2018年9月1日土曜日

2018.09.01 楠木 新 『定年後』

書名 定年後
著者 楠木 新
発行所 中公新書
発行年月日 2017.04.25
価格(税別) 780円

● “会社天国論”というタイトルでもいいんじゃないか。会社がいかに天国だったか,辞めてみるとよくわかるということで。
 引退すると同窓会に気が行くようになるといったことも書かれている。社会との接点が切れ,人恋しさが同窓会に向かわせる。そういうことのないように願いたいのだが。
 かえって引退後が不安になってきた。自転車と音楽と読書で過ごすつもりでいたんだけど,どうも思っているようには行かないのではないか,と。

● 女性は心配ない。問題は男。なぜなら,男は群れることができない性だから。それゆえ,いかにして社会とのつながりを作り,自分の居場所を確保するかが大事だというのが,本書の結論。
 が,男の性がそういうものならば,それに忠実に行く道もあるのではないか。

● その点で「孤独の価値」を説く森博嗣さんの意見にシンパシーを感じる。弧に強くあるよう努めることが第一で,そのためには自分だけの楽しみを持つことが必須だ。
 どちらを採るにせよ,定年になってから考えるのでは遅すぎる。これだけはハッキリしている。定年時で勝負はついている。

● 以下に転載。
 私は休職した時に,自分がいかに会社にぶら下がっていたかを痛感した。同時に,個性や主体性の発揮は他人がいて初めて成立するものであって,独りぼっちになれば何もできないことを学んだ。(pⅶ)
 会社に復帰した後も,私は自分の50歳からの生き方のヒントを求めて,まず定年で退職した先輩に話を聞き始めた。しかし数人に会って感じたのは,彼らが思ったよりも元気がなかったことだ。(pⅷ)
 若い時に華々しく活躍する人も多い。それはそれで素晴らしい。ただ悲しいことに,人は若い時の喜びをいつまでも貯金しておくことはできない。大会社の役員であっても,会社を辞めれば“ただの人”である。(pⅺ)
 定年後の課題が大きいのは都心部であって,地方では退職後も地域に自分を求めてくれる場があるので,定年前後のギャップは圧倒的に小さい。(p31)
 私にとって一番印象的だったのは,誰からも名前を呼ばれないことだった。どこにも勤めず,無所属の時間を過ごしていると,自分の名前が全く呼ばれない。(中略)名前を全く呼ばれないということは社会とつながっていないということだ。(p42)
 ある企業の顧客対応の責任者に話を聞くと,苦情を申し出るお客さんの中には大手企業の元管理職が少なくないと語っていた。(中略)面白かったのは,二人とも自社のOBからの厄介な苦情もあると語っていたことだ。(p59)
 「定年になったら釣り三昧」と話していた先輩も,在職中よりも行かなくなったそうだ。(p66)
 なぜ「会社は天国」なのかを冗談を言い合うように4人で楽しく語り合った。とにかく会社に行けば人に会える。昼食を一緒に食べながらいろいろな情報交換ができる。若い人とも話ができる。出張は小旅行,接待は遊び。(中略)規則正しい生活になる。上司が叱ってくれる。暇にならないように仕事を与えてくれる。おまけに給料やボーナスまでもらえる。スーツを着ればシャキッとする。会社は家以外の居場所になる。(p79)
 見知らぬ人が困っていると助けてあげようといった関係を紡ぐ気持ちを女性側は持っている。それに比べると,定年退職した男性側にはそれが弱いと感じるのだ。(p91)
 女性グループは「生活感」という共通の基盤があるので,どんな話も自分たちの生活に引き付けて互いに語ることができる。ただ,世間話で終わってしまうことが多い。それに対して男性のグループはそういった共有できるものがないので,発言者固有の視点からの議論になりやすい。(中略)なかには興味を示さない人も出てくる。(p92)
 男は同僚や取引先といった仕事に関係する人を除いて,ほとんど人間関係を持たない。そもそも群れることができない生き物なのだ。(渡辺淳一 p93)
 会社組織で長く働いていると,人生で輝く期間は役割を背負ってバリバリ働く40代だと勘違いしがちである。しかしそれは社内での役職を到達点と見る考え方であり,本当の黄金の期間は60歳から74歳までの15年なのである。(p111)
 「定年後の準備はどうするの?」と後輩の中高年社員に聞くと,「これからゆっくり考える」や「そのうちに」などの言葉をよく耳にする。しかし「そのうち」なんていう時制は本来ないのだ。(p116)
 数多くの事例を見てきた立場から言えば,次の2点にはこだわった方がいい。1点目は,何に取り組むにしても趣味の範囲にとどめないで,報酬がもらえることを考えるべきである。(中略)たとえ交通費や寸志であっても報酬があるということは,誰かの役に立っているということだ。(中略)2点目h,望むべくは自分の向き不向きを見極め,自らの個性で勝負できるものに取り組むことだ。(p133)
 中高年から全く新たなことに取り組んでも,長年の組織での仕事で培ったレベルに到達することは容易ではない。(p147)
 どれだけお金を稼いだか,どんな役職やポジションにいたかよりも,現役でいることがすべてに勝るのではないか。(中略)高齢になっても社会の一員として生きようとする意欲はやはり大切なのだろう。(p155)
 証券会社のセミナーは参加するだけなので面白くならない。やはり幹事を務めるなど煩わしいことをやらないと居心地はよくならないというのだ。たしかにその通りだと思う。(p172)
 Facebookやブログを開設していること自体がすでにオープンな姿勢なのである。興味や関心のあることを自分の中だけにとどめず広く発信することも,居場所を作るための一つの方策になるだろう。(p175)
 功なり名を遂げた人に臨終の前に「自分の誇れるものは何か」とインタビューすると,仕事や会社のことを話す人はいないという。大半が「小学校の頃,掃除当番をきっちりやった」など,小さい頃の思い出を語るらしい。(中略)人生の終わりが近づいたとき,「もっと契約を取ればよかった」と後悔する人はいない。これらも定年後を過ごすヒントになるかもしれない。(p188)
 「なんで自分だけが」という経験は,孤独の中で一人考える作業を必要とする。そのプロセスが各人の個性化につながっている麺がある。(中略)みんなと一緒だと思っていると,自分なりの働き方や生き方を見出すのは難しい。(p194)
 何かを創り出す時に重要なものは,締め切りの設定だ。(中略)自らの人生を創造的なものにするには,やはり人生の締め切り,最期のことを勘案しておく必要がある。(p198)
 勤めていた会社で採用の責任者だった時も,学生さんの「いい顔」が基準だった。転身してきた人に対する取材も「いい顔」の人を条件にした。人は発言では美辞麗句を並べることはできても,顔つきだけはごまかせない。(中略)仕事で言えば,「いい顔」をしている人から,より多くのことを学ぶことができる。そえはその人が個性にあった働き方をしている可能性が高いからだ。自分の内面的な価値観にあった行動をしているから「いい顔」になっている。(p213)
 定年後になっても平穏で波風が立たないパック旅行ばかり求めていては,何のために生きているのか分からなくなる。せっかく生まれてきたのだから,人生で一度くらい「俺はこれをやった」と言えるものに取り組んでみたいものだ。(p216)

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