著者 松浦弥太郎
発行所 筑摩書房
発行年月日 2014.03.25
価格(税別) 1,300円
● 引き続き,松浦さんの“人生読本”。
● 以下にいくつか転載。名言集を作っているようなものだな。
今,僕がいちばん怖いと考えているのは,収入の格差などではなくて,知識や情報,意識の格差です。たとえば,じつは自分の時間やお金や人生が,何らかの見えない形で,この社会に搾取されているかもしれないのに,「そんなこと私には関係ない」「わからない」「今のままでいいのです」と言っている人が意外に多いことを、もっとみんな考えてもよいのではないかと思います。(p19)
ノートに貯まっていくのは,感動したことと嫌だったことのどちらかである,ということがわかりました。要するに,うれしかったこととうれしくなかったことしか覚えていないということです。(p38)
自分が好きでもないのに,相手に自分を好きになってくれというのはおかしな話です。(中略)何でも好きになろうという姿勢がないかぎり,関係性というものは生まれません。(p49)
素直になるために僕が気をつけているのは,まず人の話を聞くときは,相手のすべてを信じることです。ですから多くの人が口ぐせにしている,「何で?」とは聞きません。(p50)
世の中の人はみな忙しいですから,「あそこにおいしい店ができたよ」と言っても,「ああ,そうなんだ」でおしまいです。たいていの人は,確かめません。でも成功している人は違うのです。できるだけすぐにきちんと自分で確かめるのです。(p51)
ダメなところを直す方法ではなくて,人にはダメなところをカバーするための得意な能力というのが,絶対に存在するのです。いわゆる人の長所というのは,じつはそれなのだと思います。(中略)短所は直りません。死ぬほどの思いをしたなどとトラウマになるようなことがあれば直ることもあるかもしれませんが,短所は直らないものです。と言うよりも,直す必要がないのです。それがあっての長所だからです。(p55)
人は第一印象をとても大事にするもので,たいていの場合,目の前に見えているものを信じて判断します。(中略)つまり残念ながら,真面目や一生懸命さがあっても,服装という見た目がだらしなくては,なかなかそれが伝わらないのです。(p64)
あるとき尊敬している年上の女性が,「女の人をきれいにする秘訣は何ですか?」という質問に応えて,こうおっしゃっていました。「どんなに体型が悪くても,顔の造りが悪くても,女の人は髪型です。髪型と髪の手入れをして,きれいな髪できちんとしていたら,みんなきれいに見えますよ」。(p66)
僕は礼儀作法とマナーというのは,自分を助ける奇跡を起こす魔法の一つだと考えています。そのくらい大切なことだと思うのです。(p69)
相手の心に届くお礼をするためには,筆まめであることです。筆まめというのは福を呼びます。何かをいただいたら,必ず,その日のうちにお礼状をかく(中略)お礼状というのは一日過ぎてしまったら,もう送るチャンスはないのと同じです。(p71)
チャンスというのは改まった場ではなくて,日常のなかに現れるものなのです。(p74)
時間について僕がとても大切にしているのは,なによりメリハリをつけるということです。(中略)一日中,全力で走るわけにはいかないのが現実です。(p77)
いちばんいけない時間の使い方は「なりゆきまかせ」です。なりゆきまかせにしていると,結果として「やらされている」という犠牲者精神が生まれると思います。(p78)
時間という友達をきちんと管理しておくために,僕は食事の時間をしっかり決めています。(中略)食事なんて,空いている時間にさっと食べればよいと考えている人に限って,仕事のしかたもだらしなくなりがちに思えます。(p79)
自分の時給を算出してみて,僕は少なくともその三倍は会社の数字に貢献したいけれど,そのためにはどうしたらよいか,と考えます。働くならば,そのくらい会社に貢献したいと思って仕事をしなければ,仕事の面白みがないとも言えるでしょう。(p81)
あなた自身がお金を好きにならないと,お金もあなたを好きになってくれません。お金を好きになるというのは,お金を深く学ぶということで,これは人を好きになるのと同じです。(p86)
浪費というのは人間にとって必要なものだと僕は思っているからです。(中略)人間はストイックになりすぎると,人としてのやわらかい部分を失っていくものです。(p87)
知識とは,自分で経験したり,考えたり,発見して得るものであって,本来,少人数のためのものであるはずなのに,その知識がはなから多数派に向かって放たれているというのは,考えたり,発見するという人間としての生きる喜びを一つ手放すようなことではないだろうか,と思います。(p94)
道具とは自分の行為の機能を助けるためのものですから,えんぴつ一本にしても,自分で選んで,日々手入れをします。ですから僕の場合,道具はむやみには増やしませんし,日々生かされないものは自分の道具として選びません。(p95)
現代は情報化社会ですから,電車に乗っても,街を歩いても,どこにでも憶測という名の情報が溢れています。(中略)でもそれを正しくて真実だと思っていると,とんでもないことになります。何でも知っている人になってしまうと,一見,知的で豊かに見えますが,その人の人生は先細りしてしまうような気がします。(p97)
自分自身で考えることなしでは,本や人が教えてくれることは自分の身にはつきません。(p102)
人は楽しそうにしている人のところに集まるものです。楽しんでいる人のことが気になるものです。なぜなら,自分もそれに影響されたいからです。(中略)人が集まるということは情報も集まります。(p103)
かわいげや愛嬌というものは,弱さやかっこ悪さや愚かさなど,そういうことを受け入れ,愛することから始まるのだと思います。強くなければいけないとか,賢くなければいけない--そのような考え方は,逆に自分をとても不自由にします。(p104)
かわいげや愛嬌というのは,いろんなものと関係を持つための接着剤のようなものかもしれません。からからに乾いた人になってしまうと,なかなか人とくっつくことができないものです。(p104)
面白さというのは何なのでしょう。僕は「ヘン」ということではないかと思っています。ヘンなことは面白いのです。ヘンだから面白い。(中略)なぜなら人はヘンなものしか好きになりませんから。あたかも正しいことを心から好きになったりすることはないのです。(p105)
家庭料理とは,外でお金を出しても食べられないものです。(中略)家庭料理に技術はいりません。必要なのは知恵と愛情です(p118)
自分を嫌いな人たちや自分を批判している人たちに対して,僕がこうしようと決めていることは,とにかく「認める」ということです。無視をしないことです。なかなかできそうでできないことですが,それが大事なのです。敵だった人が何かの拍子に「味方」になる体験はみなさんにもあると思います。(中略)そのためには、まず僕自身が心を閉じないということです。(p138)
どんな方法で何をしようとしても,自分が一途であるというのは,大きな力になり得るという気がします。(p140)
楽しさは人が与えてくれるものではありません。自分の工夫によって生まれるものです。(p145)
完成一歩手前でも一からやり直すことができる勇気と柔軟性と気力を持っているかどうかということなのだとも思います。仕事において,もしもあなたが一歩でも前に出たいのであれば,それしかないというのが僕の実感です。(p145)
底力とはいったい何でしょうか。僕は,日々の仕事における当事者意識なのだと思っています。自分のことだと感じられるか感じられないかということです。当事者意識を持って仕事をしないかぎり,よい仕事はできないでしょうし,よい仕事につきものの高いリスクも背負えないものです。(p146)
運を味方にするために,僕には勝手に決めている条件というのがあります。まずは自分が「健康で元気であること」,「笑顔を絶やさないこと」,それから,「何事からも逃げないこと」です。とくに最後の,「逃げないこと」は大切で,物事から逃げると運は確実になくなります。逃げるよりも,むしろもがくことをすすめたいです。(p152)
もう一つ,運を味方にする条件があるとするなら,それは,「人のせいにしない」ということです。よいことも悪いことも,すべて自分が原因だと考えることです。(p154)
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