著者 内田 樹・釈徹宗
発行所 東京書籍
発行年月日 2017.09.01
価格(税別) 1,800円
● シリーズ,4冊目。今回は対馬。副題は「対馬へ日本の源流を求めて!」。
本書で蒙を啓かれたところは2つある。ひとつは,日本神話は対馬発祥であるらしいこと。古き日本が対馬には残っていること。
もうひとつは,対馬に朝鮮半島から受けた文化的影響の痕跡は皆無であること。地理的に近いから影響を受けるという単純なことではないらしい。
● 案内役の永留史彦さんが主役。情報の提供役。著者二人はそれに乗って勝手に喋っているだけ。もっとも,それが編集方針かもしれない。
● 以下にいくつか転載。
やっぱり旅の友は司馬遼太郎ですよ。『街道をゆく』です。頁折りすぎて,一体どこが大事なんだかわかんなくなっちゃいましたけど。(内田 p13)
「じゃあ対馬では朝鮮の文化と日本の文化が融合しながら発達していったような形跡があるのか」と,よく聞かれるんですが,そういうものはほとんどありません。(中略)言葉なんかもですね,対馬の言葉,特に対馬の南端の豆酘という所には,対馬の中でもまたちょっと独特の方言が残っていたりします。(中略)対馬に残るそういう言葉は,中世以来の日本の古い言葉だということがわかりました。(中略)古い朝鮮語の影響というのはまったくない。(永留 p16)
対州ソバは名物ですね。源流がわからないんですが,対馬では,縄文時代の貝塚から蕎麦の実が見つかっています。だから,それがそのまま続いていたとしたら,対馬の蕎麦はもっとも古代の蕎麦に近いんじゃないかと。(永留 p68)
植生ですね,やっぱり,風土感というのは。(内田 p77)
近代化があれほど早く可能になったのも,幕藩体制があったからだと思います。日本中に人材がいたわけだから。中央集権一極集中だったら,あんなことできませんよ。(内田 p93)
体制が腐るときは頭から腐っていくわけだから,一極集中で頭が腐ったら手がつけられませんよ。(内田 p93)
永留 南のほうも対馬海流は流れてはいるけど,幅が広い分,流れは穏やか,航海しやすいです。水道にホースをつないで,口を細くすると勢いが強くなる。あれと同じです。(中略) 内田 離れているほうが渡りやすくて,近いほうが渡りにくい。ここは流れが速いんですね。 釈 距離じゃないんだ。(p106)
対馬に阿麻氐留(あまてる)神社というのがあります。この阿麻氐留神社というのも,天照大神を祀るようになって阿麻氐留神社になったんじゃなくて,その逆じゃないかというのが神話研究者の定説なんですね。(永留 p137)
永留 海で生活する人たちにとってはね,遭難した人は助けるというのが,これがまず原則なんですね。 内田 そうか,海民の常識なんだ。海民というのはね,砂漠のノマドと同じだという話を,前にしていましたよね。(中略)砂漠でもね,荒野の彼方から到来して旅人は必ず幕屋を上げて歓待しなければならない。(p183)
聖地は大体この世とあの世の境界線上にあるんです。海と陸の境界は「さき」と呼ばれるんだと中沢新一さんの『アースダイバー』に書いてありました。(中略)今は海岸線が遠ざかって,海なんか見えないような町中でも,古い岬の突端だった地には今も神社仏閣,病院,大学,墓場,そしてラブホテルがあるのです。(p241)
釈 ここに来たら,日本神話をリアルに実感できますね。 内田 本で読むとリアリティーないけど,ここに来るとリアルですね。(p243)
対馬を巡って,あらためて「日本の宗教は神道で,仏教は外来の宗教だ」などといった捉え方がいかに見識がせまいかっていうのがよくわかりました。神道もかなり外来ですから。(釈 p252)
政治が絡むと聖地は力を失います。でも,延喜式から延々とやっているわけだよね。千年以上前から政治は宗教に介入している。(内田 p257)
昔,天安門の前で行進するとき毛沢東がいたり朱徳がいたりして,後ろのほうにレーニンとかマルクスとかエンゲルスの写真も一緒に行進してたじゃないですか。あれは中国共産党の境内に,ご祭神としてマルクスやレーニンを勧請しているんですよ。(中略)毛沢東神社に合祀しちゃうの。毛沢東神社の神格を高めるために,いろいろと有名で霊験あらたかなご祭神を勧請してくる。(内田 p258)
考えてみたら,パレスチナ地方の一民族の神話が,キリスト教の展開によって世界中で共有されることになったわけです。我々が日本人の神話として共有しているのも,いくつかある部族の一つの神話だったのでしょう。(釈 p263)
全く国境を閉ざされてしまうと,ほんとうの日本の辺境になっちゃうんですよ。(中略)国境が開かれていると,外国への窓口になるんです。閉ざされると条件が一八〇度変わります。(永留 p274)
「貧すれば鈍す」って,ほんとうに汎用性の高い教訓ですよ。経済的余裕がなくなると,人間は思考力が衰えるんです。(中略)「金がある人」というのは「金のことを考えない人」のことです。ですから,逆も同じで,実際はどれほど貧乏でも,「金のことを考えない人」は「金のある人」なんです。暇だから。(中略)自分は「貧乏だ」と思っている人は四六時中お金のことばかり考えて,お金さえあればすべてが解決するというシンプルな思考にはまり込んでしまう。(内田 p331)
釈 何度も聖地巡礼をやっていて,体感的にわかったことなのですけど,「ある程度歩いて到達しないとダメ」な気がします。 内田 ダメです。いきなり,「はい,聖地に着きました」というのは。(p338)
倍音声明で面白いのは,自分は声を出さないで,ただ他人の声を聴いているだけの人には,倍音がちゃんと聴こえてこないということです。超越的な音,誰のものでもないその音を聴き取るためには,自分のパーソナルな,自分に固有の声をその場に差し出さなければならない。(内田 p357)
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