書名 最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常
著者 二宮敦人
発行所 新潮社
発行年月日 2016.09.14
価格(税別) 1,400円
● ぼくも音楽はわりと聴く方なので,演奏家が幼い頃から楽器を始めていることは知っていた。また,そうじゃないとプロになるのは難しいのだということも。
しかし,その様相の具体は当然わからない。そのあたり,本書は突っこんだ取材をしている。なるほど,そうだったのか,と思うことが何度もあった。
● 総じて,音校(音楽学部)よりも美校(美術学部)の方が破天荒だ。ぼくは美術に親しむというにはほど遠い生活をしているので,美術を生むのがどういう人たちなのかぜんぜん知らなかった。
こういう人たちだったのかと蒙を啓いてもらった。何というのか,突き抜けているんですね。ぼくとは生きてる世界がそもそも違う。
● だけど,本書で紹介されている人たちでもって,藝大の全部を染めてしまっていいのだろうかとも思った。本にしやすいように,あるいは内容を面白くするために,極端な例だけを残したということはないんだろうか。
しかしなぁ,「天才たちのカオスな日常」というのは,言い得て妙だと思わされた。
● 以下に,多すぎる転載。1冊全部引き写したくなるくらいなのだ。
つまり,その場限りの一発勝負なのよ。作品がずっと残る美校とは,ちょっと意識が違うかもしれない。あと,音楽って競争なの。演奏会に出る,イコール,順位がつけられるということ。音校は順位を競うのが当たり前というか,前提になっている世界なんだよね。(p34)
音校の中でも邦楽科は特に厳しいようだが,全体的に美校よりも時間の意識は強い。作品がおいてあればよい展覧会と違い,演奏会は奏者が欠けたら成立しないのだ。(p36)
ピアノにしろヴァイオリンにしろ,声楽にしろ,スポットライトを浴びるのは自分だ。お客さんは演奏だけでなく,演奏者の振る舞いや指の動き,容姿や表情まで含めて楽しむ。(中略)こちら(美校)の場合はあくまで作品が主役。作品を見てもらえば,作者の外見なんてどうでもいいのだ。(p37)
美校の妻と音校の柳澤さんとでは,同じ芸術を愛する者でも異なる部分がある。それはお金との関わり方だ。そもそも,妻はお金をあまり使わない。貧乏やケチとは少し違う。作れるものは何でも作ろうとするのである。(p37)
私,月に仕送り五十万円もらってたなあ。音校は何かとお金がかかるのよ。学科にもよるけど。例えば演奏会のたびにドレスがいるでしょ。ちゃんとしたドレスなら数十万円はするし,レンタルでも数万。それからパーティー,これもきちんとした恰好でいかないとダメ(p41)
私,洗い物したことないのよ。ピアニストにとって指は商売道具だもの。傷つけて演奏ができなくなったら大変,練習できないだけでも困る。一日練習しないと,三日分ヘタになるって言うくらいだからね。重いものも持たないし,スポーツもしない。それは,プロならばより意識しているはずよ。私も高校の頃は,体育は見学してた。(p43)
そもそも,ある程度の資金力がないと藝大受験は難しいんだよ。もともと私は器楽科のピアノ専攻を目指してたから,大阪から東京まで,新幹線でピアノの塾に通ってた。月謝と交通費だけでも,相当のお金がかかるよ。(p46)
美校の現役合格率は約二割。平均浪人年数が二.五年。(中略)音校では事情が違う。肩を壊してピアノを断念した柳澤さんによると,浪人する人は少ないそうだ。(中略)「時間の問題かな。卒業が遅くなったら,それだけ活躍する時間が限られちゃうから」(p48)
音楽家たるもの,演奏は全て一発勝負だ。一発勝負に弱くては話にならない。(p52)
藝大のレベルは総じて高い。音校なら演奏技術,美校ならデッサン力。そういった,いわば基礎の部分にまずは高い能力が求められる。だが,それはできて当たり前。なぜなら努力で何とかなる部分だから。藝大が求めているのは,それを踏まえたうえでの何か,才能としか表現できない何かを持った学生だ。「光るものを持っている」と審査する教授に思わせることができないと,合格点は得られないようである。(p58)
他人の描いた日本画には,どうやって描いたのかさっぱりわからないような絵もあるんです。負けたくなくて,自分もいろいろなやり方を試すんです。(中略)一般の人に向けて描くというより,日本画をやる人に向けて描く,そういう意識があります。(p68)
僕,没頭してしまうんです。四十時間描きつづけるとか,よくやります。それで息切れしてしまって,描けなくなります。(そんな時はどうするんですか)掃除をします。(中略)掃除して部屋を綺麗にします。いらないものを捨てたりして・・・・・・他にやることを全部なくしてしまうと,絵に向き合うしかなくなります。そして,絵の前に帰って来るんです。(p69)
音校の,特にピアノやヴァイオリンに入る人はね,三歳くらいで人生の進路を決めてしまうことになるのよ。(中略)小さい頃から音楽漬けで,ようやく藝大に入ることができる。卒業してからもずっとその道を歩くわけでしょう。自分の意思で決めたのならいいけど,三歳とかだとどうしても親にやらされて,になっちゃうから・・・・・・(p72)
藝大生はみんな,僕には天才に見える。しかし,そんな藝大生をして「あいつは天才だ」と言わしめる藝大生も存在する。音楽環境創造科の青柳呂武さんも,その一人だ。「僕は,口笛をクラシック音楽に取り入れたいんです」(p79)
二人とも独特の緩さがある。絡繰り人形で世界に打って出るとか,口笛の魅力を世界に知らしめるとか,これ一本で食べていくとか・・・・・・そういった勇ましい,積極的な言葉を彼らは使わない。考えもしていないようだ。こんなに凄い人たちなのに,どうしてそうなんだろう? 佐野さんが何気なく口にした。「僕,ものを作っている時間が,好きなんです」(中略) 誰かに認められるとか,誰かに勝つとか,そういう考えと離れたところに二人はいるようだ。あくまで自然に,楽しんで最前線を走っていく。天才とは,そういうものなのかもしれない。(p97)
座学の必修単位は二十単位そこそこしかないそうだ。(中略)取ってしまえば,残りの卒業要件は実習だけ。(中略) 「サボっちゃう奴もいるんじゃ・・・・・・」 「でも自発的に作らないと,あまり意味ないから」(p100)
妻のお母さんが,腕組みしながら苦笑した。「ルーヴル美術館でね。本当に,全然動かなくなっちゃって」(中略)なんと,妻はえんえん五時間以上も「サモトラケのニケ」だけを見つめ続けたという。(p112)
曲を弾くだけで,作曲家(ショスタコーヴィチ)の憤りがありありと伝わってくるそうなのだ。(p116)
とにかく練習ですね。授業のない日なら,だいたい九時間くらいは自主練します。休憩を挟んで,三時間を三セットという感じで。(p119)
コンクールは何回やっても緊張します。緊張で八割の力しか出せないなら,実力を二割増しにできるよう練習しなければいけません。本番で実力以上の力が出ることはないですから。(p120)
例えば同じドでも柔らかいド,情熱的なドなど,上手い人ほど全然違う音を使い分けられるんです。私,衝撃を受けた出来事があって。小学校の頃にですね,父が流していた『くるみ割り人形』のCDを聴いてたんですが,それがまるでオーケストラみたいに聞こえたんです。ピアノの演奏だったのに,ですよ。凄くいろんな音の広がりがあって。(p122)
ピアノやヴァイオリンを小さい頃から始めたほうがいいというのは,体の理由もあるのよ。(中略)体が作られる時期に練習をすることで,楽器に適した体に成長するの。その時期を逃して後から始めると,もうそれだけで差がついちゃう・・・・・・(p123)
音楽の世界って厳しいです。みんなライバルですし,人間関係もどろどろした部分があって。人に嘘をつかれたり,そういうこともあります・・・・・・。でも,ピアノは絶対私を裏切らないんです。(p126)
本番を迎えることができた時点で(指揮者の)仕事の半分は終わったようなものですよ。(p127)
あと,大事なのは呼吸ですね。(中略)全部の楽器に呼吸がある。その呼吸を僕たちは伝え合い,共有して,一体になるんです。音楽の流れに合った呼吸をして,音楽の表情を作っていくんですよ。(中略)そうやって,うまく噛みあって,響きあった時・・・・・・いや,そんな言葉ではとっても足りないんですけど・・・・・・とにかく本番で心が一つになって演奏ができた時,物凄く幸せなんです。これをやるために生きているんだって,思います。(p127)
こだわり抜いた音は,やはり人を感動させるんです!(中略)先生の演奏を聴いていると,本当に,涙が出てくるほど感動するんですよ。打楽器だけの演奏で,ですよ? どこまで音を突き詰めるか,どこで妥協してしまうのか・・・・・・自分との戦いで,人生に通じるところがあります。(p161)
バカ真面目って言うんですかね,真面目にバカをやろうと思ったんですよ。(中略)私,小さい頃,不細工だと言われ続けてたんですよ。でも,それで思ったんです。ブスは人を不愉快にするんです。みんなに悪いことをしているわけです。だから私,綺麗になろうって決めました。常に他人への意識を切らさない,他人を不愉快にさせない,他人に無償の愛を与えられるひとになろうと決めたんです。(p173)
絵画科油絵専攻の大きな特徴の一つとして,油絵を描かなくてもいいという点がある。嘘みたいだが本当だ。(中略)「でも自由とはいえ,みんな深掘りはしますね。自分のテーマに沿って,徹底的に追求します」(p182)
僕ら(声楽科),知らない人に声をかけるのとか苦じゃないですよ。基本,人が好きですし。(中略)ほんと,対人能力が高い人は多いですよ。それを活かして居酒屋やキャバクラでバイトしてる子もいます。(p185)
僕らは体が楽器ですから。人にもよりますが,自主練は二時間くらいで限界なんです。喉を消耗してしまうんですよ。(中略) (残りの時間は)遊びに使ったり。他には体を鍛えています。ジムに行ったり。体幹を鍛えないといい音が出ないんです。肉体は大事ですね。(中略)あとはやっぱり勉強ですね。学ぶのは主に語学です。言葉を知らないと,歌えませんから。(中略)イタリア語,フランス語,ドイツ語,ロシア語,英語,このあたりは必須ですね。(p187)
声楽科の将来は,音校の中でも特に厳しいと聞いていた。(中略)やりたい役があっても,生まれ持った声質がそれに合っていなければ採用されることはない。舞台に立つ以上,容姿も厳しく比較される。アジア系というだけで,ずいぶんハンデがあるという。努力でカバーできる部分が他の科に比べて少ないそうだ。(中略)「まあでも,声楽科ってみんな楽観的なんですよ」(中略)「僕らやっぱり,声が楽器ということを誇りに思ってるんです。人間の体って素晴らしい,人生って素晴らしいと根っから信じてるんですよね」(p188)
人って意味とか文脈とか抜きに,「何かいいぞ」ってシンパシーを感じることがあるじゃないですか。それを作りだした時に,やったぞって思うんです。一度その達成感を味わってしまったら,もうやめられないんですよねえ。(p200)
アートってそのう・・・・・・何でしょうね(中略)知覚できる幅を拡げること・・・・・・かなあ。(p206)
でも,いかに無駄なものを作るかって側面もありますから。(中略)ちゃんと役に立つものを作るのは,アートとは違ってきちゃいます。この世にまだないもの,それはだいたい無駄なものなんですけど,それを作るのがアートなんで。(p208)
オルガンに同じものは二つとない,と言えるほどだそうだ。「そうした様々なオルガンのための楽曲を,目の前にある一台のオルガンで再現しなくてはならないんです。ここが難しいところです」 当時のオルガンと目の前にあるオルガンは,構造も音の響き方も全く異なる。つまり別の楽器のようなもので,楽譜があってもその通りに弾くことすら困難なのだ。(p219)
古楽の楽譜には,一番舌の音符しか書かれていないんです。でも実際には,奏者はこれを和音にして演奏するんです。(中略)一応,楽譜には和音の簡単なヒントが書かれていたりはしますけれど,アドリブで作っていくことには変わりないです。それから,旋律の装飾もします。例えば楽譜にド,レ,ミと書かれていても,その通り吹かないんです。(中略)奏者がアレンジしていくんです。(p224)
数学や科学が宇宙の深淵に迫れるのなら,音楽にだってそれができるのだ。「『私たちは音楽の末端でしかない。けれど,その末端は本当に美しくなければならない』って,先生に言われました。本当にそうだと思っていて。私は,音楽の一部になりたいんです。(p229)
「アーティストとしてやっていけるのは,ほんの一握り,いや一つまみだよね」 楽理科卒業生の柳澤佐和子さんが,あっさりと言った。 「他の人は卒業後,何をしているの?」 「半分くらいは行方不明よ」(p231)
「何年かに一人,天才が出ればいい。他の人はその天才の礎。ここはそういう大学なんです」 入学時,柳澤さんは学長にそう言われたという。(p233)
そもそも藝大では進路指導や,就活支援のようなことをほとんどやりません。いえ,教授にもできないんですよ。もちろん相談には乗ってくれるでしょうけどね,あまり意味がありません。一般企業に就職するような人だったら,藝大で教授なんてしていないでしょうからね。(p234)
『芸術は教えられるものじゃない』と入学してすぐに言われました。技術は習うことができますが,それを使って何をするかは,自分で見つけるしかないんです。(中略)そもそも売れる方法は,教授にだってわからないんですよ。藝大で評価されなかった人が,大成功することもありますからね。(p237)
山口さんは東大の工学部で建築を学んだ後,社会人経験を経て藝大の作曲科に入った異色の経歴の持ち主だ。もともと音楽に興味はあったが,中高一貫校にいたこともあり,流されるまま勉強しているうちに東大に入っていたという。 「最初は,社会の役に立たなければいけないということに捉われていました。でも東大で,建築の先生が言っていたんですね。『全ての建築は個人的な欲求からスタートする』と。依頼主のためとか,社会のためじゃなくて,個人的にやりたいことがあってこそ,だそうです。他者のニーズとは後からすり合わせていけばいいと。なるほど,と思いまして。やりたいことをやっていたほうが,周りの人も見ていて楽しいじゃないですか。それこそが結局は,社会のためになるのかなと」(p240)
実際に取材するなかでも感じるのだが,どうやって生活していくか,あまり考えていない人が見受けられるのだ。そんなことより今は絵に全力投球。良くも悪くも集中している。(p241)
デザインって,お客さんありきなんですよ。いかに相手の要望に沿ったものを作るかですから。逆にいうと独創性とか,個性が重要ではないんです。そのせいか,他の人の作品と競うとか,そいういう意識が薄いと思います。(p247)
伝統的な手法は,やはり教授に学ぶのが一番だと思うんです。逆に新しい手法は,自分の肌で直接触れながら学んでいこうと。現代の世相に一番敏感でいられるのは,自分たちだと思うんですよ。(p274)