2017年7月9日日曜日

2017.07.09 土屋賢二 『われ悩む,ゆえにわれあり』

書名 われ悩む,ゆえにわれあり
著者 土屋賢二
発行所 PHP
発行年月日 2012.11.19
価格(税別) 952円

● 著者の名前は,森博嗣さんの本を読んで知った。森さんはかなり土屋さんの学識をリスペクトしているようだ。
 森さんがそこまで言う人なら,読んでみなきゃと思っていたんだけど,なかなか手がのびなかった。やっと読んだわけだけど,こういう軽い(?)ものから入ることになった。

● それでも,何となく,土屋さんの人柄や好き嫌いが彷彿してくるところがある。たぶん,それで判断すると間違うんだろうけど。

● 以下にいくつか転載。
 ときどき「わたしは他人の人生ではなく,自分の人生を生きているんだ。もっと自分を通そう」と決意するが,同じことをまわりの連中は,わたしより強く決意している。(p5)
 とくに男は「これだけはゆずれない」と思うものを持っています。多くの男は,洋式便器でも立って小便することだけはゆずれないと考えています。ゆずってみれば分かりますが,こだわるほどのことではありません。(p16)
 学校生活で一番楽しいのは入学するときです。一番向学心に燃えるのは新しい教科書を配られたときです。英会話を習って一番充実感に満たされるのは,授業の申し込みをするときです。結婚生活で一番幸福なのは,結婚相手が決まっていないときです。(p39)
 昔の子どもが外で遊んだのは家の中には遊ぶものがなく,コワい親がいたからではないでしょうか。もし家の中でだれにも叱られることなくメンコやビー玉などでのびのびと遊べていたら,わざわざ外に出ようとはしなかったはずです。(p49)
 人間が夢を持てるのは軽薄だからです。(中略)苦労しないと夢はかなわないと分かっても,自分はどんな苦労にも耐えられると夢見ているのです。人間はどこまでも自分に都合よく考えてしまうのです。(p51)
 ふつうの人にとって,不要なものが一切ないという状態は耐えられるものではありません。(中略)乱雑きわまる状態にもスッキリしすぎた状態にも耐えられないのです。(p56)
 そもそも「がんばれ」と励まさなくてはならないようなことは長続きしません。(中略)がんばらなくてはならないのは苦痛なことだからです。(中略)がんばっている人の顔を見てください。例外なく苦しそうに見えるのはこのためです。(p68)
 初めからうまくいく人はいません。もしうまくいくなら,その仕事はたいした仕事ではなく,挑戦し甲斐がないものです。数年でできる仕事なら,ほとんどの人が簡単にモノにするでしょう。(p72)
 中年男にできることは,清潔にしていることだけです。できることなら姿を消すのが最善です。(p85)
 実生活の本番では,だれもが負けを味わいます。たとえすべての人に勝っても地震や病気には負けるのです。(p102)
 自分の意見を発表したり,主体性を発揮することにそれほど価値があるのでしょうか。(p109)
 中高年のわたしでさえ,中高年の男は汚らしい気がして,できるだけ遠ざかるようにしています。(p113)
 中高年になると容姿が劣化するだけでなく,内面的にも嫌われるような人間になるものです。男も女も,年をとると若いとき以上に強欲で利己的で傲慢で強情になります。上品さも風格も出てくることはありません。(p113)
 社会に出れば,学校時代に成績がよかっただけの人よりも,愛嬌のある人物のほうが愛され,大事にされるものです。(p118)
 哲学や文章に自分が向いているかどうかは,いまだに分かりません。でも向いていなくてもかまわないと思っています。趣味のジャズピアノに至っては,はっきり自分に向いていないと思っています。しかし,自分に向いていないからといって,それが何でしょうか。わたしのかけがえのない楽しみになっているのですから,それで十分だと思っています。(p125)
 かりに「男らしい」「会社員らしい」「夫らしい」「酒飲みらしい」「定収入の男らしい」など,すべての「らしい」を満たすような人がいたら,そいういう人こそ,型にはなりすぎていて「人間らしくない」というべきです。人間らしく自由に生きることを放棄しているのですから。(p133)
 どんなに価値があっても,好みでなければフラれます。それに実際,ほとんどの男にはたいした価値はないのです。(p156)
 自分を正直に出せるのは,人を人と思わないような人間だけです。(p172)
 そもそも伝統の味を維持することがそれほど必要なことでしょうか。もしそうなら,現代の日本人は縄文時代かそれ以前の食生活を送っているべきだということになるのではないでしょうか。(p180)

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