2022年11月28日月曜日

2022.11.28 山崎武也 『老後は銀座で』

書名 老後は銀座で
著者 山崎武也
発行所 PHP
発行年月日 2003.09.22
価格(税別) 1,300円

● 読み終えるまで気づかなかったのだが,じつは今回は再読。10年前に一度読んでいた。

● 「本書で銀座というときは,象徴的な意味も含めている。東京の銀座に限らず,質のよい賑やかさのあるところである。都市の中心地であり,町の繁華街である。とにかく,人間の活動が活潑に行われている場所のことである」(p2)
 で,ぼくも可能なら “銀座” に住みたい。年金しか収入がない状態でどうやって銀座に住むんだという問題以前の障害物があるわけだけどさ。

● 田園というものに対する過度な期待というか思い入れが,日本の文人にはあるのかもしれない。晴耕雨読なんぞという四文字熟語に以外に簡単に感応してしまう。
 で,歳を取ったら田舎に住んで土を耕して過ごそうなどと,幼稚にもほどがあることを言い出して,それが一定の支持を得るという摩訶不思議な現象がある。

● 田舎出身,田舎在住の身として言っておくが,若いうちは田舎に住むことができても,歳を取ってからは都会にいるべきだよ。若年期,壮年期を都市で過ごしたのに,老いてから田舎に移り住むのは,無謀すぎる。
 高校を卒業するまで田舎で過ごし,大学入学を機に都会に出て,そのまま都会で就職した人が,定年退職したので故郷の田舎に帰るというのはどうか。それもぼくは勧めない。家庭の事情も色々あるだろうけれども,可能ならばそのまま都会に留まるべきだ。言われなくてもよくわかっているだろうけど。

● 以下に転載。
 働くという「動」の世界にいるときは,休むという「静」の世界に憧れる。(p14)
 夫婦で暮らしていたり家族と一緒にいたりすれば,自分の思いどおりにならないことがあるだけで,かなりの刺激である。(p14)
 茶道の大成者といわれている千利休の教えに,「家は漏らぬほど,食は飢えぬほど」というのがある。(p120)
 スピードを半分に落としてみる。すなわち同じことをするのに,これまでの二倍の時間をかけるのである。(中略)スピードが速かったために,文字どおり中途半端になっていたことが多い。(p130)
 懐かしいという感情を持つことができるのは,自分の過去に自信を持っているときである。過去を肯定的に見ているときだ。(中略)前進することばかり考えて,過去に目をやらない姿勢では,人生の余裕は生まれない。(p165)
 訪問販売の場合は,ドアは堅く閉ざして応対を敢然として拒否する。話ぐらいは聞いてやろうと思ってはいけない。(中略)電話を利用して押し売りをしようとするのは,精神的には土足で他人の家に入ってくるにも等しく,まさに悪徳商法の一つといわなくてはならない。(p172)
 老人がしゃしゃり出るのはみっともない。(中略)「年寄と釘頭は引っ込むがよし」という諺を銘記して,若い人に道を譲って自分は控え目にしているのがよい。(p183)
 成長期や成熟期には,全力投球をする姿は美につながっていったが,衰退期は自然の流れに従ってのみ美を保つことができる。(p185)
 世の流れに対しても,傍観者の姿勢に徹してみる。(p187)

2022年11月19日土曜日

2022.11.19 桑原才介 『宇都宮「街力」を掘り起こせ!』

書名 宇都宮「街力」を掘り起こせ!
著者 桑原才介
発行所 言視舎
発行年月日 2022.05.31
価格(税別) 1,500円

● 著者は宇都宮の人ではないようだけども,宇都宮をだいぶ持ち上げている。宇都宮市からコンサルタント的な業務を依頼されて,長らく関わってきたようではある。
 表に出ることがあまりない市中の人が登場する。面白く読めた。知らないでいたことをいくつも教えてもらった。調べようと思えば,自分でも調べられるはずだが,こういうものは誰かにフィールドワークをやってもらって,その結果を教えてもらうのが手っ取り早い。

● メインは飲食業界の話。飲食というのは形而上ではなく下になるので,面白いことが多いはずだ。
 居酒屋や食堂に入って酒を飲みご飯を食べて,街を歩いてみるのは人間勉強になるし,第一,面白い。ただし,この勉強の仕方はお金がかかる。

● 以下に転載。
 テレビの普及が映画産業の斜陽化を促進し,その結果バンバの勢いが衰えていった。昭和34(1959)年には仲見世の強制的な排除が行われ,賑わいの衰えを決定的なものにした。(p14)
 たぶんこれは順序が逆で,賑わいの衰えが決定的になったから,強制的な排除がなされたのだと思う。
 「餃子のまち宇都宮」は,B級グルメによる街おこしの時流にあまりにもうまく乗った。餃子が宇都宮のメタファになった。(中略)しかしいつの間にかそれが街のメタファになっていくと,もともと持っている街力が見えなくなっていく。またこれから成長しようとする新しい街力の芽を摘み取ってしまう。(p28)
 宇都宮にはカクテルバーが異常といえるほどに多い。銀座,横浜並といっても言い過ぎではないだろう。むしろ集中度でいったら宇都宮のほうが勝るかもしれない。しかも東京都でカクテルバーといったら,シティホテル内のバーが中心なのに比べ,宇都宮のそれはほとんどが路面店舗だ。(p40)
 フランスの三ツ星クラスの有名レストランで腕を磨き,帰国すれば中央で一流シェフとして華やかな舞台に躍り出ていくのが普通だ。しかし音羽(和紀)は郷土愛をおのれの生き方の基底に据え置いているようで,地元に帰り,泰然自若としてこの地を動かない。動かないがその磁力が半端ではない。(p48)
 安生(勝巳)は修行先でさまざまのことを学んだが,一番学んだのは人間性だったようだ。お客を面白がらせ,スタッフ同士も面白がる。そうやって醸し出される陽気な雰囲気からみんなが生きる力を獲得していく。(p54)
 京料理の本質は合わせものにあると良くいわれるが,植木(和洋)は「出会いもの」と表現していた。(p71)
 街には必ず名店がある。そういう存在になりたいのです(p87)
 大正9(1920)年,上野呉服店が東京風の百貨店形式の店を相生町に新築した。これによりバンバの賑わいは,二荒山神社前の上野百貨店を加えることとなった。(p108)
 江野町の花街は,今では見る影もない。性風俗店が軒を連ね,暗く湿った空気が通りを支配している。(p110)
 花街は色街と呼ばれるぐらい,性風俗に近い存在,あるいは同じ存在としばしば誤解されているためか,歴史から抹殺されている例が多い。(中略)しかし宇都宮のエンターテイメントを語るとき,この江野町の花街を抜きには語れない。(p111)
 地理的に狭いところ,たとえば大通りの裏にバンバの仲見世や芸者と遊ぶ料亭街があり,さらに南に下ると日野町の裏側に青線があり,そのまた南には赤線(遊郭)がある。この風俗の多重構造は,人によっては消しゴムで消去したところもあるだろうが,街そのものの面白さからすれば,そのしわのような構造こそ街の活力をつくりだす源と見なければならないと思う。(中略)広場や大通りは裏側をつくり,その裏側はさらにその裏側を用意し,どんどんアンダーグラウンドの入り口に近づいていく。人を魅了してやまない都市や街は,必ずそのティープな部分を断層的に抱えているものだ。(中略)ただ街に対する感受性を持たないとその面白さはわからないかもしれないが。(p115)
 品物は市民にとって普段はなかなか手が届かないものばかり。だから上野百貨店が年に一度行う特売日(大売出し)は,市民の特別な日になった。専売公社のように女性の多い職場では,その日を休日にするところもあった。(p127)
 何気ない店にこのような絵が飾ってあると,街の文化の香りを感じるものだ。街づくりにはアートが欠かせない。(p146)
 宴席の中で,鍛えられた踊りの芸を見せるというのは,(中略)だらしなく無作法になりがちな宴席を,社交の場として引き締める役割を果たしていたようだ。(p152)
 江戸時代の長屋横丁の一軒の規模は3坪。2.5坪が居間兼寝室,0.5坪が台所と玄関。そこで庶民の人生が繰り広げられていた。その寸法をそのまま終戦直後に持ち込んだのがテキヤの人たち。横丁づくりにその寸法が持ち込まれた。「ハモニカ横丁」といわれた飲み屋横丁は,皆このサイズだ。(p210)

2022年10月20日木曜日

2022.10.20 吉田将英・奈木れい・小木 真・佐藤 瞳 『若者離れ』

書名 若者離れ
著者 吉田将英
   奈木れい
   小木 真
   佐藤 瞳
発行所 エムディエヌコーポレーション
発行年月日 2016.08.01
価格(税別) 1,500円

● 副題は「電通が考える未来のためのコミュニケーション術」。著者4人も電通の社員(出向者もいる)。
 本書は2016年の発行だが,4人の著者の中に東大卒はいない。東大の新卒者は電通を見限っているんだろうか。東大院卒の女子新入社員の自殺報道が効いているんだろうか。

● あの自殺騒ぎを報道されてしまったという時点で,電通の神通力はだいぶ陰ってきていた。
 さらに岸某が馬鹿をやらかし,どうやら電通はああいうのを良しとしていたらしいというのもバレてしまった。

● 岸某はナントカ賞を受賞した優秀なクリエイター? あんなのはお手盛りだよ,というのも何となくわかってしまった。
 頭よりもガッツというのが電通の伝統だった? 長時間労働を厭わず。運動部のノリで縦の序列を重んじ。そんなのはゴメンだよ,と。

● 電通の死は間近だけれども,まだ電通の活動が止んでしまったわけではない。本書の刊行もその1つだろう。
 若者の○○離れと言われるが,社会のほうが若者離れをしているのだ,という。なぜなら,少子化で若者が減ってしまい,若者が社会を左右する力を失っているから。量的に小さくなったので,若者が社会に占める比重が軽くなった。
 しかし,若者離れをしている社会よ,それでいいのか。そこが出発点(問題意識)。社会を中高年と言い換えてもいいのは,言うまでもない。

● 以下に転載。
 若者は “自分の思っていることを大人にわかってもらえた経験” にものすごく飢えている(p3)
 「わかってもらえている」という安心感や信頼があってはじめて,若者の行動はガラリと変わるのだ(p4)
 これだけ若者が少数派になってくると,まず起きるのが社会にとっての若者の「量の影響力」の減少です。(中略)量の影響力の少なさを理由に,社会全体が「高齢者最適化」されていく結果,そもそも若者に対して向き合っているサービスや商品,社会の仕組みが減ってきているといえます。(p15)
 高齢化によって,「長く生きたということだけからくる希少価値」が下がり,年齢という意味だけでいえば,「長老だらけの国」になりつつある日本においては,大人と若者の関係性は,かつての長老と村の若い衆の間柄とは異なります。(p20)
 その中心にいる若者たちは決して,「停滞した世の中を打破したい!」ちいった野心的なマインドによってこのような価値観に至ったわけではなく,生まれ育ってきた人生の「前提」が,最初から従来の前提と異なり,ごくごく自然に生きているだけで,これまでの前提を打破していくポテンシャルになっている(p28)
 これはいつの時代でもそうだったろう。
 若者の「量の影響力」がいまだ大きいおかげで,「質の影響力」を社会に還元できているそれらの国に対して,老い行く国,日本は対等に向き合えるのでしょうか。「面倒で話も合わないし,大して数もいない」という理由で,日本社会が若者離れしているのと同様に,「センスが古くてガラパゴスだし,大して数もいない」という理由で,「世界が日本離れ」していくおそれすらも十分にあると感じます。(p30)
 「おじさんによるおじさんのための,おじさんがわかりやすい若者論」という,若者本人不在の議論に陥ってしまう危険すらあります。(中略)若者との対話を本気で考えるには,まずは安易に自分の若いころの思い出や感覚と重ねずに「自分とは違う,という前提で向き合う」ことが大切です。(p34)
 こういうのも今の問題ではなく,いつの時代でもそうだった。新人類と呼ばれた若者も今は立派な中年だ。若者を理解するなんてできないのだと覚悟した方がいい。
 じつのところ,若者の方も中高年に自分を理解して欲しいなんて思っていないだろう。ぼくは23歳のときには,職場の30代(の特に女性)に対して,同じ言葉を喋る別の惑星の住人だと思っていた。
 SNSが若者にもたらした変化のひとつは,人間関係が「切れなくなった」こと。(中略)SNSを通じてうtながり続けることができるので,物理的距離の影響は薄まり,結果として,人間関係がふくらみ続けることになります。(p116)
 もうひとつの変化として挙げられるのは,「つながりが常時接続」になったことです。(中略)「コミュニケーションが生活の中心といえるほど,彼らはだれかと常時,接続状態にあるのです。(中略)それはつまり,かつての若者より「他人の目にさらされる機会」が多くなっていることを意味します。(中略)そのなかでうまくやっていくために,彼らは嫌われないコミュニケーションを大事にしているのです。(p117)
 いまの若者のコミュニケーションにおける特徴として「自分のキャラクターの使い分け」があります。(中略)ワカモンの調査では,「ふだんの生活で使うことのあるキャラは?」という問に対し,高校生では平均で5.7キャラ,女子高生にいたっては6.6キャラという結果になりました。(p120)
 Twitterの使い方でも,「複アカ」=複数アカウントの併用が当たり前になっています。(中略)普通に考えたらとても面倒ですが,そこまでしてキャラを使い分ける理由は,次のような発言に現れています。「フォロワーの興味のない和K台をつぶやきまくって,相手のタイムラインを埋めると悪いなぁって」。(中略)Twitterですら,他人への気遣いをものすごく意識しているのです。(p122)
 私は一人しかいない。だから,周りに合わせる必要はないんです。(松岡茉優 p137)
 私は,自分がいいと思ったものについては疑いません。好きなアイドルグループが有名ではなくても,確実にこの子たちが一番ですって言い切れます。(松岡茉優 p139)
 どんな職業にしろ,好きな気持ちだけではうまくいかないこともあると思うんです。だからこそ,自分の心が少しでも動くものを信じ込むことが大切なのかなと思っています。(松岡茉優 p139)
 私が尊敬できるのは宝くじに当たっても仕事を辞めないような人です。(松岡茉優 p142)
 ゆとり世代だって,ついていく大人は選んでますよ。(松岡茉優 p144)
 基本的に私は,生きてきた人の年輪にはかなわないと思っていますけどね。いまはネットでどんなことでも調べられるけど,実際に体験した人の言葉にはまったくかないません。(中略)ネットで得た情報をさも自分が体験したことのように語るのは怖いですよね。(松岡茉優 p144)
 それまでの「所有するモノによって自分らしさを発露する」時代とは異なり,(インターネットによって)わざわざ所有するモノを介さなくても,自分らしさはダイレクトにコミュニケーションで伝えればよいという発想が一般的になっていきます。(中略)自分らしさのあり方も,世の中という漠然とした対象に向いた形から,“内輪” という人間関係のなかでどのように振る舞うかということに意識の力点が移っていきます。(p163)
 国境や言語,国籍,地理的な隔絶など,これまで存在していた「絶対性を保つためのフェンス」がどんどん取り払われ,すべてが比較されてしまうような,人類史上類を見ないほどの「総相対化」の時代に突入していくでしょう。それはある意味,もっとも「自分らしさのあり方」を確立し,それを保つのが困難な時代ともいえるのです。(p168)
 日本は近代史上はじめて,「自分らしさのあり方」を内側から肯定することを求められているのかもしれません。帰属欲求の時代は「西洋文化」や「物質的な豊かさ」に属すること,優越欲求の時代は「人より金銭的,社会的地位に勝ること」や「人と異なる自分でいること」など,そこには必ず,「本人の “外側” に幸せのものさし」が存在していました。(中略)外側のものさしが有効な時代を生きていたかつての若者が,それに頼らず自分自身を肯定できていたかというと,必ずしもそうではないでしょう。(p172)
 情報洪水のなかを泳ぎながら日々過ごしてきた彼らは,「ほとんどの情報やコミュニケーションを「自分には関係ない他人ゴト」としてスルーする能力を持っています。(p201)

2022年10月14日金曜日

2022.10.14 甲斐みのり 『一泊二日 観光ホテル旅案内』

書名 一泊二日 観光ホテル旅案内
著者 甲斐みのり
発行所 京阪神エルマガジン社
発行年月日 2016.11.30
価格(税別) 1,600円

● バブル以降,急速に消滅の道を辿ったかに見える温泉街の大型観光ホテルを取りあげている。「観光ホテル」という言葉自体,もう死んだかと思われているのではないか。
 「東京から1泊2日県内の温泉地の大型観光ホテルを案内している」(p3)。栃木県では塩原温泉のホテルニュー塩原,鬼怒川温泉のあさや,松やが紹介されている。

● 本書で説かれているようなホテルの楽しみ方,つまり団体(集団)で徒党を組むというやり方は,観光ホテルが全盛だった頃にも揶揄の対象だった。団体行動が苦手な人はその当時にも当然いたし,いつかは職場旅行じゃなく,彼女(彼)や家族で来れるようになりたいものだと思った人も少なくなかったろう。
 団体旅行は今ではすっかり寂れてしまった。社員旅行が成り立たなくなったのは既婚女性が増えたからだが,それだけが理由ではない。社員旅行の魅力がゼロ地点にまで落ちたせいでもある。

● が,そういう状況になって幾久しくなれば,オバサンたちが申し合わせて数人で観光ホテルに行くのが,新鮮な楽しみ方に見えてくる。
 オジサンたちがやるとゴルフ旅行になってしまうだろう。本書で説かれる楽しみ方は女性ならではという気がする。

● 以下にいくつか転載。
 戦後の高度成長期,(中略)旅といえば会社や地域や学校の団体旅行か,生涯一度の新婚旅行が主たるもの。観光地という概念も今よりずっともっと狭く,昔ながらの温泉地か,国立公園近辺などに集中して人が集まる。(p2)
 そうでした。ついつい昔のことは忘れてしまうけれども,たしかにそういう時代でしたよ。子供にとっては,旅行した回数が多いことが優越感の源になったりもした。高度経済成長期って貧しい時代だったんだよね。
 大型観光ホテルでは,しっぽりと過ごすよりも気の置けない仲間と賑やかに過ごすほど強く記憶に残り,行き先を決めて参加者を募るようになった。(p3)
 これは著者がそうするようになったということ。団体で騒ぐ,団体で宴会をするというのは,日本独自の文化というわけではないと思うのだが,世界標準からはわりと偏っているのかもしれない。カップルとかファミリーではない団体がユニットになるというのは。
 しかし,楽しみ方のバリエーションが多いという言い方もできるのだろう。この種の楽しみ方については,ぼくはもうノーサンキューなんだけど。
 幼い頃にホテルへ泊まると,部屋でのんびりなどとはいかず,探検と称して施設中を巡ったけれど,大人といえど昔と変わらず,ロビーや売店やバーや卓球場や・・・・・・あちらこちらじっとしていられない。(p14)

2022年5月21日土曜日

2022.05.21 百田尚樹 『百田尚樹の新・相対性理論』

書名 百田尚樹の新・相対性理論
著者 百田尚樹
発行所 新潮社
発行年月日 2021.10.25
価格(税別) 1,250円

● 副題は「人生を変える時間論」。得に面白くもなかったし,斬新さもなかったと思うのだけど,最後まで読んでしまった。
 何が書いてあるかといえば,以下の転載のとおり。特に人生を変えるようなものでもない。

● 以下に転載。
 人間は人生の中で感動したり驚いたりすると,その出来事が強く心に残ります。喜んだり泣いたり怒ったりしても同様です。人生を振り返った時,そうした出来事が多かった時代は,「長い時間」に感じるのではないかというものです。(中略)中年以降の人生が短いと感じるのは,感動や驚きが減るからにすぎません。(中略)もう一つ大事なことは,喜怒哀楽の感情を大切にすることです。感情の鈍麻は,人生を短くします。(p39)
 つまらない時間は感動や驚きは少なく,あれほど長く感じたのに,振り返ると記憶にも残らず,逆に短い時間となっています。(p43)
 「才能とは,同じことをするのに,他人よりも短い時間でやれる能力」と定義できます。(p83)
 「天才は多作する」という言葉があります。優れた発想を作品という形にする作業において,普通の人よりもはるかに短時間で行う能力があったのです。(p89)
 人類は相変わらず戦争を続けています。これはなぜなのでしょうか。経験と知識を積み重ねているのに,なぜ同じ失敗を繰り返すのでしょうか。それは人の寿命が短すぎるからです。(中略)私たちは知識に関しては数万年分の進歩の地点からスタートすることができるのです。ところが,心の成長は常にゼロからのスタートです。(中略)人類が完璧な人格を作るのには,八十年の寿命では足りなかったのです。(p122)
 囚人に本やテレビを見せるのは絶対に反対です。刑務所の中で,囚人にそんな娯楽を与える意味がわかりません。(p149)
 時間は日常生活にあるほとんどのものに交換が可能です。金,物,楽しみ,感動,評価,成果等々--。しかし,それらを再び時間に交換することはできません。(中略)たとえ百億円を積んでも,一時間の時間さえ買うことはできません。(p157)
 歌手の千昌夫さんはバブル崩壊で一生かかっても返せない三千億円の借金を背負いましたが,今も元気に生きています。一度お会いしたことがありますが,よく笑う明るい人で,暗さなどは微塵もありませんでした。(p172)
 もし映画館で感動的な映画を観たとしても,観客があなたひとりだった時と,満員の観客が全員涙を流して拍手をしている時では,同じ映画の感動でも何倍も後者の方が大きくなるでしょう。(中略)これはなぜでしょうか。私は,「時間」を共有することで,「楽しみ」が増加していくと考えています。これが「時間」の不思議なところで,同じ「時間」を,複数の人々が「楽しい」と感じると,その「時間」は濃くなるのです。(p178)
 現状に対する馴化が早い人ほど,エネルギッシュに行動する面があります。(中略)ただ,それがあまりに早すぎると,逆に永遠に幸せを得られないというのも人生の矛盾です。(p186)
 社会的に「成功者」と言われている人には共通点があります。それは「時間を無駄にしない」生き方をしているということです。これは別の言い方をすると,「やることの優先順位を間違えない」といことです。
 「今やるべきことを,今やる」 人生の成功の秘訣は,実はこんな簡単なことの繰り返しなのです。(p204)
 なぜ,仕事は与えられた時間いっぱいに膨らむのでしょう。これは私たちが時間を支配していなくて,時間に支配されているからなのです。(中略)そしてその時間は,実は第三者が設定したものなのです。(中略)私たちは誰かが決めた時間に合わせて生きているということなのです。(p205)

2022年5月14日土曜日

2022.05.14 三浦雄一郎 『歩けば歩くほど人は若返る』

書名 歩けば歩くほど人は若返る
著者 三浦雄一郎
発行所 小学館
発行年月日 2012.11.14
価格(税別) 1,500円

● ここのところ,三浦雄一郎さんの本をいくつか読んでいる。内容はどれも似たようなものなので,1冊読んで,あとは書いてあることを実行すれば良さそうなものだが,実行はしないで,似たような本をまた読んだ。
 ひとつには,読んだだけで実行した後の自分になった気がするからだな。

● もちろん,実行していないんだから,ひどいメタボのままだし,このままだとメタボは進行するだけなのだけどね。
 アンクルウェイトを購入するところから始めないとね。着手が最も難しい。着手すれば半分は終わったようなものとわかっちゃいるんだけどねぇ。

● 以下に転載。
 そうか,とうとうやるのか。人類はその時代に解決不可能と思われることでも乗り越えてきた。この心を失ったらおしまいだ。(p13)
 大好きなアルコールを抜いて,美味しい食事も制限して,自分をストイックに追い詰めて,苦しいトレーニングに明け暮れて・・・・・・そのうえ死んでしまったら,こんなにつまらないことはない。僕の性分にも合わない。(p39)
 次は4つ目の信号まで速く歩こうという風に,見えるものを目標にすると,つい無理をすることがある。登山でも無理は禁物なので,時間を計った方がいいのだ。(p42)
 僕は新しいものは何でも試したくなる性質だ。ゴルフクラブなども,新しいドライバーが出るたびにほしくなり,ついつい買ってしまう。(中略)山の安全とゴルフの腕前は,お金で買える限りは買った方がいいのだ。その方が長続きするし,体にも優しい。(p57)
 僕は電車に乗るのも好きだ。電車の中では,何にもつかまらずにただ立っているだけでもバランスをとる練習になる。(p59)
 片足2kgの重り入りの登山靴を履き,片足にアンクルウエイト6kgをつけ,重さ30kgのリュックを担いで,東京でも,札幌でも,1時間以上歩けるようになればエベレストに登れると思っていたが,3年経つと,その状態になっていた。(p60)
 腹筋背筋は苦手なのでほとんどやらなかったし,筋トレらしきものもしなかった。強要されるのが嫌いなので,トレーナーもつけなかった。ただ,足首にアンクルウエイトを巻き,重りが入ったバッグを担いで楽しみながら歩いただけだ。(p62)
 負荷が自分の体重だけだと,一定のラインで効果の伸びが止まってしまうのだ。それ以上の効果を望むなら,自重以上の負荷をかけることが必要になってくる。(中略)しかも,負荷を与えて歩けば歩くほど血の巡りもよくなるので,血管が柔らかくなり,動脈硬化や脳梗塞などのリスクもへる。(p68)
 ヘビー・ウォーキングを行う際に気をつけているのが,ゆっくり歩くことと,呼吸法だ。(中略)速く歩いて息を切らすと,ストーブにすすがたまるのと同じで,体内で不完全燃焼を起こしてしまう。(p75)
 呼吸を整えるコツは,歩調に合わせて息を吸うのではなく,まず下腹の筋肉に力を入れて絞り出すように口から強く吐き出すことだ。(p78)
 登山事故の約8割は下りで起こっている。(中略)上りの負荷が体重プラス荷物なのに対して,下りは,たとえば30cmの段差をそのまま踏み込めば,負荷は重さの5倍くらいかかる。(p85)
 下りでは,上りに使う遅筋線維ではなく,瞬発力に優れた速筋線維を使う。この速筋線維は,100m競争などのような短時間に強い力を発揮する筋肉だ。(中略)年を取ると一番に弱るのが,この速筋線維でもある。僕も年とともに,下りが苦手になった。(p86)
 筋肉が回復する段階で大量の成長ホルモンが分泌される。このホルモンは,血管の強化や,肌の張りもよくすることなどにも関係し,世界中から若返りホルモンとして注目されている。つまり,速筋線維を使えば使うほど若返りの効果も高いのだ。(p88)
 食事をしないで上ると体の中に残っている糖分がどんどん消費されて糖が足りなくなる。だから脂肪も燃えなくなる(p112)
 世界で長寿の人が多く住んでいる村や町は,標高1500~2000mの場所に多い。酸素が少ないということと不老とは密接な関係があるに違いない(p120)
 決して弾みをつけてストレッチを行なってはいけない。(p128)
 舌だし運動は,父が自分で編み出した運動だ。やり方は口を大きく開いて,舌を前に出すだけ。アインシュタインの,舌を出したあの有名な写真にそっくりだ。(中略)まず肛門を締め,腹をへこませながら,大きく息を吐く要領で舌を伸ばすのだ。苦しくなったらやめればいいが,かなり腹筋を使う。(中略)普段使わない舌の筋肉を使うことによるインナーマッスル強化の効果に加え,顎,口周り,喉などの大きな筋肉も使うという,二重三重のトレーニング効果がある。(p167)
 口を閉じて片方の鼻をふさぎ,一方の鼻だけで息を大きく吸って吐くというものだ。これだけのことだが,鼻の吸引力を強化するとともに,鼻の通りもよくなるし,呼吸する筋肉も鍛えられる。(p169)
 実は高尾山に上るのはこのときが初めて。熊野古道にも似た味わいのある道なのには,正直驚いた。(p175)
 立ったり座ったり,家事や買い物,通勤など日常生活の活動をニート活動と呼ぶ。この運動は,一日の消費カロリーの約40%を占める。つまり,自宅でもアンクルウエイトをつけるだけで活動量を増やせるのだ。(p182)
 父・敬三は,99歳までヨーロッパの山に上り,スキーをやっていました。ですから,年齢を超越して可能性を試したいという気持ちは,私も同じです。それには日々の積み重ねが大切ですから,日常では,最高片足2kgの靴に片足5kgのアンクルウエイトをつけて,背中のリュックに30kg背負っています。(p207)
 足首から下にはなんと(人体の)4分の1以上の骨があるわけです。裸足で歩くことによって,これらの骨や関節も制約されることなく自由に動くので変形もせず,鍛えられて強くなるのです。(p209)
 エベレスト滑降で転んだり,南極で雪崩に巻き込まれたり,クレバスに落ちたり,いつ死んでもおかしくない危機に遭遇したことは幾度もある。でも,命が惜しければエベレストなんかいかなければいい。しかし,死を前提とした覚悟を決めると,反対にどうすれば生きて帰ってこられるのかを必死に追求する。(p214)

2022.05.14 伊藤まさこ 『そろそろからだにいいことを考えてみよう』

書名 そろそろからだにいいことを考えてみよう
著者 伊藤まさこ
発行所 朝日新聞出版
発行年月日 2019.07.30
価格(税別) 1,500円

● 陳志清「からだにいいこと Q&A」が巻末に添えられているのだが,それは読まなかった。何が身体にいいのかを知りたいと思って読んでいるわけではないのでね。
 伊藤まさこさんの著書は見つけ次第読むと決めている。そういう著者は他にも何人かいるが,若い頃と違って “読む” を徹底できなくなっている。そもそも本を買わないようになった。

● 本の書き手には,書かずにはいられないから書くという人と,書くことしかできないから書くという人の2つの類型があると思うのだが,作家と呼ばれる人たちは後者が多いのかもしれないと思っている。
 だいたいが,俗世とうまく折り合いをつけていける人では,読んでもらえる作品は書けないものだと思う。古くから森鴎外などの例外はいないわけではないが,鴎外とてギリギリで折り合っていたのではないかと思う。
 伊藤さんは前者。書かなくても彼女の人生は成立する。が,折り合いをつけるのが上手い方ではなかったと思う。であればこそ,今があるのだろう。

● 以下にいくつか転載。
 炒めものは,食材をあれこれと入れないシンプルなものが一番と思っている(p21)
 豚ばら肉は,大きめのブロックで買い,用途に合わせて切りながら使います。ミンチにしてあるものより食べ応えがあるし,なによりこのほうがおいしい。(p27)
 トマトは完熟のおいしいものを,卵は新鮮なものを。シンプルな料理は,素材のよさが決め手になります。(p31)
 でも,ひとつ続けていることがあって,それは時々,食べない日をもうけるってこと。(中略)バカンスの語源は「VACANT」つまり「空き」。気持ちがいっぱいいっぱいだと,心の余裕がなくなってしまうし,いいアイディアも出てこない。(中略)からだに空きができると循環もよくなり快適になる。(p48)
 これが食べたい! そう思ったら,すぐに食べないと気が済まない。(中略)そんな時は,ちょっとジャンクなものでも,気にせず食べます。きっと食べたい理由が,からだや気持ちにあるはずだから。(p52)
 買いものからはじまり,後片づけまでと考えると,料理って手間と時間のかかる大変な家事。それに器えらびまで? と思う方もいるかもしれませんが,ちょっと気にしてえらんでみると,テーブルの上は見ちがえるもの。ひと手間で変わるなら,惜しみなくやりたいと私は思うのです。(p118)
 家の中の散らかりようは,自分の心の中の散らかり具合と比例するものです。(中略)では,そうならないためにはどうすればいいかと考えて,自分の中で決めごとをつくりました。すごく簡単,出したらしまう,です。食器に本,コードやクリップなどの細かいもの・・・・・・ありとあらゆるものの定位置を決め,そこから出したら元の場所にしまう。(p122)

2022年5月12日木曜日

2022.05.12 飯島彩香 『ミニマリスト スマホの中を片付ける』

書名 ミニマリスト スマホの中を片付ける
著者 飯島彩香
発行所 KADOKAWA
発行年月日 2020.06.24
価格(税別) 1,400円

● この本の著者は,正直,あまりお近づきになりたいとは思わせない人だ。損得と合理で生活を設計するのは悪いことではないのだが,駆逐艦のように無駄を省いた形にすればトータルクォリティーが上がるかというと,たぶん,そういうものではないだろう。
 すべてを損得と合理で染めることなどできるはずもないとわかったうえで,スマホを使って効率化できるものはしましょうよ,ということかもしれないんだけどね。

● 以下に転載。
 スマホさえあれば,あらゆる情報はいつでも手のひらの中にあり,世界中のどこにいても,自由に生きていけるのでは? と感じ始めたのです。(p3)
 高い授業料を払って学校に通わなくても,スマホで You Tube を観るだけで,あらゆる知識を身につけることができます。語学だって,金融知識だって,動画編集だって,タダで簡単に習得することができます。(p5)
 不要なものは持たないし,不要な情報は目にすら入れない! これが,情報あふれる時代をスマートに生き抜くコツです。(p39)
 生鮮食品に関してはリアル店舗で買う派でしたが,新型コロナウイルス拡大による外出自粛要請が出てからは,一気にネットスーパーの利用頻度が増えました。(p66)
 (You Tube で)気になった動画は,ライブラリに再生リストを作って保存しておくのがおすすめです。(p73)
 利用している銀行のアプリもいれています。振込や残高照会が自宅や移動中に一瞬で完了します。(中略)キャッシュレス生活だとATM自体の利用頻度が激減します。(p92)
 商品の撮影は,昼間の明るい時間帯に,自然光で写すのがベスト。しかも,白い背景で撮影すると商品が明るくきれいに,清潔感のある写真に仕上がります。(p119)
 アカウント異常系や,設定確認系,購入確認系など,見に覚えのないメールは詐欺サイトへの誘導です。(p150)
 私のInstagramのテーマは「ラクして身軽に賢く暮らす」です。(中略)範囲はわりと広いですが,このテーマにそぐわない投稿は絶対にしません。フォロワーはテーマに共感したからフォローしてくれているので,私の今日のランチや旅先の景色などを投稿しても興味を示してくれません。よって,控えています。(p182)
 私の肌感覚ですが,拡散されるかどうかにフォロワー数はさほど関係ありません。(p184)
 今や「SNSの影響力=フォロワー数」ではなくなりました。つながりの薄いフォロワーをかき集めるのではなく,いかに濃いつながりのフォロワーをつかむかが,重要です。フォロワーの濃度が,投稿する内容への反応にも直結します。(p187)
 ある程度フォロワーがつき始めると,企業からPR依頼が来るようになります。よく見かける時計や,化粧品などを宣伝した,あの不自然な投稿のことです。私は一度もお受けしたことはありません。(p188)
 SNSは写真が命です!(p190)

2022年5月7日土曜日

2022.05.07 辛酸なめ子 『愛すべき音大生の生態』

書名 愛すべき音大生の生態
著者 辛酸なめ子
発行所 PHP
発行年月日 2020.03.24
価格(税別) 1,300円

● この分野では二宮敦人『最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常』が嚆矢かつ決定版のような印象があるのだけど,続いて本書も読んでみた。
 著者は美術系の短大を卒業している人なので,美大との比較も所々で展開されている。

● 面白おかしくするために,一般大学の学生との違いを強調するために,掲載しなかった話がけっこうあるんじゃないかな。

● 以下に転載。
 絵の場合は下手でも味があるとか,ヘタウマという画風があります。でも音楽の場合は,下手だと普通に聴けたものではありません。(p13)
 才能はもちろん,どれほどの血のにじむような努力と,莫大な自己投資があったのかと思うと,畏敬の念すら感じます。(p13)
 大学生が奏でたり歌ったりする音楽は,音に夢や希望が乗っていて,ポジティブになります。だからこそこんなに人気なのかもしれません。(p62)
 男子は少ないからみんなモテモテです。同じ科のクラスに元カノが何人もいる人もいる(p71)
 龍角散は声楽科の必需品です。(p80)
 手帳は必須です。(中略)音大生の手帳は真っ黒なんですよ。他大学の学生の手帳をぱっと見せてもらったら白くて,遊びの予定とレポート提出くらいしか書かれていませんでした。(p89)
 音大生は,容姿が整っている方が多いですね。人前に出るから(p94)
 海外では間違ってもいいから,どれだけ自分の音で表現できるかっていうところを重視するから。(p110)
 200%演奏に集中したいから,例えば弾いてる時に,ドレスがきつかったりするだけで,もう嫌なんですよ。(p112)
 みんなまず自分に対して一生懸命だから,人がどうあろうとそんなに気にしないですね。日本も同じだと思います。(p117)
 なんか醸し出すものがエロい。フェロモンが出ますね,チェロは。(p120)
 音大生は感覚的に生きているので,楽しくお金を使ってしまい,なかなか貯まらないという享楽的な一面もあると聞きました。(p155)
 やはりステージも芸能の世界なので,多少は芸能界的な部分があります。(中略)ドロドロしたことも多分あるのではないでしょうか。(p166)
 そのための修行はいろいろでも,最終的にそこに到達できるかどうか。(中略)自分自身が自由になれる状態。そういうふうに演奏できるか,作曲できるか,アート作品ができるかっていうところだと思います。(p169)
 今は譜面を使わず,例えば電子楽器の打ち込みや,データを入れて音楽作品とするっていうやり方も一般的ですしね。(p171)
 さっきの自由さも含めて,なんらかの豊かさを知ってるかどうかなんだと思います。それも,お金があってセレブな生活送ってることだけでもないんですよね。別にキャベツだけでも幸せだったら全然問題ないわけで。(p173)
 今の日本の状況であれば,情報に関しては誰にでも開かれています。(中略)ただ,クラシック音楽は,基本的にはお金と時間という余裕があってできた文化なんだということはどこかで知ってないといけないのかな,とは思います。(p174)
 ピアノとかバイオリンていうのは,基本的には早期の特別な教育を受けないとできなくて,だいたい3歳か4歳から始めて,高校生くらいまででもうできあがってしまうと,じゃあ大学で何をやるんだと。(p178)
 自分の学校は,附属の高校から上がってくる人と,大学から入る人と2つの流れがありまして,高校から上がってくる連中っていうのが,なんかもう,ちょっと鼻持ちならない特別な階級なんですよね。演奏も上手いし,余裕があって,それこそ昔の貴族みたいで。(中略)自分も小さい時からピアノをやってて,そういう意味では特別なんですけども,そんなレベルじゃないんです。(p178)

2022年5月4日水曜日

2022.05,04 橋下 徹・堀江貴文 『生き方革命』

書名 生き方革命
著者 橋下 徹
   堀江貴文
発行所 徳間書店
発行年月日 2021.03.31
価格(税別) 1,500円

● 副題は「未知なる新時代の攻略法」。
 対談ではない。テーマを著者2人に出して,それについて語ってもらって,それを適当につないだものだと思う。
 あるいは,すでに出ている書籍からライター氏が文章を作って,2人の承認を得て本にしているのかもしれない。つまり,本書を作るにあたっては,ひょっとすると新たな口述は取っていないのかもしれない。

● 橋下さんの著書を読むのは今回が初めて。彼のキーワードは “流動性”。
 労働市場もマスコミも役所も様々な問題を抱えているが,その問題は(人の)流動性を高める工夫をすれば解決すると考えているように読める。

● 橋下さん,今回のウクライナ動乱をめぐる発言で,一気に過去の人になってしまった感がある。
 いつぞや,自民党の高市早苗政調会長と討論しているのをネットで見たことがあるのだが,手もなく捻られていた感じだった。どうしちゃったのかね。

● 以下に多すぎる転載。
 好きなように人生をというゲームをプレイするには,生まれながらの才能が必要だと思っている人もいるだろう。しかし,その才能とは何だ? 知能テストでいいスコアを出すことだろうか? 上手に絵を描けることだろうか? 作曲できることだろうか? 100メートルを9秒台で走れることだろうか? 自分の好きなようにフィールドを作れるのだから,どんな才能が優れているのかなんて自分で決めればいい。自分の好きなゲームを作って,好きなようにプレイすればいい。(堀江 p4)
 日本企業の株価は,回復してきているとはいえ,1989年の最高値3万8915円を一度も上回っていない。一方,アメリカはと言えば,約40年間で株価は30倍以上にもなっている。(中略)それでは,いったい日本はなぜここまで沈滞してしまっているのだろうか? おの原因は「流動性の低さ」に尽きる。(橋下 p19)
 経済とはヒト,モノ,カネが動いて熱を発するという現象だ。(中略)ヒト,モノ,カネが活発に動けば,そこに必ず熱が生まれる。(中略)ヒトが動かないと,何も物事は進まない。(中略)実際にヒトが動かなければ経済は熱を発しない。(橋下 p24)
 テクノロジーを活用して,できるだけ人間が必要ない状況を作り出すことが結果的に人間を自由にするのだが,そうした流れに抵抗するのも人間だ。(堀江 p48)
 情報リテラシーが低い人というのは,往々にして他人に頼ることができない。他人に頼れないというのは,強さではない。どうでもいいプライドが邪魔をしているだけ。「人に頼る力」に欠けているのだ。(堀江 p51)
 自己責任の自助でがんばれ,それが無理なら共助,最後に公助を頼れと言われても,いまは共助は果てしなく薄くなっている。(橋下 p55)
 ほかに助けを求められない人を助けるための公助とは,役所の窓口に来た人だけに与えられるのではなく,国民全員に対して無理やりに押しつけるくらいのセーフティネットでなければならない。(橋下 p56)
 お金のストレスがなくなれば,家庭内暴力や犯罪も減ってくるんじゃないかという気もする。自己責任で何とかしろというだけではなく,きちんと社会的な支援の仕組みを整えたほうが,社会全体の付加価値を増すことにもなるのではないだろうか。(橋下 p58)
 投入した労働の効果を最大化しようとすれば,企業の資本規模は大きいほうがいい。その点で言うと,日本は各企業の資本規模がとても小さい。(中略)資本規模が小さいと合理化のための設備導入を行うことが難しい。(橋下 p63)
 韓国の場合,最低賃金アップのあと,一時的に失業率は高まったが,すぐに落ち着きを取り戻した。しかも2019年には韓国の労働生産性が日本を上回っている。(橋下 p65)
 個人が付加価値を上げるための一番の方法はしっかり「休む」ことだと僕は考えている。(中略)身体だけでなく,良い知恵を出すためにも休息は欠かせない。(中略)十分な休息があってこそ社会も豊かになる。低賃金で疲れ果てていては,休みの日に消費をしようという気にもなれない。(橋下 p66)
 メールにしても,FacebookやLINEといったツールにしても,最大の利点は記録が残る点にある。記録があれば,言った言わないの水掛け論は起こらない。(中略)テキストとしてきちんと記録を残すことで,何をすべきかが明確になって業務が円滑に回るし,ミスが起こったときの再発防止策も講じやすくなる。(堀江 p72)
 メールやSNSなどは,非同期型コミュニケーションである。これに対して,口頭や電話,ビデオ会議は同期型コミュニケーションだ。(中略)非同期型コミュニケーションならば,相手の都合を考える必要がない。(中略)非同期型コミュニケーションを中心にし,やり取りはきちんとテキストとして残るようにする。口頭や電話での最低限に抑える。こうすることで時間効率は格段に向上する。(堀江 p73)
 テレワークの本質とは,Zoomのようなオンライン会議ツールを使うことではない。記録を残すこと,コミュニケーションを非同期型にすることが本質だ。(堀江 p74)
 幹部や職員の対面至上主義にはびっくりした。幹部や職員とメールで連絡を取っていると,必ず「この案件についてはぜひ直接会って説明させていただきたい」と言い出す。(中略)こういう人たちは,対面で実際に会って自分の熱意をくみ取ってほしいと思っているようだ。(橋下 p77)
 人は現状を維持するための理屈ならいくらでも思いつけるものである。(橋下 p93)
 日本型組織のトップのマインドがなかなか変わらないのは,結局のところ組織の多様性のなさ,そしてその背景となる流動性の低さによると思う。(橋下 p94)
 2019年から2020年にかけて,国会では「マイボトルを委員会室に持ち込めるかどうか」が議論されていた。冗談でなく,こんなことで貴重な国会の日程が空費されたいたのだ。(中略)国会議員たちは「日本の生産性は低い。生産性革命だ!」と主張する。しかし,マイボトルの持ち込みを認めるかどうかを延々と議論しているような人たちが言う,生産性革命とは何だろう。(橋下 p99)
 いまの企業には何をやっているのかよくわからない業務をしている人たちがいっぱいいる。コロナ禍でテレワークに移行できた人は,そのことを実感したはずだ。(堀江 p102)
 テキストで記録が残るチャットでは,プロジェクトに貢献していない人がまるわかりで,そういう人は次第に会議やチャットのスレッドには呼ばれなくなっていく。(堀江 p104)
 大阪市役所は,庁内電子メールシステムの整備が遅れたという。というのも市役所内に「逓信部」という組織が存在していたからだ。(橋下 p107)
 現在,大企業であるかどうかを問わず,会社員になることのメリットはほぼない。(中略)日本の大企業といっても,世界的に見れば,吹けば飛ぶような存在だ。(堀江 p113)
 だいたい,いまの日本ではそう簡単に生きるか死ぬかに追い詰められるようなケースはほとんどない。大したことのないリスクを恐れて,安定を求めるのは愚か者のやることだ。(堀江 p116)
 お金に関する国民のリテラシーが高くなれば,政治の政策論争もより生産的なものになるのではないだろうか。(橋下 p126)
 経済成長が停滞し,少子高齢化が進んでいる現代において,家を買うことにはデメリットしかない。(中略)何より,ひとつの場所に定住するとチャンスがつかみにくくなる。(堀江 p128)
 荷物はスーツケース数個に収まるくらいだが,最近ではそれもなくせないか,いろいろ試行錯誤している。(堀江 p134)
 明らかに未来は,所有ではなく,レンタルの方向に向かっている。いますぐにでも,自分の所有しているモノを,レンタルに替えられないか検討していくべきだ。所有するよりも,時間や空間に応じて自由に貸し借りできるほうがモノの利用効率は高まり,経済活動も活発になる。消費者を洗脳して,いらないモノを無理やり買わせるような産業は,いずれ立ちゆかなくなる。(堀江 p136)
 いかなる生命保険も,人の命を使ったギャンブルだということは理解しておいたほうがいい。(堀江 p139)
 僕は金儲けのための株式取引は行わない。そんなつまらない金の使い方はしない。(堀江 p141)
 「こうすれば絶対に儲かる」なんて断言する人間やメディアは,詐欺師だと思っておいたほうがいい。未来が確実に予測できるなどという人間を信じると酷い目に遭う。(堀江 p143)
 お金というのは,必要なときに必要なだけあればよいもので,貯め込んでいても誰の得にもならない。(堀江 p146)
 今の日本は,お金が余っている。ちょっとどころではなく,余って余って仕方がない状態になっている。(中略)こういう状態だと,有望と思われる投資先が見つかったとたん,そこにお金が集中することになる。(堀江 p147)
 若いときは何とかなっていても,運動習慣がないまま歳を取ると,一気にガタが来る。僕はホテルにスポーツジムがあれば必ず使うようにしているが,利用しているのはほとんど外国人で,日本人はあまり見かけない。(堀江 p155)
 いまはお金がなくても楽しめる娯楽にあふれている。昔ながらに図書館に通って本をいくらでも読むことはできるし,スマホがあればいくらでもコンテンツにアクセスできる。(中略)生活保護を受けていても,一生かかっても見きれない,遊びきれないコンテンツを利用できるのが現代なのだ。(堀江 p158)
 僕は刑務所に2年間服役していたが,その生活ですらそれほど酷いものではなかった。毎度三食,きちんと調理された温かい食事が出てくるし,大量に作っているからご飯の炊き上がりもいい。(堀江 p159)
 僕は地方創生の謳い文句をそのまま受け取ることができない。(中略)実態は「現状維持」だからだ。つまりいまの地方の状態を,とりあえずそのまま維持することを一番の目的としている。(中略)現状維持では力を失う。(橋下 p163)
 身体が健やかであるためには,新陳代謝が活発でなければいけない。古い皮膚がいつまでも残っていては,新しい皮膚に変わっていかない。イノベーションは,新しいものの登場と,古いものの退場が必ずワンセットだ。(橋下 p168)
 都会の暮らしは思っている以上にコスパがいい。確かに家賃に関しては,地方よりも高くなるが,それ以外の生活コストに関しては大きく変わるわけではない。何より,都会には時間を最大限に有効活用する手段がいくつもある。(堀江 p173)
 大事なことは,自分なりに情報を集めてみて,ピンと引っかかるものがあったらすぐに動くことだ。「東京に住むためには,最低限手取り☓☓円が必要」なんてくだらない記事を真に受ける必要はない。(堀江 p179)
 都会でないと楽しめない娯楽を求めているのならともかく,どこででもできる娯楽で十分なのに地方を敬遠するのはもったいない話だ。(堀江 p181)
 僕はそもそも「住む」という概念が不要だと考えている。これだけテクノロジーが発達した時代に,なぜみんな「住む」ことにこだわるのだろう。好きなときに,好きなところへ行けばいいではないか。そんな自由は,誰でも持っている。(中略)移動できるかどうかは,たんに本人のマインド次第だ。本人が移動したいと思えばできるし,できないと思い込んでいるならできない。(堀江 p183)
 個人は国や地方の問題など気にしてもしょうがない。自分の住みたい場所に行って,自分のやりたいことをやるのは,いますぐできることなのだ。(堀江 p188)
 いまの時代は,少し前には存在しなかった職業が次々と登場するし,求められる才能も多様化している。親の経験に基づいて,子どもという他人の才能を測ることなど,どだい無理な話なのだ。(橋下 p196)
 希少性と付加価値の高い能力を才能だとすれば,人と同じことをさせて才能が育まれるはずがない。子供の才能を伸ばしたいと訴える親や教師は,まったく逆効果のことばかりしているのだ。(中略)親は余計なことをすべきではない。「子どもの没頭を邪魔しない」(何がおもしろいのかこっちには理解しがたいことに没頭するものだ)ことだけを肝に銘じてほしい。(堀江 p203)
 子どもはすぐに飽きてしまうが,それはそういうものだと思って諦めるしかない。いつかはわからないが,真に没頭するものを見つけるだろう。あくまで「子どもがやりたい」ことにお金を出すのだ。「親がやらせたい」ことではない。ここを違えてはいけない。(堀江 p204)
 興味さえ持てば,人は自習であらゆることを学んでいけるものだ。(中略)難解な数学や科学のちぢ機が必要になる研究職は? そのような特殊な職業でなくても義務教育の素養は必要なのではないか?(中略)そんなのは余計な心配だ。まず,研究開発をやりたいという人は基本的に頭が良い。こういう人たちは自分で本を読むなりして,いくらでも学んでいける。(堀江 p205)
 「将来性」があるかどうかで資格を取ろうとするのは浅はかだ。10年後どうなるかなど,誰にもわからない。(中略)スキルがとか,資格がとか,そこから考えようとするからおかしなことになってしまうのだ。好きなことがあったら,スキルなど自然に身についていくものである。(堀江 p211)
 頭でっかちな動機を最初に設定したところで,それは推進力にはなりえない。最初にあるべきは,理屈ではない興味や関心だ。(堀江 p212)
 どんな分野でも1万時間やり続ければ,確かに人より圧倒的に秀でることはできるだろう。だが,飽きもせず1万時間も費やすことができるのは,それにハマっているからだ。(堀江 p213)
 まったく逆だ。つらい努力や我慢を自分に強いているから上達しないのだ。(堀江 p214)
 僕はそのとき自分がやりたいと思ったこと以外は,何もかもそぎ落とす。(中略)楽しいことは人によって違うのだから,家族サービスに夢中ならその時間を満喫すべきだ。家族サービスをいやいややっているのなら,さっさとやめれいい。(中略)自分の時間を,自分のやりたいことだけにつぎ込み,それ以外のことは一切しない。そうやって集中すれば,どんなことでもあっという間に上達する。(堀江 p214)
 研究者が最先端研究を行うために,海外の研究室に行くというのであればまだわかる。高校や大学学部レベルで,はたして留学することに意味があるのだろうか。(中略)スタンフォード大学やハーバード大学,マサチューセッツ工科大学といった世界的に有名な大学がいま現在,MOOCs(ムークス)に参入している。(中略)原則として受講料は無料,受講資格も問わない。つまりインターネット環境さえあれば,いつでも,どこにいても,誰であっても,名門大学の講義を受けられる。(中略)専門的な学術論文が読みたければ,データベースサービスで好きなだけピックアップできる。この種のサービスはいまだに有料のものも多いが,留学費用に比べれば大したことはない。(堀江 p216)
 同級生だとか同窓生だとか,同じ釜の飯を食ったとか,そういうことは人間関係を作るうえで特段に大事ではない。(堀江 p218)
 現地で暮らさなければ,外国語を習得できないというのも幻想だ。何年も海外留学したところで,日本人同士つるんだせいでいつまでも外国語が上達しないなんて人はいくらでもいる。いまならネット上の外国語学習コンテンツをひたすらやり込めば,読み書きでも会話でも実体験に近いかたちで吸収できる。(堀江 p218)
 違う土地に行って暮らしてみたいのなら,大学がどうのと言わず,さっさと出かければよいだけのことだ。(堀江 p219)
 新しいテクノロジーが登場するたび,大人は常に大騒ぎしてきた。子どもどうしの長電話に目くじらを立て,深夜のラジオ番組に夢中になる子どもを叱った。テレビ番組は教育に良くないと言い,パソコンで遊ぶのはくだらないと決めつけた。そして,インターネット,スマホが次の悪者になった。(堀江 p221)
 マンガを読みまくっていようが,ゲームをしまくっていようが,東大に入る人間は入るし,僕自身もそうだった。いまスマホを手放さない子どもにしても,同じことだ。(堀江 p223)
 スマホを使えば,驚くほど多様なことができる。(中略)何が子どもにとって良い使い方で,何が悪い使い方なのかなど,親も含めて誰にもわからない。(堀江 p223)
 多くの人は,情報を入手して活用するということを誤解している。あまり知られていないとっておきの情報がどこかに存在していると思ってはいないだろうか。そういう人間は,一攫千金を狙える投資手法だとかすぐに痩せられるサプリメントだとかの情報にすぐ踊らされて,有り金を巻き上げられてしまう。情報とはそういうものではない。もちろん,企業秘密や国家機密は存在するが,そうした情報も価値がわかる人間が扱わなければ意味がない。(堀江 p225)
 情報を活かせるようになるために必要なのは,莫大な量の情報を浴びることだ。情報のソースや質は問わない。(中略)たくさんの情報を取り入れているうちに,脳の回路が組み変わり,これまではできなかった高度な判断をすばやく行えるようになっていく。(中略)情報事態に意味があるというより,高度な判断を行う脳を作るために情報が必要なのである。(堀江 p226)
 興味を惹かれたニュースに関しては必ずアウトプットをするということ。Twitterで引用リプライをするだけでもいい。アウトプットをするとその情報は記憶に残りやすくなるし,同じ関心を持っている人とつながりやすくなる。(堀江 p228)
 ジャンルの食わず嫌いをしないということ。(中略)ネットにおけるエコーチェンバーの問題もそうだ。自分にとって心地のよい,傾向の似た人々の話ばかり聞いていると,特定の意見ばかりが増幅され,ほかの意見が耳に入らなくなっていく。(堀江 p228)
 取り入れた情報はあっという間に陳腐化していく。次々に新しい技術が生まれ,常識も塗り変わっていく。たゆまず,日々情報のシャワーを浴び続けよう。(堀江 p229)
 何よりも貴重な自分の時間を使うからには,最大限の効率で情報を得るようにしよう。手段として最悪なのは,テレビである。(中略)You Tube は時間や場所の制約についていえばテレビよりマシではあるが,情報収集の手段としてはおすすめできない。(中略)動画や音声は時間当たりに得られる情報量が少なすぎるのだ。(堀江 p230)
 拘置所にいたころは,とにかくずっと読書をしていたものだ。(中略)1日20冊くらい読むのはそれほど難しいことではない。速読などの特別な技法を身につけていなくても,知識が増えてくれば本を読むスピードも自然と上がってくる。ただし,それでも1冊の本を読むには時間がかかる。書籍の要約サイトや要約アプリを使えば,大まかな内容を圧倒的に短い時間で取り入れることができる。要約を読んで気になった本だけをきちんと読むようにしたほうがはるかに効率的だ。(堀江 p232)
 情報密度が高く,僕もよく読むのがマンガだ。ビジュアルとテキスト,ストーリーが一体化されたマンガは,1ページ当たりの情報量が実は極めて多い。(堀江 p233)
 いまなら同じ内容を勉強するのも,はるかに短時間で済んだだろう。スマホアプリやネットの教材を使えば,中学・高校の授業内容など,6時間もかけて学ぶ必要はない。というより,いまならわざわざ大学に行くという非効率なことをしていなかったと思うが。(堀江 p233)
 現在の社会は,数十年前と比べてすら激変している。それなのに義務教育をはじめ,100年以上前に作られた枠組みに従って生きようとしてもうまくいくはずがない。(堀江 p237)
 みんな一律の教育を受けて,おとなしく言うことを聞いているだけでは幸せになれなくなってしまった。(中略)知見が共有されることで,あらゆる分野の変化がスピードアップしている。いま求められているのは,起こっている変化を感じ取り,短期集中で変化についていける人間だ。(中略)おもしろいと思った手法やテクノロジーはすぐ試し,短期集中で身につけ,活用できるようにする。これが変化についていくということだ。のんびり学校に通って,みんなと同じことを勉強している暇などない。(堀江 p241)
 学校こそが,良くない集団行動を拡める感染源になってしまう面もあるのではないか。(堀江 p250)
 テレワークを含むテレビ会議やネットコミュニケーションが一般化していくのであれば,日本において日本人であることのアドバンテージはどんどん低下していく。(橋下 p260)
 人が激しい競争のなかで挑戦するためにはセーフティネットが絶対に必要だ。サーカスの芸人が空中ブランコで大技を繰り出せるのも,安全のためのネットや命綱があるからだ。セーフティネットがなかったら,恐怖心の欠如した一部の人間しかチャレンジなどしないだろう。(橋下 p263)
 そうしてわかったのは,授業はオンラインで十分だということ。いや,この言い方は正確ではない。オンラインの方がずっと効果的な授業ができるということだ。(中略)頭の良い生徒について言えば,そもそもオンライン授業すら必要ない。(堀江 p271)
 先の音を恐れて不安な人ほど,どうでもいい情報にすぐ騙される。(中略)未来が不安でしょうがない人は,たんに情報が不足しているのである。(堀江 p286)
 情報をたっぷりと浴びて,さまざまな選択肢がすぐに思いつける脳内ネットワークを築く。わからないことはわからないと腹をくくる。考えるためのベースとなる情報がない事柄については,考えない,気にしない。(堀江 p289)
 僕がこう主張すると,「そんな技術はすぐには実用化しない」「仕事にはまだまだ人間が必要」という反論がすぐに寄せられる。そう考えている人は,テクノロジーの進歩を甘く見ている。テクノロジーは,比例的に進歩していくのではなく,指数関数的に,いやもっと複雑かつ休息に進歩していくものなのだ。(堀江 p302)
 単純にスマホの情報処理能力だけを比べても,2007年に登場した初代iPhoneと最新モデルでは,数百倍,一千倍もの開きがある。(堀江 p303)
 僕や堀江さんは大規模な炎上でも耐えることができるけれど,そんなことができるのは日本でもせいぜい数十人くらいではないだろうか。(中略)なぜ僕が冷静でいられるかと言えば,誹謗中傷してくる人を哀れんでいるからだろう。(橋下 p309)
 自分のやりたいこと,やるべきことに真剣に取り組んでいるのであれば,他人にかまっている余裕などないはずだ。(中略)自分の人生を生きていない「かわいそうな人たち」のために,あなたの人生を消耗させる必要などまったくない。(橋下 p310)
 なぜマスメディアがこのような批判一辺倒な意見に終始し,一部の学者やインテリの声ばかりを取り上げるのかといえば,マスメディア自身に流動性が欠けているからだと思う。(橋下 p314)
 やりたいことがない,というのは本当だろうか。世間にあるぢごとや趣味をざっと見て,そこから選ばないといけないと思っているのではないだろうか。(堀江 p321)
 行動力だとかやる気などというものは必要ない。何かの「好き」を持っていて,膨大な情報を浴びていると,必ず琴線にふれる情報に気づく。わずかでもピクンと脳波が反応することがあれば,その情報を深掘りしてみる。(堀江 p323)
 古い枠組みを保ったまま方程式を解こうとするのは非常に難しい。仮に解けたとしても,恐ろしく面倒くさい解が出てきたりする。働かないといけない,お金がないといけないと,みんな思い込んでいるから,失業率を気にしたり,最低賃金を上げるとか下げるとか,そんな話になってしまう。だが,いま起こっているのは,どういう些細なレベルの変化ではなく,もっと根本的なものだ。数世紀にわたって成り立っていた枠組み自体が揺れ動き,流動化している。そのことに気づけるかどうか。(堀江 p331)
 既存の常識が気に食わないからといって,その反対だけが正解だと考えるのはナンセンスだ。既存の枠組みがひっくり返るというのは,たんに既存の枠組みが否定されるということではない。テクノロジーの進歩によって,ありとあらゆる可能性,選択肢を選べるようになったということだ。(堀江 p333)
 「こうであらねばならない」という思い込みが,人を幸せから遠ざける。その思い込みを解くのは自分にしかできない。(堀江 p334)

2022年4月22日金曜日

2022.04.22 三浦雄一郎 『歩き続ける力』

書名 歩き続ける力
著者 三浦雄一郎
発行所 双葉社
発行年月日 2019.04.14
価格(税別) 1,000円

● 高齢者への絶賛応援歌。現在の日本は高齢者ばかりになっているのだから,高齢者をヨイショするものは売れる。本書にもそういう側面はある(と思う)。
 が,著者は盛りもせず妙な謙遜もせずに,自身の体験を語っているのでもある。

● どの分野でも一流の足跡を残す人には,いくつかの特長があるように思う。まず感情家だということ。喜怒哀楽の振り幅が大きい。涙もろく,感激屋である。斜に構えた冷静クン(ぼくはこのタイプ)はお呼びじゃない。
 次に,楽天家であること。慎重であることが知的だという思い込みに毒されていない。したがって,基本的には陽性の人だ。著者もそういうタイプの人なのだろう。

● 以下に転載。
 私の父・三浦敬三は,99歳のときにフランスのモンブランでスキー滑走を楽しみ,101歳まで生きた。首の骨を折ったことで命を縮めてしまったが,それがなければ110歳まで生きたのではないかと思う。(p15)
 今は75歳で後期高齢者扱いだが,75歳なら100歳まで25年もある。時間はたっぷりだ。仮に100歳まで生きられるのなら,100年間ギリギリいっぱい楽しく暮らしたい。(中略)そのための行動の源となるのが,“歩く” ことだ。(p15)
 人間は何歳になっても前に進んでいくべきだと私は考える。86歳でのアコンカグア登頂は叶わなかったが,次の目標に向かってまだまだ前進していくつもりである。「人生に,“もう遅い” はない」(中略)何歳だろうと,今からできること,これから始められることは何かある。(p17)
 70歳を過ぎて,世界の高峰に何度も挑んでいる私を,ストイックで自分に厳しい生活をおくっている,立派な人物だと買いかぶっている人がいるのだ。(中略)しかし,それはとんでもない誤解だ。三浦雄一郎は,どちらかというとズボラでナマケモノである。面倒なことは嫌いだし,我慢するのも,節制も苦手だ。(中略)トレーニングにしても,今日は寒いから,雨が降っているからと,サボってしまうことがよくある。(p24)
 血圧,血糖値,尿酸値,コレステロール値などの数値を下げることだけを目標にして,節制して運動するだけでは,なかなか続かないものだ。(中略)食事制限や継続した運動を続けていくには,何かその先の目標を設定するのがいい。そうすることで張り合いが生まれる。(p32)
 歩けること,言い方を変えれば自分の意思で自由に移動できることは,高齢者にとって,充実した老後を過ごすための強力な武器となる。(p50)
 早寝はともかく,早起きは高齢者にとっていいことばかりではない。(中略)65歳でトレーニングを再開してからは,早朝の運動を避けるようになった。(中略)運動は,太陽が昇り,自分の体温が温まり,起床時に一気に上がった血圧が安定した午後からでいいのだ。(p56)
 私が特に重視しているのが,科学的なものを取り入れる姿勢だ。(中略)そのひとつに,サプリメントがある。(p64)
 先生は,男性ホルモン「テストステロン」を注射することを提案した。(中略)私は提案を受け入れた。(p72)
 誰も自分が何歳まで生きられるかがわからない。だから私は,死ぬことよりも,生きることを考えたいと思っている。“就活” の類は一切していない。(p78)
 私は80歳でエベレストに挑む以前,骨盤を骨折して入院したことがあった。その時は,ベッドの上で身動きが取れず,身体をグルリと回転させることができなかったのだ。そんな状況では,「寝返りを打つ」というなんでもないことが,目の前の目標になった。それができたときは,なんとも言えぬ達成感に包まれた。(p81)
 まずはアンクルウェイトを入手したい。これは,ちょっとしたスポーツ店ならどこでも売っている。通販で買うこともできる。片足に1kgずつから始めよう。それからリュックサックだ。(中略)そこに5kgぐらいの重りを入れるのだ。(中略)1日1時間ぐらいが理想だが,まずは10分でも15分でも歩いてみることから初めてみよう。(p85)
 ヘビーウォーキングには,ちょっとしたご褒美がある。スキーをやっている人なら,たっぷり滑って,スキーブーツを脱いだときのなんともいえない足の開放感をご存知だろう。頑張って歩いてアンクルウェイトを外したときは,それに近い,まるで空を飛べるのではないかと勘違いするほと,足が軽くす~っとする。これがなかなか気持ちがいい。(p86)
 ヘビーウォーキングは平地限定のトレーニングだと考えて欲しい。山でやるのは危険だ。(p96)
 そもそも毎日やらなくたっていいと私は思う。オーバーワークになっていつまでも疲れが取れないなら,頻度を落とせばいい。無理をして,くたびれ果てて,「もううんざりだ」と止めてしまうくらいなら,時々サボるぐらいのほうがいい。(p97)
 三日坊主でもいいではないか。やらないよりはマシだ。ゼロと3では大違い。三日坊主も10回やれば,合計で1ヶ月やったことになる。(中略)まずは,始めることだ。(p108)
 アンチエイジングの権威である白澤先生によると,胃袋が満たされていない状態の人間を含む生き物は,種の保存のために生殖能力を維持し,若さを保とうとするのだそうだ。つまり,満足感,満腹感がない方が若さを維持できるということだ。だから,高齢者は腹八分目ではなく,七分目でいいという。その発言は「なるほど」と思えることばかりだ。だが,私はどうしても,先生の言うことを守ることができない。(p111)
 食に関して,私がもっとも重要だと思うのは,空腹になることだ。(p113)
 メタボで余命宣告を受けたのも,人生においてはかなりの失敗だし,雪崩に巻き込まれたこともあれば,心臓手術後のオーバーワークで再手術を受けたこともあった。これまで,生きながらえていることができた最大の理由は,「運が良かった」,これに尽きる。たまたまである。(中略)ただ,命を失うtこがなかった理由を一つ絞り出すとすれば,大きな目標のために事前になんども予行演習を重ね,小さな失敗を繰り返すことで,本番で失敗して命を失わないようにしている--ということだろう。(p124)
 ずっと調子が悪かったのに,なぜここまで復活したのか? 好きなこと,面白いと思えることをやったから。それ以外に考えられなかった。(p148)
 私も死を恐れるのではなく,次は何に生まれ変わるかを楽しみにしている。蟻になるかもしれないし,牛になるかもしれない。蟻には蟻の喜びや幸せがあるだろう。ともかく,そのぐらい常に前向きな気持ちでいたい。(p176)

2022.04.22 三浦雄一郎・三浦豪太 『「年寄り半日仕事」のすすめ』

書名 「年寄り半日仕事」のすすめ
著者 三浦雄一郎
   三浦豪太
発行所 廣済堂出版
発行年月日 2014.01.15
価格(税別) 1,400円

● 副題は「目標を持てば80歳でも夢は叶う!」。
 著者は怪物であって,普通人がロールモデルに選んでしまっていいのかどうか,大いに疑問ではある。若い頃から冒険家で鳴らして,80歳でエベレストに登ってしまうような人なのだから。

● しかし,怪物の話を聞いて,しばし爽快感を味わうのは決して悪いことではないだろう。著者と同じようにはできなくても,自分にも取り入れられるものがあるかもしれないと考える自由はある。

● 以下に転載。
 年を取れば,若いころのように体が動かなくなるのは当然のことです。若い者に負けてたまるかと無理をしたところで,それは所詮,年寄りの冷水でしかありません。年寄りは年寄りなりに,自分のペースで進めばいいのです。たとえ他人の倍の日数を費やしたとしても(中略)積み重なれば大きな成長です。(p16)
 これまで毎日続けてきたトレーニングも,する必要がなくなればやるわけもなく,気がつけば立派なメタボ体型になっていました。(p27)
 人は目標を失うと,衰える一方です。あれだけのトレーニングを積んでつくった肉体が,たった数年で生活習慣病の塊と化してしまうのですから。(p28)
 トレーニングを始めたばかりのころは,標高531mの札幌の藻岩山にも登れないような始末でした。かつては世界7大陸の最高峰を制覇した男が,小学生が遠足で登るような山でダウンするとは情けない・・・・・・。その日,私は誰にも気づかれないように帽子を深々と被って下山したのを覚えています。(p30)
 80歳でエベレストに登れたのだから,90歳でもまだ可能性が残されている。目標の達成は自分への自信につながり,さらなる挑戦への意欲を沸き立たせてくれました。生きがいは,人に想像以上のパワーを与えます。(p31)
 目標は具体的なほど,日々の取り組み方が変わってきます。(p32)
 作戦を立てるときは,まず自分の限界を知り,自分のペースを考えること。自分のペースで取りくむことの何が素晴らしいかといえば,楽しみながら目標達成を目指せることです。(p33)
 どんな状況下でも積極的におもしろがることも目標の達成を大いに後押ししてくれます。(中略)76歳のときにスキーで大腿骨を骨折し,絶望の淵に沈んだときも,最初は咳をするだけで大腿骨に針が1000本刺さったようなすさまじい痛みを覚え,このまま歩けなくなるかもしれないと病院のベッドの上で不安な日々を過ごしていましたが,日を追うごとに少しずつ痛みが治まり,気づいたらこんな天国のような場所はないとうれしくなっている自分がいました。エベレストでは寝ることすら大変なのに,ここでは毎日温かい毛布にくるまれて,エアコンもきいている。しかもナースコールを押せば,お姉さんたちが飛んできて至れり尽くせり,まるで王侯貴族のような手厚い介護をしてくれる,と。(p34)
 私はトレーニングジムには通っていません。どうも強制されるのが嫌いなのです。好きなときに,何かのついでに,気ままにトレーニングできる方がいい。(p37)
 高齢になってくると適度に運動をしていても体力は衰えていきます。(中略)実年齢よりも若く生きるためには,“守りの健康法” だけではちょっと物足りません。(p38)
 高血圧,高血糖の診断が下ってからというもの,私が毎朝食べ続けているのが,丼に納豆と生卵,すりおろした山芋を入れ,その上にたっぷりとバルサミコ酢をかけたスタミナ丼です。(p43)
 一般に登山家という生き物は,「あの山を1日で登った」とか「倍のスピードで登った」などと自慢したがるもので,「速さ」に価値を置くきらいがあります。(p54)
 ここで強調したいのは,「骨の貯金」も「筋肉の貯金」も,鍛えることで増やすことができ,いつから始めても手遅れではないということです。「貯金」と一緒で,早いに越したことはないけれど,遅くから始めても,ある程度のレベルまで貯めることは十分に可能なのです。(p79)
 大怪我をしたとき,僕ら家族は全員「これでエベレストは無理だろう」と思いました。(中略)ところが,父には,あきらめる気配がまったく見えませんでした。病院にダンベルを持ち込み,動かせる上半身だけでも鍛えようと懸命に腕を動かしているのです。できない理由より,できる理由を捜す。そして,できるようにするには,どうしたらいいかを考える。それが父の基本姿勢でしたが,最大の危機に直面しても,その信念が揺らぐことは微塵もありませんでした。(p80)
 骨盤がぱっくり割れたため腹筋はなくなり,大腿骨の付け根をやられたので,足を持ち上げる運動も難しい。(中略)そこで父が取り入れた新たなトレーニング方法,それが自転車でした。(中略)父がテーマとしていたのは,スピードではなく,長い時間乗ることでした。(p80)
 自転車のサドルは先端が鼻のように尖っています。そのためノーズサドルと呼ばれるのですが,これが前立腺を圧迫するのです。(中略)僕は,早速ノーズレスサドルを仕入れて父の自転車に取り付けました。(p82)

2022年4月16日土曜日

2022.04.16 野口悠紀雄 『「超」メモ革命』

書名 「超」メモ革命
著者 野口悠紀雄
発行所 中公新書ラクレ
発行年月日 2021.05.10
価格(税別) 880円

● 副題は「個人用クラウドで,仕事と生活を一変させる」。著者の言う超メモ,超アーカイブとは何なのか。じつはよくわからなかった。
 が,紙にペンで書くのではなく,パソコンやスマートフォンを使ってデジタル化しておくことと,それを端末のハードディスクやSSDに保存するのではなく,クラウドに置いておくこと。この2つを満たしているものを超メモと呼んでいいんだろうか。

● であれば,研究者や文章を書くことを職業にしている人は格別,普通の人ならSNSやnote,ブログにあげておけば自動的に超メモ,超アーカイブになるのではないか。すでにあるプラットフォームを使う方が簡便だと思うが。
 絶対に人目に触れさせてはいけないものは別の形にしておく必要があるが,そういうものはそんなに多くはないだろう。

● 以下に転載。
 頭の中で考えているだけでは,アイディアは成長しません。バラバラでとりとめもなく,体系もないからです。しかし,それを音声入力でテキスト化すれば,目に見える形になります。(p48)
 問題は,最終的なプロダクトに至るまでの,情報の加工過程なのです。この過程において,紙よりデジタルが圧倒的に優れているのは,論じるまでもなく明らかなことです。(p67)
 検索ができないのは,情報の処理手段としては致命的な欠陥です。検索ができるとできないとでは,情報の利用に大きな差が生じます。(p68)
 考えついたアイディアを保存しいつでも取り出せる態勢を作ることは,アイディアを考えつくのと同じように重要なことです。(p70)
 モノでも情報でも,「要らないモノを捨てる」ためのコストは,決してゼロではありません。(中略)そこで,「捨てるという努力をすること」を捨てることにします。データ保存料の成約がなくなったので,「要らないものを捨てる」という考えを捨て,「必要なものを後から見い出す」という考えに転換すべきなのです。すると,大きな可能性が開けます。(p81)
 頻繁に使うものについては,箱を作っておいてそれを固定し,その中身を変えていくようにしたほうがいいのです。(p118)
 押し出しファイリングは使い続けることによって機能する仕組みなのですが,「超」メモも同じです。逆に,使い続けていないと,錆びてしまいます。(中略)維持し続けるとは,使い続けることです。(p119)
 Googleドキュメントにはコメント機能があり,これをうまく利用すると,リンクの代用とすることができます。ファイル内の任意の文字列に対して,コメントを書き込むことができます。(中略)本文に関連して思いついたアイディアなどをそこに書き込んでおけばよいのです。(中略)このシステムは,断片的なメモを見失わないために便利です。(p131)
 自分が持っている資料やデータをクラウドに上げるということは,書斎や研究室そのものを常時持ち歩いているようなものです。これまで思いもよらなかったことができるようになっても,不思議はありません。(p208)
 一つの仕事は,完成するまでそれにかかりきりになるのが望ましい進め方です。途中で中断してしまうと,その仕事の細部に関する記憶が失われてしまうからです。(p225)
 「数日後の自分は別の人間なのだ」と自覚し,「別の人間である将来の自分」に,親切な引継ぎメモを作っておく必要があります。(p225)
 写真をいくら撮っても,ほとんど無料で,事実上いくらでも保存できるようになったのです。これは,写真に対する基本的条件の大転換です。(中略)いまや,メモを取るための最も簡単な方法は,「写真を撮る」ことになりました。新聞記事,紙に書いたメモ,紙で送られてきた通知などは,写真に撮って保存するのが最も簡単です。(p228)
 自分の頭の中にあることのメモであれば,最も簡単な方法は,音声入力です。(p229)
 新聞社が提供している新聞記事のデータベースでは,非常に大量のデータが手に入ります。しかし,あまりにも大量であるために,そこから必要なものを探し出すのが困難です。(中略)結局,自分用のデータベースを作らなければ役に立たないということになります。(p245)
 人類が他の動物とは違って進歩できたのは,すべてのことを覚えているのではなく,その大部分をメモや記録の形で脳の外に記録してきたからです。(p262)
 記録は紙のメモ用紙に書いただけ。どこにいったかわからない,といった状態では,AIといえども利用することはできません。最低限,情報がデジタル化されている必要があります。そして,次の段階として,クラウドに上がっている必要があります。(中略)ここで蓄積された情報は,将来の世界において,大きな価値を持つことになります。いま「超」アーカイブの形で個人情報を蓄積している人は,将来の世界において技術進歩の恩恵を享受することができるのです。(p268)

2022年4月14日木曜日

2022.04.14 堀江貴文 『時間革命』

書名 時間革命
著者 堀江貴文
発行所 朝日新聞出版
発行年月日 2019.09.30
価格(税別) 1,300円

● 副題は「1秒もムダに生きるな」。この本で一貫して説かれているのは,他人の時間を生きるなということだ。何よりも大切なのは時間だ。アルバイトはどんなに時給がよくても,他人の時間を生きることになるので割に合わない。
 ベーシックインカムを導入して,働きたくない人は働かなくてもすむようにするのがいい。働きたくない人を無理やり働かせても,かえって働きたくて働いている人の足を引っぱるだけだ。

● というようなわけで,もし声がかかればまた働いてもいいかなと思っていたんだけども,そんなことにならなくてよかったと思う方に傾いている。この年齢になってさらに他人の時間を生きてしまうところだった。
 幸い,食べていけるだけの年金はもらえているので,小さく生きればもう働く必要はない。誰にも縛られないで好きなことをやっているのがいいか。やりたくないことをやらないですむのは最高か。
 つまり,現状は今までの人生の中で最も望んでいた状態が実現しているということかもしれないな。

● 以下に多すぎる転載。
 いまの時代,お金がなくてもそれほど困ることはない。(中略)しかし,時間はそういうわけにはいかない。一度ムダになった時間,流れ去ってしまった時間は,もう戻ってこないからだ。(中略)時間がなくなるのは,お金がなくなるのとはわけが違うのである。(p3)
 ぼくたちの時間は,ぼくたちの人生そのものだ。時間の質を高めれば,人生の質も高くなる。(p4)
 仕事や会社,上司,家族など,「他人の時間」に振り回されている場合ではない。すべては「自分の時間」と起点にすべきなのだ。(p7)
 刑務所というのは,「他人時間の極致」のような場所だ。「時間を取り上げることが刑罰になる」という発想の背後には,すぐれた人間的洞察があると思う。(p20)
 「他人時間を生きる」というのは,監獄に入っている状態によく似ている。とはいえ不思議でならないのは,世の中の大半の人が,自分からその “監獄” に入ったくせに,そこから出てこようとしないことだ。扉に鍵などかかっていない。(p22)
 つらい状況はそれほど長く続かなかった。服役中にもぼくは,文章を手紙でやり取りしてメルマガ更新も休むことなく続け,少しずつ「自分時間」を増やす行動を起こしていったからだ。自分の興味がおもむくままに,1000冊以上の本を読破し,それまでの人生とは比べものにならないくらい多くの映画も観た。結局,時間を自分のために使えるかどうかは,あなたしだいだ。刑務所にいたぼくが言うのだから間違いない。(p22)
 暇を感じているとき,あなたは時間資産をドブに捨て続けているのに等しい。また,退屈な時間には,頭のなかに「ロクでもない考え」が湧いてくる。それがストレスを生み出したり,人をバカな行動へと駆り立てたりする。(p25)
 たくさんのオモチャが並べられた部屋に子どもを投げ込むと,彼らは次から次へと目まぐるしく遊びを変えながら,どれだけでも遊んでいようとする。しかし彼らは「忙しい」などとは感じない。ぼくもこういう子どもと大して変わらない。(p27)
 「多忙」な人というのは,ものすごく忙しいにもかかわらず,心のどこかでは「退屈」しきっている。膨大な仕事を次から次へと処理しながらも,どこかでそれを冷めきった目で見ていて,本当はそれに飽き飽きしている。(p28)
 余計なことを考える暇がないくらいに,自分の心が踊る予定だけで,時間をしっかりと埋め尽くし,無我夢中で動き回るのだ。(p28)
 なぜ多くの人は,「他人の期待を満たす生き方」をやめられないのか? 以前はこの理由がぼくにはずっとつかめなかった。しかし最近,ようやくわかってきたことがある。端的に言えば,人から嫌われるのが怖いのである。(中略)あなたを罵倒したり,見下したりして気分がよくなるなら,勝手にそうさせておけばいい。他人から嫌われようと,どう思われようと,それはあなたの人生には関係のないことなのだ。(p30)
 すべては「自分時間をどう増やすか」である。「相手が自分をどう思うか」なんてことを思い煩って,自分の人生をおざなりにするなど,本当にもったいない。(中略)なぜなら,人のことを恨んだり妬んだりするのも,やはり「他人のために時間を使っている」という点では変わりないからだ。過ぎたことや他人のことを考えて,負の感情を再燃させる--ぼくに言わせれば,こんな無益なことはないのだ。(p31)
 人生における最大のムダ,それは「悩み」の時間である。(中略)本当は「こうしたい」という自分なりの答えがあるのに,ロクでもない「プライド」や「自意識」が足を引っ張っている状態なのだ。(p37)
 自意識が描き出す「世間」は,心のなかの幻である。あなたが勝手に気に病んで,勝手につくり出しただけの妄想。そんなものは全部取っ払ってしまえばいい。(p39)
 ほとんどの人は,自分の本音すら見えなくなっている(p40)
 物事なんて複雑に考えるほうがラクなのだ。世の中はいくらでも複雑に考えられる。(中略)シンプルに考えるほうが,一定の「勇気」や「エネルギー」が必要になる。(p42)
 企業の経営者を見ていても,シンプルに考える能力がある人とない人がいる。(中略)ビジネスの最前線では,いつもスピードが命である。シンプルに本質をおさえた思考ができない人は,いつも「時間の勝負」で敗北することになる。(p43)
 世の中はトレードオフが原則だ。例外はない。これらの希望をすべて叶えることなどまずできないし,そんな虫のいい話があるとすれば,眉唾だと思ったほうがいい。「シンプルに考えて,自分時間に満たされた人生を生きる」とは,全部を思いどおりにして,「あれも,これも」をバランスよく手に入れるということではない。むしろ,本当に大切にしたいこと “以外” はすべて手放し,自分の根本的な欲求に向き合うことなのだ。(p44)
 すきま時間をうまく使うコツは,あらかじめ「そこでやる作業」を明確に決めてしまうことだ。(p48)
 すきま時間のいいところは「締め切り」があることだ。その後ろにはすぐに「別の予定」が控えているからこそ,「時間内に終わらせねば・・・・・・」というプレッシャーを生むことができる。(p48)
 ぼくが発行するメルマガでも,それぞれのコンテンツは「すきま時間にサクッと読める」ということを何よりも大切にしている。人々には「すきま時間を埋めたい」という思いがある。現代において「爆発的に売れるもの」には,多かれ少なかれ,すきま時間が絡んでいるのである。これは裏を返せば,ありとあらゆるビジネスが,あなたのすきま時間をお金に変えようとして,手ぐすねを引いているということ。(p49)
 現代のビジネスは,とくにモバイルデバイスを通じて「顧客の時間」をいかに獲得するかを競い合っている。よって,ちょっと油断していると,スマホに大量の時間を奪われることになる。そういう側面は間違いなくある。しかし他方で,すきま時間の有効活用を考える場合,やはりスマホを避けて通るわけにはいかない。スマホは,ちょっとした短い時間から,無限の価値を生み出すことにかけては,ほかのどんなツールにも負けない。(p52)
 ぼくはいま,すべての仕事をスマホでこなしている。以前ならいちいちPCを立ち上げてブラウザで見ていたようなニュースも,スマホのアプリがあれば十分だ。メールもほとんど使うことがなく,たいていのコミュニケーションはLINEで済ませている。フリック入力がタイピングの速度を上回ってからは,原稿だってスマホで書くようになった。すべてがスマホで完結するようになると,ムダなすきま時間がなくなる。(p52)
 スマホが使える時代に「空間」に縛られた働き方をしている人は,必ず「時間」をムダにしている。スマホを使えば簡単に手に入るすきま時間をみすみすドブに捨てているのだ。(中略)本当にすきま時間を有効活用したいなら,「いかにパソコンに触らないで済ませるか」「いかにデスクに近づかずに仕事を終わらせるか」「いかにスマホだけで作業を完結させるか」を真剣に考えたほうがいい。(p53)
 「現代人はスマホに依存している」などという批判もあるが,まったくバカげた話である。あなたが残りの一生のうち,すきま時間を有効活用できれば,どれくらい「寿命」が延びるか,考えてみてほしい。(p55)
 人生において何を優先するかについては「1つずつ,どっぷり集中」を心がけたほうがいい。逆にどうでもいいことについては,できるだけマルチタスキングでさっさと片づけるべきだ。一個一個を丁寧にやる意味がない。(p58)
 人に任せることをしないかぎり,実感として時間が増えることはまずない。「全部を自分でやろうとしない」というのは,時間術の核心である。(中略)ぼく以外でもできることは専門知識や適性がある人に任せて,ぼくは自分が得意なことに集中する。そもそも会社に赤の他人同士が寄り集まる意味は,そこにしかない。(p62)
 より多くの時間を手に入れられるのは,いつも「できません。代わりにやってください」と言える人だ。「はい,自分でかんばってみます」しか言えないプライドの高い人間は,どんどん時間貧乏になっていく。世の中はそうなっているのだ。(p65)
 くだらない悩みにとらわれたり,物事の優先順位を絞り込めなかったり,なんでも自分でやろうとしてしまう人には,1つの共通点がある。それは,物事を「全か無か」「ありかなしか」「勝つか負けるか」のように,両極端でしか見られないということだ。(中略)しかし,世の中のたいていのことはグラデーションになっている。(p67)
 世界は「AかBか」のように割りきれるものではない。それなのに「ゼロイチ」の発想に縛られている人は,「一度Aを選んだら,Aを継続しなければならない」と考えている。だからこそ,Aを選ぶことを重大に捉えてしまい,結果として動けなくなる。(中略)「継続は力なり」などという言葉を真に受けてはいけない。「続けられるかどうか」なんて考えずに,まずはじめればいい。ダメならほかに乗り換えるだけだ。(p69)
 短期目標こそが,人生をたのしむための秘訣だ。いつだって短期集中型でいい。(p70)
 既存の仕組みや制度を「あたりまえのもの」と受け止めた瞬間に,あなたの自分時間はものすごいスピードで手元からこぼれ落ちていくようになる。(中略)むしろ,一度学んでしまった常識をどれだけ “忘れる” ことができるかが大事なのだ。(p79)
 常識なんて,その時代や文化しだいでいくらでも変わる。よくよく振り返れば,「変わること」こそが自然の摂理なのだ。それなのに,変化の一部だけを切り取って,「不変の真理」であるかのように扱ってしまう--どうやら人間にはそういう勘違いのクセがあるらしい。(p80)
 行動力などという得体の知れないものが,フットワークの良し悪しを決めているわけではない。その人がどれだけの情報を持っているか,何をどれくらい知っているかによって,人間の行動量は規定されているのだ。だから,「動き続けられる人」になりたければ,情報量を増やしさえすればいい。(中略)「現代は情報過多の時代。情報が多すぎて逆に動けなくなる」などというのも,都市伝説の類だと思ったほうがいい。そういうことを言っている人にかぎって,大した情報を持っていない。(p85)
 ふつうの人と比べると,ぼくが浴びている情報シャワーの量は,桁が1つか2つ分くらいは違うと思う。これを続けていれば,この世には「変わらないもの」など存在せず,すべてが「無常」だと思わざるを得なくなる。(p86)
 NewsPicksのようなキュレーションメディアならば,いつも有益なニュースを取り上げてくれる人をフォローすることで,より効率的に情報を取ることができる。(p89)
 こうやって情報をかき集める習慣を身につけると,自分のなかにも一定のリズムが刻まれてくる。すると,自分のアウトプットにもリズムが生まれてきて,仕事をこなすのがグッとラクになる。(p90)
 1つの仕事をまとめてやろうとするのもNGだ。大きな仕事ほど,できるかぎり細切れにして,すきま時間を使いながら少しずつ進めていくべきである。(p92)
 現代では,食べるために働いている人など,ほとんどいないのだ。では何のために働いているか? 単純に言えば,「暇つぶし」である。本当はみんなわかっているはずだ。現代社会では,ほとんどの人は,もはや「趣味的な仕事」しかしていない。「次の仕事」をつくるために仕事をしているようなものであり,やらなくても誰も困らないようなものが大半を占めている。(p94)
 ぼくはこれからもずっと,「たのしい仕事」しかするつもりがない。なぜなら,すべての仕事は本来,「やらなくてもいいもの」だから。ごくあたりまえの話ではないだろうか。(p101)
 必要なのは,結果の差そのものを無くして,「悪しき平等」をつくることではない。現代の問題の本質はむしろ,「イヤな仕事をして,負けている人」がいることなのだ。誰もが「たのしい仕事」をするようになれば,たとえ結果がいまひとつであっても,そこには確固たる満足感が残るはずだ。(p102)
 だいたいみんな,幸せというものを,何か高尚なものだと思いすぎなのだ。(中略)グーッと我慢を重ねて,あるときポンッといきなり幸せに「なる」のではない。ぼくたちはいつでも幸せで「ある」ことができる。(p104)
 人間は幸福を最大化しようと躍起になるほど,じつは不幸になるようにできているのだ。では,「より多く」幸せになるために,何が必要なのだろうか? それは「食欲・性欲・睡眠欲を満たすこと」--これに尽きる。地球上に生きている人間は,1日サイクルで欲望がリセットされるようにできている。(中略)ぼくたちには,毎日つねに幸福を感じられるように,「食欲・性欲・睡眠欲」という最高のツールが用意されているわけである。幸せというのは本来,こういう手近なものだ。(p105)
 年齢なんて,脳が感じた幻想にすぎない。本人が「自分はもう年寄りだ」と思えば,その人は実際に老いていくだろうし,年齢に無自覚なまま,たのしいことに夢中になっていれば,老いなんてものを感じないですむ。(p109)
 いっさいが無常で,現れては消える「泡」のようなものであるにしても,「何をしてもムダ」とか「すべてを諦めたほうがいい」と思っているわけではない。忘れてはならないのは,ぼくたちは本質的に,そういう1個1個のくだらない「泡」に,幸せを感じられてしまう存在だということだ。所詮は「泡」なのだから,割れないように大事にしすぎても仕方がないし,たとえ消えてしまっても打ちひしがれる必要もない。ただ,次から次へと現れる「泡」をたのしめばいい。(p111)
 「この世には常なるものなど存在しない」と心から信じているからこそ,目の前の「たのしいこと」に集中できる。(p112)
 ぼくは「個人の努力」を信じていない。ぼくの頭のなかにあるのは,一本の大きな「川」だ。そこにプカプカと浮かびながら,流されているのがぼくたち人間である。(中略)だからぼくは,ムダな努力はしない。流されるがままだ。(中略)そうやってリラックスしていると,ときどき川のどこからか「果物」がこちらに流れてくる。手を伸ばしてかじってみると,とてつもなくうまい。(p121)
 この「川下り=人生」をたのしむうえで,大事なことは2つある。まず,自分から「果物」を探し求めたりはしないこと。(中略)そしてもう1つは,少しでもうまそうだと思ったら,選り好みせずに手を伸ばしてみることだ。(p122)
 人間に最も必要な能力をあえて1つあげるとすれば,それは「ハマる力」ではないかと思う。「これに何の意味があるのか」とか,そんなことはどうでもいい。目の前に現れたものに,徹底的にのめり込む--これが重要なのだ。(中略)どうせ人間の好き嫌いの感情なんて,慣れとか習慣の産物にすぎないのだ。だから,ハマりきってしまえば,たいていのものは「好き」になれる。(p128)
 とくにみっともないのは,ストレスを感じているのに,不平を垂れ流しながら,現状に甘んじている人だ。(中略)あなたは川に浮かびながら,誰かが食い荒らした「残飯」を手にして,「こんなマズい食べ物はない! なんだこれは!」と文句を言っている。だったら,そんなものは捨ててしまえばいいのに,それでもその「残飯」を後生大事に持っているのだ。(p132)
 長く感じる時間は,あなたにとってストレスの原因になると思ったほうがいいだろう。体感時間の長いものを人生から排除し,あっという間にすぎてしまうことばかりで,あなたのスケジュールを埋めよう。(p133)
 不快な人間がいたら,その人とは関係を絶ったほうがいい。(中略)わざわざ軌道修正してやる義理はないから,あとはスッパリ “切る” のがいちばんだ。(p134)
 「動こうにも不安で動けません」という人は少なくない。あたりまえだ。ある程度の見通しなんてものは,動くことでしか得られない。(中略)動かないでいる人には,それを得るための機会がやってこない。(p136)
 バーディーのチャンスにパーを狙ってしまうような人は,絶対にバーディーを取れない。バーディーを取るためには,手前で止まるような弱気のパットを打っていてはいけない。思いきりよくいかないとダメだ。当然,そうやって打ったボールが,カップを越えてしまうことはある。しかし,その「失敗」には大きな価値がある。その失敗によって,次にカップに戻るまでのラインが可視化されるからだ。リスクを取らない人間は,この軌道修正のチャンスを手に入れることができない。(p142)
 いちばんダメなのは,中途半端に経験から学んでいるやつだ。「小利口」はいちばん救いようがない。(中略)浅知恵が働く人間ほど,経験から学んでしまう。だから,本当に懸命であろうとするなら,そんな経験を忘れるべきだ。何度でもカップオーバーすればいい。(p143)
 お金というのは単なるツールにすぎない。それなのに,お金そのものに価値があるかのように思い込んでいるから,貴重な時間をお金に換えてしまう。(p146)
 世界的に見ても,日本人はお金に目がない。(中略)その裏では,揃いも揃って1億人が,二束三文で「時間」を売り払っている。だから社会全体に時間がない,忙しい--これが日本の現実だ。(p147)
 お金は価値交換のための単なるツールだ。(中略)お金とは,「信用」というあやふやな存在を,わかりやすく可視化するための道具にすぎない。大切なのは信用だ。会社で1カ月,杓子定規に仕事して得られる信用など,たかが知れているから,それによって得られる月給もたいした金額にはならない。(p148)
 頭のなかに架空の他人をつくりあげて,「ひょっとすると,あの人はこう思っているのではないか・・・・・・」とか「きっとこいつは,陰であんなことをしているに違いない!」などと,くだらない妄想を膨らませてしまう--よくあるパターンだ。この状態が続くと,心はどんどん消耗し,さらに貧しくなっていく。みんな他人のことを気にしすぎだ。この原因は「暇すぎる」ということに尽きると思う。(p152)
 他人のプライベートを詮索して喜ぶなんて,こんなにみっともないことはない。もっとたのしいことが世の中にはたくさんある。心のエネルギーを他人事に振り向けて浪費するのは,本当にバカげている。しかも,他人のことばかりに首を突っ込むクセは,巡り巡って自分の首を絞めることになる。(中略)他人の目が気になって,身動きが取れなくなっていく。(p153)
 「いま処理できることは,いま処理する」--これを基本にすれば,あなたの信用も上がっていく。(p157)
 日本人は他人のつくったルールに乗っかるのは得意だが,合理的に考えて自分なりのルールをつくるのは苦手だ。(中略)自分でルールを考えてみることは,たのしむうえでも重要だ。自分の頭でルールや仕組みを考えたものに対して,人間はのめり込みやすいからだ。(中略)逆に,他人がつくったゲームのうえで動いているかぎり,心底からハマるのはけっこう難しいのではないかと思う。(p157)
 「自分時間」を生きたいのならば,極力,ウソをつかないほうがいい。ウソをつくということは,相手の信じる現実にこちらが迎合する行為だから,ウソをつけばつくほど,その人は「他人時間」を生きなければならなくなる。(p184)
 少なくとも「自分に対するウソ」だけはつかないほうがいい。ストレスを溜め込みながら,本心に逆らって生きることに慣れていはいけない。(p186)
 ストレスの99%は「過去」か「未来」に由来したものである。(中略)「現在」のなかには,大したストレスは存在していないのである。(中略)では,過去や未来について考えないようにするには,どうすればいいのか? これも答えは簡単だ。極限まで予定を詰め込んで,忙しくするのである。あなたの意識が過去・未来のほうに彷徨い出てしまうのは,あなたの現在がスカスカで中身がないからだ。脳が「暇」をしているから,記憶や不安で意識を満たそうとしてしまうのである。暇はやはり悪だ。(p188)
 誰にでも「自分の時間」を生きる権利はあるが,「他人の時間」を奪う権利はない。そのラインを踏み越えてくる人間とは,徹底的に戦うか,完全に無視するかのどちらかしかない。(p193)
 「宇宙旅行なんて無理だ」なんて言う人はいまだにいるが,長いスパンで見れば,ぼくらの頭で発想できることは,たいていが実現すると思っておいたほうがいい。(p198)
 正直なところ,慈善の心とか思いやりといった言葉や価値観は,ぼくには理解できないし,好きにもなれない。(p210)
 意味があるのは,「短期的な目標」だけである。それを立てた1秒後には行動を起こさざるをえなくなるような目標でなければ,そもそも意味がない。(p213)
 いまだに「計画→実行→評価→改善」からなるPDCAの本がベストセラーになったりしているところを見ると,「将来の計画からはじめる」というのが,人々の思考のクセになり,行動を妨げてしまっているように思う。(p215)
 現実の世界,とくにビジネスの世界では,将棋の棋士のように何手も先を読んで行動するのはナンセンスだ。経営計画とか経営戦略なんてものも,コンサル屋たちが稼ぐためにつくった「絵に描いた餅」だと思ったほうがいい。(p216)
 何を学ぶべきかなんて,そのときになってみないとわからない。何かに “備える” ための勉強なんて,苦痛でしかないはずだ。(p217)
 ぼくは「どこに次なるビジネスチャンスがあるか」とか「どんな戦略で市場を支配していくか」というようなことは考えない。未来のことはわからないからだ。現時点で,「やりたい!」「ほしい!」と思えるか。それだけが基準だ。(p225)
 経営戦略の世界では,資本投下の「選択と集中」が語られたりするが,少なくとも個人に関しては,これを当てはめないほうがいい。(中略)おもしろいと思ったものには,全部首を突っ込んでいくべきだ。(p225)
 どうしてもノリのよさを身につけられない人,なかなかバカになって動けない人は,究極的には「自信」が足りていない。自信がないから,将来を心配するというムダをやめられない。そうやって時間をムダにしてしまうのだ。(中略)自信を持つのに「天賦のもの」はいらないのである。(中略)本当の自信とは,「自分の心に寄せる強固な信用」である。(中略)ぼくに自信があるように見えるとすれば,それはぼくが「自分の心だけはコントロールできる」と確信しているからだ。(中略)「過去」や「未来」に心を奪われず,いつでも目の前の「現在」に夢中になっていられるという手応え。それが「本物の自信」をつくる。(p229)
 ぼくはこれまでたくさんの経営者を見てきたが,経営者の多くは,仕事の能力的にはかなり低いというのが実情だ。会社の社長なんて,大したレベルの人間はいない。新入社員みたいな実務能力の人,ほとんどヤンキーみたいな人もゴロゴロしている。それでも彼らはやけに自信を持っていて,実際,ものすごい結果を出していたりする。(p230)

2022年4月11日月曜日

2022.04.10 伊集院 静 『読んで,旅する。 旅だから出逢えた言葉Ⅲ』

書名 読んで,旅する。 旅だから出逢えた言葉Ⅲ
著者 伊集院 静
発行所 小学館
発行年月日 2022.02.02
価格(税別) 1,700円

● 3部構成で第3部はヨーロッパ(主にはスペインとフランス)の美術館を巡ったときのアレやコレを使って文章を紡いでいる。
 美術館巡礼(?)の旅は10数年前に大部の2冊本になって刊行されている。スペイン編は読んだが,フランス編は未読。読んだのも10年も前のことだから,あらためて両方を読んでみようかと思った。

● 以下に転載。
 路地は都市の顔である。情緒のある路地がある都市はたいがい藝術が盛んだし,恋愛の場所を提供してくれている。パリを舞台の恋愛映画が多いのは絵になるからである。(p13)
 銀座もそうですかね。ブラタモリでも銀座の路地は強調されていたんじゃなかったっけ。銀座には何度も出かけているけれども,田舎者が行くと名前の付いた通りだけで手一杯になる。路地は歩いたことがないんだよねぇ。
 バルセロナとアドリードの路地にはどんなにちいさくとも名前が付いている。面白いのでは “幻滅通り” というのもある。こちらは娼婦街の中にある。どこにでもあるのは “親不孝通り” “酔いどれ通り” だ。(p14)
 これはたぶん世界共通。“親不孝通り” は日本にもどれだけあるだろうか。
 スペインが日本人に人気なのは,ひとつは国民気質がきさくな点と,背丈がアジア人と並んでもまぎれる感じで異邦人に見えない。次に彼等は大のマリア信仰を持つ。イエスよりもマリアを慕う。日本で言う,観音信仰に近いかもしれない。しかも親孝行である。(p15)
 ヨーロッパでの原発事故の報道は,日本では公開が自粛された原発の建物の水素爆発のシーンが何度も映され,おそらくメルトダウンをしているとほぼ確信を持って伝えられていた。(p20)
 旅をしていて,美しい都市というものはそれ自体が不思議な力を持っていると感じることがある。パリも京都もまさにその典型ではなかろうか。(p48)
 戦火の下でも,モランディは創作を続けていた。(p55)
 世の中は平和が続くと,必ずファシズムが台頭して来る。それは世の慣いのごとくである。(p55)
 (『サン・ピエトロのピエタ』は)完成直後,マリアが若すぎるとかイエスの身体が筋肉質に作られ違和感があると注文主(教会)から文句が出たという。しかしこの像を見た大衆はこぞって称讃した。それはそうだ。誰だって美しい方が良いに決っている。(p64)
 旅は独りで歩くことである。ましてや原作,脚本を構想するなら,主人公の街を歩く姿が湧いた方がいい。(p96)
 今こうして,去年の夏から秋にかけて散策した折の様子を書いたが,そのすべてが文章になるわけではない。むしろならないももの方が多い。それは調べた取材,資料も同じで,そういうものに依った作品は小説のもっとも大切な情緒,哀しみが希薄になると私は考えている。(p119)
 人の何倍も練習することは,正直,他のプロも実行している。それがプロの世界というものであり,それができない人間は,当初,才能や,幸運で勝つこともあるが,長続きはしない。その点は,私たちの仕事と共通している。(p125)
 基本はアマチュアが世界のゴルフを成立させている。なぜなら世界のゴルフ人口の九九パーセントはアマチュアであるからだ。その上,アマチュアゴルファーにはプロがどう太刀打ちしてもかなわないユーモアと,これが一番肝心なのだが,品格を持った人々がいるのである。(中略)ゴルフは上手いだけが価値ではないとこが,大半のプロにはわかるまい。(p128)
 考えて考え抜いて練習して,練習をやり抜いて,ようやく何かが出るのが,私たちの人生であり,たとえ結果が出ずとも,それをやり続けることにしか,生きる尊厳はないのだと思う。(p129)
 完璧を求める人は,完璧というものにとらわれて,何ひとつ身に付かないケースの方が多いのではなかろうか。それはゴルフのプレーで例えると,ナイスショット以外は,つまらぬショットと考えるのと同じで,面白味がないし,ゴルフの肝心をいつまで経っても理解できないことになるだろう。(p131)
 今年は日記をちゃんとつけて,いい一年にするぞ,と決心して書きはじめる。ところが,或るデータによると,日記は約九割の人が最後まで書かずに終るらしい。これも人間らしくていい。(p131)
 “人の喜び,幸福の表情には皆どこか共通しているものがあるが,悲しみ,不幸せのかたちはどれも違う表情をしている” という言葉がある。(中略)それが事実であるとしたら,悲しみの只中にいる人に,そう簡単に慰めの言葉や,軽口を叩いてはいけないことになる。基本は見守ることであろうが,それでも私は “悲しみにはいつか終りが訪れる” と敢えて言うようにしている。(p134)
 五十歳を越える前までは学生時代に懸命にプレーした野球のハードなトレーニングで培った体力があった。ところが少しずつ体力の貯金は目減りする。そこで何か運動をというので以前からやっていたゴルフを二週間に一度ラウンドすることにした。(p137)
 ゆっくり成長する木は大木になるそうだよ。(p153)
 ひとつのスポーツが大衆をとりこにさせる時は新しいスターの出現が不可欠だ。それまで大衆が見たこともない魅力あるヒーローがあらわれた時,人々はヒーローの存在とともに,そのスポーツの素晴らしさを知る。(p155)
 大衆が何よりも惹かれたのは長嶋さんの,あの明るい性格と屈託のない笑顔であろう。チャーミングであったのだ。いったい何人のファンが,あのプレー振りを見て仕事の,日々の疲れを癒されたことだろうか。(p156)
 何十人かの選手を育てましたが,松井選手はトレーニングすることを惜しまなかったという点では,一,二番目でしょう。夜中のどんな時刻に連絡しても彼はバットスイングをしていました。あの姿勢があったから育ったんです。(p157)
 長嶋さんは今も懸命にリハビリをなさっている。(中略)今,日本全国でリハビリに励んでいるたくさんの人と家族が長嶋さんからどれだけ勇気をあたえられているだろうか(p158)
 美術館の鑑賞のしかたを知ったのもプラド美術館である。それはエウヘーニオ・ドールスの美術館の鑑賞案内の本で『プラド美術館の三時間』。(中略)三時間以上,美術鑑賞をするものではないと書いてあった。(p172)
 その人生は決して恵まれたものではなかった。(中略)絵が売れるどころか暮らしにさえ困ることが多かった。借金をしながらモネはそれでも懸命に絵を描き続けた。モネの生涯を見ていて感銘を受けるのはいかなる時にでも彼は絵画から離れようとしなかったことだ。絵画をあきらめたり,見放すことが一度たりともなかった。これが並の画家と違っていた。(p176)
 近代絵画はいつもそうだが,画料,画材の進歩がひとつの才能と出逢い,新しい世界を生み出す。(p210)
 「この器を見て下さい。この島の陶工が作ったものです。千年以上こうして私たちの生活に役立っています。しかも素朴で美しい。作った人の名前はわかりません。私は本来創作とはこうした無名性の中にあるのではないかと思います。彼等こそが真の創作者なのです」
 私はミロの言葉に感激した。(p222)
 こころをときめかす出逢いがあったなら,あなたの旅はかなり上質なものだと言えるだろう。そしてそういった出逢いには少なからず運命のようなものがかかわっているケースが多い。私の短い半生は大半が旅の日々だった。その中で,あの時間は誰かの力で,そこに導かれたのかもしれないと思えるものがある。(p225)
 これがミロのかつてのアトリエと知らなかったら,誰の目にも子供の落書きにしか映らない。しかし,このちいさな作品から,ミロは彼でしかなし得なかった宇宙を創造した。(p228)
 『糸巻きの聖母』と題された作品で,私はこの作品を十年以上前に,スコットランドのエジンバラにあるナショナルギャラリーで見たことがあったが,その折は作品を鑑賞しても強い印象を受けなかった。その理由はたぶん,レオナルド・ダ・ヴィンチというルネッサンスを代表する画家についてよくわかっていなかったこともあったのだろう。(p238)
 世界中で一番カレンダーを大く制作しているのも日本と日本人である。それを知ると,日本人は希望や,明日への願いを他の国の人より抱いているのかもしれない。(p250)
 七十一歳のマティスは十二指腸癌の手術をしたが,手術の後遺症が残り,車椅子での生活を余儀なくされた。絵筆を握ることが不自由になった。それでも画家の制作意欲はおとろえることはなく,マティスは着色した紙をハサミで切り抜き,これを貼り合わせて “マティスの切り絵による世界” に挑んだ。(p251)

2022年3月26日土曜日

2022.03.26 立野井一恵 『東京の美しい図書館』

書名 東京の美しい図書館
著者 立野井一恵
発行所 エクスナレッジ
発行年月日 2021.10.04
価格(税別) 1,600円

● 公立図書館と大学図書館。紹介されているのは次の21館。
 国立国会図書館 国際子ども図書館
 神奈川県立図書館
 千代田区立日比谷図書文化館
 国立国会図書館
 東京都立中央図書館
 北区立図書館
 武蔵野プレイス
 飯能市立図書館
 太田市美術館・図書館

 東京大学総合図書館
 津田塾大学 星野あい記念図書館
 学習院大学図書館
 東京藝術大学附属図書館
 自由学園羽仁両先生記念図書館
 成蹊大学情報図書館
 多摩美術大学 八王子図書館
 武蔵野美術大学 美術館・図書館
 日本女子大学図書館

 慶應義塾大学図書館旧館
 立教大学メーザーライブラリー記念館
 東京経済大学旧図書館

● 以上のうち,神奈川県立図書館,千代田区立日比谷図書文化館,東京都立中央図書館の3つは,中に入ったことがある。千代田区立日比谷図書文化館はまだ都立日比谷図書館だった頃だけど。
 飯能市立図書館と太田市美術館・図書館は東京ではない。埼玉と群馬。が,外すのは忍びなかったのだろう。
 自由学園羽仁両先生記念図書館は一般利用は不可。場所は自由学園のある東久留米市。自由学園明日館のある池袋とは違うので注意(開校した1921年から1934年まで自由学園は池袋にあった)。

● 前川國男という名前が複数回,出てくる。神奈川県立図書館,国立国会図書館,学習院大学図書館は,コルビュジェの弟子でもあった前川氏が設計したらしい。
 その時代時代でフロントの多くを占める設計者は出てくるものだ。

2022年3月20日日曜日

2022.03.20 出口治明 『僕が大切にしてきた仕事の超基本50』

書名 僕が大切にしてきた仕事の超基本50
著者 出口治明
発行所 朝日新聞出版
発行年月日 2019.05.30
価格(税別) 1,400円

● 2012年に刊行された『仕事は “6勝4敗” でいい』のりライト版。定年になって仕事は辞めたのに,どうして仕事の本なんか読んでいるのか。
 ひとつには,出口さんが書いたものは全部読むと決めているからだが。

● 以下に多すぎる転載。
 僕が最初にお伝えしたいのは「人生を慌てない」ということです。(p1)
 人生とは “凧あげ” と似た意地悪なものです。自分がいくら凧をあげたいと願っても,風が吹かなければ凧はあがりません。そして,いつ風が吹くのか。それは誰にもわからない。(p3)
 大きな決断ほど,直観や好奇心が重要になります。一回限りの人生ですから,心が動く方向へ行ってみる。そして,引き受けた以上はもうやるしかありません。それは責任感や義務感からではなく,人生は偶然の連続であり,後戻りのできないものだからです。(p15)
 待っていても,自分を取り巻く世界は変わりません。行動しなければ世界は変わらない。(p16)
 過去も現在も世の中の99%の人が,自分の本当にやりたいことなど,わからないまま懸命に生きてきたことがわかります。(p17)
 仕事を楽しめない人は,小さなピンチにも屈しやすくなり,チャンスを見極める目を養うこともままならず,凧をあげるための風が吹いたことにも気づけなくなっていくことでしょう。(p28)
 スタート地点を「仕事は楽しくないもの」というところに置き,おもしろくない仕事の中に,いかに楽しめる切り口を見つけ出すことができるか。どうしたら楽しめるのかを常に自分へ問いかけること。(p32)
 どれだけ残業をしたとしても人生において仕事に携わる時間は2,3割。人生に起きるドラマの大半は,仕事から離れたところにあるのです。(中略)すると,2,3割のどうでもいいことにクヨクヨすることも,おもしろくないと腹を立てることも,上司の顔色をうかがうことも,時間のムダだと思えるはずです。(p34)
 聞くことを恥じる必要はありません。なぜなら,会社などの組織は上からの指示で動くように作られているからです。副社長だろうが,常務だろうが,代表権を持つ社長以外の人は,判断に迷った時,必ず上に指示を仰ぎます。(p38)
 スピードを何よりも重要視していること。これは楽しく仕事をしている人に共通する感覚です。(中略)これまでの日本の会社では,ともすれば,時間をかけてもミスのない完璧なものを作ることが重要だと考えられてきました。しかし,それは時間も経営資源も無限だという誤解から生じたムダのひとつです。(p44)
 判断に迷ってしまった時は「仮決め」でいいから,とにかく結論を出すことです。(中略)ひとりで悩み,立ち止まっていては,周囲も意見を述べることができません。何もしないでぐずぐずしているよりは,手元にある材料で即断していく。その方が,物事は良い方向に進みます。(p45)
 こちらが苦手だという感情を露わにして仕事をすると,相手も敏感に反応し,余計なトラブルが増えるだけ。苦手な相手とは淡々と付き合う(p58)
 何かを選ぶということは何かを捨てるということです。いいとこ取りを望むような指示は,実行時に必ず矛盾が生じます。(p66)
 同じ量の仕事ならば,仕上げるスピードが速ければ速いほど,相手に与えるインパクトは強くなります。(中略)仕事をする者として相手に与える衝撃は,ないよりもあった方がいい。どんな仕事でも衝撃や爪あとは残したいものです。(p77)
 目的を達成すればいいのですから,勝ちすぎないこと。(p85)
 働き続けても楽しくない場所にいても,人は成長しません。(p88)
 たしかに,ものすごく不得手なことも,がんばりによってそれなりの水準になると思います。その苦労談は美しいかもしれませんが,ビジネスとして考えた場合,時間のムダだと思います。(p89)
 「苦手を克服しようとしない」
 結果的には,一人ひとりの得意なことを伸ばす方が職場も良くなるのです。(p90)
 自分の行動に自信があれば,いわせておけばいいのです。変なことを話す相手に反論しても,相手は余計におもしろがるだけ。(p92)
 僕は「人生をムダにしたいならこの3つをどうぞ」と常々話していることがあります。1つ目は「済んだことを愚痴る」,2つ目は「人を羨む」,3つ目は「人によく思われたいと思う」です。必要以上に他人の目を気にしていても仕方がありません。(p92)
 裏通りを覗いた方がおもしろい。どの店も玄関はきれいなものですが,裏を見なければ実態はわかりません。(p125)
 その国や地域の発展の様子を知るには,流行に敏感な若い女性を観察するのが一番です。(p125)
 僕のインプットの方法は,自分の好き嫌いで選ばず,とにかく何事でも大量に取り込むという形で昔から少しも変わっていません。(中略)時には「毒」になるようなインプットもあるかもしれませんが,多少の痛い目にあわなければ何が真実で,何が偽物かを見分ける目も養われません。(p126)
 人間は元来,怠け者で易きに流れる動物です。(中略)意欲次第でなんとかなるという考え方が,そもそも間違いです。(中略)可能な限り,やらざるを得ない仕組みを日常生活の中に組み込んでしまうことが大切です。(p131)
 情報を集めたい時には,まず,自分から情報を発信してしまえばいいのです。(中略)つまり,情報を集めるためには,詳しい人を必死に探して情報を聞きにいくのではなく,まず,発信すべきだということです。(p135)
 小説やドラマの世界では情熱的な言葉が相手の心を動かすという描写がありますが,本当の交渉の場でものをいうのは数字とファクトを積み重ねた数字です。なぜなら,そこには嘘の入り込む余地がないからです。(p142)
 数字をファクトを積み重ねたように装った嘘はある。いろんな場面でありそうだ。「嘘の入り込む余地がない」状態であるためには,その事項に関する認識のレベルが当事者双方が拮抗している場合に限られそうだ。そうした交渉の場というのは,意外に少ないものではないか。B2Bの交渉であっても。
 どうすれば数字に強くなれるのか。コツとなるのは,日頃から辞書を引くことです。グーグルなどの検索エンジンで調べるのでもかまいません。(p144)
 たった1冊の資料や本を読んで,「これが絶対の事実である」と思い込むことは,非常に危険なことで,それは「数字,ファクト,ロジックで勝負する」ことにはなりません。(p147)
 残念ながら,「数字,ファクト,ロジック」だけで常に人を説得できるわけではありません。なぜなら,人間は感情の動物だからです。(中略)ある種の人懐っこさや明るさは,それだけで本人の財産といえます。(p155)
 僕は説得の可否は,オール・オア・ナッシングだと思っています。中途半端では意味がない。やるからには全力を尽くすこと。準備不足で自信がないのであれば,そんな機会は捨てればいい。(中略)用意ができてないのにボールを蹴っても,みんなが迷惑するだけです。(p163)
 部下を持った時,欠かせない能力のひとつが,「失敗や逸脱が人間を大きくさせる」という視点を持つことです。(中略)部下や後輩が同じ失敗を繰り返したとしても,決して,感情的に叱りつけるようなことをしてはいけません。(p166)
 上司の顔色をうかがい,上意下達に徹するような仕事の仕方は,正しい姿勢とは思えません。ある時は上司の指示を聞き流し,ある時は2倍に拡大し,ある時はわかりやすく噛み砕いて,部下のやる気を引き出すように伝えることができる人が必要だからこそ,中間管理職が存在するのです。(p183)
 人とのつながりは結果的に得られるもので,自分の意思で作ったり広げたりすることは不可能だと,僕は考えています。(中略)人との出会いはすべて偶然であり,ご縁です。「去る者は追わず,来る者は拒まず」で臨むしかありません。(p209)
 「ノー」とはいつでもいえるのだから,基本的には「イエス」としか言わない。誘われたら,必ず行く。(中略)ひとつだけ確実にいえることは,自分から出向かなければ何も起きないということです。(p210)
 僕には英語がうまく話せないという躊躇はありませんでした。2年で日本に呼び戻されるかもしれないのに,しゃべれるまで待っていたら時間がなくなるだけです。有限な資源である時間の有効活用は何にも増して優先すべきことで,「英語が話せない」ともじもじする暇はなく,飛び込むだけでした。(中略)部屋に閉じ込もっていては,人との出会いなど訪れません。そして,人との交流なくして,賢くなることも,何らかの技術が身につくこともないのです。(p214)
 英語を学び,語学力を高めることも必要ですが,外国人との付き合いで最も重要なのは,相手へのリスペクトです。人間には自尊心がありますから,まずは相手を尊敬すること。次は相手の文化を広く理解することです。(中略)人間は,自分たちの文化や価値観が理解されることに喜びを感じるようにできています。(p216)
 仕事というものは人間と人間で作り上げるものであり,誰もが同じ人間で「外国人」という人間はいないということ。(p218)