著者 岸見一郎・古賀史健
発行所 ダイヤモンド社
発行年月日 2013.12.12
価格(税別) 1,500円
● 今でも本屋に行くと平積みになっていたりする。ベストセラーになったものだ(と思う)が,まだまだ売れているようだ。
● アドラー心理学のわかりやすい解説書という理解でいいんだろうか。アドラーの説くところの肝は,因果論ではなくて目的論であるところにあると割り切っていいだろうか。
さらに,アドラーが言っていることをひと言でまとめてしまえば,「人は人,自分は自分」ということになるんだろうか。
● 以下にいくつか(というには多すぎるけど)転載。
われわれは「どう見ているか」という主観がすべてであり,自分の主観から逃れることはできません。いま,あなたの目には世界が複雑怪奇な混沌として映っている。しかし,あなた自身が変われば,世界はシンプルな姿を取り戻します。問題は世界がどうであるかではなく,あなたがどうであるか,なのです。(p6)
ご友人は「不安だから,外に出られない」のではありません。順番は逆で「外に出たくないから,不安という感情をつくり出している」と考えるのです。(p27)
彼(アドラー)は言います。「大切なのはなにが与えられているかではなく,与えられたものをどう使うかである」と。あなたがYさんなり,他の誰かになりたがっているのは,ひとえに「何が与えられているか」にばかり注目しているからです。そうではなく,「与えられたものをどう使うか」に注目するのです。(p44)
あなたが変われないでいるのは,自らに対して「変わらない」という決心を下しているからなのです。(p51)
われわれは孤独を感じるのにも,他者を必要とします。すなわち人は,社会的な文脈においてのみ,「個人」になるのです。(p70)
個人だけで完結する悩み,いわゆる内面の悩みなどというものは存在しません。どんな種類の悩みであれ,そこにはかならず他者の影が介在しています。(p72)
自らの不幸を「特別」であるための武器として使っているかぎり,その人は永遠に不幸を必要とすることになります。(p90)
覚えておいてください。対人関係の軸に「競争」があると,人は対人関係の悩みから逃れられず,不幸から逃れることはできません。競争の先には,勝者と敗者がいるからです。(中略)いつの間にか,他者全般のことを,ひいては世界のことを「敵」だと見なすようになるのです。(p95)
怒りっぽい人は,気が短いのではなく,怒り以外の有用なコミュニケーションツールがあることを知らないのです。(p106)
いくら自分が正しいと思えた場合であっても,それを理由に相手を非難しないようにしましょう。(中略)人は,対人関係のなかで「わたしは正しいのだ」と確信した瞬間,すでに権力争いに足を踏み入れているのです。(中略)そもそも主張の正しさは,勝ち負けとは関係ありません。あなたが正しいと思うのなら,他の人がどんな意見であれ,そこで完結するべき話です。(p107)
人はその気になれば,相手の欠点や短所などいくらでも見つけ出すことができる,きわめて身勝手な生き物なのです。(p120)
他者から承認される必要などありません。むしろ,承認を求めてはいけない。(中略)われわれは「他者の期待を満たすために生きているのではない」のです。(中略)他者もまた「あなたの期待を満たすために生きているのではない」のです。(p132)
われわれは「これは誰の課題なのか?」という視点から,自分の課題と他者の課題とを分離していく必要があるのです。(中略)他者の課題には踏み込まない。(p140)
他者の期待を満たすように生きることは,楽なものでしょう。自分の人生を,他人任せにしているのですから。(p157)
不幸の源泉は対人関係にある。逆にいうとそれは,幸福の源泉もまた対人関係にある,という話でもあります。(p181)
あなたは他者によく思われたいからかそ,他者の視線を気にしている。それは他者への関心ではなく,自己への執着に他なりません。(p183)
「わたし」は,世界の中心に君臨しているのではない。「わたし」は人生の主人公でありながら,あくまでも共同体の一員であり,全体の一部なのです。(p185)
もしもあなたが異を唱えることによって崩れてしまう程度の関係なら,そんな関係など最初から結ぶ必要などない。(中略)目の前の小さな共同体に固執することはありません。もっとほかの「わたしとあなた」,もっとほかの「みんな」,もっと大きな共同体は,かならず存在します。(p194)
対人関係を縦でとらえ,相手を自分より低く見ているからこそ,介入してしまう。(p200)
いちばん大切なのは,他者を「評価」しない,ということです。評価の言葉とは,縦の関係から出てくる言葉です。(p204)
他者から「よい」と評価されるのではなく,自らの主観によって「わたしは他者に貢献できている」と思えること。そこではじめて,われわれは自らの価値を実感することができるのです。(p206)
人間は自らのライフスタイルを臨機応変に使い分けられるほど器用な存在ではありません。(中略)もしもあなたが誰かひとりとでも縦の関係を築いているとしたら,あなたは自分でも気づかないうちに,あらゆる対人関係を「縦」でとらえているのです。(p214)
他者のことを敵だと思っている人は,自己受容もできていないし,他者信頼も不十分なのです。(p237)
他者貢献とは,「わたし」を捨てて誰かに尽くすことではなく,むしろ「わたし」の価値を実感するためにこそ,なされるものなのです。(p238)
人生の調和を欠いた人は,嫌いな1人だけを見て「世界」を判断してしまいます。(p246)
普通を拒絶するあなたは,おそらく「普通であること」を「無能であること」と同義でとらえているのでしょう。普通であることは,無能なのではありません。わざわざ自らの優越性を誇示する必要などないのです。(p261)
線としてとらえるのではなく,人生は点の連続なのだと考えてください。(中略)人生とは連続する刹那なのです。(中略)われわれは「いま,ここ」にしか生きることがきない。われわれの生とは,刹那のなかにしか存在しないのです。(中略)計画的な人生など,それが必要か不必要かという以前に,不可能なのです。(p264)
たとえばあなたがエジプトに旅をする。このときあなたは,なるべく効率的に,なるべく早くクフ王のピラミッドに到着し,そのまま最短距離で帰ってこようとしますか? そんなものは旅とは呼べません。家から一歩出た瞬間、それはすでに「旅」であり,目的地に向かう道中もすべての瞬間が「旅」であるはずです。もちろん,なんらかの事情でピラミッドにたどり着けなかったとしても,「旅」をしなかったことにはならない。(p268)
われわれはもっと「いま,ここ」だけを真剣に生きるべきなのです。過去が見えるような気がしたり,未来が予測できるような気がしてしまうのは,あなたが「いま,ここ」を真剣に生きておらず,うすらぼんやりした光のなかに生きている証です。(中略)過去にどんなことがあったかなど,あなたの「いま,ここ」にはなんの関係もないし,未来がどうであるかなど「いま,ここ」で考える問題ではない。(p271)
深刻になってはいけません。真剣であることと,深刻であることを取り違えないでください。(p274)
人生はつねに完結しているのです。(中略)20歳で終わった生も,90歳で終えた生も,いずれも完結した生であり,幸福なる生なのです。(p275)
それは「ひとりの力は大きい」,いや「わたしの力は計り知れないほどに大きい」ということです。つまり,「わたし」が変われば「世界」が変わってしまう。世界とは,他の誰かが変えてくれるものではなく,ただ「わたし」によってしか変わりえない,ということです。(p281)
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