著者 森 博嗣
発行所 講談社
発行年月日 2012.05.25
価格(税別) 1,600円
● 初出は「小説現代」の連載。こういうものを指し示すのに適当な名前はない。いろんなものがミックスされている。地の文を「」に入れて,会話を外に出すという試みもある。
それゆえ,書く側にも読む側にも「実験的経験」なのかも。名前があろうとなかろうと面白ければいいじゃん,と単純に思うわけだが。
● 以下に転載。
それくらい遅れているんです,受けてというのはね。本当に新しいものならば,価値が認められるのには十年はかかるということです。(p19)
対談なんかでも,発想が豊かだったり,情報量が多い発言というのは,ゲラのときに加筆した部分ですからね。(p21)
じっくりと話を聞いてみると,ていていの場合,話す人自身が何を話したいのかよくわかっていなくて,こちらが質問したり,なにか関連した話題を振らないと,話がまともに進まないことが多いですね(p32)
もの凄い大きな怪我をした人は,一分後に死ぬとしても,怪我の直後は意外に普通に判断をし,普通に生きている。そういう例は非常に多い。(p41)
論理的というのは本来どういうことなのか。(中略)少し大雑把にいえば,数学の集合論におおかた帰着する。(p44)
トリックやどんでん返しやオチというものが,馬鹿馬鹿しさを評価値の一つとして持っていることは否定できないのです。複雑で難解なものであっては良いトリックにはならないわけで,誰もが理解できるけれど思いつけなかったという『肩透かし』を狙うのです。(p95)
長編を多少長めに書くと,絶対に中弛みだと言われ,かといってシャープに短めに書くと,もの足りないと言われ,親切心を出して詳しく書けば,難しすぎてわからないと言われ,難しいところを避けて易しく書けば,知らずに書いていると言われ,本格の方へ歩み寄れば,マニア受けだと言われ,文学的に歩み寄れば,こんなのミステリィじゃないと叱られる。(p125)
書かれているのに,それを読んだのに,伝わらないことってあるのです。多くの場合,先入観というのか,こうだとイメージしているものが既にそれぞれにあって,それから大きく外れるものはシャットアウトする,といった防御能力が働くからです(p145)
言葉がおおかた伝わったら,作品の役目はそこで終わりです。したがって,作者の責任もそこまでです。あとは,読者が勝手に想像して,誤解するか理解するかの違いですね。(p146)
製品がみんなに行き渡った豊かな社会においては,製品メーカーの役割は終っている。しかし,メーカーは作り続けようとするし,みんなを騙してでもそれが正義だという物語を作る。(中略)樵は,自分の山に樹がなくなっても樹を切る仕事を諦めない。(p148)
はっきりここで言明しておくけれど,僕は長生きをしたいなんて思っていない。大病を早期発見したいとも思わないのである。病気になったら死ねば良いではないか。苦しさは同じだろう。(p149)
なにしろ,やっているその時間が最高に楽しいから,いつできなくなっても収支に不釣合いはない。(p150)
数学っていうのは,そういう物語性を排除し,物事を抽象化するものです。数学性というのは,その抽象性のことです。だから,物語を加えて具体的にしてしまうと,もう数学的ではなくなりますね(p166)
文章はできるかぎり,観察した順番,認識した順番に書くのが自然だ。たとえば,「赤い帽子を被った人」であれば,まず赤い色が目に入り,それが帽子だとわかり,次に,それを被った人間を認識する,という順番になる。(p170)
ネットっていうのはさ,どうも素人ばかりというか,浅い趣味人しかいない気がする。どうしてもそういうふうに見えるんだよね。なんか,同じ質問を繰り返しているし,またその話かよってのばっかりじゃない?(p175)
やろうと思えば,たいていのことは一人でできる,という証明は,大変面白くまた有意義だと感じます。年寄りになると,なんでも周囲の人間に頼んでしまう傾向がありますが,できたら,死ぬまで自分のことは自分でやりたいものです。(p177)
一般に,受け手が,こんなものとても発想できない,と感心するものほど,実は創ることが簡単なのです。何故なら,こんなもの発想できないと思わせるもの,という目標が明確にあるからです。目標があれば,それをひたすら考えれば良い。しかし,それよりも難しいのは,新たな目標を発想することです。(p200)
日本人は,余計な心配をして,危うきには近寄らず,ことなかれ主義を重んじる「自粛ラブ」な民族だから,この程度の言葉まで消してしまうのか,というようなものが沢山ある。(p215)
差別用語は,差別の意味が含まれていますよ,ということを機会があれば伝えれば良いと思う。むやみやたらと,「その言葉は使うな」と怒るのは大人げないし,危険な思想でもある。(中略)必死に消し去って,見ない振りをして,何が差別なのかもわからなくしているだけ,むしろ誤魔化しているようにさえ見える。(p216)
「この作家は,いったい何がしたかったのか?」と不満をもらすのである。したがって,作家に反論が許されるならば,こうなる。「いったい,君はこれを読んで何がしたかったのか?」(p239)
甘えさせることと,きちんと躾をすることの両立は,貴族的な家庭の伝統である。こういったものが長く受け継がれていることは,人間によって見出された美徳の一つの形だったにちがいない。(p251)
突飛なものは大衆には望まれていません。それなのに,突飛なものを見せたい,というのが創作の基本的衝動です。このギャップを埋めるために歩み寄り,ぎりぎりの妥協の線として提示することも,創作者の使命の一つであって,これは,デザイン,アートを問わず,常に,そして暗黙のうちに掲げられる,ほとんど唯一の共通テーマであると思われます。逆にいえば,この挑戦を避けること,忘れることは,すなわち創作の堕落であり,惰性への隷属であり,芸術から生産への没落,「求められるものを与えるのだ」という偽善としての背信ともいえるものでしょう。(p254)
どんな突飛な創作よりも,人間の思考,そして感覚はさらにはるかに突飛です。文字にすること,言葉にすることで,既に大半の思考は失われ,輝きは鈍化します。皆さんが読まされているのは,死んだ発想なのです。創作者は,発想を殺して,文字にするのですから。しかし,行きていたときの輝きを,どうか思い描いてください。(中略)感性とは,この「想像」によって磨かれるし,その感性によってしか,創作の輝きを見ることはできないでしょう。(p254)
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