2018年9月30日日曜日

2018.09.30 楠木 新 『定年準備』

書名 定年準備
著者 楠木 新
発行所 中公新書
発行年月日 2018.05.25
価格(税別) 820円

● 『定年後』の続編。家族と地域を大事にしろ。子供の頃にやりたかったことを探ってみろ。若い人たちの役に立つことがイキイキの秘訣。老後の生き方の王道が説かれている。
 ぼくはへそ曲がりなので,年寄りは慎んでいろと思っている。原則,若い人の役に立てるなどと思うな。生きた時代が違うのだ。

● 年寄りの社会貢献願望は社会の迷惑。役に立てるとすれば,就活シートの書き方を教えるとか,道路の花壇を整備するとか,非常に具体的な場面に限られる。それ以外は,言いたいことがあってもグッと飲みこめ。それが慎んでいるということだ。
 それよりも「孤独の価値」をかみしめろ。弧に強くなれ。

● 以下に多すぎるかもしれない転載。
 地域のコミュニティもかつてのような人間関係を築く場にはなっていない。(pⅲ)
 定年後の方々を取材していて感じるのは,心や体が喜んでいる状態や,「いい顔」で過ごす時間が大切であって,何かを成し遂げたり,宝物を見つけるという目標達成は必ずしも必要ではないということだ。(p5)
 会社に在籍していた時には不平不満ばかり述べていたのに,退職すると「会社員時代はよかった」と懐古する人が少なくない。(中略)人は何かを失うまではその存在を自覚できないので,定年後に会社やその仲間の大切さに気づくのである。(p13)
 定年まで働いた普通の会社員であれば,簡単に老後破産することはない。厚生年金に加えて,会社によっては企業年金や退職金もあるからだ。(p35)
 在職中は年金などのお金のことを話す人が多いが,定年後にはあまり話さなくなる。(中略)お金をもらうよりも,人が話しに来てくれた方がよほど嬉しいと思っている人が多いからだろう。そういう意味では,お金に換えられないお役立ちが定年後は意味を持つと言ってもいいだろう。(p36)
 私に相談に来る若い人の中には,定年後に向けて20代,30代から準備をした方がいいのではないかと聞いてくる人もいる。しかしそれでは早すぎる。(中略)若い時には目の前の仕事に没頭した経験がある人の方が,定年後の選択肢が増えるというのが実感だ。基礎力が養われるからだろう。(p49)
 自分の関心のあることを発信するとか,自分の持ち味を活かすには,周囲に仲間や他人がいるから初めて成立することであって一人では何もできない(p54)
 会社員は,仕事の量が増えると単純にエネルギーを消耗して疲れると考えがちである。ところが自分に合っていることなら一晩寝れば回復する。人間はモノではないし,機械でもなく,血の通った生き物なのである。(p55)
 「不特定多数の人に発信すれば,おのずと自分なりの宿題がもらえる」と勧めても,ほぼ異口同音に彼らは「もっと研鑽を積んでから」を繰り返す。(中略)何度も話を聞いて分かってきたのは,彼らが,次のステップに踏み出した未来を成功か失敗かの二元論で考えているということだ。(中略)計画を立てて進もうと思ってもその通りにはいかない。(中略)それを成功と失敗の二元論に還元するのは,一言で言うと,市場感覚がないということである。(p60)
 自分のことを評論家のように語ってはいけない。(中略)やはりバッターボックスに立たなければどうにもならない。(p62)
 芸名で活動してみると,本名の自分に縛られていたのだと感じることがある。勝手に自分で枠組みというか制約を課していた。50代になっても会社員としての自分という器の中に自らのすべてを押し込めるのは無理があるというのが実感だ。(p66)
 私が聴講していた経営学の大学教授は,海外文献を読んでいると原文の「management」を「うまくやること」を読むとしっくりくるという。(p69)
 サッカーの三浦知良選手が新聞のコラムでラスベガスで出会った荷物を運ぶホテルのポーターを紹介していたことを思い出した。単調と思われるポーターの仕事だが,その彼は,クルクル踊りながらキャリーケースをはじき飛ばし,ムーンウォークで滑り寄っては,ピピピと笛を鳴らして車を誘導する。マイケル・ジャクソンさながらだったという。(p90)
 養護学校の教師だった頃から考えていた,彼ら(障害者)の大きな価値をみんなに知らせたいという思いがいろいろな活動につながっている。小島(靖子)さんの話を聞いていると,定年後は仕事だ,地域活動だ,ボランティアだ,学びだと言っているのは単なるカテゴリーにすぎなくて,本当はその根本にあるものが大事だと気づかされる。(p107)
 いろいろなボランティア活動を支援している社会福祉協議会のリーダーは,「男女が一緒に地域での活動を行うと,どんな会合も女性が席捲してしまって,男性は駆逐されて来なくなる」と語っていた。健康マージャン教室などの男性向きだと思えるものでもそうだという。(p109)
 「自分に力がなくて舟をいくら漕いでも進まず,結局は元の位置に戻ってしまったり,たとえ後退することがあったとしても僕は漕ぎ続ける」と話す彼の迫力に圧倒された。学生運動などはやらず青臭い議論もせずに,いつも人に優しく寄り添う彼から出た言葉に驚愕した。(p114)
 日本の急速な高齢化は世界有数なので,これらの課題を解決するソフトや知恵は輸出もできる。将来の日本の基幹産業になる可能性がある。(p133)
 誰もが自分の人生では主役だが,他人の人生では脇役だということだ。しかし他人の人生に対しても自分が主役であるかのように振る舞う人がいないわけではない。夫婦で言えば,夫の中にそういう人がいる。それでは妻がよほどできた人でなければうまくいかない。(p139)
 周りの会社員よりも彼らの方が圧倒的に「いい顔」をしていたことに気がついた。収入や財産は少なくて,将来の生活も安定していなかったにもかかわらずだ。人の表情が輝いたり,魅力的になるのは,収入や相対的な地位とは必ずしも相関しないのだろう。(p160)
 リアルに若い人や子どもたちとやり取りできる機会を持つことは大事だと感じている。(中略)若い人に何かを与えている,若い人に対して何か役立つ役割を持っている,子どもにスポーツや技能を教えていることは大事だと言えそうだ(p171)
 やはり本当にものが伝わる時には人を介さないといけないのだろう。(p177)
 自分が真剣に相手に重ね合わせようとすれば,その姿勢は相手にも伝わる。反応もビビッドに返ってくる。一方でうつろに叩けば,うつろにしか返ってこない。ここも大切なポイントである。(p182)
 会社員として毎日出社して働くことができる人は,スティーブ・ジョブズになるのは無理だ。身もふたもないことを言えば,天性の才能がなく,飛び抜けた個性もないからこそ入社して働き続けることができるのである。(p184)
 自分の能力を高めることを目指す場合には,超一流の人のレベルに触れることが大切だ。(中略)その分野の超一流の人のパフォーマンスがどのようなものなのかを理解して,今の自分がどのくらいのレベルにあって超一流の人たちとどのくらい隔たりがあるのか,そしてその隔たりを埋めるために何をしたらよいのかを具体的にイメージする(p184)
 味わい深い経験は,2つ以上のスペクトルの組み合わせから生まれるという。(中略)これらの相違するレベルの情報を数多く集めることによって,表面的,二元的な見方ではなく本質を見極めることができるようになる。(中略)ある情報誌の編集者は,「このシュークリームを情報誌で取り上げてほしい」と申し出たライターに,「異なる100店以上のシュークリームを食べてきましたか?」と聞くという。(中略)量を多くこなして質に転換する活動であると言ってもよいだろう。(p189)
 会社員は組織の枠組みの中に自分を埋め込みがちなので,組織内の年次,役職,経験年数などによって自分自身の位置づけを確認している。定年後においても,外部からの評価や位置づけの中で自分を確認していることが少なくないだろう。(p195)
 私の乏しい経験から考えれば,相手に対して関心と好奇心を抱くことではないかと考えている。この2つを持っていれば必ず相手は応えてくれるというのが実感だ。(p200)
 優秀で力量もあるのに,インプットが中心で発信系になっていないビジネスパーソンが多い。極端に言えば,自分の本心を隠すために「話している」と思える人もいる。(p201)
 私を含めて組織で働く人は,自分が変わるということを安易に捉える傾向がある。「他人を変えることはできないが,自分を変えることはできる」といったたぐいのことがよく言われる。しかし考えてみると自分を変えることは至難の業である。(中略)変えることができるのは自分自身ではなくて自分と他者(家族,友人,同僚,顧客など)との関係,および自分と組織との関係なのだ。(p221)
 ゼロから新たな人間関係を築いたり,今までとは違うスキルを身につけるためには,相当の時間をかけないとどうにもならないということだ。(中略)人の歩む道はいつもそれ以前とつながっていて,いきなりジャンプすることはできないのである。そんな人も,さなぎの期間を経なければ蝶にはなれない。(p222)
 彼らが発することが比較的多いのは,「好きな仕事をする」ではなくて,「せっかく生まれてきたのに」というニュアンスの言葉なのである。(p223)
 趣味には2種類あって,仕事を辞めるとやらなくなるものと,仕事とは関係なくても続けられるものに分けられる。(中略)前者は気分転換やストレス解消が主なので,仕事のプレッシャーがなくなると意味を持たなくなる。(p237)
 会社員は,収入は定額だというライフスタイルが身についているからか,自分自身に対する新規投資や先行投資にもそれほど積極的ではない。逆に,仕事によるストレスを解消するためにお金を使うことが少なくない。(p239)
 丸抱えの出張時と,自分でお金を出す旅行では,車窓の景色も異なって見える。身銭を切ったものでないと,自分の身にならない。タダで学ぶことはでいない。(p239)
 芸人さんの話を聞いていると,私がいかに発信する姿勢が弱いかを反省させられたり,ギャンブラーに取材した時に,彼らが偶然や自分のツキに対処しようとしている姿を知ると,会社員がいかに今日と同じ明日がやってくることを当然に考えているかに気づくことができる。やはり個人事業主とも付き合うべきである。(p242)
 専門性が高く筆力もあるのに,なかなか本の企画が通らない会社員がいた。ビジネス誌の編集長に尋ねると,読者に興味を持ってもらうといった視点が足らないので掲載できない原稿が多いという反応だった。(中略)組織で働くビジネスパーソンは,努力を積み上げて自らの能力を上げれば自動的に相手が関心を持ってくれると思いがちである。(中略)相手がどのように受け止めてくれるかが先である。(p243)
 自分を変えようとするよりも,ありのままの自分をどこに持っていけばよいのかを検討する方がうまくいく。(中略)自分の力量を向上させることに注力する人は多い。もちろんそれも大事ではあるが,自分が役立つ場所を探すという行動にも大いに意味があるのだ。(p245)

2018.09.30 成毛 眞 『情熱の仕事学』

書名 情熱の仕事学
著者 成毛 眞
発行所 日経BP社
発行年月日 2015.06.22
価格(税別) 1,400円

● あとがきに,読んであぁ面白かったで終わらせるな,という著者の言葉がある。ぼくは,あぁ面白かったで終わらせてよいと思う。
 ここに登場する人たちのように,みんながなってしまっては,世の中が立ち行かなくなる。多数の凡人が必要なのだ。あなたやぼくのような。

● 決断もできないし,度胸もないし,逆境には弱いし,頭の回転もゆっくりしている平々凡々な人々がいるからこそ,世の中が世の中たり得ているのだ。その上でのイノベーションであり,新たな業態の成立であるのだ。
 彼らの活躍譚を読んで,あぁ面白かったで終わらせるのは,凡人の特権というものだ。

● そうして,ぼくらは「勝者には何も与えるな」というヘミングウェイの言葉を憶えておこう。勝者は勝者というそれだけで充分な報酬を得ているのだ。

● 以下に多すぎる転載。
 今回は新たな試みもした。学生にはゲスト講師への質問を課し,いい回答を引き出せた質問者にはいい成績を付けたのだ。そうした理由は,学生にとって質問を考えることが,学びになるからだ。(p9)
 起業前,出口さんは日本生命に勤めていた。いかにも日本的な大企業の中にこれだけの人物がいたこと,そして,今もおそらくいるであろうことを,我々は常に意識する必要があると思う。(p16)
 何かを前に進めるのは,ロジックではなくて情熱や勇気なんです。彼らが持ってきたビジネスプランが,エクセルのしーとにまとまった精緻なものであったら,僕は熱くならないし,それに,そういう分析はたいてい外れます。(加藤崇 p29)
 僕が2人の技術のすごさに気がついたのも,大した話ではないんです。ある閾値を超えたすごいものに反応できただけです。素直に反応するには,悪い方,難しい方に考えなければいいだけのことです。(加藤崇 p30)
 ベンチャーキャピタルはリスクを取る機関です。(中略)それなのに,大きな花火が打ち上がってから投資するのでは遅い。そのタイミングになったら,小学生だって投資した方がいいとわかります。(中略)僕はそれがクソだとは思いません。それが普通です。だから,もし大きな一打を打ってやろうと思うなら,普通になってはいけない。先に何かをつかまないといけない。(加藤崇 p32)
 早稲田は東大の劣化コピーではないのだから,早稲田の卒業生は,自分を東大と比べるのではなく,東大とは別軸で勝負してほしい。早稲田は東大の次のポジションだと思った瞬間,早稲田卒業生の人生からは,何もなくなってしまいます。(加藤崇 p38)
 他人のものを右から左へ動かしてさやを抜くのではなく,クリエイトをしろ,ということです。これはとても重要なことで,みんながピケティを信じて資産転がしをやり始めた瞬間に,GDPは縮小します。そういう世界でも何人かは,リスクをテイクしてクリエイトする方向へ行かなくてはならないんです。(加藤崇 p39)
 スティーブ・ジョブズがアップルに戻ったとき,「Think different.」というキャンペーンを行いました。人と違うことを考えよう,という意味ではありません。(中略)「I Think it different」,「俺,それは間違っていると思うよ」ということ。つまり,世の中は間違っている,ということ,もっと言えば,俺が正しいという意味です。(加藤崇 p40)
 彼の息子には好きな女の子がいて,でも,その気持ちをなかなか伝えられずにいます。そしてそれについての相談を,父親にする。すると,父親はこうアドバイスをします。20秒間だけ恥をかく勇気を持てれば,必ずうまいく。人生はその連続だと。(加藤崇 p41)
 議論は大半がマクロです。日本企業ってダメだよねとか,あの会社はダメだよねとか。しかし,そのマクロの中にいる人が成功するかしないかというミクロの話とは別です。難しいことですが,僕はその違いを意識するようにしています。(加藤崇 p45)
 (選択を迫られたとき,決め手となるものは何ですか)直感です。では,その直感は何でできあがっているかというと,哲学です。では僕の哲学は何かというと,フェアであることであり,判官贔屓です。弱い者の味方です。これには僕が小さいときに貧乏生活をしていたことも影響しているでしょう。(加藤崇 p47)
 台風の規模は,発生する海域の海水温の温度が0.4度上がるだけで,平均して2倍にも大きくなります。(出雲充 p75)
 ベンチャーは,最初に手を差し伸べてくれた企業のことを一生忘れないということです。ご恩は必ずお返しします。(出雲充 p86)
 ベンチャー,アントレプレナーに最も必須の素養は何かと聞かれれば私は必ず,それは1番にこだわることだと答えるようにしております。(出雲充 p87)
 たった一度の挑戦で成功する可能性は低いです。うまくいく可能性は1%,ということはうまくいかない可能性は99%ですから,ほとんどの人が挑戦しません。では,2回挑戦したらどうなるでしょう。2回続けてうまくいかない可能性は,0.99の二乗で98.01%となり,成功する確率は1.99%に上がります。(中略)100回繰り返すと,63%になります。(出雲充 p91)
 僕は1981年生まれで,グーグルの誕生に立ち会った世代です。(中略)あんなにシンプルな検索ボックスにキーワードを入れるだけで,世界中の情報に簡単にアクセスできることに,とても感動しました。にもかかわらず,仕事になった瞬間に,気合と根性の世界です。なぜ,こんな非合理的なことがまかり通るのか,(中略)他社の友人に聞くと,やはり同じような問題を抱えていました。日本だけでなく,UBS証券のロンドンオフィス,ニューヨークオフィスの同僚も同じです。(梅田優佑 p105)
 お金を儲けたいから,起業したいからと起業することを否定しませんが,そういう人たちが大変な時期に何をよりどころにしているのか,不思議です。柱になるのはビジョン。それは『ビジョナリー・カンパニー』に書いてあることで,その大切さに気がついたのは,読むのを投げ出して8年くらい経ってからでした。(梅田優佑 p118)
 最初に決めるべきは誰と一緒にバスに乗るかなんです。このメンバーの人選が間違っていると,勝てる試合にも勝てません。(梅田優佑 p119)
 交渉の際に心がけていたのは,すぐに航空券を買ってすぐに飛ぶこと。電話やスカイプでは絶対にダメです。(梅田優佑 p129)
 ニュースと,ニュースによって起こる周辺の反応がセットになることで,ニュースの価値が上がる。これをなんとかネット上で再現できないかと考えた結果が,今の(NewsPicksの)設計につながっています。(梅田優佑 p131)
 そのときにリアルビジネスとはこういうものだと実感し,論理の積み重ねでは新しいものは生まれないことを知りました。ゼロからイチを作るのは,感性なのです。では感性はどこから出てくるかというと,五感をフルに刺激することで生まれます。勉強をするのではなく,五感を刺激するインプットを得ること。これに尽きます。(梅田優佑 p132)
 もうひとつ,厳選の価値を高めます。情報過多な時代だからこそ「これだけを読め」と言ってくれるならいくらか払うというニーズはあるはずです。(梅田優佑 p135)
 さて梅田さんが課題としている英語について,私は一昨年『日本人の9割に英語はいらない』という本を書きました。梅田さんも英語が不要かと言えば,NO。ビジネスで英語を必要とする1割の人は,バイリンガルのレベルの英語が求められます。実は私もマイクロソフトに入ったときは英語がまったく話せませんでしたが,現在はバイリンガルのレベルです。そのためにやったことは,英語をひたすらに聞くこと。3000時間が目安です。1000時間は学生時代に聞いているとして,残り20000時間を聞き続けると,少しずつたまったコップの水がこぼれるように,英語が出てくるようになります。CNNがオススメ。(p139)
 人間は社会の中で生きているので,脳は,その社会の常識を無意識のうちに反映してしまいます。だから,自分の頭で考えることはなかなか難しい。(出口治明 p146)
 日本の伝統的な企業では,ボードメンバーが10人いたとしても,おそらくその全員が50代,60代のおじさんばかりです。そうすると,個人個人がいくら優秀であっても,会った人,読んだ本,行った場所はかなりオーバーラップしているはずです。(出口治明 p152)
 ダイバーシティという言葉は,多様な情報交換のしやすさと言い換えてもいいと思います。情報交換しやすい方が,勉強ができて,いい仕事ができます。(p153)
 楽をしたい,いい思いをしたい,サボりたいという気持ち,怠け心が,実はイノベーションを生み出すのです。これは,真面目に仕事をしていてはあかんということではなくて,真面目に仕事をしているだけでは新しい発想が出てこないということです。(出口治明 p154)
 僕は6年間経営をやってきて,自分の商売のことは自分で発信しなくてはならないという当たり前のことを改めて学びました。ほかの誰も代わって発信してくれません。(出口治明 p160)
 経営をしていてつくづく思ったのは,人間の社会で生き残るのは,賢い者や強い者ではなくて,変化に対応した者だけだということです。これはダーウィンが進化論で言っていることですが,その通りだと思います。(出口治明 p161)
 20世紀はものがない時代,21世紀はものが溢れる時代です。(中略)ものが溢れた時代には,ファンをつくることがキーになると思っています。(出口治明 p166)
 機械は人間に勝てない,どれだけ機械が進化しても,人間は人間の影響しか受けないのだ(出口治明 p168)
 死ぬほど考え抜いて起業を決めるなどというのは,出来の悪いビジネス書に書いてある幻想です。(中略)歴史もそうで,劇的なことがあって時代がステップアップすると思いがちです。(中略)世の中は,徐々に変わっていくんですね。(出口治明 p171)
 唐の太宗・李世民は,将来,何が起こるかは誰にもわからないが,悲しいことに教材は過去にしかないという趣旨のことを言っています。歴史を学ぶ意味はこれに尽きると思います。(出口治明 p176)
 どんな能力も頑張れば身につくというように,傲慢に考えてはいけないと思っています。ただ,ボルトのように走るよりは,ビジネスの方がはるかに簡単だとは思うのですが。(出口治明 p178)
 高槻亮輔さんの話からまず学んでほしいのは,「リアルオプションを増やせ」ということです。(中略)それは人生においても,そう。例えば,多様な人と付き合う。そこで,自分だけでは知り得ない世界や知識に触れることができます。そして,多様な力を組み合わせることで,新たな可能性に挑むことができます。(p205)
 ビジネスにはリアリティとディテールが必要です。マクロで全体感を捉えることも大事ですが,しかし,特に消費財を売るビジネスの場合は,いかに消費者に財布を開いてお金を払ってもらうかという話なので,現地に何度も,いろいろな時期,いろいろな時間帯に行って,いろいろな情報を得ないと,うまくいきません。(高槻亮輔 p208)
 (ハラールファンドの次にやりたいことは何ですか)何も考えていません。事業開発のしごとは,計画してできることではないからです。ハラールファンドはあと9年ありますが,その9年間でどんな経験や人脈を築けるかはまったくわかりません。今の時点で9年後のことを考えると,非常に狭い未来しか見えてこないと思います。(高槻亮輔 p208)
 未来は過去の延長線上にはありません。(中略)15年前と言えば,IT起業ではiモードが普及し始めた頃です。当時はマイクロソフトもインターネットに対しては半信半疑でした。15年前と今とでは社会は大きく変わりました。(田中栄 p215)
 グローバルではすでに手数料0円のネット決済サービスもいくつか登場しています。こなってくると,わずかな手数料よりも,その人が何を買ったか,という情報の方が価値を持つようになるのです。(田中栄 p222)
 人工知能が本当に使えるようになったのはつい最近。理由は人工知能に必要なストレージのコストが極端に下がり,コンピューティングの分散処理ができるようになったからです。これによって,認識や判断の領域でもコンピューターが人間を超え始めました。(田中栄 p230)
 オキュラスリフトを使ったことのある人はどれくらいいますか。(中略)360度広がる映像,その没入感は今までとは別世界です。そしてこれは,光ファイバーによるブロードバンド環境があるからこそ実現できるのです。こういう環境が生まれると,今まで平面上で楽しむしかなかったゲームやコンサートなどが,圧倒的なリアリティで体験できるようになります。(田中栄 p234)
 そういうコンテンツやサービスを誰がつくるのでしょうか。私はこの分野を日本がリードすると予測しています。(中略)なぜなら日本人は,面白いプラットフォームがあると,その上にいろいろなソフトをつくってしまうアマチュアのプログラマーやクリエイターがたくさんいるからです。(田中栄 p234)

2018年9月27日木曜日

2018.09.27 岡田光永 『15歳の「お遍路」』

書名 15歳の「お遍路」
著者 岡田光永
発行所 廣済堂出版
発行年月日 2005.05.20
価格(税別) 1,500円

● 『20歳の「日本一周」』が面白かったので,こちらも読んでみたいと思っていた。「元不登校児が歩いた四国八十八ヵ所」という副題が着いているが,著者の不登校は能動的なもので,引きこもっていたわけではない。
 たぶん,文章には大人の手が入っている。15歳が書いたにしては大人受けしすぎるから。

● 以下にいくつか転載。
 僕はひとりだと,どんどん弱っていく。1人より2人,2人より3人,誰かがそばにいないと生きていけない人間なんだ。このお遍路も,誰も話しかけてくれなくて,自分からも話しかけることができなかったら,2日ともたずに東京に帰っていたんじゃないだろうか。(p81)
 きのう,健脚だなぁと思ったほっさんが,今日は自分のかなり後方にいる。15キロの荷物がないのは,ここまで大きいのだ。(p84)
 自分を助けてくれた人の気持ちも一緒に連れて巡礼をする。(中略)僕はひとりじゃない。たとえひとりで歩いていても,そこには服部さんや皆の思いが一緒にいるのだ。(p92)
 中だるみのことを教えてくれた老人によると,その解決法はただひとつ,「自分を甘やかすこと」だそうだ。(p142)
 今こうして帳面を見ると,この2か月弱のお遍路で出会った人の数は,今まで生きてきた15年間で出会った人数をしのぐほどだった。それくらい素晴らしい出会いが,八十八ヵ所にはあった。(p209)

2018年9月26日水曜日

2018.09.26 成毛 眞 『成毛眞の本当は教えたくない成長企業100』

書名 成毛眞の本当は教えたくない成長企業100
著者 成毛 眞
発行所 朝新聞出版
発行年月日 2014.09.30
価格(税別) 1,300円

● 4年前に出版されたもの。ので,この中から投資先を選ぼうとするなら,追跡調査が必要。この本から学ぶべきは目の付け方であって,100%本書に倚りかかるのはそもそも不可。
 スルガ銀行も推奨されている。故意に隠されたものを見破るのは難しい。いよいよにならないと表に出てこない。東芝しかり。

● 以下にいくつか転載。
 2008年に韓国銀行がおもしろい報告書を発表している。タイトルは『日本企業の長寿要因および示唆点』だ。それによると,世界には創業200年以上の企業が41カ国に5586社あり,実にその半分以上に当たる3146社が日本に集中しているというのだ。(中略)韓国には創業200年以上の企業は1社もなく,創業100年まで条件を緩めてみても2社に限られる。同様に,中国にも老舗企業はほとんど存在しない。(中略)日本は職人をリスペクトするくにだ。(中略)優れたものを作る技術が強化され尊ばれるからこそ,職人はその仕事を選び,続けるのだ。ドイツにも長寿企業が多いのも理由は同じで,マイスター制度によって,技術が伝承される仕組みがあるからだ。(p90)
 東京をコンパクトにまとめたミニ東京=イオンがあるおかげで,マイルドヤンキーはそういった生活ができる。一方で,模倣された側の東京には,ほとんどイオンはない。(中略)これは興味深い現象を引き起こしている。(中略)イオンは東京のコピーのはずが,オリジナリティを持っている。これが,地方に新しい経済圏と文化をもたらしているのだ。(p133)
 少子高齢化は確かに日本の課題かもしれない。しかし,過去を振り返ると,日本の企業は課題を解決し,困難を克服することで伸びてきた。たとえばオイルショックのときには,できるだけ石油を使わない省資源,省エネルギー,リサイクルなどの技術が急伸した。これらがその後,世界がエコに注目したときに重宝されるようになった。それと同じことが,少子高齢化先進国の日本で再び起こる可能性がある。(p147)
 私は常々,社会人にとっての最終学歴は最初に入った会社名だと考えています。いい会社ほど,誰がどこの大学を出ているかを重視しなくなっているという印象を受けます。(p181)
 単に資格を多く持っているからといって転職が有利になることはありません。今まで一度もありませんでした。(武元康明 p182)
 武元 歴史ある土地の歴史ある企業には,MBA取得者というだけで門前払いというところもあります。 成毛 言葉を選ばずにいうと「うざい」ということでしょうね。(p183)
 中小企業でも,倒産後もオーナーと一緒に残務整理をし,部下を転職させた人が,そろそろ自分もというケースは,すぐに再就職先が決まります。(武元 p184)
 あまり簡単に転職を考えないほうがいいと思います。会社がなくなってしまうのであれば仕方ありませんが,新しい企業カルチャーに対してキャッチアップするのははたから見るよりもずっと大変なことですから。(武元 p185)
 日本の場合,ある企業でキャリアを築いたとしても,新たな環境ではそれは評価されないからです。選考の段階ではキャリアが評価されたとしても,転職したとたんにそれはリセットされてしまいます。(中略)ですから,キャリアがあっても,転職でステップアップできる人はごくわずかです。(武元 p185)
 海外でも,製造業関係者は転職を繰り返さないですね。(中略)日本は製造業が多い国なので,仕事を変わらない国になっているのかもしれません。(p185)
 かつては我々も,最初から決裁権者が出てきたほうが話が早いと思い込んでいました。権限がオーナーに一極集中されているような組織ですね。ところが場数を踏んでいくうちに,まずは担当窓口を通して話を詰め,商談の最後になって初めてトップが登場する企業のほうがいいと気が付きました。これは,組織としてしっかりした企業であることの証明です。(武元 p187)
 成毛 有望な企業に共通している特徴はありますか。 武元 あります。何と言ってもスピード感と先行投資です。(中略)トライする前にある程度は机上でも考えますが,実際のところは,やってみないとわからないと知っています。やってみてダメだったら,修復,修正,改善して,次の手を打てばいいという感覚です。今うまくいっている企業の共通点は,これです。(p189)
 ベンチャーキャピタルも同じです。千三つと言いますが,投資した企業のうち千に三つ,つまり0.3%しか成功しないのは仕方のないことです。その千に三つの企業の株価が1000倍になれば十分という認識です。プロでもそれぐらいの確率なのですから,個人が百発百中で的中させるのは難しいですね。(p190)
 よくない企業を千知っていないと,優良企業を,三つと言わず一つでも発掘するのは難しいですね。(武元 p191)
 市場変化に対応できなかった三洋電機やソニーのパソコン部門などに投資したり,就職したりしてはならない。人手不足に気づかずに人件費圧縮に明け暮れた「すき家」でアルバイトするのは無謀というものだ。(p193)

2018年9月24日月曜日

2018.09.24 有限会社養老研究所・関由香 『まる文庫』

書名 まる文庫
著者 有限会社養老研究所
   関由香(写真)
発行所 講談社文庫
発行年月日 2013.02.15
価格(税別) 838円

● 養老家の飼い猫“まる”を関由香さんが撮影した写真を1冊にまとめたもの。養老さんのエッセイ付き。
 これはアレですよ,猫好きじゃないと撮れない写真だ。それくらいのことは,ぼくにでもわかる。っていうか,ぼくにでもわかるくらいに,猫好きじゃないと撮れない写真なのだ。

● どうでもいいことをひとつ。養老孟司さんが使っているパソコンはレッツノートだ。

● 養老さんのエッセイからいくつか転載。
 動物はいい。気持ちが休まる。なによりいいのは,人間世界の価値観が通用しないことである。(p112)
 人間はもちろんだが,動物の習性を即断してはいけない。生きものなら,たとえ虫だって,やることはなかなか複雑なのである。(p119)
 動物は反応だけで生きているわけじゃない。「自分で動く」ものである。でも現代社会では,タバコですら吸いにくいのだから,「自分でなにかをする」機会がきわめて限定されてしまう。(中略)「自分から出す」のは,ほとんど言葉しかないから,クレーマーが増えるのと違うか。(p121)
 ネコのような孤独性の動物をペットにするために,人間はおそらく「ネコの幼児性を延長する」という選択をしてきたのだと思う。(中略)だから歳をとると,だんだん可愛くなくなる。どうしたって,幼児性が消えていくからである。(p122)
 欧米人は自立を尊ぶ。だから可愛くない。(中略)その代わり,状況に上手に反応できる。相手に依存しないからである。(中略)だから欧米人は世界のどこにでも広がる。状況がちゃんと判断できて,適当な行動を自分で選択できるなら,どこに行こうが,心配はない。その代わり可愛くないのである。(p123)
 ここまで利口な動物はサルだけだと思う。ただし,ここまで利口だと,死なれるとたまらない。(中略)やっぱりペットはかなりバカでないと,ペットにはならない。本当の家族になってしまうのである。(p125)

2018.09.24 西原理恵子 『きみのかみさま』

書名 きみのかみさま
著者 西原理恵子
発行所 角川書店
発行年月日 2010.07.30
価格(税別) 1,300円

● 西原理恵子さんの絵本。“世界の子どもたちの目を通して描く「生と死」の物語”とある。元々は「野生時代」に連載されたものだから,読者対象は大人だろう。

● ずっしりと重い。背景に貧困を置いているからだが,それだけだとしてしまうと,読み方が浅いと言われるのだろうな。貧困は場面要素のひとつ。
 ただ,それ以上の読み方が,今のところはできないでいる。どうも“感じる力”のある部分が欠落しているのかもしれないと自分を疑ってみる。“感じる力”というか,共感力というか。

2018年9月22日土曜日

2018.09.22 手塚治虫 『完全復刻版 リボンの騎士』

書名 完全復刻版 リボンの騎士
著者 手塚治虫
発行所 講談社
発行年月日 2009.01.13
価格(税別) 1,752円

● 全3巻。昭和29年12月に大日本雄弁講談社から刊行されたものの完全復刻版(少女クラブ版)。当時の価格は130円。ずいぶん,高かったのだと思う。

● アニメは1967年から放送されていて,全部ではないけれども,見てるんだよね。アニメなら何でも面白いと思っていた頃。

● 当時は気づかなかったが(気づいても忘れている),チンクという神さまの子供というか弟子というか,小僧のイタヅラがすべての源になっているのだな。
 手塚さんは,世界の神話や民話やおとぎ話の類を渉猟したらしい。



2018.09.22 一峰大二 『怪盗ルパン』

書名 ルパンの逮捕 怪盗ルパン1
著者 一峰大二
発行所 くもん出版
発行年月日 1997.12.12
価格(税別) 1,000円

書名 不思議な旅行者 怪盗ルパン2
著者 一峰大二
発行所 くもん出版
発行年月日 1998.01.10
価格(税別) 1,000円

書名 女王の首飾り 怪盗ルパン3
著者 一峰大二
発行所 くもん出版
発行年月日 1998.02.13
価格(税別) 1,000円

書名 ハートの7 怪盗ルパン4
著者 一峰大二
発行所 くもん出版
発行年月日 1998.03.30
価格(税別) 1,000円

書名 ブロンドの貴婦人 怪盗ルパン5
著者 一峰大二
発行所 くもん出版
発行年月日 1998.05.15
価格(税別) 1,000円

● 20日から3日かけて,怪盗ルパンを漫画で読む。モーリス・ルブランの原作は,少年と呼ばれた時期にいくつか読んでるんですけどね。初老と呼ばれる時期になったら,漫画で読み直す。

● ルパンといえばアニメの「ルパン三世」なんですけどねぇ。「カリオストロの城」は何度でも見たくなる名作ですなぁ。

● 面白かった。が,これはやはり文章で読んだ方がいいかも。子供の頃に読んだ少年少女向けの本で充分だと思うんだけどね。活字が大きいから,年寄りにはかえって読みやすいんだよね。

2018年9月19日水曜日

2018.09.19 松尾たいこ・江國香織 『ふりむく』

書名 ふりむく
著者 松尾たいこ:絵
   江國香織:文
発行所 講談社文庫
発行年月日 2010.09.15(単行本:2005.09.15)
価格(税別) 419円

● この絵本は二度目。

● 松尾たいこさんの絵が先にあって,その絵を見て,江國香織さんが文章を付けた。作家の「妄想力」に驚くためにある。
 桜の下にたたずむ犬の絵に,「もうお目にかかりません。でもすこしだけ,誰かのものになれてうれしかった」。
 男でもいるかな,こういうイメージを思いつける人。

2018.09.19 テリー・ファリッシュ(作)バリー・ルート(絵) 『ポテト・スープが大好きな猫』

書名 ポテト・スープが大好きな猫
著者 テリー・ファリッシュ
   バリー・ルート(絵)
訳者 村上春樹
発行所 講談社文庫
発行年月日 2008.12.12
価格(税別) 500円

● ストーリーが単純。だから,こちらが人物を造形できる。好物は何か,どこでどんな仕事をしてきたのか,兄弟はいたのか,小さいときはどんな子供で何をして遊ぶのが好きだったのか。そういうことをこちら側が勝手に想像できる。
 いや,そうしなければいけない。ストーリーを追うだけでダメ。ということを,村上春樹さんの解説を読んで思った。

● で,絵本を読むのと同じだなと思ったのが,オペラ鑑賞。オペラもストーリーは入り組んでいない。しごく単純。
 だから,登場人物の細部をこちら側が造形しなければいけない。そうしないとオペラを観たことにならないのかも。

2018年9月17日月曜日

2018.09.17 堀江貴文 『新・資本論』

書名 新・資本論
著者 堀江貴文
発行所 宝島社新書
発行年月日 2009.07.24
価格(税別) 648円

● これはね,貧困問題に取り組んでいる福祉系の人たちにまず読んでもらいたいと思った。ぶっちゃけ,福祉系の人って,福祉の世界に引きこもって思考を停止しているっていう印象があるんで。
 発行は2009年。リーマンで揺れていた時期。でも,今読んでも,古くなっているとは思わない。

● 以下にいくつか転載。
 そういう人たちをも救うシステムをつくるべきだとは思う。ただ,それは現状の経済が悪いからっていう問題ではないよねってことです。そういう人は経済が豊かなときもみんなの視界の外にいる可能性が高い。全体の経済の問題と一部の国民の生活ぶりとを一緒くたにして語ってしまうと,論点が見えなくなると思うんですよ。(中略)自分で殻に閉じこもっちゃったりするタイプの人っていうのは,どちらかっていうと個別の病理の類い,範疇に含まれることで,別の対策が必要になってくると思うんです。(p12)
 お金は最初から「しるし」である以上でも以下でもないわけです。経済活動の信用を媒介する道具であって,そもそもがバーチャルなものなのです。(中略)価値を交換する際の媒介は,デジタル信号でも何ら問題はない。(p21)
 信用は,結論的にいえば,自分なりの成功体験にもとづく自信からしか生まれません。(中略)僕は,これを「自分の心の中に打ち出の小槌をもつ」と言っています。(p23)
 その信用っていうのはコミュニケーションによって成り立つんですよ。(中略)居候してる人,何人もいますよ,結構いるんですよ。金持ちの人の家には,だいたい一人ぐらいは住んでる,いまいことやってる奴が。で,うまいもん食ってね。だから,すごいなぁって思いますよね,その違いが。コミュニケーション能力一つで,これだけ変わるんだって。(p40)
 貯めろ貯めろっていう人たちって,お金というものそのものに執着しているだけなんじゃないか(p47)
 バブルとその崩壊との間隔は,次第に短期化していくとは思います。インターネットの普及が大きいと思っていますが,どんどんどんどん,ノウハウやシステムは洗練されていっています。(中略)そうなると,バブルである期間の幅がものすごく短くなって,ショートタームでボラタリティ(価格変動)が繰り返されるようになるでしょう。(中略)みんなもそれをまた学習してきて,「あ,バブルって弾けたけど,また来るな」っていうふうに,気づいたり備えたりするんじゃないか。(p54)
 信用をつくる一番の方法は,投資をすることです。(中略)投資も,何もお金だけのことを指すのではありません。時間であることもあるでしょうし,じぶんができることをやってあげる=能力を投資するというケースもあり得るでしょう。重要なのは,リスクを取って自ら動く,ということです。(p59)
 ただ,分割で買った方がいいものもあります。たとえば車はローンで買うべきです,いまは絶対。(p73)
 クレジットカードといえば,使い過ぎによる多重債務ばかりがクローズアップされてしまう。(中略)でも,視線がそこだけに集中してしまうのは,かえって生活を豊かでないものにしてしまいます。支払いを最大で一ヵ月弱先延ばしできるというのは,クレジットカードが持つ機能の一つであり,使い過ぎの多重債務はクレジットカードを使う「人」の問題です。(p83)
 そもそも,企業社会で資本主義社会なのだから,企業とか経済に興味を持たないというのは考え方がおかしい。本当は,興味を持って当たり前なんです。ただ,そのきっかけが教育の現場に非常に少ない。(p87)
 額に汗をかいて働くというのはわかりやすいけれども,実際の労働は,頭の中で汗をかいたり背中に冷や汗をかいたり,いろいろな汗のかきかたがあるわけです。(p88)
 それぞれの人生においては,とりわけお金を巡る状況においては,必ずしも平等ではない。それが現実なのです。この現実を過不足なく直視できない人が,考えることを止めて逃避してしまう。現実と誰かに刷り込まれた理想とのダブルスタンダードを自分のなかに共存させておいておかしいと思わない。これが思い込みの始まり,短絡的な理解というものの正体なのではないでしょうか。思い込みに従うのは楽で簡単です。しかし,思い込みにはまってしまっているうちは,いつまで経っても悪賢い人たち,あざとい人たちによって不当に搾取され続けてしまいます。(p90)
 間に銀行が入ることに何のメリットがあるのか,と。普通の人々には審査機能がないっていうだろうけど,銀行にだって実質的には審査機能なんかないでしょうって。(p98)
 ルールを恣意的に運用するなんて簡単ですよ。情報格差を利用してるんです。(p104)
 ネット上にあるウソはもちろん,現実世界に何食わぬ顔で存在するウソにしても,ウソを見抜くためには「ウソであると論理的に導きさせる力」が必要です。この「ウソをウソであると論理的に導きさせる力」こそが,インターネット時代の基本的な「リテラシー」なのではないでしょうか。リテラシーは,自分が獲得してきた知識や体験,それにコミュニケーション力の総体だと思います。(p114)
 個人投資家はポートフォリオを組めません。手元の資金が小さいから,何百円という少額にならないとできないのです。(中略)個人投資家がポートフォリオを汲み出すと,今度は投資信託といった金融商品が成り立たなくなる。(p120)
 そこの経理をやっているのが,昔,うちの会社で経理をやっていた人なんですね。その人は,東大の僕よりも少し先輩なんですけど,結構,頭のいい人なんです。記憶力が抜群にいい。でも,その人は頭いいんですけど,起業はできないんですね。一方で,やっと高校を卒業したみたいな,大して頭も良くない彼は社長になって,その先輩を使ってるんですよ。なんだろう,マインドとかやる気とかがすごいんじゃないかな,彼は。だから,そういう人が会社をつくっちゃうんですよ。ああ,理屈じゃないんだなと思いますよ。だから,それはもうモチベーションの持たせ方,やらせ方の問題なんじゃないか。誰だってできるよ,という雰囲気をつくってあげるべきでしょう?(p133)
 僕に言わせれば,格差や不況は起こるべくして起こっている。そうさせるバイアスがかかっている,と言い換えてもいいかもしれません。「一番の原因は?」と問われたなら,既得権益にしがみついている人が多いから,としか言いようがない。自分,あるいは自分の身内というミクロなメリットを優先するあまり,全体の利益を損ねている人たちが想像以上にいるとしか思えないのです。(p148)
 ロケット自体は秋葉原で売っている部品を使って,国内にある技術力でつくれば,そう難しくなくできてしまいます。なのに,なぜ失敗続きなのか。それは,わざわざコントロールの難しい燃料を使い,ハードルの高いエンジンの製作を目指しているからです。(中略)目的が「汎用性のある商品を開発し,ビジネスとして成立させて,多くの人に夢やサプライズを与える」ということであれば,まずは利用可能なものを使い,ビジネスを文字どおり「テイク・オフ」させることが重要です。ところが,日本のロケット開発では,扱いや開発の難しいエンジンを自力で開発するという呪縛にとらわれてしまっている。(p150)
 飲食店はやはり水商売なので,あまりお勧めしません。誰にでもできる商売というのは,そのぶん競争も激しい。他人にない自分の特徴=情報格差が一つでもあったら,それをうまく利用することを考えたほうがいい。(p153)
 僕がよく見ているサイトに,全国の滑走路を網羅しているものがあります。(中略)もしアフィリエイトやネット通販をやれば,見ている人たちにとっては,超便利なサイトになるだろうと思うのです。そう,管理者自身も趣味や興味で始めたサイト(ブログ)が,ユーザーにとってはまたとない,スーパー・コンビニエントな「ポータルサイト」になるのです。(p156)
 ビジネスの基本は,みな同じです。少し真剣に考えたり,勉強したり,問題意識をもちながらネットを巡回していれば,そんな不安を抱く間もなくあなたのなかにアイデアが生まれるでしょう。あとは,おかしなところからお金を借りずに,思い切って行動することが肝心です。(p158)

2018年9月16日日曜日

2018.09.16 森 博嗣 『読書の価値』

書名 読書の価値
著者 森 博嗣
発行所 NHK出版新書
発行年月日 2018.04.10
価格(税別) 820円

● 知識を得るためにではなく,“思いつき”や“発想”を得るために,読書はするものだ。したがって,雑多な分野の本を読むのがいい。これが本書の要諦。
 読みながら気持ちが飛ぶのはむしろ読書の功徳の最たるもので,そのことについて自覚的であれ,と。ゆえに,遅読みがいい。速読は害でしかない。

● 以下に多すぎる転載。
 いずれにしても明らかなことは,僕がもの凄く沢山のことをすべて本から学んできた,という事実である。文字がすらすらと読めないハンディを背負いながらも,とにかく本を読むしかなかった。知りたいことは,活字を追うことでしか得られなかったのだ。(p21)
 僕が本から得た最大の価値は「僕が面白かった」という部分にある。だから,もし同じ体験をしたいなら,各自が自分で自分を感動させる本を見つけることである。同じ本が別の人間に同じ作用を示す保証はないからだ。(p23)
 文章を読んでも,本当の意味は理解できない。むしろその逆だといえる。意味が理解できたとき,初めて文章が読めたことになるのだ。しかし,多くの一般読者は,どうもそうではない。特に本を沢山読む方は,文章を読んでいる。文章をそのまま鵜呑みにしていて,その意味を自分の頭の中で展開していないようなのだ。展開していなければ,つまりちらりと見た程度の体験となる。(p28)
 近頃では,ベストセラの小説でも,数十万部程度の売行きである。それどころか,数万部売れれば,週間や月間ならベストセラになる。この数字は,一億人以上いる日本の人口からすれば,0.1パーセントにすぎない。つまり,多目に見積もっても,千人に一人しか小説を読まないのだ。(p43)
 大学生になると,専門の講義を受けることができる。これは,ほとんど本を読むのと同じ感覚だった。本を読めばわかることを,先生が直接教えてくれる,というだけだ。(中略)ただ,本を読んだ方が時間がかからないし,細かいところまでわかるし,明らかに効率が良い。(p49)
 文章からイメージを展開することが,小説を読むという行為だろう,僕は認識していた。だからこそ,読むのに時間がかかる。逆に,頭の中のイメージを文章に書き写すことは比較的時間がかからない。(p56)
 これくらいのものならば自分も書けるな,とも感じたのだが,それは明らかな勘違いである。まず,遠藤周作か北杜夫に匹敵するほどの人物にならなければ,誰も読んではくれないだろう。(p66)
 僕は,学生が書いてくるレポートを沢山読んだ。(中略)そして,それらのレポートに書かれている内容は,悉く「ありきたり」だった。(中略)千人に二人くらいしか,「なるほど,こういう発想は独自だな」と感心するようなものに出合わなかった。(p70)
 結局,本というのは,人とほぼ同じだといえる。本に出会うことは,人に出会うこととかぎりなく近い。それを読むことで,その人と知合いになれる。(p75)
 自分にないものを持っている人と知合いになることが,そもそも知合いになる価値なのではないか,と思えるのだ。(p77)
 さらに書いておきたい重要な事項がある。それは,本が面白いかどうか,すなわち,読んだものが当たりか外れかは,実はそれほどはっきりと判別できないということだ。(中略)面白いものを探して読めば面白い点を見つけられるし,つまらないように読めばたいていのものがつまらない。そのときの気分というか,読み手の状況や姿勢によって評価は一転するといっても良い。(p85)
 僕は,本を読むときに,まず,この本を読んで自分の意見や知識が塗り変えられることがあれば,と願っている。影響を受けたいという気持ちで読む。(中略)これは,人と話をするときも同じで,まずは,説得されたい,この人の意見に同調したい,という気持ちで聞く。そういった姿勢で受け入れることが,相手への礼儀だと考えている。(p86)
 どんな本もどんな人も,読んだり話を聞いたりしたら,第一に感謝をすることである。この気持ちが大事だと思う。感謝をすること,尊敬することで,その内容が僕の中で綺麗に留まり,優しく発展し,あるいは発酵し,違うものに展開するかもしれないのだ。(p87)
 人間関係というのは,お互いに責任がある。問題があっても,お互いに原因があるのだ。ただ,どうしても我慢ができない場合は,その人から離れるしかない。会わないようにする,という選択である。本の場合も,ほんのときどきそういった噛み合わないものがあるかもしれない。(中略)ただ,簡単にやめられるからといって,嫌いなものは読まない,という姿勢を貫いていると,結局は損をすることになるだろう。(p88)
 なんとなく,新しいことを求めているとき,今までになかった面白そうなことはないか,と探しているとき,そんな場合は,むしろ自分が知っている関連ではなく,遠く離れた他分野へいきなり飛び込むことをおすすめする。こういったことが比較的手軽にできるのが,本の良いところでもある。(p98)
 この「無作為」の選択法は,それなりに効果がある。好きなものを選ぶ,という選択では,すでに自分の頭の中にあるものに支配されていることと同じで,いわば不自由なのだ。無作為ならば,その支配から解放される。(p99)
 人が読んでいるものを避ける,ということである。(中略)書店でも,平積みされ,ポップが立っているような本は無視する。(中略)そうすることで,自分が得たものの価値が相対的に高まる。大勢が得たものならば,もう僕が得なくても,社会に満ちているものといえる。(p103)
 もし小説家になりたいなら,小説を読まないこと。もしエッセイストになりたいなら,エッセィを読まないこと。自分がそれでプロになりたいなら,もっと別のところに目を向けるべきだ。(中略)僕は,そもそも小説がそれほど好きではなかったから小説家になれた,と思っている。なにを書いても,これまでになかったものになる可能性が高いからだ。(p106)
 問題を解決することは,院生レベルでもできる。一流の研究者というのは,問題を見つける人のことなのである。(p115)
 詩は,オリジナリティを出すのが難しいけれど,着眼や言葉選びの先鋭さみたいなもので,優劣は確実につけられる。その点では,小説よりもわかりやすい。(p122)
 キーボードの文字の配列は,アルファベットだ。それは英語の文章を打つために考えられた配列なのである。かつては,複数の配列があったが,協議会などを行って,最も速く打てる配置が選ばれた。(中略)しかし,日本語でこれを使う場合は,ローマ字入力になるから,英語のスペルトは文字の出現頻度が違ってくる。(p132)
 残念ながら,プログラミングをする機会もあったし,英語で論文を書かないといけないので,僕はこのとき,平仮名入力に切り換えるのを断念した。後年作家になるのだから,切り換えておくべきだった。先見の明がなかったことになる。現在,僕は一時間に六千文字を打つ作家として知られているけれど,平仮名入力だったら,一時間に一万文字は軽く打てるはずである。(p133)
 作家になって,小説を書き始めたときも,まずは執筆のルールを明文化することが自分にとって急務だった。(中略)ルールさえ決まれば,それに則って書いていける。ルールが大事なのではない。余計なことで迷わない環境が重要なのだ。(p143)
 ついつい効果を狙って余分な強調をしがちであるが,それらを削ぎ落とした方が,文章が引き立つことも多い。残った言葉に重みが出てくるからだ。(p143)
 文章を書く技術を向上させるには,できるだけ文章を沢山読んだ方が良い,という人がいるが,これは効率が悪すぎる。(中略)やはり,文章をできるだけ沢山書くことが,文章が上手くなる一番の方法だろうと思う。音楽だって,聴いているばかりでは演奏は上手くならない(中略)アウトプットすることで初めてわかることが非常に沢山ある。(p144)
 英語だって,英会話能力よりは,英語が読めて,英語が書ける能力の方がずっと重要である。それができる人が少ないからだ。この点では,日本語とまったく同じだ。しゃべる能力なんて,大したものではない。特に,エリートに求められるのは,文章の読み書きである。(p145)
 知らないことがある,というのはもの凄く嬉しいものだ。それは,処女雪のような綺麗さである。そこへ足を踏み入れる,自分だけの足跡がつく,それが面白い。期待に胸が踊り,落ち着かないほどだ。(p147)
 僕の場合の話になるが,簡単にそれを量として捉えれば,文章を読んだとき,頭の中でその百倍以上はイメージしている。ものによって違うが,必要ならば千倍くらいはイメージを膨らませる。同様に,頭の中にある映像を文章に書き落とすときは,百分の一,千分の一が文字になる。(中略)論理を記述したものであっても,やはり,僕の場合は映像的な展開をする。(中略)これは,言葉で考える人には信じてもらえないことが多い。(p152)
 言葉で考えている人は,数字も言葉だと理解しているようだった。僕には,そういう人がどうやって計算をするのか不思議だ。(p154)
 知識を頭の中に入れる意味は,その知識を出し入れするというだけではないのだ。頭の中で考えるときに,この知識が用いられる。(中略)一人で頭を使う場合には,そういった外部に頼れない。では,どんなときに一人で頭を使うだろうか?それは,「思いつく」ときである。(中略)このとき,まったくゼロの状態から信号が発生する,とは考えられない。そうではなく,現在か過去にインプットしたものが,頭の中にあって,そこから,どれかとどれかが結びついて,ふと新しいものが生まれるのである。(p155)
 誰にでも共通して効果があるのは,やはり読書だと思う。それは,そこにあるものが,人間の個人の頭から出てきた言葉であり,その集合は,人間の英知の結晶だからである。(p160)
 インプットとしての読書の効率の良さを,連想,発想という面から指摘した。それらは,知識よりもはるかに大切なものであり,だからこそ,広い範囲の本を読むことに意味がある。自分の興味の範囲でとことん知識を深めていくことも大事ではあるけれど,それ以上に,無関係なものを眺めることが有意義なのだ。(中略)そして,そういった連想や発想を期待する読書において注意が必要なのは,ゆっくりと読むことだと思う。(中略)文字や文章だけを辿るのではなく,そこからイメージされるものを頭の中で充分に「展開する。それが可能な時間をとりながら読むのが良い。遅い方が良い読書だということ。読んでいるうちに別のことを考えてしまい,読書に集中できない,ということがあるけれど,それは願ってもない状況といえる。(p161)
 僕の場合,大学の教官になって,学生に対して講義をするようになってから,人に話すこと,説明をすることで,もの凄く記憶に残ることがわかった。つまり,教えることで覚えられるのだ。聴いている学生の頭には入らなくても,話している先生には効果的な勉強となる。(p164)
 僕はほとんどメモというものをしない人間だ。執筆する小説のストーリィさえメモしない。トリックもオチも,すべて頭から出さない。(p165)
 メモをしたから忘れるのだろう。外部に出すといっても,こういったアウトプットはむしろ書き留めたことで安心してしまい,頭の中のデータが消えてしまう,ということなのではないか。(p165)
 なかには,本の中から文章を抜き書きして,大量のコピィだけをブログに挙げている人もいる。おそらく,傍線を引いたのと同じ作業の一環だろう。そこをあとで自分で読み,そのときの気持ちを思い出すつもりだろうか。しかし,どう感じたかを記録しなくても良いのか,と心配になる。(p167)
 自分の感情を言葉にすることは,それほど大事なことだろうか。僕自身は,無理に言葉にすることで失われるものの多さが気になる。ぼんやりと,「ああ,おもしろかったなあ・・・・・・」と溜息とともに心に刻んでおけば,それで充分なのではないだろうか。(p172)
 論文などの科学的なものや,議論をすることに意義がある論考ならば話は別であるけれど,文芸作品に対する評論というものの意義を僕は認められない。僕にとっては,評論は必要ない,と考えている。評論をするのなら,その才能を使って新たな創作をした方が良い。その方が生産的だ。そうすることが,最も正しい芸術に対する評価になる,という立場である。(p173)
 人間というのは,つい理由を探すものである。これは,「言葉で思考する」という立場から導かれるものでもある。僕自身が言葉で思考しないので,そうも「理由」というものが単なる名称くらいにしか聞こえない。(中略)理由というのは,数学的にいうと,必要条件と呼ばれるもので,結果を導くために,この条件が必要だった,という集合である。しかし,その条件が満たされたからといって,必ず同じ結果になるわけではない。(p173)
 本を読んで感動したときには,本の中のさまざまな要因が複雑に影響しているし,本以外,読んだ人の環境などの影響も受ける。それらは分離することはできない。(中略)つまり,本の価値は,その本に特有の性質から生じるだけのものではない,ということだ。(p174)
 作文を書く目的の大半は,履き始める以前にある。何について書こうかな,と考えを巡らすその思考にあるのだ。(中略)文章を書く技法も,デッサンや絵の具の使い方も,それほど高等な作業とはいえない。現に,それらはコンピュータやAIが簡単に実現してしまう。問題は,どこに着眼するか,という最初の選択,最初の思考,最初の発想なのである。(中略)これをするのが,人間だ。(p176)
 ブログでも,テーマを限定しない方が,書く力がつく。本について書くと決めていると,それだけ考えなくなる。パターンが決まっているアウトプットは楽なのである。そして,そういったアウトプットが,パターンが決まったインプットを誘発するから,ますます閉じていく。こうして,才能が萎んでいくのである。(p177)
 その多くの読者は,それぞれの頭の中で,なんらかのイメージを思い描くことになるだろう。つまり,僕のアウトプットが行き着く先は,そこだ。したがって,僕は,結局はそれが僕の作品である,と考えている。本が単なるメディアあるのと同様に,本の中に書かれている文章もまた,その最終的なイメージを運ぶメデイアにすぎない。(中略)もし誰にも読まれなければ,それは書かなかったことに等しい。言葉や文章のアウトプットとは,そういう宿命にある。(p181)
 ネットが普及しても,まだ印刷書籍を宅配で送りつける販売システムが先行していたのである。このこと自体が,僕には理解しがたい状況だったが,でも,社会というのはそういうもの,すなわち鈍重でなかなか変われないものなのだな,と思うしかなかった。(p200)
 本というのは,不況に強い商品といわれていた。(中略)しかし,インターネットが登場し,暇潰しには事欠かない人ばかりになった。雑誌が売れなくなり,漫画も頭打ちとなった。そもそも,若者の数も総人口も減り続けているのだから,売上げが伸びることはありえない。(p207)
 出版というビジネスは,今後はどんどんマイナへ向かうだろう。「本」に拘っている場合ではないし,「文章」に囚われている場合でもない。大量にコピィして配布するというビジネスモデルも,根本的に見直す必要がある。(p216)

2018年9月9日日曜日

2018.09.09 出口治明 『本の「使い方」』

書名 本の「使い方」
著者 出口治明
発行所 角川oneテーマ21
発行年月日 2014.09.10
価格(税別) 800円

● 圧倒されることの快感。おったまげー。教え諭すというのではなく,本を読みなさいよ,読まないとダメですよ,と押し付けるのでもなく,自分の見解を声高に言うのでもなく,淡々と控えめに話しているような感じ。
 出そうとすれば300km/hは出るのに,法定速度を守って40km/hで走っているような。

● 以下に多すぎる転載。
 女性と時間をともにするより,本のほうが,楽しい。(p4)
 坂本龍一さんの頭の中には,幼少期から蓄えられたたくさんの音符があった。たくさんの音楽を知っていたからこそ,それを組み替えたり,組み合わせたりすることができたのです。仮に,小さい頃にモーツァルトしか聴いていなかったとしたら,世界的な作曲家になれがかどうかは,疑問です。(p22)
 人間は思考を行うからこそ偉大であり,人間の尊厳のすべては,考えることの中にあると思います。(p24)
 私は,人間が生きる意味は「世界経営計画のサブシステム」を生きることだと考えています。すなわち,人間が生きていく以上,「この世界をどのようなものだと理解し,どこを変えたいと思い,自分はその中でどの部分を受け持つか」を常に考える必要があると思っているのです。なぜ,「サブ」なのかといえば,「メインシステム」は,神さましか担えないからです。(p30)
 私の頭のなかでは,自分の目で見たヴェネツィアの光景と,本を読んで思い描いたヴェネツィアの様子が渾然一体となっていて,自分の目で見た光景がはたしていちばん強い記憶なのかどうか,正直自信がありません。(中略)実体験はたしかに強い影響力を持ちますが,本当に優れた映画や文学は,体験をゆうに凌駕する力があると思います。(p38)
 どんなことでも突き詰めていけば,世界に通じます。音楽が好きな人は,音楽を突き詰めればいいでしょう。音楽と深く広く接していけば,歴史や,経済などを知る手がかりにもなります。(p44)
 青田買いをしている起業の人事担当者は,全員「公金横領罪」で逮捕されてもおかしくないと思っています。大学に2兆円もの税金が使われているのは,日本の明日を担う学生に必死に勉強してもらい,すべての物事をゼロクリアして自分の頭で考える力を鍛えて,豊かな日本を築いてほぢいと納税者が願っているからに他なりません。それなのに,青田買いという慣習がすべてを反故にしています。(p52)
 日本の経営者の中には,「座右の一冊」として,たとえば『論語』を挙げる方がたくさんいます。『論語』はたしかに古典です。そのことに感心する一方で,残念に思うこともあります。なぜなら,『論語』といっても原点ではなく,一般向けに書かれた解説書だからです。(p54)
 もし,(私が)日本生命の影響を相対的に受けていなかったとしたら,その理由はおそらく,インプットの量が多かったからでしょう。(p55)
 本を読む人が少なくなると,既得権者や為政者が支配しやすい社会ができ上がると思います。(中略)日本の政治がブレやすいのは,有権者の多くが自分の頭で考えることなく時勢に流されやすいことも一因ではないでしょうか。(p67)
 古典は最良のケーススタディです。古典を読めば,人間と人間社会に対する認識を比較的簡単に得ることができます。一からすべて自分で考えなくても,「巨人肩の上に立って」,先人が積み重ねた教養をありがたく利用させてもらえばいいのです。(p92)
 未来を読むことは誰でもできません。世の中は常に変わっていきます。だとすれば,人より1歩先を読もうなどというムダな努力は捨て,川の流れに身を任せて,日々,与えられたことをきちんとやって生きていくのが私の好きな生き方です。無理して先を読むよりも,起こってしまった変化に適切に対応するほうが,はるかに重要です。(p93)
 木田元さん(哲学者)がよく言われているように「きちんと書かれたテキスト(古典)を1字1句丁寧に読み込んで,著者の思考のプロセスを追体験することによってしか人間の思考力は鍛えられない」のです。(p95)
 たとえばアリストテレスに比べて,より優秀な解説者(学者)はまずいないのではないでしょうか。そうであれば,二流,三流の学者が自分流に注釈を加えた解説書を読んだところで,「本物」の思考を追体験することはできません。(p101)
 同時に何冊かの本を並行して読む人もいますが,私は1冊に集中するタイプです。(p121)
 私にとって読書は,著者との対話であり,基本的にはいつも真剣勝負だと思っています。人に会うときと同じで,こちらが真剣勝負を挑まなければ,相手からは何も返ってきません。(p122)
 学生時代からノートを取るのが嫌いでした。算数(数学)は計算をしなければいけないので,しかたなくノートを使いましたが,それでも極力書かないようにしていました。(p124)
 私は,目次をほとんど読みません。繰り返しますが,私は,本を読むことと,人の話を聞くことは同じだと考えています。人の話には,目次がありません。聞き飛ばすこともできません。(p129)
 「納得いくまで読み込んで,わからなければ戻る。それを繰り返しながら,1冊を食べ切る」のが私の読み方です。丁寧に消化するまで読み込みますから,1冊読み終えると,お腹いっぱいになります。特に好きな本でないかぎり,同じ本を再読することは原則としてありません。(p133)
 極論すればすべての成功体験は後出しジャンケンの最たるもので,読んだところで何か身のためになるのだろうか,といつも思うのです。成功者があとから自分を振り返って「こうしたから成功した」と述べたところで,それが次の成功をもたらす保証がどこにあるのでしょうか。(p135)
 人間は失敗から多くを学びますが,ビジネス書には,あくまで一般論ですが,大きな失敗例はあまり書かれていない気がします。(中略)本当に役立つ失敗例は,なかなか表に出てきません。私が知りたいのは,命に関わるような大きな失敗例です。(p136)
 ビジネス書のノウハウは,たいてい,極度に抽象化,一般化されています。ですが,人間の生き方も,考え方も,能力も,千差万別です。(中略)ビジネス書には「こういうときは,こうするのが正解」と書かれていたりしますが,実際には,当てはまらないケースのほうが多いのではないでしょうか。(p137)
 すべてのビジネスは,人間と人間がつくる社会を相手にしているのですから,「人間とはどういう動物なのか」を理解することを優先したほうがいいと思うのです。(p138)
 誰が考えても同じ結論に行き着いたり,誰にも容易に検証できるものこそ,真理であり,相対的に正しいものだと私は考えています。なぜそう考えるのかというと,人間の思考力は,歴史的には「観察→実験→シミュレーション」という3段階を経て養われてきたと思うからです。(p142)
 私が「江戸時代」に最低の評価を下しているのは,江戸時代が「栄養失調の社会」だったことが数字でわかっているからです。(p146)
 人間ができることは,実はほんの少ししかありません。自分が置かれた場所で,自分にできることを精一杯やっていく,それが難しければ居場所を変えることぐらいのものです。しかし若いときには,必ずしもそれがわかりません。(中略)それは青春時代に許された一種のぜいたくと言っていいのでしょう。(p154)
 読み方は,20代でも,30代でも,60代でも同じです。感じ方は年代ごとに異なっても,本の読み方は同じだと思います。一所懸命おもしろい本を読んでいけばいい。それだけです。(p155)
 自分が感じたこと,腹落ちしたことは,言語化して初めて整理できるのです。したがって,本や人から得た情報を脳に焼き付けておくには,言語化する必要があります。(p156)
 私はかつて,「アウトプットよりインプットのほうが大事だ」と思っていた時期があります。水槽に水を入れていけば,放っておいても水が溢れるのと同じように,インプットの量を増やしていけば,放っておいてもアウトプットできると考えていたわけです。ですが,実際はどうだったかというと,私自身,インプットした内容をすぐにアウトプットしていた気がします。(p158)
 先日,三井物産の槍田松瑩会長と対談をする機会がありました。槍田会長が「何かを知りたくなったらすぐに話を聞きに押しかける。そして,感動して帰ってきたら,誰かをつかまえて全部話してしまう」と言われたのを聞いて,最高の勉強方法だと思いました。(p159)
 最近では,新社会人の離職率の高さを問題視する向きもありますが,私はむしろ,いい傾向だと考えています。成長分野へ人が移っていかなければ,社会は停滞するからです。(p174)
 親が子どもに教えるべきことの第一は,「人間は顔形もみんな違うのだから,考え方も違って当然だ」というファクトに尽きると思います。ところで,自分に合った,人と違う考え方ができるようになるためには,ある程度インプットの量を増やさなければなりません。(p183)
 親が子どもに読み聞かせをするときも,親が本心からおもしろいと思う本を読んで聞かせるのがいちばんいいと思います。親が「名作らしいが,何だかこの本おもしろくないな」と思っておざなりに読んでいたら,子どもにも伝わります。(p184)

2018.09.09 堀江貴文 『すべての教育は「洗脳」である』

書名 すべての教育は「洗脳」である
著者 堀江貴文
発行所 光文社新書
発行年月日 2017.03.20
価格(税別) 740円

● 堀江さんが説くところと,phaさんの説くところが,似ているというか,かなりの部分で同じ。片や世界中を飛び回り,片や働くのや人とのコミュニケーションはダルいという。
 が,この2人,けっこう以上にウマが合うんじゃなかろうか。

● 以下に多すぎる転載。
 僕は,「高学歴の若者たち」がカルト宗教に洗脳されたことを,特に不思議とは思わなかった。僕の眼に映る彼ら学校教育のエリートは,「洗脳されることに慣れた人たち」だった。もともと洗脳に慣れた人たちが,信仰先を変えただけ。そんな風に感じたのである。(p17)
 知識とは,原則として「ファクト」を取り扱うものだ。主観の一切入り込まない事実(ファクト)にもとづく知。それが知識である。一方,常識とは「解釈」である。主観の入りまくった,その時代,その国,その組織の中でしか通用しない決まりごと。それが常識である。(p20)
 学校はもともと,子どもという「原材料」を使って,「産業社会に適応した大人」を大量生産する「工場」の一つだったのである。(p25)
 国家のために働き,税を納め,子を産み,果ては国家のために戦地に赴くような「国民」を育ててこそ,国民国家は成立する。(中略)そうした国民意識の形成には,学校教育が欠かせない。人間に何かを仕込むには,幼く,判断能力の低いうちに行うのがもっとも効率がいい。(中略)だから世界のどの国でも,学校の誕生・発展はナショナリズムの台頭と連動している。(p29)
 インターネットがもたらしたものについて,「国境がなくなった」と考えている人は多い。遠い外国の情報を瞬時に,リアルタイムで入手できるようになったと。しかし,インターネットがもたらした本当の衝撃は,国家がなくなることなのだ。(中略)「日本に住む日本人である」ことよりも,「インターネットがつながっていること」「アマゾンの配達が届く場所であること」「スマホの充電ができること」の方が,日々の生存戦略に関わってくる。(p37)
 結局のところ,「別の世界」というイメージを作り出すのは,「接触コスト」だと言える。(中略)しかし,今やテクノロジーの進歩によって,このコストが限りなくゼロに近づきつつある。(中略)それはすなわち,「国民国家」というファンタジーの瓦解を意味する。(p40)
 人はもう,大概の場所に簡単に行けてしまう。簡単に行けるということは,あえて行かなくてもいいということだ。「場所」の意味がうしなわれたとき,都道府県も国民国家も,すべては「人生を楽しむためのファンタジー」に変わるのである。(p41)
 家を持たず,住む場所にこだわらない生き方自体は,実は誰にでもできる。バックパッカー旅行の延長だと考えてみればいい。(p54)
 G(グローバル)人材の最大の特徴とは何か。それは実は,「所有からの解放」にある。(中略)インターネットは,人とあらゆるモノ,そしてモノ以外を繋ぐ最強のインフラとなった。G人材とは,このことを心から理解し,最大限に利用している人たちのことを指す。だから彼らにとって一番大切なのは,モノではない。情報だ。(p60)
 ひと昔前までは,情報もまた「所有」することに価値があった。みんなが知らない情報をたくさん持つことは権威の象徴だったし,高等教育によって得られる知識もその一種だったと言える。それが,インターネットの登場によって大きく変わった。情報は「所有すべきもの」から,「アクセスすればいいもの」へと変化を遂げたのである。(p62)
 スナップチャットは,アメリカを中心に,10代~20代のユーザーに熱烈な支持を受けているサービスだ。インスタグラムやツイッターと違い,上げたデータが最大でも24時間で消滅してしまうという特徴がある。(中略)「データがすぐ消えるなんて」と戸惑うのは,所有やアーカイブにこだわる古い世代だけだ。ネットネイティブ世代は,「画層がすぐ消える世界」の価値を直感的に見抜く。(p62)
 インターネットの登場がもたらした恩恵は,「他者と通信できる」ことではない。情報やモノ,あらゆるものの「所有」の価値を著しく下げたことなのである。これこそ,インターネットのもたらした社会変化が「情報革命」と呼ばれる所以だ。(p64)
 自国が貧しくても,手元にあるモノがいくら少なくても,インターネットに接続できる機器さえあれば,「所有」しているのと同じように,さまざまなものにつながれる。インターネットがもたらす効用は計り知れない。(p69)
 だから,日本の凋落を嘆くニュースに一喜一憂するのはやめよう。国が傾こうが,街の過疎化が進んでいようが,それ自体が人の運命を左右したりはしない。もう誰も,国と心中する必要はないのである。(p73)
 (安保法の)の反対派も賛成派も,多くは法案を理解せず,雰囲気に流されて声高に「反対」「賛成」と叫んでいるだけの人たちだった。そういう人たちは,たとえば本当に戦争が始まったら,みんなで一斉に戦争を煽る方向に進むことが多い。(中略)社会を悪しき方向に押し遣るのは,いつでもこうした「雰囲気に飲まれる」人たちなのだ。(p76)
 これからの人々の幸福の指標となるものは何か? 「感情のシェア」である。あなたが自分自身の「楽しい」や「嬉しい」「気持ちいい」といった「快」の感情をシェアすると,そこにたくさんの賛同者(いいね!)が集まり,つながっていく。そして,そのつながりが関わった人たち全員に豊かさをもたらす。この共感が,これからの世界を動かす原動力なのだ。(p78)
 貧しい人が逆転できるチャンスも,100年前とは比べものにならない。これからは,人がやりたがらない辛い仕事のほとんどはAIやロボットがやてくれるようにもなるだろう。人類はもう,モノを奪い合ったり,嫌なことを押し付けあったりして暮らす必要はない。(p81)
 これからの時代に重要なのはむしろ,「やりたいこと」のためにどれだけ本気になれるかだ。なぜなら,支持や共感を得られるのは,心からやりたいことをやっている人だけだからである。(p82)
 僕はこれまでの人生で,親や学校教育に忠実だったことは一度もない。僕が唯一従っていた相手は,何かにのめり込んでいく自分,つなわち「没頭」だった。(p85)
 学校は,あの手この手を使って,子どもたちの欲望にブレーキをかけさせる、そして,急ブレーキによって人生にエンストを起こさせるようなこの介入のことを,傲慢にも「指導」などと呼んでいるのだ。(p86)
 今学問と呼ばれている領域だって,言ってしまえば「誰かの没頭体験」のアーカイブだ。(p90)
 あれをしてはダメ,これをしてはダメ,禁止のルールを増やしていくことは,非常にコストの安い教育手法だ。教師たちは難しいことを考えず,ただ禁止の柵からはみ出した者を叩いておけばいい。(p97)
 これからの時代は,何の変哲もないオールB人材よりも,際立った特徴を持つ「専門バカ」の方が生き残りやすくなる。なぜなら,オールB人材の代わりはいくらでもいるが,「専門バカ」の代打が務まる人材はなかなかいないからだ。(p99)
 たとえば,「先祖供養のためにこの墓を買いなさい」「高濃度の水素水でダイエット!」などという宣伝文句にひっかかるのは,教養がないせいだ。最低限の科学的知識があれば,オカルト的インチキは一発で見抜ける。でもこうした教養は,学校教育など経由しなくても身につけることができる。というより,学校では身につかないのだ。(中略)「えらい人から教わる」式の学校教育では,真の教養は得られないのである。(p100)
 教養とは,それぞれが好きなことをしていく中で,必要なタイミングで身につけるものだ。(中略)人は,興味の持てないことをやらされている時には,さっさと片付けることだけを考え,問題意識を持ったり,それについていちいち調べたりはしない。のめりこんでいる人だけが,目の前のものを真剣に見つめ,それについて多角的に考える。(p101)
 安心してほしい。親に,教師に否定されてきた歴史があろうと,いつだって挽回のチャンスは有る。なぜなら,没頭する力は人間に標準的に備わっているものであって,枯渇したりはしないからだ。いつだって,蘇生する時を待っているのである。(p107)
 人は,「没頭が約束されたもの」に取り組んだときに没頭に至るわけではない。目の前のことにとことん取り組み,ふと我を忘れた瞬間がやってきた時に初めて,自分がそれに没頭していたことを発見するのだ。つまり,没頭を体験したいのであれば,何でもいいからとことんやってみればいいのである。(p109)
 自分を没頭まで追い込むための最良の方法は,「自分で決めたルールで動く」ことだ。自分でプランを立て,自分のやり方でそれを遂行する。それでこそ工夫の喜びや,達成感が湧いてくる。誰かの命じたルールに従い,それに合わせてただ体を動かしているだけでは,喜びも興奮も感じようがない。(中略)だから,どんなに小さくてもいい。自分でルールを設け,「自分で作り出したゲームをプレイする」状況を作ろう。(p109)
 誰にだってできることばかりだ。障害があるとしたら,「恥ずかしい」「失敗が怖い」くらいだろう。そんなものは,「無理」のうちには入らない。(中略)「失敗が怖い」くらいで臆するのは,あまりにももったいないというものだ。(p114)
 そもそも,「仕事につながる趣味」などこの世界には存在しない。誰かが自分の没頭の中からつかみだしたものが,仕事になったり,お金になったりするだけなのである。(中略)後先考えない没頭から,新しい仕事へとたどり着く。こうした例をよく知っている。(中略)目標からの「逆算」を思い切ってやめたほうが,得られるものの可能性は大きく膨らむのである。(p117)
 「サッカー選手になれる確率は低い野田から,サッカーにハマるのは無駄だ」。これは裏を返せば,「サッカーをやるからには,サッカー選手にならなければならない」という謎の強迫観念にとらわれているということだ。サッカーという入り口は,サッカー選手という出口にしかつながっていない・・・・・・とても窮屈な考え方だ。(p122)
 貯金は「無駄」。それが僕の,昔から変わらない考え方である。なぜか? 「貯金」は,ただの現状維持に過ぎないから。1万円を使わないことで「1万円のまま」残す。そこには何の成長も,喜びもない。(中略)1万円を「使う」ことによって10万円へ,100万円へと増やしていくように,自分自身の市場価値を高めていくのだ。(p128)
 「貯金型思考」の人が重んじるのは,「蓄える」ことだ。蓄える対象は,お金だけではない。モノ,学歴,肩書き,資格など,「価値があるとされているもの」全てである。そして,「蓄える」ことに不可欠なマインドは,なんといっても「我慢」だ。(中略)一方,「投資型思考」に必要なマインドは,勇気やワクワク感だ。投資とは,「お金を使う」こと。的確に先を読み,自分がいいと決断したところに積極的に使っていかなければ,リターンは決して得られない。(中略)あなたの価値を最大化するのは,「どれだけ我慢をしたか」ではなく,「どれだけ自ら決断をしたか」なのである。(p130)
 世間で言われている自己投資のほとんどは,その目的を果たしていない。なぜなら,そもそものベースが「投資型思考」になっていないからである。(中略)そもそも学校に通うという方法は,費用対効果,時間対効果があまりにも悪い。(中略)起業家の考え方を知りたいなら,セミナーなんかに行かなくても,その人の著書を読んだり,SNSで発信されている情報を得れば十分だ。簡単に目的を達成する手段があるのに,わざわざ学校やセミナーに通うのは無意味な遠回りだ。そしてリターンが少ないということは,それは「投資型」ではなく,「貯金型」にとどまっているということなのである。(p133)
 日本人は,預貯金の利率が皆無に近くても投資より預貯金を取る。つまり,もっと大きな価値を得られるチャンスよりも,「ゼロリスク」であることを選ぶのだ。(中略)失敗のリスクを下げる一番簡単な方法は,「変化」を避けることだ。だが,この方法では必然的に,「良い変化」も捨てることになる。(p135)
 預貯金の実態は「貸し付け」だ。預貯金がないと困るのは,実は僕たちではなく金融機関の方なのである。つまり金融機関は,人々の老後を本当に気づかって貯金させようとしているのではない。「お金を貸してくれ!」と必死に主張しているだけなのだ。「いざという時」という概念は,そのために利用しているフィクションでしかない。(p138)
 「人生のここぞという場面でお金を一気に投入すべし」。この理屈自体には,僕も反対しない。その通りだ,とすら思う。「ただし,僕の考える「持っているものを大胆に使うべき大事な場面」は,結婚する時でも老後でもない。それは「今」だ。多くの人が勘違いしているが,そもそも人間は「今」しか生きられない。過去はただの思い出だし,まだ存在していない未来のリスクをかれこれ考えるなんて無駄だ。(p142)
 「投資型思考」の人間た大切にするべきは,「コスパ」だ。時間対効果,費用対効果がよくなければ,それは「投資」にはなり得ない。(p144)
 「みんながやっている努力」をやってもいきなり突き抜けるのは難しいが,「誰もやっていなかった」領域なら,一足飛びで大きなリターンが生まれる確率は高い。(中略)使うべきは,時間でも労力でもない。お金ですらない。「頭」なのだ。(p147)
 より「レア」な人材になればいいのである。代わりがいくらでもいるポジションではなく,「多少のお金を積んでも,この人でなければ困る」と思わせる地位を得れば,あなたの時価総額はたちどころに上がっていく。たとえば,こんな二人を考えてみよう。一人は,自動車免許を持っている,早大卒の商社マン。もう一人は,ムエタイの達人で,歌手活動もしている女子高生。あなたは,どちらに価値を感じるだろうか。(中略)では,そのレアさ,つまり希少性は何によって作られているのか? それは,彼らの付加価値を示す要素,言わば“タグ”である。(p149)
 「1万時間」を三つ揃えるのも,もちろん方法としてはありかもしれない。だが,組み合わせ次第では,それらを完全に飛ばして,いきなり100万分の1の人材になることもできるのだ。僕としては,そちらを狙うことをお勧めしたい。(p152)
 面白ければ,ユニークであればいい。僕がそう言い切れるのは,手軽に「レア人材」になった人たちが,そのことを踏み台に,着実に次のステージに進むのを見てきたからだ。みんな,もっとインスタントに「唯一無二」の存在になって,そのメリットを利用しつくして次へ進めばいいじゃないか。僕は本気でそう思っている。(p153)
 大切なのは,思考を柔らかくし,あらゆる可能性を想像してみることだ。アイデアを膨らませれば膨らませるほど,世界は何でもありだということが見えてくる。(中略)その自由な視点こそが,投資的な行動のためにもっとも必要なのである。(p154)
 自分が今までの努力で得てきたものを,なんとか未来にも活かしたい。そこに費やしてきた時間を無駄にしたくない。そういった未練とは潔く手を切ってほしいのである。あくまでも,「今」あなたが何をしたいのかが出発点だからだ。(p155)
 手持ちのものをうまく使うことだけを考えている人と,「これを作りたい」というビジョンがはっきりしている人。どちらの方がパフォーマンス高く理想を実現できるだろうか。そして何より,どちらの方が,お客にとって理想的な空間になるだろうか?(p157)
 近年,特に価値の下落が著しいのは,「国家の承認によって権威づけられていたタグ」だ。つまり,学歴や国家資格である。わかりやすいところで挙げると,弁護士資格がそうだ。(中略)不動産鑑定士だってそうだ。(中略)今となっては「食えない」資格として名高い。(p158)
 僕が問題視するのは,こうした考え方に反発する人たちの,「時間をかけ,苦労や我慢を重ねて得るものの方が,短い時間で手に入れるものよりも価値が高いはずだ」という,根拠のない思い込み--つまり思考停止である。(中略)僕は,「10年の修行」にこだわって思考停止する人たちよりも,彼らのように本来の目的を見失わず,質の高い努力で素早く世に出ていく人を応援したい。そして,あなたにもできたら後者であってほしいと願っている。(p163)
 投資的な思考が下手な人間には,共通点がある。彼らは,やたらと「確実な予測」を欲しがるのだ。しかも,自分では一切考えず,誰かの言葉に頼る。(p165)
 僕がスマホに入れているアプリはどれも平凡なものである。僕は決して,「特別な」情報や「確実な」予測を元に動いているわけではないのだ。僕の行動のきっかけになるのは,普段の生活の中で得たちょっとした発見や,「これ,いいじゃん」という単純な関心なのである。(中略)僕は自分の「いいじゃん」という感覚を信じている。(p166)
 「予想外の出来事」は,予想できないから予想外なのだ。では,あなたが読むべき対象は何か。「自分」だ。自分が求めているものは何か,やりたいことは何か。今この瞬間,どんな生き方ができたら幸せなのかを真剣に考え抜くのである。それが,あなたが何に資本を投じるのかを決める原動力となる。(p169)
 そして,価値のゆらぎを恐れてはならない。むしろ変化するのは正常だ。毎日,瞬間ごとに自分の判断を更新していくべきなのだ。その覚悟があれば,未来予測など不要だ。(p168)
 多くの人たちが,「月曜日が憂鬱だ」「宝くじがあたったら会社をやめたい」などと言うのは,その人たちが会社で行っているのが,秩序のための労働であり,軍隊の行進練習のようなものだからだろう。面白くもなんともなくて当然だ。つまり,会社に行きたくないあなたは,働きたくないのではなく,単に退屈しているのである。(p175)
 おそらく今後,かつて絶対に不可欠なものとされてきた共同体の多くが解体されていくだろう。国民国家しかり,会社しかり,学校しかり,さらには家庭しかりだ。それぞれぼんやりした形は残しながら,もっとゆるやかでフレキシブルな,集合と離散を繰り返す共同体になっていくと僕は考えている。理由は簡単だ。閉じた共同体なんて,もう時代に合っていないのだ。(中略)昔はあらゆるものの備蓄・交換・伝達・移動のコストが高く,人が完全に一人で生きていくのは困難だった。好き嫌いを問わず,生存戦略として,無理やりにでも固定化されたコミュニティい所属するしかなかったのだ。でも,今はその必要は全くない。(p179)
 僕は今後会社というトップダウン式の大型組織を作ることはないだろう。もう,そんな形の組織で仕事を回す時代ではなくなったのだ。(p181)
 現代人はもう,年齢のことを気にしなくていい時代に突入しているのだ。テクノロジーの恩恵は,10歳だろうが90歳だろうが等しく受けられる。ならば,10代でも20代でも,30代でも80代でも同じことをしていいはずだ。(中略)いちいち年齢で人生を区切り,大学,就職,老後というライフステージのことを考える習慣は,工場労働時代の名残でしかないのだ。(p188)
 人生なんて極端でいい。偏っていていいはずだ。その許可を自分に出せば,生きるのがもっと楽になる。(中略)みんながやりたくないことを潔く手放し,やりたいことを通じて周りに貢献するようになれば,むしろこれまで以上に生産的で,イノベーティブな社会がやってくると確信している。なぜか? 嫌な仕事がなくなったら,人はヒマになって「遊ぶ」しかなくなるからだ。(p192)
 「遊び」と「飯の種」の間に太い線を引いている人に,「新しい飯の種」を生み出すことなんでできない。彼らはいつまでも「会社が供給してくれる,すでに仕事として成立している仕事」だけを追い続ける。そしてその仕事は,テクノロジーの進歩によってみるみるうちに消滅していくのだ。(中略)だからもっと全力で遊ぼう。「社会人が遊んでばかりいてはいけない」などという考え方はすでに流行遅れでしかない。楽しいと思えることの中にこそ,未来はあるのだ。(p196)
 「絶対においしいものを食べる」。そう決めて店を厳選し始めると,本当に信頼できるのはネットのグルメサイトなんあkではなく,焼肉,寿司,フレンチなど,個別のジャンルに特化したキュレーターたちだ。(p199)
 この数年,残念に思ってきたことがある。それは,「ほとんどの人は,何かを読んで感銘を受けても行動には移さない」ということだ。(中略)多くの人が,ほんの小さな「最初の一歩」を恐れる。そして,「踏み出す勇気がないので,叱咤激励をお願いします」と他人に甘える。だが,それではダメだ。その習慣こそが,学校教育によって植え付けられたものなのだから。(p200)
 すべての教育は「洗脳」である。そして洗脳は,洗脳されていることを本人が自覚しない限り,本当の意味で解けることはない。(p205)
 自分の力を全て解放して生きることの喜びを,満足感を,ぜひ味わってほしい。(p206)

2018年9月8日土曜日

2018.09.08 嶋 浩一郎 『なぜ本屋に行くとアイデアが生まれるのか』

書名 なぜ本屋に行くとアイデアが生まれるのか
著者 嶋 浩一郎
発行所 祥伝社新書
発行年月日 2013.06.10
価格(税別) 780円

● 企画するとはどういうことかをわかりやすく説いている本だと思って,ぼくは読んだ。もちろん,本屋を覗くことの効用も。
 自分も本屋を時間つぶしの場としているので,何というか,自分にとって都合のいいタイトルだと思ったのが,この本を手にした理由。

● 以下に多すぎる転載。
 いまはネットでさまざまな情報を手に入れられる時代ですから,どんな仕事においても必要とされるのは,何かを知っている人ではなく,何かを発想できる人なのです。(p3)
 発想のためには,目的をもって調べた情報ももちろん有効ですが,日常生活の中で偶然出会う,「想定外」の「無駄」な情報が役に立ったりすることも多いです。日常生活の中で,そんな想定外で無駄な情報にたくさん出会える場,それが本屋です。(p3)
 実際に私も本屋さんをやっていて気づいたのは,AKB48のセンターを誰が取るかでAKBのイメージががガラッと変わるように,数冊本を入れ替えただけで書棚のイメージはまったく変わることです。(p21)
 堀部(篤史 恵文社一条店長)さんがいつもおっしゃっているのは,一人のマニアが書棚をつくると,敷居が高くなってしまい,お客さんから見たらバリアのある棚になってしまうということです。そこで,恵文社には棚担当が明確に決まっているわけではなくて,一つの棚を複数の人がいじっていくということをやっているそうです。(p26)
 カルチャー本だけとか,おしゃれな雑貨に関する本だけを売るというような本屋は意外とつくりやすい。(p29)
 本屋というのは,整理整頓や在庫管理の観点から見ると,新書は新書,文庫は文庫で,あるいは著者ごとなどというように管理しやすい形で並べたくなる。それは自分で本屋をやってみて痛感したことで,やはり,一冊一冊の本に対して,この本は在庫がどこにあるかということがわからないような棚の並べ方はすごく負担が大きいのです。(p29)
 いい本屋さんの条件として大きなものは,「いいお客さん」の存在です。いい本屋さんにはいいお客さんがいて,いいお客さんに売るためにいい本がそろっている。そういうサイクルができあがっています。(p32)
 書棚には人間の携わるすべてのものがあるといっても過言ではありません。(中略)本屋というのは,この広い世界全体がタンジブルになっている場所なのです。(p36)
 リアルな本屋があるべきいちばんの理由は,「人間はすべての欲望を言語化できていない」ということが根本的なところにあります。(中略)私は言語化できる人の欲望は限られていると考えています。そして,その言語化できている割合は思いのほか低くて,一割にも満たないのではないかと感じます。(中略)人は自分の欲望にそんなに自覚的ではない。だからこそ,そこを言語化することが仕事になるのです。(中略)そうした欲望の言語化,もっといえば欲望の発見という機能が,リアル書店最大の強みであり,必要な理由なのです。(p42)
 私がいう「いい本屋」というのは,簡単にいえば,買うつもりのなかった本を買わされてしまうようなところです。(p45)
 よくつくられた書棚というのは,大量の情報をシャワーのように浴びられる情報発信装置なのです。書店の本棚は情報のフォーマットとして考えると,かなり効率のいいもので,かつ本屋の数だけバリエーションがあります。(p51)
 本屋さんの役割で,もう一つ大きいのは,自分の興味が世の中全体の中で,どこにポジショニングしているかがわかるということです。(p52)
 ネットには確証バイアスがあるので,ある意味,何の証拠でも見つかってしまうわけです。(p54)
 もしかしたら社会の中では壮大な「無駄な研究」が大量になされているのかもしれません。そのうちのいくつかが,インターネットであったりGPS衛星であったり,iPS細胞であったり,世の中に役立つものになる。ただ,それはたくさんの無駄があるからこそだともいえるわけです。(中略)企画などの仕事の面においても,こういう無駄なことが背景にあるほど,深みがあったり,説得力があったりするものになる。(中略)それよりも単純に無駄があったほうが生活は豊かになって,その豊かさこそがおもしろいことを生み出すのではないかと思うのです。その意味で,無駄は無駄ではない。(p61)
 検索結果というのは誰が見ても同じものが出てきます。それを各人の視点で加工して企画やアイデアに昇華していくわけですが,そこに自分独自の情報を組み込めると,人と違う発想を生み出しやすい。(p62)
 本を神聖なものとして,一から十まで読んでその内容を汲み尽くさなければならないという思い込みは,悪しき風習です。あるいは,せっかくお金をだして買ったのだから,全部読んで吸収しなければ損であるという「モッタイナイ」精神。これも余計なものです。こうした「モッタイナイ」精神を持っていることが,逆にもったいない。(p71)
 本も映画ももっと細切れ時間にちょこちょこと見るという見方があってもいい。携帯電話でツイッターやラインを見るように,本を読んでみるのです。(p72)
 いまのようなネット時代には必要なものだけを見つけ出すことがイケてることになっています。なるべく「ハズレ」の情報はひかないようにしよう,目的の情報まで最短経路でたどり着こうとしてしまう。すると,本は情報を得る手段としては非常に効率の悪いものになってしまいます。けれども,私はそうした効率一辺倒はやめたほうがよいと思います。なにがおもしろいか,なにが新しいか,なにが役に立つ情報かは,最終的には自分の眼や勘が頼りです。それを磨くには,結局のところ「どれだけ失敗したか」,すなわり「ウンコ」的なものに触れたかが必要なのです。(p73)
 以前,雑誌「ブルータス」編集長の西田善太さんが「人のおすすめに頼るということは好奇心を放棄すること」だといっていました。まさにそのとおりで,「好奇心を放棄してどうするんだ? そこがいちばんおいしいところだろう」といいたい。(p76)
 基本的に本は,最初に大切なことや結論が書いてあります。「はじめに」とか第1章を読めば,著者のいいたいことは大体わかります。ですから,そこだけ読んで終了でもいいのです。(p78)
 併読の何がよいかというと,異なる本に書いてあることが思いがけないところで結びついたりするのです。あるいは同じひとつのものを,違う視点からみることができるようになります。(中略)無理をしてでも同時に読んでいると,一冊だけ読んでいるよりも,意外で,豊かな発見があるでしょう。(p79)
 本は「読む」だけでなく,道具として「使う」ことができます。むしろ,使い倒すことができるかどうかが読むことよりも大切かもしれません。私は本のページに付箋を貼ったり,折り曲げたりは当たり前で,メモをすることもありますし,ページそのものをちぎってしまうこともしばしばです。(中略)多くの人は本が道具として持っているポテンシャルを使い切っていないのではないかと思うのです。(p82)
 本を読みながら,もう少し具体的に情報を収集するうえでのテクニックとなると,(中略)基本的には「付箋を貼る」と「ノートに書き写す」の二つだけです。(中略)付箋を貼った情報は全部を生かしたいと思うかもしれませんが,そこはぐっと抑えて,一ヵ月ほどは寝かせましょう。(中略)その中からやはり面白い情報は,ノートに書き写します。この際に,それらの情報を分類したり,順番を考えたりする必要はありません。そのままひたすら書き写す。(中略)いわば情報を「放牧」しておくのです。(p85)
 星たちがその引力で互いに影響を及ぼしあっているように,本棚の中の本は,となりに置いてあるものによって意味が変わってきます。だから,本棚の並び方が変われば,それはまったく違う世界になります。(p97)
 企画や新しいアイデアに必要な要素を一言でいえば「想定外」と「欲望」です。そして,そのようないいアイデアを生むことができる人の特徴は「自分の世界を広げること」ができるということです。(中略)その情報自体は多くの人が知っていることであっても,それらを思いがけない組み合わせにすることのできる人です。ある日突然まったく違うもの,誰もが同じフォルダに入るとは思っていないことを結びつける能力,それが企画力です。(p102)
 書店員さんたちの「自分ならこっちを選んで,売る」という欲望を見つけて,その欲望に対応する文学賞(本屋大賞)をつくったから成功した。それが「企画」の力です。単純に本屋大賞を模倣しただけの,他の「○○大賞」がヒットしないのは,それらが欲望に対応してつくられていないからです。(p115)
 道草はなぜあんなにも楽しいのでしょうか。それは,結局のところ寄るところが目的地ではないからです。途中で予期しなかったものを見つけたり,拾ったりする。そのプロセス自体を純粋に楽しめるのです。(p121)
 目的や答えに向かって一直線に行かず,迂回することによって思考は確実に深まります。(p121)
 あちこち寄り道をしながら,無駄な情報を集めるのに,読書はもっとも適した方法のひとつです。それは,「読書とは旅である」からです。(中略)旅は人を成長させます。それは予期せぬ経験をくぐり抜けることによるものです。それと同じように,読書は違う時代,違う国,違う人物に一時なることができる,いわば究極の「旅」なのです。(p122)
 知ろうと思ったことだけを知っていては自分の世界は広がりません。「知らないもの」は,知ろうとさえ思わないからです。(p126)
 ソクラテスの「無知の知」が教えているように,まだまだ知らないことがあると思っている人ほど成長します。自分の世界を広げつづけること,それこそがアイデアの源泉となります。(p133)
 手っ取り早くあなたが知らない世界に抜け出るためには,強制的に連れ去ってもらう方法があります。(中略)結局,必要なのは「ゆだねる」ことです。(中略)ゆだねて,新しい世界に連れて行ってもらう。(p134)
 自分が都合のいいときに都合のいいフォーマットと情報が欲しいだけであって,紙もデジタルもどちらでもいいという思考です。(中略)本屋さんが好きであっても,電子書籍という黒船がやってくるとか,紙の本,ひいては出版業界は生き残っていけないとか,そういうことをいっている人たちとはちょっと考え方が合わない(p139)
 マニュアルがないのに全国の店のPOPのトーン&マナーが共通している。その秘密は,紙とペンが一緒だからなんだよね。(p183)

2018年9月7日金曜日

2018.09.07 成毛 眞 『このムダな努力をやめなさい』

書名 このムダな努力をやめなさい
著者 成毛 眞
発行所 三笠書房
発行年月日 2012.10.20
価格(税別) 1,200円

● ビジネスマン向けの現代版『君主論』のようなもの。ここで説かれていることは全く正しい。正論だ。たいていの人はどこかで気づいていたはずなのだ。それをアジテーションを利かせた文章で目の前に差し出された。
 しかし,行動に移すことはできない。移せる人は,薄々気づいている時点でやっているはずだ。できない人はいくら言葉にされてもできない。

● 日本の同調圧力や思考風土や教育のせいにしても仕方がない。ぼくは昭和40年代の空気を吸って,考え方の骨格を作ってしまったが,時代のせいにしても仕方がない。持って生まれた性格のせいとも言い切れない。
 ともかくできない。そう考えてしまう人を凡人と言う。凡人は凡人を全うするのがよい。

● 以下に転載。
 努力には「時間」がかかる。時間がかかるということは「お金」や「労力」もかかるのだ。こういった「コスト意識」がないと,ムダな努力を重ねてしまうことになる。だから努力も「選別」する必要がある。(p2)
 部下を上手に動かすための方法,などといったセミナーに通ったりするのは愚の骨頂である。結果さえ出せば部下は勝手についてくるものだ。(p2)
 自分な苦手な仕事は放っておけばいい。そうすれば誰かがその仕事を代わりにやることになる。会社組織というのは,そういうものなのだ。(p3)
 自分が「やりたいこと」「好きなこと」「得意なこと」で思う存分本領を発揮する。それが成功への最短距離である。だから,ムダな努力をしているヒマなどない。(p4)
 今の日本は,これ以上豊かになれない国になった。そういう時代になった。だから(中略)地デジ化で強制的にアナログ放送を終了したりしないと,エアコンやテレビを買い替えようとしない。その特需もほんの一時的なものだ。(p13)
 日本に閉塞感が漂っているのは,もはや伸び代がない国なのに,若者に夢や目標を持てと大人たちが発破をかけるからだ。(p13)
 結局,「根性」でやることの大半は無意味だ。(p16)
 とはいえ,二〇代はめいっぱい働くほうが圧倒的に仕事ができるようになる。(中略)これは最小限の労力で成功できる近道である。三〇代になってから,必死にビジネス書を読んで「できるビジネスマンになろう」と努力してもムダだ。(p17)
 世の中の常識を無条件で信じ込むことは,洗脳されているのと同じだ。世の中に合わせるのが正しいと思っている善人にありがちな行為である。(p20)
 はみ出している人を枠に収めようとするのは,ムダに労力を使う。はみ出している人をありのまま受け止めるほうが,よほどラクだ。(中略)その場での関わり合いしかない人に目くじらを立てるのは,ムダな時間を使っているとしか思えない。(p20)
 「由来ぼくの最も嫌いなものは,善意と純情の二つにつきる」 これは明治生まれの評論家・中野好夫の著書『悪人礼賛』(筑摩書房)の冒頭の文章だ。この本では,「善意と純情は退屈であり,動機が善意であれば一切の責任を解除されるものだと考えているから困る」ということが述べられている。まったくその通りだと思う。(p22)
 行動や考えが読める「わかりやすい人」など,たいした魅力はない。(p24)
 今は善人しか出てこない『釣りバカ日誌』のような作品が好まれる。これらに登場するのは,おひとよしの善人ばかりである。こういう作品を喜んでいる人の気持ちはよく理解できない。(p27)
 今の時代は,「いい人」を演じていても何のメリットもない。そういった人間は,都合のいい人であり,無能の代名詞であり,消耗しつくされてしまう。(p29)
 日本では正社員の権利が厚く守られているので,裁判になれば企業側は確実に負ける。裁判を起こされると厄介なので,やはりクビを切っても抵抗をしない,おとなしくて文句をいわない人間から切り捨てていくものだ。「いい人」になろうと努力をすれば,企業側の思う壺にはまる。企業が困るくらいの人になったほうが実は安泰なのである。(p30)
 「戦略的に生きる」というのは,今までのトレンドだった。そんなものは不可能だと,リーマンショックや東日本大震災でよくわかっただろう。明日には何が起きるのかわからないのに,目標を立てても意味はない。これからは「場当たり的に生きる」のをおすすめする。(p34)
 多くの人は,「これからの時代,英語ができないと生き残れない」という英会話教室のキャッチコピーに踊らされている。お金や時間に余裕があるのなら踊らされてもいい。だが,そんな余裕のない人も多いはずだ。ムダな努力をしている場合ではない。(p38)
 やりたくもない勉強を嫌々やっていても身につかない。好きなことを追求して,それが身についたときに無上の喜びとなる。これこそ,最上の「遊び」だと私は思う。(p39)
 人生は楽しんだもの勝ちだ。(中略)どれだけ人を楽しませるネタをそろえられるかが人生の最優先課題だ,と私はかなり本気で思っている。(中略)素の自分でいかに人の記憶に残る人生を送れるかが重要なのだ。(p39)
 よく,人には無限の可能性があるといわれている。だが,そんな「きれいごと」に騙されていはいけない。人の可能性は有限だ。育った環境でその人の将来の九割は決まる。(p42)
 ビジネスパーソンは,研究者や医師のように人の命を救う仕事でもなければ,芸術家のように人を感動させる仕事でもない。退職と同時に自分の働いた軌跡も消えてしまうような,儚い仕事である。(p44)
 嫌な上司にごまをすったほうが仕事を進めやすいなら,さっさとごまをすればいい。(中略)あれこれ悩むのは,ムダな努力だ。(p45)
 一流の人間とそうでない人間の違いは,何を努力すればいいのかがわかっているか否か,という点につきる。やみくもに努力するのは二流の人間だ。一流の人間は,最短で目的を達する方法を理解し,そのための努力は惜しまない。(p49)
 目的を達成するための手段に執着しないのが,いいこだわりなのだ。(p57)
 私は,どうでもいいという生き方にこそこだわっているのであって,そこを批判されるのだけは我慢がならないのである。(中略)人生で固執しなければならないことなど,ほとんどない。(p61)
 タコは,骨がないからどんなところにも入り込めて,また丈夫な皮があるからちぎれない。つまり「究極の柔軟性」と「鉄壁の外皮」という理想的な要素を併せ持っている。人も柔軟でありながら,まわりの発言に傷つかない鉄壁の心を持てれば最強だ。(p62)
 ムダな努力をしない人は,付き合う人を決め,それ以外の人とは交流を断つ。自分にとって何らかの意味を持たない人と一緒にいるのは時間のムダだからだ。(中略)私が人を見極める基準にしているのは,「好奇心」だ。(中略)好奇心の旺盛な人は個性的なので,話も興味深い。外向きの視点を持ち,開放的な性格だ。(p63)
 我慢しない。頑張らない。根性を持たない。私はこのことを徹底している。(中略)何かを我慢したり,ひたすら苦労をしなければできないことなら,最初からしないほうがマシだと思う。(p67)
 優秀な社員は「育てる」のではなく,「引き抜く」ものだと考えている。(p68)
 才能や個性というのは,本来,誰もが持っている。ないと思っているのは,気づいていないのか,そう思わされるような教育を受けてきたかだ。(中略)そのような世間の洗脳から抜け出すのが第一歩だ。まわりの目など気にせずに,自分の好きなことをやればいい。引きこもりが好きならずっと引きこもっていてもまったく問題はない。(p69)
 「いい人」は,世間の常識を「無条件」で信じていて,世間の定めた枠の中に収まることばかり考えている。それは自分の頭で考える力がなく,自分で判断して行動する勇気がないからだ。偽善者は,自分が無能な人間だという自覚がないのだ。(p71)
 座右の銘などを持っているのは,二流の人間だと私は考えている。この世には素晴らしい言葉が無数にあるというのに,その中から一つを選んで,自分の人生の指針だなどとのたまう。それも,大概みな同じような言葉を選ぶ。これでは「自分には能力がない」と公言しているようなものだ。同じように,愛読書を聞かれて司馬遼太郎などを挙げるのも,かなりイタい人である。確かに司馬遼太郎の本は面白いが,「仕事で迷いが生じたら読む」などと真顔で答えてしまうのは,間違いなくクレバーではない。(p74)
 ビジネスでは,自分の能力の限界を相手に悟られてはいけない。つまり,優秀な人間を演じるのだ。相手に自分の手の内を読まれたら負けるポーカーと同じだ。(p75)
 権力を握ったときに孤独に耐えられる人間こそ,成功者になれる。孤独を不幸だと思わず,むしろ孤独のほうが気楽だと思うようなタイプだ。大企業の経営者でも孤独に耐えられる人は少なく,経済同友会やロータリークラブ,ライオンズクラブといった経営者が集まる団体に属し,仲間を持とうとする。こういう団体に所属する人間は,肩書は立派でも人間的には強くない。(p79)
 私は,人が生涯で使える「運」には限りがあると信じている。(中略)そのため私は運をムダ使いしないようにしている。運は継ぎ足せないので,減ればそれっきりだと思っているからだ。だからギャンブルはやらない。宝くじも絶対に買わない。そんな些細なところで運を使ったら,大きな運は巡ってこないと考えている。(p82)
 成功者には共通点がある--。などともっともらしく説く人もいるが,私はそんなものはないと思っている。成功するかしないかは九割方,運で決まると考えている。(p83)
 成功者でも病からは逃れられない。大富豪でも天国にはお金をもっていけない。運の前には,誰でも平等ではないだろうか。(p85)
 小さな負けを重ねておいて,最期に大きく勝てばいい。それが「運を引き寄せる」ということではないかと思う。だから,些細な成功で喜ばないほうがいい。(中略)勝負時に備えて運を貯めておくべきで,日常の小さな業務で成果を出していたら,いつの間にか運を使い果たしてしまう。(p85)
 人に無用な情けをかけない。人に期待しない。見返りも求めない。これがムダな努力をしない人間の人付き合いの鉄則である。(p89)
 家族には全力で愛情を注ぎ込むべきだ。(p93)
 たった五分間でも,一生の付き合いとなる人は見抜ける。何度も会って,やっと相手の人間性がわかると思っている人は,ムダな努力をしている。(p97)
 環境はいとも簡単に人を変えてしまう。人は思っている以上に流されやすい。だから付き合う価値のないつまらない人間,くだらない人間とは距離を置くに限る。付き合う人を選べないのは,自分が嫌われたくないからだ。その考えこそ偽善であり,そういう人こそあっさり人を裏切ったりする。(p100)
 時間をムダにするまいと,スケジュール帳にびっしりと予定を書き込んでいる人がいる。中にはその日にやるべきことをすべて書き出し,一つ終えるごとにチェックして小さな充実感を味わっている人もいる。この手の人はスケジュールを管理しているというより,スケジュールに管理されているといったほうが正しい。(p106)
 プライベートの時間までスケジュールを組んで生活するのは,人生の幅を狭くしているとしか思えない。数年後の夢を手帳に書き込む云々といった本がはやっているが,手帳に書き込んで夢想しているくらいなら,実現すべく今すぐ行動に移すほうが早い。日々のスケジュールを組んで淡々とこなしていくのは,とてもじゃないがクリエイティブな生活とはいえない。(p107)
 目先の仕事以上に大切なものがあると気づかない限り,せっせとスケジュールを管理するだけで人生は終ってしまう。会社という殻に閉じこもっていたら,自分のアンテナの感度は錆びていくばかりだ。そこから抜け出すためにも,仕事のスケジュールだけでぎっしり詰まっているような生活は見直すべきである。(p109)
 これからは,「会社に必要とされる人」ではいけない。「世の中に必要とされる人」になったほうがいい。必死で「会社に必要とされる人」になることは,ムダな努力につながる可能性がきわめて高い。(p109)
 どんな仕事でもルーチンワークからは逃れられない。しかし,ルーチンワークもクリエイティブな仕事に変えることは可能だ。人が機械と違うのは,自分の頭で考えて工夫ができる点だ。(p113)
 たいてい仕事の遅い人は,一度ですむはずの仕事を数回に分けてしまうから効率が悪く,いたずらに時間を費やす結果になる。(中略)仕事が多いとぼやく人は,自分で仕事を増やしていることに気づいていない。(p113)
 そもそも毎日同じ仕事をしているのだから,毎日残業するほうがおかしな話ではないか。(p114)
 始終意見を変えるくらいなら,その場で判断せずに熟考してから答えを出すべきだと考える人もいると思う。しかし,熟考するとマイナス要素ばかりが目について,かえって決断力が鈍る。(p125)
 不思議なことに,日本の会議では結論が先送りされることが多い。(中略)まさにムダな努力の典型である。「話し合って」結論が出ない--。ならば,「やってみて」結論を出すしかない。(p126)
 私は昔から上から目線でものを見てきた。なぜなら,自分が世の中で一番優秀だと思っていなければ,仕事はうまくいかないと考えているからである。(p128)
 心まで奴隷にならないことが重要なのだ。多くの人は,他人から否定されるとプライドをズタズタにされたと感じるかもしれないが,「自分が一番すごい」と思っていたら,それほど腹は立たない。「この人にはわからないか。しょうがないね」と,こちらから切り捨てられる。(p129)
 魯山人はこんな言葉を残している。「わかるヤツには一言いってもわかる。わからぬヤツにはどういったってわからぬ」まさにその通りだ。わからぬヤツにわかってもらおうと努力するのはムダである。(p129)
 実際に会ったなら,相手が誰だろうと必要以上にへりくだらないことだ。(p134)
 他人から何かを学ぶには,その人になりきることがもっとも効率的だ。話し方や歩き方,口癖や視線の配り方に至るまでコピーして,それが身についたら,次は自分なりの方法を模索するのである。(p137)
 勝ち組,負け組の二極化も限界まで行ったら崩壊するかもしれない。(中略)負け組のほうが多数派なのだから,少数派の勝ち組がいつまでものさばっていられるとは限らないだろう。(p142)
 正直者が馬鹿を見る世の中とはいえ,最後に人がおりどころとするのは「良心」ではないだろうか。「世間」ではなく,「自分」の中の良心に耳を傾けて,判断し,行動することが重要ではないかと思う。(p143)
 できるビジネスマンは目指してなれるものではない。元々頭の回転の速い人や臭覚に優れた人が,自然とそうなっているだけなのだ。(p146)
 たとえ努力をしていても,それを感じさせずに涼しい顔をしているくらいの「余裕」がないと,一流にはなれないだろう。(p147)
 洋の東西を問わず,成功者というのは,「後悔しない人間」だ。決断したら即行動に移し,どんな結果に終っても後悔などせずに,すぐに忘れてしまう。「失敗に興味がない」ともいえる。(p150)
 失敗に対して過度に反省することは,ムダな努力である。自由な発想の芽を根こそぎ摘み取り,決断力を鈍らせる。NHKのTV番組『プロジェクトX』の影響なのか,失敗→反省→大成功という図式が理想的だと信じている人間があまりに多い。(p151)
 日本では,ほしいものを聞いても「何もない」と答える大人が多い。日本人は世界一“悟り”に近い位置にいる民族だ。(中略)求めないのは,あきらめているからだろう。(中略)しかし,「こうなりたい」「これがほしい」という欲がなければ,人生はつまらなくなってしまう。手に入れたいと願い続けるからこそ積極的になり,生きる力が湧いて疲れも感じなくなる。欲はバイタリティーの源なのである。(p154)
 ん? 「今の日本は,これ以上豊かになれない国になった」のではなかったか。「日本に閉塞感が漂っているのは,もはや伸び代がない国なのに,若者に夢や目標を持てと大人たちが発破をかけるから」ではなかったのか。
 たいていの成功者は忙しく仕事をこなしながらも,しっかり遊んでいる。多趣味であちこちに出かけるし,女性と遊ぶのも忘れない。ほしいものを手に入れるために子供のように懸命になっている。だから脳が活性化され,自由な発想が生まれる。(p155)
 例外はある。たとえば,森博嗣さん。
 医師の石原結實氏は,日本の医学生は文系学生の何十倍も勉強させられ,六年経ったころには,勉強のしすぎで“普通の判断”ができなくなると話していた。教育で理屈ばかり教え込まれると,疑うべきときに疑う感性が鈍ってしまう。(p160)
 寛容な国だからこそ,“悪人”も活き活きとしていられる。規制でがんじがらめになった国では善人ばかりが栄える。(中略)人の行動を大目に見られない度量の狭い人間が跋扈し,窮屈な世の中になる。現に,日本はそうなっている。(p163)
 国家の運営よりスキャンダルを優先する国民のほうが,よほど政治をおろそかにしている。(p164)
 やはり,予測のつかない人のほうが面白い。空気を読んでまわりに合わせようとしている時点で,二流のままで終わる道を選んでいるようなものだ。(p166)
 自分にチャンスがなかなか巡ってこない--。そう思うならば,振るサイコロの数を増やせばいい。(p176)
 場所を変えるのもチャンスにつながる。残念ながら東京に住まないと,チャンスは少なくなってしまう(中略)明治時代から地方の優秀な人間はみな東京を目指した。だから東京には知的資産の蓄積があるのだ。歴史的な流れなのだから,こればかりはどうしようもない。(p176)
 ずっと同じ場所に留まっていると,誰でも保守的になる。保守的になるとチャンスを増やそうとする意欲もなくなるので,運が低迷してしまう。(p177)
 本やネット,新聞といった情報を集めるツール自体は今後も変わらない。情報源を固まらせないことが,幅広い情報を得るコツだ。(中略)その情報は積極的に拡散すべきだ。情報が情報を呼ぶ,という状況になり,やがて一般の人が知らないような情報も集まり始める。(p178)

2018.09.07 季刊「新そば」編 『そばと私』

書名 そばと私
編者 季刊「新そば」
発行所 文春文庫
発行年月日 2015.09.10
価格(税別) 650円

● 各界の大御所が「そば」について書いている。上手く書けるかどうかは別にして,「そば」は素材として取りあげやすいだろう。
 菅原文太のものが面白かった。昔の作家先生のものが意外につまらない。

● ぼくの場合,そばといえば,駅の立ち食いそばか,“富士そば”か,市販の乾麺を家で茹でるかだ。蕎麦屋に行くのは年に一度もあるかどうか。いや,直近3年で蕎麦屋に行ったことは一度もない。
 それでも,そばについて語ろうと思えば,けっこう語れそうだ。たぶん,つまらない話になるだろうけど。

● 以下にいくつか転載。
 里見弴さんの随筆に,うまい豆腐屋が近所にある幸せを記したものがあるが,本当にそうで,豆腐とかソバとかいうものは,遠方にあっては無意味に近い。(色川武大 p57)
 そばは冷たい食べものであることに気が付く。あのほろ苦い,草っぽい感じが,味の根幹をなしている。(大岡昇平 p76)
 食べ物と建築とはパラレルだというのが,僕の持論である。物質を身体がどう受容するか。料理も建築も,共にその受容の仕方をデザインしているわけである。(中略)ゆえに物を食べながら建築のヒントを得ることも多い。(隈研吾 p135)
 ラーメンとカレーライスはかなりまずくても食えないことは無いが,そばだけはまずいそばは食えたものではない。そばくらい旨い,まずいのはっきりした食べ物は無い。(中略)出前のそばはおいしいと言うところからはほど遠い。(菅原文太 p173)
 それは素材四分に人柄六分,と私は思っている。これは何の仕事にも通じることだろう。(菅原文太 p174)
 ヒマラヤのような高所にくると人間の食欲は減退し,生まれ故郷の味や家庭の味がたまらなく食べたくなるのだ。(田部井淳子 p196)
 あのソバの手打ちの神技には,「人棒一如」の妖気が立ちこめている。打ち手の心づかいと,棒の無心ぶりは完全に一枚となっていて,アレがソバの味だと直感せしめられる。(永田耕衣 p217)
 私にとって「そば」は,日本文化の簡素さを代表するものでありながら,その奥深さは,料理芸術の粋であるように思われる。(福井謙一 p229)
 そばと,なっとうだけは,どうもいただけない,と西の方から東京へ出てきたばかりの人がこぼすのを,あれ以来,幾度も耳にした。そういう人にかぎって,何年かすると,そばをよけいに好むようになるようだ。(古井由吉 p236)
 いったいそばが好きなら,どこにいたって,そばを探して喰えばいいのであって,それがどこそこの店でなくてはそばではないぞ,とやかましく宣伝してまわる人に出あうと,ずいぶんこの人はそば嫌いだなと思ったりする。(水上勉 p246)
 ソバの問題は,それだけ凝って工夫するのに,食べるのはアッという間だということである。作る手数と,食べる手数の比でいえば,ソバは料理のうちでもかなり極端なほうではなかろうか。(養老孟司 p297)
 波の音を聞きながらそばをすすっていると,これが芝居になる。うどんは芝居にならぬがそばは芝居になる。(淀川長治 p299)

2018年9月1日土曜日

2018.09.01 森 博嗣 『庭煙鉄道趣味』

書名 庭煙鉄道趣味
著者 森 博嗣
発行所 講談社
発行年月日 2009.07.28
価格(税別) 3,000円

● ディープ。ここまで手間暇かけるか。国内だけでも数人はいるらしいのだ。敷地にレールを敷いて,実際に走る機関車(蒸気だったりバッテリーだったり)を走らせている人が。キットもあるが,自作もするのだ。
 これに比べりゃ(比べる必要はないのだが),大方の人は趣味に対して入れ込みが足りない。入れ込もうと思って入れ込むものじゃないんだろうけど。気がついたら入れ込んでいた,というふうであるものだろうけど。

● 以下にいくつか転載。
 庭園鉄道を始めた当初から,これを「本にしよう」と考えていました。この趣味を始めた頃,関連の情報を求めて雑誌や書籍を探したのですが,皆無といって良いほど見当たらなかったからです。(p6)
 趣味というのは本来無駄なものではないでしょうか。それどころか,人間が生きていることさえ,目的は判然としません。日々が楽しく過ごせれば,それが有意義な人生になるでしょう。つまり,生きていることは,仕事ではなく,趣味なのです。(p7)
 とても自分にはできないな,と思っていたものが,やってみるとできてしまうのです。苦労して失敗を重ねることもあれば,あっさりと上手くいくこともあります。工作の楽しさは,そこにあるのです。換言すれば,「自分の変化」を知ること。(p47)
 結局,作ること,学ぶことの効用は生きていくうえでの「前向きさ」だと思います。きっと,前を向いている自分を体験できるから,楽しく感じるのでしょう。(p47)
 この趣味を理解してもらおう,同好の士を少しでも増やそう,というのは,業界的な発想であって,趣味人の思考ではありません。自分の楽しみを持っている人は,他人の楽しみも基本的に理解しているものなのです。(p113)
 どんな条件であっても,自分の目指すものを実現するために今できることがあります。これは間違いのないことです。(p189)
 その楽しさは,その人のものです。使ったお金や時間にも無関係です。たとえば,子供を見ればそれがわかります。資金もないし,技術もないのに,どんなふうにしてでも自分の時間を精一杯楽しんでいます。(中略)もともと素直に行動すれば,きっと誰もが子供のように遊べるはずなのです。(p189)

2018.09.01 森 博嗣 『実験的経験』

書名 実験的経験
著者 森 博嗣
発行所 講談社
発行年月日 2012.05.25
価格(税別) 1,600円

● 初出は「小説現代」の連載。こういうものを指し示すのに適当な名前はない。いろんなものがミックスされている。地の文を「」に入れて,会話を外に出すという試みもある。
 それゆえ,書く側にも読む側にも「実験的経験」なのかも。名前があろうとなかろうと面白ければいいじゃん,と単純に思うわけだが。

● 以下に転載。
 それくらい遅れているんです,受けてというのはね。本当に新しいものならば,価値が認められるのには十年はかかるということです。(p19)
 対談なんかでも,発想が豊かだったり,情報量が多い発言というのは,ゲラのときに加筆した部分ですからね。(p21)
 じっくりと話を聞いてみると,ていていの場合,話す人自身が何を話したいのかよくわかっていなくて,こちらが質問したり,なにか関連した話題を振らないと,話がまともに進まないことが多いですね(p32)
 もの凄い大きな怪我をした人は,一分後に死ぬとしても,怪我の直後は意外に普通に判断をし,普通に生きている。そういう例は非常に多い。(p41)
 論理的というのは本来どういうことなのか。(中略)少し大雑把にいえば,数学の集合論におおかた帰着する。(p44)
 トリックやどんでん返しやオチというものが,馬鹿馬鹿しさを評価値の一つとして持っていることは否定できないのです。複雑で難解なものであっては良いトリックにはならないわけで,誰もが理解できるけれど思いつけなかったという『肩透かし』を狙うのです。(p95)
 長編を多少長めに書くと,絶対に中弛みだと言われ,かといってシャープに短めに書くと,もの足りないと言われ,親切心を出して詳しく書けば,難しすぎてわからないと言われ,難しいところを避けて易しく書けば,知らずに書いていると言われ,本格の方へ歩み寄れば,マニア受けだと言われ,文学的に歩み寄れば,こんなのミステリィじゃないと叱られる。(p125)
 書かれているのに,それを読んだのに,伝わらないことってあるのです。多くの場合,先入観というのか,こうだとイメージしているものが既にそれぞれにあって,それから大きく外れるものはシャットアウトする,といった防御能力が働くからです(p145)
 言葉がおおかた伝わったら,作品の役目はそこで終わりです。したがって,作者の責任もそこまでです。あとは,読者が勝手に想像して,誤解するか理解するかの違いですね。(p146)
 製品がみんなに行き渡った豊かな社会においては,製品メーカーの役割は終っている。しかし,メーカーは作り続けようとするし,みんなを騙してでもそれが正義だという物語を作る。(中略)樵は,自分の山に樹がなくなっても樹を切る仕事を諦めない。(p148)
 はっきりここで言明しておくけれど,僕は長生きをしたいなんて思っていない。大病を早期発見したいとも思わないのである。病気になったら死ねば良いではないか。苦しさは同じだろう。(p149)
 なにしろ,やっているその時間が最高に楽しいから,いつできなくなっても収支に不釣合いはない。(p150)
 数学っていうのは,そういう物語性を排除し,物事を抽象化するものです。数学性というのは,その抽象性のことです。だから,物語を加えて具体的にしてしまうと,もう数学的ではなくなりますね(p166)
 文章はできるかぎり,観察した順番,認識した順番に書くのが自然だ。たとえば,「赤い帽子を被った人」であれば,まず赤い色が目に入り,それが帽子だとわかり,次に,それを被った人間を認識する,という順番になる。(p170)
 ネットっていうのはさ,どうも素人ばかりというか,浅い趣味人しかいない気がする。どうしてもそういうふうに見えるんだよね。なんか,同じ質問を繰り返しているし,またその話かよってのばっかりじゃない?(p175)
 やろうと思えば,たいていのことは一人でできる,という証明は,大変面白くまた有意義だと感じます。年寄りになると,なんでも周囲の人間に頼んでしまう傾向がありますが,できたら,死ぬまで自分のことは自分でやりたいものです。(p177)
 一般に,受け手が,こんなものとても発想できない,と感心するものほど,実は創ることが簡単なのです。何故なら,こんなもの発想できないと思わせるもの,という目標が明確にあるからです。目標があれば,それをひたすら考えれば良い。しかし,それよりも難しいのは,新たな目標を発想することです。(p200)
 日本人は,余計な心配をして,危うきには近寄らず,ことなかれ主義を重んじる「自粛ラブ」な民族だから,この程度の言葉まで消してしまうのか,というようなものが沢山ある。(p215)
 差別用語は,差別の意味が含まれていますよ,ということを機会があれば伝えれば良いと思う。むやみやたらと,「その言葉は使うな」と怒るのは大人げないし,危険な思想でもある。(中略)必死に消し去って,見ない振りをして,何が差別なのかもわからなくしているだけ,むしろ誤魔化しているようにさえ見える。(p216)
 「この作家は,いったい何がしたかったのか?」と不満をもらすのである。したがって,作家に反論が許されるならば,こうなる。「いったい,君はこれを読んで何がしたかったのか?」(p239)
 甘えさせることと,きちんと躾をすることの両立は,貴族的な家庭の伝統である。こういったものが長く受け継がれていることは,人間によって見出された美徳の一つの形だったにちがいない。(p251)
 突飛なものは大衆には望まれていません。それなのに,突飛なものを見せたい,というのが創作の基本的衝動です。このギャップを埋めるために歩み寄り,ぎりぎりの妥協の線として提示することも,創作者の使命の一つであって,これは,デザイン,アートを問わず,常に,そして暗黙のうちに掲げられる,ほとんど唯一の共通テーマであると思われます。逆にいえば,この挑戦を避けること,忘れることは,すなわち創作の堕落であり,惰性への隷属であり,芸術から生産への没落,「求められるものを与えるのだ」という偽善としての背信ともいえるものでしょう。(p254)
 どんな突飛な創作よりも,人間の思考,そして感覚はさらにはるかに突飛です。文字にすること,言葉にすることで,既に大半の思考は失われ,輝きは鈍化します。皆さんが読まされているのは,死んだ発想なのです。創作者は,発想を殺して,文字にするのですから。しかし,行きていたときの輝きを,どうか思い描いてください。(中略)感性とは,この「想像」によって磨かれるし,その感性によってしか,創作の輝きを見ることはできないでしょう。(p254)