2017年9月29日金曜日

2017.09.29 砂川しげひさ 『コテンコテン流 クラシック超入門』

書名 コテンコテン流 クラシック超入門
著者 砂川しげひさ
発行所 東京書籍
発行年月日 2000.07.19
価格(税別) 1,200円

● 砂川自在流の音楽エッセイ。読み方は自由。

● 以下にいくつか転載。
 クラシック・ファンは基本的に人が称賛する曲には異を唱える輩だと思ったほうがいい。(中略)音楽評論家の新聞評でも,ベタボメの文章なんか発表したら,クラシック・ファンから総スカンを食うのだ。(中略)世渡りのうまい評論家はどこかをホメれば,かならずどこかをケナスのを旨としている。(p12)
 ぼくは毎日のようにこの公園をウォーキングしている。ウォーキングの理由は,健康のためもあるけど,音楽を聴くためでもある。(中略)で,リスニング・ウォークに何を聴けばいいか。(中略)いちばん適しているのはバロック音楽。強弱もあまりなくまんべんなく聴こえるのがいい。(p42)
 ぼくは,なんでいまだにピアソラがこんなに持ち上げられているのかさっぱりわからないのだ。たかがアルゼンチンのダンス音楽ではないか。(p77)
 よくオーディオ雑誌などで,超高級スピーカーやアンプのある部屋を紹介したカラー写真を見るが,あれは,音楽ファンというより,オーディオ・ファンだろう。純粋の音楽ファンとは区別したほうがいい。(中略)ある有名な音楽評論家の重鎮などは,CDが出現する前まで,畳の間の片隅でモジュラー型の電蓄!で音楽を聴いていたという。ほんとうはそういうので音楽を十分に堪能できるのだ。(p82)
 フルトヴェングラーの「ドン・ジョバンニ」なんか,ずっと昔にビデオ・テープを買ったが,映像と音の悪さでうんざりしていた。それがDVD版になると,なんて鮮明な映像とクリアなサウンドになっていることか。(中略)とにかくオペラは高いチケットをはたいて行かなくても,十分タンノウできるという結論に達したのだ。(p136)
 さて,クラシック紳士淑女諸君。クラシックをずっと聴きつづけてきた君たち。こむずかしい音楽学者のご託や,ロバ耳評論家に惑わされることなく,ひたすら自己の感性にしたがって,クラシックを楽しんできたファン諸君。(p153)

2017年9月28日木曜日

2017.09.28 伊藤浩志・pha 『フルサトをつくる』

書名 フルサトをつくる
著者 伊藤浩志・pha
発行所 東京書籍
発行年月日 2014.05.07
価格(税別) 1,400円

● 「フルサト」とカタカナなのは,生まれ故郷という意味での故郷ではなく,今住んでる都会とは別の場所に人為的に住まいを作ろうよ,という提言だから。
 著者たちは東京に住んでいる。でもって,熊野の廃屋(?)を共同で購入して住めるように直して,地域共同体とも係わりながら,自分たちの「フルサト」を作っている。
 主には,その熊野での活動を例にしながら,なぜ「フルサト」なのかを諄々と説いていく。

● “地域共同体とも係わりながら”と言ったけれども,著者たちはそこに意味を見出しているようでもある。たんなる田舎暮らしの良さということではなくて。
 ある意味で,流行の先端なのかもしれない。現代社会病理学のテキストとしても読めるように思う。

● ぼく一個は,これが滔々たる流れになるとは思わないけれども,過疎に見舞われて,何とか地域振興を図る手立てはないかと悩んでいる,地方の人たちにも参考になるのじゃないかと思う。

● 以下に転載。
 変化が大きい現代社会は,常識的に安定と思われることのほうがリスクが高いことが往々にしてある。安定しているとは,世の中が動いている時期に止まっていることであるから当然である。日々チャレンジいていったほうが,変化に適応できるから長期的に見たら安定していると言える。(伊藤 p11)
 何か変化を生み出すには小さな常識を超えることが不可欠だ。不安で思考が充満すると視野狭窄になって変化を生み出せなくなる。(伊藤 p11)
 大事なものの多くは感覚的なものだ。例えば,暖かさだ。人間は,寒いと後ろ向きな気分になりやすい。(伊藤 p11)
 並列に並んだ情報を比較していくうちに決められなくなる。こういうのは,勘と人との出会いで決めてしまうのがいい。(中略)理屈を超えた衝動が起きないと変化は起こせない。(伊藤 p18)
 コミューンみたいな移住者だけで地域づくり組織とかつくっても意味がない。それは都市の企業を移植しただけである。単一の価値観でまとまった組織には寿命がある。(伊藤 p19)
 イエス・キリストも自分の生まれた土地では奇跡を起こせなかったという。自分の子供の頃のことや自分の家族を知っている人たちがたくさんいる場所では思い切ったことがなかなかできないものだ。(pha p38)
 通常,建築物というのは,計画とコンセプトを最初にがっちり決めて作り上げる。これは西洋的な手法と言ってもよいだろう。この,企業では当然の手法はそれなりの教育を受けて経験をみっちり積んでいて感覚の優れた人でないと大したものはできない。(中略)だからこそ,素人は1日といわず住みながら考えるぐらいのことをすればよいと思う。(伊藤 p92)
 生活すること自体が価値になるのが21世紀だろうと思う。そこがおろそかだと,いくら時間をかけて働いても人生の質が上がりにくい。(伊藤 p94)
 世の中には廃棄物が多い。急ぎでなければ捨てられる資材を気長に集めることができる。にもかかわらず資材を買うということは,集める手間を省くためにお金を使って時間を買うことと同じである。(伊藤 p95)
 同じ人間だけでずっと過ごしているとどうしてもいろいろ溜まったりよどんだりしてくるものがあるので,「人がある程度循環している」というのが居心地の良い場所を作るときに大事な点だ。(pha p126)
 どんな世界でも新規ユーザーに厳しいジャンルは衰退する。(pha p128)
 あまり先のことを決めすぎるのは不自然だと思うし,誰かが何十年もずっと継続しているようなことだって,結局は短期的な予定の積み重ねだったり偶然の成り行きだったり単なる惰性だったりすることが多い。(中略)人生なんて結局「ちょっと,とりあえず」の積み重ねに過ぎないんじゃないだろうか。(pha p129)
 フルサトで仕事をつくるのは都市と違ってマネーを最優先させなくても良いということである。仕事は第一には面白いからであり,さらに他者との関係をつくるためであり,そのついでに生活の糧を得るという順番である。(伊藤 p143)
 遊びになるくらいの感覚で働くほうが集中力が出て質があがるだろうし,無理して働いているよりも人の能力が発揮されると思う。なにしろ個人のやるべき仕事は工夫と細やかさが勝負なので,やっている人の精神の余裕が鍵になってくる。(伊藤 p144)
 自給活動はマネーを稼ぐための活動よりも費用対効果がよいことが多く,狙い目の分野なのでいろいろ検証してみる価値がある。(中略)自給力をあげたほうが楽だし,コントロールできる生活の範囲が広がる,というのが私の意見である。(伊藤 p148)
 現代社会が何かとお金がかかるのは,サービスの交換に中間の人が増えすぎたのが一因だが,直接交換ができればだいぶ交換コストが下がる。インターネットは基本的にこの中間をなくすように発展していくので,全体の傾向としてはこのような中間のコストは省かれていくだろう。(伊藤 p157)
 もしかしたら,交換するものは究極的には物資やサービスではなく挨拶だけでもよいのかもしれない。挨拶の交換で楽しくなれれれば,無料で気分よくなれるのだからかなりの儲けもんだ。(中略)しかし一方では,昨今の挨拶は「あいつは挨拶ができない」と減点評価するために使われている。とてもつまらない現象だ。(伊藤 p158)
 ここで考えたいのは「経済とはマネーの交換だけじゃない,とにかく何かが交換されればそれは経済が生まれたと言ってもよいのではないか」ということだ。交換が活発であれば人は他人同士がうまくやっていける状況ができている,これが大事だろうと思う。地域経済活性を「お金と交換してもらう」とか,そういう意識で捉えている人は,はっきり言ってズレている。(伊藤 p159)
 モノが飽和したこの時代においては,モノによる充足よりも自分の体を動かして普段できないことをする,ということにも価値がある。(伊藤 p169)
 徳島県上勝町の葉っぱビジネスは,発案者の横石知二氏が自ら料亭に通い詰めて,どういう葉っぱがつまものにふさわしいかを実感できるレベルまで探求した,ということから発展してきていた。(中略)使う側の生活実感をしるかが勝負どころだった。生活を探求するというのがいかに大事かというのが分かる。(伊藤 p174)
 バックパッカーが集まる都市には必ず安宿街がある。そして安宿街には,安く泊まれるゲストハウスと,気軽にごはんを食べられるレストランやカフェと,古本屋があるものなのだ。(pha p211)
 都会にはどんな文化でも同じジャンルに詳しい人がたくさんいるので,ちょっとやそっとのレベルではなかなかイベントを開いて人を集めにくかったりする。田舎だったら人が少ないので他に同じことをやっている人があまりいないから,趣味の延長として気軽に文化的なイベントを開催しやすい。(pha p215)
 ともすると経験値のある人ほど「めちゃくちゃ大変やぞ」と脅してくることがあると思う。それが正しいこともあるが,しかしどう大変なのかということを具体的に聞いてみないと,それが真実味があるのか分からない。(伊藤 p231)
 高齢化社会の問題の一部に,老害問題がある。私は,ごく一部の権力を持った高齢者が力を振り回して被害を起こすという老害は,メディアで目立ちやすい大御所の社会的影響力の増大,高齢化による思考力の減退,さらには趣味文化の低下による暇の処理不能,この三点がセットになったときに発生すると考えている。(中略)もし追求したい趣味があれば隠居のタイミングを逃さずにすむのだが,無趣味だとやることがないから仕事に逃げる。(伊藤 p236)
 そこで大事なのは,書を書くなら書くこと自体を目的にすることである。うまく書いて褒めてもらおうとか,狭い業界で評判を得たいなどと考えていると本末転倒だし,来訪客に自分の作品を無理矢理見せたりして迷惑がられるのがオチなので,せめて老年期までにはつまらん承認欲求を軽々と無視して技芸趣味に没入できる枯れた境地を目指したい。そのためには若いうちからやれることをやっておく必要がある。(伊藤 p238)
 理論をレクチャーするタイプの授業は講師によって質にバラツキのある集団講義じゃなくて動画で開いてしまえばよい。人から直接教わるのも大事なので,それは別途集中的に実習や研究を現場で行う。動画配信と合宿の組み合わせの教育を行えば,これまでの教育機関の内容を超えられる可能性は十分ある。(伊藤 p247)
 人の活力が落ちれば企業の活力も落ちる。これまで地理的な高齢化や過疎化が問題視されてきたが,今後は企業の高齢化問題が顕在化してくる。過疎化する企業が出てくるだろう。(伊藤 p254)
 世の中を見渡してみると,様々なジャンキーが存在する。延々と転職情報を集め続けて行動しない,というのは転職情報ジャンキーであるし,使わない資格を取り続けるのも資格ジャンキーである。使わないのに一気に買い物してしまうというのも消費ジャンキーだし,他人の悪口を収拾して話すのがやめられない,というのも罵詈雑言ジャンキーであろう。これらの原因は共通している。「暇」である。(伊藤 p255)
 デジタルジャンキーが生まれやすいというのは個人的にはスマートフォンなどのデバイスやツールの問題だけではなく,他に刺激的なことが無いからだと思う。多くの人にとって一見刺激的なように見えて都市の風景は視覚聴覚どちらの面でも退屈である。(中略)直線的な建物が並ぶだけなので複雑性が圧倒的に足りない。(中略)だから自然の複雑な環境からの情報を得るための感知能力を持て余してしまう。(伊藤 p256)
 空き家が急増していて,しかも人口が増えない状況を考えると,家をもっていることよりも,住むことのほうが価値を生み出すといえる段階に来ていると思う。この際,逆家賃を発生させてもよいかもしれない。つまり,住むこと自体が仕事になるような状況である。(伊藤 p262)
 社会というのはおおむね保守的なものだから,追い詰められないと変わらないものだ。逆に言うと追い詰められたときこそが変化するチャンスだ。(pha p274)
 その時自分がいる場所によって思考の内容が変わるということをよく考える。(中略)だから,ときどきいる場所を変えるといろんな視点を持ったり考え方を柔軟にしたりしやすくなるので良いと思う。(pha p302)

2017年9月24日日曜日

2017.09.24 帯津良一 『不良養生訓』

書名 不良養生訓
著者 帯津良一
発行所 青萌堂
発行年月日 2011.01.27
価格(税別) 1,300円

● 副題は「まじめな人ほど病気になる」。本書のキーワードは「攻めの養生」。ストイックになりすぎるな,ということだろうか。
 健康診断の数値にあまりとらわれるのはバカバカしい。玄米食,菜食,マクロビオテックなどに凝り固まるのは,よろしからず。健康に悪いとされることに過度にビクビクするな。体にいいものより美味しいと思える食事がいい。
 つまり,ぼくのようなズボラな人間には,はなはだ都合のいいことが説かれている。

● 以下にいくつか転載。
 「養生」は,体を休ませる「守りの養生」ではなく,「攻めの養生」でいくべきで,小さくまとまらず,時にははみ出したり,狼藉を働いたり,あるいは死んだふり(?)をして体をかわしたりということも大事なのです。(p3)
 健康のための健康を目指すのではなく,楽しく充実した人生を送るために健康を目指すことです。そうすることで,このタイプは身も心も活発で,心のときめきを感じ,それによって命のエネルギーを高めています。(p21)
 ウォーキングには大きく手を振る,いつもより速く歩く,といった方法がありますが,私はただ楽しく歩くをモットーにしています。長続きさせるには,それくらいの気楽さが必要で,目尻を釣り上げて「健康のために鍛えなくては」と意気込む必要はありません。(p34)
 たとえば,「早寝早起き」がすべての人にとって善ではなく,時間が許すのなら「遅寝遅起き」でも一向にかまいません。他人から,ぐうたらと見られようと,自分の信念を貫き通す覚悟が必要なのです。(p54)
 症状が重くない限り,お酒の量に一喜一憂しないほうがいい,というのが私の考えです。一生懸命に働いて,その疲れやストレスを癒してくれる代償と考えれば「γ・GTP」の値なんぞに神経質になり過ぎるのはナンセンスの極みなのです。(p61)
 がん細胞などを攻撃し,体をウイルスなどから守ってくれるリンパ球は,副交感神経を高めることによって増えるそうです。(中略)それには体を温めることが最も効果的なのです。(中略)お酒もまた血液の循環をよくさせ,体を温める効果があるのです。(p61)
 世間一般でいう「健康にこだわった食事」は往々にして“主義”になりがちで,菜食主義や玄米主義など,あらゆる主義が横行しているように見えます。(中略)食物によって得られる栄養価の吸収は人それぞれでまったく異なり,排出のされ方にも個人差があります。(p70)
 ニジマスはエサの多い川の真ん中に集まる習性があるそうです。一方,一部にはエサの少ない川の岸辺を泳ぐニジマスもいます。魚の世界にも異端児がいるのでしょう。この二つの習性を持つニジマスを比べると,川の真ん中にいるニジマスのほうが大きいと思いがちですが,そうとは限らないのです。その理由は川の真ん中は流れが速く,体力を消耗してしまうからです。ひろさんは,日本人は川の真ん中に行きたがる傾向が強い,と話していますが,それは人生観や仕事観に限らず,健康観にも通じるところがあります。(p77)
 人体のなかにも物理量の総体が連続してあるわけですから,当然そこには「場」が存在するはずです。(中略)人体は「気」を物理量とする「場」によって構成しており,そこに臓器と臓器が浮かんでいるのです。その場こそが「生命場」であり,この「場」のエネルギーと自然治癒力を高めるために「攻めの養生」が不可欠になってくるのです、(p90)
 私の周りの医者で食事の前にせっせと手洗いをする人はまずいないと思います。さらに,それが原因で何らかの病気になったという話も聞いたことがありません。(p97)
 医や食に関する“常識”は不変ではなく,研究などによって新たな“常識”が出現する可能性は非常に高いのです。それなのに,今“常識”とされている医学情報や健康知識にかんじがらめになっているのはナンセンスの極みです。(p127)
 いくら栄養価の高い食品でも,おいしいと思って食べなければ身にならないのは当然のことで,食と心は深くつながっていると考えられます。(p133)
 人間の本性はかなしみにあり,人間は明るく前向きにはできていないということをここで強調したいと思います。(中略)「明るく前向き」と思われていた人ほど,じつは精神的に弱い面があることがわかってきました。病状の悪化を告げると「明るく前向き」な人ほど落ち込みが激しいのです。(p148)
 藤原(新也)さんによれば,かなしみを抱いた人は自分の胸に聖火のような炎を抱いていて,その聖火には他人をいやす力があるというのです。(p151)
 閑職に身を委ね,汗もかかず,同僚ともたいしてコミュニケーションを取らずに5時頃退社するような人生が幸せでしょうか。このような生活を続けていたら,交感神経は働かず,副交感神経ばかりが働いて体調は次第に悪化してきます。(中略)ストレスをなくそうとしたり,解消しようと悩まず「ストレス,どんと来い」くらいの気概を持てば,うまくつき合えるのではないでしょうか。(p156)
 私の知る限り玄米食やマクロビオテックを実践している人たちは,顔が青白く,声が小さくて滅多に笑わないことが多いのです。(p160)
 いわゆる,難病の会のような組織がありますが,そのごく一部では健康食品やサプリメントを法外な値段で売っているところがあります。(p166)
 欧米と比べ,日本人に比較的多いがんの一つに肝臓がんがありますが,アルコール摂取量がはるかに少ない日本人に肝臓がんが多いのは,薬と関係しているという説があります。たしかに,胃薬,風邪薬,鎮痛剤などのコマーシャルがこれほど,テレビ,雑誌などのメディアに登場している国はめずらしく,薬好きの国民といえます。(p168)
 受診勧奨判定値は国内の各臨床学会が認定した基準にのっとっているのですが,保健指導判定値には何の科学的根拠もないといわれています。それなのに数値ばかりが一人歩きをして,検診の結果,一喜一憂する人が増えているのは合点がいきません。(p179)
 高血圧の原因には塩分の摂りすぎ,肥満,分銅不足,喫煙,ストレスなどが指摘されています。しかしこれも気にしすぎるとろくなことはありません。(中略)塩分やおいしいものをガマンすることがストレスになり,血圧を上げてしまうことが多いのです。(p188)

2017年9月23日土曜日

2017.09.23 樺沢紫苑 『脳を最適化すれば能力は2倍になる』

書名 脳を最適化すれば能力は2倍になる
著者 樺沢紫苑
発行所 文響社
発行年月日 2016.12.20
価格(税別) 1,480円

● こういうタイトルに惹かれてつい読んでしまうという人,いるんでしょうなぁ。って,人のことは笑えない。自分がそうだもん。
 ほどほどにしときなさいよ,自分。

● 要はこういうことが書いてある。以下にいくつか転載。
 幸福は誰かからもらうものではなく、どこかから手に入れるものではない。われわれの脳の中に,幸福を発生させる物質が存在しているのです。脳内物質である「ドーパミン」が分泌されたとき,私たちは幸せを感じます。夢のない話でありますが,「ドーパミン分泌=幸せ」なのです。(p33)
 きわめて壮大な夢を持っていたとしても,それだけではドーパミンは出ません。あまりに壮大すぎるからです。ドーパミンが出ないということは,モチベーションがなかなか続かないということです。(p59)
 やる気が出ない。何もしたくない。モチベーションが上がらない。そういう人の多くは,運動不足に陥っている可能性があります。(p79)
 「なに不自由ない生活をおくっていたのに」という言葉がありますが,脳科学的に言えば,「なに不自由ない生活」ではドーパミンが出ません。「満足した生活」を得てしまうと,それ以上の目標設定や目標達成ができなくなり,ドーパミンが分泌されなくなる。つまり幸福感が得られないのです。(p84)
 財を成した大会社の社長が,次のように言っていました。 「若い頃は貧乏だったが,将来を夢見て必死に頑張っていた。毎日が充実していて,今考えると,その頃が一番幸せだった」 10年,20年という努力の先に,幸せがあるのではありません。その努力の階段を上がり続けている「今」が,実は一番幸せなのです。(p85)
 締め切りに迫られて短時間でこなした仕事は,質が低くなるような気もするかもしれませんが,私の経験から言えばむしろ逆です。(p99)
 商品というのは,ザックリ分けると2通りしかありません。「不快・不便を解消する商品」と「快を与える商品」です。(中略)このとき,どちらが強烈かといえば,ノルアドレナリン型モチベーションの方が強烈です。「快」は今すぐ手に入れなくても,日常生活に大きな支障はありませんが,「不快」は今すぐにでも取り除きたいからです。(p109)
 「仕事大好き人間はうつ病にはならない」と思っているのかもしれませんが,ストレスに好きも嫌いもないのです。(p122)
 休日を意識しない生活は,結果として身体を壊したり,うつ病になります。日本人の自殺率が先進国最大なのも,休息より仕事を重視する価値観が,当たり前になっているからだと私は考えます。(p158)
 書いたものを声を出して読むと,自分が書いた文章でありながら,人が書いた文章のように聞こえてきます。客観的な判断ができるのです。(中略)原稿の音読は,脳を刺激し,気分転換し,さらなる執筆意欲をかき立ててくれる素晴らしい方法です。(p196)
 あまりに客観的に見てしまうと,映画はつまらなくなります。それよりも登場人物,特に主人公に感情移入して見たいものです。共感がなければ感情移入はできません。「感情移入できた=共感できた」ということです。(p203)
 パワフルに活動する人とそうでない人の一番の違いは,私は「睡眠」だと思います。(中略)私は,最も重要な仕事術を1つ選べと言われたら,「きちんと睡眠をとること」と答えます。(p224)
 早起きに最も効果があるのは,早起きです。がんばって早起きをすることで体内時計がリセットされ,「早寝早起き」のサイクルが始まるのです。(p240)
 メラトニンが睡眠や生体防御において重要な役割を発揮している基礎データはあるのですが,その効果がサプリメントで得られることを証明するデータは非常に乏しいようです。(中略)脳内物質に関する全てのサプリメントに言えることですが,外から摂取するのではなく,生体内で合成,分泌されるものが一番なのです。サプリメントとして摂取するよりも,メラトニンが出やすい生活,行動をすることが何倍も重要です。(p246)
 この側坐核の神経細胞が活動すればやる気が出ます。ただし,側坐核の神経細胞は,ある程度の「刺激」がきたときだけ活動を始めます。ずっと待ち続けていたら,いつまでも刺激が得られないのです。頑張ってでも作業を始めると,そのことが側坐核への刺激となります。(p253)
 午前中には「論理的作業」に重点をおき,午後からはアセチルコリンが活躍する「創造的作業」に重点を置いてみてください。これによって,あなたの仕事効率は飛躍的に向上するはずです。(p268)
 ひらめきというのは,「ゼロから素晴らしいアイデアが生み出される」ことではありません。単なる脳内での情報連結です。材料は,すでに頭の中にあるのです。素晴らしい発想をするためには,たくさんの情報をインプットしておく必要があります。たくさんの本を読む。多くの情報を得る。いろいろな体験をする。数々の試行錯誤をする。それによって,ひらめきが得られるのです。(p272)
 ひらめいたその瞬間に,書き留めることも重要です。ひらめきは神経細胞の発火(電気的活動)に過ぎません。(中略)脳の中の神経の発火は,瞬時に消失してしまいます。ひらめきは記憶には残らないと思ってください。(p273)
 アルツハイマー病の予防に最も効果的な生活習慣は,「運動」です。(中略)歩行などの有酸素運動によって,脳内の「コリン作動性神経」が働き,大脳皮質や海馬でアセチルコリンの放出量が増加して,血流が増えます。さらに,脳内コリン作動性神経が活性化されるため,大脳皮質の毛細血管が拡張し,閉塞して脳血管の血流の低下が軽くなって神経細胞が虚血による死滅から保護されるのです(p279)
 チクセントミハイは,フローに入りやすい人たちの例として,職人,料理人,流れ作業の職工などを挙げています。これらに共通する特徴は,仕事の段取りを完全に把握していることです。「次に何をやろうか?」「次に,すべきことは?」ということをいちいち考えない。(中略)実は,「次に何をやろう?」という疑問が,一番集中力を妨げるのです。(p315)
 なぜ「感謝の心」を持てる人が成功するのか? その理由は,人に感謝するとエンドルフィンが分泌されるからです。人に感謝するときも,人から感謝されるときも,人間は幸福感を抱くのです。(中略)失敗に感謝する。「失敗から学べてよかった」と考えられる人は,成功へと大きく加速します。エンドルフィンを出すことができるからです。(p317)
 あなたは,おそらくビジネスマンでしょうから,「仕事力をアップさせること」や「仕事の効率化」を実現して,バリバリ働きたいと思っているはずです。ですが,私は精神科医なので,そうした働き方を推奨しません。それよりも,あなたに病気にならないでいただきたい。(p327)
● つまり,早起きして運動しなさい,何事にも感謝しなさい,ということ。本書の提言はこれに尽きる。

2017年9月20日水曜日

2017.09.20 二宮敦人 『最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常』

書名 最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常
著者 二宮敦人
発行所 新潮社
発行年月日 2016.09.14
価格(税別) 1,400円

● ぼくも音楽はわりと聴く方なので,演奏家が幼い頃から楽器を始めていることは知っていた。また,そうじゃないとプロになるのは難しいのだということも。
 しかし,その様相の具体は当然わからない。そのあたり,本書は突っこんだ取材をしている。なるほど,そうだったのか,と思うことが何度もあった。

● 総じて,音校(音楽学部)よりも美校(美術学部)の方が破天荒だ。ぼくは美術に親しむというにはほど遠い生活をしているので,美術を生むのがどういう人たちなのかぜんぜん知らなかった。
 こういう人たちだったのかと蒙を啓いてもらった。何というのか,突き抜けているんですね。ぼくとは生きてる世界がそもそも違う。

● だけど,本書で紹介されている人たちでもって,藝大の全部を染めてしまっていいのだろうかとも思った。本にしやすいように,あるいは内容を面白くするために,極端な例だけを残したということはないんだろうか。
 しかしなぁ,「天才たちのカオスな日常」というのは,言い得て妙だと思わされた。

● 以下に,多すぎる転載。1冊全部引き写したくなるくらいなのだ。
 つまり,その場限りの一発勝負なのよ。作品がずっと残る美校とは,ちょっと意識が違うかもしれない。あと,音楽って競争なの。演奏会に出る,イコール,順位がつけられるということ。音校は順位を競うのが当たり前というか,前提になっている世界なんだよね。(p34)
 音校の中でも邦楽科は特に厳しいようだが,全体的に美校よりも時間の意識は強い。作品がおいてあればよい展覧会と違い,演奏会は奏者が欠けたら成立しないのだ。(p36)
 ピアノにしろヴァイオリンにしろ,声楽にしろ,スポットライトを浴びるのは自分だ。お客さんは演奏だけでなく,演奏者の振る舞いや指の動き,容姿や表情まで含めて楽しむ。(中略)こちら(美校)の場合はあくまで作品が主役。作品を見てもらえば,作者の外見なんてどうでもいいのだ。(p37)
 美校の妻と音校の柳澤さんとでは,同じ芸術を愛する者でも異なる部分がある。それはお金との関わり方だ。そもそも,妻はお金をあまり使わない。貧乏やケチとは少し違う。作れるものは何でも作ろうとするのである。(p37)
 私,月に仕送り五十万円もらってたなあ。音校は何かとお金がかかるのよ。学科にもよるけど。例えば演奏会のたびにドレスがいるでしょ。ちゃんとしたドレスなら数十万円はするし,レンタルでも数万。それからパーティー,これもきちんとした恰好でいかないとダメ(p41)
 私,洗い物したことないのよ。ピアニストにとって指は商売道具だもの。傷つけて演奏ができなくなったら大変,練習できないだけでも困る。一日練習しないと,三日分ヘタになるって言うくらいだからね。重いものも持たないし,スポーツもしない。それは,プロならばより意識しているはずよ。私も高校の頃は,体育は見学してた。(p43)
 そもそも,ある程度の資金力がないと藝大受験は難しいんだよ。もともと私は器楽科のピアノ専攻を目指してたから,大阪から東京まで,新幹線でピアノの塾に通ってた。月謝と交通費だけでも,相当のお金がかかるよ。(p46)
 美校の現役合格率は約二割。平均浪人年数が二.五年。(中略)音校では事情が違う。肩を壊してピアノを断念した柳澤さんによると,浪人する人は少ないそうだ。(中略)「時間の問題かな。卒業が遅くなったら,それだけ活躍する時間が限られちゃうから」(p48)
 音楽家たるもの,演奏は全て一発勝負だ。一発勝負に弱くては話にならない。(p52)
 藝大のレベルは総じて高い。音校なら演奏技術,美校ならデッサン力。そういった,いわば基礎の部分にまずは高い能力が求められる。だが,それはできて当たり前。なぜなら努力で何とかなる部分だから。藝大が求めているのは,それを踏まえたうえでの何か,才能としか表現できない何かを持った学生だ。「光るものを持っている」と審査する教授に思わせることができないと,合格点は得られないようである。(p58)
 他人の描いた日本画には,どうやって描いたのかさっぱりわからないような絵もあるんです。負けたくなくて,自分もいろいろなやり方を試すんです。(中略)一般の人に向けて描くというより,日本画をやる人に向けて描く,そういう意識があります。(p68)
 僕,没頭してしまうんです。四十時間描きつづけるとか,よくやります。それで息切れしてしまって,描けなくなります。(そんな時はどうするんですか)掃除をします。(中略)掃除して部屋を綺麗にします。いらないものを捨てたりして・・・・・・他にやることを全部なくしてしまうと,絵に向き合うしかなくなります。そして,絵の前に帰って来るんです。(p69)
 音校の,特にピアノやヴァイオリンに入る人はね,三歳くらいで人生の進路を決めてしまうことになるのよ。(中略)小さい頃から音楽漬けで,ようやく藝大に入ることができる。卒業してからもずっとその道を歩くわけでしょう。自分の意思で決めたのならいいけど,三歳とかだとどうしても親にやらされて,になっちゃうから・・・・・・(p72)
 藝大生はみんな,僕には天才に見える。しかし,そんな藝大生をして「あいつは天才だ」と言わしめる藝大生も存在する。音楽環境創造科の青柳呂武さんも,その一人だ。「僕は,口笛をクラシック音楽に取り入れたいんです」(p79)
 二人とも独特の緩さがある。絡繰り人形で世界に打って出るとか,口笛の魅力を世界に知らしめるとか,これ一本で食べていくとか・・・・・・そういった勇ましい,積極的な言葉を彼らは使わない。考えもしていないようだ。こんなに凄い人たちなのに,どうしてそうなんだろう? 佐野さんが何気なく口にした。「僕,ものを作っている時間が,好きなんです」(中略) 誰かに認められるとか,誰かに勝つとか,そういう考えと離れたところに二人はいるようだ。あくまで自然に,楽しんで最前線を走っていく。天才とは,そういうものなのかもしれない。(p97)
 座学の必修単位は二十単位そこそこしかないそうだ。(中略)取ってしまえば,残りの卒業要件は実習だけ。(中略) 「サボっちゃう奴もいるんじゃ・・・・・・」 「でも自発的に作らないと,あまり意味ないから」(p100)
 妻のお母さんが,腕組みしながら苦笑した。「ルーヴル美術館でね。本当に,全然動かなくなっちゃって」(中略)なんと,妻はえんえん五時間以上も「サモトラケのニケ」だけを見つめ続けたという。(p112)
 曲を弾くだけで,作曲家(ショスタコーヴィチ)の憤りがありありと伝わってくるそうなのだ。(p116)
 とにかく練習ですね。授業のない日なら,だいたい九時間くらいは自主練します。休憩を挟んで,三時間を三セットという感じで。(p119)
 コンクールは何回やっても緊張します。緊張で八割の力しか出せないなら,実力を二割増しにできるよう練習しなければいけません。本番で実力以上の力が出ることはないですから。(p120)
 例えば同じドでも柔らかいド,情熱的なドなど,上手い人ほど全然違う音を使い分けられるんです。私,衝撃を受けた出来事があって。小学校の頃にですね,父が流していた『くるみ割り人形』のCDを聴いてたんですが,それがまるでオーケストラみたいに聞こえたんです。ピアノの演奏だったのに,ですよ。凄くいろんな音の広がりがあって。(p122)
 ピアノやヴァイオリンを小さい頃から始めたほうがいいというのは,体の理由もあるのよ。(中略)体が作られる時期に練習をすることで,楽器に適した体に成長するの。その時期を逃して後から始めると,もうそれだけで差がついちゃう・・・・・・(p123)
 音楽の世界って厳しいです。みんなライバルですし,人間関係もどろどろした部分があって。人に嘘をつかれたり,そういうこともあります・・・・・・。でも,ピアノは絶対私を裏切らないんです。(p126)
 本番を迎えることができた時点で(指揮者の)仕事の半分は終わったようなものですよ。(p127)
 あと,大事なのは呼吸ですね。(中略)全部の楽器に呼吸がある。その呼吸を僕たちは伝え合い,共有して,一体になるんです。音楽の流れに合った呼吸をして,音楽の表情を作っていくんですよ。(中略)そうやって,うまく噛みあって,響きあった時・・・・・・いや,そんな言葉ではとっても足りないんですけど・・・・・・とにかく本番で心が一つになって演奏ができた時,物凄く幸せなんです。これをやるために生きているんだって,思います。(p127)
 こだわり抜いた音は,やはり人を感動させるんです!(中略)先生の演奏を聴いていると,本当に,涙が出てくるほど感動するんですよ。打楽器だけの演奏で,ですよ? どこまで音を突き詰めるか,どこで妥協してしまうのか・・・・・・自分との戦いで,人生に通じるところがあります。(p161)
 バカ真面目って言うんですかね,真面目にバカをやろうと思ったんですよ。(中略)私,小さい頃,不細工だと言われ続けてたんですよ。でも,それで思ったんです。ブスは人を不愉快にするんです。みんなに悪いことをしているわけです。だから私,綺麗になろうって決めました。常に他人への意識を切らさない,他人を不愉快にさせない,他人に無償の愛を与えられるひとになろうと決めたんです。(p173)
 絵画科油絵専攻の大きな特徴の一つとして,油絵を描かなくてもいいという点がある。嘘みたいだが本当だ。(中略)「でも自由とはいえ,みんな深掘りはしますね。自分のテーマに沿って,徹底的に追求します」(p182)
 僕ら(声楽科),知らない人に声をかけるのとか苦じゃないですよ。基本,人が好きですし。(中略)ほんと,対人能力が高い人は多いですよ。それを活かして居酒屋やキャバクラでバイトしてる子もいます。(p185)
 僕らは体が楽器ですから。人にもよりますが,自主練は二時間くらいで限界なんです。喉を消耗してしまうんですよ。(中略) (残りの時間は)遊びに使ったり。他には体を鍛えています。ジムに行ったり。体幹を鍛えないといい音が出ないんです。肉体は大事ですね。(中略)あとはやっぱり勉強ですね。学ぶのは主に語学です。言葉を知らないと,歌えませんから。(中略)イタリア語,フランス語,ドイツ語,ロシア語,英語,このあたりは必須ですね。(p187)
 声楽科の将来は,音校の中でも特に厳しいと聞いていた。(中略)やりたい役があっても,生まれ持った声質がそれに合っていなければ採用されることはない。舞台に立つ以上,容姿も厳しく比較される。アジア系というだけで,ずいぶんハンデがあるという。努力でカバーできる部分が他の科に比べて少ないそうだ。(中略)「まあでも,声楽科ってみんな楽観的なんですよ」(中略)「僕らやっぱり,声が楽器ということを誇りに思ってるんです。人間の体って素晴らしい,人生って素晴らしいと根っから信じてるんですよね」(p188)
 人って意味とか文脈とか抜きに,「何かいいぞ」ってシンパシーを感じることがあるじゃないですか。それを作りだした時に,やったぞって思うんです。一度その達成感を味わってしまったら,もうやめられないんですよねえ。(p200)
 アートってそのう・・・・・・何でしょうね(中略)知覚できる幅を拡げること・・・・・・かなあ。(p206)
 でも,いかに無駄なものを作るかって側面もありますから。(中略)ちゃんと役に立つものを作るのは,アートとは違ってきちゃいます。この世にまだないもの,それはだいたい無駄なものなんですけど,それを作るのがアートなんで。(p208)
 オルガンに同じものは二つとない,と言えるほどだそうだ。「そうした様々なオルガンのための楽曲を,目の前にある一台のオルガンで再現しなくてはならないんです。ここが難しいところです」 当時のオルガンと目の前にあるオルガンは,構造も音の響き方も全く異なる。つまり別の楽器のようなもので,楽譜があってもその通りに弾くことすら困難なのだ。(p219)
 古楽の楽譜には,一番舌の音符しか書かれていないんです。でも実際には,奏者はこれを和音にして演奏するんです。(中略)一応,楽譜には和音の簡単なヒントが書かれていたりはしますけれど,アドリブで作っていくことには変わりないです。それから,旋律の装飾もします。例えば楽譜にド,レ,ミと書かれていても,その通り吹かないんです。(中略)奏者がアレンジしていくんです。(p224)
 数学や科学が宇宙の深淵に迫れるのなら,音楽にだってそれができるのだ。「『私たちは音楽の末端でしかない。けれど,その末端は本当に美しくなければならない』って,先生に言われました。本当にそうだと思っていて。私は,音楽の一部になりたいんです。(p229)
 「アーティストとしてやっていけるのは,ほんの一握り,いや一つまみだよね」 楽理科卒業生の柳澤佐和子さんが,あっさりと言った。 「他の人は卒業後,何をしているの?」 「半分くらいは行方不明よ」(p231)
 「何年かに一人,天才が出ればいい。他の人はその天才の礎。ここはそういう大学なんです」 入学時,柳澤さんは学長にそう言われたという。(p233)
 そもそも藝大では進路指導や,就活支援のようなことをほとんどやりません。いえ,教授にもできないんですよ。もちろん相談には乗ってくれるでしょうけどね,あまり意味がありません。一般企業に就職するような人だったら,藝大で教授なんてしていないでしょうからね。(p234)
 『芸術は教えられるものじゃない』と入学してすぐに言われました。技術は習うことができますが,それを使って何をするかは,自分で見つけるしかないんです。(中略)そもそも売れる方法は,教授にだってわからないんですよ。藝大で評価されなかった人が,大成功することもありますからね。(p237)
 山口さんは東大の工学部で建築を学んだ後,社会人経験を経て藝大の作曲科に入った異色の経歴の持ち主だ。もともと音楽に興味はあったが,中高一貫校にいたこともあり,流されるまま勉強しているうちに東大に入っていたという。 「最初は,社会の役に立たなければいけないということに捉われていました。でも東大で,建築の先生が言っていたんですね。『全ての建築は個人的な欲求からスタートする』と。依頼主のためとか,社会のためじゃなくて,個人的にやりたいことがあってこそ,だそうです。他者のニーズとは後からすり合わせていけばいいと。なるほど,と思いまして。やりたいことをやっていたほうが,周りの人も見ていて楽しいじゃないですか。それこそが結局は,社会のためになるのかなと」(p240)
 実際に取材するなかでも感じるのだが,どうやって生活していくか,あまり考えていない人が見受けられるのだ。そんなことより今は絵に全力投球。良くも悪くも集中している。(p241)
 デザインって,お客さんありきなんですよ。いかに相手の要望に沿ったものを作るかですから。逆にいうと独創性とか,個性が重要ではないんです。そのせいか,他の人の作品と競うとか,そいういう意識が薄いと思います。(p247)
 伝統的な手法は,やはり教授に学ぶのが一番だと思うんです。逆に新しい手法は,自分の肌で直接触れながら学んでいこうと。現代の世相に一番敏感でいられるのは,自分たちだと思うんですよ。(p274)

2017年9月17日日曜日

2017.09.17 京都コンピュータ学院KCG資料館 『パーソナルコンピュータ博物史』

書名 パーソナルコンピュータ博物史
著者 京都コンピュータ学院KCG資料館
発行所 講談社ビーシー
発行年月日 2017.03.15
価格(税別) 1,300円

● 昔のパソコンを写真で紹介しているもの。っていうか,それだけのもの。

● 形がいいと思ったのは,シャープの製品。MZシリーズ,X1,X68000,いずれも恰好いい。
 国民機といわれたNECの98シリーズは,形としてはダサい。98が市場を席巻したのは,ひょっとしたらわずかな偶然が連続した結果に過ぎないのかもしれない。
 逆に,市場を席巻するには,デザインとか形というのは,あまり重要ではなかった時代なのかもしれない。

● というか,今でも,たとえばiPhoneが売れているのはデザインや形によるものなのだろうか。iPhoneの随伴現象で,Macもだいぶ売れるようになったらしいんだけど,これもデザインや形だけで説明が付くんだろうか。
 どうもそうではないような気がするんだけど。なんか時代の空気のようなものが作用してるっぽい。空気としか言いようがないもの。
 Appleのすごいところは,空気を味方につけたところ,あるいは空気を作りだしたところ。けれども,どうしてその空気をつくれたのかは,Apple自身にもわからないのではあるまいか。

2017年9月16日土曜日

2017.09.16 茂木健一郎 『最高の結果を引き出す質問力』

書名 最高の結果を引き出す質問力
著者 茂木健一郎
発行所 河出書房新社
発行年月日 2016.11.30
価格(税別) 1,300円

● 副題は「その問い方が,脳を変える!」。人に問うのではなく,自分に問うというのが,本書の主題。
 自分にどんな問いを発することができるか。それによって,事態への対応力や時間あたりの生産性がかなり変わってくる,と。

● ではなぜ,問い方が重要なのか。まず,この世に正解のある問題などないということ。その他,具体的には次のようなことだ。
 世界には,「問題を解いた人」よりも「問題提起をした人」のほうが偉いという認識が,確かにあります。日本はもしかするとその逆で,「与えられた問題をなるべく早く解ける人」が偉いと思っているところがあるのではないでしょうか。(p20)
 もっといいアイデアはいくらでもあるのかもしれません。しかし,とりあえず思いつくことをやってみる。世界を変えるイノベーションは,「少しでもいい方向に進む可能性があるならやってみる」という軽さから生まれます。(p24)
 あなたは,たいていの問題について,「こうしたらいい」「こうすべきだ」ということが決まっていると思ってはいないでしょうか。まだ自分が知らないだけで,正しいことは決まっているから,誰かにそれを教えてもらえばいいと思っていませんか? 実は,この世の中で,われわれが遭遇する問題のほとんどに正解はありません。(p31)
 「科学的真実」という言葉がありますが,そえは絶対の真理を意味するものではありません。「こうだと仮定して,こういう手段を使うと,こうなるというだけで,その仮定がすべてではないし,その手段がすべてでもありません。科学の答えすら,「絶対」ではないのです。(p40)
 人間は,自分の感情をもとにして,信念をつくっています。(中略)自分が「こうだ」と信じ込んでいることは,実は感情をベースにつくられた偏見にすぎません。(p58)
 感情がすべての基本です。こんな感情を持っていて恥ずかしいと邪険にしたり,ムリな正当化をすることなく,ありのままにメタ認知して自分の育つ種にすることが必要なのです。(p64)
 河合(隼雄)さんは,カウンセリング中,そういう共感的態度を絶対にとりませんでした。「私はこうだけど,あなたはこうだったのね」自分の中心を絶対にずらさないのだそうです。そういう聞き方をしないと,実際に患者さんが治らなかったのです。大事なのは,「自分とまったく同じように感じてくれること」ではなくて,「自分の話をよく聞いてくれるけれども,自分とは違う存在がいること」なのではないでしょうか。(p90)
 私がケンブリッジ大学に留学していたとき,よく経験したのが,「ナイーブな質問は無視される」という経験です。(中略)席を立たれてしまうのは,「人間に対する見通しが,あまりにも陳腐だから」です。(中略)データを真に受けて,そのとおりに実行することが正しいと思い込んでしまう人は,「他人に基準を求める人」です。「朝やるのがいい」と聞いて,朝8時から勉強して,実際に「いい大学」の入試に通ったとしても,その人の人生は,他人に従っていくだけかもしれません。独自に考えて,工夫して,イノベーションを興していくような人とは違う。そういう意味で,この人は「ナイーブ(単純で未熟)」と判断されてしまうのです。(p92)
 「世の中は複雑で,その複雑なパラメータ(変数)の中でものごとが決まっていく」これは絶対に身につけるべき教養です。(p97)
 他人と自分はまったく別の存在です。自分がその人の楽器になってこそ,その人の一番奥を引き出すことができます。(p113)
 意外なことに,自分と他者を切り離せる人のほうが,最終的に他者の気持ちを推し量る力が高くなるのです。(中略)多くの人が,困った人に対して間違ってしまうのは,「なぜ自分はこの人に共感できないのだろうか?」と思ってしまうことにあります。(中略)共感できない相手に対しては,いったん自分と切り離して,「この人はなぜこういう言動をとっているのだろう」と冷静に分析して理解する必要があります。(p138)
 ふだんわれわれは,なにかに気づくと,すぐに「いい」「悪い」を言いたがります。(中略)マインドフルネスでは,ただ起こっていることに「気づく」だけに留めて,一切「いい」「悪い」の判断をはさまないようにします。(中略)「いい」「悪い」でなく,「気づく」ことに重点を置いています。世界には複数の文脈があることに自然に気づき,一つのことにこだわらなくなって,受け流す力がついてきます。(p143)
 自分の生活を本当に変えたいと思ったら,問題をありのままに認識することが必要です。自分の「本当の問題」を知りたいと思ったら,意識に邪魔をさせないほうがいいのです。無意識はすでに答えを知っています。だからこそ,それを「なかったこと」にしようと合理化するのではなく,自覚するように努めます。(中略)欠点であれ,汚点であれ,醜さであれ,能力不足であれ,暗い過去であれ,素直に意識化ができている人の人生は,少なくとも精神的に安定しているように見えます。自分で自分を許せています。(p148)
 たいていの大事なことは,すぐには分からないものです。本当に大事なことを教えてくれていても,今の自分と違う考えは,やはり受け入れるのが難しいものです。(中略)すぐには分からないで,拒否感を覚えるものこそ,判断を停止してずっと覚えておくという努力をするとよいでしょう。(p151)
 どんな新しいものでもすぐに陳腐化してしまう。つまり,終わりがないのです。だから私たちは「次はなに?」と質問そして常に移動し続けていくわけです。(中略)「次はどんな挑戦をしようか?」というのが,本来,脳の求める質問だとも言えます。(p154)
 どんなに熱中できることがあるとしても,脳は一つのことだけをやっていると行き詰まってしまう性質があります。仕事でも,勉強でも,行き詰まってきたら,次のものに移ってしまいましょう。(中略)同時並列的に,少しずつ進めて,行動を止めないようにしていきます。(p157)
 自分なりに徹底して考えていったら,あとはリラックスして,いわば完全に脳にお任せするのがいいのです。(p161)
 なにか気になることがあったら,「自分の外に出してみる」ことが重要で,それによって客観的に眺められるようになります。(中略)問題は,分かって初めて口にできるのではなく,口にして初めて見えてきます。脳は,一度外に出さないと,自分自身と対話できないのです。(p171)
 トヨタの現場で,カイゼンすべきポイントを見つけるためにとられた方法--。それは「なぜ?」を5回繰り返すことです。問題が見つかったら,5回くらい問わなければその真の原因を突き止めることができないと言います。(中略)繰り返し問うていくことで,原因となるものが見えてきます。1回で真の原因を見つけることもありますが,それはまぐれと言っていいでしょう。(p175)
 自分の問題を見極めるにはやはり,容赦なき実質の追求が必要です。(p180)
 努力しているのに,その方法では一向にうまくならないなら,「もっと違う方法があるのではないか?」と質問をするべきです。(p184)
 人生には,絶対に解けない問題もあります。たとえば,「老い」は誰にもどうすることもできません。どうすることもできないものほど,人間は悩むものです。絶対に解けない問題に向き合うために,私は芸術を観ることをおススメします。(p187)
 世界で活躍するためには,英語と自分の行こうとしている国の言語と,世界共通の感覚を身につけることは必要です。(中略)しかし,それだけで国際的に活躍する人にはなれません。この質問が必要です。「自分だけが持っているものはなにか?」(中略)自分だけが持っているものがなぜ必要かと言えば,それが世界に対する贈り物になるからです。世界から与えられるものを学ぶだけではなく,自分も世界の一員であり,「これだけは得意だ!」と自分から世界に与えるものを持っているから,必要とされるのです。(p195)
 私たちは世界で活躍している人たちを,「英語が話せて,国際感覚が豊かなのだろうな」という単一のイメージでとらえがちですが,実はさまざまなバックグラウンドを持った人たちがお互いに力を生かすからこそ世界の問題に対処できるし,面白いものがつくれるのです。(p197)
 「こんなものはローカルで活かしようがない」と捨ててしまいがちなものほど,実は大事なものです。(p198)
 「こうすればできるようになる!」というセオリー,固定したノウハウでなく,生きた情報収集をしてください。セオリーは「誰でも同じようにやれ」という方法ですが,成功した人に誰一人として同じ人はいません。(p200)
 違いというのは,相手に対するリスペクトとして表れなければなりません。たとえば,外国からの旅行者は,ほとんど日本文化を知らないでやって来ます。(中略)しかし,「日本には違う文化があるのだ」というリスペクト,そして「それを学ぼう」というオープンな姿勢があれば,われわれはこの人を素敵な人だと思うでしょう。(p203)
 どんなに最悪な状況でも,小さな工夫をして,自分と他人が気持ちいいと思う一瞬をつくるように心がけてください。それが結局は,あなたの生きる力になってくれます。(p210)

2017年9月15日金曜日

2017.09.15 佐藤富雄 『魔法の快眠術』

書名 魔法の快眠術
著者 佐藤富雄
発行所 東洋経済新報社
発行年月日 2005.09.29
価格(税別) 1,300円

● 副題は「眠りながら夢がかなう」。

● 以下にいくつか転載。
 困ったときには、ぐっすり眠ればいいのです。難しい問題に直面したときこそ,あれこれ考えずに眠るのです。そうすると,脳が勝手に問題を解決してくれます。(p29)
 ずっと眠らずにいて,夢を見ることができない状態が続くと,わたしたちの脳は起きているあいだに,無理やり「夢」をみようとします。それが,いわゆる「幻覚」です。(p74)
 わたしは次のように考えます。 「人は人生の3分の1を眠り,残りの3分の2は目を覚ましている」 すなわち,生活のベースは,あくまでも「眠り」なのです。(p76)
 気持ちのいいものに流されるのは,意志が弱い証拠。快楽に惑わされず,ストイックに生きることが,素晴らしい。もし,みなさんがこんなふうに思っているのだとしたら,それは大きな間違いです。わたしたちは「快」を求めて生きるよう,プログラミングされています。「快」の状態にあるときほど,わたしたちの潜在能力は発揮されます。(p125)
 地下の実験室で,一切の外的刺激がない状態で過ごしていると,参加者たちは徐々に約25時間周期の生活を送るようになります。(中略)さらに面白いのは,こうしてずっと25時間周期の生活を送っていると,少しずつ体調を崩してしまうという点です。ここから,体内時計が25時間にセットされているのは,それが心身にとってベストなリズムだから,というわけではないことがわかります。おそらくは,日常での細かな睡眠リズムの乱れにも柔軟に対応できるよう,あらかじめ「のりしろ」のような時間が,1時間用意してあるのでしょう。(p143)

2017年9月13日水曜日

2017.09.13 松浦弥太郎 『「自分らしさ」はいらない』

書名 「自分らしさ」はいらない
著者 松浦弥太郎
発行所 講談社
発行年月日 2017.01.25
価格(税別) 1,300円

● 本書で説かれていることをひと言で要約すれば,自分らしさ(と自分が考えるところのもの)に捕らわれるな,ということ。
 そのうえで,「心で考える」「想像力と感受性を働かせる」こと(p34)が重要だよ,と。

● 以下にいくつか転載。
 「何かを始めたいなら,『自分らしさ』など捨てたほうがいい」 このルールを発見した時,ぼくは自由になりました。(p3)
 ずっと休業していたのに,ある時点でぱちんとスイッチを切り替えるように,心で考えられるようになる人もいます。そういう人はどんどん伸びていくし,これまでつかってなかった能力が一気に吹き出すようです。「そのスイッチとは,なんだろう?」 僕なりに考えた答えは,プライドを捨てること。(p35)
 意思決定する際の「核」はおそらく,情報を理性で分析する性質を持つ,頭の中にはないのでしょう。感受性や洞察力などを備えた心の中にこそ,意思決定の「核」があるのです。(p40)
 根っこには愛情が必要です。感受性や想像力から生まれたものだとしても,愛情を伴わない行動は,相手に届かなくなります。また,(中略)愛情がなければ感受性も想像力も働かないものです。(p47)
 僕はメディアでコンテンツを作ったり,こうして文章を書いたりしているわけですが,絶えず注意しているのは,「教えてあげよう」あるいは「このメッセージを伝えよう」と思わないこと。そう思った途端,何一つ成し遂げられず,すべて無駄になるような気がしています。(p54)
 頭だけで考えて,いくら斬新なこと,面白いことを発信しようとしても,既存のメディアよりも優れたことはなかなか出てきません。メディアや起業は頭をつかうプロフェッショナルが集まり,アイデアを送り出すシステムを持っているのですから,同じやり方を一人でやっても,なかなか難しいものです。しかし,心の働きであれば,常に一対一の試合となります。プレイヤーその人の心のあり方が問われます。(p55)
 さんざん雑誌を作り,今もメディアをやっていて実感するのは,「人はまったく見慣れない初めてのものに対して,一切,興味を持たない」ということ。なぜなら経験値がないから,解釈しようがないのです。(中略)人は,自分がよく知っているものをもっと知りたい気持ちが強いから。まったく知らない新しいことを知るよりも,よく知っていることのなかの新しさを知りたいのです。(p58)
 世の中のみんなの欲しいものや困りごとと,自分自身の欲しいものや困りごとは,イコールではありません。世の中の求めているものは,自分の感覚の角度の外にあることのほうが多いはずです。(p67)
 長く残っている会社は,「自分らしさの更新」をしています。馬具づくりからスタートしたエルメスが,「自社らしさ」にこだわって鞍や鐙だけつくっていたら,今の一流メゾンでいられたでしょうか? 答えは明白です。(p85)
 変化のスピードに対応する訓練として最適だと思い,自分プロジェクトとして僕が取り組んでいるのは,「一瞬で慣れる」ということ。その状況,その環境,その場所に,すぐに慣れること。時間をかけて馴染んでいくのではなく,スタートしてすぐに慣れることを自分に課しています。(p85)
 自分らしさを捨てること。素直でまっさらな自分になれば,いろんなことを受け入れ,いろんなことを猛スピードで学べ,一瞬で慣れることができるでしょう。(p88)
 読む人がどう捉えるか,どう受け取るのかを想像して書く。誰も傷つけないように,誰も悲しまないように,注意して書く。その答えをどんどん自分で突き詰めていくとふと思ったことがあります。「結局、僕は,自分が愛している人のために文章を書いているんだな」読んでくれるのが知らない人で,不特定多数の相手だとしても,僕はその人たちのことを愛しています。愛している人に対してどう書くかをいつも心で考えています。(p126)
 僕たちはなんとなく,「冷静沈着なのが頭で,自由気ままなのが心」というとらえかたをしがちですが,うまくいっていない兆候に敏感なのは,心のほうです。(p135)
 僕は前向きな自己否定を続けているので,いつもトライアル&エラーです。人より失敗の数は多いけれど,それだけトライしている証拠なので,構わないと思っています。(p143)
 「人事異動はくじ引きでいい」 僕がメンターにしている経営者が,ある時,こうおっしゃっていました。(中略)彼はこんな話もしてくれたのです。「能力のある人というのは,何でもできるんです。一流の羊飼いとして暮らしてきた人を草原から連れてきて会社の社長にしても,本当に一流の羊飼いなら,なんとかこなしてしまうものだよ」(p143)
 僕が尊敬してやまないメンターの一人は,真摯で賢い事業家です。彼のもとにはいろいろな人やメディアから「ぜひ,話を聞かせてください」という依頼がくるのですが,全部断っているのだそうです。(中略)「僕は言うことがしょっちゅうころころ変わるから,だめなんですよ」(中略)毎日いろんなことに興味を持って,いろんなことを学んでいるから,考えがそれに応じて変わってしまう。そこを指摘されるのは嫌だから,応じられない,と。(p146)
 その先に人がいてこそ,僕たちは夢中で,時間を忘れて打ち込めるのです。(中略)目的のその先に人がいる。それこそ,心をつかえる一番の理由です。なぜかというと,人はそこにしか幸せを見つけられないから。役に立つこと,ほめられること,必要とされること,愛されること。人が幸せを感じるのは,この四つしかありません。(p167)

2017年9月10日日曜日

2017.09.10 内田 樹・釈徹宗 『聖地巡礼 リターンズ』

書名 聖地巡礼 リターンズ
著者 内田 樹・釈徹宗
発行所 東京書籍
発行年月日 2016.12.01
価格(税別) 1,600円

● 聖地巡礼シリーズの3冊目。副題は「長崎,隠れキリシタンの里へ!」。案内役の下妻みどりさんが重要な役割を果たしていて,3人目の著者といっていいと思うんだけど,彼女は著者には入っていない。

● 話は八方に飛ぶ。それがこの聖地巡礼シリーズの面白さ。隠れキリシタンから日本の風土や鎖国の話に及ぶ。
 編集段階で整理はしているんだろうけども,整理しすぎないその按配がよろしいのだろう。

● 以下に,多すぎるかもしれない転載。
 キリスト教にしても,浄土真宗にしても,弱者の宗教という面があります。弱者が苦難の人生を生きるための手立て,それは「信じる」です。「信じる」という態度は,人間のあらゆる感情やパフォーマンスの中で最も強いものだと思います。(釈 p18)
 「日本の宗教土壌にはキリスト教のような一神教は合わない」とよく指摘されますよね。確かに反りが合わない面もあるのですが,日本においてもときどき一神教的な宗教が大きく展開するんです。たとえば,浄土真宗や日蓮宗などは一神教的な性格を持っている宗派です。(釈 p26)
 世界に誇れる日本の資源といったらそれですよ。霊的な資源というのは,土地に長い時間をかけて堆積してゆくものなんですから。その上に現代的なものが乗って押しつぶしているけれど,これをどうやって賦活させるのか,それが二一世紀の日本の課題だと思います。(内田 p61)
 自己利益とか党派性とかまったく無関係に純粋に論理的にある立場の瑕疵を吟味するというのは,ユダヤ教が源流でしょうね。ラビたちの聖句をめぐる論争というのは,「あなたがそう言うなら,私はそれと反対のことを言う」という知的な訓練ですからね。自分の個人的信条をいったん「棚に上げて」,ある主張の論理的瑕疵を徹底的に追求する。あれやると,頭よくなるんです。(内田 p65)
 来世に強烈なリアリティがないと態度をつらぬき通すことなどできなかったでしょう。純粋な信仰だけで殉教したのは,ローマと長崎だけだとも言われます。(釈 p79)
 日本は(太平洋戦争で)負けすぎたんです。もう少し負け方が穏やかだったら,臥薪嘗胆,「次は勝つ」という気持ちも持てたでしょうけれど,もうそんな言葉も出ないほどにボロボロに負けた。(内田 p87)
 コアに本来の濃厚な宗教性があって,周りにそれを守ろうという人たちがいて,さらにその周りには観光客がいる。だから強い聖地の周辺は俗化する。(釈 p96)
 もしかすると,キリスト教にはある「巨大な言い落とし」があって,それは「自分を愛する」とはどういうことかについて何も教えていないことじゃないかなと,あるときふっと思ったんですよ。(中略)東洋的な発想からすれば,「孝の始め」はまず自分の身体を大切にすることであって,自分の身体をできるだけ傷つけないように保持する。でも,身体保全の原理は,殉教と矛盾する。だから,身体髪膚を「与えられたもの」だとは考えないで,自分の所有物だと思う。(中略)身体軽視はユダヤ教からキリスト教が分離するときのたぶんいちばん大きな切断線じゃないかと思うんです。(中略)ユダヤ教では日々守るげき祭祀儀礼や食事や服装についても詳細な規定がある。自分の身体をていねいに扱って,栄養状態もよく管理して,身体を気分よく使える状態にしておかないと,こういう煩瑣で具体的な儀礼は守れない。でも,キリスト教の場合は,心の中にほんとうの信仰があれば,外形的な戒律や儀礼はどうでもいいとされる。(内田 p106)
 どういう理由か,行政が手がけるアートってことごとくダメですよね。道を綺麗に整備して,点々と置いたりするアートにしても,まともなものってないですから。(釈 p130)
 聖地の霊的な力は行政が介入すると必ず衰えますね。聖地の力と行政の介入は反比例する。(内田 p134)
 踏んじゃった自分に対する自己評価は激しく下がる。だから,自己評価を上げるためには,私は恥ずべき人間だという厳しい倫理的断罪を自分自身に突きつけるしかない。(中略)だから,踏み絵ってほんとうに残酷な刑罰だと思うんです。処罰するのが役人ではなく,自分自身なんですから。自分からは逃れようがない。(内田 p135)
 他と妥協しにくいタイプの宗教もけっこうあります。浄土真宗や日蓮宗などはその代表です。弱者の宗教はその傾向が強い。(釈 p160)
 オラショはたぶん瞑想の道具なんでしょうね。たぶん途中からトランス状態ですよ。(内田 p161)
 やはりどこか自然とシンクロしないと,宗教って明るさが出ませんよね。逆にいえば,内省型の宗教も自然とシンクロさえすれば開放的な部分が生まれる。(釈 p161)
 日本のクリスチャンって,どこかの段階で自己決定して洗礼を受けるわけじゃないですか。だから,どこか自分の信仰に不安がある。自己決定して選ぶことができた信仰なら,自己決定で捨てることもできるわけですから。でも,この土地の人たちにはそういう不安がない。(内田 p170)
 釈 成功者のうしろめたさというのは世界の各文化圏で見られるそうです。むしろプロテスタントのように,社会的成功こそが神の救いという考え方のほうがちょっと珍しいみたいです。そうすると,あらためてカトリックの共同体志向とプロテスタントの個人志向が確認されますね。 内田 だから,カトリックの方が海外布教がうまいし,その延長で植民地経営もうまい。アメリカのプロテスタンティズムは植民地経営向きじゃないですね。(p180)
 邪悪さというのは,どこからか「スケールの問題」になるんです。人間が制御できないものは人間世界に持ち込んではいけない。人間の物語に回収できないんですから。(内田 p201)
 個人的にどれほど苦しもうとも,殺した事実は変わらない,殺された人は生き返らない,だから無意味だというのは悪質なニヒリズムです。システムに対して我々が抗せるのは屈託とかやり切れなさとか,そういうどうしても片付かない気持ちなんです。片付かない気持ちってね,思っている以上に現実変成力があるんです。(内田 p203)
 もっとキリシタンの心性の解釈には多様性があっていいんだと思います。(遠藤周作の)『沈黙』という物語は力がありますから,ついそれに居着いてしまいますけれど,複数の物語が共生している方が土地にとっては風通しがよいんじゃないですか。(内田 p207)
 中国がそうでしたよね。イエズス会は明代に宮廷に入り込んで,多くの宮廷人を改宗させることに成功しました。特にヨーロッパの科学技術を持ち込んで,それによって知識人層の関心をつかんだことが大きかった。でも,後にやってきた修道会は,イエズス会に比べるとはるかに原理主義的で,祖霊崇拝の儀式をすべて否定した。(中略)それが皇帝の逆鱗に触れて以後キリスト教は禁教となります。(内田 p227)
 戦国時代まではじゃんじゃん山の木を伐採して,築城や製鉄に使っていた。特に製鉄は大量の木材を消費した。そのせいで,戦国末期には日本の山は次々と禿げ山になっていった。その森林の保護を徳川政権が行った。ジャレド・ダイアモンドの『文明崩壊』によると,人類史で,文明による自然破壊を政治権力が介入して停止させた事例は徳川時代の日本だけだそうです。(内田 p234)
 鎖国というのも,よくよく考えると実に大胆な政策難です。強制的に歴史の進歩を停止させようとしたんですから。経済を定常化し,社会のかたちも定常化しようとした。(中略)その方が人間は幸福だと考えたんでしょう。これは独特の統治理念の実践だったと思いますね。(中略)これは,かなり性根の据わった統治理論を持ってないと維持できないですよ。(p234)
 鎖国が完成したのは家光の時代か。そこまで考えて鎖国に踏み切ったんだろうか。むしろ何も考えてなかったのではないか。
 (戦国末期に)日本人は当初は外来の科学技術の導入に対して貪欲でしたけれども,どこかの段階でブレーキがかかった。僕はどうしてブレーキがかかったのか,それが気になるんです。(中略)信長や秀吉の時代の日本の統治者たちは,海外についてもかなり信頼性の高い情報を有していたはずだからです。(中略)東アジアに限って言えば,当時の日本の政権の方が,マドリッドの政府よりも,情報収集力も分析力も圧倒的に高かったはずですよ。(内田 p240)
 イエズス会士たちが個人的には島原の乱に対して同情的だったのは当然ですけれど,修道会として他国の内戦にコミットするということはしないでしょう。でも,そういう「陰謀集団がすべてを陰で操っていた」という話は歴史解釈において知的負荷を劇的に軽減してくれるので,あまり深くものを考える習慣のない人は飛びついちゃうんです。(内田 p242)
 僕は告白については,やや懐疑的なんです。告白するとき,当人は自分をふたつに分裂しているわけですよね。罪や弱さを暴露される自分と,それを容赦なく暴露する自分。そうやって人格を便宜的に二分割する。いわば成熟した自分と未熟な自分に分けてしまう。そして,成熟した自分が仮借なく未熟な自分を分析し,切り刻んでいく。それってうまくゆきすぎて,結果的にあまり人間を成熟させない気がする。成熟って,自分の未熟さを受け入れるってことだと思うんです。(内田 p256)
 儀礼は心身の負担を軽減するために装置なんですよ。儀礼なしで,自分の信仰は果たして真実のものであろうか,それとも表層的な欺瞞的なものに過ぎないのか・・・・・・なんて頭抱えだしたら,身体が持たないですよ。(内田 p260)
 内田 この「負けしろ」の大きさが,僕は日本の最大の国民資産だと思います。「落人部落」とか「隠れキリシタン」というのは,すぐれて日本的な存在なんだと思いますけれど,それを可能にしたのは,この奥深い谷なんです。 釈 なるほど,負けても生きていける,そういう地形なんですね。(p264)
 宗教って,ある種のひとつの「病み方」なんですよね。健全な人ってこの世に一人もいないですから。程度の差はあれ,みんな心を病んでいる。そして,人間の持つ本質的な弱さは必ず「物語」を求める。宇宙を統べるひとつの統一的な摂理があって,自分の個人的な祈りが,そこに伝わると,宇宙の風景に,自分の祈りによってわずかではあれ変化がもたらされる。(中略)どこかで類的な宿命に繋がっていたい。有限的な存在が,無限の境地と,ある超越性の回路を経由して繋がることを夢見る。そういう物語を人間はどうしても必要としているんだと思います。(内田 p284)
 宗教的迫害の対象になることは,強烈な選民意識を刺激するはずです。ネガティブではあるけれど,劇的な高揚感があるはずで。(内田 p286)
 神に至る道には神なき宿駅があるというのがユダヤ教以来の一神教の基本です。神が今まさにここに顕現して来ない,神が今ここでは不在であるという事実そのものが,神の不在に耐えても信仰を維持できるような宗教的成熟を促す,という。(内田 p287)
 地下に潜伏というのをネガティブに考えがちですけど,地下に潜伏ってけっこうワクワクする経験のような気がするんです。(内田 p287)
 国民国家というのは一個の幻想であり,イデオロギーです。(中略)かつてはそうではなかったし,いずれそうではなくなる。そういう期間限定の歴史的構成物です。でも,「国民国家の時代」においては,その事実はなかなか可視化されません。(内田 p293)

2017年9月9日土曜日

2017.09.09 佐藤富雄 『人は“口ぐせ”から老化する』

書名 人は“口ぐせ”から老化する
著者 佐藤富雄
発行所 青春出版社
発行年月日 2008.04.15
価格(税別) 1,300円

● アメリカのいわゆる成功哲学は,なりたい自分をありありとイメージして,そのイメージを保持せよ,という。さすれば,叶うであろう,と。
 「強く念じよ,すべては叶う」というときに,その念じ方の違いによって色々な流派(?)が生まれるのかもしれない。

● 日本は言霊がさきわう国だ。言葉を大事にする。佐藤さんは,“口ぐせ”に気をつけよという。人はその人の“口ぐせ”のとおりになるのだから,と。

● 以下にいくつか転載。
 まさに,私たちの人生は,口ぐせによって支配されているといってよいでしょう。では,年をとっても若々しくいるためにはどうすればよいでしょうか? 答えは簡単です。“若くなる口ぐせ”を持ち,使えばいいのです。(p3)
 「口に出していること」こそが「信じている」ことなのです。(中略)重要なのは,言葉が生まれたのが先であり,その言葉によって「意識」が生まれたということです。(p24)
 たとえ他人のことであっても,悲しい話をすれば悲しくなり,楽しい話をすれば楽しくなってくるのです。(p33)
 ポジティブな口ぐせを定着させたければ,心や身体を「快」の状態に置くことが大切です。家のなかにじっとしていて暗い気分でいるのに,ポジティブで明るい言葉を使えというのは無理な注文です。(p47)
 では,「快」の状態はどうやってつくればよいのでしょうか。(中略)私がお勧めしたいのは,ちょっとしたウォーキングです。(p48)
 もりもり食べれば元気でいられるというのは,成長期にある若い人の場合です。四〇歳を過ぎたら,一日一八〇〇カロリーに近づけていきたいものです。それが,若々しく生きていく秘訣です。(p64)
 歩いていれば,こうしたベータエンドルフィンやドーパミンが脳内を潤していくのですから,ものごとを肯定的に見られるようになることは間違いありません。こうした脳内環境を作ることが,いい口ぐせや習慣を確立する大切な要素なのです。(p72)
 ウォーキングは一人に限ります。(中略)一人になって考えること自体が大切であり,それによって脳が活性化されることが大事なのです。(p74)
 歩きながら音楽を聴くほどもったいない行為はありません。(中略)音楽や語学は,止まっているときに聴けばいいのです。(p77)
 朝のウォーキングと,通勤で歩くのとは決定的な違いがあります。それは,歩いているときの気分です。(中略)同じウォーキングをするのでも,脳を活性化させたければ,意識的に「快」の状態に自分を引っ張っていくことが大切です。(p83)
 五〇歳からのエクササイズには,自転車もぜひ加えたいものです。それは,自転車に乗ることによるバランス感覚が大切だからです。(p105)
 一日二食がいいのか三食がいいのかよく議論されますが,四〇歳以上の人ならば,朝食を抜いて二食にするのがベストです。(p115)
 仏道の修行で断食をする人を見て,さぞかし厳しいことだろうと想像する人は多いでしょう。しかし,ケトン体がきちんと出てくるようになれば,空腹感を覚えないのですから,思っているほどつらくはありません。(p119)
 菜食主義者には体力のない人が多いように見受けられます。長生きはできても,八〇歳現役で恋もしてバリバリ働くという印象ではありません。(P124)
 人生一〇〇年時代で,一番大事なのは正しい知識。一番の敵は無知です。(p150)
 もし保存料がなかったら,食中毒で命を落とす人が年に何万人と出ていることでしょう。(p151)
 農薬にしても,正しい知識を持っている人がどれだけいることでしょうか。日本で使われている農薬に限っていえば,まず神経質になることはありません。動物実験によって「ここまでは安全」という基準をつくり,その一〇〇〇倍に希釈されたものを使っていると考えたらいいでしょう。(p151)
 人生というものは,自分が思ったようになるものです。七〇歳になって「もう年をとったからだめだ」と思う人は,その通りになります。私のように八〇歳近くなっても「まだまだ元気だ」と思っている人は,やはりその通りに元気なままなのです。(p155)
 もの忘れは人間に与えられた素晴らしい能力です。「忘れ上手」な人こそが,若く生きるためのキーワードだと,私は脳科学者として確信しています。(中略)私はまだまだいろいろなことをやるつもりですから,いちいち過去のことにこだわっている暇がないのです。(p162)
 いい人生は,絶対に楽しくなくてはいけません。自分が他人の犠牲になることで,幸せだと感じている人を見かけますが,それでは本当にいい人生とは言えません。(中略)「いつか幸せになるから,今は苦しさを我慢しよう」というのもいけません。今,幸せでないと何の意味もないのです。いつか,いつかと言っているうちに年を重ね,すぐに六〇歳,七〇歳となってしまいます。(p168)

2017年9月8日金曜日

2017.09.08 番外:twin 2017.9月号-はんなりの和

発行所 ツインズ
発行年月日 2017.08.25
価格(税別) 286円

● 和食店の紹介。足利の「京かのこ」,宇都宮の「青やぎ」「登夢」「ともとこころと」,那須塩原の「うめ野」,真岡の「裕」,那須の「KIRARI 星里」,鹿沼の「ひなたぼっこ」,日光(今市)の「無垢里」,壬生の「だんらん」。

● この中で真岡の「裕」には一度だけ行ったことがある。6年ほど前になるか。食べに行ったんじゃなくて,飲みに行ったわけだけど。
 もちろん,旨かったですよ。惣誉の冷酒が進んだ。

● 和食の店というと,高いという印象がある。しかし,きちんとした和食を出そうとすれば,相当な細かい仕事を加えなければならないだろう。
 つまり,たいていの店の値段はリーズナブルだと考えるべきなのだろう。

● 和食店の場合,こちらも試されているという気分にさせられることがある。つまり,敷居が高い。こちらが勝手に作った思いこみだろうか。

2017.09.08 森 博嗣 『MORI Magazine』

書名 MORI Magazine
著者 森 博嗣
発行所 大和書房
発行年月日 2017.08.01
価格(税別) 1,200円

● 森博嗣が雑誌を作るとこうなるというわけなんだけど,この雑誌が一般受けするかというと,もちろん,そうはいかない。
 売れる雑誌には下世話なところがないとね。男性誌なら女性のヌード。女性誌ならセックス記事と占い欄。そういうものは本書にはないのでね。

● が,面白いですよ。読み始めれば,たぶん終わりまでノンストップで行くと思う。まず,読んでみてくれと言うほかはない。

● 以下にいくつか転載。
 僕は,そんじょそこらの厭き性ではありません。心底,根っからの厭き性です。厭きると,頭が疲れます。そういうときは無理をせず,すぐに別のことをやり始めます。じっと集中して一つのことを続けるなんて,まったく無駄なことだと考えている人間なのです。(p2)
 小説にはキャラがいるのです。このキャラが,読む人の身近な存在になり,物語が読者の頭の中で展開します。人は,自分が好きな人の言うことはしっかりと理解しようとする傾向があります。だから,キャラさえ好きになってもらえば,どんな嘘も通してしまえるようになるでしょう。小説には,そんな有利さがあります。(p3)
 黙っているのが,年寄りの嗜みではないでしょうか。(p12)
 日本の都市は,こういったインフラストラクチャの歴史が浅く,ほとんどは前後に急ピッチで整備されたものです。一度に築き上げたものですから,老朽化などの問題も一度に押し寄せてきます。新しい道路や橋を造っている場合ではない,ということですね。(p19)
 かつては常識的だったことも,今では問題になります。常識的だったというのは,問題がなかったのではなく,もみ消されていたり,泣き寝入りしていた,ということです。問題として出てくることは,良い傾向だと思います。(p20)
 だいたい,(ポケモンが)ニュースになったのは,半分は宣伝ですよね。思ったほど流行っていないから,やっきになって宣伝したのではありませんか?(p23)
 AIに関して,唯一の心配は,人間がAIを悪用する危険性です。(p30)
 もの凄くクリーンで良いイメージだった期待のオバマ氏が,結局何をしたのか,という失望感がすべてだったでしょう。オバマで駄目だったのに,オバマに負けたクリントンでは駄目だ,というまっとうな判断ですよ。(p37)
 この選挙で特徴的だったことは,マスコミが自分たちの願望をニュースにして流していたことです。これは,日本でもしばしば見られる傾向です。ようするに,マスコミは自分勝手な報道をするのだと,大衆が知ることができたのは大きな成果だったでしょう。年寄りは,まだ気づいていませんが,若者はしっかりと見届けたのではないか,と思います。(p37)
 世間がどう思っているかを意識するのが,もう大人なんですね。子供はそんなことを気にして遊んでいません。(p46)
 大人は,ある意味で,頭が不自由な人なのです。子供は知識もない,ルールも知らない,だから自由に思いつける。そこが大人が失っている要素です。知識なんて,発想の障害になるといっても過言ではありません。(p53)
 周囲の理解を超えた新しい発想と,未知の分野へのチャレンジ精神こそが必要なのではないかと。言われたことをやればいい,仲間と一緒にしていれば良い,という人ばかりでは,人類の文明はここまで発展しなかったのではないか,とも思います。(p47)
 今世紀になってから,言いたいことが自由に言えない空気が,急速に立ち込めてきた感じはありますね。主として,ネットの普及で,コミュニケーションが短絡的になったためです。まるで,近所の人が何倍にも増えたみたいな効果です。(p48)
 屈しても良いのですが,執念深く忘れないことです。自分の正しさを,みんながいずれ知ることになるだろう,と自信を持っていれば良い。自分で考え抜いた理屈であれば,それくらいは信じられるはずです。(p63)
 理系の人間は,「知らない」ことを恥じないし,また「知らない人」を蔑まない。それは単に,ポケットにたまたま持っている小銭くらいの価値だと考えているからだ。知識は人間の能力ではなく,状態にすぎない。(p83)
 人生の役に立つのか,と敬遠される数学ではあるが,役に立たないものとは,つまり私利私欲,人間関係,歴史に無関係な純粋さにほかならない。そんな不毛ともいえる大地に,人間は興味を抱き,エネルギィや時間を捧げて,開拓してきた。その精神こそが,人間という生き物の崇高さを示している。(p99)
 「この成功にはこんな苦労があった」という物語は,結果がわかっているから安心して聞ける,お子様向け,あるいは年寄り向けの「ありきたりの物語」でしかない。まさにそこが,つまらないのである。(p103)
 野生の動物でも群れを成す場合は,ボスに服従する。そのボスも,自分に餌を持ってくる奴を引き立てたりはしない。自分に迫る力の持ち主を恐れ,いずれは地位を明け渡すことになる。 この習性は,もちろん人間でも同じだ。世話になったり,借りのある人間に従うわけではない。(中略)人間らしさの多くは,自然の本能に逆らったものなのである。つまり,その種のモラルは,人間に生来備わっているものではない。教えられて身につく。(p106)
 僕は,小説を読まない。この十年で読んだ小説は,十冊もない。八割は,吉本ばなな氏の本である。小説を書くのに,小説を読むことは障害になる。(中略)小説以外であれば,一ヵ月に二十冊くらいは本を読む。これは,雑誌を含まない。(中略)読むものは,ほぼノンフィクションで,ジャンルはさまざまである。古いものはあまり読まず,新刊を読んでいる。ちなみに,そうやって読んだ本から,自作品の引用文に使うことも滅多にない。(p166)
 一言でいえば,人間嫌いだろう。人ごみの空気が生理的に合わない。他者がすぐ近くにいたり,座っているような場所は駄目である。そういうものの最後は,七年くらいまえのボブ・ディランのライブだったか。(p172)
 声を出して話したり聞いたりするよりも,文字を書いたり読んだりすることの方が圧倒的に多い。なにかを買いにいっても,店員と話すようなことはない。(中略)よく,英語が話せないから外国には住めないという人がいるけれど,誰も話なんかしていませんよ。(p171)
 しゃべるよりも書いた方が速いし,楽です(p186)
 自分のやりたいこと,好きなことを仕事にするなんて,ろくなことがありませんよ。金を稼ぐ手段は,割り切ってやるのが一番健全だと思います(p183)
 仕事は純粋に,ニーズに応え,新しい製品,ほかにない商品を,いち早く提供していく,ということに尽きます。自分の好みを入れたら,それだけ不純なものになるだけです。(p183)

2017年9月7日木曜日

2017.09.07 『アンソロジー そば』

書名 アンソロジー そば
発行所 PARCO出版
発行年月日 2014.12.31
価格(税別) 1,600円

● “そば”に関する短いエッセイを集めたもの。書いている人は次のとおり。写真は小林キユウさんが担当。
 池波正太郎 島田雅彦 杉浦日向子 山口瞳
 五代目柳亭燕路 町田康 吉行淳之介 群ようこ
 東海林さだお 松浦弥太郎 川上未映子 入江相政
 福原義春 タモリ 神吉拓郎 獅子文六
 小池昌代 中島らも 尾辻克彦 川上弘美
 丸木俊 田中小実昌 荷宮和子 吉村昭
 山下洋輔 平松洋子 川本三郎 村松友視
 立松和平 渡辺喜恵子 黒柳徹子 佐多稲子
 色川武大 太田愛人 みなみらんぼう 大河内昭爾
 立原正秋 檀一雄

● “そば”自体について語っているものもあれば,“そば”は脇役になっているものもある。
 そば屋と酒は相性がいいのだろう。ぼくはそば屋で飲んだことはなくて,どうやら一度もないまま人生を終えそうな予感があるんだけれども。
 本書を読んで“そば”を食べたくなったかというと,案外そうでもなかったけれど,“そば”というのは端倪すべからざる食べものなのだなと,改めて思うことになった。それで充分。

● 以下にいくつか転載。
 小島政二郎の『食いしん坊』は大好きな随筆集だ。蕎麦のことがこう書いてある。東京の蕎麦屋で,自分のところで蕎麦を打っている家は数えるほどしかない。(中略)蕎麦屋ではおつゆだけ自分のところでこしらえて,お客に出すそうだ。なので,室町の「砂場」とか,神田の「藪」とか以外,どこそこの蕎麦がうまいというのはおかしな話ということだ。どこそこのおつゆがうまいというなら聞こえるが・・・・・・。とこんな具合の文章だ。(松浦弥太郎 p61)
 ひっそりとした店の中で,まばらな客から少し離れて,ほんの少し後ろめたい思いもしながら酒を飲むのはいいものだ。付き出しといってもせいぜい板わさとか卵焼きくらいしかないが,なに,ザルの一枚でもとってそれを相手にして飲んでいればいいのだ。これを一度やると野卑な蛮声に満ちた酒場へ行くのはつらくなってくる。(中島らも p105)
 飢饉の南部藩では,自分が植えたそばを打って食べることはご法度とされていた。そばがきなら粉も少量ですむが,打てばおいしさのあまり,つい食べすぎるということなのだろうか,きびしいお達しであったようだ。その名残りで,祖母たちの年代までは,そばもうどんも“ハット”と言う。(渡辺喜恵子 p172)
 “ハット”という言葉は,ぼくの祖母や母親も使っていた。こちらでは,小麦粉を練った団子のことをいう。
 野菜を醤油や味噌で煮こんだ鍋に小麦粉を湯で練ったものをちぎって入れていく。要するに,すいとんのことだ。それを“ハット”といった。おそらく,今は使われない言葉になっているだろう。

2017年9月5日火曜日

2017.09.05 和田秀樹 『考え込まない まず「スタート」する』

書名 考え込まない まず「スタート」する
著者 和田秀樹
発行所 新講社
発行年月日 2011.10.20
価格(税別) 1,300円

● 著者は,仕事に生きがいを求めるな,仕事は稼ぐための手段だと割り切れ,稼いだお金で好きなことをやればいいではないか,と言う。
 しかし,仕事で身につくものは色々あるのだから,考えすぎないでやってみろ,それくらいの方が上手くいくものだ,とも。

● 要は,考えすぎるなということ。自分の適性とか専門分野とかやりたいこととか,そういうことを考えすぎるな,と。
 それと,長期計画とか目標とかを予め決めてしまうのはダメだとも言う。やりもしないで,計画も目標もないではないか。やってみて初めて見えてくるものではないか。

● 以下にいくつか転載。
 仕事も人生もやってみないことには,どう転ぶかわからない(p6)
 わたしは仕事に生きがいを求めることじたい,間違いとは思っていません。1つの方向性として,むずかしいけれどもあると思っています。ただその場合でも,生きがいを見失ったときにはあっさり,「食うため」という割り切りができるかどうか,それが問題になってきます。(p38)
 やりたいこととおカネ稼ぎの手段が一致するというのは,危険な面もあります。生き方が限定されてしまって,かえってつらいことがあるからです。(p40)
 日本人は会社と人生を重ね合わせる傾向があります。おカネを稼ぐ場所と,生きがいややりがいを感じる場所は同じでなければいけないと考えるのです。(中略)会社はおカネを稼ぐ場所,そのおカネで自分の好きなことや,やってみたいことができるなら,ストレスはずいぶん小さくなるはずです。会社と人生を重ね合わせれば,ストレスの逃げ場がなくなります。(p43)
 食うために働くだけで,おカネ以外に得るものはたくさんあります。ところが,「仕事の意味」を考え出すと事情は一変します。「こんな仕事,だれがやっても同じだ」とか,「自分が頑張っても儲かるのは会社だけだ」とか,あげくに「何か意味があるのか」と考えると,すべての仕事がバカバカしくなってきます。(中略)でも,そこで感じるつまらなさは,社会に出たからにはあっさり乗り越えなければいけないものなのです。(p57)
 食うためと割り切っても,仕事にはつらいことがたくさんあるのだと知ることが,社会に出ることの意味なのです。(p59)
 職場でみんなに信頼される人には共通点があります。仕事のやり方がていねいだということです。(中略)どんな仕事でも手を抜かないで,きちんと仕上げてくれます。(p71)
 「結果を出せばそれでいいじゃないか」という理屈は通用しない世界なのです。でも,これが働くことで身につくいちばん大切なものになります。(p72)
 いまの仕事や職場への不満など何ほどのものでもありません。失うのはせいぜい,勤務時間中の自由とちっぽけなプライドぐらいのものです。そのかわり,得るものはいくらでもあります。(p79)
 失業している人にとっては週末は何のうれしさもありません。いくら時間は自由でも,その楽しみを保証してくれるものがありません。フリーも同じで,仕事をしない日はおカネを稼げない日です。(中略)就職するということは,休みの日や,1日の中の自由な時間を保証されるということなのです。好きなことをして過ごしてもおカネの心配をしなくていいのです。こんな恵まれた身分はありません。(p90)
 転職というのは一発で決めるべきものです。「これでダメならまた転職すればいい」というのが,典型的な自分の安売り人間になります。転職するたびに値段が下がるのは当たり前で,ダメ,ダメできた人間は買い叩かれて当然です。(p105)
 「いわれたことだけやればいい」と考えるタイプでしたら,たぶんお得意の仕事はないでしょう。職場の人間関係に息苦しさを感じたり,転職のことが頭にチラチラ浮かんでいるような人も同じです。つまり仕事を狭苦しく考える人は,気持ちの余裕がなくなって職場でも萎縮している可能性があります。(p129)
 周りに頼りにされる時間が多くなれば,職場そのものが楽しい場所になってくるでしょう。少なくとも,自分の仕事だけと向き合っている人間よりは解放感をもてるはずです。(中略)そしてこういう人なら,どんな職場に移っても元気にやっていけるはずです。(p130)
 動かなくていい仕事はありません。考え込むだけで解決する問題はありません。そして動けばかならず状況が変わります。(p131)
 わたしがいいたいのは,遠回りさえいとわなければ,どんな目標に対してもいますぐスタートラインに立てるということです。逆に目標をたててもそれがすぐ実現することを望む人のほうが,いつまで経ってもうまくいかなくてグズグズしてしまいます。(p145)
 先入観だけで「イヤだ」「できない」と思っていたこどが,いざやってみたら意外に楽しかったり,性に合っていたりします。腹を決めて成り行きに任せたときに,しばしばそういう結果が生まれます。(p161)
 「固い決意」より「成り行き任せのほうが,あらゆる事態に対応できる(p169)
 ベンチャーで成功した30代くらいの経営者なんて,5年後にはまたどん底の時代に入って消えているかもしれません。成功者というのは,逃げ切って財産と名声を手にした人間ならともかく,現時点での評価でしかないのですから,失敗者と背中合わせになります。(p177)
 自分のスタートラインが見つからないと感じる人は,どこかで平凡な人生やふつうの人生を軽んじているのかもしれません。やりたいことを見つけて,そこをめざしてスタートすることが大事だと考えているのかもしれません。でも,目標や希望はスタートしてから見えてきます。(p178)
 スタートラインが見つからない人は,自分を1人だと思っていることが多いのです。友人がいないとか家族がいないとか,そんなことではありません。自分のスタートラインを決めるのは自分だけだとか,自分の生きがいを他人には邪魔されたくないと思っている人が多いのです。これが視野の狭さです。(p189)

2017年9月1日金曜日

2017.09.01 コクヨ株式会社 『コクヨのシンプルノート術』

書名 コクヨのシンプルノート術
著者 コクヨ株式会社
発行所 KADOKAWA
発行年月日 2016.12.24
価格(税別) 1,400円

● 取材先はコクヨの社員。コクヨ製品以外のものも登場する。自社製品じゃないのを使っているって,なんだか和む。
 もっとも,コクヨといえども,文具や事務用品のすべてを手がけているわけではないんだろうから,その部分を他社製品で補っているのかもしれないんだけど。

● 仕事でバリバリ使っている人たちの使い方を紹介しているわけだから,読んでいて地に足が着いていると思うところが多かった。
 本書をノート術解説書の決定版としたい。

● 以下にいくつか転載。
 このデジタル・モバイル全盛時代において,ノートの販売冊数ってどのように推移していると思いますか? じつは・・・・・・,販売数は減っていません。それどころか,皆さんに購入していただいているノートは年々増え続けています。コクヨだけでも年間1億冊のノートを販売しています。(p2)
 ノートを一番使っている年齢層は小学校から高校の児童・生徒だと思う。その児童・生徒は急激に減ってきたはずだ。
 それでもノートの販売数は増えているということは,大人がノートを使うようになっているということだろう。大したものだねぇ。
 昔に比べると,1億総インテリ化が進んでいるってことですかねぇ。
 デジタル上では,ある言葉を線で囲もうとしても,囲むカタチはどうしよう,太さはどうしよう,色はどうしよう・・・・・・と,脳が指令を出してから表現し終えるまでにタイムラグが生じます。その点,ノートの手書きは,脳に近いところにいる感覚で作業でき,気持ち→即,行動へとつながり,ストレスを感じません。思ったことを思い通りに表現できると,人は満足します。(p10)
 ノートには,書き留めたときの「瞬間」も記録できます。「瞬間」とは「そのときの自分の想い」,そして「空気感」です。(中略)ノートは索引のようなものであって,ノートを見ただけで,そこに紐付いている「広大な記憶領域」を,時空を超えて呼び寄せられるということです。(p11)
 営業職なので,お客様の前でメモをとる機会が多いのですが,リングノートはページを完全にめくれるので,お客様に前のページが見えない状態でメモがとれます。(p32)
 測量野帳は紙面が小さいので,短い言葉と矢印を駆使して,ダラダラと長いだけの文章を書かないようにしている。(p111)
 概念を整理する企画業務が多いため,基本,「ノートは思考を整理するために使うもの」という前提です。見返すことは少ないので,書いたものはどんどん捨てています(ホワイトボードの感覚に近い)。(p114)