行き当たりばったりで観る映画のほうが,面白かったときに純粋に楽しめて,超トクした気分になれるのです。(p178)
 なるべく迷わないように,選ばないようにと考えてみると,最低限のこだわりだけが残るので,人それぞれのマイルールが出来上がって,おりストレスから解放されると思いますよ。(p181)
 他人を変えることなんて,そう簡単にはできませんよ。人には主観というものがあるのだから,感覚も常識も何もかも違って当たり前だし,そこに正解や不正解はありません。ということは,本質的に説得は不可能です。(p184)
 自分の力の及ばないところで決まることは,ハッキリ言って心配しても時間のムダとストレスになるだけで,意味がないと思います。(p185)
 一般の人は,SNSなんて見ないほうがいいと僕は思っているのです。(中略)アップされているのは,他人のキラキラした一瞬に過ぎません。(中略)そもそも誰がどこに行ったとか,何を食べたとか,どんな気持ちになったとかなんて,ぶっちぎりで「知らなくていいことナンバーワン」ですよ。(p185)
 SNSには情報収集という一面もあります。(中略)海外のニュースの日本語版とか,気になる識者や有名人だけをフォローして,情報収集のために使う,というのが賢いSNSとのつき合い方でしょうね。(p187)
 僕は,経験したことがないものは「とりあえずやってみる派」です。(中略)知らない人がいる場なんかにも,けっこう行ってみるほうです。(中略)もう少しオープンであったほうが,面白いことに出会える確率は高くなるんじゃないか。僕はそう考えているのです。(p190)
 僕たちは,こんなふうに「生き残るために考えてきた人たち」の子孫なのです。だから,生存の危機なんてそうそう感じない現代でも,放っておくと,思考が不安や脅威と結びつきがちです。(中略)だったら話は簡単ですよね。感じる必要のない不安や脅威から自由になるには,ヒマな時間を作らなければいいわけです。自分の自由な時間は必要だけど,何もせずムダに考えてばかりいる,ヒマな時間はないほうがいいんです。(p199)
 人は,何かに集中していると余計なことは考えません。(中略)何かに集中すれば,ストレスは一時的にでもゼロにできて,また一からの積み上げになります。(p205)
 生活コストが上がる理由の第1位は,おそらくストレスです。たとえばキャバクラで働いている女性は,赤の他人の酒臭い息を浴びたり体を触られたりと,基本的にストレスが多い仕事です。そのぶん,もらえるお金もおおいのですが,ストレス解消のために高い洋服を買ったりとか,ホストクラブに通ったりするから支出も多くなる。(p215)
 幸せにお金を介在させると,不幸になる確率は確実に高くなります。お金を使うことがそれほど好きでなければ,そんな不幸は最初から味わわずにすむんじゃないでしょうか。だとしたら,「お金があると,お金を使える。すると楽しくて幸せになれる」という魔の公式から,早めに抜け出したほうがいいと思います。(p220)
 特に日本では,「過去を振り返る=イヤなことを思い出してストレスを溜める」というループに陥っている人が多いんじゃないかと思います。寝るときに1日を振り返る人もいるようですが,僕には,ちょっとよくわからない習慣です。(p227)
 騙された経験を延々と悔やんでいるだけなのか,「あそこで騙されたおかげで,もっと大きな詐欺に引っかからずにすんでいる。だとすると,あのときの被害額も,今考えればカスリ傷だ」と思えるか。僕は,完全に後者のタイプというわけです。(p228)
 もし相手を怒らせてしまって,二度と連絡がこなくなったらどうするか。そういうときは,悩むだけムダ,考えるだけムダ。「あ,私を嫌いになるタイプの人だったのね」でおしまいにしたほうがいいのです。(中略)相手に気に入られようとして,いろいろと取り繕ったとしても,いつかボロが出ます。早めに切れてよかったと考えたほうがいいでしょうね。(p231)
 過去を見ている限り未来のことは見えないし,未来が見えなければ,そこでうまくいくことはないと思います。(p235)
 たとえ一文なしになったとしても,誰かが助けてくれるし,ご飯も食べられます。ネットにつながっているパソコンさえ貸してもらえれば,僕は割と楽しく過ごせる気がします。(中略)今感じている不安は虚構なんだと思い込んでみると,トクすることはあっても,損することはない気がしますよ。(p242)
 いくらお金持ちでも80歳過ぎで死にます。時間というのは,基本的に誰であれ公平に与えられています。せっかくの時間なので,自分が幸せになるために使うほうがいいと思うんですよね。ただ,世間の常識とか上司に言われたとか,あなたの人生にはなんの責任も持たない人の意見を重視しちゃってる人はけっこう多い気がします。(p246)

2023年4月7日金曜日

2023.04.07 落合陽一 『落合陽一34歳,「老い」と向き合う』

書名 落合陽一34歳,「老い」と向き合う
著者 落合陽一
発行所 中央法規
発行年月日 2021.12.14
価格(税別) 1,400円

● 著者は「介護業界へのテクノロジーによるアプローチ」(p164)も行っており,本書はその中間報告とでもいうべきもの。冒頭に養老孟司さんとの対談を収録している。

● 副題は「超高齢社会における新しい経済成長」。少子高齢化を踏み越えていく策はあるという確信,デジタルテクノロジーへの信頼が基盤にある。
 ぼくも世の中を変えるものは政治や外交や教育ではなく,テクノロジーだと思っている。テクノロジーを生むのは少数の天才であるから,天才が夜の中を変えるのだと考えている。

● 以下に転載。
 やっていることや周囲に切実な関心がないと,時間が無駄に過ぎていってしまいますよね。(養老孟司 p54)
 僕はジムでトレーニングしてダイエットするのが好きじゃないんです。(中略)身体運動は,自分のなすべき行為の中で行われるべきだと思っていまして。たとえば,日常の中でものを探し回ったり,電車ではなく自転車で移動したりすれば,それが運動になる。こうした手触り感覚を日常のコンビニエントな中でも探していくことで,世界から切り離されずにいられるのではないでしょうか。(p53)
 生死の問題,人生の問題には一般解がないことを,みんなが理解すべきです。具体的なその人,その都度,その場所の問題です。(養老 p74)
 老いや死がきちんと機能しないと,次の世代にバトンが渡されず,社会が硬直化しやすくなるとも思うのです。(p82)
 世界全体の中央年齢が30.9歳であるのに比べて,日本の中央年齢は48.7歳。つまり,「若者」の定義が,世界全体と20歳近くずれているのです。(中略)見方を変えれば,日本は40代前半でもまだまだ「若者」ととらえられる,珍しい国だともいえます。(p109)
 一般的に,介護職は高齢者と家族のような関係を築くことが望ましいといわれがちです。この要請こそが介護職の過重労働につながっているのではないでしょうか。(p134)
 人口減少はあくまで問題の要素の一つであり,わたしたちが「何を目指すのか」さえはっきりしていれば,対処は可能なはずです。イノベーションの多くは「負」を解消するために生み出されてきました。少子高齢化を乗り越える解決策は,必ず存在するはずです。(p166)
 中国が我々と同じような超高齢社会に突入するのは2035年以降だろうといわれています。超高齢社会であるいまの日本が,経済成長のできるビジネススキームやロボティクス,AI技術を先んじて開発しておく。すると,数十年後に大きなビジネスチャンスがやってくる。(p168)
 「法規制のせいで,できなかった」と泣き寝入りするクリエイターやエンジニア,そして研究者をこれ以上生み出せるほど,僕たちに残された時間は多くありません。(p173)
 良質な土壌があれば良質な森ができるように,土壌となるエコシステムが良質であれば,テクノロジーやサイエンス,コミュニティも良質なものになるのです。(p178)
 人の能力は高く,たいていの場合は人の自助努力で解決されてしまい,テクノロジーが不要になってしまうことが多いことも学びました。(p182)
 僕は導入時に余計なタスク(作業)を増やさないことが,使いやすさの条件を満たすために絶対必要だと思っています。(中略)余計な機能をつけてユーザーのタスクを増やすのではなく,従来の業務をよりスムーズにすることこそが,現場で受け入れられるテクノロジーの要諦です。(p185)
 介護職と利用者の間で忌憚のないコミュニケーションがとれればいいのに,わざわざ現場の最前線にいない経営者が介在してしまうことも多い。それにより,ケアのPDCAサイクルの効率が上がらず,介護職のやりがいも生まれにくい構造が生じているケースも散見されます。(p197)
 これからはローカルに,それぞれの場所で創意工夫されつつ作られる「民藝」的なものが,新たな価値提供の基盤になると思われます。(p212)
 介護における「スーパースター」が増えることも,僕は介護職の社会的地位を向上させるために重要だと思っています。(中略)たとえば歴再総理の看取りを行った介護職の人がいれば,それはスタープレーヤーといえます。(p228)
 コロナ禍において,社会から多くのものが失われましたが,その最たるものの一つが「祝祭」でしょう。(中略)リモートで飲み会を開いてみても,身体性がないから “祝祭性” や “共時性” が足りない。(中略)ライブをオンライン配信するアーティストも増えましたが,現場で起きていることをそのまま中継しているだけだと,尺が間延びしてしまい,観るのがしんどくなってしまうと感じます。祝祭がなくなると,社会に対する帰属意識やお互いにとっての共通基盤,コミュニティに属しているという感覚がなくなります。(p238)
 クリエイションとは「生きること」です。クリエイティブであるということは,常に何かを生み出そうと試行錯誤しながら,時間と空間に存在するということ。健全な精神と肉体を育むために,動物的な狩猟性は不可欠です。そして,それは(中略)クリエイションというかたちで発露されるべきだと考えています。(p247)
 多くの地域において,あらゆるモノがインターネットで買えて,Zoomを介して世界中のどことでもつながれる。これにより,遊牧民的な生き方を実現できるようになったのです。(p248)
 ポジティブに老いていく,もっといえばよりよく生きていくために大切なのは,「豊かさ」だと思うのです。(中略)好きなことや好きなものを持ち続けて,それに取り組んでいきながら老いていくのは,とても豊かなことだなと。(中略)そして,テクノロジーの発展は,より多様な「豊かさ」を可能にしてくれると思います。(中略)家にいながらにして手に入る「豊かさ」の選択肢が広がっていることは,明らかにデジタル化による恩恵だと思うのです。(p253)
 個々がスーパーマーケットを往復するよりも,配達員が一台のバイクで個々の家に届けたほうが,炭素消費も少なく済む場合も多いです。(p258)

2023年4月4日火曜日

2023.04.04 落合陽一 『働き方5.0 これからの世界をつくる仲間たちへ』

書名 働き方5.0 これからの世界をつくる仲間たちへ
著者 落合陽一
発行所 小学館新書
発行年月日 2020.06.08
価格(税別) 820円

● 30代で際立った存在感を示すコンピュータ科学の研究者が,若い人たちにこうあって欲しいと語る生き方論。あるいは,研究論序説。
 これを読んで感じたのは,これからの若い人たちは大変なんだなということ。どう大変なのかは,この後の多すぎる転載を読んでもらえばわかる。

● 著者の言うことがどれだけの若者に刺さるかといえば,0.1%もいるかどうか。何せ,若者の多くはネットの文章は読むだろうけれども,教科書以外の本はあまり読まないだろうし(昔の若者も同じ。大人になるともっと読まなくなる),著者の提言に従えるのは相当な知力を持った人に限られるからだ。
 著者のいうクリエイティブ・クラスになるためには,自分の頭で考え抜くことと専門性を持つことが必要となるのだが,そんなことができるのは少数派中の少数派のはずだ。

● 以下に転載。
 コンピュータやインターネットなどのデジタルな情報があふれ人工物と自然物が垣根なく存在する環境が,人間にとっての「新しい自然」だということです。(p8)
 技能の民主化や自動化によってゆるやかに人材の価値が変化していくことに自覚的であるかどうかが大切です。(中略)その価値の変遷に気づきながら動くか,動かないかが,将来の価値を大きく左右するでしょう。(p11)
 ビジネス書や自己啓発書の多くも,「好きなことをして生きる」という抽象論や近視眼的なノウハウや,相変わらず「優秀なホワイトカラー」になるためのノウハウを提供しています。私には,それがこれからの時代に沿った方向性とは思えません。「好きなことをして生きる」のではなく,適切な課題設定を社会に創造するのがクリエイティブ・クラスの役割だと考えているからです。(p13)
 コンピュータという大きなものの文化的価値を知らずに生きていくことは,人々が貧困の側に回り,それが再生産されていく温床になりかねません。(p17)
 インターネットのSNS上では,誰一人として「同じタイムライン」を追っていない時代です。(中略)皆と同じようなものを消費する「映像的価値観」は消失しました。(p24)
 いつまでも今ユータは「ただの道具」なのでしょうか?(中略)それはもっと根本的なレベルで,人間の生き方と考え方に変革を迫るはずです。つまり,コンピュータは電気製品ではなく,我々の第二の身体であり,脳であり,そして知的処理を行うもの,たんぱく質の遺伝子を持たない集合型の隣人です。(p27)
 プログラミングは,自分が論理的に考えたシステムを表現するための手段にすぎません。(中略)多くの分野にとってプログラミングは道具にすぎず,(中略)それ自体が目的化しては意味のないものになってしまいます。(中略)大事なのは,やはり自分の考えをロジカルに説明して,システムを作る能力でしょう。(p33)
 いわゆる「IT革命」は世界を大きく変えましたが,それに適応するだけでは,もう時代に追いつけません。IT革命と同等かそれ以上のインパクトを持つ世界の変革が,そう遠くない将来に何度もあるはずなのです。そこでは,いまの40~50代の常識が覆されるのはもちろん,小さい頃からデジタル・カルチャーの中で生きてきた私たちの世代の常識でさえ,おそらく通用しません。(p34)
 SNSの主体が「意識だけ高い系」いなってしまったような気がしています。(中略)無駄な自己アピールなどを除くと,その第一の特徴は,本人に何の専門性もないことが挙げられます。もうひとつは,専門性がないがゆえに自慢するものが「フォロワーの数」か「評価されない活動歴」「意味のない頑張り」程度しかないことです。(中略)そこから出てくる情報には,その人が自分で考えたものが何ひとつありません。いろいろな知識を広く浅く持っているだけで,専門性も独自性もない。これでは,ただの「歩く事例集」です。(中略)平均経験人間はウィキペディアの劣化コピーでしかありません。(p38)
 システムの効率化の中に取り込まれないために持つべきなのは何でしょうか。それは,システムになくて人間にだけある「モチベーション」です。(中略)それさえしっかり持ち実装する手法があれば,いまはシステムを「使う」側にいられるのです。(p41)
 均質的な価値が意味を持たない時代になったのです。(p44)
 人が努力しながら行っているような単純で辛い作業や,誰がやっても同じ作業はシステムにどんどん取って代わられていく(p50)
 著名クリエーターや数百万人のフォロワーを持つインスタグラマーのような人は,他の追随を許さない(要するに「代わりがいない」)ので,そのまま生き残っていくでしょう。しかし,「もどき」のクリエーターはそうはいきません。(中略)これからの時代は「ひとりのオリジナル」以外には大きな価値がない。(p54)
 これまでブルーカラーの労働者は,その仕事をマネジメントするホワイトカラーの搾取を受けてきたと言うことができます。実質的な価値を生み出しているのは現場のブルーカラーなのに,どういうわけかマネジメントをしている側のほうが高い価値を持っているように見えていました。(中略)そんな錯覚が生じていたのは,システムによる効率化という概念がなかったから。それだけのことです。(p66)
 IT化した世界では,そういった固定された物理的リソースで勝負するより,情報で勝負するほうが圧倒的に勝ちやすい。物理的リソースがない分,スピードが早いからです。(p71)
 誰にでも作り出せる情報の中には,価値のあるリソースはない。その人にしかわからない「暗黙知」や「専門知識」にこそリソースとしての値打ちがあります。(p72)
 IT化で資本主義のあり方は激変しましたが,このいちばん根底にある原理は変わっていません。それは,「誰も持っていないリソースを独占できる者が勝つ」という原理です。(中略)コンピュータが発達したいま,ホワイトカラー的な処理能力は「誰も持っていないリソース」にはなり得ません。(p75)
 スティーヴ・ジョブズは,間違いなくクリエイティブ・クラスです。しかし,それをロールモデルにして「スティーヴ・ジョブズのようになりたい」といった目標を持っても,あまり意味がないでしょう。唯一無二の存在だからクリエイティブ・クラスなのであって,目指したところで頑張ってもも「もどき」にしかなれないからです。(中略)その「誰か」にだけ価値があるのですから,別のオリジナリティを持った「何者か」を目指すしかありません。「誰か」を目指すのではなく,自分自身の価値を信じられること。自分で自分を肯定して己の価値基準を持つことが大切です。(p77)
 いくら勉強しても,それだけではクリエイティブ・クラスにはなれません。(中略)クリエイティブ・クラスの人間が解決する問題は,他人から与えられるものではありません。彼らの仕事は,まず誰も気づかなかった問題がそこにあることを発見することから始まります。(中略)新しい問題を発見して解決するのは,「勉強」ではなくて「研究」です。(中略)研究者は誰もやっていないことを探し続けるのが仕事です。(中略)教科書を読んで勉強するのが方ぃとカラーで,自分で教科書を書けるぐらいの専門性を持っているのがクリエイティブ・クラスだと言ってもいいでしょう(p78)
 抽象的な教養やアイディアだけあっても,何もできません。「実装」と「アイディア」が個人の中で接続されることに価値があるのです。(中略)一般教養と違って,テクニカルな専門性というのはインターネットをクリックするだけで学習できるようなものではありません。みんながアクセスできる知識に,専門性はないのです。(p84)
 単に「みんなと違う」だけでは,説得力がないのです。(中略)「みんなが甘いものなら辛いもの」「みんながデジタルならアナログ」というロジックは,それ自体が「誰でも思いつくもの」でしょう。ですから,結局は「オンリーワン」にはなれません。(中略)その価値を説明するロジックまで含めて,誰にも真似されないオリジナルなものでなければいけません。それは付け焼き刃の思いつきでは成しえません。(p97)
 テレビの企画がつまらなくなったという声が出てきたのも,彼らがウィキペディアや食べログやユーチューブを情報ソースにしてしまったからかもしれません。(中略)そこから生まれる企画は,すでにあるものの縮小再生産にしかならないでしょう。(中略)視聴者層と同じ情報体験をしながら番組を作っても,真新しく面白いものは作れないのです。(p99)
 ・それによって誰が幸せになるのか
 ・なぜいま,その問題なのか。なぜ先人たちはそれができなかったのか
 ・過去の何を受け継いでそのアイディアに到達したのか
 ・どこに行けばそれができるのか
 ・実現のためのスキルはほかの人が到達しにくいものか
 この5つにまともに答えられれば,そのテーマには価値があります。これを説明できるということは文脈で語れる=有用性を言語化できるということであり,他人にも共有可能な価値になる可能性があります。(p102)
 大きなマーケットで勝負する場合,高いオリジナリティを持つ商品やサービスがそれを独占することは稀で,たいがい競合相手がいます。逆に言うと,誰も競合相手がいないところで独走しようとすると,小さなマーケットしか得られないということにもなるでしょう。でも,それに意味がないということはまったくありません。(p105)
 このビジネス(ウナギトラベル:お客さんから預かったぬいぐるみをカバンに詰め込んで観光地などに行き,そこで記念写真を撮る)が面白いのは,利用者がコンテンツではなく,コミュニケーションを求めているところでしょう。自分の分身がどこどこに行ったということを使ってコミュニケーションする。その幸せを買っているとも言えます。(中略)ニッチの強さを感じています。(p108)
 「小さな問題を解決することがクリエイティブな事業を生む」ということです。(中略)だからこそ,まずは問題を発見することが大切になる。問題を見つけられない人は,当然ですが問題のオリジナルな解決法も考えられません。大人から「好きなことを見つけろ」「やりたいことを探せ」と言われると,「自分は何が好きなんだろう」と自分の内面に目を向ける人が多いでしょう。(中略)それは袋小路に行き当たってしまうことが少なくありません。しかし「自分が解決したいと思う小さな問題を探せ」と言われたら,どうでしょう。意識は外の世界に向かうはずです。そうやって探したときに,なぜか自分には気になって仕方がない問題があれば,それが「好きなこと」「やりたいこと」ではないでしょうか。(p110)
 生まれたときからパソコンもインターネットもスマートフォンもあると,「昔は何ができなかったのか」を直感的には理解しにくいものですが,それがわからないと,20年後,30年後にまた別の時代が訪れることも理解できないのです。(p115)
 とりあえず走り出すことも,ときに重要です。(中略)実際に動かないと出遅れてしまう。つまり,実際に手を動かすことで常に学び続けることができるのが,インターネット以後のクリエイティブ・クラスの仕事です。(p115)
 デジタル世界だけで簡潔していたのでは,問題が縮小再生産されてしまうのです。スマートフォンは道具の完成形じゃありませんし,生活の中でのインターネットはまだ進歩していくべできす。そうしたとき,いまある環境インフラを制約条件として捉えてしまうのはマイナスにしかなりません。(p116)
 では,人間とコンピュータはどちらがどちらを飲み込むのか。多くの人は,コンピュータを作った自分たち人間のほうが上位種だと思うでしょう。でも私の直観では,コンピュータのほうが後発で,より情報処理に最適化された種のように思うのです。(中略)いまのところは人間がスマートフォンを飲み込んで好き勝手に使っているように見えますが,その関係はいずれ逆転するでしょう。(中略)コンピュータがあらゆることを記述していく,人は精神や心を持つ特別な存在ではなく,身体を持つコンピュータとして受け入れられていくことによって,いままでの自然観(いわばデカルト的自然観)が崩れていく。(p117)
 クリエイティブ・クラスになるような人たちは常に自分の問題について考えています。一点を考え抜いて深めていくので,彼らの中には暗黙知がどんどん蓄積されます。そうしたクリエイティブな人たちが生み出す物やサービスが,ショッピングモール的世界で暮らす人々が享受する幸福感のタネになるのです。(p124)
 思考体力を身につけるには,他人と情報交換ばかりしていても意味がありません。(p126)
 何か疑問を持ってグーグルで検索したときに,ウィキペディアや「ヤフー!知恵袋」のようなページですぐ「答え」が出てきたら,その答えを知って満足する以前に,自分が抱いた疑問自体を反省しなければいけません。なぜか。ウィキペディアに答えが書いてある問いが浮かんだということは,その疑問の持ち方そのものにオリジナリティがない証拠だからです。(p126)
 思考体力の基本は「解釈力」です。知識を他の知識とひたすら結びつけておくことが重要です。したがって大事なのは,検索で知った答えを自分なりに解釈して,そこに書かれていない深いストーリーを語ることができるかどうか。(p127)
 抽象的なことをできるだけ具体的に言語化する習慣をつけるといいでしょう。(p129)
 思考体力のある人は常にマジです。そういった人は自分の人生の問いについて24時間,365日考え続けています。(p130)
 「自動翻訳は,ちゃんと翻訳してくれない」と文句をつける人の多くは,そもそも自分が日本語で明確な文や機会が翻訳しやすい文章を書けていないのではないでしょうか。(p138)
 自分が発見した世界の問題を解決するためにコミュニケーション能力が必要なのは,「世界は人間が回している」からです。(中略)多くの人々は,個々の人間ではなく,何か得体の知れない「システム」が世の中を動かしていると思い込んでいます。(中略)そしてひいいては自分も社会の主体であるにもかかわらず,「社会のせい」にしていってしまいます。(p139)
 時間を切り売りする仕事を選ぶと,人生は「お金を稼ぐ時間」と「休む時間」に分かれます。すると,いわゆる「ワーク・ライフ・バランス」を考えざるを得ません。(中略)ワーク・ライフ・バランスが問題になるのは,「好きなこと」「やりたいこと」を仕事にしていないからです。(中略)ワークとライフを区別せず,自分のやりたいことに時間を使う生き方には「消費」がほとんどありません。すべては自分の能力を高め,問題を解決するための「投資」なのです。「ワーク・アズ・ライフ」の醍醐味はここにあります。(p149)
 資本主義は「お金がお金を生むシステム」ですから,お金持ちは富を貯めておくだけでは意味がない。だから実は,それを「投資」という行為によって再配分したがっています。ところが現在の日本には,(中略)おの選択肢を取りに行く人間が多くありません。(p153)
 世界を変えようと思ったら,玄人にしかわからないものを作っていてはダメです。(p183)
 それより難しいのは,「楽しい」と思わせること。この感覚には文化差があることも多いので,ある場所でウケたものが別の場所でもウケるとはかぎりません。(中略)逆に言うと,ほぼ全世界の人々に「楽しい」と思わせているハリウッドやディズニーのセンスは,凄まじくレベルが高いということになるでしょう。(p184)
 猛烈に好きなことがある人間が集まると何か大きな化学変化が起きる。それを人はイノベーションと呼ぶのかもしれません。(p187)
 予定調和を繰り返し続けることでたどりつく視座からは決して価値を生み出せないでしょう。(p189)
 もはや国境をはじめとする境界線はインターネットによって融けたと言えるでしょう。(中略)いまは年齢の差も関係ありません。世界中のすべての人間が同じフィールドで競い合っているのがインターネット以後の社会です。したがって,どこかの誰かと同じことをしても意味がありません。過去にあったものを再現してもダメで,いまの時点で人類の最高到達点を踏んだ人だけが勝者となるのです。(p193)
 世界に変化を生み出すような執念を持った人に共通する性質を,私は「独善的な利他性」だと思っています。(中略)たくさんの知識を貪欲に吸収してオリジナリティを追求していってほしい。それはこれから先,いつの時代でも幸福な生き方だと思います。(p200)