2021年12月29日水曜日

2021.12.29 岡本太郎 『岡本太郎 歓喜』

書名 岡本太郎 歓喜
著者 岡本太郎
編者 岡本敏子
発行所 二玄社
発行年月日 1997.09.26
価格(税別) 2,800円

● 再読。前回は2012年に読んでいる。去年は南青山の岡本太郎記念館や川崎にある岡本太郎美術館を訪ねてみたのだが,岡本太郎への興味は,少なくとも2012年以前からあったことがわかる。
 大阪万博のとき,ぼくは中学生だったが,「太陽の塔」に対する興味はほぼ全くなかった。気になったのはいつ頃からだろう。今では「明日の神話」を見るためだけに渋谷に行くことがある。

● 本書は岡本敏子さんが編んだ,岡本太郎が残した文章のアンソロジー。それに絵を付けたもので,画集と言ってしまうとちょっと違う。画集として絵だけを見ていくのもありだとは思うけれど。
 アンソロジーから文章を抜書きするのもアホっぽい話だが,以下に転載。
 生きる瞬間,瞬間に絶望がある。絶望は空しい。しかし絶望のない人生も空しいのだ。(中略)絶望こそ孤独のなかの,人間的祭りである。私は絶望を,新しい色で塗り,きりひらいて行く。絶望を彩ること,それが芸術だ。(p3)
 どんなことがあっても,自分がまちがっていたとか,心をいれかえるとか,そういう卑しい変節をすべきではない。一見,謙虚に見えて,それはごま化しであるにすぎないのだ。(p4)
 理解され,承認されるということは他の中に解消してしまうことであり,つまり私,本来の存在がなくなってしまうことだ(p6)
 この瞬間に徹底する,「自分が,現在,すでにそうである。」と言わなければならないのです。現在にないものは永久にない,というのが私の哲学です。逆に言えば,将来あるものならばかならず現在ある。(p7)
 そのころ,すでに日本から遊学している絵描きが,パリに四,五百人ほどはいたのではないか。みんな年輩者だった。不思議だったのは,彼らがまったく日本人だけでかたまり,フランス語のフの字も喋らない。生活者としてここにとけ込まないで,それでいながら,一生懸命パリらしい街角や,セーヌ河の風景,あるいは金髪の女を描いていることだった。血肉の中に熱く深いかかわりも持たずに,手先だけで格好をつけたイメージを描いたって,何の意味があるか。(p9)
 抽象絵画では自分を少しもいつわったり,しいることなく,しかも世界共通語として誰にでも語りかけることができる。純粋な線とかリズム,色彩には,人と人との隔てをつける地方色というものはない。(p10)
 私の青春時代の絶望的な疑いや悩み,それをぶつけて,答えてくれたものは,ニーチェの書物であり,バタイユの言葉と実践であった。情熱の塊のような彼との交わりは,パリ時代の,そして青春のもっとも充実した思い出である。(p14)
 ただ単に芸術家としてあることの空虚さに耐えられなくなったのである。(p15)
 兵隊を特別訓練する係に東京帝国大学哲学科出身の,いわばインテリ将校がいた。士官学校出身の生粋の軍人よりも,かえって軍人ぶって残酷なしごきをやったものだ。(p17)
 私はむしろ断言したい。青春こそがこの世界の肉体であり,エネルギー源である。(p24)
 革命的な芸術作品は必ず,形式と内容のズレを秘めている。(p28)
 毅然と,受けて立つ姿だ。受けて立つのでなければノーブレスはひらかない。それは聖なるものの大前提である。(p33)
 芸術とは,愛したり理解したりするものではない。それによってひっ捉えられ,つきとばされる。ついに踏みとどまって自分で立ち上がる。そういう力である。(p36)
 芸術なんて,愛好したり,いい気分で鑑賞するものだとは,私は思わない。作家と鑑賞者の果し合いであり,作品は,猛烈に問題をぶつけあう,いわば決闘場なのだ。だから「いいわね。」などとよろこばれてしまったら,がっかりだ。安心され,神経の末梢を素通りする作品などは意味がない。(p38)
 私は思うのだが,人間のほんとうに生きている生命感が,物として,対象になって,目の間にあらわれてくれば,それは決してほほえましいものなどであるはずがない。むしろ “いやな感じ” に違いない。(p39)
 現実とトコトンまで対決し,あらゆる傷を負い,猛烈な手負いになって,しかもふくらみあがってくれば,それこそ芸術だ。だから好かれちゃいけない。「いやな感じ」でなければいけない。(p39)
 私は現代日本の色彩の貧しさ,にぶさに窒息する。だから象徴的に,原色をぶつけるのだ。芸術の本質は挑戦にある。(p42)
 赤こそ男の色ではないか。激しさを象徴する。自分の全身を赤にそめたいような衝動。この血の色こそ生命の情感であり,私の色だと感じつづけていた。(p43)
 私のうちに起こる情熱は,絵という形をとることもあるけれど,そうじゃないことも多い。芸術の衝動がある。表現は何でもいいはずだ。だからありとあらゆることを私はやる。(p46)
 経験からすれば,苦労した作品より,ひとりでにどんどん進んでできてしまったものの方が,いつでもいい。(p47)
 私にとっては衝動を実現するということが問題なのであって,結果はじつは知ったことじゃない。(中略)芸術ってのは画面じゃなくて,つまりそういうエモーションの問題だけだと思うからだ。(p47)
 若い時から私は深い森のただ中に,真赤な炎をふき上げてそそり立つ,孤独な火の樹のイメージを,強烈な神聖感として心のうちに抱いていた。(p49)
 密教においては,「秘仏」に象徴されるように,あらわにならないがゆえにこそ力である。この神秘力,呪力が芸術においても,実はその本質なのである。(中略)見せる,と同時に見せないという矛盾が,一つの表情の中に内包され,充実していなければならないのだ。(p51)
 人間は本来,非合理的存在でもある。割り切れる面ばかりでなく,いわば無目的な,計算外の領域に生命を飛躍させなければ生きがいがない。(p52)
 彫刻を絵のように,つまり肉づけしたイメージとして見るのだったら,たいへんな見当ちがいだ。彫刻と絵画の世界はちがう。(p56)
 いったい子供は「絵」を描いているのだろうか。「絵」ではないのだ。自分の若々しい命をそこにぶちまけている。(中略)出来た絵はいわば足あとのようなものだ。描き終わった絵を,前に置いて,鑑賞している,という子供は恐らくいない。(p66)
 素朴に,無邪気に,幼児のような眼をみはらなければ,世界はふくらまない。(p69)
 ・・・・・・帰りはこわい。こわいながらも,通るのだ。天神様に行きたいのではない。こわい帰りに賭けるのだ。(中略)帰りの道,夜は,死を意味する。(中略)しかしこの宵闇に死ぬからこそ生きるのだ。そういう生命の奥底にある感動,神秘の意思が,子どもの本能のなかに生きている。(p70)
 ミケランジェロだとかダ・ヴィンチ,さらにミロのヴィーナスなど,中学校の教科書の中に,ちょうど喫茶店のウィンドウのお菓子のようにお行儀よく,できあいの美学として並べられまつり上げられてしまっている。そのように無意味化し,形式化する美の基準をうち破ってゆくのが芸術ではないか。(p73)
 法隆寺は焼けてけっこう。自分が法隆寺になればよいのです。(中略)そのような不逞な気迫にこそ,伝統継承の直流があるのです。むかしの夢によりかかったり,くよくよすることは,現在を侮蔑し,おのれを貧困化することにしかならない。(p80)
 人間の声はすばらしい。歌というと,われわれはあまりにも,作られ,みがきあげられた美声になれてしまっている。美声ではない。叫びであり,祈りであり,うめきである。どうしても言わなければならないから言う。(p88)
 アノニーム,無名になる。すると逆に女は猛烈に女になり,男は男になる。(p89)
 さらにごそごそと戸棚をさぐっている小林秀雄のやせた後姿を見ながら,なにか,気の毒のような,もの悲しい気分だったのをおぼえています。(p90)
 私はいわゆる美術品に興味がない。(中略)展覧会に行ったり,画集をひらいて見るなどということは,むしろ苦痛だ。それらは狭い枠のなかに,窒息してしまっている。なにか惨めな気がする。(p91)
 すべて十年の修行がいるとしたら,いったい芸術家や評論家はどういうことになるんだろう。たとえば百姓を描くのには,十年畠を耕さなきゃダメだとか,小説家がオメカケさんを書こうとしたら,オメカケさんにならなくちゃ,なんて珍無類だ。(中略)つまり何ごともすべきじゃない,言うべきじゃないってことになる。しかも,一つことだけに十年くい下がっている間に,すべての現実は進んでしまう。それじゃ世の中に追いつけっこない。(p93)
 なまじその道に苦労した目は,あぶない。知らずにゆがんで,平気でにぶってる。素人が素直に直観で見ぬくものが,案外本質であり,尊い。(p93)
 誰を思い出すにも,まず顔である。身体全体,そのヴォリュームは,漠とした背景であるにすぎない。よく,したり顔で,四十を過ぎたら自分の顔に責任をもて,なんて言うやつがいる。いやったらしい表現だ。第一,自分の顔に責任をもっているような顔なんて,考えただけでうす汚い。(p94)
 私は作品に眼玉を描く。(中略)執拗に眼玉を描きこんでいるのは,たしかに新しい世界に呪術的にはたらきかける戦慄的な現代のマスクを創造しようとしているのだ,と思っている。(p95)
 かの子は特異な作家であるように考えられているが,実は日本文学史上ではきわめて正統派であると私は考える。「文学に憧れる文学」という,現代日本文学発生からの宿命的な雰囲気から外れてはいないからである。(p99)
 絶対に滅びないもの,またいつも力だけで勝つ,勝つに決まっているものに男性的魅力はない。(p105)
 動物が食っているところを見ると,全身でむさぼり食うという感じ。爽快だ。(中略)何もかも忘れて,手と足と腹と,身体じゅうで食ってみたいのである。(p107)
 誰でもが思う存分,四方八方に生きたらいいじゃないかと思う。(中略)専門家こそ逆に何も知らないのだ,とさえ言い切れる。この世界は,政治にしても,商売でも,文化一般でも,あらゆるものがからみあって生きている。そのなかの細分化されたほんの一部,針のさきで突いたくらいの狭い領分にどれほど詳しかったところで,その中に頭をつっ込んだきりではメクラ同然だ。(p108)

2021年12月24日金曜日

2021.12.19 出口治明 『出口版 学問のすすめ』

書名 出口版 学問のすすめ
著者 出口治明
発行所 小学館
発行年月日 2020.11.02
価格(税別) 1,500円

● 著者はAPU(立命館アジア太平洋大学)の学長。脳出血で倒れ,約1年間職務を離れリハビリに努めていたが,来年1月から一部,業務に復帰できるらしい。
 こちらがその声明文(?)なのだが,いや,相当な執念でしょう。電動車椅子でひとりで電車に乗れるようになったとサラッと書いているのだが,自分だったらそもそもそれを試みるだろうか。

● 頭も凄いのだが,頭だけの人,頭先行の人ではない。著書で語っていることに,自分の素行が負けていない。
 APUでも次の学長をと考えたのかどうなのか。復帰の可能性があるなら続けてもらおう,と決めるのに時間はかからなかったろう。著者の活躍は大学の広告塔としても大したものだ。著書の発行やメディア露出でAPUの知名度も上がった。これを広告費に換算したらいくらになるだろう。

● 以下に多すぎる転載。
 「人間は考える葦」ですから,学びや勉強の最終目的は「考える力を養成すること」に尽きると思います。(中略)そして,当たり前のことですが,自分の意見を主張するためには,「数字・ファクト・ロジック」,即ちエビデンスの裏付けが必要になります。(p4)
 日本人の場合,「勉強」というと,どうしても机に向かってコツコツ積み上げるもの-つまり,ひたすらインプットするものというイメージからなかなか抜け出せないようです。でも,インプットするだけでは,半分,あるいはそれ以下しか勉強したことにはなりません。インプットしたものをアウトプットしなければ,身につかないのです。(p4)
 僕は,一夜漬けこそがとても効率がよく,覚えたことを忘れない勉強法だと思っています。(中略)「今夜中に数学のテスト勉強をする」というようなあいまいな取り組み方ではなく,「ここからここまでを3時間で憶える」「この問題集を1時間でマスターする」などと短く区切って考え,決めた時間内に集中して勉強したのです。(p18)
 僕は原則として本を読むときにラインを引いたり,付箋を立てたりはしません。また,読書ノートのようなものは,生まれてこのかた一度も作ったことがありません。(p21)
 モノを覚えるとき,僕が実践しているコツは一つだけ。読んだり聞いたりしたことをそのまま覚えようとするのではなく,読み聞きしたものをもとに自分で考えて,考えた結果を他人に話すのです。(中略)読んだものについてアウトプットすることが,集中して読み込むのと同じくらい大切なのです。(p22)
 アウトプットすることが大事なら,読書日記をつければいいじゃないかという意見もありますが,それはあまり効果がないと思うのです。(中略)もし書くのであれば,Facebook,あるいはブログなどに投稿したほうがいいでしょう。(中略)自分用のノートや日記は,いわば誰も遊びに来ない部屋。Facebookやブログは恋人が訪ねてくる部屋です。(中略)緊張感が全く違うのです。(p22)
 常識を疑うということはゴテゴテに修飾された「エピソード」ではなく,数字・ファクト(データ)をベースにしたエビデンスで考える,あるいは,何が原理原則かということを突き詰め,原点から考えることと言い換えてもいいでしょう。(p26)
 いかに自分に刺激を与えてくれる人と出会うかーー。人から学ぶには,その点が重要なポイントになってきます。そのためには,「数多くの人と会ってみる」しかありません。(p28)
 僕は,基本的に「その人といっしょにいると楽しいか,あるいはおもしろいかどうか」だけでつき合う相手を選んでいます。(p29)
 何も飛行機や新幹線を使わなくても,旅は十分にできると考えています。吉行淳之介のエッセイに『街角の煙草屋までの旅』という作品があります。(中略)いつも通っている煙草屋までの道であっても,目のつけどころによっては,旅しているときと同じような発見があるというのです。僕も全く同感です。(p30)
 歴史上の人物を調べてみると,「偉人」といわれる人はあまねく生涯をかけて勉強し続けています。(中略)僕がとくにすごいと思うのは東晋の法顕です。法顕は仏典を求めて399年にインドに赴きますが,このときすでに60歳を超えていました。中国に帰ったのは412年ですから,75歳のときです。(p31)
 ほとんどの人は環境さえ整えば,自分を磨こうとするのではないかと僕は思います。なぜなら,そのほうがはるかに人生が楽しいからです。(p34)
 ツールがあると考え方が変わります。たとえば,数字が発明される前と後では量に対する考え方も違うだろうし,クルマが発明される前と後では移動の概念も異なるでしょう。(池谷裕二 p41)
 僕は歴史学や考古学の氏名もそこにあると思っています。当時の時代背景を頭の中で再現して,「なるほど,だからこのとき,こんな決断をしたのか」と納得することができる。(池谷裕二 p42)
 人間は今の尺度で未来を測りがちですが,それはだいたい間違っていますから。(池谷裕二 p42)
 学者など頭がいいと思われる人ほど,物事を悲観的に見がちなのですが,そういう説はこれまでは当たったためしがないのです。(p43)
 技術はじわじわと発展するのではなく,階段状にステップアップするものです。だから1階にいるいまの人たちには2階の世界が見えません。(中略)人間は現在の延長線上で未来を見るので,「1階の常識」で物事を判断してしまう。(池谷裕二 p44)
 僕は科学をやる者として,大風呂敷にすがりたい気持ちは抜けないんですよ。(中略)精神は脳が生み出した幻覚にすぎませんが,だからといってないがしろに扱うことはできません。よりどころとしての精神は,人が生きるうえで絶対に必要です。(池谷裕二 p47)
 集中力の正体は,意外に思われるかもしれませんが,鈍感であることです。(池谷裕二 p57)
 僕も高校から大学2年生くらいまでに得た知識が,いまの自分を形づくっていると思います。社会人になり,自分から発信するようになってから言っていることって,あの頃得た知識にちょっと色づけしたものだったりするんですよね。(池谷裕二 p61)
 子どもは親の言語ではなく,友だちの言語を覚えるんです。たとえばアメリカに引っ越すと,我が子たちは日本語で話すのをやめて,英語で話しだします。つまり,子どもは親とのコミュニケーションなど,全く重視していない一方で,友だちにはものすごく影響される。それが実は10代,20代という,大人になるギリギリのところまで続くんです。(池谷裕二 p64)
 研究には,没頭する力,オタクのように続ける力が必要です。(中略)そのやる気や没頭する力が最も発揮できるのは,研究を楽しんでいるときです。(池谷裕二 p64)
 ある文化系の先生が,「世の中に役に立つと思って研究しているわけじゃない。好きだからやっているだけです」といわれてしましたが,それがいちばん大事ですね。(p65)
 進化や変化にとって,ゆらぎは大きな要素です。生物も宇宙も,何か偶発的なものがあって,そこから新しいものが生まれてくるという仕組みで成り立っているのだと思います。整っているところでは,何も起こりません。私からすると,それは美しくない。(吉田直紀 p75)
 宇宙はゆらぎから生まれて,人間は宇宙から生まれました。そう考えると,私たちが根本的にゆらぎのあるもの,多様性のあるものをありがたがるのも当然だという気がします。(吉田直紀 p75)
 コンピュータがもたらしたものは大きいですね。私たちが観測できるのは,ある一瞬を切り取った宇宙の状態だけ。人類が何億年もずっと宇宙を見続けることはできないので,一瞬と一瞬の間はよくわからなかったのです。しかし,物理法則の知識とコンピュータ・シミュレーションを使ってあいだを埋めていけるようになった。(吉田直紀 p79)
 脳をフル回転させて計算したり考えたりするのは,せいぜい2時間✕2時間が限度ですね。あとはいわゆる作業に充てたり,集中しないでぼんやり考えたり。でも,ぼんやり考えるのも研究には大事なんです。(吉田直紀 p83)
 イタリア人とかアメリカ人の研究者は,白黒がつかないギリギリのところでうまく議論するのですが,日本人は少しでもグレーなところに入ると,サッとあきらめて引いてしまう。(吉田直紀 p84)
 教育を通じて合理的,科学的な思考が身についていれば,簡単にあきらめて「破れかぶれで散ってやろう」などという発想にはならない。(p84)
 優れた研究者は,無駄なこと,余計なことをたくさんしています。人間がいくら賢いといっても,自然ほどは賢くないんです。だから,頭で考えるだけでなく,とにかくありとあらゆる可能性を考えて,手を動かして試してみるしかありません。(吉田直紀 p86)
 労働時間が長くて成果(成長率)があがっていないのに,「勤勉」だといえるのでしょうか。もっとシンプルに労働生産性をみると,日本は統計を取りはじめた1970年以降,実に半世紀にわたってG7で最下位を続けているのです。(p95)
 さて,この結果からいえることは,「日本人は会社に対するロイヤルティが低い」ということです。会社や組織に逆らうと,誰もが満足するようなことにはならないので,みんなが空気を読んで表面上は社風に合わせているけれど,心の中ではあまり信頼していない--。エデルマンのデータは,そういっているのです。(p96)
 日本に決定的に欠けている視点があります。それは,「大学は輸出産業である」ということを,多くの人が理解していないことです。アメリカには移民だけではなく,年間110万人もの留学生が集まってきます。アメリカの大学は学費が非常に高いので,1年間留学しようと思ったら,学費だけで600万~700万円,これに生活費を加えると合計で1000万円ほどかかります。これを掛け算すると1100万人✕1000万円=11兆円です。しかもこれは有効需要ですから,アメリカの大学は,わが国の自動車産業に匹敵するくらいの輸出をしていることになるのです。(p103)
 平成の30年間で,GDPの世界シェアは半減以下となり,国際競争力(IMD調べ)は1番から30番になり,平成元年には世界のトップ企業20社のうち14社を占めていた日本企業がゼロになったのです。戦争がなかったという意味ではいい時代だったと思いますが,経済的には完敗でした。(p109)
 貪欲に世界から学ぶことを行わずに,「日本はええ国やで」といいながらお互いにマスターベーションをして傷を舐め合っていると気持ちがいいですよね。「アメリカやフランスのような人種差別はないし,世界でいちばん安全で犯罪も少ない。日本料理もおいしい。こんなええ国はないで」と。しかし,閉じられた世界というのは,そこに安住しているかぎり不安も不満もなく心地よいかもしれませんが,世界がどんどん小さくなっていくことは避けられません。それは,何も学んでいないからです。(p110)
 どの国の経済でも,強くなるために必要なのは「人口✕生産性」です。人口が少ない国は,一人ひとりの能力を上げていかなければなりません。フィンランドやノルウェーなどの北欧諸国は,その点を強く意識しています。(p119)
 高度成長時代,「日本の経済は一流,政治は三流」といった財界人がいました。ですが,世界の歴史を見ていると,経済だけが一流で,政治が三流などということはありえません。(p129)
 外国語は勉強すれば誰でもできるようになるものです。つまり,偏差値と直結するものでもなく,頭のデキがどうこうという問題でもないと思います。インセンティブの設計次第なのです。(p130)
 大学の成績は平均点ではなく,自分の好きな分野,得意な分野だけでもきちんと「優」を取っていたら,評価していいと僕は思います。すべておいて「平均点以上を」というのは,製造業の工場モデルの延長線上の発想といえます。しかし,これからの社会で求められる “発想力” は,平均点で測れるものではありません。(p133)
 「こいつは素直そうだ」とか「上司のいうことを聞きそうだ」という印象だけでの選抜はやめなければなりません。そもそも,多くの企業が入社試験で取り入れている「面接」は,実はほとんどが面接担当者の好き嫌いで決まっているのです。面接は選択を誤りやすいということは,ニューヨーク・フィルハーモニックのブラインドオーディションで明らかになっています。(中略)リクルート総研の調査では,入社時の面接結果と,入社後のパフォーマンスとのあいだには,ほとんど相関関係がなかったそうです。(p134)
 理解できないことがらに直面したとき,それを排除してしまう日本式と,わからないことをおもしろがるアメリカ式の違いですね。(p142)
 日本の大学が,マネジメントに関してもきちんとやっているかといえば,私は疑問ですね。あれはマネジメントではなく,その真似事だと思います。(生田幸士 p143)
 欧米では人と違うことが強みとして評価される教育システムになっています。ところが日本では,人と違っていることは全く評価されません。ずっと昔から,ほかの人と違うことをしていると「直しなさい」と言われてしまう。これは大きな問題だと思いますね。(生田幸士 p146)
 企業の経営層には立派な大学を出ておられる人が少なくありません。ところが,そういう人が「外国人との会食などでは,政治や宗教の話題はご法度だよ」などという話を平気でするのです。これは大きな勘違いで,(中略)100人以上会ったグローバル企業のトップは,政治や宗教の話が大好きでした。では,どうして日本の経営者が勘違いをしているかというと,外国人が彼らに合わせて話のレベルを下げているからです。(p148)
 知識も教養も足りないから,何ごとにつけてもファクトに基づいてロジカルに論じるのではなく,ついつい成功体験をベースにした根拠なき精神論に走ってしまうのです。(p149)
 創造性は「知識✕考える力」です。考える力をもう少し具体的に述べると,考える型やパターン認識の蓄積です。つまり先哲の考える型や発想のパターンを学ばないと,創造的なアイデアは出てきません。型を学ばないと型破りな発想も生まれない。(p150)
 相対的に知的レベルが高い人は,180度意見を変える可能性がある。とたえば安土桃山時代,日本のキリスト教人口は約40万人で,人口比でいうといまの数倍以上の信者がいました。実はその多くは,元お坊さんです。学のある人のほうが,理屈で負けたらコロッと転向するのです。(p151)
 創造性に関しては,遊び心がすべてです。楽しまないといいアイデアは出てきません。莫大な利益を生んだアイデアも,それ自体を目的にしていたらきっと生まれなかったでしょう。自分がおもしろいと思うことをやっていたら,結果的に利益や業績につながったというけーすのほうが多いはずです。(生田幸士 p154)
 遊ぶのも怠けるのも,もとをたどれば「もっと気持ちよくなりたい」という人間の欲ですね。(生田幸士 p155)
 子どもたちは生まれながらにして,さまざまなことを自分で吸収する力を持っている。大人はそのお手伝いをすればいい。(加藤積一 p162)
 邪魔をしなければいい,と言い換えた方がいいかもしれないねぇ。
 ここは子どもたちが育つ場所で,先生たちが仕事をする場所ではない。ただ子どもたちを見て,遠くで「うん」とうなづいてあげるだけで,子どもたちは自信がつくんだよ(加藤積一 p164)
 日本の教育を省みると,どうしても「みんな同じ」がいいことだと教えてしまう。でも,それはどうなのかなと思います。(加藤積一 p168)
 日本は第2次世界大戦に破れて経済も社会もガタガタになってしまいました。だから国として十分な社会保障を行う余裕もなく,その役割を企業に担わせてきたのです。制服,社員食堂,社宅といった衣食住から,冠婚葬祭やレクリエーションまですべて企業が面倒を見るわけですから,いってみれば人民公社ですよ。その環境に過剰適応して,ひたすら協調性重視でやってきたので,そこから抜け出るのが難しい。(p170)
 ディテールへのこだわりは,グランドデザインがあってこそ意味をなすと思うのです。(p177)
 いま中高一貫校では,6年間のカリキュラムを高1までに終えて,残り2年間は受験のテクニックを教えていますが,こんなムダなことはありません。できる子は高1で統一試験を受けて大学に直ぐに行けばいいと思います。(中略)日本で(飛び級が)できないのは,やはりグランドデザイン能力の低さのせいだと思います。(p179)
 少なくとも中国との関係でいえば,日本は中国の文化を咀嚼するというより,ただあこがれていて,長くその影響下に置かれていました。(中略)国宝や重要文化財に指定されている襖絵がたくさんありますが,そこに富士山や宮島など日本の名所旧跡が描かれているのを見たことはありますか? ないですよね。ほとんどすべてが中国の名所旧跡を描いた水墨画です。当時の人々が,いかに中国に魅せられていたかということがよくわかります。(p187)
 水が高いところから低いところに流れるように,高みにあるものは世界中に伝播します。日本や韓国が中国の影響下にあったように,ヨーロッパはみなギリシャやローマに憧れて模倣していました。ただ,その当たり前のことを,「日本は他国の文化を咀嚼して・・・・・・」というひねくれたかたちで自慢するのは,劣等感の裏返しではないかと思うのです。(p188)
 ダイバーシティは何を生むのでしょうか。化学変化です。いろいろな背景を持つ人が集まることでケミストリーが生じ,ケミストリーからイノベーションが生まれる。(p190)
 起業や社会起業にチャレンジしようとするとき,まず何が必要なのでしょうか。細かいことをいいだすとキリがありませんが,僕が大事だと思っているのは,「志」と「算数」の「ふたつです。「志」は(中略)「世の中にはこの事業が必要だ」という信念と言い換えてもいいでしょう。「算数」は,そのやりたいことを全部数字に直していくということ。(p191)
 何かに取り組むとき,生真面目にひたすら考えていても,たいしたアイデアは出てきません。どうせチャレンジするなら,机に向かって頭が沸騰するまで考えるのではなく,遊び心を持って,おもしろおかしく取り組んだほうがいいでしょう。そのほうが確実に長続きすると思います。(p192)
 運はあくまで “プラスアルファ” と考えるべきで,幸運を期待して努力を怠ると何ごとも成し得ないのはいうまでもありません。運は人智を超えたものであり,「俺はいつもついているんだ」とか,「運も実力のうち」「運は引き寄せることができる」などという言葉には,なんの根拠もないのです。(p198)
 実は人間の企ての99%は失敗しています。(中略)でも,「失敗するかもわからないが,これだけはやりたい」「世界を変えたい」というチャレンジャーがいたからこそ,人間の社会は進歩してきたのであって,挑む人がいなければ世の中は何も変わらなかったはずです。そして,「自分は多数派ではなく,1%に入る」と思えた人だけが,成功への切符を手に入れることができるのです。これは,実はカルヴァン派の人たちの考え方と同じです。(p198)
 運が人智では左右できないとすれば,人生は川の流れに流されていくしかありません。そして,流れ着いたところで精一杯がんばるしかない。僕は常にそう思っています。(p199)
 アメリカでは,大学の卒業生はなんのためらいもなくベンチャー企業やNPO,NGOに就職します。ヨーロッパでは「ノブレス・オブリージュ」といわれるように,自発的に社会問題を解決していこうという考えを持った層の人たちがたくさんいて,大企業ではなく,小さくとも自己実現ができる組織を目指す傾向にあります。しかし,製造業の工場モデルが社会常識となっている日本では,いまだに多くの学生が右にならえで大企業を目指します。大企業への就職が経済的安定を意味する途上国ならいざ知らず,先進国でみんなが既存の大企業を目指している国は,日本くらいなものではないでしょうか。(p205)
 「差をつけてはいけない」というのは,人間性の無視といってもいいでしょう。人間はだれでも能力に差があるので,できないことをやらされることほど不幸なことはありません。(p208)
 いくら優秀な人たちが集まっていても,気心が知れている同じようなメンバーで会議をいていたら行き詰まるだけです。日本は同質圧力が強く,議論するときにもお互いに気を遣い合うので,なかなか結論を出せません。(p212)
 グローバル企業は意思決定が速いことで知られています。これはなぜかといえば,文化風土が違う人たちが集まって意思決定を行うためには,情緒ではなく「数字・ファクト・ロジック」で合理的に判断するしかないので,かえって素早く意思決定が行えるからです。(p212)
 バーナード・ショーは,「世界を変えるのは少数派だ」と述べました。賢い人は,多数派に合わせれば自分もかわいがってもらえることがすぐにわかるから,即座に同調します。でも,不器用な人は同調できずに自分を押し通して,結果的に世界を変えていく。(p225)
 まわりから批判されると,「そうかもしれない」とすぐに態度を変えてしまう人が少なくありませんが,そういう人は結局,自分の生き方に自信がなく,腹落ちしていないのだと思います。(p226)
 他人に何かをいわれて潰れてしまう人って,もともと「まわりからいわれた情報でできあがっている人」だと思います。(ヤマザキマリ p226)
 彼らがすごいのは,絵だけではなく,多元的な興味があって基本的に頭がいいことです。「ダ・ヴィンチは絵画だけではなく,彫刻,建築,数学,解剖学などができた万能人だ」といわれますが,この時代の人にとっては,結構それが普通だったりするんです。(ヤマザキマリ p232)
 日本人は,一度始めたことは最後までやるべきだと考えがちですが,それでいいものができるとは限らないし,未完だからこそ人の心に響く作品もあります。そこをわかっていない人が多いですね。(ヤマザキマリ p234)
 ダ・ヴィンチ的な素質を持った人って,われわれが「苦手」とか「変人」と括ってしまう人の中に,実は結構いると思うんですよ。(ヤマザキマリ p234)
 経済的に豊かなわけではないので,高齢者は年金を少ししかもらえません。でも,ボタンをちゃんと上まで締めて,自分の気品を演出している。横柄さや威圧感がないんですよ。自分にふさわしい見せ方,あり方というものをきちんとケアできるプライド,とでもいえばいいのかな。あの芯の強さはポルトガルに行かないと学べなかったものです。(ヤマザキマリ p240)
 行き詰まっているときにやった仕事は,夜中に書くラブレターみたいなもので,全くダメです。あんなに命を削るお見をして描いたのに,朝起きて読み返すと羞恥心のパンチを喰らう。だったら,いったん逃げて,清々しい風通しの良い気持ちになってから挑んだほうが絶対にいいですよ。(ヤマザキマリ p246)
 植物もその場でずっと根を張り続けるものと,種を飛ばして別の土地で咲くものがあるじゃないですか。たぶん人間にも色んな性質の人がいて,動いた方が咲ける人もいるでしょう。動こうとする人がいたとき,無理に押し込めない社会になってほしいなと思いますね。(ヤマザキマリ p247)
 美談は,ある意味ではマスターベーションですよね。仕事でもなんでも,大事なことは,いい結果を残すことです。それなのに潔く腹を切って死んでしまったら,何も残らない。それよりも逃げて捲土重来を期すほうが,はるかに正しい選択だと思います。(p248)
 本当の意味で立ち向かっているのは,世間体など気にせず,必要に応じて逃げることができ,いい塩梅で自分を甘やかしながら生き延びていくことのできる人のほうですよ。(ヤマザキマリ p248)
 私はイタリア時代,電気・水道・ガス・電話を止められるほどお金には苦労したし,漫画家として軌道に乗るまではいろいろな仕事をしていました。だから,もしいま漫画がぜんぜん売れなくなって,再び無一文になったとしても,怖くはありません。お金がどうにもならない,という状況からでなければ得られない栄養もある。(ヤマザキマリ p249)
 サボったら落ちていく,がんばったら上がるという基本的な仕組みがなかったら,社会は後退していきます。(p253)
 社会の構造的な格差によって,人生にチャレンジできない人もたくさんいます。自己責任論は,弱者にとっては,希望なき社会への道しるべになる危険性を秘めています。(p253)
 ただ単に次世代にバトンをつなぐだけなら,それほど無責任なことはありません。まず大人ががんばって,そのがんばる姿を若者や子どもたちに見せる必要があるのです。(p254)

2021年12月18日土曜日

2021.12.18 出口治明 『0から学ぶ「日本史講義」戦国・江戸篇』

書名 0から学ぶ「日本史講義」戦国・江戸篇
著者 出口治明
発行所 文藝春秋
発行年月日 2020.10.15
価格(税別) 1,500円

● 「古代篇」「中世篇」に続く3冊目。本書の帯のコピーは「世界史とのリンクで見えてくる新たな近世」。世界史の中に日本史を位置づけて,歴史的事象の関連を解き明かしていく。ゆえに,本書の特徴の第一は明晰性だ。
 「古代篇」「中世篇」も同様だが,「古代篇」「中世篇」は中国からの影響が圧倒的に大きかったのに比べて,さすがに幕末からはイギリスの登場頻度が多くなる。

● 以下に多すぎる転載。
 江戸時代は平和で牧歌的な理想的な時代だったと持ち上げる人もたくさんいます。本書では,そうした俗説に対して,数字(データ,エビデンス)・ファクト(事実)・ロジックに照らしてみると,江戸時代は日本史上では最低の時代だったのではないかという問題提起を行っています。(p8)
 僕は,歴史は科学だと思っています。過去の出来事をあらゆる学問の手段を駆使して再現しようとする学問が歴史であって,個人の解釈が歴史であるはずがないのです。過去の出来事が一回限りであるように,歴史はひとつです。(p9)
 宗教改革が何を意味するかといえば,ローマ教会は失った領土を取り戻すか,その代わりの土地を探さない限り,お布施が入らず組織が維持できなくなるということです。(p13)
 十六世紀中頃の明では,銀一両(およそ四〇グラム弱)が銅銭七百五十文ほどで取引される一方,日本では同じ重さの銀が二百五十文ほどという価格差がありました。つまり日本で銀を銅銭で買って,中国でその銀を売れば,もうそれだけで五百文ほどのボロ儲けができたのです。石見銀山だけではなく,兵庫の生野銀山などからも,どんどん銀が算出しました。美味しい密にカブトムシやスズメバチが群がるように,多数の明船が日本にやって来たのです。(p19)
 後期倭寇は,海賊というより,海の商人の共同体,「海民の共和国」のようなものでした。中国の海禁政策のもと,中継貿易がさかんになり,最初は琉球,それが後期倭寇に代わって,そのネットワークにポルトガルが乗っかったというのが,「南蛮貿易」の実態だったと理解すればいいと思います。(p22)
 織田信長は時代を超えた道理性を備えた人で,信長の登場からやはり近世が始まるように思えます。(p30)
 義昭と信長は当知行安堵という,現在の土地所有者の権利をそのまま認める政策を取りました。既成秩序をむやみに破壊しようとはしていません。(p32)
 信長が舞台の中央に躍り出たのには,彼の人生のタイミングの良さにも触れる必要があります。ダーウィンが提唱した進化論でいうところの「運」です。(中略)ちょうど世代交代の時期にあたり,戦国時代を彩った大物大名たちが次々と死んでしまったのは信長にとって大きな幸運でした。(p36)
 日本の仏教界は,キリスト教との論理的な論争に慣れていませんでした。キリスト教の神学はイスラム神学を経由してアリストテレスなど古代ギリシャ以来の論理学を取り入れ,宗教改革を通じて高度に洗練されていました。そこに魅かれた仏教僧などのインテリが宗旨変えします。キリスト教はインテリ層中心に布教を進めたといえますね。(p38)
 織田信長の物事の進め方を見ると,モンゴル帝国の手法によく似ている感じがします。どういうことかというと,チンギス・カアンが率いたモンゴル軍団の手法は「俺らのいうことを聞くなら見の安全を保証するで。抵抗するなら見せしめに皆殺しやで」というものです。(p42)
 信長は大きな理由もなくあまり人を殺してはいないのですね。実は問題を起こした部下に対しても,追放はしても切腹までさせるケースは少ないのです。(p42)
 信長の事績を見ると,自分から約束を破ったことはあまり見当たりません。約束は守るし,大義名分を重視していたことがよくわかります。(p44)
 問題は,このとき信長だけではなく,有能だった長男の信忠も討たれてしまったことです。本能寺の変の本当の重大さは,王と王太子が揃って殺されてしまったことなのです。(中略)後継者も討たれたために,権力の空白が生じました。(p50)
 刀狩令以降も,腰に差したり使ったりしなければ,所持しても別にかまへんでということで,農家のなかに刀はたくさん保存されていました。刀狩りは,刀をすべて没収するのではなく,おおっぴらに刀を使った行為をやめさせることが狙いでした。(中略)中世の自力救済を禁止するのが一番の狙いだったのですね。(p69)
 太閤検地では丈量検地といって,できるだけ役人が現地で実際に測ろうとしました。(中略)検地帳には地主ではなく,実際の耕作者が記載されました。(中略)これが何を意味するかといえば,ここで中世の「権門体制」が最終的に終わったのです。(中略)これほど大きな土地政策の変更は,明治の地租改正と,戦後の農地改革ぐらいです。太閤検地にはとても大きな意義があるのです。(p71)
 信長は権力者ですから,金銀が献上されます。それを使って京都で茶道具を買い漁っています。そうすることによって,市場にマネーサプライを供給していたのです。(p76)
 茶器のような,素人には見分けがつかない日用品が威信財になっていく過程では,必ず目利き,つまりそれを鑑定するキュレーターが生まれます。微妙な味わいは専門家のお墨付きがないと有難味がわからないのです。(p83)
 秘書役にはどの世界でも賄賂が集まるものです。(中略)アメリカでも,CEOの秘書に好かれない人はクビになるという冗談があるぐらいで,秘書の機嫌をとるのに皆ものすごく気をつかっています。(p84)
 薩摩が琉球にいうことを聞かせられるのだったら,津島の宗氏は朝鮮にいうことを聞かせられるはずだと秀吉は思っていた節があります。(p88)
 当時の日本の米の生産力は二千万石といわれます。また一万石で兵隊を二百五十人ぐらいは出せると考えられています。この数字で計算すると,当時の日本は五十万人の兵士を動員できることになります。当時の世界で,五十万人規模で軍隊を動員できるのは,中国と日本しかありませんでした。後で満州の女真族が,清を建国して明が倒れますが,そのときの満州軍は三十万人ぐらいです。また当時の日本は戦国時代でしたから,実戦に慣れていました。銀の生産量も世界の三分の一を占め,お金は山ほどありました。単純に数字のうえでいえば,明と戦うのは決して秀吉の妄想だけではなかった。日本の軍事力が歴史上ピークをつけた時代でした。(p90)
 (徳川家康は)実は幸運に恵まれただけで,この時代に生きた戦国武将のなかでは,ごく平凡な価値観の人物だったように思えます。(p106)
 家康はそれほど仁義を守っていません。武田と結んだり北条と結んだり,しょっちゅう同盟相手を変えています。(中略)自分が有利なように動くという,戦国大名としてはごく普通の感覚を持っていた人だと思います。(p110)
 徳川政権のキモは,要するに大名から民衆まで,それぞれのポジションを固定化させることでした。それは,戦国の乱世に収拾をつけるためでしたが,その反面,社会の流動性や発展のポテンシャルが喪われることにつながります。(p117)
 現在華やかに活躍している華僑の歴史は,意外に新しいのです。鎖国(海禁)は,もともと明の政策でしたから,中国人が大量に東南アジアに出ていくのはアヘン戦争の後なのです。(p134)
 伊達政宗や黒田官兵衛は,領地は日本でもうこれ以上増やせないから,海外と商売して大きくなろうと考えていました。伊達政宗は家臣の支倉常長をヨーロッパに派遣しています。こういう動きを封じるためというのが,鎖国の一番の理由ではないでしょうか。(p145)
 十七世紀の後半になると,日本の銀山の産出量が減り,海外輸出に制限をかけるようになります。世界の貿易商人にとっては,「もう日本に行っても案外利益は薄いで」というわけですから,鎖国はたいして邪魔されませんでした。(中略)つまり鎖国の二百年の間は,わざわざ海外から日本にやって来る価値がなかったというわけですね。(p146)
 殉死は戦国時代の遺風のように思われがちですが,実は戦国時代にはあまりなかった風習です。戦国の世が終わり,亡き主人への忠誠心をアピールするパフォーマンスとして,江戸時代に入ってから流行していたのですね。(p153)
 江戸は独身者の多い町でした。そのなかには不満分子も大勢いたわけで,実は放火も多かったのです。火事の隙に金目の物を盗むことで生計を立てる人間さえ少なくなかったといわれています。(p156)
 (明暦の大火では)わずか二日間で江戸のほぼ全域が焼き尽くされました。(中略)死者は三万人~十万人余りといわれます。当時の江戸の人口は三十万人と見積もられていますから,多くて三割近くの人が亡くなったことになります。ちなみに一九二三年の関東大震災の頃の東京市の人口は二百五十万人,うち震災の死者・行方不明者は十万人程度といわれています。(p157)
 江戸の町では,火事が起こることを前提にして,すぐ壊せ,かつまたすぐに組み立てられるような,柱の細い,いわば安普請の家を建てていました。西洋の家が庶民でも石造りで非常に頑丈なものをつくって代々何百年も住むという発想とは根底から異なります。これは現代に至るまで尾を引いています。日本は鉄筋コンクリートの建物でも二,三〇年でもうダメやと壊してしまうでしょう。(p160)
 桃山文化は何かといえば,その入れ物になったのがお城です。(中略)それに続いた寛永文化は,京都で武家と公家と町衆が交流するところから生まれています。(中略)寛永の頃は「いれいなものがええな」ということで「きれい」という言葉が異性を風靡したようです。(中略)こういった当時の藝術のスポンサーとなったのは,武家や公家,もしくは朱印船や鉱山経営などで幕府の御用をつとめて巨富を築いた豪商たちでした。(p162)
 元禄文化になると,江戸,大坂,京都の新興の町人たちが文化の担い手の中心になっていきます。(中略)庶民相手の出版事業も始まりました。現代の私たちが日本の古典文学と呼んでいるものは,この時代になって初めて広く読まれるようになったものです。(p164)
 日本の庶民の間では,中国同様に犬を食べることは珍しいことではありませんでした。(中略)綱吉の政策によって,犬食の習慣は,日本では表だって見られなくなりました。(p171)
 (新井白石には)理想を追求するあまり,現実を直視しなかったところが見られます。(p184)
 日本の武家政権のブレーンは,実は鎌倉時代以来,ずっと僧侶たちでした。(中略)お坊さんは公家を除けば日本で唯一の知識階級だったのです。(p186)
 現代の皇室の祭祀や皇室についての考え方には,もとをたどると儒学の影響が大きく見られます。江戸時代の儒学は明治の日本を用意したという言い方もできますね。(p191)
 幕府の幹部は継友を推していました。尾張家が御三家筆頭だったからです。(中略)やはり血統を考えると先に生まれたほうが強いということになります。しかし大奥の女性たちは,英明な紀州藩主として実績と名声の高かった吉宗に期待しました。日本の女性は地位が低かったと言われたりしますが,江戸時代でも将軍家の跡継ぎを鶴のひと声で決めているわけですから,決して低くはなかったのですね。(p196)
 吉宗の不思議なところは,生涯が美談に包まれていて,名君として語られていることです。不安定な立場の吉宗が,自分のことを相当フレームアップしたのだと思います。(p200)
 大坂米市場は,世界初の先物取引所として有名です。(中略)といって,「世界のトップランナーだったんやで」といってしまうのも,少し短絡的かもしれません。というのも,これはかなり特殊な状況で発達した取引市場だったからです。(中略)取引が高度化したというよりは,米だけに絞って限られた人々が取引をしている,「米一元制」といってもいい経済の仕組みのなかで生まれてきたのではないか,というのが僕の考えです。(p206)
 江戸で「米価安の諸色高」という現象が起こります。(中略)なぜこんなことが起こったかといえば,江戸に町民が増えたからです。(中略)武家が消費の主役であった時代には,武家が買えなければ「需要はないで」ということで,商品の価格は下がったはずですが,需要面で町民のウエイトが大きくなってくると,武家が買えなくても町民が買う商品が増えていきます。(p208)
 水野忠成は「田沼意次の再来や」「賄賂政治や」と評判が悪いのですが,「全体的には正しいことをやっていれば,ちょっとぐらい後ろ暗い部分があってもかまへんで」というとても合理的な考えの持ち主でした。(p231)
 一八三三年から三六年にかけて,天保の大飢饉が起きます。これは亨保,天明と並ぶ,江戸の三大飢饉のひとつです。水野忠成は「江戸で餓死者を出すな」という方針のもと,備蓄米百五十万俵を放出して施米します。松平定信の時代から江戸町会所に備蓄された古米で「もらっても食えたものじゃない」という批判もありましたが,忠成は「死ぬよりましやで」と言ったそうです。そのため江戸では米騒動が起きずに済みました。(p232)
 たくさんガールフレンドをつくり,お金をふんだんにばら撒いて贅沢をしたので「化政文化」が花開いたのです。文化というのはお金をつかわないと生まれませんよね。家斉政権はそういう意味で皮肉にも文化的には素晴らしい時代となったのです。(p235)
 江戸での生活が文化的で楽しいから,農業を捨てて人が集まる。そう考える農本主義的な「改革」は,農村復興のため,江戸に人が集まらないように,もっといえば,江戸を魅力のない町にしようとしたのですね。(p253)
 幕府も,大砲などを近代化して守りを固めないとあかんで,とわかっていました。これが天保の改革のもうひとつの側面です。(中略)だから水野忠邦は出世欲の塊だっただけでなく,自身の政治に確かな目的があって,政策判断をしていたのだと思います。失脚してすべてパーになってしまいましたが。(p257)
 林則徐が洋書を集めてこいと部下に命じたとき,部下が「政治や軍事の本ですね?」と問うと,林則徐は「違う。全部や」と答えたそうです。連合王国と戦おうと思ったら,ヨーロッパ全体を理解しなければ勝てないと考えていた。そのため買い集めた本のなかには,生命保険の知識も入っていたのですね。(p260)
 『海国図志』で勉強した西洋の知識が明治維新につながっていくので,明治維新は林則徐の志を継いだもの,あるいは林則徐のリベンジともいえるのです。(p260)
 幕府による「寛政の改革」や「天保の改革」は失敗に終わりましたが,同時期に行われた諸藩の改革は成功しています。両者の命運を分けたのは,農業か商業かの選択でした。朱子学か実学か,といってもいいかもしれません。(p262)
 「武士道」という言葉は,実は一九〇〇年以前の用例はほとんどありません。実際のところ「武士道」は,新渡戸稲造が英文で『武士道』という本を一八九九年に書いて有名になった言葉なのです。(中略)実際に『葉隠』を読んでみると,(中略)サラリーマンの処世訓のような話でした。(p276)
 もともと武士の本源は鎌倉時代の「御恩」と「奉公」です。源頼朝が領地を安堵してくれたからその対価として奉公するというかたちの,ギブアンドテイクの関係なのです。(中略)かつての武士は終身雇用ではなかったのです。どんどん転職して,いい上司を見つけて,一族を繁栄させるのが武士やでという考えが,戦国が終わった後,江戸時代にもずっと根底に生きていたのだと思います。「主君のために死ぬのが武士道や」という考えは,明治時代になって,欧米先進国に対抗するテーションステートを構築しようとしたときに,つくられた虚構です。(p277)
 江戸や京都,栄えている地方都市の男性を中心に,字が読める人はそこそこいて,ヨーロッパにそれほど遅れていたわけではないと思います。しかし「世界のなかでも優れていた,というのはいいすぎやで」というのが現在の研究者の認識です。(p288)
 「江戸しぐさ」には,まったく史実上の根拠がありません。(中略)新しく捏造された「伝統」だったわけです。(中略)「武士道」が,明治時代に創られた「伝統」であったのと同様です。(p290)
 工場制機械産業は,二十四時間操業が理想なのです。鉄鋼の高炉などが代表的ですが,一回火を入れたら止めるとものすごいロスが生じます。(中略)ところが人間は長時間労働を続けると疲れます。そこでどうしたかといえば,清から輸入した紅茶に,カリブ海の植民地から持ってきた砂糖を山ほど入れて労働者に飲ませました。(p294)
 歴史には,フランスの歴史学者フェルナン・ブローデルが指摘したように,気候の変動といった,人間にはどうしようもない大きな波があり,人口動態やオーストリアのハプスブルグ家とフランス王家の争いのような中規模の波があります。さらに個人の人生の波があり,三つの波が重なったときに,歴史上の大英雄が現れたりします。典型はナポレオンです。(中略)そのような天才が幕末の日本にも現れます。それが阿部正弘でした。(p300)
 現在ではこれ(日米修好通商条約)は不平等条約だと思われるのですが,当時のことを考えたら致し方のない側面もあります。(中略)近代国家の考え方は日本にはありません。(p310)
 松蔭が松下村塾で教えた時間はほんの一,二年でした。(中略)吉田松陰は老中間部詮勝が京都に来たときに暗殺計画を立てていますから,現代からいえばテロリストといってもおかしくない人です。(p316)
 それぞれの天下は・織田信長十五年,豊臣秀吉十六年,徳川家康十八年。だいたい同じ期間です。(中略)面白いことに,武家政権を開いた平清盛と源頼朝も同様です。(中略)会社の経営にしても全力で取り組めるのは十五,六年が限界だと思います。昔からリーダーの寿命は変わらないのかなと思ったりもします。(p350)

2021年12月4日土曜日

2021.12.04 松浦弥太郎 『ふたりのきほん100』

書名 ふたりのきほん100
著者 松浦弥太郎
発行所 光文社
発行年月日 2021.04.30
価格(税別) 1,500円

● 副題は「恋愛と結婚のエッセンシャル。」。自分がそのとおりにはできていなかったとしても,落ち込まないことが大事でしょ。このとおりにできてる人なんか,まずもっていないから。
 松浦さんってストイックな人なのだろうが,ストイックさを周囲に感じさせない気配りもある人なんだろうか。

● 以下に転載。
 行動は,感情を変えることができるのです。(p13)
 あなたがそばにいるときも,離れているときも,わたしは「あなたを優先する」と決めています。(p25)
 気持ちの張りを失うと,美しさは簡単に喪われてしまいます。(p49)
 短所を気にするのではなく,よいところをどんどん伸ばしてください。(p59)
 わたしたちによくないことが起きたとしても,必ずそこにはよほどの理由があるのです。そのよほどの理由は,静かにそっとしておくことがよかったりもするのです。(p79)
 いつも明るく過ごします。そのために,心とからだを整えます。(p81)
 ふたりのことに,手遅れはほとんどありません。そもそもゴールが存在しないのだから,結果を急がなくていいことに意味があります。(p127)
 答えがかんたんに手に入る現代社会だからこそ,正しい問いをふたりで見つけたい。(中略)正しい問いとは,ほんとうに必要なことは何か。ほんとうに知りたいことは何か。というように,問いの動機に立ち返ることです。(p135)
 本当のよろこびを生み出すのは「もの」ではなく,その「もの」から生まれる時間です。(p145)
 どんなことでも最短距離を選ばずに,ちょっと寄り道という遠回りをしてみる。そこにある余裕や余地から生まれる,新しい考えや発想をわたしは大切にしていきたいのです。(p161)
 永遠を信じると,今日がおろそかになり,感謝の気持ちも薄れていってしまいます。(p169)
 どんなものでも時間がたてば,冷めるものです。(中略)そのままにしておくと,冷めは悲しみに変わります。冷めたものは,温めなおせばいいのです。(p173)
 譲ることは負けることではありません。人と争わずに,一歩前に進むための心がけなのです。(p185)
 心のゆとりとは,自分を自分でいっぱいにしないこと。(p189)
 老いとは自由になっていくこと。もっているものを整理して,人間関係を整理して,自分の心を整理して,少しずつシンプルになっていくこと。(p205)
 面倒くさいからと逃げてばかりいると,前に進みません。どんなときでも,一歩前に進む気持ち,何があっても逃げない,という心構えが大切です。(p245)
 できるだけ嫌いなことや逃げてなことに触れないよう,出くわさないように注意をしてあげましょう。(中略)嫌いなことや苦手なことを克服することを求めてもいけません。(p305)
 バカにされることがわかっていても,オヤジギャグを連発する人は,ユーモアの価値を知っています。(p319)
 ものごとには上手い下手があります。(中略)だけど,その行為に心がこもっていれば,人は不満を抱いたりしないものです。(p341)
 人にはできないことがあるのです。相手ができないことは受け入れることです。相手ではなく,自分のために。(p351)
 欠点こそ,人の魅力のひとつです。だから欠点を嫌わないでください。人は,完璧だから自信がもてるのではありません。完璧ではない自分を知っているからこそ,失敗も想定内でいられます。だから不安がなくなるのです。(p369)
 何かあったときに「えー!」と否定的に受け止めていると,そこから前に進めません。大切なことは,その先にあります。(p371)
 世の中の多くのことには,答えがありません。むりやり答えを出そうとすると,その場しのぎになることも多いのです。(p381)
 だけど暮らしのコンセプトは,おもしろく,楽しく。何をするにも,何を考えるにも,すべてがそこにつながっていると,日々を明るく,軽やかに過ごせます。(p425)

2021年11月30日火曜日

2021.11.30 飯島奈美 『LIFE あつまる。』

書名 LIFE あつまる。
著者 飯島奈美
発行所 東京糸井重里事務所
発行年月日 2014.01.24
価格(税別) 1,600円

● 何人かがレストランではなく誰かの自宅に集まってワイワイやりましょうというときに,ピッタリな料理のレシピが79。
 料理って,実際に自分でやっていると,自ずと基本はここだなとわかり,それがわかると応用が利くようになるものなんだろうかね。

● この2年近く,コロナで家にいる時間が否応なしに増えた人が多いだろう。かつまた,外食ができないので自分で作ることが増えたという人も多いだろう。
 とりわけ,料理をする男性が増えたのではないかと思っている。かく申す,ぼく自身がそうだからだ。

● でもって,多くの人はネット(You Tube)の料理チャンネル(リュウジのバズレシピ,けんますクッキング,など)を見て,そのとおりにやってみることから始めているだろう。
 これも自分がそうだからなのだが,入り方はどうでもいいのだと思っている。好きなようにすればいいのだ。

● ただし,料理学校に行くというのを除く。料理学校がなぜダメなのかといえば,想像で言うのだが,基礎(と彼らが考えるもの)から入ろうとするからだ。野菜の切り方とか包丁の研ぎ方から入るのではないかと思っている。
 これから料理を始めようというのに,そんなことを教えられたのでは一発でイヤになって止めてしまうだろう。野菜の切り方にどれだけの種類があるのか,どういう場合はその中のどれを採用すればいいのか,そんなのは実地にやっていきながら自然に憶えるものだろう。自然に憶えられるものは自然に任せるに限る。小賢しい講釈は有害だ。

● ネット上に自分の先生を見つけてだんだん料理の腕前が上がってきたところで,先生以外の達人はどうなのかと気になったときに,本書のような書籍をみればいいのでは。
 レシピ本のようなものでも著者の人柄は出てくるものだ。読み物たりうる。土井善晴さんも読んでみようと思っていて,1冊買ってある。

2021年11月24日水曜日

2021.11.24 ナカムラクニオ 『世界の本屋さんめぐり』

書名 世界の本屋さんめぐり
著者 ナカムラクニオ
発行所 産業編集センター
発行年月日 2019.10.16
価格(税別) 1,500円

● タイトルのとおり,アジア,欧州,北米アメリカの書店を紹介しながら,各国の出版事情や読書事情を述べている。相当な奥地まで行っているが,旅番組のディレクターもやっていて,仕事で訪ねたものらしい。羨ましいとは言うまい。大変だったろう。
 が,その頃から,「本屋さん」に関心があって独自に調べていたんだろうかねぇ。

● 器用な人で,行った先々で絵を描いている。それを本書に多数載せている。表紙にも使っている。それが本書のテイストを作ってもいる。
 現地では写真を撮って,その写真と記憶とを合わせながら描いているのだと思うが。

● 以下に転載。ティプス的な豆知識が多くなるが。
 この頃(グーテンベルグが活版印刷技術を発明した1445年頃)は,印刷技術もまだ未熟で,本はかなり高価だったそうです。今でいうと,1冊数十万から数百万円ほどしたのだとか。(中略)レオナルド・ダ・ヴィンチは,自分の蔵書が100冊以上あり,書名や著者名を記録した目録も作っていたそうです。医学書やラテン語の辞典の他に,イソップ寓話臭,錬金術,霊魂不滅論,誘惑論,美食論,手相論,健康保持論,夢占いといった不思議な本がたくさんまさっていたといいます。(p2)
 1冊数百万円もする本を100冊持っていたのだとすると,レオナルド・ダ・ヴィンチはとんでもない富裕層だったってことね。教養人や文化人というのが当時もあったのだとすると,彼らは例外なく富裕層の出身者だったんだろうね。
 逆に,レオナルド・ダ・ヴィンチですら100冊の本しか持っていなかった。今だとその100倍の蔵書を持ってる人,けっこういるよね。何を生みだすかは蔵書数とは関係ないってことね。
 1829年にタイプライターの発明,1840年木材のパルプ化成功,1846年の輪転機の登場によって,出版・印刷産業は飛躍的に成長します。(p3)
 そんな言葉の王国(インド)は,英語による書籍の出版点数がアメリカに次ぐ世界第2位。新聞だけで4万紙もある驚愕の出版大国なのです。(p34)
 インド人は,本をよく読んでいます。(中略)1週間あたりの読書時間の世界1位はインド(10.7時間)で,日本は信じられないことに29位(4.1時間)なのです。
 この数字はどうやって取り出したんだろうか。どういう調査の仕方をしたんだろうか。
 数年前,世界の読書会を取材するため,各国の文学事情を調べた時,日本がダントツで読書イベントが多いと知りました。もともとはフランスやアメリカからやってきた読書カルチャーが本場を超えて,独自に進化していたのです。(p71)
 ベルギーに来て驚いたのは,公立の図書館でも貸出サービスが有料ということ。(中略)現実的な運営を考えるともっと普及してもおかしくない気がしました。(p77)
 オランダの図書館では,おしゃべりが許されており,話をしていても注意されることはありません。(中略)図書館は地域コミュニティの中心地という意識が強いのです。(p79)
 チェコには約2000人に対して1つ図書館があります。この数は平均的なヨーロッパの国の4倍(p87)
 北欧フィンランドは,読書大国。図書館の利用率は,世界一ともいわれ,1人当たりの年間貸出冊数は約20冊だとか。(p96)
 1人20冊の貸出で世界一になるのか。そんなものなのか。
 って,そうなんでしょうね。図書館なんて行かないという人が多数派だろうからな。
 国民全体で平均1人20冊というのは大変な数字で,借りている人だけの数字をみれば,1人100冊超になるのかもしれないねぇ。
 ヨルダンに住んでいる人々は,元々砂漠の遊牧民族です。本屋さんのおじさんがこんな事を言っていました。「私たち遊牧民には欲がない。自分がどこに住んで,何を持っているかより,自分がどの方角を向いているかの方が,大切なんだ」。(p119)
 アメリカの空港ではiPadやKindleなどのタブレットの普及が目につきます。(中略)南米からトランジットで北米に降りると,紙の新聞やペーパーバックを読んでいる人をほとんど見かけなくなるので,少々違和感を感じてしまいます。(p137)
 本棚は文化を映す鏡。「その国を知るには,空港の本棚をよく見るべし」と思います。(p143)
 (パラグアイでは)まだまだ本は「娯楽」ではなく,「教養」という感じがしました。(p155)

2021年11月20日土曜日

2021.11.20 和氣正幸ほか 『全国 旅をしてでも行きたい 街の本屋さん』

書名 全国 旅をしてでも行きたい 街の本屋さん
著者 和氣正幸ほか
発行所 G.B.
発行年月日 2018.08.27
価格(税別) 1,600円

● 全国の街の本屋さんが紹介されている。本にするわけだから,どこにでもある本屋ではなくて,絵になりそうな,読者の目を引きそうな本屋が選ばれるのは仕方がない。品揃えに特徴があるとか,開店の理由が変わっているとか,絵本専門とか,読者との交流を積極的に展開しているとか。
 関西だったらホホホ座とか恵文社一乗寺店がトップに来る。

● 栃木県からは内町工場(益子町)と風花野文庫(宇都宮市)が掲載されている。どちらもぼくは知らなかった。新刊書店ではないようだ。地域密着というか,店側が客を選ぶというか,そういう側面が自ずとできているのかもしれない。
 「地元の大きな本屋さん」も紹介されていて,栃木県からは「BIG ONE BOOK STORE」と「うさぎや」。「BIG ONE BOOK STORE」は13店舗を構えるらしい。氏家店はぼくの行きつけのひとつ。といって,あまり買わないのが申しわけない。

● 「うさぎや」は喜連川にあった小さな本屋だった。半世紀前に行ったことがあるが,失礼ながらもう潰れていると思っていたら,とんでもない。16店舗を展開しているらしいのだ。
 ぼくは宇都宮駅東店と自治医大駅前店しか知らないのだが,どちらも基本を押さえて,独自の特徴を出そうと試みている印象。宇都宮駅東店では “ほぼ日” の書籍を取り扱っている。
 自治医大駅前店は,県内随一の富裕&知識人層が住んでいるエリアだからだろうが,理工系の専門書から児童書まで圧巻の品揃え。ほぼ日手帳weeksも取り扱っている。

● 以下に2つほど転載。
 だけど,本の魅力はそれだけじゃない。本を手に取りページをめくると,それを買った時の記憶がふと,よみがえる。(p2)
 目的を持って本を探すのではなく,『何かないかな』と出会いを求める場にしたかったんです(p35)
 わざわざそうしなくても,書店というのは書店というだけでそういう場に最初からなっていると思うけど。

2021年11月15日月曜日

2021.11,15 カベルナリア吉田 『おとなの「ひとり休日」行動計画』

書名 おとなの「ひとり休日」行動計画
著者 カベルナリア吉田
発行所 WAVE出版
発行年月日 2018.11.15
価格(税別) 1,500円

● この著者のものはこれまでに4冊読んでいる。『日本の島で驚いた』『沖縄自転車!』『絶海の孤島』『旅する駅前,それも東京で!?』の4冊だ。
 それぞれに面白かった記憶がある。ので,本書も楽しみにして読み始めたのだが,何だこれは,と思った。“まえがき” からしてすでにつまらない。この本は読んでもつまらないから読むな,と語っている。

● それでも読み始めてみた。読み進めていくのにかなりの忍耐を強いられた。後半というか終わり3分の1は斜め読みにした。
 何なんだ,これは。やっつけ仕事にしてもやっつけの度が過ぎていないか。口に糊するためとはいっても,いいのか,こういうものを自分の著書として出しても。

● 以下に転載。
 戦前の東武鉄道は,山手線の外側を東武線の大きな輪で囲む構想があったそうだ。(中略)プツンと途切れる終着駅や盲腸駅は,そうした「果たされなかった先人の想い」を秘めていることが多いのだ。(p38)
 これはいい。こういうティプス的な豆知識を知るのも読書の楽しみのひとつだ。
 おとなの「ひとり休日」に廃線跡を歩くなら,(中略)敷設から廃線までその背景にあった社会事情にも思いを馳せたい。(中略)廃線が決まった背景に,大企業の都合や国策など「時代の事情」を背負っていた路線も多い。代表的な例が,北海道に数多く通っていた炭鉱鉄道。国のエネルギー政策転換により炭鉱閉山が相次ぐと,路線も次々に廃止された。その廃線跡を歩くと,国策に人生を左右された,炭鉱夫たちの顔さえも浮かんでくる。(p46)
 君は政治的にはリベラルなのかね。それは別にいいのだが,これは微積分まで知っている読者に掛け算九九しか知らない著者が,上から講義をしている図にならないか。こういう安直な情緒をどうして持ち込んでしまうのか。
 類まれなる才覚で築き上げた財と邸宅が,結局はお役所の管轄下に入ってしまったことも腑に落ちない。(p80)
 腑に落ちなかろうが何だろうが,もし国や都が税金で維持管理することにしていなければ,今頃は完全に朽ちてしまっていたろうよ。相続人がアホだったか運がなかったんだから,仕方があるまい。
 平和は当たり前に,そこにあるものではない。(中略)平和は努力なしには,いつまでも続かない。わずか半日だが戦跡めぐりを終えて,心の底からそう思った。(p123)
 小学生の作文か。こういう文章を読むために金を払わされるのか。いい加減にせんか。

2021年11月14日日曜日

2021.11.14 髙橋洋一 『髙橋洋一式 デジタル仕事術』

書名 髙橋洋一式 デジタル仕事術
著者 髙橋洋一
発行所 かや書房
発行年月日 2021.05.13
価格(税別) 1,400円

● You Tube の「髙橋洋一チャンネル」はチャンネル登録している。実際にはTwitterの告知を見て,You Tube に跳ぶことが多いのだが,ともかく見ている。
 井上ひさしに「むずかしいことをやさしく,やさしいことをふかく,ふかいことをおもしろく,おもしろいことをまじめに,まじめなことをゆかいに,そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」というやや長い標語がある。前半部の「むずかしいことをやさしく,やさしいことをふかく,ふかいことをおもしろく」が広く膾炙しているが,時事問題について難しいことを易しく語っている。それができるのだから,頭がいい人なのだ。

● また,著者はガジェット好きでも知られる。特にアップル製品はほぼすべてを所有している(いた)らしい。
 そうした話も出てくるのかなと思って本書を読んだが,その話は出てこないのだった。タイトルどおり,仕事術の話になっている。

● 以下に転載。
 スマホがあれば,ほぼ全部の仕事ができてしまいます。(中略)スマホを活用すれば,鞄も書類も持ち歩く必要はないので,身の回りがすっきりとします。(p2)
 散布図はデータ分析の基本です。(中略)データ分析のスキルはデジタル仕事術の根幹です。データ分析ができなければ,仕事のツールが神やペンからスマホに置き換わるだけで,これまでの仕事のやり方とあまり代わり映えはしないでしょう。(p5)
 2020年10月から「ユーチューブ」で新しいチャンネルを始めました。(中略)やってみた率直な感想は,「新しいことを試してみるのは,いいものだな」。(中略)でも,私がやっていることは,ほぼ雑談。(p12)
 私は,仕事と趣味を完全に分けて考えていて,「仕事はロジカルでなければ通用しない」と思っていますが,映画は,楽しくて荒唐無稽なほうが好きです。映画にあまりロジックを持ち込んでほしくありません。(p13)
 自分のチャンネルを持つ前は,他の人のユーチューブ・チャンネルに出演者として出て出演料をもらっていました。自分でチャンネルを初めてみると,その十倍以上にもなるような広告料が入ってきて,ビックリしました。(中略)芸能人がテレビへの出演から,自分のユーチューブ・チャンネルに移っている理由がよくわかりました。チャンネルを持った芸能人は,広告代理店や芸能事務所にいかに搾取されていたのかがわかってしまったのではないでしょうか。(p17)
 ユーチューブは,間に入る人が必要なくなることを実感させてくれます。わかりやすく言えば,「中抜き」をして食べている人は,もういらなくなるということです。広告代理店や芸能事務所など「中抜き」をしていた人たちは,儲からなくなっていくはずです。マスコミもやっていけなくなります。(p18)
 ネタ元から情報を聞いて流す人は,存在価値がなくなっていきます。デジタル時代には,自分がネタ元になることが,ますます重要になるはずです。(p20)
 データ分析ができれば,独自のネタを生み出して,ネタ元になることができます。(p20)
 オンライン会議はスマホを使っています。スマホは,もともと携帯電話ですから,音声通話を前提に作られています。ハンズフリーの会話もできるようになっています。(中略)なぜか,パソコンでやろうとするので不思議です。ホストでなければ,スマホのほうが便利です。(p31)
 Simplenote は,パソコンで書いても,スマホで書いても,すぐに同期してくれます。(p36)
 ぼくも Simplenote をインストールしてみた。Android と Windows に。けれども,現時点ではあまり使っていない。Google Keep で同じことができるので,専らそちらを使っている。
 ツイッターとフェイスブックは毎日のように使っていますが,ほぼ「お知らせ」用です。(中略)ちょっとしたメモ代わりにツイッターを使うこともあります。(中略)ツイッターに自分の意見を書く人が多いようですが,私は,データを知りたいほうですから,意見や主義主張にはほとんど関心がありません。(p43)
 そもそもの話として,大学で教師をしているのであれば,「これについて90分講義してください」と言われたら,どんな状況であっても講義できるくらいにしておかないと,授業になりません。直前に調べ物をしているような先生は,先生自身が内容について未消化あるいは消化不良ですから,学生はそんな教師の講義を聞いていても,よくわからないだろうと思います。(p46)
 原稿は,前日の日曜日の夜12時までには送るようにしています。夜の9時くらいから書き始めますが,図表を先に作りますので,エクセルでの作業が2時間くらい。エクセルで作業しながら分析して,頭の中にストーリーができあがっていきます。(中略)図表を先に作っていくのは,実は,論文と同じ書き方です。私は,論文と同じ作法で書いているだけです。(p50)
 国際機関のレポートや海外の論文を読むときに,表とグラフを先に読みます。表とグラフだけを見れば,言いたいことの8割は理解できます。そこにエッセンスが詰まっているからです。(p54)
 私は官僚時代に新聞記者の人をたくさん見てきましたが,正直言って「情けないな」と思うことばかりでした。「ペーパーをくれ,ペーパーをくれ」と言うので,ペーパーを渡すと,「解説してほしい」と言ってきます。(中略)説明しても理解してもらえないので,私が記事を書いてあげたこともありました。(p56)
 余計な情報に邪魔されずに自分の頭で考えたいので,私は本をあまり読みません。特に,主義主張が書かれているであろう本は,まったく読みません。本を読むくらいなら,データを引っ張ってきて,自分で考えます。(p59)
 この法案で,最近面白い話が報道されています。法案に誤字が多いという記事です。「法案など読んだことがない記者がよく言うな」と呆れてしまいました。法案は国会議員も読んでいないのに,「誤字があったら審議拒否」という発言にも唖然としました。(p61)
 私は,大蔵官僚,財務官僚時代にいろいろな上司を見てきましたが,仕事のできる上司は,あっという間に書類を見てくれました。会議の前に数枚の資料を渡すと,パラパラと見て「はい,いいよ」と会議が始まる前に承認してくれました。(p73)
 小泉総理は,資料などまったく見ない人でした。黙って目を閉じて話を聞いているだけ。(中略)目を閉じて話を聞いていると,話がストーンと落ちるときがあるそうです。そうやって,小泉総理は決断をしていました。(p74)
 私は,円グラフを多用する人をあまり信用していません。人間の視覚認知においては,円グラフの面積の大きさを正確に比較することはできません。(中略)棒グラフにして並べたほうがはるかに認知しやすくなります。(p162)
 私の見る限り,多くの人はスマホにアプリを入れすぎです。(p184)
 いまや銀行というのは装置産業です。「システムが命」の業界ですから,システムのことがわかる人たちが幹部にならないと,話になりません。(p202)

2021.11.14 櫻井秀勲 『70歳からの人生の整え方』

書名 70歳からの人生の整え方
著者 櫻井秀勲
発行所 きずな出版
発行年月日 2021.03.20
価格(税別) 1,500円

● 高齢者,いかに生きるべきか,を説いた本はあまたある。今や高齢者はマスなのだ。大きな市場だ。そこに糸を垂れたくなるだろう。
 そのあまたある中で読むに値するものがどれだけあるかはわからない。つまり,そんなに多くはないのではないかと思っているが,櫻井さんが書くものは必ず読むことにしている。何せ,著者自身が90歳なのだから。それだけで説得力があるというものだ。

● おそらく,出せば一定の販売部数が見込める人だから,版元も安心して出せるのではないか。ちなみに,自身が起こした出版社から出している。
 ただし,読者側として,老人になってまで老人向けの本を読んでいるのは,そもそもどうなのよ,という感はつきまとう。けれども,読んでしまっている。

● 以下に転載。
 70歳のあなたに伝えたいことは,まだまだ楽しい人生はこれからだ,ということです。自分らしく生きるということでいえば,70代こそ,それを通しやすい時代です。義務も義理もなく,自分が望むことができる。(p5)
 そんな中でも,私は希望があると思っています。(中略)第二次世界大戦とその後の敗戦を体験したことで,人はそのように生まれついている,と私は思っています。(中略)それでも,人生は楽しむことができます。90歳の私でも,これからの楽しみがあるのですから,私より若いあなたであれば,「これから」がそれこそ,楽しみです。(p7)
 私は人相を観ますが,人相学で,若く見える人と老けて見える人のいちばん大きな違いは,口角,口の両側です。(中略)人を遠ざける人は,運も遠ざけます。昔から「笑う門には福来たる」といいますが,口角を上げると「笑顔」になります。「つらいときに笑っていられない」という人もいるでしょうが,私は,そんなときこそ,作り笑いでも,笑顔になることが大切だと思います。(p20)
 自分におきた辛いことを矮小化できればいい。小さなことだと思えればいい。それをするには意思の力が要る。性格というより意思の力だろう。
 その意思の力は,本来,誰もが持っているものだとも思う。それを地下から掘りだしてきて,思い切って使ってみることだと思っている。自分はこの歳になるまでそれができなかったが,どうにかして意思の力を発現させたいものだと思っている。
 私は毎年,誕生日にスーツを新調するようにしています。たったそれだけで,また1年長生きできる気になるからです。(p23)
 たしかに流行は繰り返されますが,それでも,まったく同じではありません。(中略)若い人が古いスタイルをすれば,それだけで新しくなりますが,古い人間が古いスタイルをすれば,古いだけになります。(p24)
 若々しく見える人というのは,そうでない人と比べて,変わることを楽しむことに長けているように思います、(中略)コロナ禍のような時代の変化というものにも臨機応変に対応できると,ネガティブな状況でも,ポジティブに変わることができます。(p26)
 自分ではどうしたらいいかわからないし,わからないことは,プロにお任せするのがいい(p28)
 彼女(デヴィ夫人)は,素敵なハイヒールを履いていました。(中略)80歳の女性が履けるヒールとは,到底思えません。(中略)彼女のいうには,健康法や痩身法など,いろいろやるより,ヒールの高い靴を履くだけで,スマートになれるし,スタイルも整うし,若さも保てるというのです。(p30)
 本当に大切なのは,どんな靴を履いているかではなく,颯爽と歩けているかということです。(p32)
 70歳になって,いちばん気をつけたいのは,「70歳らしくなる」ことです。(中略)若づくりをしなさい,というのではありません。(中略)でも,その逆に,70歳になったからといって,無理に70歳らしくしよう,などと思う必要もないわけです。(p33)
 どんなことでも制限がはずれていくのはよいことでしょう。けれども,それにもかかわらず,私たちは,知らないうちに自分で制限をかけていることがあります。そして,それによって,自分自身を窮屈にしてしまうようです。(p34)
 「若さと新しさ」はエネルギーです。元気のいい会社の経営者には,そのエネルギーがあります。(中略)経営者にとって大切なのは,貫禄を見せるより,エネルギッシュであることです。それは,経営者に限りません。どんな立場であろうとなかろうと,エネルギッシュな人は,若々しく,そのために人も運も集まってきます。(p35)
 まずは,背すじを伸ばして,よい姿勢を保つようにしましょう。それだけでも,背中の筋肉を鍛えることになります。(p38)
 食べすぎに注意しなければならないのは,せいぜい60代までです。70歳になったら,食べたいと思っても,それほど食べられるものではありません。(中略)「お腹がすいた」と思えることが,元気の源のように思うのです。(p48)
 80歳,90歳になっても元気な人は,総じて,よく食べます。それだけ行動しているから食べられる,ということだと思うのです。70歳を過ぎたら,お腹が減る生活を心がけましょう。(p50)
 夜型の私としては,ぜひ夜更かしすることをオススメします。(中略)たいていの人たちは眠っているわけですから,自分だけが起きているような気持ちで,すごすことができます。(中略)大事なことは,自分の時間を楽しむことです。自分の好きな時間に,好きなことをしていきましょう。(p52)
 深夜,ことに午前2~4時の空気は,しんと静まり返っています。この「しん」とは「神」を表し,仮に山の中であれば,神気の満ちる時間帯になります。私はこの時間帯の水を飲んで寝るのですが,これが私の体内を浄化するような気がします。(p67)
 私は老後とは,100歳からを指すと,勝手に思っています。私が出版社を起こそうと考えたのは,80歳のときでした。2011年--東日本大震災の年です。(p69)
 心に穴があいたのなら,それを埋めていきましょう。失恋を癒やすには,新しい恋愛を始めるのが一番です。(p74)
 思い悩むことを「悶々とする」といいますが,まさに心が内に入って,表に出られないのです。扉を開くには,どうすればよいのか。私は,まずは誰かに話すのがいいと思っています。(中略)誰にもいえないなら,独り言でも,効果があります。(p75)
 相手に対して,「そんなことではダメだ」と思うことでも,致命的なことでないなら,放っておく主義です。(p81)
 たとえ悪いことが起きても,いいところを見つけて,「あー,よかった」と思う。「よかった探し」は,いかに,その「よかったこと」を見つけるかの遊びなのです。(中略)そんなにつらいことでも,いいことはあるものです。(中略)どんなに恨んでも,状況は変わりません。むしろ気持ちは落ち込む一方です。それなら「よかった探し」をして,気持ちだけでも上に向けていきましょう。(p88)
 時間があると,つい余計なことを考えてしまいます。それもよくない可能性を考えるのが,私たちの脳の基本的なパターンです。(中略)その結果,考えが自然な身体の動きの邪魔をして,本来持っている力を発揮できなくさせてしまうのです。(中略)考えることは無駄にはならないと思ってしますが,それは,あくまでも戦略を考えるときに限ります。(p90)
 「禍も三年置けば用に立つ」という,ことわざもあります。禍も3年もたてば,幸せの糸口になる,という意味です。まさに,その通り。よく「明けない夜はない」といいますが,それは本当のことです。それが90年生きてきた私の感想であり,いま,あなたに伝えたいことです。(p96)
 70歳になったら,それまでのつき合いはなかったものと考えましょう。(p98)
 人の悩みの90パーセントは人間関係である,といっても過言ではないほど,人とのおつき合いというのは難しいものです。私は,ある程度の年齢になれば,そうした悩みからは解放されるものだと思っていましたが,じつは90歳になっても,そうではないことを感じざるを得ません。(p102)
 日本で,普通のサラリーマンをしていたら,とりあえずの年金がもらえます。(中略)そうであれば,もう無理をするのはやめましょう。せっかく70歳まで生きてきたのです。これからの年月は,我慢しないで生きたいものです。寿命が延びたといっても,折り返し地点はとっくに過ぎています。無理をしている余裕は,もうありません。(p104)
 新しい情報を得るというと,時代に乗り遅れないためにそれが必要だ,と考えるかもしれませんが,そうではありません。時代には,乗り遅れてもいいのです。なにも若い人たちに,無理に合わせる必要はないわけです。(p105)
 70歳になったら,そんな新しい情報を得ることで,元気が出てきます。やる気が湧いて,若々しさを取り戻します。情報は,ただ「知る」だけでいいのです。(p107)
 これから先,コロナが収束しても家族優先の生活は変わらないでしょう。これが「女性の時代がやってくる」ということなのです。(中略)仕事仲間と一緒にいる時間よりも家族と一緒にいる時間が多くなります。(p112)
 外でうまくいかないことがあったときには,それを家に持ち込むことは厳禁です。家に入るときには,ウイルスと不機嫌は,持ち込まないようにしましょう。(p114)
 言葉とは不思議なもので,「OL」という言葉が広まっていくとともに,実際に「OL」も増えていったのです。(p133)
 私は,この「はたらく」--「傍を楽にすること」を心がけていこうと思っています。「傍」の本来の意味は,「そばにいる人」です。(p136)
 仕事で大切なことは,断らないことです。あなたも,無理を承知でお願いしたことがあるのではありませんか?(中略)仕事であるなら,多少の無理はしたほうが得です。(p139)
 先のことがわからないのは,40代でも70代でも同じです。(p141)
 タダ働きはできるだけしないことです。それがトラブルのもとになることもあるからです。それを避けた上で,もしも経済的に困らないようなら,相手に得をとらせることも,70歳を過ぎたら,大切なことだと思います。(p144)
 70歳を過ぎたら,好きなものに囲まれて暮らしましょう。品物でも人でも,自分が「いいね!」と思えることが大切です。(p170)
 手相では健康運と財運は同じ線で観ます。つまり健康で長寿ということは,それだけ財運があると解釈するわけです。(p176)
 90歳になった私が,皆さんに伝えられるのは,「長生きするといいことがありますよ」ということです。(p196)
 私たちは誰もが,自分のあとを生きる人たちに,「あんなふうになりたい」と思ってもらえる生き方を見せなければなりません。(中略)私は,人生は明るく,楽しいのが一番だと思っています。足りないものを数えあげたらキリがありません。自分にあるものを,見つけることが,幸せな人生を送る秘訣ともいえます。(p197)

2021年11月6日土曜日

2021.11.06 夢枕 獏 『平成釣客伝 夢枕獏の釣り紀行』

書名 平成釣客伝 夢枕獏の釣り紀行
著者 夢枕 獏
発行所 講談社
発行年月日 2016.11.29
価格(税別) 1,600円

● 小説家の釣り紀行といえば開高健の『オーパ!』がまず思い浮かぶ。本書は『オーパ!』よりも知的で洒脱という言い方ができるかもしれない。
 おそらく,釣りの腕前は夢枕さんの方が上ではないか。

● 以下に転載。
 文士が山に登って,山の物語を書くという流れもあった。大町桂月とか,串田孫一とか,新田次郎とかね。文学と山の関係が密だった。(中略)だから苦労するのは当たり前。楽をするということは堕落を意味する,そういう風潮だった。その点,川旅は楽しいよね。(p24)
 川旅の楽しみとは何か。端的に言うと「自由」ということかな。(中略)山小屋だと「何時までに到着して何時までに出発してください」みたいな決まりがあるけれど,川の旅にはそういう窮屈さがない。(p29)
 火を見る楽しみって,人間の根源につながる喜びなのだと思う。それは,川の流れを見ているとココロア落ち着くことにも通じる。どこがいいのかと聞かれても答えるのが難しい,理屈のない喜び。(p30)
 初めての海外は,ヒマラヤだった。二十三歳のときかな。ある意味,その旅で僕の人生は狂ったね。人間,何をやっても生きていけるんだな,ということがわかってしまった。(p32)
 一番大きかったのは,「理想郷はどこにもない」ということがわかったこと。若い頃は,自分はどこにいるべきかがわからない。「もしかしたら,自分にとって,もっといい場所があるんじゃないか」そう思ってウロウロしたけれど,二十代の後半になってようやく,「自分の居場所は原稿用紙の前しかない」ということがわかった。それは大事な認識だった。だから旅に出ても早く家に帰って原稿を書きたいと思うようになった。(p32)
 小説の題材を探すには,近道はないと思う。自分がすきなことを続ける,これしかない。(中略)書いているうちに,書きたいものが増えてきて,四十歳のときに計算したら,僕の頭の中にあるアイディアを一生のうちにすべて書き尽くせないことがわかりました。(p37)
 体を使って,魚という実体のあるものを釣っているけれど,基本的に頭の中の作業でイメージの世界です。(中略)想像力が働かないと釣りにならないんです。(p43)
 誰も正解を教えてくれない。その,正解がないことを楽しむんです。(p45)
 釣りの楽しさのひとつに「いきなり本番に臨める」ということもありますね。例えば楽器を演奏するとき,いきなり本番ということはあり得ないでしょう。(中略)ところが釣りは,どんなに下手でもいきなり本番に入れる。僕はトレーニングの時間があるとダメなんです。(p51)
 生きていると,辛いことや苦しいこともたくさん経験してくるわけだけど,そういう人生経験の引き出しが豊富な人ほど,キングサーモンと対決するときに強いと思いますね。掛けるまでは,いろんなテクニックも必要なんだけど,一度掛かって一対一の戦いになったら,そこから先はテクニックではない。自分の存在すべてを懸けて,真っ向から勝負を挑まなければならない。ちょっとでも弱みを見せたら,負けそうになるんですから。(p67)
 釣りの醍醐味はパニックになれるところにあると,僕は思っているんです。(p69)
 僕にとって釣りは,世界を認識するためのひとつの方法です。竿は世界を知るためのアンテナといってもいい。だから,旅に出ると,必ず竿を出してみる。(p87)
 フライフィッシングを始めてから,イギリス人が世界にどんな影響を与えたのか,わかるような気がしました。(中略)冗談抜きで,フライフィッシングがわかると,イギリス人がわかる。(中略)僕の釣り人生の中で唯一,縛られる釣りであり,縛られることが不愉快でない釣りがフライです。(p97)
 フライをやる以上,フライのルールのもとに身を置かなければならない。(中略)「軽かったらオモリを付ければいいじゃないか」という安易な妥協をかたくなに拒否して,それで成立させているんだから,すごい。(p99)
 釣りは,自分のイメージ通りに釣れてこそ快感なのであって,偶然とか,たまたま釣れるのは嬉しいけど悔しいんだよね。フライは特にその傾向が強い。(p101)
 この物語で書いてみたいテーマは,“幸せな人間は旅には出ない” ということですね。命がけで旅に出るということは,満たされない思いを抱えているから。(p109)
 僕が想像するに,何もかも自分の思い通りになる人生って,一番つまらないような気がします。(p116)
 僕が自分の釣り小屋を作った動機は,「自分はこれとこれをやるために生まれてきた人間だ」ということがはっきり見えたことでした。(p117)
 フジモリ氏が別荘を三軒建てたという話を聞いたとき,実は「はるほどな。よくわかりますよ,その気持ち」と思いました。どういうことかというと,別荘を一軒建ててみると,理想と現実のギャップがよく分かるんです。(中略)そうした経験でわかったことを実証するために,二軒目がほしくなるんです。(p125)
 アラスカで釣りをやるときは,まだ人間が作ったルールの範疇に収まっている感じがするんだよね。(中略)その点アマゾンは,(中略)ルアーを投げたら,あるいは釣り糸を垂れたら後は,出たとこ勝負する以外にない,みたいなところがある。(中略)得体の知れない,何か未知の世界に向かって釣り糸を垂れているような感じがするんです。(p135)
 釣りに出かける時も,しめ切り近い原稿を抱えてゆく。仕事で出かける時も,バッグの中には竿をしのばせてゆく。(中略)当初は,仕事を終わらせて釣りに--などとがんばったこともあったのだが,これがかえってストレスになることがわかった。(p188)

2021年10月31日日曜日

2021.10.31 三浦 展 『下町はなぜ人を惹きつけるのか?』

書名 下町はなぜ人を惹きつけるのか?
著者 三浦 展
発行所 光文社新書
発行年月日 2020.11.30
価格(税別) 900円

● 副題は「懐かしさの正体」。著者は下町を4つに区分する。
 第一下町:江戸時代の下町。1920年以前が人口最大。日本橋,神田,京橋。
 第二下町:明治・大正以降の下町。人口は関東大震災後に減少。浅草,下谷,芝,本所,深川。
 第三下町:震災以降の下町。震災後に人口が急増。荒川,向島。
 第四下町:戦後の下町。城東,王子,江戸川,葛飾,足立。

● 東京近代史といっていい内容。近代史を総花的に扱うのではなく,人口の移動と街並みの形成,地場産業の盛衰に絞って,その理由,原因を探るというもの。
 東京歩きは自分の趣味というと語弊があるが,楽しい時間の使い方になっている。本書を読んで良かったと思う。街歩きの楽しみが少しは深まるかもしれない。

● 以下に転載。
 1970年代に入り,下町は〈発見〉されたのだとわかる。それは都心の近代的オフィス街化,郊外住宅地を中心とする生活様式の西洋化などが進むことにより,近代的でも西洋的でもない,伝統的で日本的なものとして下町が珍しがられる時代が始まったということでもある。(p6)
 関東大震災のあった1923年は田園調布の分譲開始の年であるということは実に象徴的である。震災のために,下町が壊滅し,もう下町には住めないぞという気運が高まり,山の手,西郊への人口移動が加速したのである。下町中心でのコレラの流行も一因である。(p33)
 第一~第三下町に限ると,人口は戦争によって4分の1に減り,その後回復するものの,戦前には届かない。対して山の手は,戦後は戦前より3割ほど増えている。いかに震災と戦争が下町に被害をもたらしたかが明瞭である。(p35)
 東京の人口移動を考える上で重要なのは,1919年に制定された旧都市計画法である。これにより東京は地域ごとに,商業,工業,住宅などと用途地域指定された。(中略)こうして同じ郊外でも西側山の手は中流ホワイトカラーが多く,東側下町は工場,倉庫などで働く労働者階級が多い,という近代東京の構造が固まった。(p36)
 今われわれが思い浮かべるお寺のような外観の銭湯は,大正時代につくられはじめたものだ。戦後も人口増加に対応して,たくさんつくられた。大正から昭和,戦後にかけて,東京に流入してくる人々は若く,貧しい,風呂のある住宅には住めない人々だったからである。(p41)
 大正時代に同じようなことが起きている。「郷土」という言葉が重視されたのだ。今は当たり前に使う郷土という言葉であるが,この言葉が重視されたのは明治以降の近代化がひとしきり進んだ1910年代のことである。(中略)明治以来近代化を進め,1880年代に憲法や教育制度などの新しい体制を確立した日本が,それから30年経って発見したのが「郷土」「故郷」「ふるさと」なのだ。(p45)
 麹町区と深川区の(区民所得の)差は20倍ほどである。皇居と隅田川を隔てた土地には,今から見れば「超格差」があったことがわかる。(p58)
 銀座煉瓦街も建設以前はスラムだった。小商人,職人,日雇い,大道芸人らの下層民や雑業者が住んでおり,彼らを強制退去させて煉瓦街がつくられたのだ。(p58)
 明治20年代には小石川区に15の貧民窟があったという。浅草区には13,神田区,芝区に各11,日本橋,京橋区に各10があった。東京市15区内での構成比では小石川が13%,浅草が11.3%,神田,芝が9.6%,日本橋,京橋が8.7%である。これが明治30年代になると,浅草は14.2%に増え,下谷区が11.2%に急増する。(中略)神田にいた貧民層が浅草区内,そして下谷万年町などに移住してきたからである。(中略)第一下町から第二下町に貧民が移動したことがわかる。1900年頃から10年ほどで地代が10倍以上に上昇したことも,貧民を郊外に押し出す圧力となった。(p59)
 江戸は何度も火災にあったが,明治以降も火事は多く,1881年には神田で大火があり1万戸以上焼失するなど,明治期最大の被害となった。(中略)大火が起こる理由は,貧民の暮らすこけら葺きの長屋が多いからである。だから不燃・防火の都市をつくり,煉瓦や石づくりなどの高額な住居をつくることは,貧困層が住める家をなくすことにつながる。(p77)
 単に東京の人口増加が下町の拡大をもたらしたのではなく,都心部の近代化とそれに伴う政策が貧民たちを外側に(場末に)追い出し,場末の人口を増やし,結果としてその場末を次第に下町的にしていったのである。(p81)
 明治時代は,日本橋から神田須田町にかけてが東京の中心だったという。銀座はまだ栄えていない。このへんの感覚が今はわからない。(p86)
 地主は,大きな土地を持つ人ほど都心にいた。(中略)下谷の土地はほとんどが第一下町か浅草の地主に所有されていたのである。言い換えると,江戸時代以来の場末としての性格が明治期までそのまま引き継がれていた。(p107)
 速水融『歴史人口学の世界』によれば,江戸時代の町人の平均寿命は農民より短かった。また民俗研究者の岩本通弥によると,都市の死亡率が農村より低くなったのは,なんと1920年代以降である。(p110)
 1921年の調査によると,たとえば浅草の田中町(現・東浅草)にあったスラムでは居住者1044人中,なんと239人が1年間で死亡している。(中略)その他のスラムでも四谷旭町(新宿駅南口あたり),下谷金杉本町,深川富川町・猿江裏町では1割以上死亡している。(中略)浅草は娯楽都市として繁栄し,銀座はモダンな消費都市として繁栄していたが,一歩そこから踏み出せば,衛生状態の悪いバラックのような長屋に住む貧困層が大量に存在していた。(p111)
 竹内誠氏によれば,深川が下町と称するようになったのは江戸時代どころか明治ですらなく,昭和になってからだという。(p138)
 深川は江戸と川を隔てて隣接しているだけなのに,江戸から見れば自然豊かで美しい別荘地であり,深川の人は隅田川を渡って西に行くことを「江戸へ出る」と言った。(p141)
 今でも,門前仲町で有名な居酒屋に行くと,「おきゃん」とはこういう感じかという女性が切り盛りしている。テレビドラマ『孤独のグルメ』にもその店が出てきて,女性役を浅野温子が演じていたが,口調も身のこなしも本物そっくりだった。(141)
 明治以降の向島は別荘地であった。(中略)大財界人である大倉喜八郎は1912年,向島に別邸「蔵春閣」を建築した。内部は秀吉の桃山御殿のふすま,杉戸を使い,狩野探幽の屏風も置かれる豪華なもので,海外の賓客を招いたという。(p154)
 1902年当時,石鹸工場は日本全体で175あったが,うち東京都が46,大阪府が33と,非常に大都市に集中した業種であった。現在のような石鹸を使う生活は,当時は未だ大都市の中流以上の階級による新しいライフスタイルだったからであろう。(p161)
 当時は紡績会社といっても何のことかわからない人がほとんどで,表向きは紡績工場と言いながら,実は火葬場をつくるに違いないと噂されて土地の買収に手間取ったという。まら煙が噴出するのは衛生上迷惑だという苦情も多く,住民が竹槍を持って騒動を起こすこともあったため,鐘紡役員一同はピストルを携行したというから,昔の日本は西部劇のように物騒だったらしい。(p162)
 戦後も,墨田区は(中略)中小零細の町工場が無数に密集し,高度経済成長を支えた。優秀な縫製職人がたくさんいるため,ファッション産業の土地でもある。イッセイ ミヤケ の洋服の縫製も墨田区の企業が何社か担当している。(p162)
 『女工哀史』の刊行と同じ1925年,建築家で考現学者の今和次郎は「本所深川貧民窟付近風俗採集」をしていた。うかつだったが,私はこの2つの著作が同じ年のものだとはつい最近まで気づかなかった。社会問題と都市研究では分野が違うし,女工といえば製糸工場,だから明治時代だと,何となく間違って記憶してしまっていたからだ。(p172)
 労働はつらく寄宿舎は多少不潔なところもあっただろうが,おそらく地方の貧しい農村から出てきた女工にとっては,あるいは当時まだ農村地帯だった下町の生活から見れば,十分近代的で,給湯設備がある洗濯場などは天国のようなものだと思われた可能性はある。託児所の整備も近代的だと言える。(p191)
 寄宿舎のある工場街は一種の団地であり,それゆえ一般国民よりは早く近代的な生活が実現した。だから,戦後の団地がそうであったように,工場街をモデルにして一般国民の暮らしが近代的な方向に変わっていった側面もあろう。(p192)
 東日暮里ではアーチストレジデンスと思しき物件にもいくつか遭遇した。(中略)銭湯や長屋や商店街があって職人が住んでいる庶民的な街は,墨田区京島などと同じで,若いアーチストなどには住みやすいのであろう。(p207)
 1964年のオリンピックに向けて東京都心部はどんどんきれいになっていった。しかしそれは,部屋に散らかっているモノを押し入れに詰め込むように,見栄えのよくないものを下町に押しつけることでもあったのだ。(p218)
 山の手を舞台にした落語というものはない。山の手に住む武士は,落語ではからかいの対象である。だから,寄席はもちろん,演芸,映画などの娯楽全般は下町で発達したわけで,その代表が浅草だ。(p219)
 荒川区の歴史はまさに昭和の庶民の歴史である。底辺労働の苦しみも,貧乏な長屋も,人間味のある近所づきあいも,活気のある商店街も,そこにはあった。神田のようなちゃきちゃきの江戸っ子の下町ではなく,地方から集まった人々が方言混じりの言葉で話す朴訥な下町,それが荒川区だったのだ。(p222)
 北千住はもともと日光街道の,日本橋を出て最初の宿場町・千住宿である。現在の千住1丁目から5丁目が成立当初の宿場だ。(p248)
 北千住は,豊かな商人層に支えられた文化都市でもあった。(p249)
 下町の娯楽というのは大衆的であると同時に,意外に流行的である。比較的所得の低い労働者が多いため,安価で手軽な娯楽を求めるからだろう。(p263)
 プライバシーの中に閉じこもらず,あけっぴろげで,気さくで,言いたいことを言って生きている。(中略)下町の,人々が自分に閉じこもらずに,生活を街に開いている雰囲気が,むしろこれからの時代,いろいろな街に何らかの形で増えていってほしいと思っている。(p280)

2021年10月24日日曜日

2021.10.24 伊藤まさこ 『まさこ百景』

書名 まさこ百景
著者 伊藤まさこ
発行所 ほぼ日
発行年月日 2020.08.06
価格(税別) 1,800円

● 著者は「ほぼ日」上で「weeksdays」というセレクトショップを運営している。本書はそのプロモーションの意味合いも持っているのだろう。ただし,宣伝臭は皆無に近い。
 お気に入りのモノを紹介している。同じような趣向の本を前にも読んだ記憶があるが,定かではない。

● 紹介されているモノの背後にあるのは,こだわりと言ってしまっていいんだろうか。そう言ってしまうと,少し以上にピントを外すことになるんだろうかなぁ。
 何でもいいということがないのだ。ぼくは大いにそれがあるので,こうして著書を通じて著者と向き合っている分にはいいけれども,直接に向き合うとひと言も話が通じないだろうな。

● 以下に転載。
 ほかほかの蒸籠をテーブルに持って行き,蓋を開けた瞬間,毎度歓声があがるのも料理をつくる側としてはうれしいポイント。湯気の持つ威力ってすごいのです。(p13)
 最近,わたしをハッとさせる仕草をする人は,多くがリネンのハンカチを持っている,ということに気がつきました。清潔できちんとアイロンがかかったまっ白なリネンは女の人をきれいに見せるのです。(p19)
 ものをたくさん見て,瞬時に「いいものとそうでないもの」を見極める仕事についている人は,とにかく目が速い。(中略)わたしもどちらかというと速い方。森の中できのこを見つけるのも得意です。(p27)
 「もう小花柄は似合わない」。数年前のある時,そう思ってからきっぱり着るのをやめました。(中略)好きと似合うは違うもの。(p101)
 ひとつでもひっかかるところがあったら買わない。ものをえらぶ時,それくらいの潔さがあってもいいんじゃないかと思っているんです。だってほかのだれでもない,自分が使うものなのだから。(p165)
 どうやら「ほしい」気持ちは前面に押し出すといいものと巡り会えるみたい。(p211)
 自分とみんなをとりまく景色が少しでもよくなりますように。(p231)

2021.10.24 白川密成 『空海さんに聞いてみよう。』

書名 空海さんに聞いてみよう。
著者 白川密成
発行所 徳間書店
発行年月日 2012.02.29
価格(税別) 1,400円

● 副題は「心がうれしくなる88のことばとアイデア」。
 著者の文章に初めて接したのは,2001年から「ほぼ日刊イトイ新聞」に連載された「坊さん」だった。衒いのない素直な文章で,連載を読むのが楽しみだった。
 のだが,その連載をまとめた単行本もその後に出た書籍も読むことなく,9年前に出た本書を今頃になって読んだ次第。

● 読み手の好きなように読めばいいものだと思うのだが,ぼくな仏教の入門書として読んでいた。そういうものとして読み始めたわけではないのだが,途中からそういう読み方になっていた。
 高校を卒業してまっすぐ高野山大学に入学し,僧侶への道を目指した人だが,頭脳の働きがかなり明解な人のようだ。

● 著者は本書執筆にあたって,筑摩書房の『弘法大師 空海全集』をメインに使い,一部,高野山大学密教文化研究所の『定本弘法大師全集』に依ったと述べている。
 このような大部な全集は,ぼくらが手を出すものではないだろう(出してもいいが)。しかし,ありがたいことに,ちくま学芸文庫から『空海コレクション』全4冊が出ている。これで空海の著作のあらかたは読める。
 じつは,ぼくも出たときに買っていて手許にある。が,1行も読まないまま今日に至っていた。読まなきゃなと思った。

● 以下に転載。
 千年の時を超えて残っているような言葉は,それだけで耳を澄ませるに値する言葉だと思います。(中略)まずはその「言葉」が今,ここに “残っている” という事実をみなさんと喜び,そこから謙虚な気持ちで少しでも何かを具体的に学びたいと思います。(p5)
 良工は先ず其の刀を利くし,能書は必ず好筆を用う。(中略)その言葉(弘法筆を選ばず)とはまったく逆の言葉を弘法大師が遺されていることに気づき,「むふふ」と笑ってしまいました。(中略)優秀なスポーツ選手や演奏家などの大半が「道具」にこだわり抜き,多くの場合,熟練の名人である職人をパートナーとしていることが多いでしょう。(p40)
 私たちが経験するすべてのことは,「実際に起こっていること」と「私の心」のコラボレーション(共同作業)だと思います。だから,「私の心」の側を少しでも変化させることで,同じと思われた事柄,風景,人物が変わりはじめるはずです。(p49)
 「わたしには,子がいる。わたしには財がある」と思って愚かな者は悩む。しかし,すでに自分が自分のものではない。ましてどうして子が自分のものであろうか。どうして財が自分のものであろうか(ウダーナヴァルガ p54)
 大きな事件や自然災害が起こると,私たちは「言葉」を使って語りかけたり,言語によって考え,伝えることの無力さを痛感させられます。しかし,そのようなときであっても私はいつも「自分自身が言葉に力をもらい,助けてもらった」経験を忘れたくはないと強く思います。(p69)
 あるチベット僧の法話で,「自分と他者の人数を比べてみてください,他者のほうがずっと多いはずです。ですから,他者の幸せなしには,自分の幸せなんてないのです」と伝えられたことがあります。(p86)
 古人は道を学んで利を謀らず。今人は書を読むも但名と財のためなり。弘法大師の生きた時代は,千何百年も前の時代ですが,そういった時代の人もやはり今と同じように「昔の人は・・・・・・」ということを考えていたのだと思うと,なんだか興味深いです。(p88)
 「厳しさの中にも,必要な “ゆるし” がある。だからこそ咲くことができる花がある」というような考え方には,大乗仏教の叡智が詰まっているように感じました。(p93)
 私たちが受けとる情報の量が今までの時代とは,比べることができないほど膨大になっていることです。(中略)ほうっておくと心が「受けとる」「発する」ことばかりになって,気づかないうちに「見つめる」ことを忘れてしまいます。(p97)
 「心に先入観を持たず素直でいて万物の動きにまかせた」というのが現代語訳ですが,漢文書き下し文の「虚心物を逐う」というのは,鋭くリズミカルなイメージとともに胸に飛び込んでくる言葉です。(p110)
 空海は次の段階として,「学ぶ」「習う」ことと「写す」「似せる」ことをしっかり区別することの大切さを指摘しているように私には感じられるのです。考えてみると,素晴らしい先人たちの方法や作品は,その人自身が,その人の心にちょうど合致するように編み出されたもので,あなたには,あなたのためにもっとフィットするフィーリングや雰囲気があるはずではないでしょうか。(p118)
 笑われたり,非難を受けたら,やめるべきですか? むしろそういったものの中に大事なものがあることが多いのです。(p123)
 「密教」の特色を簡潔な言葉で考えてみると「身口意」の働きを抑え込めるというよりは,むしろ肯定的に積極的に “用いようとした” ことにあるのではないかと思います。(p130)
 「私」というとても小さな存在でも,その「大きなもの」と旅をともにすることで,大きな収穫を得ることができる。(p149)
 人間である私たちは,自分が目にして心が写し出すものが,現実の世界だとおもってしまいますが,じつは自分たちの「見たいものだけ」「欲しているものだけ」「必要なものだけ」を見ている(中略)「生きもの」事態がそういった “システム” によって運用されている,という理知的な側面を持っている事柄だと感じます。(p169)
 このように短い言葉を引用して,弘法大師の考えを「わかった」ことにしてしまうことは,じつはあまり得策ではありません。その言葉の裏側をかいま見る注意深さも必要です。(p177)
 起るを生と名づけ,帰るを死と称す。(p192)
 遮那は中央に座す 遮那は阿誰の号ぞ 本是れ我が心王なり(p212)

2021年10月12日火曜日

2021.10.12 林 望 『定年後の作法』

書名 定年後の作法
著者 林 望
発行所 ちくま新書
発行年月日 2020.12.10
価格(税別) 840円

● タイトルに “定年後” が付く本をけっこう読んでいるのだが,またひとつ読んでしまった。実際に定年になった人が “定年後” の本を読むのは,あまり恰好のいいものではないとも思っている。
 どの年代の人にもその年代に合わせた雑誌が発行されていて,自分の年齢に合う雑誌を読んでいるような人は,所詮はその他大勢の中に埋没しているだろう。自分の属性とは全く違うものを読んでるような人に,魅力のある人が多いだろう。

● 自分もまた,自分の属性に合った雑誌を読んでいた「その他大勢」の1人なのだが,馬齢を重ねてもそこは変わらないものだなと,ひとり自嘲もしている。
 しかし,背伸びをしても仕方がない。気になった本は読んでみればいいのだ。

● 以下に多すぎる転載。
 どこにも所属していないということになると,そこに「孤立」した自分を想定しなくてはならない,それはたしかに未知の恐怖を感じることがどこか避けられない,ということだったかもしれません。しかし,定年後,何より大事なことは,この「孤立」を恐れない心です。(中略)「孤としての生き方」とは誰ともつるまず,誰にも寄りかからず,一人ですっくりと立っている生き方にほかなりません。(p8)
 無所属の恐怖かぁ。これしばしば言われることなんだけど,そんなことを感じる人が本当にいるんだろうか。ぼくに関していうと,それは1mmもなかったけどねぇ。大半の人はそうじゃないのかねぇ。
 人間には「感じの良い人」と「感じが悪い人」の二種類しかいない,その中間はない,というのが私のかねてからの持論であります>(中略)まず,最も嫌われるのが,上から目線で偉そうにものを言う人です。(中略)そこで,感じのいい人になるためには,まずなによりも,いばったり,上から目線でものを言ったり,要らざる薀蓄を傾けたり,というようなことを,自らよほど抑制しなくてはいけません。(p12)
 「自己評価は必ず他人の評価を裏切る」という心理学上の法則があります。つまり,自分を「親切な人間だ」と思っている人が実際に親切だったためしはなく,逆に「自分は意地悪だ」と思っている人は実は意地悪ではないということです。(中略)自分を意地悪だと思う自我は,すぐれて自省的であるはずだからです。したがって,そういう自省心がある人間は意地悪にはなりません。(p14)
 人間は不思議な動物で,群居する性質を持ちながら,しかし,一定の距離感がないと不愉快を感じる,そういうものです。(中略)だからお互いに干渉しあわないように,自分独りの時間と空間を持つ。そうやって「間」を取ることによって,一緒にいる時にはより仲良くなれるというものなのです。(p33)
 偉そうにすることなく,どちらかといえば,いつもぼんやりとしてるくらいがちょうどよい(p53)
 出世栄達なんてことをよそに,のんびりと非競争的な人生を送っているという人には,どこか不思議に人間的な魅力があるものです。そういう人こそ,定年後の生き方として目指したい一つのイメージではなかろうかと思うのです。(p61)
 定年後は,つまり,社会がその人に求めるものから自由になった,組織の桎梏から解放された分,どんな無用のことにも力を注ぐことができます。それが世の中の役に立つか立たぬか,そんなことは度外視してよいのです。(p67)
 一番良くないのが,定年になって暇ができた,さあ,どうやって暇をつぶそうかという考えです。(中略)つまりは「暇つぶし」とはすなわち「時間の無駄遣い」です。(中略)それは穀潰しなる愚考というものです。(p73)
 練習していてもそれが嫌にならない,どこかにもっとやりたい,もっと先に進みたいと思う「気持ち」のなかに才能というものが宿っているということなんです。(中略)あきらめるってのが,いちばん良くない態度で,あきらめずに続けるということによってしか,才能という鉱脈に辿り着くことはできません。(p75)
 音楽教室か個人レッスンかと比べてみると,レッスン料はたしかに,個人レッスンは多少高い。しかしながら,その成果の上がり方は,まったく違うものなのです。(中略)定年後です,お金は有効に使わなくてはなりません。(p79)
 つまらない文章に共通の属性は,「音楽がない」ということです。文章にリズムがなく,だらだらとしている,そういうのはやはり読む気がおこらないのです。(p81)
 人前に出て恥をかきながら学んでいく,そういう心がけが何より大切だと思うのです。(p89)
 生きがいを,もし趣味の世界に求めるとしたら,(中略)下手の横好き,御隠居の義太夫,みたいなところで満足するのではなくて,いわば本職になるほどやったほうがいい,と私は思っています。(p95)
 俳句は,お茶やお花のように「型」のある芸道ではありません。俳句は「文学」なのです。(中略)そうなるとさて,文学がお師匠さんの言いつけを守って,一つの型を金科玉条と心得るようでは,どんなものでしょうか。(中略)もっと自由に,言い換えれば自分勝手に,試行錯誤することが,いわば上達の王道だと私は信じています。(p99)
 常住坐臥いつも俳句を作ろうと思っていることが大切で,私は四六時中M値のポケットにメモ用紙とペンを入れています。なにしろアイディアはいつ湧き出てくるか予想ができないからです。思いついたら即座にメモする。これが俳句作りの大秘訣です。(p102)
 楽器などを習うときは,メソッドを守り,つねに師匠に修正指摘してもらう必要がありますが,文学は先生に教わってどうにかなるものではない。私も文章を書くのを仕事としていますが,今まで文章の書き方など誰にも教わったことはありません。(p103)
 アイディアなんてものは,三十秒くらいしか生命がありません。一分でも他のことをやってしまったら,もう忘れて思い出せなくなります。だから,ともかく即座に書き留めることが必要です。(p105)
 井戸を掘らなければ水は出てこないのです。最初から自分にはそんな才能はないからとあきらめるには及びません。(p123)
 勉強は,結果ではなくて,過程にこそ最大の愉悦があるのです。そこが受験勉強や,会社のプロジェクトなどと根本的に違っているところなのですから。ここでも,孤独は作業ではありますが,楽しい孤独,すなわち名誉ある孤立でもあるんです。(p126)
 『徒然草』のおもしろいところは,なにやら人生の深奥を探るようなことがあれこれと書いてありながら,その底流として,常に「エロス」があることです。生きていることとエロスというものは切り離せないものだということが,これを読むとよくわかります。(p128)
 私も,ほかには何も運動はしませんが,ひたすら歩くことだけは励行しています。それも犬の散歩だの,週末にゴルフ場を歩くなんてのはだめで,ただただ「歩く」ことを自己目的として脇目も振らずに歩くことが肝心です。(p158)
 私は家にいても絶対に電話には出ません。ああ,電話が鳴ってるな,と思いながら,ベルが切れるまでじっと静観しているだけです。(p164)
 私はSNSに類することも一切やりません。ツイッターのような,ほんのひと言,思いつきだけの短文を垂れ流すというのが,どうも不毛なことのように思います。(中略)SNSは一種の《電子的つるみ状態》で,つまりは,程の良いディスタンスが保たれていないんですね。(中略)人と人のコミュニケーションにおいても,心のソーシャル・ディスタンスが必要だと思うのです。(中略)ここでも,やhり「個(孤)」を保ちあうということが,良い人付き合いの,要諦のなかの要諦だと,そう言っておきたいと思います。(p166)
 人間の健康も縮小していくように,生活そのものもだんだんと縮小していくべきがほんとうなのだろうと感じています。(中略)この「縮小していく生活」を,自分で考えて,粛々と受け入れていくことこそ,これからの最大のテーマだと,私自身は考えています。(p198)
 還暦を過ぎた頃から,私は極力ものを買わない,必要なもの以外は買わずに,身辺の物を増やさないようにしようと考えました。(p201)
 その要諦は,「大事なもの,価値のあるものから手放す」ということです。とかく未練で,良いものは手許に置いておきたいと思っていると,ついに何も手放すことができません(p204)
 なんとかして,私は「じじむさく」ならずに死にたいものだと思います。それには,何と言っても清潔が第一。むさ苦しく不潔で,ひとい加齢臭がするようでは,人を不快にさせるばかりで嫌がられます。(p206)
 ぐっとお安い定食屋で食べるのも,なんだか面白くないことで,それなら家に居て自分で料理すれば安くあがるし,自分の好きな味に作ることもできる,それがいわば食費節約の大原則です。つまりは外食は極力やめたほうがいいと,お勧めする次第です。買い物も,あれこれと予め献立を決めてから買いにいくのではなく,どんなことにも使える普遍的な食材を一通り買っておいて,それが無くなるまで,工夫して使い切る,それが,いわば食費節約の王道です。工夫万端,無駄なく使い切る,そこに要諦があります。(p210)
 死ぬなんてことは,考えたくないことですが,だからこそ,心を励まして考えておき,常住坐臥,このことを思わぬ時はない,というくらいにしてちょうど良いのだと思います。(p222)
 心を通わせて話したいときは,横並びで話すことです。(p227)
 五年後,十年後までにこれをやろうと,あれこれ目標や計画を立てたところで,それまで無事に元気で生きている保証はどこにもないのです。だから,「今日,何をやるか」が大事です。今日一日を有意義に生きることに,まずは集中しましょう。そして,全力を尽くしておけば,明日急に死んだとしても,悔いは無いではありませんか。(p232)
 人生の扉を開けるのは簡単です。(中略)しかし,広げるのは簡単でも縮めるのは容易ではありません。(中略)発展は誰にとっても嬉しく望ましく,苦労があってもそれを苦労だとは思わない。しかし,縮小するのは楽しくも望ましくもないことですから,そのための努力は本当に辛い努力です。けれども,定年後はどうしたってその縮小していく局面に向かい合わなくてはなりません。(p243)

2021年10月10日日曜日

2021.10.10 開高 健 『開高健の本棚』

書名 開高健の本棚
著者 開高 健
発行所 河出書房新社
発行年月日 2021.09.30
価格(税別) 2,200円

● 本書は何かといえば,エッセイのアンソロジーであり,開高健のお気に入り本の紹介でもある。杉並区に「開高健記念文庫」があり,茅ヶ崎市に「開高健記念館」がある。本書はその2つの協力を得てできあがっているものだが,記念文庫や記念館に行くよりはこの本をじっくり読む方が,より多くの実を得ることができるだろう。
 比べるものではないのだろうが。

● 以下に転載。
 書物は精神の糧である。(中略)精神の美食家になり,大食家になること。一念発起。そこからである。(p11)
 言語についての研究は近年にわかにさかんになり,精緻になっているけれど,分析が緻密になるだけ初発の直感の鋭さや豊沃さが喪われていくという事情は他のどの分野ともおなじらしく見える。(p48)
 よく写真を見ると学者や作家は万巻の書棚をうしろにおちょぼ口をしたり一点をカッと目貫めたりしてすわっているのを見るが,いかにもしらじらしいきがする(中略)やれやれ,これだけ本を背負わなければ歩けませんと,自分の頭のわるさを広告しているようなものではあるまいか。(p59)
 大人の世界で流行したものが半年おくれて子供の世界で流行するのだそうだ。かならずそうなるという。(p68)
 私はもともとマンガ無害論者である。子供は吸収力が速いのと同じ程度に排泄力も速い。(p69)
 「ユーモア」の感覚は人間の本能の知恵なのである。この知恵を汲むことのできない人びとは,ほかのあらゆる美質にもかかわらず私を和ませない(中略)くそまじめな日本の陰湿な風土ではこれがひどく育ちにくいこと,文学界,学界,すべて同様である。(p73)
 全集や文庫版など,一定規格のサイズとデザインにおしこめられた本からは “匂い” がたちにくい。(p78)
 よく読後に重い感動がのこったと評されている “傑作” があるが,これは警戒したほうがいい。ほんとの傑作なら作品内部であらゆることが苦闘のうちに消化されていて読後には昇華しか残されていないはず(p82)
 文学が政治を扱うと,どういうものか,成功はごく稀れで,ほとんどがのっけから失敗するものと覚悟しておかなければならないのに,これ(「動物物語」)はおそらく動物寓話にしたせいでしょうが,やすやすと至難を克服しています。(p88)
 革命は成就後にいつともなく変質をはじめてやがてはかつての仇敵にそっくりのものに転化する(p88)
 推理小説やスパイ小説はまぎれもなく,“近代” の分泌物である。(p92)
 どの分野でもナンセンスとかパロディーというものはセンスがよほど成熟,爛熟して種切れになりかかるところまできてから発生するものである。(p93)
 「種において完璧なるものは種を越える」と言ったのはゲーテだったか,ほんとにそのとおりであって,これ(「我が秘密の生涯」)はもうポルノなんてものじゃない。(p127)
 ロマン・ピカレスクとは何ぞやということなんだけれども,これは一口で言うと,(中略)けたはずれの強力なヴァイタリティをもった人物が社会を横断もしくは縦断する,それにつれて,一社会の横断面,縦断面がくっきりと浮びあがってくるという形式の物語なわけね。(p127)
 ナチュラリスト文学で気をつけなければいけないのは,人事を自然に反映させて,鳥獣虫魚の生態を人間社会にあてはめて解釈し,表現しようとする欲求をどう制御するかということやね。(中略)この擬人化の弊害はじつに大きい。(p131)
 ファーブルの『昆虫記』は,そういう,人間社会にもまれて辛酸を重ねてまた自然にもどりたくなった大人が読んで,はじめてほんとうのおもしろさがわかる本ではあるまいかという気がするのよ。(p132)
 御大アシモフがいいこと言ってるぜ。「大衆がSF映画を見に行くのはなぜか。九〇パーセントの破壊場面を見るためだ」。(p149)
 ホワイは分からないが,ハウは分かる。だいたい釣りは全体にそういうことがいえるんで,もっと押し広めれば,人生すべてがそれや。(p151)
 昔の動物学だと,人間は過ちを犯すがアリは過ちを犯さない,という定言があったわけだけど,自然はまた過ちに満ち満ちているんだよ。(p152)
 笑いのない現実というものはあり得ない。いかに悲惨なものにも,見方を変えれば笑いがある。(p156)