著者 出口治明
発行所 角川oneテーマ21
発行年月日 2014.09.10
価格(税別) 800円
● 圧倒されることの快感。おったまげー。教え諭すというのではなく,本を読みなさいよ,読まないとダメですよ,と押し付けるのでもなく,自分の見解を声高に言うのでもなく,淡々と控えめに話しているような感じ。
出そうとすれば300km/hは出るのに,法定速度を守って40km/hで走っているような。
● 以下に多すぎる転載。
女性と時間をともにするより,本のほうが,楽しい。(p4)
坂本龍一さんの頭の中には,幼少期から蓄えられたたくさんの音符があった。たくさんの音楽を知っていたからこそ,それを組み替えたり,組み合わせたりすることができたのです。仮に,小さい頃にモーツァルトしか聴いていなかったとしたら,世界的な作曲家になれがかどうかは,疑問です。(p22)
人間は思考を行うからこそ偉大であり,人間の尊厳のすべては,考えることの中にあると思います。(p24)
私は,人間が生きる意味は「世界経営計画のサブシステム」を生きることだと考えています。すなわち,人間が生きていく以上,「この世界をどのようなものだと理解し,どこを変えたいと思い,自分はその中でどの部分を受け持つか」を常に考える必要があると思っているのです。なぜ,「サブ」なのかといえば,「メインシステム」は,神さましか担えないからです。(p30)
私の頭のなかでは,自分の目で見たヴェネツィアの光景と,本を読んで思い描いたヴェネツィアの様子が渾然一体となっていて,自分の目で見た光景がはたしていちばん強い記憶なのかどうか,正直自信がありません。(中略)実体験はたしかに強い影響力を持ちますが,本当に優れた映画や文学は,体験をゆうに凌駕する力があると思います。(p38)
どんなことでも突き詰めていけば,世界に通じます。音楽が好きな人は,音楽を突き詰めればいいでしょう。音楽と深く広く接していけば,歴史や,経済などを知る手がかりにもなります。(p44)
青田買いをしている起業の人事担当者は,全員「公金横領罪」で逮捕されてもおかしくないと思っています。大学に2兆円もの税金が使われているのは,日本の明日を担う学生に必死に勉強してもらい,すべての物事をゼロクリアして自分の頭で考える力を鍛えて,豊かな日本を築いてほぢいと納税者が願っているからに他なりません。それなのに,青田買いという慣習がすべてを反故にしています。(p52)
日本の経営者の中には,「座右の一冊」として,たとえば『論語』を挙げる方がたくさんいます。『論語』はたしかに古典です。そのことに感心する一方で,残念に思うこともあります。なぜなら,『論語』といっても原点ではなく,一般向けに書かれた解説書だからです。(p54)
もし,(私が)日本生命の影響を相対的に受けていなかったとしたら,その理由はおそらく,インプットの量が多かったからでしょう。(p55)
本を読む人が少なくなると,既得権者や為政者が支配しやすい社会ができ上がると思います。(中略)日本の政治がブレやすいのは,有権者の多くが自分の頭で考えることなく時勢に流されやすいことも一因ではないでしょうか。(p67)
古典は最良のケーススタディです。古典を読めば,人間と人間社会に対する認識を比較的簡単に得ることができます。一からすべて自分で考えなくても,「巨人肩の上に立って」,先人が積み重ねた教養をありがたく利用させてもらえばいいのです。(p92)
未来を読むことは誰でもできません。世の中は常に変わっていきます。だとすれば,人より1歩先を読もうなどというムダな努力は捨て,川の流れに身を任せて,日々,与えられたことをきちんとやって生きていくのが私の好きな生き方です。無理して先を読むよりも,起こってしまった変化に適切に対応するほうが,はるかに重要です。(p93)
木田元さん(哲学者)がよく言われているように「きちんと書かれたテキスト(古典)を1字1句丁寧に読み込んで,著者の思考のプロセスを追体験することによってしか人間の思考力は鍛えられない」のです。(p95)
たとえばアリストテレスに比べて,より優秀な解説者(学者)はまずいないのではないでしょうか。そうであれば,二流,三流の学者が自分流に注釈を加えた解説書を読んだところで,「本物」の思考を追体験することはできません。(p101)
同時に何冊かの本を並行して読む人もいますが,私は1冊に集中するタイプです。(p121)
私にとって読書は,著者との対話であり,基本的にはいつも真剣勝負だと思っています。人に会うときと同じで,こちらが真剣勝負を挑まなければ,相手からは何も返ってきません。(p122)
学生時代からノートを取るのが嫌いでした。算数(数学)は計算をしなければいけないので,しかたなくノートを使いましたが,それでも極力書かないようにしていました。(p124)
私は,目次をほとんど読みません。繰り返しますが,私は,本を読むことと,人の話を聞くことは同じだと考えています。人の話には,目次がありません。聞き飛ばすこともできません。(p129)
「納得いくまで読み込んで,わからなければ戻る。それを繰り返しながら,1冊を食べ切る」のが私の読み方です。丁寧に消化するまで読み込みますから,1冊読み終えると,お腹いっぱいになります。特に好きな本でないかぎり,同じ本を再読することは原則としてありません。(p133)
極論すればすべての成功体験は後出しジャンケンの最たるもので,読んだところで何か身のためになるのだろうか,といつも思うのです。成功者があとから自分を振り返って「こうしたから成功した」と述べたところで,それが次の成功をもたらす保証がどこにあるのでしょうか。(p135)
人間は失敗から多くを学びますが,ビジネス書には,あくまで一般論ですが,大きな失敗例はあまり書かれていない気がします。(中略)本当に役立つ失敗例は,なかなか表に出てきません。私が知りたいのは,命に関わるような大きな失敗例です。(p136)
ビジネス書のノウハウは,たいてい,極度に抽象化,一般化されています。ですが,人間の生き方も,考え方も,能力も,千差万別です。(中略)ビジネス書には「こういうときは,こうするのが正解」と書かれていたりしますが,実際には,当てはまらないケースのほうが多いのではないでしょうか。(p137)
すべてのビジネスは,人間と人間がつくる社会を相手にしているのですから,「人間とはどういう動物なのか」を理解することを優先したほうがいいと思うのです。(p138)
誰が考えても同じ結論に行き着いたり,誰にも容易に検証できるものこそ,真理であり,相対的に正しいものだと私は考えています。なぜそう考えるのかというと,人間の思考力は,歴史的には「観察→実験→シミュレーション」という3段階を経て養われてきたと思うからです。(p142)
私が「江戸時代」に最低の評価を下しているのは,江戸時代が「栄養失調の社会」だったことが数字でわかっているからです。(p146)
人間ができることは,実はほんの少ししかありません。自分が置かれた場所で,自分にできることを精一杯やっていく,それが難しければ居場所を変えることぐらいのものです。しかし若いときには,必ずしもそれがわかりません。(中略)それは青春時代に許された一種のぜいたくと言っていいのでしょう。(p154)
読み方は,20代でも,30代でも,60代でも同じです。感じ方は年代ごとに異なっても,本の読み方は同じだと思います。一所懸命おもしろい本を読んでいけばいい。それだけです。(p155)
自分が感じたこと,腹落ちしたことは,言語化して初めて整理できるのです。したがって,本や人から得た情報を脳に焼き付けておくには,言語化する必要があります。(p156)
私はかつて,「アウトプットよりインプットのほうが大事だ」と思っていた時期があります。水槽に水を入れていけば,放っておいても水が溢れるのと同じように,インプットの量を増やしていけば,放っておいてもアウトプットできると考えていたわけです。ですが,実際はどうだったかというと,私自身,インプットした内容をすぐにアウトプットしていた気がします。(p158)
先日,三井物産の槍田松瑩会長と対談をする機会がありました。槍田会長が「何かを知りたくなったらすぐに話を聞きに押しかける。そして,感動して帰ってきたら,誰かをつかまえて全部話してしまう」と言われたのを聞いて,最高の勉強方法だと思いました。(p159)
最近では,新社会人の離職率の高さを問題視する向きもありますが,私はむしろ,いい傾向だと考えています。成長分野へ人が移っていかなければ,社会は停滞するからです。(p174)
親が子どもに教えるべきことの第一は,「人間は顔形もみんな違うのだから,考え方も違って当然だ」というファクトに尽きると思います。ところで,自分に合った,人と違う考え方ができるようになるためには,ある程度インプットの量を増やさなければなりません。(p183)
親が子どもに読み聞かせをするときも,親が本心からおもしろいと思う本を読んで聞かせるのがいちばんいいと思います。親が「名作らしいが,何だかこの本おもしろくないな」と思っておざなりに読んでいたら,子どもにも伝わります。(p184)
0 件のコメント:
コメントを投稿